平成時代。
科学や技術が飛躍的に進化した時代。
そして、様々なものが混在し、語るには話題が多すぎる時代。
人々は言う。
あの時代はまるで――。
「カオス……」
「えぇ、そう呼ばれているように、平成時代はとても危険よ」
「危険?」
「精神的に強くなければ、あなた達の時代のようにはいかないという事。あの時代には、妖怪よりも、人間よりも――いや、何にも分類できない何かが存在している」
「何にも分類できないもの……」
「それは存在してるっていうのかな……」
言うと思ったわ、蓮子。
「これだけは言っておくわ。【生きることを強く願いなさい】【死は快楽をもたらすものではない】【人間は殺人を望んでいる】【殺意は他から向けられるものとは限らない】」
「なんだか不気味な言葉が揃ったわね」
「つまり……どういうこと?」
「強く生きなさいという事よ」
ますます分からない。
それが特別大切なこととは思えない。
私たちは常日頃から、それを――。
「行ってくれるかしら?」
蓮子の方を見た。
同じように、蓮子も私を見つめてくる。
その目に映るのは、不安な色。
その中に映る、私の目も、同じ色をしていた。
「……一つだけ、聞きたいことがある」
蓮子が紫に切り出す。
「何かしら?」
「オカルトボールを使って幻想郷から様々な時代に行けることは分かった。だとして、どうして宇佐見菫子は無事なの? さっきの話だと、その時代にそぐわないモノは生まれ変わると聞いたけれど……」
紫は、まるで待ってましたと言わんばかりに、蓮子の発言の途中で、大きく息を吸い込んだ。
「そこが肝なのよ。幻想郷から現代へ、現代から幻想郷へ、どちらへ行くにも、ルールがある」
「ルール?」
「えぇ。手続きと言ってもいいわ。あなた達の世界でも、国境を越えるには様々なルールがあるでしょう?」
「宇佐見菫子はそのルールを知っていて……って事?」
「彼女の場合、少し違うけれどね。結界を破るけれど、時代に則したルールで矛盾を防いでいるの」
ルール、ルール。
なんだか、聞きすぎて、逆に聞いたことのない言葉に聞こえてくる。
「幻想郷に入ってくる方法として、今、あなた達がこうして来たように、正規ルートで来るのが基本よ。もちろん、さっきのルートを逆に行けば、元の時代に帰ることが出来る。じゃあ、別の時代へ行く場合のルールはどうか。行くことは簡単よ? 同じように、幻想郷から列車に乗ればいいだけ。でも……」
「矛盾してしまう……」
「そう。だったら、その時代に則したモノとなればいいのよ」
私と蓮子はお互いの顔を見た。
時代に則したモノになればいい?
どうやって?
紫は、そんな私たちの答えをしばらく待った。
そして、痺れを切らしたのか、溜息を吐くように零した。
「その時代に存在したモノを身に着ける事」
「それだけ?」
「えぇ」
「な、なによそれ……」
「極めて重要なことよ。あなた達はあなた達の時代のモノしか身に着けていない。あなた達の時代に生まれて、あなた達の時代で使われているもの。それが過去なんかに行ってみなさい」
「矛盾してしまう……って事かぁ。でも、それだと人間はどうなのさ? 私たちだって、その時代で生まれてる」
「難しい話になるかもしれないけれど、それは思想にあるのよ」
「思想?」
「えぇ。人間の思想は、いつの時代だって変化しないの。人間の奥底に眠るものが人間とされている。それは、イド」
イド。
私は、雨守愛さんの「枯れイドに蛙を」を思い出した。
あれも、人間のイドを題材にした作品だと言われている。
「イドが変化しない限り、人間はどこにいても人間に変わりはない。争いが無くならないのがその証拠よ」
蓮子が私を見た。
いや、確かに私はそう言った分野の講義に出ているけれども。
「厳密にいえば、素っ裸で結界を越えれば、どの時代にも矛盾せず行けるわ」
「なら、宇佐見菫子はそれを知っていて、裸で?」
「いいえ。彼女はちゃんと服を着ているわ」
「じゃあ、時代に則した……」
「いいえ」
段々イライラしてきた。
「早く言いなさいよ。何をもったいぶっているのよ?」
「駄目よメリー。そんなに怒っては。平成で生きるには、その感情は捨てないと」
一呼吸置く。
「……それで?」
「――裏で糸を引いている者がいる」
窓の外の景色は、来た頃とちっとも変わらなかった。
永遠に夜が続くのかと思うほどに。
「宇佐見菫子が矛盾しないのは、彼女を手助けした者がいるからだと考えているわ」
「どういうこと?」
「彼女は彼女の時代のモノを身に着けて色んな時代に行っている。過去・未来……どこへだって。その度に、その時代にはあり得るはずの無いモノが生まれているのよ」
「オーパーツだ……。そうか、その時代に無いモノをその時代に生まれさせればいいのか……」
蓮子が零す。
紫は驚いた顔をした。
「鋭いわね。そう。オーパーツが生まれている。つまり、オーパーツを生み出す何かが、彼女を手助けしている。おそらく、オカルトボールの噂を吹き込んだ者と同一人物だわ」
新大久保のオーパーツ屋を思い出した。
確かに、宇佐見菫子のモノと思わしき髑髏が置いてあった。
あれは古代のモノだという。
つまり、宇佐見菫子は古代へ行き、矛盾させない為に、その時代で、身に着けていた髑髏を生み出した。
そしてそれは、私たちの時代でも、古代で生まれたものといて認知されている。
例えそれが時代錯誤遺物だとしても――。
「誰がどうやってオーパーツを生み出しているのかは分からない。でも、そうする以外に方法はないのも事実……」
謎は深まるばかりだ。
宇佐見菫子がオカルトボールを集めて願い事を叶えようとしている。
それを吹き込み、手助けしている人物。
その人物の目的は?
