一、
「初めまして、ミイネ・モンゴメリと言います。霊能者として活動した事はありませんが、霊視を頼まれましたので。微力乍ら、お手伝いさせて頂きます」
暑中休暇の始まる前日から一部屋置いた隣室の台所前の窓に下がる夏暖簾を仕舞う手間を億劫がり、暮秋の最終日に漸く仕舞い、時折買い物帰りに見掛ける隣人の風貌は、確かに面倒臭がりな様だ。辛夷並樹の風葉を突っ切り、自転車が前籠の底に枯葉を敷き詰めて落として行く。二日目の調査終了後、事務所所長の要請で某慈善団体、天使隊隊員のミイネさんが出動を快諾し、翌朝昼前の黄色い太陽と高い青空の下、渋谷道玄坂に構える事務所へ向かい、午後に所員の集合を確認して自動車に乗り込んだ。金髪を塵芥の舞う秋風に遊ばせ、白色を基調とした、仏蘭西の某慈善団体本部で仕事時に着ていた復讐者の団体とは異なる洋服を着込み、一見観光客と見紛う恰好で、霊能者の人口密度の高い小会議室へ入る。室内では素人調査員麻衣が先着して、高橋さんは在籍中の生徒なので、授業の心配をす可きだが、面倒臭いので指摘は止めた。最初、麻衣は金髪の麗人の登場に驚愕の顔で固まり、金魚の呼吸の様に口を開閉した。麻衣が麗人の登場を尋ねる前に小会議室の外の廊下が騒がしく、無愛想な片開きの扉が開き、茶髪長髪戒律とは何ぞやと言う破戒僧と、輝きの種類が違う金髪碧眼のブラウンさんが遣って来た。後ろに松崎綾子さんと原真砂子さんの姿は無い。
破戒僧曰く、原真砂子さんは霊視結果に半信半疑な私達に愛想を尽かし、臍を曲げて出動を渋り、長く小会議室を空ける訳にいかないので、松崎綾子さんが説得係を買って出て、破戒僧とブラウンさんは先に仕事現場へ自動車を駆って来たそうだ。少人数の言い訳を縷々述べた破戒僧は、事務所所長の人脈、近場で霊視能力を有する霊能者は生憎居ないとか、霊を視る事の出来る霊能者不在を案じる風に言って、見慣れぬ金髪の麗人が私の隣に立つ所を認め、小首を傾げて誰何した。金髪の麗人事ミイネさんは不躾な視線を委細構わずと言う態度で、冒頭の様に綺麗な、見事な所作で一礼して挨拶した。我が物顔で小会議室に居る新人霊能者の挨拶を受け、破戒僧は怪訝な顔をその儘に、警戒心を露にして礼を返し、眉宇に警戒も無い上司の美貌を見遣って、新人の霊視依頼云々の言葉に言及する事はなかった。旧校舎の幽霊騒動の折も、霊能者達の霊能力の有無、幽霊が校舎内に居る居ないの問答、悉皆聞くに堪えぬ諍いを披露したが、誰の紹介とも言わぬ麗人が不用意とは言わないが、派遣理由の霊視は誰から頼まれたものかを自己紹介の際に付け足す可きだったと思う。
小会議室に居る霊能者と調査員の紹介を終え、破戒僧が原真砂子さんの不在に、松崎綾子さんが説得して最悪連行すると言うので、一流霊媒師への苦手意識を発動させた事務所所長は麗人到着を楯に取り、来たくないなら来なくて結構、と散々霊視を頼んで来た身分のくせに、随分酷い事を言った。無論正義感の強いミイネさんは上司の冷酷な発言を譴責して以後慎む様に、と厳重注意した。そう言う意味合いの厳しい小言を言い、便乗した麻衣が原真砂子さん当人の前で同様の事を嘯けるか、と尋問して、苦手意識を払えぬ上司は録画映像等の記録回収を指示して、助手を伴い小会議室を出て行った。素人調査員達は身動きの仕方に困窮し、急遽破戒僧達が学外の様子を見に行き、麻衣が上司達を追って記録の確認を行い、私達は校内の探索となった。時間帯が授業の真っ最中で、もう直ぐ終業の鐘が鳴るが、放課後は部活動もあり、余り長時間動き回る訳にもいかない。腕時計を嵌めるミイネさんが、適当な時間に戻る、と言って、私の背中を押し乍ら小会議室を出る。私と麻衣は懇意の麗人の協力態勢を喜ぶ許りで破戒僧の胡乱な眼差しに気付かなかった。
