土曜日の朝暾が肌寒い空気の充満する青空に昇り、窓掛の間隙を縫って白い光線が数条、畳の目を照らし、枕頭に置く時計の長針が鈴を鳴らす時刻を示すと、覚醒を催促する鈴の鳴る前に目覚めて時計を直す。簡単な食事に身嗜みを整え、辛夷並樹の傍を歩き、今日は日曜日前の短縮授業なので徒歩移動を選び、黒髪黒目が雑踏する中を金髪碧眼の麗人と共に某高等学校目指して歩を進める。電車を乗り継ぎ、学校の最寄り駅で降りて、道中浮遊霊の様子を尋ねたり、某慈善団体の動向を尋ねたり、基本談笑し乍ら行き、混凝土校舎の見える秋錦並樹を半ば行く時、小会議室の幽霊の話をした。事務所関係の霊能者では心許無いが、信頼するに足る筈の霊能者の意見は、不穏な気配は感じたが幽霊の姿を目撃した訳ではなし、彼らが虚言を弄する必要も無いが霊媒師の感覚に無い事を鑑みると、気配を消す事に長けた幽霊、精霊等ではないか。只、幽霊等が頻繁に通った様な気配はあるらしく、一概に幽霊は居ないと断言する訳にもいかないそうだ。逃げ足が速い幽霊らしい。敵は何処にあるか、丸で判然しない。
裏口の賓客用玄関で持参した上履きに履き替え、履き替える途中に霊能者達が来て、不貞腐れた様子の原真砂子さんは玄関の簀子の隙間に指を挟んで捻挫挫傷の危機に陥った直後の、少々間抜けな金髪の麗人を認め、外履きを下駄箱に仕舞う所を駆け寄って挨拶した。霊視能力を持つ仲間意識か、普段の突慳貪な態度を拭い去り、暖色の和服の袖で笑顔を隠す。昨日の擁護が功を奏し、麗人への態度が改まった様に思われる。霊視に依る情報の精確性は、能力を有する者の業績と当人への信頼度、所詮人間関係の強度が肝要で、信の置けぬ者の言葉を信ずる馬鹿者はいない。上司は弱味を握る彼女に苦手意識を持っているが、業績を疑う程の険悪な関係ではないらしく、現に調査現場へ協力を要請し、彼女の好意に依って出張してくれる訳だが、出張を要請した立場を顧みず、霊視結果に不信感を抱くから、霊視結果を伝える事も億劫な気持は解る。接点の解らぬ金髪の麗人が霊視能力者として地下倉庫で邂逅した時の心境は筆舌に尽くし難い事は、想像に難くない。裏を返せば、霊視能力者の麗人だけが霊視能力を有する彼女の意見を理解する事が出来る。昨日の夕暮れ時の小会議室の件は衝撃だったろうと思われる。
態度の豹変振りに松崎綾子さん達が呆れ、金髪の麗人事ミイネさんは破顔一笑して挨拶を返し、賓客用玄関の簀子に立って、暫し歓談に興じ、腕時計で時間の経過を見たら二十数分も立ち話していた。皆小会議室へ急ぎ、扉を開けると、先着して資料整理や事件の原因解明に懊悩していた上司達が振り向き、事件の概略が判明したと言った。無論驚く霊能者達、非霊能者の上、素人調査員であり又雑用係私は、事件の概要の前に、呪詛の講釈を始める上司を見詰める。避暑地の幽霊屋敷で聞いた話だと、尋常ならざる自動発火を起こす糞爺や、私の生活支援を行う某慈善団体の上層部の人達と議論を交わし、是非霊能力を見て研究したいと言った。私は戦場や霊能者の死闘の前に焼き殺される連中の一人だ、と面罵し、罵詈雑言を浴びせた罪悪感に苛まれる事こそ無いが、某慈善団体幹部を霊視能力者として呼ぶ事は、まさか自動発火等の現象を研究する足掛かりにしないか、不安でならない。
