スズ・クラネルという少女の物語   作:へたペン
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怪物から逃げ回るお話。


Chapter02『怪物からの逃げ方』

『リリルカ! 前が見えないから少し乱暴に背負うわ。振り落とされないようにしっかり捕まってなさい!』
「は、はい!?」
 スクハが左手でリリのローブの首根っこを鷲掴みにして背中に回すと、リリはしっかりと両手をスクハの首元を通して胸にがっしりとしがみつく。
「ヴェルフも振り落とされないように気を付けてっ!!」
「わかってるがありゃ何なんだ!? ミノタウロスの出現階層は15階層からだろうが!! しかも黒いミノタウロスなんて聞いたことねえぞっ!? くそ、ふざけろっ!!」
「僕だって知らないよ!! なんで僕達こうもミノタウロスと遭遇しちゃうかな!?」
「リリが聞きたいくらいです!! スクハ様相手の推定レベルはわかりますか!?」
『カテゴリーするならLV4くらいかしら。ランク2差のミノタウロスなんて追いつかれたらミンチにされるわよ。リリルカ、ミノタウロスの様子は?』
 落ち着きを取り戻したスクハの声にリリはちらりと後方を確認する。そこでリリが見た光景は今まさにミノタウロスが走り出し地面がその衝撃で砕ける瞬間だった。巨体で遅い筈のミノタウロスがベル以上の理不尽な速度で見る見る内にその距離を縮めてきていた。

「追って来てます! それもものすごい速度でっ!! このままだと追いつかれますよ!?」

『リリルカ』
「はいっ!!」
『お風呂の時も思っていたけど貴女の胸意外とあるわね。その体格で胸があるなんて羨ましいにも程があるのだけれど』
「こんな時に振る話題ですか!?」

『少しでも気を紛らわせる冗談よ。鎧の上から感触が伝わる訳ないじゃない。【雷よ。第一の唄ソル】装填。『偽蛇殺しの雷槍(ミスティルテイン)』構築』
 鞘のベルトがひとりでにはずれ、まるで軟体動物のようにスクハの背中にしがみついているリリの隙間をすり抜け剣と合体してランスタイプの武器『偽蛇殺しの雷槍(ミスティルテイン)』にその姿を変える。精霊としての知識が豊富だと思われるスクハの方がスズよりも精霊の武器の取り扱いが明らかに上手かった。盾は邪魔だと判断したのか軟体動物のような柔軟な動きをしながらリリのバックパックの隙間に入り込んでいく。しかし、文字通り武器が生きて動いていることに驚く心の余裕は今のリリにはない。これから無茶な加速をするだろうと悟ったリリは必死に振り落とされないようしがみつく腕の力を強める。
『【雷よ。敵を貫け。第二の唄ソルガ】装填。ベル、フックを私の左腕に絡めて。アレを槍の加速で振り切るわ。壁や床に叩きつけられないよう最低限の受け身を取りつつもヴェルフを落とさないよう気をつけなさい』
「わ、わかった!!」
 無茶な注文だがやらなければ全滅しか道が残されていない。スクハを追い越していたベルは速度を落とし、『ワイヤーフック』を手動で伸ばしてスクハの左腕目掛けて伸ばしたワイヤーを投げつけた。スクハはそれを左手でキャッチして左手に巻き付けると、足元にマジックサークルを展開して『偽蛇殺しの雷槍(ミスティルテイン)』の鍔から噴出される金色の光の推進力で一気に加速する。一気に引っ張られてベルは危うくワイヤーフックを放しそうになるが必死で持ちこたえ、ヴェルフやリリも振り落とされないように何とかしがみつけている。
 そして真後ろで爆発。先ほどまでベルがいた床がミノタウロスの拳によって砕かれ深くえぐれていた。あんな攻撃を食らったらひとたまりもない。全ての能力がベル達を大きく上回っているまさに怪物だ。そんな圧倒的な力を持つ漆黒のミノタウロスがしつこく追ってきていた。リリは恐怖に体を震わせ、ヴェルフは顔を引きつらせ、ベルはスクハに頼るしかない現状と無力な自分に唇を噛みしめる。幸いなことに漆黒のミノタウロスの速度よりも槍による加速の推進力の方が早い。精神力(マインド)が尽きたり邪魔が入らなければ追いつかれることはないだろう。

