お前退くまで私消えるまで、共に忘れ得る日まで。   作:赤茄子

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第十八話:苦痛の先と寸劇の展開をまだ知らない…

「谷山さんの言う通りです。此処では霊達が共食いをしています。坂内さんが、たった今吸収されました」

 夜、終業の鐘が鳴り響き、黒犬騒動の直後に急遽集団下校となって校内に人影が無い時に、玄人調査員と霊能者達は夜警に繰り出し、上司は安原修さんの調査結果を審験して序でに資料整理の終わった麻衣に記録媒体の交換を命じて、自分も真夜中の学校へ繰り出した。私は情報中継と待機を命じられ、生徒会室の棚裏の机の前で愚図愚図除け者扱いを悩み、又昼間の麻衣と原真砂子さんの幽霊達の共食いの事、学校の敷地が緑陵遺跡と言う墓域である事を考え、死穢等を封ずる遺構の効力が継続され幽霊達を敷地内に留めている、そんな結論に非霊能者の私は首を捻る。避暑地の幽霊屋敷で結節点とか、幽霊が現世に残るに必要な絶対条件を知ったが、緑陵高校の幽霊は、除霊の都度場所を移動し其処で同様の怪異を起こす。敷地その物に取り憑いた幽霊だから、敷地内で除霊を試みても、効果は今一つらしい。除霊は人間で言う殺人行為に等しいらしいが、悪霊怨霊死霊の澌尽灰滅を達成する為には、完膚無き迄に幽霊達を滅ぼす力が必要だ。生憎敷地に蔓延る幽霊達を祓う力量を持つ者は、調査班や霊能班には居ない。

 某慈善団体の上層部の人達を招請し、除霊を頼む他無い。総帥の霊能力があれば、敷地の一部が更地と化す可能性も極僅かにあるが、火力を調整し幽霊達の撃滅を頼めば、万事解決する気がしたが、肝心の上層部の霊能者達は紛争地帯の難民救助に出動中の為、今日明日中に緑陵高校に来る事は出来ない。飛行機の運航状況も天候次第、天使隊の天使に乗って海原を越える事は、糞爺の飛行機で異国の大地から日本列島は神奈川県と東京都の県境に無事着陸した、他の霊能者の実績を踏まえ、決して不可能では無い事を私は知っている。規格外の糞爺故に実現出来た事でも、某慈善団体の総帥なら再現が可能かも知れない。除霊を他力本願にしてはならないが、無力無能を承知した上で濫吹するつもりは無いが、事態が一層深刻な緑陵高校の場合は特例と言う奴に思われ、最早居合わせた霊能者達では対処の仕様が無いのではないかと思われる。実際、破戒僧達は、力技で斃す事の難しさに、尻込みしている様に見えた。

 暖房装置の稼動音が生徒会室の静謐を掻き回し、温風が金属製の窓枠を暖め、軽度の変形の過程で、金属類の家鳴りの様な悲鳴が耳を劈き、不意の金属の悲鳴に耳の奥底に疼痛を覚え、疼痛は縹渺としていつ迄も薄ら残り側頭部が脈打つ。薬缶の湯気は内側に燻り、筒から湯気を吐き出す瞬間を、見詰めて待ち続けるも、蓋を閉じた薬缶は湯気を内包した儘、古風な金属製の胴体に飼い、机の長い一辺の端に着席する私は、机を挟んだ向う側の壁際の薬缶を凝視し、胴体が膨れ上がる錯覚に目を瞬いた。天井の隅を凝視すれば、段々靄の様な暗幕が縁から視野を侵略し、中央部の一点も黒い染みが広がる。琺瑯の器に注いだ番茶の湯気で顎を蒸し、結露した金属製の窓枠を伝う水滴の、窓枠の溝の沈殿物に融和する音を聞く気持で耳を澄まし、暖房装置の稼動音が五月蠅い程大きく聞こえ、生徒会室周辺が森閑とする。据置き時計の秒針の音が鋭く聞こえた。

