五階層からがらりと変わるのに肝心のモンスターがいないので、前回同様ゲーム『ウィザードリィ』から『ボーリング・ビートル』と『ジャイアント・ラット』が出張。
魔物名で困ったら『ウィザードリィ』で使いやすそうな名前を選んでおります。
「で、ここからが一番の傑作なんだけどよ、逃げたトマト野郎がすぐに叫びながら戻って来て。あいつ、てめぇで逃げといて、第一級冒険者アイズ・ヴァレンシュタインが妹についてるにもかかわらず、そのアイズ・ヴァレンシュタインから妹助けに戻ってきやがったんだぜ! ほんと身の程弁えろっつうんのっ!」
「冒険者に怖がれるアイズたん萌え」
仲間が馬鹿笑いする中、アイズの心は冷え切っていた。
ベートは酔ってアイズをからかっているだけで、助けた少年少女をバカにした発言を一切していないことは、なんだかんだで付き合いが長い仲間なのでわかる。
誤解されやすいがベートは
だがアイズは見てしまった。
少年が店から飛び出していく姿を。
きっと自分のことをバカにされたと思ってしまったのだろう。
また嫌な思いをさせてしまった。
昔、幼い頃のアイズはただ震えることしかできなかったのに、少女は弱くても真っ直ぐ少年を信じて勝てない敵に立ち向かった。
少年は弱くても必死に少女を守ろうとしていた。
少女にとって少年はまさに英雄だっただろう。
そんな少女の英雄を、少女の夢を、傷つけてしまったと、呆然とカウンター席で今にも泣きそうな顔で少年が出ていった先を見つめる少女の姿を見て、アイズの胸がえぐられるように痛かった。
昔の無邪気な自分だったら少年を追いかけていただろう。
すぐに少女を慰めに行っただろう。
でも今のアイズにはそれができなかった。
「なんや、痴話喧嘩か?」
少年が飛び出していった時に椅子が勢いよく倒れ、その場で頭をさげてお勘定をしている少女の姿を見たロキが面白半分でミアに何があったかを聞きに行こうとしたので、これ以上少女に迷惑を掛けたくなかったアイズは慌ててロキの前に立ちふさがろうと席を立つが、少女の方から【ロキ・ファミリア】の方へ歩いてやってきてしまう。
「あ? なんだよ。身の程弁えて給仕にでもなってか。って、ことはさっきのはトマト野郎かよ、クソが。……で、何か俺に文句でもあんのか? あ゛?」
「お、この子がアイズたんが助けたっちゅう……って、白猫ちゃんやないか!! でかしたでアイズたん!! あいしてれぅぅぅっ!!」
ベートがやってきた少女に気付いてそう言うのと、ロキがそう言ってアイズに飛びつくのは同時だった。
落ち込んで気が動転していても、セクハラ攻撃はなれたもので、いつも通り何事もなかったかのようにアイズはそれをかわす。
「……ロキの知り合い、ですか?」
「んー。知り合いではないんやけど、みんな遠征行ってる間は暇で寂しゅうてたまらんくてな、なにかおもろいもんないかなぁて探してたら『白猫ちゃんを見守る会』なんてバカげたもんみつけてもうて、どんな子かなぁと写真や色々伏せられた資料見て『ティンと来た』わ。この子『マジ天使』やって! 中々『なでポ券』が当たらなくて悔しかったんやけど、そっかー、ミア母ちゃんとこの子やったんやな。通りでレベル高いわけや! ほら白猫ちゃん、うちがなでなでしてあげるからこっちきてーな。こっち来て一緒に遊ぼう、な?」
自分達が遠征をやっている間に何をバカなことをやっていたんだこいつは、といつも通り【ロキ・ファミリア】な面々はため息交じりで、そんなロキから少女を守るように「来たらセクハラされちゃうよ」「こない方がいいぞ」「こいつは生粋の変態だからこないほうがいい」と口をそろえて言う安定と信頼の【ロキ・ファミリア】ご一行様の日常風景が繰り広げられる。
それでもロキがおいでおいでーと動かす指にむかって、ちりんちりと装飾品の綺麗な鐘の音色を奏でながらゆっくりと近づき、頭を撫でてあげるとそのままおとなしくロキに撫で続けられる。
なるほど、猫だ。それも人なれした飼い猫だと一同は納得した。