呪詛厭魅の講釈を終え、呪いの藁人形の意味を知った私達は、霊視結果に幽霊が居ないと言い続けた事由を理解し、幽霊や精霊や神様が呪詛の対象者へ向かう前、留守の状態で相談者達と邂逅した為、霊視して幽霊を見ようが、留守状態で霊視出来る訳がない。原真砂子さんが小会議室の幽霊の気配を感知出来ないのは、其処は星の王様目指して死闘を繰り広げ、非霊能者には理解不能な死生観を持つ霊能者達と比較すると、矢張り能力自体が劣るのだろう。場の雰囲気に呑まれ変質した浮遊霊、と私は解釈したが、浮遊霊は浮遊霊でも、厭魅に使われ対象者を虐める浮遊霊であった可能性が高い。変質者の様な浮遊霊が居た事も事実だが、厭魅に加担する幽霊も居たに違いない。上司厳命の下、私達は偶人と言う、避暑地の幽霊屋敷で見た様な木片を探す事になり、校庭の四隅を鑿空し体育館の屋根裏を溝鼠の如く這い回り、床下を匍匐前進して、貧相な恰好を一層貧相に見せ乍ら探す羽目になった。
小会議室に先着した組が陸上部部室へ駆け込み、私達は破戒僧達と一緒に体育館裏の駐車場を探し、隈無く探したが呪具らしき不審物は見当たらず、次に体育館の側溝の蓋の穴を覗き、懐中電灯で照らし乍ら探すも無く、第一蓋を動かす事が重労働で、動かした形跡も無い暗渠周辺の捜索は途中で打ち切り、体育館の床下を探る事にした。最初体育館の床下捜索は私が名乗り出たが、化粧も装飾品の類も高級感漂う松崎綾子さんが男衆の仕事と断じ、渋々破戒僧が先頭を行って、懐中電灯の貧しい電灯を頼りに暗闇を捜索した。体育館の壁際で男衆の帰還を待つ時間を惜しみ、私達は建物周辺の捜索を再開し、草叢の根を掻き分け下陰に棲む昆虫や小動物の寧静を脅かしつつ、目を皿にして不審物を探す。背丈の低い躑躅の花壇や種類の解らぬ樹木の幹を登る蟻に悲鳴を上げ、蜘蛛の巣の張る場所は恐怖の余り近寄れず、譬え留守の巣でも比隣の巣が邪魔で頭を低くして通る事が出来ない。蜘蛛の恐怖を熟知し引き際を心得ている私は、薄暗い樹木の傍や花壇を跨ぐ真似はしない、着物の裾に忍び寄る脅威は、気付く迄に何処まで私の皮膚に近寄るか知れない。
私が植物や薄暗い場所を好む脅威と汗の滲む駆引きに苦心惨憺する間に、陸上部部室を捜索した組から麻衣が偶人発見の報を齎し、今度の事件が呪詛厭魅の為に勃発したと皆に教える。陰鬱な場所に棲む連中と格闘する私は駆け付けた麻衣に気付かず、必死の私を横目に、ミイネさんも体育館の壁際に集まる霊能者達の会話を聞き、上司が陰陽師でなく助手が陰陽師である、と言う認識の錯誤の訂正を小耳に挟んで首を傾げた。後で陰陽師と勘違いされた理由を思い出し、又助手の出身地で術師を陰陽師と言うか別の呼び名があるか、後日図書館で調べたそうだ。当時は霊能者達と素人調査員の認識の錯誤が疑問で、余程尋ねようか考え、直感的に自力で調べる事を選び、口を噤んで、役立たずだの、違うだの、役立たずの私の硝子細工より繊細な心を木っ端微塵に砕く様な会話をする一同を見守った。麻衣がブラウンさんを伴って他の場所の捜索へ行く際、花壇の躑躅の下陰に潜む野良猫の毛繕い模様に見入る私に、陸上部部室の旨を伝え、漸く麻衣が居る事に気付いた私は片手を振って応じた。
体育館裏の駐車場や床下に厭魅の道具は無くて、私達は裏庭を探し回り、腕時計で時刻を確認して、薄暮五時半過ぎ、日没間近の東側の地平線が暮れた時間に裏庭の蓋の無い側溝に私が足を突っ込み、転倒の際に肘頭を強か打った。電流が全身を駆け巡る様な不快感に悶え、傍で絹地の和風の袖を気遣い乍ら草叢を覗いていた原真砂子さんが、骨が混凝土製の側溝の縁を打つ鈍い音に驚き、悶える私を見て憐れみ優しい言葉を掛けて下さった。本当に酷い痛みだった。足の激痛が吹き飛ぶ程の激痛が肘を襲い、肘頭から前腕上腕、蟀谷から後頭部へ伝播する疼痛に呻き、異変を察知した麗人が草叢を飛び出し、呻く理由を尋ね、事情を知ると失笑した。金糸が暗い斜陽を弾いて爛然と輝くので、眩しくて目を細めた。