 しかしここはダンジョンだ。漆黒のミノタウロスの登場で静かになっても怪物(モンスター)がいなくなった訳ではない。大移動すれば当然逃げている最中や退避していた怪物(モンスター)達と鉢合わせになる。眼の前にいる怪物(モンスター)を避けても槍で貫いても一瞬直進距離が縮まり、その分漆黒のミノタウロスの接近を許してしまう。そんな障害物扱いの怪物(モンスター)が目の前にはびこっているのだからたまったものではない。
『なんで中層はこうも怪物(モンスター)が多いのかしらね。本当に嫌になる。【雷よ。敵を貫け。第二の唄ソルガ】装填』
 定期的に【ソルガ】を装填しなければ槍による加速は出来ない。いわば装填される【魔法】は燃料なのだ。装填し忘れや精神疲労(マインド・ダウン)。誰かが加速の勢いに耐えきれずに手を放してしまってもアウト。これは分が悪すぎる逃走劇だった。
『リリルカ』
「すみません、スクハ様。振り落とされないようしがみつくのがやっとで精神回復薬(マジックポーション)を取ることは無理です……」
『そう。逃走ルートは?』
「大回りで12階層に戻るルートはあります。ですが―――――――」
『アレを引き離せなければ同じね。少し無理をするわ。ベル、ヴェルフ。足の骨一本や二本くらい覚悟しときなさい』
 スクハが加速したまま二個目のマジックサークルを壁に設置して、何かを覚悟するように一度深呼吸をした。

『【限界解除(リミット・オフ)】』

 その言葉と共に爆発的に槍の加速が増した。光の噴射による激しい熱量で息苦しくなるがサラマンダーウールの加護で熱いと感じるだけで火傷することはなかった。しかし急激な加速のせいで『ワイヤーフック』を持つ右手と右肩に負担が掛かり激痛が走る。それでもここで手を放したら全てが台無しになってしまうのでベルは必死にその痛みを堪えた。

『【雷よ。粉砕せよ。【ミョルニル・ソルガ】】』

 続けて壁に設置したマジックサークルから【ミョルニル・ソルガ】が発射される。勢いよく放たれる雷撃に漆黒のミノタウロスは膝を横殴りにされダメージは皆無だが不意打ちでよろめき勢いよく転倒して壁に激突した。速度と重量による衝撃はすさまじく壁が砕けるだけではなく天井も衝撃で崩落して漆黒のミノタウロスは瓦礫の山に埋まった。それでもスクハは加速を緩めない。あの程度で倒せるほど甘い相手ではない。あの程度で大ダメージを与えられる相手であったなら向き合って撃退している。それでも3秒でも5秒でも時間が稼げれば十分だ。速度を上げる前も槍の推進力の方が漆黒のミノタウロスよりも早かったので、今の速度でなら問題なく振り切れる筈だ。

「スクハ様っ! 次を左、その次は正面、その通路のカーブを道沿いに進めば最初のフロアに戻れます! この速度ならアレが逆走して待伏せしようとしたとしてもリリ達の方が圧倒的に早く辿り着くので、スクハ様とベル様は何とかそれまで堪えてくださいっ!!」
「リリスケ、俺の心配は!?」
「リリとヴェルフ様は抱き着いているだけな分負担が少ないですが、スクハ様は当然のこと、ベル様は右腕に自分の体重とヴェルフ様の体重の負荷が集中しております! お二人が無茶しておられる中楽をしているリリ達が手を離すなんて問題外ですっ!!」
 リリの言う通りベルの右腕は悲鳴を上げていた。特にスクハが道を曲がる時に振り回されて壁や天井に叩きつけられないように必死でワイヤーにしがみついているのでその負荷は大きい。当然強引にそのフックを巻き付けているスクハの左腕に掛かる負荷も相当なものだろう。生き残る為には必要な無茶だとはいえ、肘がだらしなくぶらんぶらんとありえない方向にまで揺れているスクハの左腕を見るのがベルにとって一番の苦痛だった。