「ロキ様。私はここの子じゃないです。今朝シルさんにお世話になったお礼にお手伝いしているだけなんですよ。ですからベートさん、私はまだ冒険者です。私が冒険者を辞める時があるとすれば、完全に動けなくなった時か、死ぬ時です。だから私は天寿を全うするまで冒険者を辞めるつもりはありませんよ。何度も心配して下さっているのに、すみませんベートさん」
ベートに対して笑い掛ける少女に再び【ロキ・ファミリア】の面々に衝撃が走る。
「あのベートが心配した」「いまの言葉を気遣いだと思う仲!?」「なになに、ベートって年下趣味だったの? 私はてっきりアイズ一筋か……」「うっせえお前ら!! そんなんじゃねぇよ!!」と一気に話題がベートに集中する。
そんな中、
「ロキの声が大きすぎてベートの声がよく聞き取れなかったが、先ほど店を飛び出していったのはお前の兄上か?」
静かなリヴェリアのその言葉に騒いでいた団員達も状況が理解できてしまい、あちゃーと頭を抱え、ベートやらかしたなという目が一点集中する。
「ごめんなぁ白猫ちゃん。大好きなお兄ちゃんトマト呼ばわりされて、楽しい食事邪魔されたら白猫ちゃんだって気分わるうなるわな。うちの胸で泣いてもええで? しっかりベート吊るすから」
「あ、いえ。ロキ様違うんです! ちゃんとフォローしたので、ベルが出て行っちゃったの、アイズさんやベートさんが来てくれなかったら、私を守れなかったってことを思い出して……その、飛び出しちゃったんだと思うので……」
「なんや、やっぱりベートのせいやないか。みんな吊るせ吊るせ。うちが許可したる!
『白猫ちゃんを見守る会五箇条』!!
一つ:権力にものを言わせない。白猫ちゃんは
一つ:ストーキング禁止。ハイエースでダンケダンケなんてもっての他!
イエスロリータノータッチ!
一つ:怖がらせてはダメ! 絶対! 一日一回くじ引きのなでポ権利。
例外として向こうから来たら思いっきり愛でてあげよう。
白猫ちゃん可愛いよ白猫ちゃん!
一つ:白猫ちゃんに迷惑を掛けない。どの神が主神でも変わらず愛でてあげよう。
ただし主神、お前は爆発しろ!
一つ:白猫ちゃんの行動を暖かく見守ろう。白猫ちゃんマジ天使ぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!
吊るせ吊るせー!! 景気よく『満開』連打やっ!!」
「なんじゃそりゃぁぁぁぁぁっ!? ぐぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! てめぇら!! なにマジで縛ってやがるんだ!?」
ロキはどちらかというと、『白猫ちゃんを見守る会』を口実にベートで遊んでいた。
『白猫ちゃん』はとても愛らしく喉から手が出るほど欲しいが、会員規約で聞き込みや尾行、特に商店街での触れ合いは『なでポ券』を引き当てなければ禁止されているので、最近『白猫ちゃん』を知り『白猫ちゃんを見守る会』に入ったばかりのロキはどこの【ファミリア】の者かもわからない相手よりも、全員無事に帰って来てくれた愛しの子供達と遊びたいのだ。
『豊饒の女主人』が『白猫ちゃん』の行動範囲内ならまた愛でる機会は出てくるだろう。
だからベートと遊ぶついでに可愛い『白猫ちゃん』を愛でる。
これが一番楽しめるとロキは思ったのだ。
「守れなかった……というがベートの言葉が本当ならば、お前達は駆け出しの身でありながら、恐怖に屈することなくミノタウロスに挑み、傷をつけた。それだけでも誇るべきことだ。お前の兄上にそう伝えてあげて欲しい」
リヴェリアは兄妹を気遣いフォローを入れてあげるのだが、少女はそれに対して軽く首を横に振った。
「エルフ様、私が言いたかったの、そこじゃないんです。なんで同じ【ファミリア】なのに、アイズさん傷ついてるの気づいてあげられてるのエルフ様しかいないんですか? ベートさんにからかわれている時のアイズさん、すごく辛そうな顔をしていたのに……」
またその場が静まり返った。
全員がアイズの顔を見る。
表情の乏しいアイズからは明らかに悲しみの感情が感じられた。
普段のアイズなら子供みたいにすねるだろう程度の笑い話だったはずなのに、その表情の色は暗い。
でもスズの言葉できょとんとして「…私は」とそこで言葉を止めて歯を食いしばっていた。
それが答えなのはその場にいる全員が理解できた。
