「本当だわ。こんなところにカフェがあったなんて知らなかったわ」
庶民の町、銀座。
住宅と小さな商店街しかないこの町の一角に、そのカフェはあった。
外観はレンガ調でしゃれている。
何故今まで気が付かなかったのか疑問だ。
何度も通っているし、分かりそうなものだけれど。
店の中では、既に蓮子がケーキを平らげていた。
「遅いよメリー!」
「ごめんなさい。場所が分からなくて」
「場所が分からないって……。大学に行くのに通るでしょ……この道……」
「そうなんだけど……」
客は私たちしかいない。
店主は、あの東京のカフェの店主に似ていた。
というか、本人なんじゃないかしら?
「別人だったよ」
「聞いたのね」
「世界には似ている人が何人かいるらしいし、それじゃないかって言ってた」
確かに、紫は私に似てたし、まあ無いことはないか。
幻想郷の異変から、疑うことに余念がない自分が居る。
もはや、現代の科学では証明できないものまでも存在していると知った今、何もかもが幻想のものに見えてくる。
「んじゃ、早速行こう?」
「待ちなさいよ。私もケーキ、食べたいわ」
「ダメダメ。遅れた罰だよ! それに、時間がもったいない。今日は「東京秘封倶楽部」結成最初の活動なんだよ?」
「秘封倶楽部」を名乗るのは早苗さんがいる時だけ! という蓮子の一言で、私たちは名前を改めることにした。
それが「東京秘封倶楽部」。
ただ東京が付いただけだけどね。
「とは言っても、いつものように東京を探索するだけじゃない」
「紫の手紙にも書いてあったじゃん。『これからは身近にある「幻想」を知ることになるでしょう。井上円了が科学世紀の目から守った、不思議な不思議な「幻想」をね。』ってさぁ。つまり、まだまだ謎があるんだよ! この東京には!」
幻想ねぇ……。
私としては、もうあんな思いをしたくはないのだけれど。
「お化け博士の井上円了が科学世紀から守ったもの……それが「幻想」なら、きっとまた魔女とか妖怪とかがいるはず! 実在するんだよ! この東京にも!」
蓮子の目は、より一層輝いていた。
そういえば、最近はオーパーツとか、オカルトチックな話が多くなったような。
カフェを出た私たちは、東京駅へと向かっていた。
「それで、今日はどこに行くのよ?」
「東京の七不思議を暴こうと思うの」
「東京の七不思議?」
「そう。東京の不思議なこと……メリーは何だと思う?」
「そうねぇ……。やっぱり谷中かしら?」
「そう! じゃあ、谷中に行こうか」
「ちょっと待ちなさいよ。谷中に行ってどうするっていうのよ?」
「蓮子さんの推理だと、谷中の不思議の正体には、妖怪が絡んでいると思うんだ」
「思うって……それって推理じゃないんじゃ……」
「とにかく、行ってみようよ! きっと、ケーキなんかより素敵なものが待ってるよ!」
蓮子、イキイキしているなぁ。
私はイマイチ乗り切れないけれど。
でも……。
「うふふ」
「ん? どうしたのメリー?」
「なんでもないわ」
「変なの」
谷中銀座を抜け、例の住宅街へと進む。
「それで、どうするの?」
「何にも考えてないよ」
「えぇ……?」
「きっと何かあるっしょ。早苗さんの住んでいた家にでも行ってみる? 妖怪が住んでるかも」
「そんなわけないでしょ……」
「にゃーん」
にゃーん?
「わわ! 野生の黒猫だ!」
黒猫。
不幸を呼ぶと言われて、大量に駆除が始まったのが平成の終わりごろだったかしら?