遠く裏庭から校舎を回って校庭へ出る方角から松崎綾子さんの私達を呼ぶ声が聞こえ、麗人の肩に掴まり、漸く校庭側の景色を見晴るかす場所に出て、厭魅の道具が大量に発見された事を聞いた。偶人の発見場所へ急ぎ、一度小会議室へ纏めて運び、数を数えて実に数十個の呪物に驚愕した。破戒僧が物凄い執念、女の仕業に違いない、と言うので、内心私も同意した。
呪物の処理法を議論する途中、突然上司が倒れる。頭部を打つ様な音はせず、咄嗟に腕で頭部を庇ったのか、重い音はしたが頭部等の中身が詰まった物が硬い床と衝突する様な音はしなかった。
救急車が呼ばれ、助手が付き添い病院へ搬送され、暫く連絡を待つか偶人の処分が先か、合議の結果は偶人の処分を先にして、事務所に破戒僧が不寝番をして連絡を待ち、翌朝私達が事務所へ連絡事項を聞きに行く、と言う事になった。果たして翌日早朝、上司の容態を聞く事は叶わず、一部屋置いた隣室に住む隣人に聞いた話では、彼女の携帯電話にだけ電話で一報があり、上司の容態を聞いた。詳細な事情の説明は私が断り、簡単に上司の具合を聞くと、回復傾向にあり無事、との事だった。
事務所に到着して数分後、不寝番の破戒僧と寝不足気味の麻衣と私達が長椅子に腰掛けて愚図愚図している時、残る霊能者達が駆け付けたが携帯電話での一報を伝える訳にもいかず、同日昼過ぎに助手が事務所へ顔を見せる迄黙って居た。当の助手は事務所へ来るなり、心配のし過ぎで寝不足気味の一同に入院先の部屋へ来る様に言って、某高等学校から最寄りの総合病院の名札の無い、面会謝絶の札の懸かった一室に案内された。其処の寝台に黒服でなく入院着を着た上司が上体を起こしていて、学校の教職員が出欠確認に使う名簿の様な物を膝に置き、遅れて病室に登場した高橋さんと笠井さん、二十代後半から三十代半ば位の雰囲気の良く解らない女性が調査員と霊能者に一揖して、壁際の椅子に座った。私は女性と生面なので、隣の麻衣に尋ねると、麻衣は生物部顧問の産土先生と即答した。
上司の二、三の質問の後、名簿を閉じると上司は本日中の撤収を宣言した。
事件の概略次第を綴ると、産土先生は所謂ゲラリーニと言う奴で、過去スプーン曲げの流行した当時、取材班の目前で披露する事になって、取材の時点で不調に陥っていた彼女はゲラリーニ仲間からトリックでスプーンを曲げる方法を教えて貰い、その時だけ実践した。運悪くトリックの瞬間を連続写真で撮られ、ゴシップ雑誌の何面にもその話題が掲載されて地元に住む事も就職する事も出来ず、地元を離れる憂き目に会った。過去発売された雑誌、残った記事を抹消する事は出来ない。記事の内容は彼女に付き纏い、露見すると酷い罵倒を浴びせられ、本当はスプーンを曲げたのに、周囲の悪口雑言の所為で自分自身も能力に疑心暗鬼になって、能力は衰退し、しかし曲げた自負が彼女を苦しめる。到頭呪詛の厭魅を行う事で憂さ晴らしを始めるが、全く上手くならない、一寸思い知らせるつもりだった、と彼女は言う。
結局、校長の伝で優秀なカウンセラーをつけられ、彼女は心身のケアの為に休職する事になった。
* * *
常の如く清灑な内装の喫茶店の手洗の薄明かりが漏れる廊下付近の席、遮蔽物の磨り硝子越しに輪郭の朦朧とした店員の影を見乍ら、卓上に並ぶ喫茶店の献立、秋寒の最中を歩き詰めに歩き、四肢の末端の凍えた私を気の毒がったミイネさんの温情でフォンダンショコラを注文した。白磁の皿に兀立する焦げ茶色の物体から昇る湯気を見て、驕奢な洋菓子を突き、頂上を破ると茶色の液体が覗く。羊羹や蜜蝋菓子も美味いが、最近こう言う洋菓子も美味い事を、松崎綾子さんの持参した週間雑誌で知り、献立表の中に目敏く発見した私は、一切の躊躇無く生暖かい洋菓子を選んだ。同じ週間雑誌を覗き見て、洋菓子の特集記事を読んだ親友麻衣は、渋谷道玄坂に建つ高楼、喫茶店のある一階隅の階段を登った二階広間の袖廊下の最奥にある事務所の中で、多分又お疲れ様会でも開催していると思われる。