「白猫ちゃん、お兄ちゃんのことやなくて、うちのアイズのこと心配してくれてありがとうな」
「いえ……私の方こそすみません。宴会の席にお邪魔して空気を悪くしてしまって……」
「気にせんでええ。気づけないまま明日アイズがどんよりしとったら、もっとショック大きかったんやし。そうやろ、みんな。だから白猫ちゃん、名前と所属【ファミリア】、教えてもろうてええやろか?」
その言葉に少女がビクっと怯えた。
「あ、勘違いせんといて。報復とか引き抜きとかそういうこと考えてるんとちゃうで。うちは白猫ちゃんの家壊したりせえへんから安心してええよ。ただうちは優しい白猫ちゃんの名前と、こんなええ子捕まえた幸せもんな神の名前を知りたいだけや」
「あれ、そういえばその子……遠征行く前くらいにベートが追っ払った子じゃなかったっけ。あー、だから半月の冒険者だって覚えてたんだ。またこいつが犯人みたいだよロキ」
「ま た お ま え か。アイズたん傷つけただけでなく、白猫たんまで逃がすなんてなに考えとんねんベート! かわええ子来たらまずうちに会わせろ言うたやろが!? ティオナそのままベートにこの首輪つけたり!! 白猫たんがうちんとこ来てくれたらええなぁ妄想しながら買うた可愛い首輪やっ! 一か月その首輪つけたまま生活せぇっ!」
ロキが与えた罰。
ピンク色の花柄首輪に思わず暗い雰囲気が吹き飛びぶふっと周りが一斉に噴き出した。
「てめぇっ!! こら!! 放せクソアマゾネスッ!!」
「ロキ~、こいつもっと可愛いの欲しいって」
「よし、じゃあ妄想しながら買うた尻尾は……あかん、ベートにはもう尻尾があった。そうやな。この揉み上げにつけてあげよう思うて買うたハートのリボンもベートにつけたりっ!!」
「ちくしょうっ!! 放せ!! いっそ殺せっ!!」
吊るされたままベートにどんどんロキの無駄使いの結晶が装着されていく。
アイズはまだ暗いものの、仲間達に謝られ先ほどよりは落ち着きを取り戻しているし、ロキのとっさのベートいじりでその場の空気は何とか立て直している。
「すみません、勝手にお邪魔しておいて大変失礼なのですが、そろそろベルを……兄を追いたいのですが」
「ええよええよ、お兄ちゃん心配でたまらんのにうちのアイズこと心配して来てくれたんやもんな。行ってええけど、名前とかどうしても言えへん?」
少しの間『白猫ちゃん』は困った顔をして、その後真っ直ぐロキの顔を見つめて「ロキ様のこと信じます」と笑った。
最初から最後まで嘘がなくぶれない。
「スズ・クラネルです。【ヘスティア・ファミリア】に所属しています」
「よりによってあのドチビかい!? なんなん!? うちが欲しいもん持って何なん!? でっかいのぶらさげておいて天使まで持ってるなんて何なん!? あ、スズたん怯えないでええよ!! うち本当にスズたんのお家壊したり迷惑かけたりせえへんから、だからたまになでなでもふもふさせてぇな。な?」
「えっと……その……【ファミリア】関係なしのお付き合いなら……」
「キタコレ!! スズたんの甘い香りくんかくんか! スズたん! うちや、結婚してくれー!」
「け、け、け、結婚は無理ですっ!! ごめんなさいっ!!」
ある程度のセクハラはスキンシップだと思ったのか頬を赤めながらも受け入れていたスズだが、結婚という言葉に顔を真っ赤にして頭をさげ奥へと引っ込んでいってしまう。
「逃げられてしもうた。ベートのせいや。罰としてその格好一年な」
「今のは俺悪くねぇだろ!?」
気づけば宴会の雰囲気はすっかり元通りになっており、さすがのトリックスターである。
しばらくすると給仕服ではなく白いコートに着替えたスズが奥から出て来た。
「ロキ様、【ロキ・ファミリア】の皆様ご迷惑をおかけしました。これからも当店をよろしくお願いします! それとロキ様、結婚は出来ませんがお友達ならっ!! また遊んでくださると嬉しいです!!」
顔を少し赤めながらも笑顔で手を振った後、気持ちを切り替えたのか凛とした表情で外に飛び出していく。
最初から最後まで嘘がなくぶれない。
本当に自由気ままで人懐っこい白猫だった。