 記録媒体の交換に随分時間の掛かる麻衣に、缶箱の蓋を開け、薄荷飴を舐め乍ら、空腹感を満たす事で孤独感を糊塗する私は、親友の帰還を待ち望み、他の調査員や霊能者の帰還も少し期待して、無闇に時間が過ぎる異様な雰囲気に身震いした。紙屑の塔を引き側み、最上階の一枚、階下の数枚の怪談話を矯めつ眇めつ眺め、順番に塔に戻し、中途半端な欠片の薄荷飴を齧り、破片を噛んで飲み込む。喫茶店等で無償に提供される飲料水の氷を齧る要領で飴玉を砕き、奥歯の溝に詰まる飴の破片は唾液で誤魔化し、番茶を啜って清涼な口中を洗う。夜食兼間食を仕舞う缶箱を漁り、醤油煎餅を一口大に割って、袋を開けて破片を摘み、一個齧ると胃袋が満杯な事に気付く。中学時代、麻衣も下宿先の菓子類を摘む癖を直すのに苦労したと言う。暴飲暴食は不安の表れ、嫌な事だと菓子類を仕舞う箱の蓋を閉め、頻りに番茶を飲み、薬缶の熱湯を急須に注ぎ何度も淹れ直し、未曾有の心霊現象に見舞われる敷地に一人茶を啜って待機する。器の縁に前歯が鳴り、静寂に響く想像以上の物音に吃驚した私は、器を引っ繰り返し、濁った渋色の液体で身辺を汚し、薬缶脇の布巾で水気を拭き取る。金属製の窓枠の悲鳴が連続して人様の背後で爆発し、異質な金属類の悲鳴の音源を見遣り、暗幕を引いた様な真っ暗闇の硝子窓と向き合い、不気味な黒色に目線を逸らす。

 前髪の間隙に紙屑の塔と茶色の布巾を見て、邪魔な前髪を蟀谷辺り迄避け、椅子の榻背に凭れ掛かる体勢の儘、猿臂を伸ばして指先が一寸も掠らぬ距離に置く紙屑の輪郭を睨み、朦朧とした輪郭に瞼を擦り乍ら両の目頭を揉み解す様に摘む。栄養状態より遺伝を考慮した方が食生活の弁解にもなって一石二鳥、視力低下を諦められ、食事事情を生活支援者兼保護者に剔抉されず、仕事帰りに眼鏡を購入する事が出来る。眼鏡の蔓が当たる予定の耳の裏を触り、蟀谷の下、頬骨の上、目縁を摩る様に辿って瞼を擦る。睡魔が肩凝りを軽減させ、首が前方へ垂れ、前傾姿勢の儘数分、或いは数十秒間、意識を彼方へ飛ばして自制の利かぬ首筋が反射的に頭部を垂直に直し、脊椎動物の脊髄反射の偉大さを実感した。顔の前面を覆う前髪を分け、長い先端を後ろ髪と纏めて背中へ流し、髪留めや髪紐で纏める訳でないから、自由な頭髪の先端は顔の輪郭を縁取る様に脇に垂れて、最も長い前髪の両端が糞爺の鬱陶しい前髪を真似て顎の先をくすぐる。輪護謨で括る事を思い付き、輪護謨の箱を探すが、確か棚裏の窓際の漢字辞典の傍で見掛けたのに、今窓際の其処程を探しても見当たらない。早々に諦め、邪魔な前髪は我慢する。

 数年前は髪留めで纏める事も難儀な程長い髪をしていたが、糞爺達との別離を契機に散髪し、腰を越す頭髪を肩口より上まで切り、視界に被さる前髪も大分短く切り、後は適当な時期に自身で散髪して、時折失敗して前髪の酷い先端に、鏡面を睨んで閉口した。糞爺自慢の黒髪の散髪後の様子を見た記憶は無く、私の頭髪も散髪の機会に恵まれず、整髪料の利いた髪型の人達を見て、散髪の手間を省く為に整髪料塗れにして髪型を整えるのかと考え、無論根拠は無いし事実を確認した事も無い、妄想の範疇の私見を胸に秘め、糞爺の黒髪を観察した日々に思いを馳せる。腐敗臭漂う羊のママの散髪は、腹部の毛に絡む稲の様な植物や塵埃を除くに簡捷な手段で、毛刈り後の機嫌は余り宜しくないが、薄桃色の地肌を見られる散髪の時間を、私と末っ子は内心楽しみにした。

