この番外編の次から幻想入りします。
最初は本当に会うだけのつもりだった。隣に現れて少しだけ驚かせて、反応を楽しむだけ楽しんだら、会話することもなくすぐに帰るつもりだった。
「あら、驚きはしないのね。少し悲しいわ」
「驚いていますよ」
だけど目の前の男は驚かなかった。正確に言えば彼は嘘をついていたのではない。彼自身は本当に驚いていたのだ。「隣に人が居たこと」に対して。いったい誰だという問いも、どこからやってきたのかという疑問も、どうやって近付いたという恐怖もない。平穏な日常にあるありふれた驚きしか感じていなかったのだ。私は初めて会った時に同じような反応をした人間を知っている。いや、彼女の場合は驚きすら感じていなかったようだけれど。それともう一人、全くの無反応を決め込んだ妖怪も居たかしら。でもそのことは今関係ない。
若丘八房、少し過去を遡れば面白い記録もあるものの、能力にさえ目を瞑れば至って普通の人間だ。人間が本来所有している微量の気を除けば、妖力も魔力も神通力も持ち合わせていない。典型的であると言っても問題ないほどの外界人。
成程、レミリアもなかなか面白い運命を見せてくれる物だわ。心躍る感覚が湧き起こった。元々若丘八房などという取るに足らない人間の名前なんて知るはずもない。それでも私が知っていたのはあの生意気な吸血鬼がわざわざ私にコンタクトを取りに来たからだ。
レミリア・スカーレット。彼女の「運命を操る程度の能力」がいったいどのようなものなのかは私でもわからない。ただいきなり呼び出して、若丘八房という人間に注意しろ。近々藤原妹紅と出会うはずだ、と言い放っただけなのである。しかして現実はそうなった。結界に穴はなかったのに藤原妹紅は幻想郷を抜け出し、本人にその自覚なかったとしても、目の前の男に会いに行ったのだから。
「それで、俺に何か用ですか。八雲紫さん?」
一応突然現れた私に対して警戒はしているようだ。ここに来て危機感の一つも感じないのならば、冷静を通り越してただの阿呆でしかない。しかし私の名前を知っているとは。理由は一つしかない。
「あら、藤原妹紅から私のことを聞いたのかしら。あと敬語じゃなくて構わないわよ」
「それじゃあ遠慮なく」
緊張していた空気が弛緩する。相手からの了承があるまで敬語を続けているのだから彼女達よりは良心的だ。しかし、やはりよく似ている。何処が、と言えば生き方がとしか答えられないのだけれど。
「半分は妹紅から聞いたけど、外見的な特徴については一つしか聞いてない」
「特徴?」
「一目で分かるほどに胡散臭い」
また随分とストレートに来られたものだ。胡散臭さについては自覚しているし、むしろそう思われるように振舞っているのだから当たり前のことだ。嘘をつかぬと信用されるのは鬼くらいでいい。幻想郷の管理者として、信じられぬ恐れられる妖怪でなければならない。幻想郷において私より信用できぬものは数多く居ても、私より胡散臭い奴は片手で数えるほどもいない。って自慢するところではないわね。
「随分と酷い言われようね」
「言い得て妙だと思うけどな」
悲しむ振りをしてみせたがこの男、思ったよりも口が悪い。顔色を窺わなくてもいいと判断したのだろうか。流石にここまでばっさりと言われてしまうと私だって気分の良いものではない。言葉にするのは負けた気がするので、不満さを傘を回すことで表現すると相手もすぐにそれを察した。それを悟らせた上で無視するのだから質が悪い。
「それで、何用か聞いたはずだけど」
「別に、歓迎する前に顔だけでも見ておこうかと思っただけよ。若丘八房という、幻想郷に来ようなんて酔狂な人間を」