『っ、ベル! 何とか衝突死は避けなさい!』

 突然スクハがそう宣言して飛び上がり逆噴射を駆使しながら宙で姿勢を整え、急に加速が止まったことでベルとベルに捕まるヴェルフが勢いよく正面天井目掛けて投げ出される。スクハはなんとか激突を阻止しようと逆噴射でワイヤーを引っ張ろうとするが、正面の縦穴から突如飛び出して来た漆黒のミノタウロスによる石斧の投擲がワイヤーを切断した。

 下の階層に下りてのまた上の階層に上るランダムで構成される縦穴を利用した地図には乗ってないショートカットを駆使して漆黒のミノタウロスは先回りしてきたのだ。

 勢い余りスクハはリリと共に体勢を崩して地面に転倒し、投げ出されたベルとヴェルフの勢いも止まらない。ベルは何とか死なないよう背負っていたヴェルフを抱きかかえる形にして天井に足をつけ足のバネで跳ね返り地面に降り立つことは出来たが右腕に続いて両足までガタが来てしまった。スクハとリリの安否を確認すると、スクハが槍を放り投げてリリを抱きしめ激突の衝撃からリリを庇ったらしくリリは無傷だが、背中から地面に落下したスクハは苦痛に顔を歪ませている。
 ワイヤーフックもなくなりスクハの槍による推進移動について行けなくなり、スクハの移動手段であった槍も今手放してしまってい現状、ベル達に漆黒のミノタウロスから逃げる手段はもうなかった。そんなベル達をあざ笑うかのようにゆっくりと漆黒のミノタウロスはスクハの元に歩いて向かっていく。
 やろうと思えばいつでもベル達を殺せるにも関わらず、まるで今の状況を楽しんでいるかのように漆黒のミノタウロスは怯えるリリの表情や動かないスクハの体を舐め回すように見ては『ク゛ア゛ァ゛テ゛ェ゛エ゛ェ゛エッ』と意味のわからない唸り声を上げてはまるでニヤついているかのように口元をひくひくとさせている。

 撃てなくても注意を反らせればいいという一心でベルは【英雄願望(アルゴノゥト)】の蓄力(チャージ)を開始する。
英雄願望(アルゴノゥト)】のリン、リンと鳴り響く鐘の音のような蓄力(チャージ)音に漆黒のミノタウロスはベルの方を振り向いた。

『【雷よ。吹き荒れろ。我は武器を振るう者なり。第八の唄ヴィング・ソルガ】』

 それと合わせるようにスクハが【付与魔法(エンチャント)】をする。ランス形態のまま転がっていた武器がスクハの手元まで飛んで行き、漆黒のミノタウロスはどちらを優先すべきか考えた。その隙にスクハが『痛いけど我慢しなさい』とリリをヴェルフの方まで蹴り飛ばして無謀にも漆黒のミノタウロス目掛けて突撃していった。漆黒のミノタウロスは『偽蛇殺しの雷槍(ミスティルテイン)』による推進突撃を軽々しく左手で受け止めてみせた。。逆噴射してもピクリともミノタウロスの体は少し動く程度で全く動じていない。

『【ソルガ】【ソルガ】【ソルガ】【ソルガ】【ソルガ】』

 槍先から【ソルガ】を連発するが怯みさえしない。ベルが【英雄願望(アルゴノゥト)】で【ファイアボルト】を撃とうと構えると槍ごとスクハの体を【ファイアボルト】の射線上にぐるりと持っていき、スクハを地面に叩きつけた。槍を手放し地面をバウンドするスクハの頭を鷲掴みにして漆黒のミノタウロスは『撃てるものなら撃ってみろ』と言わんばかりにスクハをベルの前に突き出す。
「野郎っ!!」