「どう? 行ってくれるかしら? もちろん、今の話の通り、あなた達には平成に則した格好を用意するわ」
一瞬の静寂。
分かる。
蓮子の考えている事。
好奇心と、危険が潜むかもしれないという不安。
自分が行きたくても、メリーは?
メリーに何かあったら。
そう考えているのでしょう?
私も同じよ。
貴女に何かあったら。
私たちはお互いの顔を見た。
お互いに、知っていた。
知っていることを、知っていた。
「メリーは私が守る」
「蓮子は私が守る」
だから――。
「「行こう! 平成へ!」」
「身に着けているものすべてをここに置いて。そして、こちらで用意したモノをすべて身につけなさい」
そういって着替えなどを用意すると、紫は部屋を出た。
妖怪も気を遣うのね。
「メリーの前で裸になるの、恥ずかしいな」
「私だってそうよ」
「メリーはいいじゃん。おっぱい大きいし。私なんか……」
「でも、貴女は痩せてるからスタイル良いわ。私なんか……」
まだ服も脱いでいないのに、変な空気が流れる。
お互いに見なければいいのに、どうしてか、視線を外すことが出来ないでいた。
見たいという訳じゃない。
ただ、知りたいと思った。
お互いの事を。
男には裸の付き合いというものがあるらしいけれど、私たちはどうなんだろう。
「お、女同士だし、恥ずかしがっても仕方ないか!」
「そ、そうね!」
そう言うと、決心したように蓮子が脱ぎだした。
同じように私も脱いでゆく。
下着、もっとちゃんとしたのにすればよかった。
お互いにすべて脱ぎ終わり、向き合った。
蓮子は、珍しく顔を真っ赤にして立っていた。
ほっそりとしたウエスト。
胸から脇腹にかけて逆三角形のラインが、わき腹から骨盤にかけて三角形のラインが。
健康な人の体という感じ。
「そ、そんなに見ないでよ。恥ずかしいじゃん……」
「あ、ごめんなさい……」
とは言いつつ、蓮子も私の体をチラリと見た。
「だ、だらしないでしょう? ダイエットしたんだけどね……」
「……でも、胸が大きい。アンダーヘアも綺麗だし」
「ちょ、ちょっと、何処見てんのよ」
「やっぱりさ、整えてるの?」
「え? う、うん……まあ……ね……」
「私は……ほら、元々薄いからさ……」
確かに、蓮子のは――。
「……」
「……」
私たちは馴れてなかった。
こう言った事に対して。
そうよね。
お互い、ずっと一人だったのだもの。
「思いのほか、恥ずかしいもんだね。裸の付き合いって」
「そうね。でも、これでお互い、もっと仲良くなれた気がするわ」
「うん。今度は温泉にでも一緒に入る? ちょっと抵抗あったけど、今回で吹っ切れたよ」
「えぇ、それこそ、旅行の時にでも」
男は裸の付き合いで仲良くなると、誰かが言っていた気がする。
それは男に限ったことじゃない。
そう思った。
「くしゅん!」
「……とりあえず、着替えちゃおうか」
「準備出来たようね」
「全く同じ服じゃん」
「素材が違うのよ、素材が」
私も蓮子も、着てきた服と何ら変わりはなかった。
平成時代でも、この格好はおかしくないという事か。
「唯一変わったのは……」
そう言うと、蓮子は手のひらほどある端末を取り出した。
私のポケットにも入っている。
何かの機械のようで、ちょっと重い。
「それはスマートフォンよ」
「スマートフォンって……電話って事?」
「聞いたことあるわ。これがそうなのね」
「どこがスマートなんだよ! 全然重いし、ボタンないし不便じゃん!」
「それが平成で熱いのよ」
「端末が熱くなるって事?」
「今の言葉も、平成の言葉なのよ」
全然スマートじゃないスマートフォンの操作方法を学び、私たちは早速、平成へと向かうことにした。
家を出て、来た道を駅へと向かう。
「スマートフォンに地図とか情報を入れておいたわ。向こうから帰りたくなったら、私に電話して。電話番号は登録してあるから」
「宇佐見菫子、見つかるかな……」
「住所は特定しているわ。それも情報に書いてある。あなた達の時代の事は心配しなくてもいいわ。帰る時は、来た時と同じ時間に帰すから。まあ、ちょっとした旅行と思えばいいわ。平成を観光してきなさい」
暢気なもんだ。
あれだけ危険だと言っていたくせに。