LV.1でミノタウロスの攻撃を避けて時間を稼げる戦闘センスといい魂の有り方といい、本当にスカウトできなかったのが残念に思えてならないとロキは大きくため息をついてしまう。
懐かしい香りと大好きな香りが魂にしみ込んでいたのできっと『あの里』出身なのだろう。
戦闘センスがあるのも頷ける。
きっと美の神フレイヤもそれを感じとっているはずである。
交易以外で『あの里』の者がオラリオに来るのは、しかも里離れするのは珍しいことだ。
本当にベートは惜しいことをしてくれたとロキは思ってしまう。
「完全にふられてもうた。ベートが変なことせんかったら今頃あの天使がうちの子で、おさわりしほうだいの『無知シチュ』やったのに……。体に染みついた蜂蜜酒の甘い香りくんかくんかし放題やったのに……。あのドチビのもんにならへんかったのにっ!! ベート、後一年追加な?」
そんな悪魔じみたロキの笑顔にベートの悲鳴がまた『豊饒の女主人』に響くのであった。
§
ベルはただただ
三階層は一人でも楽に倒せてしまう。
だからもっと奥へ行こう。
気が付けば防具を一切まとわないまま短刀一本でどんどん下へ向かう。
無我夢中で戦っている最中、ふと頭の中で遥か彼方にあるアイズの後姿が思い浮かんだ。
これでは全然届かない。
無我夢中で戦っている最中、ふと頭の中で隣を歩いてくれているスズの笑顔が思い浮かんだ。
守れるようにならないと。
でも、優しいスズのことだ。
今頃すごく心配している。
置いて行ってしまったことに、また逃げ出してしまったことに、不安を覚えているかもしれない。
ベルが居ない間に何かもめ事に巻き込まれているかもしれない。
そもそも、スズの性格から自分を追って来てしまうかもしれない。
ベルがダンジョンに潜った姿は目撃されていないが、スズはよくベルのことを見ている。
聡いスズはベルが何に悔しがっているのかきっと気づいてしまっている。
そんなスズのことをよく知っているベルの顔がみるみる内に青ざめていく。
スズなら、間違いなく、本当にベルがダンジョンに潜っていなくても、まず初めにダンジョンに探しに来てしまうのではないだろうか。
―――――――――また失敗した。
ベルを追っていたとしてスズは今何階層にいるのか。
そもそもベルは自分が何階層まで降りて来たのかすらはっきり意識せずただがむしゃらに戦っていた。
広いダンジョンの中で人を探すのは本来なら不可能に近い。
そもそもソロでダンジョンに挑むなんて危険すぎる。
だから何としてでもスズが下に降りる前に合流しなければならなかった。
焦る中、何とか心を落ち着かせて自分がいくつ階層を降りたのかを記憶をたどって思い出す。
現在の階層は、五階層を飛び越え六階層。五階層は危険だけどペアならやっていけると言われていたが、六階層だけは絶対にまだ行ってはいけない。五階層に行く時もしっかりと新しい武器防具を揃えてから挑みなさい。エイナにそう言われていたのにも関わらず、今単独でいる場所が六階層なことにベルは思わず驚愕してしまう。
道理で前の階層の
こんな階層まで、いや、五階層でもスズ一人で歩かせるわけにはいかない。
敏捷差や戦闘スタイルから考えると、あの後すぐにベルのことを追って来たとしても、まだスズは二階層か三階層辺りにいるはずだ。
そこならまだスズは一人でもやっていける。
うっかりしているものの戦闘に関してはスクハだっているので、自分と同じようにエイナのスパルタ講義で叩き込まれた地図を元に真っ直ぐ降りてきてくれているのなら、元の道を引き返せば何とか四層で合流できるはずである。
防具を身につけず傷だらけになった体を、無茶な戦闘で疲労困憊になった体を無視して、ベルは真っ直ぐ五階層へ戻ろうとすると、ピキリと音がなった。
ダンジョンの壁が罅割れる。
破片が飛び散り、黒い
ダンジョンは生きている。
成長の過程を飛ばしすぐさま戦闘が行える状態の完成された
『古代』の時代から人族はそんな延々と生まれ続ける
神々が降りてからはダンジョンにバベルという強固な蓋をして、『神の恩恵』を受けて手軽に『古代』の強固な戦士達と同等になれる冒険者のおかげで、英雄に頼らなくてもあふれ出る
それでも、毎日冒険者が各々の目的で
ダンジョンは