『ク゛ゥ゛ウ゛ゥ゛ゥ゛ラ゛ァ゛ア゛ア゛ネ゛エ゛ェ゛エ゛ェ゛ル゛ゥ゛ゥ゛ウ゛ゥ゛ウゥッ!!』

 ヴェルフが捨て身の覚悟で立ち向かおうとすると強烈な『咆哮(ハウル)』がこだました。ヴェルフとリリは完全に強制停止(リストレイト)させられてしまった。ベルも危うく強制停止(リストレイト)して【英雄願望(アルゴノゥト)】が強制解除されてしまいそうになるが、これは最後の頼みの綱であり、これがある限りなぜか知能が高い漆黒のミノタウロスは盾であるスクハを殺せない筈だと

『【ソルガ】……【ソルガ】……【ソルガ】……』

 弱々しい声でスクハが手をミノタウロスの頭部に向けて【ソルガ】を放ち続けるが、漆黒のミノタウロスは怯むどころか瞬き一つせず、スクハの右膝を左手でつまみまるで紙を折り曲げるように軽々スクハの右膝をへし折った。悲鳴はないが苦痛に歪む顔だけでも満足しているかのようにまた漆黒のミノタウロスは口元をひくつかせて、口から舌を見せつけるように出し、スクハの首筋から耳までをベロリと舐めた後に嘲笑うかのように雄叫びを上げる。気づくとベルは唇を噛み切っていた。諦めない、絶対に諦めないが、スクハをあんな目に合わせている漆黒のミノタウロスが許せなくて、何よりも自分の無力さが許せなくて、悔しい。

『…トドメは…任せたから…』
 そんな中、スクハはベルにそう告げた。


『【雷よ。粉砕せよ。解き放て雷。第三の唄ミョルニル・アナリミトス・ソルガ】』


 スクハの右手と左足にマジックサークルが浮かび上がり、右こぶしが振り下ろされると同時に特大の雷光が放たれた。漆黒のミノタウロスはそれを足の軸を動かすだけで華麗にかわすが、特大の雷光は地面を粉砕して13階層を突き抜け14階層の床も貫いている。そのあまりの衝撃に漆黒のミノタウロスもバランスを崩した。

『【エナ】』

 それでも左足の蹴り上げと共に放たれる追加の一撃を漆黒のミノタウロスは体を捻り直撃を避けた。特大の雷光は漆黒のミノタウロスの右腕を蒸発させ13階層の天井を粉砕して貫通していく。漆黒のミノタウロスは右腕をダメにしたことでスクハを即座に盾として使えなくなったことで、自分を傷つけたスクハだけでも殺そうとその体の捻りから左の拳を振り下ろそうとした。


『【ズィオ】』


 しかしその前に、第三射目が横の壁という壁を貫いてミノタウロスの横っ腹に直撃して攻撃を阻止した。逃走中に設置したマジックサークルからの壁抜き攻撃。多くの岩盤にさえぎられて威力が減衰した雷光は漆黒のミノタウロスの体を蒸発させるだけの火力はなかったが、怯ませるには十分すぎるほどの火力はまだ残っていた。漆黒のミノタウロスの体が衝撃で横に吹き飛び横に転がる。スクハが穴に無防備に落ちていくのを強制停止(リストレイト)から回復したヴェルフが助けに穴に飛び込んでいくのを一瞬だけ横目に、最後のチャンスであるこのタイミングを逃さない為にその場で腕を向けて叫んだ。

「【ファイアボルト】」

 轟音と共に放たれる雷炎。最大時間である3分蓄力(チャージ)された【ファイアボルト】が起き上がろうとする漆黒のミノタウロスの体を飲み込んだ。雷炎による巨大な爆発が周囲の床や壁を大きく抉り取りミノタウロスは跡形もなく吹き飛んでいる。何とか倒すことはできたが【英雄願望(アルゴノゥト)】のフルチャージによる体力と魔力の消耗にベルは膝をついてしまう。
「くっ……。あっ……ベル……さ……っ……ま」
 そんなベルにスクハに蹴られた脇腹を押さえながらリリが駆け寄って来てくれた。自分のことは構わずベルに二属性回復薬(デュアル・ポーション)を飲ませてくれるがあまり体が軽くならない。それでも片腕と片足が使えず意識を保っているかも危ういスクハとLV1のヴェルフが中層の怪物(モンスター)に囲まれたら数十秒と持たないだろう。1秒だって時間は惜しい。リリは自分が回復薬(ポーション)を飲む時間は惜しんでベルに正面から抱き着き、リリのことも心配だがベルはリリの想いを無駄にしない為にも、そのままリリが落ちないようにしっかりと抱きしめながらスクハが開けた穴に飛び込んだ。