最後にはわざとキツめに言った。もちろん言い得て妙だと言われたことへの仕返しだ。自分の事を酔狂などと言われたくらいで怒るような人間ではないと思っていたが、返答は思わぬところから始まった。
「フルネームで呼ばれたのは大学の卒業式以来だ」
気にするところはそこなのかしら、と口を挟みたくなったが咄嗟に我慢する。無視されることは想定していたが、気付かれないなんてことは思っていなかった。ああ、この男は自分が酔狂だと自覚しているのだとなんとなくわかった。外の世界で死にながら生きているのだから狂っていなければ生きていけないのかもしれない。だとするならば難儀な生き方だ。きっと幻想郷の方が気楽に暮らせることだろう。
「それに、アンタは分かっていて妹紅を俺と引き合わせたんじゃないのか?」
「それは少し違うわね」
彼の次なる問には即答。回し続けるのも疲れたし、さしていた日傘を畳み、代わりにスキマから扇子を取り出して口元を隠す。言われてしまったのであえて胡散臭さは上げていく。
私がわざわざ他人と他人を引き合わせるなんて真似をする筈がない。貴方と藤原妹紅が出会ったのは、あの小生意気な吸血鬼によれば運命。たとえ如何なる手段を使おうとも変わらない事実。
「私はそれを邪魔しなかっただけ」
八房は言葉の真偽を確かめるために随分と長い間私の顔を見つめていた。扇子で顔の半分を隠していたから表情を読むのに苦労しているようだ。しばらく睨みつけてきて、私の言葉に偽りのないことを理解して溜息をつく。
「なるほど」
「案外すんなり納得するのね」
「駄々をこねても仕方が無い」
たとえ嘘だったとしてもそれを証明することは困難である。懸命にもそれを悟ったらしい。だったら信じておいた方が都合が良い。実に理に適った判断だ。この辺りは彼女とは大きく違うところかもしれない。あの子なら「退治すればわかる」とか言って御札を投げてくるでしょうから。
自分の体が軽くなるような感覚。私が声をかけた時にはまだ日も明るかったというのに、いつの間にやら星が夜空を瞬く時刻になっていた。それだけ私が八房との会話に夢中になっていたのだろう。妖怪をして面白いと思わせるとは、本当に酔狂な人間だ。
私はもうしばらく帰るつもりはなかった。八房は私が帰らないことに困惑していたが、なんてことはない。もう少し話していたくなっただけだ。私は管理者から見た幻想郷の話、霊夢がぐうたらで困るとか、橙が相変わらず藍の言うことを聞かないだとか、その程度の他愛ない話だ。妹紅から詳しい説明を受けられなかった彼のために幻想郷の地域についても説明した。代わりに八房からは今日までの妹紅の様子を聞いたりもした。生死の境界も無くし、虚無主義にでもなっていたかと思ったが、話を聞けばまだ中身は少女真っ盛りのよう。彼女をからかうネタが増えたのは大きな収穫だ。なんてことを考えていると冷めた目で見られていた。
「じゃあ、賢者様から俺はどう見える?」
八房からそんな言葉が飛び出したのは、お互い話のタネが無くなって自分の話でもしようかとなったときだ。ちなみに私がどう見えるか聞いたらば「胡散臭い」の一言で一蹴。酷い話だ。
「そうねえ、一言で言えば面白い、かしらね」
彼は多分誰とでも上手くやっていける。幻想郷でも数少ない個性。それは他に混じることができるということ。どうしても我の強いのが集まってしまう幻想郷では彼のように他に合わせるなんて出来る者は少ない。霊夢とはまた違った解釈で幻想郷の理念を体現しているようにも見える。
純粋な感想なのだが、どうやらお気に召さなかったようだ。唇をとがらせるのがわかる。普通は大の男がやっても可愛くないが、これはこれで愛嬌があった。思わず笑ってしまい、ついでにフォローも入れておく。
「褒め言葉よ。断言できるわ。貴方なら幻想郷に渡っても上手くやって行ける」
「それはどうも」
