「また貴女は勝手な約束をして。私が意地でも会わないと言ったらどうするつもりだったんですか」
「そしたら会ってくれるまで頼みこむだけさ。それに、実際アンタは通してくれたじゃないか」
「だからそれは結果論じゃないですか」
誰かと誰かが話している声が聞こえる。両方とも女の声、っても幻想郷で聞くのは女の方が多いんだが。それで片方は聞き覚えがあって、そういや星熊勇儀に殴り殺されたんだったと思い出す。また生き返って目が覚めたんだろうが、ここはいったい何処だろうか。ソファか何かに寝かされている状態のようだ。話している二人は傍らで立ったまま、誰かが勇儀に説教をしているらしい。
「おや、お目覚めになったんですね。ここは地霊殿。貴方がたの目的地ですよ」
「ど・・・・・・」
「どうしてここに、ですか。それはそこな鬼が連れてきたからに決まってるでしょう」
言いたい事を先に言われてしまい黙るしか無くなる。俺は仕方なく起き上がってソファに腰掛けた。二人をはっきりと視界に収めると、ぼやっとする頭を働かせて地霊殿の記憶を引っ張り出してみる。そういえば、紫の話によると、地霊殿の主ってのは。
「ええ、人の心を読むさとり妖怪です。随分落ち着いていますね。それともまだ寝ぼけているのでしょうか」
「なんだかいつにもましてキツイけどどうしたんだい?」
「別に、何もありませんよ」
勇儀が地霊殿の主に軽口を叩くと、地霊殿の主は、それをむっすりとした顔で返し、大きな書斎机に備え付けられた安楽椅子に体を預ける。刺のある言い方に勇儀は冗談交じりに怖がる素振りを見せ、素直に黙った。主の方も、まだ何か言いたそうに唇を尖らせていたが、開き直った相手に皮肉を言っても無駄だと喉元の言葉を押し込めたようだ。その代わりにより一層眉間の皺が深くなる。
ピンク色の髪は華扇にも似ているが、気難しそうな顔はどちらかというとパチュリーに似ている。人を見た目で判断するのは良くないとは言われるが、偏屈者という評価はあながち間違いではなさそうだ。
それよりも、彼女は今
「お察しの通りです。藤原妹紅と伊吹萃香。両者ともこちらにいらっしゃいますよ。随分気が立っているようなので、別室でお待ちするようお願いしましたが」
「あー」
「怒ってるでしょうね。何度言ってもまるで効果が無いのですから」
「勘弁してほしいもんだ」
こっちだって好きで死んでいるわけじゃないのだから。
「死にたがりの言う台詞じゃありませんね」
「ほっとけ」
「それに、頭では理解していても、心では納得の出来ないことだってあるのですから」
その一言だけやけに悲しそうだった。嫌味ではなく、心からそう思っているような、それはつまり、彼女にもそういう思い当たりがあると連想させる様な。そんな言われ方したらこっちだって反論できないじゃないか。俺は死にたがりなんかじゃないのに。まるで俺の思考の方が間違っているとさえ思えてくる。
「間違ってますよ。いえ、認めていないと言うべきでしょうか。心を読むまでもありません」
「人の心を読むな」
「さとり妖怪に死ねと?」
「そうは言ってない」
「自重なら十分していますよ。心を読む部分だけですけど」
常に先手を打たれると口では勝てそうにない。どうしてこう突っ慳貪にされるのか。ピンク髪には初対面で悪印象を与える能力でも持ち合わせているのだろうか。いや、パチュリーは紫髪だし、こころはピンク髪でも普通に懐いてくれてたか。別にそんな無駄に使いづらい能力を持っている心配はしなくて良さそうだ。
それよりも、世間話をするためにここに来たわけじゃない。俺は自分が何者なのかを知るためにここに来たんだ。
「そう、ですね。確かに少々無駄話が過ぎました。私としても貴方がたを歓迎するつもりはありませんし、手短に終わらせてしまいましょう」
「あいつらは連れてこなくて良いのかい?」
「どちらでもいいですよ」
勇儀の質問に地霊殿の主は否定とも肯定とも付かない、曖昧な答えを返す。そして、同時に俺の方に視線を投げかけてきた。俺に決めろ、ということなのだろうか。微かに揺らされた頭が、そうだ、と後押しする。
