お前退くまで私消えるまで、共に忘れ得る日まで。   作:赤茄子

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第二十二話:隠忍自重

一、

 翌朝、最悪の夢見に溜息を吐き乍ら、普段着に着替えて麻衣達と一緒に朝御飯を貰いに食堂へ向かい、其処で青褪めた顔で、偽物の所長事安原修さんに縋る五十嵐先生が居た。横で話を聞く限り、鈴木直子さんが行方不明だと言う。事情聴取に偽物の不遜な助手が乗り出し、周章狼狽する背中を宥め、尋問が始まり、深更目覚めた時は隣の寝床で熟睡する様子を目撃し、食事の時間の少し前に起きた所、もう隣の寝台に鈴木直子さんの姿は無く、事務所関係者達が起き出す頃に漸く嫌な予感を覚えたそうだ。

 腕時計の文字盤を確認し、安原修さん達は捜索を開始する。私は助手に腕を取られ、上司と助手に同行して幽霊屋敷の中を歩き回り、内部構造は測量結果を見る事で把握した気で居たが、実相を肉眼で捉えると、矢張り複雑怪奇な屋敷だと痛感した。除霊活動中は屋敷の奥を見回る霊能者が多く、しかし名誉教授だか、五十嵐先生達は霊能者と言うよも学者に近い。私達の様に調査活動に主眼を置き、降霊会も浄霊の一環として催し、幽霊屋敷の幽霊達を脅かす真似はしなかったが、何か癪に障る事でもあったのだろう。生活圏を中心に捜すが、二日間測量の為に敷地内を闊歩して研覈した麻衣達すら根を上げる敷地だ、最初の事件で早々に捜索が打ち切られた理由を理解した。

 数時間後に食堂で顔を合わすと、他の霊能者達が失踪者の身を案じるどころか、降霊会の心霊現象を理由に現場から遁走した、と言って嘲笑する始末で、朝食兼昼食の最中らしい麻倉家当主の名代組が顔を顰めた。髪型の整形に長い時間を要する梅宮さんは、長机の脚を蹴飛ばし、見た目通りの無頼漢振りを発揮して、拳大の数珠を隣の椅子に置いて昼御飯を認める三橋芳命さんに鼻面を寄せ、前の言葉に後の言葉が被さって聞き取り難いが、何か罵詈雑言を吐くらしかった。整髪料塗れの黒髪が窓の黄色い陽光を反射して輝き、鼻下の無精髭が痙攣する様に震え、蟀谷は痙攣していた。普段着か戦闘服か知らない、皮製の黒服の臀部の皺が深く、小鳥の求愛行為の様に振り振り、一見尿意を我慢する不憫な人に思われる。裸出した胸毛が胸筋の収縮で震えて増量して、私は失踪者の問題万事休すと言う時に、彼の胸元の事情が気になって、この人は本当に人間か知ら、と首を傾げた。

 麻倉家当主の名代が憤慨する様子を見て、五十嵐先生も少し落ち着き、他の霊能者達の意見を聞いて鈴木直子さんは帰宅した事にして、電話で様子を窺うと言って、不穏な場は結着した。曖昧模糊とした前世の記憶を発掘しても、肝心の漫画本も原作小説の内容も、全部星の王様の物語に、記憶の安置場を奪われて以前想起した事も水が蒸発する様に消え、山奥の幽霊屋敷の騒動の顛末は欠片も思い出せない。只経験の上で感覚的に悟る事がある。今朝の狼狽気味の五十嵐先生には悪いが、鈴木直子さんは前の失踪者達の覆轍を踏んだに違いない。職員の一人を拝み倒し、電話を設置する部屋に向かう背中を見送り、無礼を承知で、胸中で、幽霊屋敷の事実を忘れて自分達は平気と思い、無用心に幽霊の巣窟へ踏み入った軽率な行動を顧みる可きだと、素人調査員の上、人様の協力が必要不可欠の無能な小娘は呟いた。明日は我が身、その言葉が重く伸し掛かる。事件事故の多発する敷地である事実を忘れず、一層気を引き締めて、調査活動と除霊活動に精励せねばと、恐らく後数日で他の霊能者達も思う事だろう。私の顔は不安を露にして、無能な小娘の無様な後ろ姿をハオが凝視している事は、背中に目がある妖怪でない限り誰も解る訳がない。

