────お父さん。
喉から出てくる幼い声に驚く。これは
。
写真でしか見たことのない父。まだ三十代前半だったらしいが、若白髪の目立つ苦労人そうな顔の人。
短い足で駆け寄る。その人の腰と同じくらいの高さに自分の目線があった。見上げると困ったような表情をしている。後ろに目を向けると、気難しそうだけだけど優しそうな母の姿も見えた。
それだけじゃない。二人が死んだ後に俺を引き取ってくれた叔父さんも、海に流されたときに助けようとしてくれた知らないお兄さんも。俺が幻想郷に来るまでに出会った人達が居た。幻想郷に来てから最初に仲良くなった門番の青年も、饅頭屋のおやっさんも、俺を騙して太陽の畑に行かせたあくどい商人も。俺が今まで会った
「えっ……?」
肺から空気を全て押し出すような衝撃が走った。突然の出来事に踏ん張りが効かず尻もちをつく。父親に突き飛ばされたのだ。起き上がろうとしても手に上手く力が入らない。
父親の顔が遠くなったのは、自分が倒されたからじゃなくて、あちらが離れていったから。それだけじゃない。皆が自分から離れていく。足音が重なり合って重苦しく響く。
「来るな化け物」
初めて聞いた声だったが、すぐに父親の声だと分かった。俺の声とは似ていなかった。そして、恐ろしい声だった。優しげな顔はとっくに鳴りを潜めていた。恐怖と、怒りと。そんな顔だった。
「どうしてお前だけが」
「私達は死んだのに」
続けたのは母親だった。人の物とは思えないくらいに歪んだ顔だった。視線は俺に向いていた。
────お前のせいだ
昔、遊んでいた友達が言う。鉄骨の落ちた時に巻き込まれて死んだ。
────お前が居なければ
俺を助けようとしてくれたお兄ちゃんが言う。見も知らぬ俺を助けようとしてくれた一緒に海に流された。
────なんで生きているんだ
登山家らしき重装備のおじさんが言う。山で滑落して遭難したときに二次被害にあったらしい。
────化け物め
「俺は人間だ」
────お前が居なければ、俺達は死ななかったんだ
「俺は人間だ」
────お前が私達を殺したんだ
「俺は人間だ」
────誰もお前を人間だと思わない
「ちっ……違う違う違うちがうちがうちがうちがうチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウ」
もはや自分でも何を言ってるのか分からない。俺は人間だ。化け物なんかじゃない。だっておれは人間なんだから。そうだよ、おかしいのはみんなだ。みんなおかしくなっちゃったんだ。ちょっとつかれてるだけなんだ。おやつでもたべればみんなすぐにえがおになってまたわらうんだぼくはわるくないわるくないわるくない────
「いい加減認めちゃいなよ」
あとずさったからだをだれかにつかまれる。
だれ?
みたことはある。でもこのひとはだれだろう。しらないけれど、にこにこしていて、きっとぼくをたすけてくれるのかな。
「君は呪われた悪魔の子なんだよ。君が居るだけで周りが不幸になる」
「なにを、いってるの」
「分からないかな」
だれだったのかちょっとずつおもいだしたような────
「てめえが全員殺したんだよ化け物」
ああ、そうだ。しんぶんやさんだ。
「人間なんて笑わせんな。殺して死なない人間なんか居ねえよ」
「やめて……」
「やめて? 人間様に口きこうってのか。怪物が随分思い上がってんな」
「やめて」
「うるっ、せえんだよ!」
くるしい。どうして、どうしてぼくのくびをぎゅってするの。ぼくはなにもしてないくるしいたすけてたすけてたすけてたすけて────
────あついよ
記者だった男が燃えている。それを見た瞬間なんだか冷静になって、はっとして辺りを見渡すと、皆みんな燃えていた。
「そうやって俺も殺すんだなバケモノ!」
記者だったナニカが言う。人好きのしそうな笑顔が苦痛に歪んでいた。水ぶくれが目元を覆い隠した。皮膚が爛れて骨まで焼いて。溶け始めて、人間の形もしていない。あれだけたくさんの人が居たのに、いつの間にか一人だ。いつの間にか俺だ。今の俺になっていた。床が遠く感じられて、地に足の着かないような感覚だった。
悲鳴が鳴り響く。頭の内から、頭痛のように。反響して大きくなっていく。おかしくなってしまいそうだ。正しかったのは父さん達で、認めたくなかった俺が殺してしまったのだと。そう考えたくなってしまう。そんなことは無いのに。全部ただの事故で、誰も何も悪くないのに。絶対に俺のせいなんかじゃないのに。