力を全く衰えさせずに
深ければ深いほど壁から生まれる
だからエイナに何度も注意された。不用意に階層を降りて行ってはいけないと。
五階層からは一気に
特にここの六階層。
冒険者になりたての時から注意されてきた新米殺しの筆頭である『ウォーシャドウ』。
その鋭い三本指の特徴と六階層というだけでその
ウォーシャドウの特徴は刃物のように鋭い爪による高い斬撃攻撃能力、今までの
ベルの真後ろでまたピキリと音が立ってからのベルの行動は迅速だった。
今までと段違いの素早さという主観的な表現では相手がどれほど早いのかわからない以上下手に逃げると追いつかれる可能性がある。
攻撃力はどのみち防具をつけてないので、当たったら即死級と思えばいい。
そしてダンジョンでは一対二の状況、しかも挟み撃ちなどされたら圧倒的に不利だ。
頭の中に情報があっても、一度も戦闘したことのない
なのではっきりと基準がわかっているゴブリン程度の耐久力を目安に、正面から生れ落ちて真っ黒な人の影を連想させる
胴体から首が離れれば基本人型の
その様すぐに反転すると、既に二体目のウォーシャドウが戦闘態勢をとっていた。
不意打ちで二体撃破にはならなかったがこれでひとまずは一対一。まずは相手の能力を把握するために避けに徹する。
ウォーシャドウの攻撃は今までの
腕が長くまるで鞭が伸びてくるように激しい攻撃がベルの衣服を割き切り傷を作っていく。
今は何とか避けられているが、鋭い刃物状の指をあんな速度で直撃を受けたら、間違いなくベルの体は三つにスライスされた肉と化すことだろう。
でもスズが押さえてくれていたミノタウロスはこんなものではなかった。
攻撃の一撃一撃がもっと重く早かった。
単純な打撃だけでダンジョンの壁や床を砕いていた。
あれと比べたら大したことはないし、こちらの攻撃が通るのは実証済みだ。
リーチの差は圧倒的だが一対一で勝てない相手ではない。
それに新たな
ベルは真っ直ぐウォーシャドウに向かって走った。
それに合わせてウォーシャドウの腕がまるで伸びるように迫る。
直線的な突き攻撃。
それをベルは短刀に左手を添えて、ただ突きの軌道を短刀で反らす。
前衛のスズをずっと後ろから見ていた。
様々な攻撃の反らし方を後ろから見て来た。
ただそれを真似て攻撃を反らしたのだ。
伸び切った腕を戻すのにほんのわずかなタイムラグが生まれる。
なのでウォーシャドウは今度はもう片方の手でベルを薙ぎ払おうとするが、それも直進したまま姿勢を低くして攻撃を素通りさせる。
防御よりも攻撃に重点を置いていたスクハが
だからただ勢いに任せ、姿勢を低くしたところから勢いよく地を蹴り膝をウォーシャドウの腹にあたる部分に叩き込んだ。
ウォーシャドウの体が衝撃で浮き、そこから短刀を振り下ろすとウォーシャドウの体はあっけなく一刀両断される。
今日はなぜか【基本アビリティ】の上りがよかったものの、実にあっけなかった。
耐久力がゴブリン並なので一撃なのは予想していたが、エイナに新米殺しだと散々注意されていた分、簡単に勝ててしまったことが意外でならなかった。
それでも慢心はしない。
エイナが熱心に
再び
立ち止まっている暇も余裕もなく、疲れた体に鞭を撃って六階層の入口を目指す。
ピキリとまた音が鳴る。
まるで弱った獲物を逃さないかのように、先ほどのような不意打ちはもう意味がないぞとあざ笑うかのように、背後から、上から、目指すべき六階層入口へ行く退路から、
今いる場所は狭い通路だ。
この数に挟まれたら例え自分の方が強くても一巻の終わりである。
慌ててベルは帰り道の途中にある広間まで退避することを決める。
少しでも
しかし、また広間の正面にある通路にも
この場所は狭い通路より戦いやすいが、このままでは挟み撃ちの状態であることに変わりはない。
五階層を目指して無理やり正面の通路を突破するべきか、この場に残って戦うべきか。
見たところ正面の
背後にいる今もなお生まれ続けている
エイナから多いとは聞いていたが、多すぎる。
聞いていた話よりもずっと多い。
この広間でも物量による四方八方からの攻撃を避けることなんて不可能だ。
そもそもダンジョン攻略の大前提が一対一に持ち込んで倒すの繰り返しである。