昨日の紙屑事書抜きの整理整頓中に記憶した場所を挙げ、授業中なので扉越しに様子を窺う可能性を覚悟した上で、特別教室の確認から始め、校内の部屋の位置関係が不案内な私は、案内役を務める事が出来ず、迷い捲って漸く美術準備室の扉を見付けた。扉上部に嵌め込まれた、垢塗れの曇った硝子を覗き、人影の無い事を確かめて美術準備室に入る。石膏像や額入り胸像、美術関連の資料の棚の並ぶ部屋は資料室や印刷室の趣もあり、不燃性の黒い机が二つ設置された中央を歩き回るが、幽霊の気配も独特の寂寞感も無い部屋に拍子抜けした気持で霊能者ミイネさんの反応を窺った。高い鼻の横顔は凛々しく、金髪が白磁の顔を縁取って神々しい。死装束と言った白装束集団の頃を髣髴する恰好は、軍役時代に亡父の幻覚を見て、復讐を誓ったと言う肉親想いの人の覚悟を思わせる。現在は慈善団体と姿形を変えて世間様に貢献する彼女達の正義は、糞爺の見た醜悪な世間を、どうの様に変えるつもりなのか知ら。何の能力も才能も無い私が愚痴を並べ立てる許りでは、大多数と言う世間と変わらない。変わらないが、本当に、彼女達は糞爺の星の王様再就任までの期間、世界をどう変えるのか知ら。
資料の棋羅する本棚の上下段の隙間が酷く大きな段に、太古の偉人の石膏像が安置され、本棚の横の壁には肖像画が懸かり、穴の様な黒目が私の愚考を非難する様だ。本棚の隅の埃を鼻息や吐息で動かすつもりで、しかし微動もしない塵芥の観察に飽きて、然程広さもない美術準備室を何周目か、闊歩して未だ一言も無い霊能者を見る。軍役時代は過酷な訓練が毎日あって、贅肉が付く余地の無い程の筋肉に覆われ、だのに黄色人種と白色人種の無情な違いか胸元の物量が違う。豊満と言うに相応しい。横顔を見る位置で全身を横から見る。体型も胸元の贅肉も千差万別だが、人種も違うが、矢張り羨ましい。前世の記憶に残る当時の私の胸事情は、今の胸事情と大差無い。成長期を数年前に終えた胸元を着物越しに見て、食事法と体操で胸元の物量を増やす事が出来ると聞くが信憑性に欠ける為、余程胸の所為で逼迫しなければ試す真似はしないと心に決めている。鼻もそうだが、胸も欲しい、馬鹿馬鹿しいと言われ様が年齢相応の小娘の事情だ。
不意にミイネさんが歩みを止め、美術準備室の次は何処へ行こう、と言う。丁度終業の鐘が鳴り響き、他の特別教室で授業を受けていた生徒達が廊下を往復し、美術室に居た生徒数名が準備室の扉を開けて美術の道具を仕舞いに来た。金髪碧眼白皙の肌、外国人の特徴の詰まった麗人と向き合い、言葉も無く目を瞬き、茫然自失している。こう言う場合、調査員側の事情を話すのは厳禁らしく、又雑用係の私に詳細な説明は困難である。霊能者の腕を取って美術準備室を出た。扉を閉めると、黄色い声が聞こえた。日本語に堪能なミイネさんは、生徒達の黄色い悲鳴を聞いて、もう少し地味な服装が良かった見たい、と大変今更な事を呟かれた。
終業後を良い事に、二年五組の魔の席、と呼ばれる席の事情を話し、電車で引き摺られる事故は異常現象との因果関係の解明は後にして、まず何より見て頂きたい。記憶違いの可能性が頭の隅に常にちらつきつつ、間違えず辿り着いた教室の数字を見て、肩の力が抜けた。後部扉は面倒臭いから、手近な前部扉を潜って教室内へ踏み入った。部活動の無い生徒、部活動を自主的に休んだ生徒、まだ大勢が教室内に居残って雑談して居た。生徒達が息を殺して私達の動静を見詰め、魔の席を瞥見しただけで、ミイネさんも居心地の悪さを感じたのか、さっさと教室を出て行った。一寸校舎内を探検するつもりで歩きましょう、と言って私を引っ張った。