我を忘れたくて、どこでもいいから走った。真っ白な世界で、果ても方向も分からなかった。ぐるぐる回っているだけのような気もした。ただ、どこかへ辿り着ければ救われるんじゃないか、って。蜘蛛の糸に縋る気持ちで。
どれだけ走っただろうか。何時間とも何分とも、もしかしたらたったの三秒間だったかもしれない。頭を空っぽにしたくて、息苦しくて、体が熱くて。死にそうになるまで走った。
「妹紅!」
その先に見付けた愛しい人。俺を認めてくれる人。彼女は俺を見て、怯えるように肩を震えさせた。
一歩踏み出すと、一歩距離が離れる。
「妹紅?」
どうしたんだ。何があったんだ。お前だけは俺の味方で居てくれるだろう。
「来ないで……化け物!」
オマエダケハオレノミカタダロウ。
気が付いたら妹紅の首を絞めていた。華奢な体が宙に浮いて、掠れた吐息が顔にかかる。ぎぃぎぃと音を立てたブランコのように彼女は暴れたけれど、俺の腕を外せない。何度も脛を蹴られたけれど、痛くも痒くもない。おかしな話だ。体格を考えれば当たり前の事なのに。
彼女のか細い手から力が抜ける。必死に俺の手首を握っていたのに。手を離そうとしたら、するりと彼女の体が地に落ちた。まるで車に轢かれた蛙だな、と思った。首元には紫色の綺麗な花が咲いていた。彼女を彩る死化粧だ。蛙じゃないな。蛙はこんなに美しくない。
「おい、起きろよ」
無駄に長い髪を掴んでむりやり引き起こす。蓬莱人ならこの程度で死ぬはず無いだろ。さっさと目覚めろよ。
彼女はうんともすんとも言わない。冷たさだけが、やけに肌に突き刺さった。髪の毛しか触れていないのに、体温を手に取るように感じた。
彼女は死んでいた。どうしようもなく、疑いようもなく、命を失っていた。魂を燃やし尽くしていた。だから目覚めない。もう生き返らない。俺が掴んでいるのはただの人形で、蓬莱も何も関係なかった。
────俺が殺した
誰が言ったのか分からない。ズイブンと腹の立つ声だ。
ああ、これは俺の声だ。
いつの間にか妹紅は俺になっていた。生きていた。 そして笑う。
「
叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
叫んだ。
喉がはち切れても。酸欠で意識が飛びそうになっても。ただ狂ったように、死ぬまで。気道が焼ける感覚すら心地よく感じてしまう。胸が苦しくなる。前を向くことすらできない。眼球が裏返って脳を痛めつける。声以外にせり上がってくる胃液がとっくに限界を迎えた俺を捕らえて離さない。胃の中を全てぶちまけてまだ収まらない。呼吸なんかしてないのに声が枯れる気配すらない。頭の中に響いていた悲鳴が霞むくらいに自分の声が五月蝿く感じられた。外から内からぶつかり合い、鼓膜が破れそうになる。だけど音は消えない。いっそ無くなってしまえば楽に慣れたのにそれを許してはくれない。それで良い。俺にはこんな仕打ちが丁度いい。許されなくて当たり前なのだ。自分に嘘をついていたのだから、そうしてみんなを殺したのだから。
これが断末魔だったならどれだけ良かっただろうか。俺みたいな奴が死んでればどれだけ他の人が幸せだっただろうか。
だけどこれは断末魔じゃない。むしろ産声だ。自分は死なないで、周りに死を振りまく怪物の咆哮。苦痛に塗れた悲鳴。全身を走る痛みが、地獄に落ちてもまだ生温い化け物を祝福し嘲笑う。痙攣した体が歓んで踊り出す。ただ俺の意識だけが絶望していた。俺の体は血の一滴に至るまで軽蔑こそすれど否定しなかった。
いつの間にか一人ではなくなっていた。だけど一人だった。俺以外誰も居なかった。孤独だった。幸福だった。
皆死んでいた。妹紅も、輝夜も、永琳も、鈴仙も。紫だってアリスだってレミリアだってフランだって美鈴だってだってみんなみんなみんな。血だらけになって倒れている。真っ白な世界が真っ赤になって、俺の足元までペンキみたいに染まっている。彼女達はぴくりとも動かない。生きていない。人間じゃないのに。化け物なのに。呆気なく死んでいる。人間だって死んでいる。霊夢も魔理沙も早苗も。笑えるのは、幽霊である筈の幽々子まで息絶えていることだ。死んでいる奴が死んだらどこへ向かうのか。虚無か、それとも更なる地獄か。考えるほどに愉快で愉快でたまらない。
これほど愉快なことがあるか。こんなにも嬉しいことが他にあるか。
だってこれでもう、俺は誰も殺さないんだから。
*
「ちょっと八房! 大丈夫!?」
「も……こう?」