 私は皮膚の感覚を研ぎ澄まし、鈍感を自認する感覚で敷地内の異常事態を探る。勿論非霊能者の自身に不思議な物事を捉える能力は無く、気持で調査活動に勤しみ、暖房装置の稼動音に、故障でない規則的な音を見付け、間拍子を踏む感覚で音を追跡し、耳鳴り等の雑音が一層高くなる。精密機械の類は会議室に設置した儘、三階生徒会室に移動する事無く、温暖な部屋で起動音を聞き、機械の熱に蒸される拷問を回避出来た事実を喜ぶと同時に、冬場に機械の熱で暖を取るなぞ破天荒な暖房を考える者は居まい。生憎此処に居たが、精密機械の熱が暖房装置の役割を代わる事が出来る出来ないを愚考し、無意味な思考に余程暇な事を自覚する。暖気が皮膚に浸透し、薄ら寒い部屋の棚裏で一人蹲る私の、冷めた皮膚を温め、着物の裏地に薄ら汗が滲み、夏物を一番下に着るので速乾性の生地が非常に役に立つ。防寒衣は無いが、重ね着した夏物を脱ぎ、畳んで空席に置き、精密機械の起動音に似た暖房装置の静かな稼動音に耳を委ね、耳は低く静かな機械の音を奥底から目の裏側に響かせる。

 蛍光管の無作為な落下の怪談話を聞いた時は、ひやりとしたが、生徒会室の電灯も繁く鳴き、随分古い電球や蛍光管を使う学校の不用心さに呆れ、備品の残量確認は用務員が行うが、使用期限の様な物を学校側も確認しないのかと思う。今住む部屋の電灯も同じく、連続使用時間が長引くと電灯は、ぱきっ、と割れる様な異音を響かせ、では実際損傷箇所の確認を行うと何処も異常無く、長時間の使用の為に電灯が疲労した泣き言の様な物、と私は過去両親に言われた。爾来昼間は部屋の電気を消し、薄暮の迫る部屋では我慢し、表に夜の帳が下り切る頃に漸く電気を点ける。光熱費の問題が素寒貧の懐を脅かし、費用の問題を考慮した結果、経費節減を徹底する学校側の事情も他人事ではない、ないが人様の家庭の子供を預かる学校側の態度が経費節減に恥ずかしげも無く嘯く所は見直す可きと私は愚考する。体裁と言う言葉がある。世間体は受験生を募る学校側には死活問題だが、其処は後の、緑陵高校を志望校とする受験生達の為に、経費等を惜しむ時ではないとも思われる。

 と、何と言おうが、所詮一介の生徒一人の意見に過ぎない。

 不意に総毛立つ轟音が敷地内に轟き、私は地震の様な震動に一瞬身動きを忘れ、建物の一角が震源地と思しき地震にすっかり萎縮し、数拍置いた凄絶な余震に椅子を蹴倒し、震える金属製の窓枠と薬缶の蓋を見詰めて息を殺した。轟音は余韻も無く直ぐ消え、余震の後の余震も無い、一切震動を感じぬ足場を踏み締め、私は全身の毛穴が開く様な、耳の穴が広がる様な感覚に息を詰めて棚の裏側の金属の真っ平らな表面を凝視する。実家の愛猫達は地震の度に風呂場の隙間に逃げ込み、或いは畳敷きの部屋の床の間の隅に臀部を押し付け、前脚に体重を載せた儘微動もしない。軈て直ぐ来る余震の心配が無くなり、と言う事は可成り時間が経過した訳で、風呂場の隙間を泥棒の足取りで這い出し、床の間の隅から臀部を離し、掛軸の下端や花瓶を器用に避け乍ら茶の間や二階自室で寛ぐ人間達の許へ、安全確認に遣って来る。今の私も愛猫達を真似て、泥棒の足取りで棚裏の窓際の机の縁を掴み、据置き時計で時刻を見たり、自身の馬鹿面が映る許りの硝子窓の向う側を覗こうとしたり、普段から冷静沈着な所は皆無だが、地震と言う知識の中でも最悪死亡事故に繋がる現象の最中、一人薄ら寒い思いで静寂に突っ立っている。