地平線を暮色が染め上げ、薄雲の陰影を色濃くする茜色が頭上から段々高度を下げて、斜陽が屋根を渡り、闃寂たる家並を区切る混凝土塀の陰が伸びて、放課後の部活動や帰宅部で委員会活動も無いのに居残っていた生徒達も集団下校を始める。異常事態の頻発する校内に居残る気概は素晴らしいが、調査の為に自動車を駆り、又電車を乗り継ぎ徒歩で学校を目指す調査員の苦労を慮るなら、早々に帰宅する事が望ましい。事態収束を望む学校関係者一同も、幾ら相談事を持ち込める駆け込み寺宜しく相談所でも、設置前の機材が小会議室を手狭にして、霊能者の人口密度が高い事も相俟って相談者の来訪は事態の全容も掴めぬ調査員達にとって頭痛の種でしかない。関係の有る無しを問わず、書抜きの整理中に見覚えた場所と、霊能者の直感を頼りに校内の探検を続け、夕曛の余韻も薄紫の夜陰が掻き消した頃、特別教室と普通教室を一通り見回った私達は残る怪談場所、何の怪談か、相談事が多過ぎて失念したが、場所は地下倉庫へ向かった。
残照の作る長い陰影も薄紫の夜空が墨汁の夜空へ変わる前段階で一層薄まり、地下倉庫の薄暗い入り口は電灯も灯らず、薄暗い儘の通路を行くと見慣れた長髪を垂らす松崎綾子さん、暖色の和服を着込んだ原真砂子さんが鉄製の片開きの扉の前に居た。声を掛ける直前、霊媒師原真砂子さんが肩越しに私達を顧みて、隣で扉を睨む新人霊視能力者に目線を据え、不倶戴天の敵と対峙する勢いで挨拶した。昨日散々霊視の結果、幽霊は居ない、と断言したが疑心暗鬼の拝み屋と調査員達は困惑し、四面楚歌の彼女の機嫌が急降下するのも無理はない。過去の業績を重んじて霊視を頼る上司が、信頼に足る筈の霊媒師の霊視に疑問を抱く。翌日出勤に難色を示して、同僚の執拗な説得の末、重い腰を上げて仕事場へ来れば、霊能者として活動した経験が皆無に等しいと言う霊視能力者が来ている。当の新人霊視能力者事ミイネさんは噛み付く様な態度の原真砂子さんに破顔し、相互の関係に擬勢を張る私の胃痛も素知らぬ振りで、事務所の協力者達の間を擦り抜けて地下倉庫の扉を開けた。
真っ暗闇の地下倉庫、体育館の倉庫の様に運動器具が散乱し、又美術準備室にある様な石膏像まである始末で、地下倉庫は学校の物置と言う認識で良いのか、電灯の電源を探すも見付からない。松崎綾子さんが電球が無い、と愚痴を零す。私は暗い部屋を見回し、怖い印象を抱くが、幽霊の気配も暗闇を薄ら寒いと思う事もない。只、小会議室や避暑地の幽霊屋敷の書斎に組み立てた鉄製の棚の様な物が壁際を埋める部屋を見て、電球の無い天井を見て、少し奥を歩くつもりで一足踏み出すと、ミイネさんに腕を引かれた。「居るわ。子供と女の人。女の人は学生か知ら、声が若い。子供は小さい、小学生より小さいわ。深入りせず、まず上司に報告。報告連絡相談は大切よ」
「モンゴメリさんの仰る通りですわ。幼稚園児位の男の子と女性が居ます」と原真砂子さんが同意した。
「熱いんですって。火傷する様な物がある見たい。怪我する前に戻りましょう」
小会議室へ戻る道中、美術準備室の事を尋ねるとミイネさんは恥ずかしそうに言った。
「幻視とかで見たものを人に言った事もあるわ。でも、大概誰も信じないから。信じる人って、ほら、皆視えるじゃない。それに、視えない人に解る様に、自分の視たものを説明するのって、初めてなの」
足早に小会議室へ戻り、突然幽霊の詳細を語り出した霊視能力者達より先に、青褪めた顔の松崎綾子さんが小会議室の扉を開けて、開口一番、地下倉庫に居る事を報告した。後から私達も入り、皆の態度に疑心暗鬼の原真砂子さんが報告義務を無視して口を噤んでいる。黙秘を貫く霊媒師に当惑顔のミイネさんが私を振り返り、昨日の私達調査員と霊能者達の態度を白状し、眉根を寄せた不機嫌面で彼女は上司に向かって地下倉庫の状況を説明する。熱い、と言う悲鳴から幼稚園児を襲った不幸を窺測するに、熱湯か蒸気か、兎に角酷い事故で死んだらしいと言った。最後に原真砂子さんも同意見である事を補足し、直立不動の姿勢で次の指示を待つ。某慈善団体の上層部の人達も長く軍部や特殊部隊に所属していたそうだから、上官の命令に絶対服従、時に現場の臨機応変、と言う事を心得ているのだろう。
上司は幼稚園児の幽霊を、それで良い、と言って、地下倉庫が昔ボイラー室で、生徒の弟が事故死した過去があると言った。