納得はしていないが、言い返す言葉もない。そんな感じだ。残念なことにフォローだと受け取ってもらえなかったらしい。
んん、と色っぽい寝息を立てながら、八房の背中で藤原妹紅が身じろぎした。それなりに長く寝ていたし、そろそろ目が覚める頃合だろう。別に男におんぶされている姿をからかってもいいのだけれど、彼女を怒らせたりして、間違って弾幕でも使われたら困る。気付かれないうちに早々にお暇してしまおう。
八房に別れを告げて、スキマの中に潜り込む。幾つもの目がのぞき込む様は我ながら悪趣味だ。中を少し歩けばすぐに私の家に着く。冬眠から覚めてまだ十日ほどしか経っていないし、元気は有り余っている。
「お帰りなさいませ、紫様」
藍が恭しく礼をする。癖なのだろうが、この時の他人行儀な喋り方が直らない。
「ご無事でなによりです」
「やあねぇ、私が外の世界で怪我でもすると思っているのかしら」
「いえ、そういうわけでは御座いませんが」
私の気に障ったと感じた藍が慌てて訂正する。私はもっとフレンドリーに接してくれてもいいのだけれど、堅物なままでも面白い。だからしばらくからかっていると、藍が首を傾げた。
「紫様、なんだか今日はご機嫌ですね」
「あら、わかる?」
「ええ、ここまで楽しそうな紫様は久しぶりです。レミリア・スカーレットの言っていた男はそれほど興味深いのですか?」
「そうねえ、似ているのよ」
「似ている? 誰に?」
「霊夢によ」
人も妖も分け隔てなく接する霊夢。他者を受け入れるという生き方は容易にできるものではない。全て受け入れ、篩い落すことのない彼の性格は幻想郷の面々も気に入ることだろう。結果、むしろ散々な目に遭う気もするが、それも含めて幻想郷というものだ。正しい世界で酔い狂っている彼ならすぐに馴染める。宴会をする時が楽しみだ。
それにしても気分がいい。これも実は八房の持っている能力なのか。そんな筈は無いのだけれど、こんな気持ちになったのは久しぶりで、不思議だ。まあ、それもどうでもいいか。
「ねえ藍。まだ眠くもないし、どうしましょう」
わざとらしく聞いてはみるが、何をするかは既に考えついていた。藍が何が言いかける前に、手を叩く。
「そうだわ、弾幕ごっこをしましょう。藍、久しぶりに相手しなさい」
「・・・・・・本気ですか」
藍の呆れ声が聞こえる。確かに主と式神が戦うのだから勝敗は既に決まっているようなものだ。従者は主に逆らえない。
「私はいつだって本気よ」
本気で言っているから質が悪い、とでも言いたげな顔だ。これで苛めるのもいいが、やはり体を動かしたくて仕方が無い。
「じゃあこうしましょう。八雲紫が命ずる、私との弾幕ごっこで全力を出しなさい」
私が命じた途端、藍の妖気が濃く鋭くなる。式神は命令によって力を上げることができる。つまり、今私と戦う場合に限り全力以上を出せるのだ。ここまでやるか、藍が驚愕の表情を見せる。そして観念して溜息をついた。
「わかりましたよ、やればいいんでしょう。命令されましたし、加減しませんよ」
「あら、誰に向かって口を聞いているのかしら。私は八雲紫よ」
あからさまな挑発にあえて乗ってあげる。
家から外に出て、周りに被害が出ないよう空の上に行くと、私の小手調べから弾幕ごっこが始まった。強化された藍はけして楽な相手ではないが、格上というわけでもない。一番楽しめるくらいの強さだ。現にお互い紙一重で弾幕を避けている。
「境符『四重結界』」
「式神『十二神将の宴』」
宣言されたスペルカードは以前よりも更に密度の高いものになっていた。藍もなかなか出来るようになったじゃない。それでいい、すぐに終わってしまってはつまらないわ。まだまだ夜は降りてきたばかり。日が昇るまでは思う存分体を動かすとしよう。