背後の敵とやりあうのは問題外だった。
立ち止まれば死ぬ。
そう覚悟を決めて正面突破を試みる。
伸びてくるウォーシャドウの腕を斬り払い、脇腹を割かれながらも突進。
突破してスズと合流しなければ、ベルを探しに来たスズがこの数と対面することになる。
ここでベルが命を落としたら、間違いなくスズも死ぬ。急がなければここにたどり着く前に五階層で
―――――行き場のないベルとスズに手を差し伸べてくれたヘスティアの笑顔が浮かんだ。
突然何かに怯えるように飛び出して、声を出して泣いてしまった時の、怯えきったスズの泣き顔が思い浮かんだ。
自業自得とはいえ、自業自得だからこそ、彼女達を巻き込んではいけない。
ベルが死んでスズまでもが帰ってこなかったらヘスティアはどんな顔をするだろう。
考えたくもない。
スズが無事だったとして、ダンジョンまで追いかけてすらいなかったとして、ベルが死んだらどんな顔をするだろう。
二人とも泣くに決まっている。
大好きだった祖父が亡くなった悲しみをベルは知っている。
だから絶対に死ねないし、絶対に守らないといけない。
一匹目のウォーシャドウから伸びる両腕を薙ぎ払い、頬や脇腹をかすめ痛みを感じるがベルは立ち止まらない。
一匹、二匹とウォーシャドウを短刀で仕留めると、その短刀をピンポイントでフロッグ・シューターが舌を伸ばして弾き飛ばしてきた。
最初に薙ぎ払い切断したウォーシャドウの腕を拾い上げ、それでフロッグ・シューターを切り裂き、その際に武器として使ったウォーシャドウの腕がもう使い物にならないくらいポッキリと折れてしまったので、両腕を切断してほぼ無力化した最後のウォーシャドウに向かってそれを勢いよく投擲した。
投擲した腕はウォーシャドウの腹に直撃し、衝撃で怯んだ隙をついて全力でウォーシャドウの顔面に拳を叩き込み、その拳が頭部を貫通する。
これで前方に敵はいなくなった。
まだ新たに
後方の
この集団を連れてスズと合流する訳にはいかない。
ベルは弾かれた短刀を拾い上げ、一匹、また一匹と
それでも、撤退途中に遭遇した敵とは正面からぶつかるしかないため、一戦ごとに体力が減り傷もどんどん増えていく。
限界が近いのは自分が一番よくわかっていた。
それでもスズとヘスティアを悲しませたくないから、絶対に死ぬわけにはいかないと自分を奮い立たせる。
追いかけてくる最後の
ようやくまともに肺に酸素を入れることができて、激しく息を切らしながらベルは地面に力なく膝をついてしまう。
限界なんてずいぶん前から超えていた。
それでも大切なスズとヘスティアのためにも帰らないといけない。
そんな気持ちだけで立ち上がり五階層に上がっていく。
上がった先で待ち構えていたのは『ボーリング・ビートル』の群れに加えて『ジャイアント・ラット』が混ざっている。
どちらも五階層の
しかし『ボーリング・ビートル』はとにかく固くタフである。
むろん七階層に出てくる『キラー・アント』と比べると当然柔らかい部類に入ってしまうのだが、『キラー・アント』を倒したければまずは『ボーリング・ビートル』を楽に倒せるようになってからと言われている最初に遭遇する硬い
一方『ジャイアント・ラット』の方は飛びぬけた能力はないものの、能力が完全にコボルトを五階層の
コボルトより少しばかり大きい巨大鼠『ジャイアント。ラット』をコボルト相手の気分のまま挑んだら返り討ちにあったという間抜けな話はよく笑い話にされているが、数で来られるの困るのはどの
何よりもこの『ジャイアント・ラット』は微弱ながら『毒』を持っている。
状態異常や何かに特化した能力などなど、今後出てくるであろうダンジョンの脅威の顔見せをしてくるのがこの五階層なのだ。
四階層と比べても一気に対策しなければならないことも増え、飛びぬけた脅威はいないもののダンジョンらしさが出始める階層である。
来る途中はしっかりと倒せていたが、今は疲労困憊な状態。
それなのに硬くて持久戦を強いられてしまうボーリング・ビートルが五匹。
ジャイアント・ラットが二匹だ。
ボーリング・ビートルは足が遅いので無視したいところだが、ジャイアント・ラットが逃走を阻んでくるだろう。