私は美術準備室等の特別教室を回った事を報告し、上司はミイネさんの報告に傾聴の構えで目線をくれる。ミイネさんは美術準備室には女性が居て、運悪く病気が悪化して、血を吐いて一人美術準備室で死んだ。輪郭が随分朧げで、よく視えないけれど、白い服に血飛沫の跡が模様みたいに散っている、と苦心惨憺して説明した。第一ピアノ室も、急激な視力低下か失明を苦に自殺した女生徒が居て、其処のピアノで練習する事に執着している。あの子は他者の言う事に耳を貸さないだろう。
霊視能力者の報告後、急遽特別教室と校庭、武道場更衣室の霊視を頼まれ、面白い様にミイネさんと原真砂子さんの意見が一致して、校庭の三本並ぶ桜の樹を見上げた時は、其処で首を吊る様に踠く女生徒を認めて憂色を帯びた碧眼で胸を押さえた。味方の居ない中、頑張り過ぎたのだろう。そう言ってミイネさんは桜の樹の上で踠く幽霊の、生前の踏ん張りに涙した。
では、矢張り幽霊は居るのか。魔の席を瞥見して教室を出た事をミイネさんに聞くと、不穏な気配はあっても、あれは生徒達の不安が纏い付いている様で、正直言うと、魔の席に関しては幽霊は関係無いのではないか、と言った。もう一人の霊視能力者の意見を聞いた原真砂子さんも我が意を得たりと発揚し、何度も其処に幽霊は居ないと断言した。
可笑しいな。矢っ張り居ないのか知ら。
二、
翌朝昧爽、朝の烏が響動み枕頭の目覚まし時計の鈴が覚醒を催促する前に目覚め、蒲団を畳んで部屋の隅に寄せ、朝食は冷凍保存した白米を塩結びにして済ました。身嗜みに無頓着を麻衣が嘆き、色彩は明色暖色系の着物を着て、一部屋置いた金髪の麗人の気配を感じ、部屋を出ると丁度隣室の扉が閉まる所だった。混凝土塀前の辛夷並樹に風籟が渡り、塀の装飾か通気を考慮したのか、等間隔に扇状の模様の穴が空いていて、覗き窓の様に建物一階の様子を盗み見る事が出来るが、変質者対策として管理者が塀際に躑躅を植えた。躑躅は季節に赤味の強い紫色の花を咲かし、幼稚園児の頃は蜜を吸う真似をした。幼稚園児と言う物を知らぬ頃は、公園の花壇や実家の庭のブルーベリー、木苺を齧って、不味くて吐いた。無邪気で無垢で、無知な頃を過ぎた現在は、正直花壇の植物や自家製果実を食べるのは、不潔と言う気がして知らず食べる方が美味く感じる。自家製ブルーベリーは蜘蛛が着物の袖に張り付き、不気味な形が恐ろしくて、果実の味を満喫する余裕を奪われ、爾来果実自体に苦手意識を持つ様になった。
躑躅の貧相な幹を横目に、金髪の麗人と一緒に辛夷並樹を駅の方へ歩き、渋谷道玄坂の高楼二階、広間の横の袖廊下は最奥にある事務所の扉を潜り、無遅刻無欠席の記録を更新し続ける助手が応接間で出迎えて、建物の駐車場へ行って、事務所所有の自動車に乗り込んだ。丁度麻衣も来て、先着した上司の後ろ、助手席寄りの後部座席に座り、後方は機材の安置場所なので素人調査員とお手伝いの三人が乗って、後部座席が満員の自動車は発進した。朝御飯の塩結びが胃袋を脱し、十二指腸へ下り、小腸へ下り、自動車の動揺も手伝い胃袋の中身が伽藍堂になる頃、麗人の腕時計では昼前、某高等学校に到着した。破戒僧の運転する車も駐車場に見付け、小会議室に入ると霊能者達が待っていた。と思うと、私達調査員の到着を待ち兼ねた様に青白い顔の男性教員が入って来て、不調を訴え続けた運動部の生徒が膝靭帯を断裂する大怪我を負い、即入院した、と言った。事情を聞けば、膝を鷲掴みにされる悪夢を見続ける、と相談に来た運動部の子と解り、又報告に来た青白い顔の男性教員は窓硝子を叩く音に悩む人だ。詳しい事情を根掘り葉掘り聞き出し、男性教員は受け持ちの教室へ向かった。