事後報告に頭痛を覚え、蟀谷を揉み解す仕草が見慣れた生活支援者兼保護者は魔法使いの帽子の飾り羽の純白の繊々たる塵芥を黒色の上着の袖に着けつつ、保護者兼随身として仕事場に同道した同僚─年功序列なら立場上は部下─を横目に睨む。金髪の麗人は泰然として、温い紅茶を啜り、事後報告を続けて事件の顛末を語り終えると、急に顔を引き締めて事件の解説後の一騒動も話し、超能力や霊能力の理解が得られぬ許りに呪詛厭魅と言う暴挙に出た女性のケアの法について語った。呪詛厭魅は偶人破棄に依って頓挫したが、今度の事件は、決して他人事でない。糞爺の千年間の復讐心が人類への呪詛の様、と思った事は強ち間違いでなく、復讐心を解かれる事、それが即ち呪詛を破棄した事と同義であり、世間様の対応次第で幾らでも再燃する、危うい復讐心だ。私は末っ子の存在が抑止に繋がると信じるが、結局世間様の対応次第、と言う肝心な所は変わらない。
今度の某慈善団体の会議の懸案事項に、霊能者同様、社会の基盤の脆い超能力者達の事も含め、再度検討せねばならない、事は急を要すると熱弁し、生活支援者兼保護者も之に首肯した。後刻携帯電話で会議の日時を連絡する事になり、麗人への連絡事項を全て熟した保護者の黒目は、頭痛の種の非霊能者へ向き、曰く大変面白く貴重な体験をして、霊能者への理解を深めるに必要な経験だったか、と問うて来た。手洗に続く廊下の薄明かりが立派な顎鬚と顎の刺青の十字架を際立たせ、表の薄曇りの世間の憂色が、屋内へ侵入した様な索漠たる建物の空気に影響され、私は保護者の言葉に答える勇気を失くした。聞けば親友麻衣の直感が非常に役立ち、大活躍の儘事件は解決した。只其処に居るだけの私は、邪魔以外の何物でもないが、親友の誘引を受けて始めた賃仕事、解雇を願い出る気持は無い。
私が緘黙を貫くと、保護者は麻衣の誘い故に目を瞑る、と言って呉々も無茶の無い様にと繰り返し注意して、仏蘭西土産と英国土産を頂いた。序でに羅馬字表記のメールの件を話すと、漢字の書き取りが難しく、間違えて読み難くなる位なら羅馬字の方が良いと考えたらしく、羅馬字より平仮名片仮名の羅列の方が良い事を言って、私達霊能者と非霊能者の一行は席を立った。
麗人は保護者と共に一度家電量販店へ行くそうで、何故家電量販店が仏蘭西や英国から来日した霊能者に人気なのか、甚だ理解出来ないが、穹窿形の屋根の張り出す庇の外まで見送り、黒髪黒目に色彩豊かな着物を着込む人間達で熱鬧する道路の向うに魔法使いの帽子と金髪が霞む頃、踵を返して高楼二階広間の袖廊下を駆けて、奥の事務所の扉を潜った。衝立の向う側の応接間で人声がして、詐欺が如何の、と騒ぐ一同に思案投げ首、衝立の陰から応接間を盗み見て、長椅子の狭間に設置した脚の短い卓子の上に妙な機械に目を瞬がす。銘々銀色の匙を手に取り、細い首の曲がった、用途不明の匙を振り振り、上司が二度とやらない云々と、珍しく応接間に顔を出す助手に釈明している。何事か、別段関わる必要は無い筈で、素知らぬ顔で衝立の陰を出て仏蘭西と英国土産の紙袋をぶら下げて麻衣の鼻先に押し付けた。
後で聞いた話だ。卓上の機械は、妙な直感を働かした麻衣を怪訝に思った上司が、潜在的超能力の有無を簡易的に調べる為に用意した物で、結果は潜在的超能力者、ESPと言う奴らしい。私は基本鈍感なので、簡易検査をする迄もなく、優秀な人材の揃う事務所で只一人、此処でも徒人一人で世間一般の認識では詐欺師扱いされる人達を見るのか、と無力無能無知の三拍子揃った私は内心項垂れた。