「私の能力では、貴方の心を誰かに伝えることは出来ません。彼女達が居たところで、私がすることも、貴方が受け取ることも変わりませんから」
「それなら────」
「そばに居てほしい、ですか。随分と惚けた頭をしているのですね」
「そこまで言われる筋合いはねえぞ」
「いや、惚気てるのは間違いないだろ」
勇儀にまで呆れられた。何故だ、とあらためて考えてみると、なるほどこれは確かに恥ずかしい。余りに人に聞かせられる話ではないな。いや、まだ酷いなんてレベルだが、あの時の恥ずかしさに比べれば、って駄目だ思い出しちゃ。顔から火が吹き出そうになる。しかも、つい忘れてしまいがちだが、目の前に居るのはさとり妖怪なわけで。
「・・・・・・流石にそれは、よくそんなこと言えましたね」
「頼むからやめてくれ」
相手にまで顔を赤らめられるとは、この八房一生の不覚。というか、本当にやめてくれ。精神的に死んでしまうから。あの頃の俺はどうかしていたんだ。あんな黒歴史は早く忘れてしまいたくなる。忘れることも出来ないし、忘れてはいけないことも確かなんだけれど。
それと勇儀、玩具を見つけたような顔をするのはやめろ。
「おっ、何かいやらしいことでも考えてんのかい」
「貴女には関係有りませんから、さっさとお二方を呼んで来てください」
「はいはい分かったよ。一応私が蒔いた種だしね」
最初に会った時と同じように豪快に笑いながら、勇儀が部屋を出ていく。廊下はフローリングの床で、壁も木造ではなくどちらかというと大理石のようだ。部屋の時点で薄々分かってはいたがここも洋風の屋敷なんだな。木造のでかい家だと落ち着かないからまだ楽だが。洋風だとほら、紅魔館とかで多少慣れてるからな。
「紅魔館? 妹からその名前を何度か聞いたわね」
「あんたに妹なんていたのか」
「居ますよ。貴方だってあったことがあるじゃないですか。それと別に普段から敬語で話しているわけじゃありません。口調が崩れたくらいで驚かないでください」
「はいはい」
しかし、あったことがあると言われても、俺に妖怪の知り合いなんて、一般に比べれば多い方か。しかし、誰か居ただろうか。ピンク色の髪、機嫌悪そうな目付き、なんか生えてる目玉。目玉? そんなもんを付けてるのが他にも誰かいたような。
「ああ、もしかして」
「ご名答。まだ名乗っていませんでしたね。古明地こいしの姉で、ここ地霊殿の主である古明地さとりと申します」
「種族名がそのまま本名なのか」
「珍しいことではないでしょう? 人間にだって名前に人と付けることは少なくないではないですか」
「それもそう、そうか?」
なんだか違うような。まあ深入りすることでもないか。言われてみれば似ていないこともない。性格は正反対のようだけど。
「それは生来生まれ持ったものですから。それと、貴方はもっと妹に、こいしに感謝するべきなのです。彼女が居なければ貴方はここに居ないのだから」
「どういう意味だ?」
「そうやって考えることを放棄するのは如何なものかと、ええどうせ間違った思考を笑われるのだからどうでもいいと。随分捻くれた考え方ですね」
どうせ笑われるのならどちらでも良かったか。これは失敗をした。笑われたならもうどうでもいい。考えてみるか。といっても、こいしが俺のことを話したってことくらいしか思い付かないが。
「半分は正解であると言っておきましょう。事実、あの子が貴方の話をしなければ私は貴方のことを知ることなど無かったでしょうし」
「紫が紹介状を送ってくれていた筈だけど」
「そんなもの、読むわけないじゃないですか。あれの紹介なんて胡散臭いし面倒事に決まっているのですから」
「それは流石に言い過ぎじゃないか」
「さとり妖怪に向かって心無いことをよく言えますね」
「本音と建前は大事なんだよ。後一応言い過ぎだとは思ってるぞ」
あれはこっちの都合を考えないだけだ。
「貴方も大概だと思いますよ」
さとりは大きく溜め息を吐いて、後ろにある本棚から、一つの厚い本を手に取った。英語はそれほど得意なわけじゃないが、アルファベットで書かれたタイトルは簡単に読み取れた。
──
誰でも知っている、ルイス・キャロルの有名な童話。アリスという少女が兎を追いかけて、不思議な体験をする話だ。キャラクターもアリス、ハートの女王、チェシャ猫、帽子屋。アニメ映画としても歴史に残る作品、だったはずだ。