慎重な事務所所長、事情聴取の直後に霊視能力者ミイネさんと原真砂子さんに憑着の有無を尋ね、吃驚した様子の麗人は教員に付き纏う怪異を聞いて碧眼を見開き、何も居ないと即答した。原真砂子さんも同様で、昨日の不倶戴天の敵と対峙する気勢は鳴りを潜め、唯一の味方に憂鬱な眼差しを向け、暖色の和服の袖で、調査員と他の霊能者への不平不満を隠した。幽霊の有無は旧校舎の幽霊騒動の時より、居ると言う方に認識が傾き、実際に幽霊を見聞き出来る事を承知しているのに、金髪の麗人事ミイネさんの言葉を疑う自身が居る。星の王様の全知全能を求める糞爺へ復讐を遂げる為に霊能力を磨いた彼女だが、大会で幽霊を見聞きする霊能者達と関わったくせに、彼女の証言を信頼出来ずに半信半疑、疑り深い自身が胸奥から囁いて、自信満々に発言する二人を信じ切る事が出来ない。ふと、この居ない発言が糞爺なら、と考えて、私は鵜呑みにするなと思った。末っ子なら尚疑う必要は無い。糞爺が黒色の紙を白色と言った場合、馬鹿者と揶揄する事は容易だが、末っ子の場合は鵜呑みにするだろう。
私は糞爺の視覚聴覚を信じ、同時に反論する気持もある事を再認識して、魔法使いの帽子を被る生活支援者兼保護者の場合も考えたが、曠日弥久に不快感を募らす上司の叱責が飛び、破戒僧とブラウンさんが昨日確認した怪談場所の除霊を行い、霊視で除霊効果の有無を確かめる様にミイネさんが指示を受け、私がミイネさんの提案で付き添う事になった。素人調査員が除霊後の現場まで同道した所で効果覿面か否かを判断する能力を持たないのが、真実は安全確保の為の同行で、同僚の素人調査員麻衣の留守番が案じられる。長年、某慈善団体の宿敵と行動を共にした無国籍無戸籍の不審者が民間人の稠密する学校の敷地内を彷徨う危険性を考慮した訳だが、無数の怪異と悪意が蠢く敷地内に麻衣を一人にする時間を作るのに抵抗を覚え、私は最初は断ろうかと考えた。異様に勘の鋭い事務所所長、之を最大権力者の権利を振り翳して同行を強要し、一介の雑用係は不承不承、小会議室を出て行って美術準備室の除霊を行う破戒僧の後を追った。
旧怪談と調査員が呼ぶ怪異現場、美術準備室の扉を開けて、授業中なので扉一枚を隔てた隣室の美術室の授業を妨げぬ様に、破戒僧は仕事着に袈裟を懸けて、数珠を腕に巻き、意味不明な呪文を唱えて除霊を始める。石膏像を置いた棚や胸像の懸かった壁を見て、不燃性の黒い机を見て、血飛沫の所為で水玉模様に見える白装束の女性教員の幽霊の影を見ようと目を凝らすが、当然才能の類が糞爺の目線でも皆無と言わした私の視覚聴覚、その他諸々の感覚は幽霊の気配や異様な雰囲気すら感じ取れず、破戒僧の呪文を聞き流した。
見慣れたと言っても過言でない除霊風景を堪能し、石膏像の生意気な横顔を見詰め、正面の胸像の引き攣った様な顔を見詰め、意味不明な呪文の詠唱が終わり隣で除霊終了の宣言を待っていたミイネさんが美術準備室の壁から天井、床を睨め回し、最後に部屋の真ん中の机の前へ進み出で、一撫ぜして除霊完了の太鼓判を捺した。破戒僧も手応えを感じたのか、満足げに頷き、真っ直ぐ次の除霊場所の地下倉庫へ向かう。道中、ミイネさんは、女性教員なら説得出来たのではないか知ら、と肩摩する程の距離に居る私にだけ聞こえる音量で呟いた。そうして、言った。「私は霊能者らしい除霊も浄霊も遣り方を知らないから。不謹慎だけれど、新鮮な気持だわ。何故、霊の意見を見聞き出来ないのに除霊に勤しむのか知ら」
地下倉庫は重度の火傷で死んだ幼稚園児を説得する方向で考えていたそうだが、破戒僧が悲鳴を上げる女生徒諸共除霊して、結局櫪馬の様に地下倉庫に囚われていた幽霊達は強制退去となった。霊能者の事情は不明瞭で、宗教的思想は非霊能者の場合も付き纏うが、非霊能者とは異なる世界を見聞きする彼女達は、何か互いに不満があるのか、除霊完了の太鼓判を捺して貰った破戒僧は小会議室へ戻った。説得を提案する前に除霊が始まり、結果火傷の跡に悶絶する幼稚園児を、苦痛も無しに死後の世界へ送る事が叶わず、提案の機会を逸した私が悪い、とミイネさんは言って、校舎から離れた場所に建つ武道場の更衣室を見に行った。裏口で上履き外履きを履き替えたので、一度裏口の賓客用の玄関で外履きに替え、体育の授業を邪魔しない様に細心の注意を払いつつ、校庭の隅を通り、桜の除霊を確認してから武道場の玄関を潜った。柔道剣道の授業は今時無いそうで、部活動の柔道剣道で使用する位らしい。一階は物置等の雑品置場が殆どの中、埋もれる様に覗く階段を登り、上階の更衣室の除霊を見る。惜しくも除霊終了の直後らしく、神父服を着たブラウンさんが居た。ミイネさんは此処も除霊完了の太鼓判を捺した。
