「だからさ、何度も言ってるじゃないか。八房との弾幕ごっこが終わった後なら何時でも良いって」
「いーや、今じゃないと嫌だね。鬼の約束を反故にするつもりかい」
「だーかーらー」
何度言っても聞く耳持たない目の前の小鬼に辟易としながら、私は誰か助太刀してくれないかと後ろを振り返る。入口からじゃ永遠亭の無駄に長い廊下しか見えないし、騒ぎを聞きつけてこったにやってくる人影も無い。永琳は数日前から部屋にこもったままで、鈴仙は人里へ薬売り。となれば頼れるのは輝夜とてゐくらいのものだけれど、トラブル大好きの二人が助けに来てくれるはずもなく(来たところでどうせ煽るのを優先するだろう)そうと言って大人しく萃香の言う事を聞くわけにもいかない。
八房との決戦の日まで、弾幕ごっこ、その他あらゆる戦闘を禁止する。永琳からのアドバイスはそれだけだった。どういう意味があるのか全く分からない。だけど私があれこれ考えるよりも、永琳の策を鵜呑みにした方が良い結果をもたらすのは火を見るよりも明らかだ。
それを説明したところで伊吹萃香という鬼は、傍若無人を絵に描いたような鬼畜は、そんなことは知ったことかと吐き捨てる。そして手持ちの酒瓢箪をぐいと一呑み。酔っ払いに話が通じると思った私が馬鹿だった。
ああ、腹が立つ。
「案内の後って言ったんだから約束は守ってもらわなくちゃね。鬼は嘘が嫌いなんだ」
「だからちょっと予定が変わったんだって。受けないなんて一言も言ってないでしょ」
どうしてこんなに長々と絡まれなければならないのか。腹の底に押し溜めていた苛々が沸々とせり上がってくる。ああでも抑えなきゃ。私は八房に人間を辞めてほしくないんだ。
「今じゃなきゃ駄目なんだってなんで分からないかな」
「今は駄目なんだってどうして分からないんだ」
早く帰ってくれないかな。赤帽子の烏天狗を彷彿とさせる面倒くささだ。流石は元上司といったところか。
怒っているのか酒のせいか真っ赤になった鬼の顔を睨みつけながら、早く鈴仙帰ってこいと祈る。目を離したら永遠亭が吹き飛ばされそうだ。或いは永琳が気付いてくれれば。
「埒が明かないね」
周りの風景が置き去りになった。背中に突き刺さる衝撃と、それでも止まらない体に、殴られたのだと遅れて理解する。地面に打ち付けられ、のんびりしていた兎達が慌てて逃げていった。永遠亭の塀をぶち抜いてしまったらしい。お腹の辺りには物凄い熱が籠っている。既に治り始めてはいるけれど、綺麗に拳大の穴が出来ていた。
「何、すんのさ」
「口であれこれ言うよりも早いかと思ってさ。反撃しないならそれでも構わないけどさ!」
喋りながら飛びかかってくる乱暴極まりない奴を蹴り飛ばす。顎にクリーンヒットした筈なのに全く効いた様子がない。まあ上位の妖怪なんてだいたいこんなもんだ。簡単に殺せるなら苦労はしない。
それにしても、ああ腹が立つ。熱い何かがこみ上げてきているのは、怪我のせいだけではないようだ。ぶん殴ってやらなきゃ気が済まない。永琳の言いつけは守れないけれど、このままサンドバッグになってやる程私はお人好しではない。
「誰かが止めに来るまで」
「それで十分!」
鬼が笑った。
*
「ほらよッ」
ぶつかり合い、相手の拳が砕け散る。これで腕を飛ばしたのは何回目だろうか。首を刎ねた回数は両手ではもう数え切れない。それなのに藤原妹紅は止まる気配が無い。これが蓬莱人か。違う、これが藤原妹紅か。単純な力では勝っているはずなのに、倒れるイメージが思い浮かばない。
こっちだって無傷じゃない。体のあちこちが焼け焦げているし、血だって多少は流れている。じわじわとだけど体力を削られている。
どれくらい時間が経った、まだ誰も来るな。まだこの
「強いなあ、藤原妹紅!」
「さっさと死ねこの糞鬼!」
炎をまとった蹴りが飛んできたので、全力で殴りつける。妹紅の足は千切れたが、遅れて飛んできた火球をもろに受けて吹っ飛ばされた。追い打ちの弾幕を全部耐え切って、お返しとばかりに身の丈くらいの大きさまで萃めた妖力を球にして投げ飛ばす。治ったばかりの腕がまた飛んだようだ。代わりに足はもう元に戻っている。また生える前に畳み掛けようにも、至るところから飛んでくる炎に意識を散らされて上手くいかない。いつの間にか初めのときと同じ姿だ。