 昼御飯を齧る程度に済まし、拠点部屋に戻って、何処迄が失踪者の自由意思であったかを論じ、結局不透明な事実に懊悩する位なら調査活動に専念す可きと意見が出て、議論に時間を浪費していた私達は一斉に行動を再開した。麻衣達は測量を継続、他の人員は記録映像等の確認を徹底し、間食の時間も機械に張り付き、深夜帯の記録媒体を出し入れして蓋の蝶番が軋み、余り乱暴に扱うな、と今更な事を叱られた。記録映像は、調査初日の映像は他の霊能者達が機械を覗き込む様子が多く見られ、翌日の映像は機械設置を頻繁に行う者達と思われたのか、高価な機械に近付く危険性を察知したのか、人間の顔が画面一杯に映る事は無かった。不思議な事に、生活圏から緩舒に機材の設置場所を屋敷の奥へ移動させるが、見知らぬ霊能者達が映るのに見知った霊能者達は着物の裾も映らない。降霊会の折も無能な小娘の隣に陣取る人達は、生活圏内を調査する事無く、真っ直ぐ屋敷の奥の方を調査して、だから屋敷の奥は通路が複雑だと助言したのだろう。彼らは失踪の真実を知っているのか知ら。降霊会の時、誰が来なかったのか知ら。

 時間一杯を測量に費やした麻衣達が戻り、丁度其処へ所長を頼って五十嵐先生が拠点部屋を訪れ、鈴木直子さんが家にも戻っていない、警察に通報す可きか否か、と息子や孫の年齢の安原修さんに取り縋って助言を求めた。どうしよう、どうしましょう、と五十嵐先生は繰り返し、最後は節榑立った手で顔面を覆って噎び泣く。すっかり憔悴した五十嵐先生は、安原修さんの慰め顔を見て、又透明な涙を流した。

 晩御飯は洋食、匙で汁物を掬う動作も億劫で、食器の鳴る度に動悸がする。胸元に仕舞う薄桃色の巾着袋を押さえ、丸で一人安全圏にある様な罪悪感が去来し、歯が食器を噛む音が異様に大きく響き、無論被害妄想の様な錯覚なのだけれど、強大な力を持つ陰陽師手製の護符を持つ罪悪感が胸の奥に蟠踞して御飯が不味い。夢の末っ子が殴った心臓の真上を叩き、動悸を落ち着けて汁物を啜る。匙の柄を握る箇所の所為か食器が重く、何度か汁物の皿に落とし、柄の上端部まで浸かる匙の引き揚げ作業中、屋敷の奥の探索を終えた様な塵芥を髪飾りにした糞爺事ハオ達が食堂の大扉を潜って遣って来た。そんな彼らの横を晩御飯の麵麭を飲み込んだ麻衣が擦り抜け、拠点部屋へ戻った。私も席を蹴飛ばして食堂を出たいが、生憎晩御飯の肉料理が片付かない。獣臭い肉料理は異国の大地で皮膚に浸透する程食べ慣れたけれど、幽霊屋敷の職員が作る肉料理は、獣の臭気は一切無く、香辛料か化学調味料の臭いが鼻を衝いた。

 ハオ達は比較的私達に近い席に着き、食べ慣れた和食と程遠い洋物の献立を見て、和風の家に育つ人達は辟易した様子で匙を取った。食器の搗ち合う音が食堂内に響き渡り、他の霊能者達も食堂に集まって除霊活動の成果を自慢し合うでもなく、緘黙した儘晩御飯を認め、中には食器が鳴る度に肩の跳ねる霊能者も居る。食卓の礼儀作法に不案内の私は、食器が極力鳴らぬ様に留意する事しか知らないが、基本食器を打ち鳴らして人様の食事を邪魔する蛮行はない。一般常識の範疇で食事すれば、洋食に不慣れ故に行儀作法が覚束無い程度は御勘弁願いたい。香辛料か化学調味料か、獣臭の方が幾分増しな芳香が口蓋を貫く料理を頬張り、難儀な晩御飯を片付けて、食器類の運搬は職員達の業務なので使った食器類はその儘、破戒僧達と一緒に大分遅れて麻衣の後を追った。ハオの後ろを通る時、胸元の巾着袋が擦れる箇所が熱を持つ気がして、麻衣達には内緒の、大層効く護符を貰った罪悪感が胸中に再来した。余程ハオに返そうか、そう思った。