§

 2階層分降下して地面に着地したベルとリリが目にしたのはおびただしい量の怪物(モンスター)達だった。既に大きな音に怪物(モンスター)達が集まって来ていたようだ。怪物(モンスター)に囲まれた状態でヴェルフが倒れたまま動かないスズを守る様に大刀を抜いて構えていた。今戦闘できるのはヴェルフと【英雄願望(アルゴノゥト)】の反動で体が悲鳴を上げているベルだけだ。とにかく怪物(モンスター)が何らかのアクションを起こす前にその数を減らさなければならない。
 ベルはリリを下ろして【ファイアボルト】を連射した。動きの速いアルミラージを優先的に近い順から吹き飛ばし、左右の手で別々の対象を常に狙いを定めてただがむしゃらに【ファイアボルト】を連射する。後先考えない設置砲台と化したベルに怪物(モンスター)達が攻めあぐねていると間にリリがスズの治療に取り掛かった。

 精神力(マインド)の消耗を感じ素早くレッグホルスターから精神回復薬(マジックポーション)を取り出し口に含み再び【ファイアボルト】の連射で乗り切ろうとするが、追加で上の穴からヘルハウンドの群れが下りて来る。
「ふざけろっ!!」
 ヴェルフが飛びかかるヘルハウンドを何とか切り伏せるが、降りて来たヘルハウンドが距離をとって一斉に炎を吐き出す体勢を取る。【ファイアボルト】の連射で対応して、リリも大慌てでスズの治療を断念してリトル・バリスタで火炎攻撃を阻害するが、一匹手数が足りず今まさに火炎を吐こうとするヘルハウンドがいた。接近戦しかできないヴェルフでは手が届かない。サラマンダー・ウールで耐えきれることを祈るしかないのかとベルとリリが冷や汗を垂らす中、同じく冷や汗を垂らしながらもヴェルフは大刀を投げ捨て右手をそのヘルハウンドにかざしていた。

「【燃えつきろ、外法の業。ウィル・オ・ウィスプ】!!」

 ヴェルフの口から紡がれる超短文詠唱と共に空気の揺らぎのような陽炎が真っ直ぐ炎を吐く瞬間のヘルハウンドに撃ち込まれると、ヘルハウンドが内部から爆発した。最初は相手を内部から爆発させるえげつない【魔法】だと思ったのだが、それなら今の戦況ヴェルフは他の魔物にも今の【爆発魔法】を使っていた筈だ。
魔力暴発(イグニス・ファトゥス)!?」
「【対魔力魔法(アンチ・マジック・ファイア)】だ。一定の魔力の反応を火種(きっかけ)に爆発する。怪物(モンスター)相手、それも口から出す炎なんかに試したことがなかったから賭けだったがな」
 驚愕するリリにヴェルフは苦笑しながらもそう答えた。その間にもベルはひたすらに【ファイアボルト】を連射し続けようやく怪物(モンスター)の数も落ち着いてくるが、それでも次から次へとルームに繋がる複数の通路から怪物(モンスター)がやって来る。新たに生れ落ちる怪物(モンスター)の姿もちらほらと見え始めてきた。明らかにジリ貧である。
「上から奇襲される位置は非情によろしくありません! 現在地はわかりませんがひとまず通路に退避しましょう! フォーメーションが成り立っていない現状、取り囲まれた上に上からも奇襲されるくらいなら狭い通路で挟み撃ちにされた方がまだマシです! ベル様、無理を言っているのは承知ですが精神回復薬(マジックポーション)のストックがある内に突破口を開いて下さい! ヴェルフ様はその反則【魔法】でヘルハウンドの炎を封じているだけで大丈夫です!」
「スクハがしてくれたことに比べたらこんなの全然っ!」
「厄介な炎は任せろ!」
 失礼します、そう申し訳なさそうに呟きリリがスズの体を引きずるように抱え、ベルが【ファイアボルト】の連射で強引に突破口を開いた通路に足の遅い怪我人であるスズを抱えたリリと足並みに揃えて突入する。後ろから追ってくる怪物(モンスター)は【ファイアボルト】で迎撃して正面の怪物(モンスター)はヘスティアナイフと牛若丸の二刀流で処理し、炎を吐き出そうとするヘルハウンドだけヴェルフが【ウィル・オ・ウィスプ】で対処していく。
 ベルの負担が激しく回復薬(ポーション)精神回復薬(マジックポーション)の消費量も激しいが出し惜しみなんてしていられる状況ではなかった。