ブラウンさんは小会議室に戻り、巡邏続行の私達は武道場の関係無い箇所も見回り、又授業の邪魔になる可能性を承知で、桜の樹や草叢の陰も、文字通り草の根を掻き分けて異常の有無を確認する。折角外履き上履きを履き替えて、態々表へ出て来たのだから、直ぐ上履きに替えるなぞ手間である。異常事態に惑溺する学校側の人間達の恐慌を鎮める為、些細な不審物も見逃さぬ気概で地面を探索し、私より余程背高のミイネさんは樹木の貧相な枝の股を見遣り、小首を傾げ乍ら樹の股を撫で回す。股の薄闇を品隲し、別の枝の股を睨む。その行動が奇行その物なので事由を尋ねると、桜の樹の幽霊の痕跡を見ていた、と言う。幻視と言う霊視とは又異なる才能を持つ彼女は、過去視に近い能力を発揮して、桜の樹に居た未練満載の幽霊の遺恨を垣間見ようとした。
軈て何時間目か、授業終了の鐘が鳴り響き、校庭で体操着を着て運動に励んでいた生徒達が校舎の中へ戻る。小憩時間に校舎に出て運動する生気溌溂たる若者は、此処が女子校である所為か、輓近の異常事態の所為か、人影は疎らどころか誰の影もない。不健康な引き籠もり生活を重畳と思い、背筋を伸ばして校庭探索を再開した。
校舎裏の駐車場を見回り、体育館も見て、学生館だか私の記憶や生活には無縁の普請真っ最中の建物の足場を見上げ、一周して、兼ねて気になっていた幽霊の有無を、人影が無い事を確認した上でミイネさんに尋ねた。魔の席の電車事故は、偶然連続した事故とは思えない、だのに彼の席には異常無し、では校舎内には幽霊の影は一つもないのでしょうか。
思案顔で虚空を見詰めるミイネさんは、そうね、と一拍置いてから困った様に言った。
「何か横切るの。大して強い訳ではないけれど、浮遊霊と言う訳でもないだろうし。昨日より存在感が増している」
「言えば良かったのに」
「最初は浮遊霊と思っていたの。心霊調査の現場なんて初めてで。何を言えば良いのか解らなくて」
「雰囲気に呑まれた浮遊霊でしょうか」
「有り得そう。前に見たわ」
授業開始の鐘が鳴り、突然鳴るので私は吃驚して、尻餅を搗きかけた。ミイネさんの剛腕の御蔭で、服の臀部を汚さずに済んだ。
「横切る者の詳細は」
「素早くて。目的地があるのか知ら。迷わず向かう見たいで、私の動体視力では追い切れない」
「幽霊が薄ぼんやり、とかでなく、動体視力と来ましたか。丸で世界が違う」
「違いやしないわ。追い付けなければ、結局見えない事と変わらないもの。蝿が飛ぶ見たいで煩わしい」
存外辛辣な物言いのミイネさんを見上げて、腕時計で時刻を見たミイネさんは一度小会議室へ引き揚げようと言った。
小会議室に着くと松崎綾子さん原真砂子さん、破戒僧とブラウンさんも戻って、原真砂子さんは矢張り居ないと言う。破戒僧とブラウンさんは校外の様子を見回り、除霊効果か護符の効果か、快方に向かう相談者の現状を報告した。ミイネさんも旧怪談場所の除霊は成功した、と言った。
様々な議論の末、本日は解散し、翌日は昼前に又到着して勝手の解らぬ金髪の麗人の随身として、私も小会議室を出て校内を探索した。