 恐怖の余り目の奥が熱くなる。そうして、漸く生徒会室の扉が開き、息を弾ませた破戒僧が棚裏を覗き込んで、涙顔の私を認めるなり言った。「済まん、すっかり忘れてた」

 もう良いから、一人は寂しい。

 睦月下旬の暦は初春、体感温度を鑑みると季節は真冬らしく、暖房装置の稼動音が棚裏の部屋に独り置いてけ堀を食らう小娘の憂鬱を色濃く表し、菓子類を仕舞う缶箱の蓋の縁を撫ぜ乍ら、昨晩の保健室の椿事を聞かされた宿直室での調査員霊能者会議の議題を思い返す。一人生徒会室で待機して居た頃、記録媒体の交換中に心霊現象に襲われ保健室へ運ばれ、其処で又幽霊に襲われた麻衣達の話を聞いて、建物の一部を破壊する程の凶暴性を持つ幽霊に、私は待機を命ぜられ、安全圏に居た事を恥じた。幽霊の襲撃を受けて保健室の床と天井が抜け、地震と間違う様な轟音に涙顔で誰か来る事を待った私は、破戒僧に付き添われ、宿直室で一夜を明かし、更に其処で幽霊の襲撃の話を聞き、後で教職員が駆け付け、緊急職員会議が開かれ議論した所、私達調査団は御引き取り下さいと言われた。当然建物の損壊は、私達の所為ではないが、教職員の一部は霊能者達の仕業と思い、損害賠償を請求する様な事を言い出したらしい。

 宿直室に起きた被害者麻衣も職員会議の結論を聞き、大いに憤慨して、幽霊達が共食いを続けた結果、最後に最強の幽霊が残ると何が起こる、と素朴な疑問を零した時、博識な事務所所長は何事か想到し、この緑陵高校で起こる幽霊騒動を呪詛蠱毒と判断した。地勢の為に偶発した蠱毒か、意図的に呪詛として誰かが実行した蠱毒か、故意か偶然か判然しないが、呪詛蠱毒の可能性を上司が教職員に説明しに行く間、残った私達の現状整理の時間に又一つ解った。緑陵高校で流行する狐狗狸さん、一見風変りな普通の降霊術だが、不思議な響の呪文を唱え、鬼と言う漢字で丸く周囲を囲む用紙に助手が反応を示し、今、その使用済み用紙の遺棄場所へ向かっている。要するに、私は除け者扱いに愚図愚図悩む小娘だ。某慈善団体の恩恵に浴し、借着より洗い着の生活を営む麻衣を羨望しつつ、矢張り動機は麻衣で、彼女誘いで始めた賃仕事も、某慈善団体の影響力の御蔭で続ける事が出来て、優秀な人材の揃う事務所に一人だけ無力無能の儘居座っている。

 何故私一人が今も待機かと言うに、助手曰く、呪詛蠱毒が原因の今度の幽霊騒動の調査続行を嘆願しに校長室へ行った上司が戻った時、自分達の不在の理由を説明して置いてくれ、と言うのだ。棚裏の茫漠たる部屋は機械の稼動音が繁く響き、机の端で頬杖を突く私の第六感は鈍く、糞爺のお墨付きを貰う程の頓馬な奴で、資料の精査も、整理の必要も無い手持ち無沙汰の状態で鈍感な聴覚を働かし、棚裏に反響する機械の音を聞く。校庭側の窓の外は濃い暮色が垂れ込め、少し日没迄の時間が伸びた様な気のする薄雲の間道を眺め遣り、橙色の落日に、真紅の薄雲の腹に、赤紫の夕空が校庭側の窓際を彩るので、目先が賑やか過ぎて少し煩い。日晡は憂愁と郷愁を煽る。実家の畳敷きの自室の出窓の戸障子を開け、時折出窓の外側の戸袋の穴に鼻面を突っ込む愛猫を屋内に放り投げ、御飯を強請る愛猫達の合唱を背に聞き乍ら、前庭の雑木林や門の外の道路を眺めた。異世界の記憶を手繰ると、必ず異国の大地の荒野が思い出され、休憩場所に避難して末っ子や羊のママと遅く迄遊んだ頃が懐かしい。

