ぶらり自由落下の旅
「ここが、幻想郷」
目の前に広がる景色に感嘆する。排気ガスに包まれた現代で見るのは難しい、あるがままの自然がそこにはあった。紫の力で森の中へ転送され、妹紅と二人でどうにか抜けたところ、そこは幻想郷の大半を見下ろせる高台になっていた。そびえ立つ山、活気のありそうな村に外れた場所にある神社。風景画みたいに綺麗な場所だ。話では聞いていても実際に見るのとは訳が違う。
幻想入り(幻想郷に来ることをこう言うのだそうだ)した後は、一旦妹紅の家に行くことになっていた。誰も知り合いの居ない俺のために、しばらくはそちらに泊めてもらうことになっていて、荷物を置かなければならないからだ。荷物といっても嵩張るのは衣服くらいで持ち歩いても問題はない程度の量なのだが、ここは妹紅の提案に甘えておこう。
「じゃあ行こっか」
「おう・・・・・・って俺は空飛べねえぞ」
余りにも自然な動作で浮くものだから流されそうになったが、ここから降りるのは無理だ。俺じゃあ落ちて地面とぶつかって良くて大怪我悪けりゃ以下略。命が幾つあっても足りない。
「頑張れば」
「いけない」
「能力は持ってるのになあ」
能力を持っているからといって全員が飛べると思ってはいけない。特に俺なんかは不死身なだけの一般人で、喧嘩だってろくに勝てないのだから。仮に飛ぶだけの力があったとして、ぶっつけ本番で成功するとも思えないし、やる勇気もない。仕方なくても歩いていこう。
「でもなあ」
「そんなに歩くのが嫌か」
「嫌っていうか面倒臭いっていうか・・・・・・」
世間ではそれを嫌がっていると言う。普段が飛び回っているから歩くのが嫌なのか、でもあっちでは嬉々として歩いていたし、そういうわけではないと思う。実際俺よりも足腰強いし。もしかしてここから妹紅の家まで遠いんだろうか。だったら気持ちは分からないでもないが。
「そうだ!」
あ、なんか背筋に寒気が走った。妹紅は悪戯を思いついた子供の表情で手を握った。その手は女の子らしく柔らかいものだ、ってそうじゃない。今の俺にそちらに気を向ける余裕はあんまりない。
「私が連れていけばいいじゃない!」
妹紅はとんでもない膂力で俺を引っ張って、高台から飛び降りる。そしてそのまま急上昇、俺をぶら下げた状態で飛び始めた。確かに飛べない俺を連れていくには妙案かもしれないが、もう少しこっちのことも考えろ。腕にかかる負担がすごい。ジェットコースター並の速さだし脱臼しそう。
「まっ、ちょ、もっとゆっくり」
「大丈夫もうちょっとで着くから」
「そういう問題じゃねえ」
あとお前が掴んでる腕火傷してるから。まだ治りきってないから。そんなことお構いなしか、スピードが緩められるようには思えない。動転していた心が落ち着くと風の心地良さを感じるほどの余裕が出てきてしまうのは俺が馬鹿だからか。或いは受け入れてしまって楽になったからか。反対の手ではしっかり荷物を掴んでいた。よく落とさなかったものだと自分でも思う。タブレットが中に入っているからその執念は凄まじいものだ。自分の事だけれど。
そうしてしばらく振り回されていると、速度がどんどんとゆっくりになり始める。俺のことを気にかけてくれた、というわけではなさそうだ。目的地に到着するのだろう。吊るされてた俺が先に着地して、妹紅が手を離して前に降りる。目の前にあるこのボロ屋が妹紅の家なのだろう。周りには大量の竹が生えている。竹の成長は早いというし、この量では迷い込んでしまったら出られそうにない。迷いの竹林とはよく言ったものだ。しばらくは妹紅から離れられないな、下心とか抜きにして外に出られる気も外から入れる気もしない。
「ここが私の家」
「掃除くらいはした方がいいんじゃないか」
空き家か幽霊住みの廃屋にしか見えないぞ。立地は本人の自由だが屋内環境が悪いのは衛生的に悪い、って不老不死に言ってもあんまり意味はないか。病にもかからないという話だし。そもそも幻想郷というのはせいぜいが明治時代だ。衛生観念というのは推して知るべしなのかもしれない。
「寝る時くらいにしか使わないから問題ない」
「寝る時って。普段は何やってるんだ」