でも、ちょっと楽しみな自分が居る。
蓮子も同じようで、足取りは軽そうに見えた。
駅は相変わらず夕焼けの中にあった。
列車も同じように止まっている。
「切符をどうぞ」
そう言うと、カードを二枚渡した。
「なにこれ?」
「ICカードよ。切符のようなものよ」
「ふーん、そっか。平成はまだICか」
「本当、風情がないわよね」
「それをあそこにタッチすれば、列車に乗れるわ。私はここまでしか来れないの。後は頼んだわ」
蓮子の方を見る。
「メリー」
差し出された手を、私は迷わず握った。
「行こう」
「うん」
程なくして列車は走り出した。
乗客は誰もいない。
手を振る紫の姿がどんどんと遠くなってゆく。
やがて、トンネルの闇が窓の外の世界を支配した。
「平成何年頃って書いてるの?」
スマートフォンを一生懸命操作する蓮子。
「えーっと、平成27年って書いてるね。平成27年って、西暦何年ごろ?」
「さぁ……」
「まあいいや。でも、楽しみだね。栄えている東京」
「東京に行くの?」
「宇佐見菫子の住んでいる場所が東京なんだよ。東京の足立区の大谷田」
「足立区の大谷田? 聞いたことないわね」
「でもさ、その前に色んな所に行ってみない? 住んでいる場所は分かってるんだし、損はないでしょ」
「それが無かったら、この話は受けなかったでしょう?」
「まあね」
「それにしても」
「ね」
二人、同じことを思っていた。
これから私たちは、タイムスリップをするのだ。
私たちは、タイムトラベラーとなる。
その事実。
線路を走るタイムマシーン。
その全てが、信じられないでいた。
「タイムパラドックスって聞いたことある?」
「えぇ、それくらいは」
「もしさ、私が私のご先祖様を殺したとしたら、私はどうなるんだろう」
「消えるんじゃないかしら?」
「誰が消すのさ」
「さぁ……」
「私はこう考える。もし私が私のご先祖様を殺したとしても、私は消えない。何故なら、私が私のご先祖様を殺した事実は、私の知る世界にはなかったから」
「?」
「私がご先祖様を殺した、という世界になるという事。つまり、パラレルワールドが出来る」
「パラレルワールドねぇ……」
「シュレーディンガーの猫は知ってるよね? あれは箱の中の猫が死んでる状態と生きている状態の二つが存在しているという矛盾した世界を創り出している。そんなことはあり得はしない。どちらかしかないはず」
「何が言いたいの?」
「エヴェレットの多世界解釈の説明がしたいのさ。つまり、どちらかの世界が存在していると証明するには、箱を開けるしかない。箱を開けた時、生きていた世界と死んでいた世界、どちらかが決まる。言うならば、その二つの世界は箱を開ける前から存在していることになる」
「解釈の問題な気がするけれど」
「言葉遊びみたいなものだろうけれどさ。まあ、何が言いたいかというと、そういうように、この世界には様々な場合の選択の時に、世界が何個かに分岐しているのではないかということだよ」
「貴女がご先祖様を殺した世界と、殺さなかった世界ということね」
「そう。だから、私が消えることはない。殺された世界と、殺されなかった世界は、別の世界だからね」
「だとしたら、私たちはこれから平成に行くわけだけど、もし、私たちのいた世界で私たちが平成に行くことが約束されたことではなかったとしたら……」
「私たちがこれから向かう平成と、私たちの過去にあった平成は、全くの別物となる」
「……結局、幻想郷や真怪郷へ行くのと変わりはないわね」
「もっと言うならば、私たちは向こうで何をしたっていいって事だよ」
「歴史を変える事もないし、私たちが消えることもないってわけね」
「もう一つ」
「なによ。もうそろそろ、頭が痛くなってくるんだけど」
「幻想郷には時間軸が無いって、紫さんは言っていたよね?」
「えぇ」
「それってさ、本当はそうなんじゃなくて、幻想郷は様々なパラレルワールドのステーションなだけなんだと思うんだ」
「!」
「これから行く平成は、私たちの知る平成じゃないとするとだけどね」
「……ちょっと待って。それはどうかしら?」
「なにさ」
「だって、蓮子の言う通りだとしたら、私たち世界に宇佐見菫子なんて名前が挙がるかしら?」