 拠点部屋に戻り、機械と格闘する助手と驕奢な長椅子の傍に立つ麻衣が向い合い、雑談の雰囲気を醸し出すが、段々雑談ではないかも知れないと思い出した。意気消沈の体で榻背の縁を握る麻衣の横に立ち、様子を窺うも異様な雰囲気を尋ねる事は幅かられ、上司の測量の都度屋敷の空白地帯に文句を連ねて顰蹙する様を見守り、皆が隠し部屋の所在を思案する時、前庭側の窓硝子を叩く音がした。壁と地面の高低差は、金属製の窓枠が私の胸の高さにあり、玄関を通る事無く屋敷に入るなら壁を攀じ登らねば入れない。天鵞絨の絨毯の境目を踏んで、蹴躓く様に窓に駆け寄った上司は、幽霊屋敷の依頼を持ち込んだ森まどかさんを、最初は屋敷一帯は危ないと苦言を呈し、しかし彼女は委細構わず話を続ける。上司の依頼か助手の気遣いか、失踪者の関係者諸氏の証言等を録音し、又書面に纏めた資料を茶封筒に仕舞い、剽軽な物言いを駆使して、傲岸不遜、天上天下唯我独尊の上司を籠絡する。

 嵐の様に現れ、嵐の様に去る。彼女は金属製の窓枠を攀じ登り、今度の失踪者鈴木直子さんの情報収集の為に、濃い夜陰の蔓延る庭に飛び出した。それを助手が追い掛け、獣道より舗装具合の酷い私道の手前に停めた自動車まで送り、私達は拠点部屋で資料を手繰る。内容は失踪した青年の関係者諸氏、又家族、学校関係、仕事関係が主で、青年は無職と言うから仕事関係の人の証言は無かった。資料の備考欄に職業無職とある。職無しが職業と言う様で、空欄の儘の方が失踪者側の体裁も良いと思う、他者の善意に頼る無能な小娘は愚考した。

 午後十一時、常の調査では活動時間の真っ只中だが、今度の幽霊屋敷では遅く、就寝時間に突入して、普段寝床に潜る時間帯に近い。私達は女部屋に戻って順番に風呂場を使い、寝巻に着替えて、睡魔の魔力に惹かれる儘、分厚い敷物の上で寝転がって瞑目した。夢を見る程の時間は無く、後でこの騒動を回顧すると、矢張り夢を見た気がする。部屋の奥の側を向いて寝る癖があり、寝床に横臥する私の胸の位置に黒い人影が腰を掛け、陶器や蕎麦殻の硬質な枕が好みの私は、大分寝難い枕越しに人影を認め、白い手が頻りに人様の頭を撫ぜる様子を寝惚け眼で見ていた。

 深更三時半、女部屋の扉を繁く叩く人があり、最も扉に近い寝床を使う麻衣が応対し、相手は聖忍さん、霊能者の一人が廊下の貧相な電灯の薄明りの下、顔面蒼白で厚木秀雄さんの失踪を訴えた。黒い人影の無い寝床に起き直り、薄地の夏物の上着を羽織って、私達は事務所関係の霊能者達を部屋に残して、今に昏倒し兼ねぬ聖忍さんを伴って階下の拠点部屋へ駆け込んだ。寝巻に着替える手間を省く為の処置か、抑も寝ていないのか、普段の黒服を着た上司達が居て、卓上に屋敷の平面図を広げて失踪者を最後に目撃した場所を尋ねる。すると、直ぐ助手が記録映像を確認する画面に失踪者の姿を見付け、二階東側の機械が記録した事を知るなり、素人調査員達に破戒僧達が来る迄の待機を命じて、拠点部屋を駆け出した。数秒差で破戒僧達が拠点部屋を訪れ、非霊能者の安原修さんに素人調査員達と残る様に言って、二人は上司達を追い掛けた。