秋晴れの鬱塞した青空に黄色い太陽が昇り、肌寒い秋風が貧弱な樹木の枝を震わせ細い枝が枯葉の海に紛れ、踏む度に軽い音がする。裏口の賓客用玄関で外履きに履き替え、昨日同様、私達は表を冒険して桜の樹以外の樹木の様子も検分し、蕭殺たる校庭の四隅を見回り、旧怪談の現場の除霊効果が無偏に渡る事を確かめ、少なくとも旧怪談の懸案は無事解決したと思って良いらしい。襤褸の武道場の影を遠巻きに見て、外履きの運動靴の踵を直し乍ら、浮遊霊の様子を尋ねた。様子は昨日と大差無いと言うので、浮遊霊は無関係と私達は断じ、授業開始の鐘の音を遠くに聞いて、表を散策中、何度鳴り響く鐘の音を聞いたか、昼御飯の海苔巻き煎餅を銜えて体育館の壁に凭れた。体育館内は深閑として、体育の授業の学年や組はない様で、地面より数段高く位置する体育館の床を、方々の壁の下端に空いた通気用の窓から無人の館内を覗き込んだ。内装は極一般的、特殊な設備は無く、体育館を利用する部活動が複数あるのか、館内を二分する様な目の粗い網が舞台を除く体育館の床を半分に分けて、暫く経って生徒達が来て、随分遅い体育の授業が始まった。
昼御飯の煎餅を齧り乍ら、意思の疎通が可能な浮遊霊を掴まえて学校の異常事態について僅かな情報でも引き摺り出そうと奮闘される金髪の麗人の姿を眺める。非霊能者は浮遊霊との交渉に参加不可能なので、遅い昼食兼間食を齧りつつ、霊能者なりの交渉を見学する。太陽三竿、地平線上に早い暮色が垂れ込め、体育館内の静寂に気付いて通気窓を覗き見ると、授業中の生徒達の姿はなく、壁掛け時計の文字盤がこちらを向いていた。遅い昼食兼間食は只の間食になり、海苔巻き煎餅の焼き海苔を剥がし、黒味を帯びた緑色の海藻の塊を齧り、醤油塗れの細長い煎餅を半分齧る。口中で海苔と煎餅の破片が攪拌され、程好い塩梅の海苔巻き煎餅を、後数本、懐に残して決裂の雰囲気が漂う麗人と不可視の浮遊霊の交渉風景を見遣る。段々ミイネさんの顔付きが険しくなり、軈て彼女は嫣然として懐中より違法な銃を取り出して、銃口を浮遊霊の浮遊する空間に向けた。
直ぐ懐に銃を仕舞い、銃把を握った手で金色の前髪を掻き上げ、変態な幽霊は何処にでも出る云々、と愚痴を零し、学校の異常事態とは全く無関係の、女子高校生好きの浮遊霊の居た空間を睥睨して、人畜無害な浮遊霊も、嗜好次第で害悪だと酷評した。体育館の壁際で待機していた私は懐中の間食の煎餅を取り、昼御飯を食べる気分でないだろうが、北山時雨の腹を抱える筈のミイネさんに手渡した。
薄暮六時、文字盤に某慈善団体の紋様が描かれた腕時計で確認して、一度小会議室へ戻ると、廊下の半ばで霊能者達と合流して、矢張り幽霊は居ないと不機嫌面の原真砂子さんは言った。見慣れた片開きの扉を潜り、小会議室内に居た上司達から学校の過去を又聞きして、惨憺たる出来事に私達は言葉を失くした。悲惨な過去を聞いた後、定期報告を順序良く終えて、調査活動の結果が気に掛かる当事者の高橋さんと笠井さんの意見を聞いた。共通点は、皆九月頃から怪異が始まり、超能力関係で全校集会の壇上に笠井さん達が引き摺り上げられたのも九月始め。事件の調査は難航し、痺れを切らした風の松崎綾子さんは不機嫌な原真砂子さんを連行して巡邏に出て行った。
放課後の範疇にない午後七時近く、運動部も最近の異常事態の所為で遅く迄練習する事は避けて、小会議室に残る生徒二人が最後と思われる時間帯に、漸く帰宅を促す言葉が掛けられ、学校の敷地外まで送る事になった。銃の所持を内緒の儘、懐中に兇器─弾丸が機動天使の媒介と聞くから拳銃所持と弾丸常備は仕方ない─を携え、頼もしき元軍人の随身と元軍人に護衛される小娘の随身を連れて、高橋さん笠井さん両名は学校の敷地外に躍り出た。正門の閾を跨いだ瞬間、高橋さんの胃袋が悲鳴を上げるので、私は間食用の海苔巻き煎餅を出して、詰まらない物ですが、と言って手渡した。空腹の気持、腹の鳴る時の羞恥、大変よく解るので間食用の煎餅を渡す事に躊躇いは無い。一袋二本の海苔巻き煎餅を二袋、両名に渡して、通学路を行く後ろ姿を見送った。