スズを置いて行った罰があたったのかな、とベルは思わず苦笑してしまう。
――――リンと鈴の音が響いた。
それと同時に電光がボーリング・ビートルの体を貫く。
勢いよく真っ直ぐ直進するスズの姿が
「【雷よ。粉砕せよ】」
続いて放たれる巨大な雷で
詠唱する時間はないと判断したのだろう。
スズは飛びかかるジャイアント・ラットの頭部を鷲掴みにして地面に勢いよく叩きつけてから【ソル】で仕留めた。
今のは明らかにスクハが好みそうな攻撃に重点を置いた突撃だった。
自動修復が間に合っていないコートはところどころ破れており、破れた個所から痛々しい傷跡が見えた。
拳からも血が滴り落ちている。
ベルと同じく防具をつけていない。
それどころか盾も剣も持っていない。そんな無茶な戦い方をしていたのがスクハでなく、間違いなくスズだと見た瞬間から何となくわかってしまった。
やっぱり無理してまで一人で五階層まで来てしまったのだ。
スズを優先するスクハの意志を跳ねのけて、無茶な戦い方をしてボロボロになりながら、ベルの予想よりもずっと早くに五層までたどり着いてしまった。
「ベル生きてる!? 生きてるよね!? いなくならないよねッ!?」
スズが涙目で飛びついてくる。
また泣かせてしまった。
またスズに助けられてしまった。
自業自得で危ない目にあったのに、スズのことを置いてきてしまったのに、自分だってぼろぼろのはずなのに、子供らしく泣きながらベルの胸にしがみついている。
結局泣かせてしまった。
弱い自分のせいで、スズに辛い思いをさせてしまった。
「もっと下にも一緒にいくからッ……一緒に頑張るからッ……。みっともないとか思ってないからッ……。ベルのこと大好きだからッ!!」
――――――――お願いだから、いなくならないで――――――――
そう、スズは泣き続けた。
当然、
ただただそれの繰り返しだった。
会話はなかった。
会話をする余力なんかなかったけど、スズの泣き声と悲しげに鳴り響く鈴の音しか聞こえないのは、とても辛かった。
「いなくならないから。僕はどこにもいなくならないから。スズ、心配掛けてごめんね。本当にごめんね」
そう言っても泣き止んでくれない。ただただ何かに謝り続けて泣き続けている。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、と。
螺旋階段を上がる頃には表情は暗いままだがようやくスズは泣き止み、バベルの外に出ると、スズは緊張がほぐれたのかそこで意識を手放した。
スクハが出てくることもなく完全に意識を失ってしまっている。
ベルの体が悲鳴を上げるが、それに構わずにスズを背負ってホームに向かって歩き出す。
人通りはない。
もうすぐ夜明けだから当然か、そうぼんやりと思いながら、日が少し見え始めた頃、ようやくホームの教会が見え、いつまでたっても帰ってこない二人をよほど心配していたのか、ヘスティアが教会前に立っていた。
かなりの間探し回っていたのだろうか普段着の上から羽織られているヘスティアのコートはたった一日で薄汚れてしまっている。
「ベル君!! スズ君!!」
ヘスティアの悲鳴に近い声、いや、悲鳴が聞こえた。
逃げたから、二人とも傷つけてしまった。
危うくまた取り返しのつかないことになるところだった。
身も心も弱いから、自暴自棄になって、大切な二人を巻き込んでしまった。
―――――神様……僕、強くなりたいです。
大切な者を傷つけないように、大切な者を守れるように、身も心も強くなりたい。
大きく躓いたにも関わらず、ベルの心は、ベルの夢は、さらに輝きを増すのだった。
泣いたって転んだって失敗したって、男なら最後まで折れずにハーレムを目指すもの。
ベル君これでも折れません。
【暑さで沸騰した頭から飛び出でたどうでもいい執筆中の小話】
五階層でスズに助けられて泣き付かれた後、六階層から上がってきたフロッグ・シューターにスズが丸呑みされでもしたら、無事に助けることができてもベル君立ち直れるビジョンがまったく浮かばなかったので、一瞬頭によぎったもののそれはボツとなりました。幼女は大切に。ペンギンさんとの約束だ!