「この竹林案内してるか里で慧音と話してるか輝夜をぶっ殺しに行ってるか」
「さらっと物騒な単語が出るな」
輝夜というのは竹取物語にもなっているなよ竹のかぐや姫のことなんだろうな。物語がほぼ真実なのも驚きだが、そんな傾城傾国の美女がこんなとこにいるという事実が一番驚きだ。あまつさえ不老不死で、妹紅と血を血で洗う戦いをしているなんて。本当は怖い日本昔話でも書けるんじゃないだろうか。
蜘蛛が巣を張っている様な有様だが、今日のところは我慢するしかない。適当なところに荷物だけ置いてすぐに出る。今から掃除なんて気分じゃない。それに、今日の予定は来る前に妹紅と話して決めていた。
「それじゃあ博麗神社に行ってみようか」
幻想郷を外の世界と断絶させる博麗大結界を守る巫女のいる神社。いきなり妖怪と会うのはさすがに心の準備が足りない。というか出来れば人間の方と仲良くしておきたい。人里とも迷ったが、俺がこっちにしようと決めた。けして巫女って単語に惹かれた訳ではない。
「手は離さないでよ」
その警句は一番最初に言うもんだ。二度目のフライトは俺が腹くくっていたのもあって、怖さは感じなかった。相変わらず掴まれた腕は痛いが、風を感じていればそれ程苦にならない。風景を見る余裕も出来てきた。前方やや遠くに見える赤鳥居が博麗神社だろう。その奥には霧が立ち込めていてよく見えないが、湖のようなものと、霞がかってもなおはっきりと見ることのできる赤い館がある。あれが紅魔館なのだろう。俺と妹紅の出会いを予言した吸血鬼の根城。ちょっと空を見ればたぶん弾幕ごっこをであろう撃ち合いをやっている二人組も居る。遠いから良く見えないが二人とも金髪だ。外人さんだろうか。幻想郷はるつぼみたいな物だと紫は言っていた。一昔前は蠱毒だったというから平和になったんだろう。弾幕ごっこはここから見ても綺麗さがなんとなく分かる。
しかし、本当に風が気持ちいい。目を閉じれば聞こえるのは澄んだ音。刺々しい心が癒されていく。まるで空に浮かんでいるみたいな、そんな感覚。
・・・・・・・・・・・・?
いつのまにか腕の痛みが消えている。代わりに横殴りに吹き飛ばされるような、いや正に吹き飛ばされている。目を開くと俺の方に向かって手を伸ばしている妹紅の姿が見えた。事態に頭がついていかないけど、どうやら妹紅と手を離してしまったらしい。急いで元に戻らないと。
「あっ」
妹紅と俺の間に極太のレーザーが差し込まれたことで、届かないことを確信する。誰か知らないけど、厄介なことをしてくれたものだ。衝撃に煽られて俺の体がさらに勢い付けて飛ぶ。これじゃあまるで濡れ雑巾みたいだな。飛び降り自殺した時よりも高いや。つまりどうあがいても絶望。助からない。いや生き返るけど。
「やっぱり命が幾つあっても足りない」
死に慣れといた方が良かったかな。一昨日の妹紅との会話を思い返して後悔しながら俺は目を閉じた。
*
時刻は午後三時。お嬢様が午後のティータイムを楽しんでいらっしゃる時に「それ」は落ちてきた。突如鳴り響く爆音と衝撃にお嬢様の顔が目に見えて不機嫌になる。
「咲夜、今のは何かしら」
「おそらくは、空から何か落ちてきたのかと」
「そんなことは分かってるわよ」
お嬢様は口を尖らせる。何が落ちてきたのか知りたいのだろう。残念ながら私にも何が落ちてきたのかは分からない。音と衝撃の大きさからしてそれなりの質量を持った物体ということは確かなのだけれど。
「調べてまいります」
お嬢様を待たせてはならない。許可を得ると同時に能力を発動して、屋敷の外を目指す。走っていきたいが、メイドとしてそんなはしたない真似は出来ない。逸る気持ちを抑えながら、私は元凶があると思われる紅魔館の裏に辿り着いた。そこでは倒れた人型の物体を見慣れた顔が覗き込んでいる。周囲の地面の状況から鑑みて、この男が落下物の正体で間違いないだろう。能力を解除し、後ろから話しかける。
「どうかしたのかしら、美鈴」
「あっ、咲夜さん」