§

 一時間ほどそんな無茶で闇雲な逃走劇を続けたところ、縦穴で行き止まりの袋小路に辿り着く。本来なら絶望してもおかしく無い様な道が逆に一カ所からの怪物(モンスター)しか気にしないで済む休める場所だと思える日が来るとは思わなかったとベルは苦笑した。
「リリ、スズの容態は?」
「意識は戻っていません。右足は支え棒と包帯で固定して高等回復薬(ハイ・ポーション)で多少よくはなっていますが、左腕の損傷が酷くこの品質の高等回復薬(ハイ・ポーション)では間に合いません。しっかりした治療を受けるべきでしょう。ですがこの場で腕を切り落とす判断をするほどのものではないので、その、そこだけはご安心ください」
 リリが最後の方は申し訳なさそうに顔を伏せてそういった。
「ありがとう、リリ。治らないのはリリのせいじゃないから気にしないで。あんな化け物を相手に皆が生き残れただけでも十分すぎるほど幸運なことなんだから。大丈夫、生きてれば無事地上に戻れるから」
 申し訳なさと不安で今にも押しつぶされそうなリリを安心させる為にベルは笑顔でそう言ってあげ、頭を撫でてあげるとリリの震えは次第に治まっていった。
「ありがとう……ございます。少し落ち着きました」
「よかった。それで闇雲に進んじゃったけど、どうしようか。スズが起きてくれれば天井を壊して何とか脱出できると思うんだけど……」
「万全な状態では可能だと思いますが、明らかにスクハ様は身の丈を超えた無茶をやっていました。おそらくはリリを助けて下さった時のようにしばらく動けないと見た方がいいでしょう。残りの回復薬(ポーション)の数も心もとないですし、壁抜きなしで脱出方法を考えた方が現実的だと思います」
「いつ聞いてもお前らの会話ってどこかぶっとんでるよな。普通の冒険者は階層の壁をぶち抜かないぞ」
 リリとベルの会話を聞いていたヴェルフがそう苦笑した後、「でもまあ、お前らとならこんな絶望的状況でもどうにかなる気がするな」と笑っていた。「どうにかなるのではなく、するんです!」とむくれるリリにからかうように「悪い悪い」とカラカラと笑いながらリリの頭をポンポンと叩いている。スズは目を覚ましていないが何とか冗談で笑い合う心の余裕はでてきたのは大きい。