その時、ミイネさんが息を呑む気配が、私の胸中に焦燥を齎し、一度小会議室へ戻って指示を仰ごう、と言う元軍人の意見を深刻に受け止め、自然早足になって小会議室へ急いだ。すると巡邏に出掛けた筈の破戒僧を除く霊能者達も廊下の半ばで暢気に文句を言い合い、何気無い風を装って私達は小会議室の扉を開けた。破戒僧が居た。留守番の素人調査員麻衣の居る事は構わない、調査に出た助手は居らず、上司だけが素人調査員の面倒を見る為か、資料を取りに来たのか、何故か物々しい雰囲気の室内に居て、暢気な私達を一瞥した。
平静を繕い乍らミイネさんが険しい顔付きの破戒僧達に何事かと問うと、小会議室に幽霊が出た、と言うのだ。はっとして、原真砂子さんを振り返り、可哀想な程青褪めた彼女は幽霊は居ない事を主張し、結果的にこの主張を曲げる事はなかった。
「なら、僕達の見たものはなんだと?」
「解りません。ですが、それは霊ではありません。そうでなきゃ、あたくしは霊能力を失くした事になります!」
それは可哀想な程悲痛な絶叫だった。
「しかし、現に」と言い募る上司にミイネさんが言った。
「私達の見聞きする物を渋谷さん達が半信半疑で聞く様に、私達も見ていない物を、貴方の発言一つで鵜呑みにする訳にはいかないわ。歩の保護者と謳っても、あの席の件だって、いつ死亡者が出ても可笑しくない。それに危機感を覚えていない訳ないわ、勿論私だって何とかしたい、したいからこそ、貴方の発言を鵜呑み出来ないの」
違和感を察して駆け付けた筈のミイネさんは、四面楚歌に等しい原真砂子さんの擁護に回った。
追い縋ろうとする麻衣を片方で制し、頭髪と同色の柳眉を下げて、非常に申し訳なさそうに御免ねと言った。
ミイネさんは白い手で顔を覆って俯く原真砂子さんの、上等な和風に触れる寸前、絹地の着物に触れて良いものか思案げにして、結局必要と判断したのか、汚れを勘弁して貰う形で華奢な肩を叩いた。黒い双眸が同様の景色を映す碧眼を見返し、涙を零し乍ら「居ませんわ。そうでしょう?」と言った。
「落ち着いて。大丈夫よ。私だって生まれてから沢山幽霊を見て来たけれど、此処みたいに、明らかに異常なのに見えない、なんて初めてだもの。欠片も見えやしないわ。初めての体験に貴女の心は動揺しているだけ。居ないのに異常現象が頻発して、皆が居ると疑う、貴女も心の何処かで可笑しいと思っても見聞きして来た経験上、見えないのに嘘は吐けない。皆の疑心暗鬼に、貴女自身も戸惑って、自信を失ってしまう気持は解る、でも待って、心を落ち着けて、でなと本当に見える物も見落として仕舞う」
原真砂子さんは何度も何度も頷いて、松崎綾子さんの言で一時解散となった。
私は帰宅の途次、辛夷並樹を歩き乍ら、御免なさい、と発言を信じ切れぬ自身を告白した。ミイネさんは破顔一笑、私の頭を、親戚の小父さん宜しく撫で回す山田さんの様に撫ぜて、言った。
「気にしないで。歩の前で、如何にも霊能者って言う物言いはした事が無かったでしょう。無理ないわ。私も、自分の事だけれど、何て頼りない、て思うもの」
「でも、正直、ハオに言われたら鵜呑みにしそうなんです」
「だって、それは、歩がハオの力を間近で見た期間が長くて、その期間で見聞きしたハオの力が絶対的だったからでしょう。私もね、悔しいけれど、直ぐ全貌を掴むんだろうな、と思ってしまう。何せ、陰陽師だもの」
「駄目なんです。ハオは、沢山の事を考えねばなりません。私は、自分が情けない。彼は千年前、たった一人で頑張った。麻衣も、今、一人で頑張っている。だのに私は沢山の人に助けられて、漸く生きています。情けなくて、涙も出ない」
「そうか知ら」
「何処かで、麻衣を見下しているのか知ら。私が死ねば、オパチョが家族として悲しんでくれるでしょう。麻衣の死は、皆友人として悲しむでしょう。其処で私は彼女を見下している気がしてならない」
「それは、酷い罪悪感ね。確かに、あの子供は貴女の死を嘆くわね」
「情けない。馬鹿馬鹿しい。何故、私は島を出る時に死んで仕舞わなかったのか知ら」
白磁の手が私の黒髪を掻き回す。山田さんが、カメラの手入れの為に背中を向ける所が思い出された。