 末っ子の金環の有無が及ぼす影響に懊悩した過去も懐かしい。今現に私は前世の記憶を手繰り寄せ、又は掘り返し、幽霊狩りの原作の顛末を思い出そうと苦心惨憺している。東京近海の孤島で千年の悲願の成就を目指し、輪廻転生を繰り返し、世界中の憎悪を掻き集める様な真似をした糞爺の千年計画を、糞爺が人類に向けた呪詛と評し、見飽きる程の堕ちた地獄を語り、計画頓挫を危惧する許りの人間臭い顔が瞼の裏に蘇る。私は糞爺の呪詛悲願を、前世の記憶にある別物の物語の登場人物が語る言葉に置き換え、そうして現実に、置き換える前の言葉を放った当人と一緒に仕事現場に居る。

 ──呪詛と言うものは、最初からやらないか、最後までやって仕舞うか、どちらかしかありません。引き返す事は出来ないのです。

 私は頭を抱える。長時間頬杖を突いた箇所が湿り、手掌を離した皮膚が温風に煽られ乾いて行く。前髪を巻き込む指に、後ろ髪も絡まって後頭部の皮膚が引っ張られ、鬱陶しい違和感に頭部を掻き毟る。

 其処へ上司を連れた一行が遣って来て、矢張り呪詛蠱毒は、故意に行われた呪詛と判明し、では蠱毒完成後に呪殺される対象者は誰か。助手は言った。「マツヤマ・ヒデハル氏です」

 何となく、私はハオの愛想笑いを湛えた顔を思い出し、撤収準備に勤しむ私達を鼻で笑う為に遣って来た、松山秀晴の阿呆面を振り返った。その顔を見た時、ハオに拾われた大分初めの頃、誘拐されて、皆が嬰児の救助に駆け付けた時の、怒気を放つ暗い黒目に睨まれた様に思った。

 

 * * *

 

 麻衣達が大学合格の報告を終えた安原修さんを駅まで見送ると言うので、私は事務所に残り、応接間で資料を読み耽る上司を責めた。

「鬱陶しいだって? この世には、親しき仲にも礼儀有りと言う言葉がある。本当の友達だったら、なんて、親しければ親しい程、気まずい事がある」

「だから、其処は認めよう、悪かった」

「麻衣に嫌われ、麻衣に言えない、罪悪感がある。偶人を作るのに、私は必要無い。だのに、連れて行くなんて、酷い話じゃないか」

「お前は口を滑らせるだろう。原さんより危険だ」

「結果的に上手く行った。呪詛返しは成った。万事解決、学校側には坂内君の祟り、ねえ、なら私と麻衣の関係はどうなる。どうするんだい。酷いじゃないか」

「……歩は守秘義務を守っただけ。今度の場合は、黙っていた僕に非があるんだろう。麻衣は謝罪したろう」

「麻衣の顔だよ、あの顔を思い出して御覧。可哀想だ。私に暴言を放った事を謝罪し、私は傷付いた事を赦し、それで解決かい。違うだろう。傷付いた事実が消えない、少なくとも、傷付けた事実が麻衣を苦しめる。おい、本当に、どうしてくれるんだい」