真っ白でも真っ赤でもない景色。俺の方を揺さぶる妹紅の髪の毛がちらちらと映って、ここが紛れもなく自分たちの家であったと思い出す。そういえばもう地底からは帰ってきたんだっけか。なんだか全部上の空で、夢だったんじゃないかとそんな気がする。
「大丈夫? また苦しくなったの?」
「いや、ちょっとうなされてただけだ。前のとは違うよ」
異変のときみたいな苦しさとは違う。その証拠に起きた今が元気であることを伝えるとようやく妹紅は納得して安心したようだった。俺達が地底に行っている間にまた別の異変が起きていたらしいから、それとの関係を疑ったんだろう。だけどそっちはもう解決したんだから、今の俺には関係ない。
俺は誰だっただろうか。若丘八房なのは分かっている。だけど、地底であの光景を見せられてから、■■■■■■の記憶が時々ふと蘇るようにやって来るんだ。視界が、音が、痛みが、感情が押し寄せてくる。単なる知識と呼ぶには他人事に思えなくて。実は八房という人間は居ないんじゃないかって。そんな気がしてきてしまう。
「ちょっと散歩してくる」
「ん、気を付けてね?」
「分かってるって」
妹紅に聞いてしまえば簡単に納得できそうな気がした。だけど、それはなんだか違う気がして、まやかしで自分を誤魔化しているような気がした。何より怖かった。自分の望む答えが出なかったときが怖かった。杞憂なのだとは思うが、あんな夢を見せられた後ではな。
冬はそろそろ終わりそうだと思わせる寒さと、やけによく見える星空の下で、川の方へと歩く。顔でも洗ってさっぱりとしたかった。頭を冷やしたかったた言っても良いかもしれない。
「俺は、不死身なだけの一般人だよ。不死鳥なんかじゃない」
誰に聞かせるでもない呟きは、雲一つない夜空に吸い込まれていった。
そう、思っていたんだ。
「あらあら、そうなのですか?」
慌てて周りを見渡す。誰も居ない。空にも星が瞬いているだけだ。
「こちらですわ。こ、ち、ら」
ちゃんと聞くと、声は地面から聞こえていた。視線を下ろすと、地面が丸く開き、そこから青い髪の美女が這い出してきた。
「こんばんは、今日も良い夜ね」
「誰だよアンタ」
少なくとも見覚えはない。雰囲気は紫っぽいが、ちょっと違うような気もする。紫より性質の悪そうな相手だ。
「申し遅れましたわ。私、仙人をやっている霍青蛾と申しますの。気軽に娘々と呼んでくださいな」
「仙人、ねえ」
茨歌仙と同じ種族か。だいぶ雰囲気は違うけれど、どちらも仙人という気はしない。
「散歩をしていたら偶然先の呟きを聞いてしまいまして。人の助けとなるのも仙人の仕事。良かったらお話いただけませんこと?」
「今さっき会ったばかりの相手に身の程話をするとでも?」
「気心知れてないからこそ出来る話もあるでしょう」
それは一理ある。妹紅には絶対に話せないし、慧音や阿求に話すのも避けたい。守矢神社の二柱なら出来るだろうが、一人で妖怪の山に入るなんて以ての外だ。アリスにも今は顔を合わせづらいし紫は冬眠中。ともなれば、話したくとも話す相手は居ない。
そして目の前の娘々とやらも性質は悪そうだが悪人という感じはしない。仙人というよりむしろ妖精のようだ。というのも俺の勝手な偏見だが。
「ま、話すだけならタダか。言い触らすのだけは止めてくれよ」
「勿論ですわ」
信用はしてないが。
そして俺は子供の頃のこと、地底であったこと。夢に見たこと。全ての事を彼女に話した。人に知られて困るものでも無し。
話終わった後、娘々はずっと同じ笑顔のままこう切り出した。いつぞやの記者と同じ顔で少し怖かった。
「貴女は自分が何者なのか分からなくなっているのですね。人間かも、妖怪かもはっきりしていない。それならいっそ何かになってしまえば良いでしょう」
「何か?」
「例えば仙人とか! 今なら格安で修行を付けて差し上げますわ」
「それは遠慮しておく」
「あら即答。悲しいですわ」
だけど、何かになる。それは悪くないかもしれない。
「自分が楽しそうって理由じゃないよな」
「バレました?」
やっぱり話半分に聞いてるのが正解だった。悪びれない様子に肩を落とす。
「ただ、何か見えた気がするよ」
「それは良かった」
「……ありがとうな」
「……やっぱり仙人なってみません? 今なら無料で」
「やらないっての」
幻想郷の夜は更けてゆく。
娘々に気に入られた八房。死ぬ予感しかしねえ。
そして八房の心境は実際にはもうちょっと複雑なんですが、語るかどうかは微妙ですね。作品終わった後には話すかもしれません。