「さて、まずは残った装備を確認しましょう。治療用の道具ですがリリは回復薬(ポーション)が六、解毒剤が四、精神回復薬(マジックポーション)が二、高等回復薬(ハイ・ポーション)はありませんが二属性回復薬(デュアル・ポーション)が後二つ残っています。幸い水はありますから最悪上手く立ち回れば数日はさ迷うことができるでしょう。装備品の方はお預かりしている装備とリトルヴァリスタは健在ですが、太矢の残弾が7発と残りわずかです」
「俺は高等回復薬(ハイ・ポーション)が一、回復薬(ポーション)が三。大刀もこの通り健在だ。来た時と変わらないな」
「僕も装備は……あ、『ワイヤーフック』が壊されたんだっけ。回復アイテムは高等回復薬(ハイ・ポーション)が一つと二属性回復薬(デュアル・ポーション)が一つだけかな」
「スズ様の回復薬(ポーション)類は叩きつけられた時に全滅ですね。ポーチの中身はスクハ様がお作りになられたジェムが四つ。その内の三つは砕けてしまっていますね。ベル様はこのジェムの効果はご存じですか?」
 リリの質問にベルは首を横に振ると「ベル様は脳筋ですから仕方ないですよね」と軽く溜息をつかれてしまった。本当は『レスクヴァの里』の住人でないことを仲間にだけは話しておかないと、そろそろものすごくおバカな人に見られそうで怖い。今度ヘスティアに話してもいいか相談してみようかなとベルは内心苦笑してしていた。
「スズ様の防具は右のグリーブが壊されていますが他は健在。盾はいつの間にかリリのバックパックに入っていましたが、残念ながら剣と鞘は13階層に放置されたままですね。スズ様が知ったら悲しむでしょうが……取りに行く余裕は今のリリ達にはありません」
 リリは『無駄な家庭セット』がスズの家宝だと知っているので言い辛そうにそう宣言する。リリの言う通りスズが悲しむだろうが取りに行く手段がないので諦めるしかないだろう。
「治療用の道具以外で今使えそうな物はナァーザ様が開発した魔物避けの臭い袋『強臭袋(モルブル)』が一つだけあります。リリ達も悪臭に悩まされることになりますが、怪物(モンスター)にとっては臭いだけではなく有毒です。効果時間内はよほどのことがない限りは近づいてこないでしょう」
「便利なもんだな」
「後でその臭いなんとかならないのか、なんて文句は受け付けませんよ。本当に強烈な臭いですから」
 リリがナァーザにダメもとで依頼して作ってもらったら偶然にも完成してしまったらしい。試験的に臭いを嗅いだナァーザは嗅覚が鋭い犬人(シアンスロープ)だったこともあり、その場で倒れて床をものすごい勢いで転がりのたうち回ったそうだ。この偶然にも完成したという部分もベルの『幸運』に関係するのかどうかは定かではないが、緊急事態である今手元に偶然完成した遭遇(エンカウント)回避アイテムがあるのはまさにベルにとって幸運である。運という要素も中々バカにできないものだ。

「それで脱出の方針ですが、やみくもに一つしかない上り階段を探すよりも、無数にある縦穴に飛び込んで下の18階層にある安全階層(セーフティポイント)に向かうべきだとリリは思います。安全階層(セーフティポイント)怪物(モンスター)が生まれない階層で『下層』を目指す冒険者達が拠点にしている筈なので、そこまで行けば安全は確保されます」
 確かにリリが言うことは正しいが、同時に下の階層に行くほど難易度が跳ね上がっていくダンジョンを下りていかなければいけない危険な選択肢だ。運よくいくつもある縦穴をすぐに見つけられればいいが17階層には『ライガーファング』が新たに出現するし、ミノタウロスの出現率だって15階層よりも大幅に上がっている。かといって無暗やたらに上り階段を探してさ迷い歩いた挙句に回復薬(ポーション)を全て失ってしまっては下りることも上ることもできなくなってしまう。
「階層主はどうする。17階層だろ、例の怪物(でかぶつ)がいるのは」
「ベル様とスズ様がミノタウロスを倒した日にちょうど【ロキ・ファミリア】が遠征に出ているので、18階層への出入り口である大広間を陣取っている邪魔な『ゴライアス』は間違いなく倒されていることでしょう。リリ達にとっては脅威ですが【ロキ・ファミリア】にとってはただの邪魔なデカイ的です。ゴライアスの次産間隔(インターバル)は二週間前後。時間を逆算してもまだぎりぎりダンジョンに生まれていない可能性があります。上に行っても下に行っても危険は付き物。どちらにしろ遭遇した他の冒険者任せで地上に帰ることになるでしょう。幸いなことに他の冒険者と遭遇することさえできれば、スズ様は迷宮都市(オラリオ)での知名度は高いですし、余程のことがない限りは関係を持とうとしてくれる筈です。良い意味でも悪い意味でも、ですが」
 善意で助けてくれる者から利用とする者と様々だろう。
「リリはあくまで提案することしかできません。このパーティーのリーダーはベル様です。ご判断はベル様にお任せします。リリは天国でも地獄でもどこまでもベル様とスズ様にお供する覚悟はもうできていますので」
「あれ、僕がリーダーだったの? てっきりスズかリリだと思ってたんだけど」
「妹やサポーターをリーダーとして見ないでください!」
「ぶははははっ、今のは中々情けない台詞だな、おい。少なくとも俺もお前のことをリーダーだと思ってたぞ。妹の手引っ張ってやるのが兄貴の仕事だろ?」
 ヴェルフが腹を抱えて盛大に笑った後、気のいい兄のような笑みを浮かべてそう言った。
「そっか。それじゃあ僕は下に下りたいかな。リリにはいつも助けられてるから、リーダーとして仲間としてリリの言葉を信じたいし」
「だってよ、よかったなリリスケ! こいつは好感度高いぞ?」
「からかわないでください! ベル様は誰にでもお優しいだけです!」
 ヴェルフとリリのやり取りがいまいちベルには理解できなかった。