「珍しいわね。私、生で見たの初めてだわ」
「私もだよ。よしよし、ほら、こんなところ見つかったら殺されちゃうよ?」
黒猫はやけに懐いてきた。
どこかの飼い猫なのだろうか。
「にゃーん」
黒猫は蓮子の手を離れると、街中を歩き始めた。
「大丈夫かな……」
「飼い猫のようだけれど」
「いくら谷中だからって、飼い主は自由にさせ過ぎだよ! こんなところを見つかったら……」
「にゃーん」
黒猫がまた鳴いた。
私たちをじっと見ている。
時折、道の向こうをチラチラと見ながら。
「ついて来いって言ってるのかな?」
「まさか」
私たちが歩き始めると、黒猫も歩き始めた。
試しに足を止めると、また、黒猫も足を止めた。
「やっぱりそうだよ! 行こう!」
「ちょっと!」
蓮子が走る。
黒猫も走る。
「れ、蓮子……ちょっと……待って……」
なんでそんなに体力があるのよ。
あんなにケーキ食べてるのに……。
どうしてケーキを食べなかった私がこんなに……。
「メリー! 早く早く!」
「もう! 私もケーキ……食べたかったのにぃ!」
「まだ言ってるの? 後で奢ってあげるから!」
「本当よ!?」
「本当本当! だから、ほら!」
「ん……んんんー!」
息を止めて走る。
短距離だけど、この方が速く走れる。
「黒猫が横道に逸れたよ!」
その横道で最後よ。
その横道に入ったら、私の息は限界を迎えるわ。
「も、もう……無理……!」
横道に入った瞬間、立ち止まっていた蓮子の背中にぶつかった。
「ぶはぁ……! ちょ……はぁ……はぁ……蓮子……?」
「ねえ……紫の手紙のPSにあったのって……もしかしてこれの事……?」
「はぁ……はぁ……え……?」
目を疑った。
そこには、明治・大正を思わせるような街並みが広がっていた。
和と洋のミックス。
「な、なによここ……」
人影はある。
だが、本当に「人影」だ。
「み、見てよ……。人の影が……歩いたり……馬車に乗ったりしているわ……」
「人じゃなさそうなのもいるよ……」
蓮子の指さす先には、ハロウィンの仮装のような、ただの布に目と口があるような、そんな影もいた。
「にゃーん」
黒猫もよく見ると、うっすら影っぽい。
黒なんじゃなくて、影だったのね。
黒猫……いや、影猫は同じように街中を歩き始めた。
「……行こう」
「え……? 帰りましょうよ……。ここはなんだか幻想郷と違うわ……」
「でも、帰れないみたいだよ」
後ろを振り向くと、そこは行き止まりのように、塀で囲まれていた。
影で出来た犬の糞みたいなのも落ちてる。
「大丈夫。メリーが危なくなったら、蓮子さんが守るからさ」
そう笑う蓮子。
本人も怖いはずなのに。
「……ケーキに紅茶も追加して」
「え……。わ、分かったよ……。だから、ね?」
「えぇ」
蓮子の手を握り、影猫の後を追った。
私たちが歩いている間、人影たちは私たちをじろじろと見ていた。
けれど、触ることも近づくこともせず、私たちが通り過ぎるのを見ると、何事もなかったかのように歩き出す。
表情が分からない分、怒っているのかも分からないし、内心びくびくしていた。
「メリー、大丈夫?」
「う、うん……」
「にゃーん」
影猫はお構いなしに進んでゆく。
狭い通りをするすると。
時折、日本語で書かれた看板などがチラホラ見られる。
店にはやはり人影がいるのだけれど、誰一人(?)声を出すものがいないので、比較的静かで、それもまた不気味だった。
「私さ、こういう不思議を見た時、もっとワクワクするものだと思ってたんだけど、そうでもなかったね」
「幻想郷を体験したのもあるけれど、人影以外は普通に現実にありそうな風景だものね。不気味なのは変わらないけれど」
「にゃーん」
影猫が止まる。
「ここ?」
目の前には、木造のカフェがあった。
こんな狭い道を来たところにカフェがあるなんて。
「あ」
影猫は、猫用の小さなドアを入っていってしまった。
「……行くしかないよね」
「日本円……使えるのかしら?」
「最悪、カードで払えばいいよ」
「こんな小さなカフェで使えるかしら……」
そんなことでモタモタしていると、中からエプロンをかけた女性が現れた。
「あら、こりゃトンデモナイお客さんを連れてきたもんだ」
女性に案内され、私たちは席についた。
「ご注文は?」
「えーっと……日本円は……使えるのかしら?」
「ただでいいよ。ほら、何にする?」
渡されたメニューは普通だった。
他のカフェにもよくありそうな。
「ただでいいなら、私はココアを貰おうかな。あ、砂糖もお願いね」