 麻衣が安原修さんの諧謔に翻弄されている時、拠点部屋前の廊下が俄に騒がしくなり、壁を殴る様な、地鳴りの様な重低音が天鵞絨の絨毯越しに私達の足底に伝わる。一瞬幽霊屋敷の幽霊の登場か、と身構えた私達だが、折角の緊張感を吹き飛ばす、間抜けな音が重低音に続き、重低音の震源は部屋の扉を蹴破って、卓子の前で凝然として腕を束ね、平面図に渋面を突き合わせる安原修さんの隣に立つ私に飛び掛かった。

「痛い!」と私は叫び乍ら頑丈な卓子の縁に蟀谷を強かぶつけた。

「兄ちゃん、それ、打ち所が悪いと死ぬって!」

 拠点部屋の破れた扉を潜った弟さんと梅宮さんは、繊細な硝子細工の様に脆い、無能な小娘の体を突き飛ばす糞爺を窘めた。

「で、何事だ、所長さん」と梅宮さんが首に糞爺をぶら下げる私を助け起こし乍ら言った。

「ええ、はい、……聖さんの所の厚木さんが、除霊中、目を離した隙に居なくなって仕舞われたそうで。今、うちの調査員達とお手伝い下さる霊能者の方達が捜しに行っています」

「何処なんで?」

「二階東側、……只、僕達が測量した際に見た限りだと、どうも厚木さんの歩いて行った先は行き止まりの筈なんです」

「成る程。すんませんが、も少し詳しい場所を教えて下さい」

「はい、ええと、これが屋敷の平面図なんですが」と言って安原修さんは自分の助手の醜態を無視する梅宮さんの態度に釣られ、卓上の図を指差し乍ら、機械が失踪者を捉えた場所を教える。鼻の位置がずれた眼鏡を直し、其処で漸く私も、自身が銀縁緑の蔓の眼鏡を掛け忘れた挙句、巾着袋を枕の下に置き忘れた事を思い出した。

 平面図で場所を把握した梅宮さんは言った。「そんじゃ、ハオ、さんは此処に残って、俺と葉のダ……葉さんで厚木さんの捜索を」

「いや、兄ちゃん残すと何仕出かすか解らんし、滅茶苦茶不安だから、悪いがオイラも」

「そうっすね。そうだな。葉さんは確りハオさん見張って下さい。俺も胃が痛い位不安っす」

「どうぞ、皆さんで向かわれて下さい」と私は項で両腕を交差する糞爺の腕から逃れんと、華奢な肩を掴んで、自身の肘を伸ばす。が、糞爺は馬鹿力も有して、頭を潜らせるだけで腕の拘束を抜けられる筈なのに、距離が全く開かない。

「じゃ、俺が行って来る。三人共、仲良く」

「一寸待って下さい、見て下さい。何ですか、これは。これじゃあ私は被害者だ」

「済まん、歩。眼鏡掛けていなくて良かったな。眼鏡が壊れて、レンズの破片で目を傷付けたかも知れない」と弟さんは暢気に言った。

 見兼ねた麻衣が叫んだ。「可笑しい! 倉田さん、その発言は可笑しい、良くない、何一つとして良い所が無い!」

「そうだな、下手すりゃ二人目の失踪者だ。暢気はいかんな」

「一寸待って、いや一寸も違う、いや違う! 兎に角違う! まず、人に飛び掛かって何さ、謝りもしない、歩は嫌がっているでしょう」

「解るけれど……我慢のしどころって事で」

「何それ、最低、倉田さんが歩の事、ずっと見ているのは知っているんだから。犯罪だよ、嫌がる相手にこんな事して、ストーカーだ」

「御免なさい、ストーカー認めます」と弟さんは項垂れて言った。

「警察! 安は……所長、渋谷所長、警察です、通報しましょう!」

「御免なさい、よく言って聞かせます、警察沙汰だけは勘弁して下さい」

「出来ない。何、ストーカーの擁護? 兄弟だもの、したい気持は解るけれど、歩の親友として出来る訳が無い!」

「歩の友達かあ。だって、兄ちゃん」

「皆さん、一寸落ち着きましょうか」と安原修さんが容喙して、私の抵抗を手伝って下さった。

 悶着は前庭側の窓に旭影が射し込み、勢力を拡大して拠点部屋の機材や家具等の物陰を照らし、午前七時、捜索に出た上司達が戻る迄絶叫の様な口論は続いた。つまり、偽物の所長の仲裁は、無意味に終わったと言う事だ。