キリがないねえ。不死身ってのはここまで強いものなのか。心が折れるまで
何度倒しても、何度消し炭にしても、次の瞬間には反撃してくる。これでどうだと気を抜いた瞬間にどでかい一撃が飛んでくる。華扇の奴が「もしかしたら死んでいた」と言っていたのも強ち言い過ぎでは無かったのだ。一度火が点いたら絶対に消えない。本当に強い相手だ。諦めることのない人間の強さだ。
前評判通りの強さに口元が緩むのを抑えられない。こんなにも楽しく思えたのはいつ以来だろう。少なくともここ百年は命を懸けたやり取りなんてしていない。それに匹敵するだけの楽しい喧嘩はあったけど、自分が死ぬかも、なんて心の隅で思ってしまうような殺し合いなんて。望んだって手に入るようなもんじゃない。
「最高だよッ本当にさあ!」
距離のとっての撃ち合いでは勝てない。普段弾幕ごっこをサボってるツケがこんなとこで出るなんてね。だから近づくしかない。足の筋肉が久々に全力で躍動している。三歩も要らない、一歩でいい。炎も霊力も全部力任せに弾き飛ばして妹紅の懐に潜り込む。そこから全力で顎をかち上げてやる。全身をいっぺんに塵にしてしまえば流石に死ぬか。いや、たぶんだけど死にやしないだろう。というかその程度のことで死んでもらったら困る。髪一本あれば復活できるとのたまっているんだから、灰があれば生き返るだろ。
「鬼に褒められても嬉しくないんだよ! さっさと燃え尽きろ!」
「まだまだ、まだまだ物足りないよッ」
「うっさい死ね!」
罵声を浴びせてくる割には相手も冷静だ。すんでのところで一撃を避けられ、妹紅の抱きしめるかのような両手から一斉に炎が吹き出る。磨り潰してやろうという私の目論見は失敗し、ゼロ距離で爆発を受ける羽目に。炎の熱さがどこか懐かしい。こんなに使いこなしてるとは思わなかった。自分の体ごと燃やしているのならあっちも相当に痛い筈だろうに、怯んだ隙にさらに炎をぶつけてくる辺り全く気にした素振りがない。
ああ、楽しい。とてもとても楽しい!
正攻法ではなかなか崩せないなら、普段やらない戦い方をしてみよう。左手を振り抜いて、腕についた黄色分銅で鎖鎌のように殴ってみる。一瞬動きが止まったが流石は殺し合い慣れした蓬莱人即座に叩き落とそうと腕を振り上げた。
「かかった」
ぶつかる瞬間、黄色の球体に押し込めていた疎の力を開放する。この分銅はその象徴。ピンポイントで使えばいつものように使うよりずっと威力が出る。吹き飛んだ妹紅が塀に叩きつけられて(今度は壊れはしなかった)くたっとなった瞬間に伊吹瓢を上から振り下ろす。めきり、と頭蓋の割れるいい音がした。これはいくら不死身と言ってもしばらく動けないだろう。
「────────ッ!」
「……はッ、マジか」
止まらなかった。顔を潰されたまま声にならない声を上げて妹紅が燃えた手で掴みかかってくる。盲の一撃だったからすぐに払い除けてダメージにはならなかったけれど。完全に虚を突かれた。危ない危ない、これでもまだ動くのか。それですぐさま再生するのか。だったらどうしようか。考えなきゃならないなんて屈辱で、嬉しい。
「人の家で、何をやってるのかしら」
別の誰かの声がした、そう思った瞬間には腹に痛みが走っていた。分裂してみようかどうか迷っていたせいで反応出来なかった。銀の鏃が刺さっている。矢の飛んできた方を向くとあまり話した事もない赤青の医者モドキ。次の矢はとっくに番え終えていて、まだ続けるならば容赦はしないと鏃の代わりに釘を刺してくる。妹紅はポカンとした顔で八意永琳を見つめていた。これ唾までつけてあるなあ。殺す気全開じゃないか。唾で死ぬのは大百足であって私みたいな鬼じゃないんだけど。
うーん、残念だけどここまでか。
このまま殴り合ってもいい。不老不死二人が相手なら、私が死ぬまで喧嘩できることだろう。もしくは一方的に殺されるかも。妹紅を相手にしても一進一退だったのに、そこから更に強そうな相手がやってきたんだ。勝つ可能性よりは負ける可能性の方が高い。永遠亭には他にも月の姫様や、腹立たしい嘘吐き兎もいた筈だ。全員を相手にして自分の限界を試すなんてなんて心惹かれる思いつきだろう。だけどそれはできない。