蓮子、貴女本当に図々しい女ね。
「はいよ。そっちの姉ちゃんは?」
「私は紅茶を……」
「はいよ」
そういうと、女性は湯を沸かし始めた。
見た目は普通の人間だ。
街にいたような人影ではない。
「人間……?」
「どうだろう……」
ヒソヒソと話していると、地獄耳なのか、女性が答えた。
「アタシは妖怪だよ。ほら、耳がとんがってるだろ」
髪をかき上げると、エルフ耳がちらりと見えた。
「あなた達人間でしょ? シャルが見えたってことは、普通の人間じゃないんでしょ?」
「シャル?」
「あの猫の名前」
指さす先に、影猫がいた。
窓からの光で、体が透けて見える。
「シャルか……。可愛い名前」
「でしょ? アタシも気に入ってるんだ」
この女性は一体何者なんだろう。
どうして人影ではないのだろう。
色んな事が頭の中でグルグルと渦巻いて、なかなか整理できずにいる。
「まさかシャルが人間を連れてくるなんてねぇ。普通の人間にはシャルは見えないんだ。ねえ、あなた達何者?」
それはこっちのセリフだ。
それを察したのか、女性は語りだした。
「どうやら、「真怪郷」に迷い込んだのは初めてみたいだね」
「「真怪郷」?」
「そ、井上円了って知ってる?」
「井上円了! じゃあ、この世界が紫の言っていた「幻想」……!」
「紫……。紫って、八雲紫の事かい?」
「知ってるの?」
「ああ。ってことは、そうかい。あなた達は幻想郷の人間か」
「厳密にいえば違うのだけれど……」
「ま、関係者ではあるよね」
「そっか。ならシャルが見えたのも頷けるわ」
ここは紫の言っていた「幻想」。
この女性曰く、「真怪郷」。
井上円了が科学世紀から守ったという、世界。
「井上円了は私たち「真怪」を守るために、この世界を創った。八雲紫と共にね」
「八雲紫も?」
「ああ、詳しいことは本棚にある歴史の本を読んでみな。読み終わったころには飲み物も出来てるだろうしね」
以下、本に書いてあったことを要約したものよ。
『井上円了は八雲紫と協力し、科学世紀の目から「真怪」を守るために、二つの世界を創った。
一つ目の世界。
既に発見されてしまった「真怪」は、科学世紀の為に消えてしまう。
消える先の受け皿として、創られた世界。
それが「幻想郷」。
二つ目の世界。
まだ発見されていない「真怪」を隔離する為に創られた世界。
それが「真怪郷」。』
「簡単にしか書かれてないね……」
「でも、分かりやすいと言えば分かりやすいわ」
「ほい、お待たせ。分かった?」
「えぇ、大まかには」
一年前の私だったら、信じられていなかっただろう。
けれど、こんな世界を見せられたら、信じるしかない。
というか、もうヤケクソに近い。
幻想だろうが真怪だろうが、もう何でも来いよ!
「街にいた人影も真怪ってこと?」
「そ、力のない真怪たちは、みんな影になっちゃうのよ」
「お姉さんは相当力が強いんだね」
「まあね。もう数百年は生きてるしね」
「にゃーん」
「はいはい、お腹すいたのね。ちょっと待ってて」
影猫は何を食べるのか、ちょっとだけ気になった。
お姉さんが戻ってくるまで、私たちは窓の外を見て、平凡な会話をしていた。
この世界の文明の事とか、宗教が存在するのかとか、コミュニケーションはどうしているのかとか、本当に平凡な会話。
「こういう世界って、他にもあるのかな?」
「どうかしら?」
「あるよ」
シャルに餌をあげ終わったらしく、お姉さんがカウンターへと戻ってきた。
「東京と同じよ。ここは谷中なだけで、他にもたくさんこういう世界があるわ」
「だってさ! メリー!」
蓮子の目はキラキラしていた。
貴女って、夢を叶えようとしている時が一番輝いているタイプね。
本番より練習、みたいな。
「そういえば、私たち以外に人間がこの世界に迷うことってあるの?」
「あるわよ。と言っても、一人だけだけどね。それも、特別に変な人間」
「どんな人?」
「実際に見たことはないけれど、女の子で、超能力とかいう力を使うんだって」
「超能力!?」
「まあ超能力にはそんなに驚かないけれど、ここからが面白いのよ」
いや、超能力でお腹いっぱいなのだけれど。
「サンジェルマン伯爵みたいに、現れる時間がバラバラなのよ。ある時は30年前、ある時は1週間前。もちろん、見た目に変化はないわ」
サンジェルマン伯爵。
不老と言われた奇人だ。
「本当に人間なのかしら?」
「らしいわよ。しかも日本人」
「へえ、もしかしたら、タイムトラベラーなのかもしれないね」
「超能力を使うタイムトラベラーねぇ……」
まるで都市伝説。