自信が無いのは、俺がそれ自体を読んだことも、見たことも無いからだ。童話自体滅多に読むものでもなかったのだが、これに関してはどうにも好きになれなくて、言ってしまえば敬遠していたのだ。
「どうして、と言われても、ただこれが読み途中だっただけですよ。お二方がいらっしゃるまでの暇潰し。それ以外に理由が必要ですかね」
「い、いや。無いけどさ」
「なんとなく嫌な気分がする、ですか。何を毛嫌いしているのかも分かっていないようですが、そうつまらないものでも無いですよ」
そんなところじゃないんだがな。いや、自分でも分からないのだからとやかく言うことじゃない。
ページを捲る音だけがしばらく鳴り響く。することも、考えることもないせいで、既に数時間は経過したようにすら感じられる。まさかそんな時間は経っていないのだろうが。
俺が一体何者なのか。その答えが見つかると決まったのに、どうしてこんなにも肩が、頭が、腕が、それこそ心さえも重苦しくなってしまうのか。怖いもの見たさ、そんな感覚だ。踏み出せば戻れない崖の前で逡巡しているイメージが脳裏に浮かぶ。あと一歩踏み出せば落ちてしまうのだろうか。いや、それは無いだろうな。根拠はないのだけれど。
足音が少しずつ近付いてくる。きっかり三人分、勇儀が萃香と妹紅を連れてきたのだろう。無遠慮に開け放たれた扉から焦ったように妹紅が走り寄ってくる。
「八房大丈夫!?」
「別に人体実験された訳でもないんだから、大丈夫だって」
「萃香はちょっと黙ってて」
「大丈夫だよ」
萃香が言うと怒るようなので俺が自分で大丈夫だと伝えてやる。俺が言ってもよく大丈夫じゃないって怒られるけどな。でも、やっぱり妹紅の声を聞くと落ち着くな。ちょっとだけ重苦しさが取れたような気がした。
「さて、惚気けているところ申し訳無いのですが。手短に済ませたいので、始めてしまっても宜しいでしょうか」
さとりがさっきまでの三倍くらいのジト目で言う。見てられない、と主張しているのがありありと分かった。しかし、早く終わらせるのは俺としても賛成なので、深く頷く。
「では皆さん。少し彼から離れてください」
そのさとりの言葉に妹紅は渋々と、鬼共はつまらなさそうに従う。さとりが立ち上がり、俺の目の前までやってきて、小さな手のひらを俺に見せる。
「少し刺激が強いのでお気を付けください」
その言葉と共に光が瞬き、俺の意識は薄れていった。
*
再び目が覚めて視界に入って来たのは、雲一つも無い、透き通るような青空だった。さっきまで館の中に、それ以前に地底にいたはずなのに、これはどうしたことだろう。瞬間移動、って奴でも無さそうだ。
(うおっと)
視界が揺れる。地面が動いたのかと思ったが、端をちらつく木に付いた枝は揺れていない。それどころか少しずつ目線が高くなっていき、最初は地面とそう変わらなかったのに、最後には普段と同じくらいの高さになっていた。体が勝手に動き、大きく伸びをする。自分の行動を客観的に見ているような不思議な感覚だ。
「おや」
俺の声を少しだけ大人びさせた声が他人の声として鼓膜に届く。やはり俺以外の誰かが俺の体を動かしているらしい。二重人格、ではない。となれば、物語によくあるのは、前世の記憶という奴だろう。この
そして、その
(あれは、人か?)
代わり映えのしない景色を歩かされていると、不意に目の前にうずくまっている少女が映った。金色の髪を揺らして泣いている、青い服の少女に気が付いたからここまで来たのか。
「そんなに泣いて、どうしたんだい?」
声を掛けられた少女が振り返る。その顔立ちを見て、俺は、ハッと息を呑みそうになった。俺が体を自在に動かせていたら誤魔化すことは出来なかっただろう。
「お母さんが何処かに行っちゃったの」
悲しそうに泣きじゃくりながら、掠れた声で話す少女は、歳の違いや、ちょっとした髪型、雰囲気の違いはあれど、間違いなく──
──アリス・マーガトロイドだった。
ひと段落着いた辺りで詳しい解説は改めてします。
そしてさとり様にもつんけんされる八房である。