 ――――――――そんな微笑ましいやり取りの中、ぼりぼりと何かが噛み砕かれる音がした。


 慌てて意識を音の聞こえた通路の方に向ける。薄暗い通路でまだ目視できない距離。ベルのLV2冒険者としての五感と直感がその小さな音を拾ったのだ。次に聞こえたのはずっしりとした足音だった。15階層で生まれるからその怪物(モンスター)と遭遇する可能性は考慮していた。でもこんなことは予想していなかった。予想できる訳がなかった。
 通路の奥からゆっくりと近づいてくるミノタウロスの影。そのミノタウロスの色は黒かった。打ち損じたのかと一瞬思ってしまったが、スクハの【ミョルニル・ソルガ】で粉砕された筈の右腕は傷一つなかった。そのことから新しく漆黒のミノタウロスが生れ落ちて、魔石を食べながら真っ直ぐまたベル達の方へと向かって来たと見た方がいいかもしれない。この広いダンジョンの中、変異種どころか強化種も珍しいダンジョンの中、一体どんな確率でこんな状況が出来上がるのだろうか。

『ク゛ゥ゛ウ゛ゥ゛ゥ゛ラ゛ァ゛ア゛ア゛ネ゛エ゛ェ゛エ゛ェ゛ル゛ゥ゛ゥ゛ウ゛ゥ゛ウゥッ!!』

 当然のように同じ独特な叫びで『咆哮(ハウル)』を放ちリリとヴェルフは恐怖に強制停止(リストレイト)した。もう抵抗するだけの力を知っているかのように、一度もう戦っているかのように、余裕しゃくしゃくと恐怖を煽るようゆっくりと魔石を食べながら近づいてくる。逃げないといけないのに、仲間を助けないといけないのに、妹を守らなければいけないのに、死なない怪物にベルは恐怖して、『咆哮(ハウル)』を耐えることができず強制停止(リストレイト)してしまっていた。
 動けたとしても、動けない三人を連れて逃げ切れるわけがない。一人でも逃げ切れるわけがない。

 ―――――――それでも、憧れたのは大切なもの全部を守れるような英雄だっただろう。

 ベルに闘志が戻り勝てないとわかっていながらもヘスティアナイフを力強く握りしめる。皆を守りたいただ一心で恐怖を跳ね飛ばす。
 絶望的な状況の中、ベルは真の怪物相手に決死の覚悟を決めるのだった。



ついつい長くなり過ぎたので切り(引き)が良いところで分割しました。
きゃっきゃうふふとベル君と追い掛けっこができなかったことと、濃縮された短時間の戦闘で敗北したことでメインヒロインさん歪んでも張り切っておられます。


一つ、怪物は喋ってはならない。
二つ、怪物は正体不明でなければいけない。
三つ、怪物は不死身でなければ意味がない。
『空の境界』のこの台詞大好きだったりします。