真怪なんかより何百倍も胡散臭い。
「名前は確か……宇佐見菫子だったわね。聞いたことない?」
「宇佐見……菫子?」
「蓮子と苗字が一緒ね」
宇佐見菫子。
菫子。
なんだか変な名前。
ますます胡散臭いわ。
「その一人だけよ。真怪郷に来た人間は。そして、あなた達が今日追加されたというわけね」
「人間を見て興奮しないの?」
「あなた達だって興奮しなかったじゃない」
「まあ、そうだけど」
「真怪郷が出来る前は、人間なんて腐るほど見てきたし、今更だわ」
それからは、私たちが幻想郷を知った経緯など話した。
こうして話していても、やっぱりお姉さんが妖怪だとは信じられない。
普通の人間。
そんな感じだ。
幻想郷で感じた異種感は全くない。
「それで、紫の話を信じて谷中に来たんだ。いい線いってるよ、あなた達」
「でしょ?」
「谷中の不思議はさ、私たち真怪のせいじゃないんだよ」
「へ? そうなの?」
「谷中は平成の終わりまで、おしゃれな街として住宅が建ちまくった。それも、似たような家ばかりがね。そのせいで、人々は迷いまくった。当時はパワースポットがブームで、谷中もその一つと認められて、こんな噂が広まった。「谷中には神が宿っていて、迷った時に神に願えば、その場所へと導いてくれるだろう」ってね。それからさ、谷中があんな風になったのは」
「ちょっと待って。じゃあ、谷中がああなったのは、人間がそう思い込んだからって事?」
「そうだよ」
「馬鹿な」
流石の蓮子も、これにはあきれた声を出した。
「そんなもんだよ。科学だってそうなんだよ。人がそう思ったからそうなった。あなた達が信じている科学に基づいた真実っていうのは、人間が創り出したものが形になって世の中に現れているだけなの。元々ある事実なんてのは、存在しないのよ」
その時、時計がボーンっと鳴った。
「おや、もうこんな時間か。そろそろ帰りな。夜になると人影が消えて、私みたいな力の強い妖怪たちが現れる。そうなったら、何をされるか分からないよ」
そんなの聞いていない。
どうしてそれを先に言ってくれなかったのか。
知ってたら、もうちょっと早めに帰ったのに。
「シャル、道案内してあげて。さ、こっちの扉から出ていきな」
お姉さんは私たちの背中を押し、急がせた。
「また来れたら来なよ。今度はお金を取るけどね」
そういうと、扉を閉めた。
唖然とする私たちの足元をシャルが駆け抜ける。
「急ごう、メリー!」
「う、うん……」
細い道を走り抜ける。
空は段々と暗くなってゆく。
「はぁ……はぁ……」
「メリー!」
「はぁ……ん……はぁ……はぁ……」
とにかく走る。
ああ、明日は筋肉痛だわ、とか、そんなこと考えている暇はない。
細い道を抜けると、夕日が私たちの視界を奪った。
「眩し!」
「あ……」
そこは谷中銀座のだんだん坂だった。
「戻って……来れたのね?」
「あれ? シャルは?」
「え?」
シャルの姿はなかった。
帰り道、私たちはぼんやりと歩いていた。
「なんだか、現実味がないよね」
「分かるわ。幻覚を見ていたような、そんな感じ」
ただ、足はプルプル震えていた。
久々の運動でね。
「でも、やっぱりあるんだね。「幻想」。「真怪郷」」
「えぇ」
「谷中の不思議の話は信じられないけれど、なんとなくあの世界の事、分かった気がする。また探そうよ」
「え、でも……夜になったら危険だって言ってたじゃない。力のある妖怪があのお姉さんだったからいいけど、他の悪い妖怪に会ったら……」
「大丈夫だよ。紫の創った世界なんだし、紫の名前出せば水戸黄門みたいな展開になるよ。きっと」
「きっとって……」
でもまあ、蓮子と一緒なら、なんだって乗り越えられる気がする。
一人だったら、絶対嫌だけど、蓮子と一緒なら。
「だからさ、メリーも一緒に探そうよ。私たち二人で東京秘封倶楽部でしょ?」
「ロイヤルスペシャルケーキを追加で奢ってくれるなら考えてもいいわよ?」
「う……ロイヤルスペシャルケーキ……。私だって食べたことないのに……」
「……嘘よ。その代り、私の事、守ってよね?」
「メリー……うん! 絶対守るよ!」
蓮子の温かい手。
この手を繋いでいる限り、私は無敵だ。
「ついでにケーキ奢る話も嘘にならない?」
「それはダメ」
「やっぱり……?」
なんだか大変な思いをしたのに、私たちはヘラヘラと笑いあっていた。
それもこれも、この手を繋いでいるからであろう。
背後で夕日が沈んでゆくのを感じながら、私たちは夜の深い方へと歩いて行った。
しっかりと手を握りながら。