紫や霊夢に迷惑かけるとかそんなことを抜きにしても、妹紅に誰かが止めに来るまでって約束してしまったからねえ。もっと殺り合っていたかったけれど嘘にしてしまうのは鬼としてのプライドが許さない。それにまあ、目的は果たした訳だし。
「ちょっと喧嘩していただけだよー」
「にしては周りの被害が尋常でないのよね」
言われて周りを見渡してみると、塀は無事なところの方が少ないし、母屋も所々焦げた跡がある。あれ本気で燃える前に必死で消したんだろうな。気が付かない間に屋敷一つ消滅させてしまうところだった。というか彼女が止めに入らなければ絶対に燃え落ちていた。
「何か言うことは」
「すいませんでした」
ここは素直に謝ろう。こんなになるまでやる気はなかったんです。いや初っ端に塀壊したの私だけど。うん、妹紅の強さが想像以上だったからつい嬉しくなっちゃったんだよね。
「あら、素直に謝るのね」
「鬼はいつだって素直さ」
自分の欲望にもね
「なんか全然懲りたように見えないんだけど」
「妹紅、鬼は反省しない生き物なのよ。どうせ酒飲んだら怒られたことさえ忘れるわ」
「じゃあもう忘れてるね」
「自分で言うなよ」
呆れられても私はこういう奴だから。
「邪魔も入ったし、私はこれで帰ろうか」
「待ちなさい」
赤青賢者様なら私の事さっさと追い出しそうなものなのに、何故か呼び止められる。まさかバレたか。だとしても私は約束を守ってもらいに来ただけだから、後ろめたく思うことは何もない。何さ、と振り返ってみると青筋立てたお医者様が壊れた塀を指差して一言。
「鬼は大工仕事も得意らしいわね」
……逃げたら後が怖そうだ。
────そして、決戦の日────
「それで、今更になって何の用ですかね」
けったいなバイクに乗った、争い嫌いの住職に聞いてみる。これから一世一代の大勝負だというのに、聖白蓮は俺の前からどくつもりは無いようだ。こんなとき、紅魔館の誰かが居てくれれば任せて先に進む事もできたのだが、皆は一足先に会場に行ってしまった。俺に「よく考えて決めろ」とそれだけ言って。
「貴方も分かっているはずでしょう」
「同じ轍は踏ませないってことでしょうか」
白蓮さんの顔が驚愕の色に染まる。何故、と小さく呟くのが聞こえた。何故知っているのか、そう聞きたいのだろう。だから教える必要はないとだけ答える。
彼女は俺を止めに来たのだろう。自分も辿った道であるにも関わらず。自分が後悔していないことを自覚しているにも関わらず。俺が人間を辞めることを良しとしなかったのだろう。お人好しな彼女の思考は驚くほど簡単に理解できた。偽善者だ、などと蔑むつもりはない。彼女の言っていることはほとんど正しくて、現実の重みを持った言葉なのだから。間違ってるとしたら十中八九俺の方なのだから。
「不老不死はけして恵まれたものではありませんよ。輪廻から外れることより恐ろしいことはありません」
「そうかもしれませんね」
「私は死ぬことなら出来ます。だけど蓬莱人は違う。どんなに望んだって死ぬことはできない」
そうだ。俺とこの人は違う。思想も、経験も、何もかも。生まれた時代が違うのだから当たり前だ。俺は絶対にこの人の言う
「貴方は人間を辞めるべきではない」
「それはアンタの決めることじゃない」
白蓮さんの言葉を否定する。人間であるべきかどうか、なんてことは俺の決めることだ。他の誰かしらに決定権を渡すつもりなんて、いやそうじゃない。間違ってるかもしれないと、半ば確信に近い感情があっても。分かっていても、頷くことはできない。
白蓮さんの横を通り抜ける。腕でも掴まれるかと思ったが、反応は無い。俺はそのまま彼女を置き去りにして進む。彼女に構っている暇などないのだ。一秒でも早く、俺はその舞台に立たなければならない。その先に妹紅が待っているから。
「妹紅さんは、こんなことを望んではいませんよ」
心が少しだけ痛んだ気がした。諦めの入った言葉に思えたのはきっと気のせいではない。白蓮さんの言っていることは真実で、だからこんな馬鹿げた決闘が起きたのだ。それを理解した上で俺はこんなことをしているのだ。それでもここで歩みを止める訳にはいかない。
「だから、俺は行かなきゃいけないんです」
自分の我儘を押し通すために。妹紅の隣に並び立つために。何より────
────