「時間が解決する」

「時間での解決は時効の事か。違うよ、時効は放置、解決の放棄だ。逃避行だよ。それは何も解決しないし、時間の経過と共に一層気まずくなるのさ」

「なら、お前から話を持ち掛ければ良い」

「麻衣の顔を思い出せよ、冷血漢。ナル、君、友達はいるのかい」

「愚問だな」

「研究一筋の君に、同志は居ても、友人らしい友人はないか」

「さあ?」

「で、どうする。麻衣の罪悪感を取り除くんだ」

「お前の悩み事でも話せば、麻衣は単純だから、直ぐ有頂天になるだろう」

「話せるものか。幾ら何でも、気違い扱いされる。ナルに話せば、君は真のマッドサイエンティストになるだろう」

「素晴らしい、是非教えて貰いたい」

「誰が教えるか、糞野郎」

 事務所に定休日と言う労働者の権利の様な日は無いに等しいが、本日事務所の喫茶店と見紛う扉に閉店を意味する看板を下げ、お客様の来訪の心配の無い応接間の長椅子に腰を掛け、卓子を挟んだ向い側に泰然として浩瀚な資料を捲る事務所所長に、先日の緑陵高校の呪詛蠱毒の呪詛返しの際に私が被った被害について抗議した。上記の通り、丸で構わぬ風の事務所所長の態度に立腹し、私は卓子に置く菓子箱の蓋を乱暴に閉め、奥の給湯室の戸棚に仕舞い、資料室の機械の前で応接間の応酬に耳を澄まして居たらしい所長助手に帰宅の旨を伝え、募る憤懣を腹の底に仕舞い込み、私は所長相手に暴言を放って事務所を後にした。一階噴水広場の玄関、穹窿形の屋根を潜って表へ出て、坂道を駆け下り、駅まで休む事無く走破し、渋谷駅から部屋の最寄り駅に下車し、構内に滑る電車の最後尾の臀部を見送り、歩廊の屋根の破れた箇所を見上げ乍ら本屋の改札を出る。

 高校側の道路を部屋の見当へ歩き、辛夷並樹の歯抜けの様に立派な大樹の無い空白の前で、樹木の向う側の児童公園の無人の遊具が、春模様の寒風に吹かれ、腐蝕具合が気になる鎖の摩擦音が公園の静寂の中に聞こえ、一種殷賑な園内に騒音を撒き散らす。鎖の音が静寂を際立たせ、凄寥たる児童公園の、児童の笑声が遠退いて久しい遊具の点検の機会も無い危険地帯に、屋内遊戯の増えた子供達の気持が解ると同時に、衰退の一途を辿る屋外遊戯の伝統を懸念する。滑り台の高台の柵に児童が指を挟み切断する事故が連続し、親が児童公園で遊ぶ事を禁じ、児童達の足が遠退き改善策も七面倒臭がった管理側が、使用の全面禁止を布令て、爾後児童の影が無くなった。と言う事情を、煎餅等を呉れる一部屋置いた隣室に住む、夏暖簾を片付け忘れた隣人から教わり、地鎮祭等も催され、心霊現象を体験出来る場所として、密かに学生達に有名だとも聞いた。無論学生達の肝試し等で、心霊現象に遭遇した、と言う話は無い。除霊済み、とミイネさんは言っていた。某慈善団体は、近隣住民の事情にも精通しているらしい。

 辛夷並樹の途切れた場所を離れ、混凝土塀の装飾か通気か判然しない穴から、裸の躑躅の枝が食み出し、穴を覗くと貧弱な幹が邪魔だが見慣れた部屋の扉と採光窓が見え、敷地の正規の出入り口から入って貧弱な躑躅の前の部屋の玄関を潜った。鍵を閉め、鎖を掛け、半畳無い三和土に靴を脱ぎ、脱衣所の隅の洗濯機から洗濯物を取り出し洗濯籠に放り、籠を携え六畳間の様な八畳間の襖を開け、大量の衣紋掛を窓辺に投げ、皺塗れの洗濯物を一枚ずつ叩いて皺を伸ばし、衣紋掛に掛けて表の物干し竿に引っ掛ける。洗濯は基本毎日、着替えの量が季節物同様、少ないので洗濯機を毎日回して毎日干して、雨模様の日は部屋干しを敢行し、雨意の無い日は晴曇関係無く外に干す。某慈善団体が厳選した部屋に、泥棒の心配をする方が信頼を失くす。洗濯物を盗られた場合、買い物が面倒臭い位で、物盗りに遭った不快感は目を瞑る。洗濯物を全部干し、硝子窓は開けた儘網戸を閉め、洗濯籠を脱衣所に戻して玄関続きの台所に入り、八畳間とを仕切る襖を開けて換気を行い、途端通気の良い部屋を早春の寒風が吹き抜け、皮膚に砂塵が擦れる感触を覚えて折角干した洗濯物を取り込む。部屋干しにして、四角い八畳間を囲む一辺の襖を皆閉める。