 

二、

 昼頃、集う霊能者達の中で二人の失踪者が出て、何処か泰然として構えて居た者達も沈鬱な面持で食堂の長机の前に着席し、年嵩の霊能者達も顰めっ面で腕組みをする。事務所関係者の拠点部屋に来た糞爺達は、事務所関係者達が揃うのを待ち、固まって食堂へ移動する列の最後尾、殿の様に歩くから心強い。銀縁緑の蔓の眼鏡を女部屋に忘れた挙句薄桃色の巾着袋の中身を置き忘れた私は、弥軽い胸元を着物越しに撫ぜ、隙間風が通り抜ける気持で、折角手製の護符をくれた糞爺の手前、身の置き所が無くて部屋に取って返したかった。その心情を察した事務所関係者の先頭が儼乎たる態度で集団行動を命じ、反論の余地も無いので集団の最後尾に付くと、私の後を糞爺が粛々と付いて来て、事務所関係者の列が伸びた。天鵞絨の絨毯と着物の衣擦れが屋敷の静寂に響いて、動悸がする気持で食堂の大扉を潜り、既に集まった霊能者達の視線に曝された。

 朝食返上で捜索活動に従事した破戒僧達は、漸く昼御飯の並ぶ食卓に着くけれど、宿泊部屋に引き籠もる霊能者達の、捜索の結果を窺測する目線を無視して御飯を掻き込む真似は出来ず、押し黙った儘御飯を睨んで居た。軈て数人の霊能者達が超能力博士の実力を発揮す可き状況だと面詰し、他の著名な霊能者や超能力者の協力を要請し、果ては電話口の横で声を聞かせろと揶揄して、食堂内に湧く疑惑の声に、満面朱を濺いだ南麗明さんは超能力博士を連れ憤然と食堂を出て行った。溜飲を下げた霊能者達も座を立って、筆の様な顎鬚を垂らす井村賢照さんが壁際に控える職員に、部屋に鼠が出る、と愚痴を並べ立てて商売道具を携え食堂を出た。袈裟を懸けた背中を見送り、内心綺麗な屋敷でも山奥の幽霊屋敷なのだから鼠や他の動物が部屋を跋扈する事は予想の範囲内と思わねば、と論駁した。実際、山奥の屋敷に鼠が出る程度で文句を言うな、と瞬時も動かぬ黒目が自身を凝視する見当から愚痴が聞こえた。

 残る私達も昼御飯を詰め込み、食堂を出る間際、又糞爺が袖を引いて手掌に硬い物を握らせ、大扉の陰で密輸業者の取引現場を目撃した一般人の様な麻衣が複雑な面持で私の手掌を見遣った。一緒に事務所関係者の集団の最後尾に遅れ乍ら、手掌の硬い物を検分し、観光地の土産物屋等で見掛ける量産物の青色の勾玉が真昼の太陽光線の届かぬ屋敷内の薄明りを反射して、深く青く輝いた。手製の護符より御守護の力が疑わしい御守りに、私と麻衣は顔を見合わせ、集団に遅れ乍ら食堂の大扉を振り返った。

 拠点部屋に着き、遅れて到着した私達は厳格な上司の鋭い叱責に身を竦ませ、長椅子の榻背を楯に身構え、厚木秀雄さんが除霊真っ最中の現場を離れた事由を議論し、非霊能者の上素人調査員の私達は黙って霊能者達の意見を聞いた。途中、安原修さんが霊能者の中で最初に失踪した鈴木直子さんの失踪事由を、彼なりの仮定を披瀝して、上司はその仮定を視野に入れて考え込む。曰く、降霊会の自動書記は詐術でないか。血文字等の不可思議な点は残るが、降霊会で見聞きした現象の全てが真実とは限らない。