私の声に気付いた門番の紅美鈴が、いつも通りのどこか抜けた呑気な声で返す。こちらに門はないのだけれど、仕事を放置するとはいい度胸ね。なんて、あれだけの音がすれば来るのも当たり前のことか。紅魔館を守ることが彼女の仕事なのだから、有事の時には門からも離れるだろう。
「いやぁさっき凄い音したじゃないですか。だから何かなあって」
「で、それが原因なわけ?」
「んー、たぶん?」
「歯切りが悪いわね」
美鈴ははっきりしない態度のまま考え込む。いったいどうしたのだろうと同じように顔を覗き込むと、どうして美鈴が判断に迷ったのかがすぐにわかった。
「人間?」
「だと思いますよ」
人里の人間が着る和服とはまったく違う、どちらかといえば西洋風の服を着た若い男だ。妖力や魔力の類は感じないので、もしかしたら外の世界からの迷い人かもしれない。そこまでは別にいい。迷い人は珍しくとも居ないわけではないし、妖怪に襲われて高いところから落とされる可能性も十分にある。しかし、目の前にいるのが人間だとはにわかに信じられなかった。
「不思議ですよね。生きているんですよ、この人」
美鈴が私が抱いたのと同じ疑問を口にした。へこんだ地面に塀にも衝撃波の跡が残っている。この惨状では、妖怪でも生きているか怪しいレベルだ。人間なんて原型を残しているかすら危うい。だというのに、目の前の男には傷一つ付いていない。一瞬頭に思い浮かんだのは永遠亭の蓬莱人達。彼女達の力をもってすればこの光景を作るのもそう難しいことではないだろう。
「ちょっと失礼しますね」
聞こえてはいないだろうが一応断ってから、ナイフで腕を少し斬る。血管までは達していないから出てくる血も滲む程度だ。治る気配もない。つまり蓬莱人でもない。ついでに言えばナイフ一つで簡単に傷つけられる体であることもわかった。天人でもないそんな柔な体で落下の衝撃に耐えられるというのは無理があるし、どう考えても、一度死んでから生き返ったとしか考えられない。蓬莱人でもない、妖や神の力があるわけでもない、ただの人間が輪廻を壊すほどの能力を持っているとでも言うのだろうか。
美鈴も深刻そうな顔で悩んでいる。ここまで真面目な顔の美鈴は見たことがない。いつもそんな表情をしていれば門番としての風格も付くだろうに。風格なんてものがついても、それはそれで美鈴らしくないので別に構わないけど。
「咲夜さん」
「何かしら」
「私の予想なんですけど。一度お嬢様に見せた方がいいと思います」
確かに私達で結論を出すことは難しい。それならば、ここで二人で悩んでいるよりは主たるお嬢様の判断を仰いだ方がいいかもしれない。美鈴の意見はもっともだ。
「分かったわ。これは私の方から見せておくから貴女は門番業務に戻りなさい」
「はーい」
男を肩で担ぐとやはり重い。心臓の鼓動も聞こえるし、いたって健康体で、気味が悪い。もう一度時を止めて、お嬢様のところに戻ると、不思議なことにカップをテーブルに置いたまま、私を待っていたかのように椅子を廊下側に向かせて座っていた。不機嫌そうだったさっきとは打って変わって楽しそうな顔だ。
「ただいま戻りました」
「それで、それが原因?」
「はい。人間ですが、何故かまだ息があります」
「へえ」
お嬢様が口角を吊り上げた。紅霧異変や月へ行った時と同じ、心から楽しそうな笑顔。隠そうとしているのにまったく隠せていない顔。
「そいつは目覚めるまで何処か空き部屋にでも放り込んでおきなさい」
「畏まりました」
放り出せとも八つ裂きにしろとも言わない、むしろ客人として歓迎するつもりだ。この男の何処に気に入る要素があったのだろうか。単純に落ちても死なない人間を面白いと思っただけなのか。
「ふふ、ねえ咲夜」
「なんでしょうか」
「やっぱり運命というのは面白いものだわ。こんなにも愉快な鍵を私にもたらしたのだから」
お嬢様には、この男がいったい何者なのか分かっているらしい。運命の鍵。何の比喩だろうか。お嬢様の考えていることは私には分からない。意味のあることなのか、それともただ口から出任せなのか。それでも、私はその言葉を信じていた。それは一度救われたから。その尊大な物言いに私の人生は変わったから。
そして何より、主の言葉を疑うなんて従者として失格でしょう?