 調査終了後、呪詛返しの暴言を謝罪旁、遅れた誕生日の贈物と称して、麻衣が呉れた腰に巻く小型鞄を、畳みっ放しの蒲団脇に見て、就寝道具の目覚まし時計と一緒に置く違和感に思案投げ首、それでも次の調査の折に、宿泊準備に慌てて忘れ物をする位なら、この程度の違和感は我慢出来る。畳んだ蒲団に凭れ、綺麗な儘の畳の縁を撫ぜ、呪詛蠱毒の説明の時に漸く気付いた事実を考える。此処は異世界で、前世の記憶に残る娯楽漫画の物語の中で、物語の終わる迄を物語の中心人物の傍で過ごし、終幕を見届け帰還に備えたが、残念乍ら帰還叶わず東京の隅で機会を待つ羽目になった。義務教育を真面に受けていない私は、異世界の歴史の授業の不安はあるが、義務教育期間の人間らしく中学校に通い、孤児の境遇にある麻衣と知り合い、自他共に認める親友の仲になり、親友の誘引を受けて珍妙な事務所で賃仕事に励み、そうして派遣先で前世の朧な記憶に物語の骨格だけ残る様な物語の仲に、自らの意志で、否殆ど無意識で飛び込んでいた事を知った。

 頭の痛い話だ。前世の問題は既に現代に家族があるし、死の直前迄の記憶もある、死は間違いなく訪れ、意識が曖昧な内に転生を果たして現代の家族の許に誕生し、生を謳歌する所へ訳の解らぬ現象が起こり異世界に迷い込み、糞爺の無茶苦茶な死生観と言う価値観の相違に懊悩した挙句糞爺の死亡と言う衝撃的結末を知り、あんまりな未来に噎び泣いた。幸い糞爺は戻り、末っ子の将来を託し、私は現代への帰還の機縁を得る日まで、東京の片隅に息を殺す事を決め、結果は幼馴染以外の親友を得て、しかし私の理解不能な真実を話す事は出来ず、又前世の記憶にある物語の登場人物が彼女と気付き、随分縁のある話だと感心半分、諦観半分と言う具合だ。何せ千年間陰陽師をやった糞爺すら私の真実を鼻で笑う。誰が異世界の魂を信じるものか。当人も精神病の一種と鼻で笑いたい気持で一杯だ。病気と断言したいが、生憎異世界の事実は変わらず、私は又々真実の所為で悩み始めた。

 矢っ張り某慈善団体の本部にお世話になるか、と半ば本気に考え始めた。

 裏庭の藪畳は季節の御蔭で涼しく、虫の飛び交う季節が迫る事は残念無念、草藪を掃除する以外にないが、管理者が草藪に水撒きする姿を見た事があるので掃除は期待出来ない。藪畳の向うの管理者の家の瓦屋根に烏を認め、敷地を囲む混凝土塀と、管理者の家側の塀は古風な築地塀で、木の屋根に苔が繁茂して真夏は蒸し暑く感じるが、一寸涼しくなる頃に見ると風情があって心が和む。時計草の垣根が建物の裏庭と管理者の家とを隔て、夏頃に爛漫と咲く時計草の不気味な花は、蝉時雨を聞き乍ら窓越し─窓が全開だと藪蚊や雀蜂の餌食になり易い─に観察するのが最も有意義な楽しみ方だ。植物観察が今時の自由研究に役立つなぞ思わぬが、暇潰しの目を楽しませる娯楽には、これ位が丁度良い。畳んだ蒲団の榻背から背中を離し、四つ這いになって窓辺に頬杖を突き、今後の生活について真剣に考えた。




てな訳で、死霊遊戯編、終了。
次は血塗られた迷宮ってやつです。沢山霊能者が出て来る話です…。
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