「あ!」
「でしょう? オーパーツなんてもってのほかよ」
「そっか……。あ、でもさ、そうすると、宇佐見菫子がオーパーツを古代に置いたという事実がない世界があるはずでしょう? そうでないと、オーパーツはオーパーツで無くなってしまうよ」
「……もし、それが約束されたものであったとしたら?」
「え?」
「つまり、運命よ。そうなる運命……そうと決まっていたら? 箱に入れた猫は死んでいると決まっていたら?」
「馬鹿な。じゃあ、私が生きているのはどう証明するのさ? 私が今から殺しに行ったら?」
「それが、紫の言う「矛盾」なんじゃないかしら」
「!」
「矛盾したものは、生まれ変わる。それってつまり、やっぱり、運命というものが存在すると言っているようなものよ」
「……待って、じゃあ、宇佐見菫子を裏で引いている人物って言うのは!」
「存在しない、という事よ」
トンネルはとても深いものだった。
まるで私たちの思考のように、どこまでもどこまでも、終わりのないように思えた。
「逆にいえば、宇佐見菫子を裏で引いている人物がいなければ、私のステーション説は間違いで、しかも、私たちの世界は運命によって決まった未来を進んでいることになる。そんなことあるわけ……」
「幻想郷の存在、真怪郷の存在……そんな異世界、ないものだと思われていたわ。でも、存在した。それだけでも、この解釈を飲みこむ勇気にはなるんじゃない?」
「だとしても、最初が謎だよ。最初はどうなったのさ。最初に世界が出来た時、そこには未来はなかったはず。なのに、最初より最初の世界から未来人が来るなんて! そんな馬鹿な話……。それと、オカルトボールによってどうして矛盾が起きるのさ? 世界が運命によって進んでいるのだとして、どうしてオカルトボールは矛盾を創り出すことが出来るの?」
「一つは、オカルトボールによる矛盾自体が運命だったか……または、オカルトボールと運命の矛盾は関係ないか……。そしてもう一つ……」
「?」
「オカルトボールは、運命に逆らうことが出来るアイテムなのか……」
「!」
一瞬の静寂。
「……なんて、この世界が運命によって決まっていればの話だけれどね。もしかしたら、私たちの世界で宇佐見菫子の話が出たのと、これから行く世界にいる宇佐見菫子は別人で、何のつながりもなかった……という事になれば、貴女の言う「幻想郷はパラレルワールドのステーション」は合ってる事になるわ」
蓮子は返事をしなかった。
おそらく、引っかかるところが何点かあったのだろう。
でも、考えちゃいけない気がしたのか、真っ黒に染まった車窓をぼんやりと眺めた。
私も同じように。
しばらくすると、列車は止まった。
扉が自動的に開くと、それっきり列車は反応しなくなった。
「ここが平成?」
「なのかな?」
列車を降りると、そこはどこかの駅だった。
ただ、とても見覚えがあった。
「ここって、私たちが最初に列車に乗った駅じゃん」
「戻ってきちゃったって事かしら」
匂いもそうだし、あの駅と同じだった。
「出口、あっちみたいだよ」
ご丁寧に矢印付きで「出口」と書かれていた。
トンネルもまたオイルのような臭いがした。
「本当に戻ってきちゃったんじゃないの?」
「その方が安心するといえば安心するわ」
この先に平成がある。
しかし、私たちの心には、もはやタイムトラベルの文字はなかった。
これは、異世界への旅。
いつもと同じことをするだけ。
そんな心持だった。
トンネルを出ると、そこはやはりステージの上だった。
しかし、ちょっとだけ違う。
何よりも。
「臭っ!」
「それに、凄くうるさくない?」
公衆便所のような異臭と、空気の振動を感じさせるほどの音。
「とにかく、ここから出よう」
「そうね」
ステージを出ると、そこはどこかの公園のようだった。
大きな池。
「ねえ、メリー……」
「えぇ、蓮子……」
この世界は異世界。
そういう心持の中、私たちははっきりと感じていた。
あるはずのない望郷の念。
あるはずのない原体験。
それが、ここにはある。
確かに存在するのだ!
ここが、平成であろうと、異世界であろうと、私たちの知っている"上野公園の過去の姿"であろうとも!