 上司は幽霊屋敷に集う霊能者達の業績を疑い、まず三橋芳命さんは秘仙術云々、之に松崎綾子さん達が常の演出との相違を指摘し、次いで部屋に到着早々、機械と格闘する助手を一瞥した。長椅子の高級感溢れる刺繍で大輪の模様を描いた座面に腰掛ける破戒僧も、鼠の事で騒いだ井村賢照さんの経歴に顔を顰めた。阿闍梨とか高野山とか言うけれど、実際の能力は判然しないが、高野山の修行僧でない事は確実らしい。霊能業界の深淵を覗いた気持で事務所関係者達が曝露する裏話を聞き、糞爺達の、特に糞爺の胸奥を聞く機会が、少なくとも幽霊屋敷の中では無い事を痛切に願った。

 日の出前の拠点部屋での騒動を思い返し、蟀谷を打った卓子の縁を撫ぜ、私は懐中の御守りを着物越しに確認した。護符を女部屋の枕の下に置き忘れた為、無能な小娘は全く無防備だった。部屋に取りに戻れば良いが、一人屋敷内を彷徨く事は上司の許可が下りる筈も無く、身動きの取り様の無い私を見兼ねた糞爺が、何故大量生産の勾玉を持っているのか知らないけれど、くれたのだから、御守りとしての効力は有るに違いない。

「麻倉の名代も怪しいわよね、あのリーゼントに、麻衣達くらいの双子」と松崎綾子さんは言った。

「あからさまな不良に、謎の長髪少年とヘッドホン少年。しかも、長髪の奴は矢鱈歩を気にしていたなあ。まさかの一目惚れとか?」と面白い話題を見付けた腕白小僧の様に破戒僧が言った。

「……面識無しならね」

 松崎綾子さんの厳しい目が私を睨み、懐の御守りを握り締め乍ら私は卓上の資料や平面図を見詰めた。

「麻倉の代理人が怪しいって、麻倉本人なら怪しくないの?」と霊能業界に不知案内の麻衣が言った。

 眉根を寄せて説明を億劫がる風の破戒僧が説明役を買って出た。

「麻倉家は日本屈指の霊能一族、昔は陰陽師として暗躍したとか、何処ぞの一族郎党を呪殺したとか、色々噂の絶えん家なんだ。但し、実力は折り紙付き。だから、日本の霊能者と詐欺師の間では、麻倉だけは騙らないって暗黙の了解があんの。怖いから」

「じゃ、名前を使っている時点で代理人は本当なんじゃないの?」

「本当と思いたいが、思いたくない。麻倉に仕事が行って、麻倉が請け負うってさ、あれよ、やばい相手が多いの」

 麻衣と異国の霊能者のブラウンさんが首を傾げるので続けた。「妖怪退治。何せ、麻倉家現当主が陰陽師だからな」

「当主代理って事は、当主の方であの不良を紹介したって事よね」と松崎綾子さんは心底嫌そうに言った。

「だろうな。当主代理って事だし、門下生かな。免許皆伝の門下生と、その助手。下手すりゃ、平均年齢が俺達より若いかも」

 原真砂子さんの霊視結果等を聞き、結局解らず仕舞いで、麻衣達は測量続行と二階中心の捜索を命じられた。

 暫く拠点部屋で資料整理に勤しんでいると、測量中の麻衣達が隠し部屋発見の報と部屋の中に残された白衣を持参し、白衣を弄ると古い紙幣が出て来た。紙幣は長方形、長い辺の上下に墨の滲んだ文章が書かれ、普通に読んでも読解不可能な内容だった。

 そうして新たな情報の発見に奮起して、今度は私も、上司達と一緒に屋敷三階の測量を手伝い、日没後に拠点部屋で測量結果を出し合った。それでも矢っ張り空白が出来て、まだ無数の隠し部屋が存在する事実に愕然とした。

 空白部分と隠し部屋、旧紙幣の文章を交互に見遣り乍ら、上司が思案する風情で俯くと、又前庭側の窓硝子を叩く音がして、窓辺に駆け寄り金属製の窓枠の向う側を見て、案の定森まどかさんが居た。拠点部屋に招き入れ、大胆不敵な行動を譴責する上司の言葉を一刀両断、屋敷周りの庭は麓の子供達の秘密の遊び場らしく、失踪事件が連続してからは遊ぶ機会も激減したと言う。無論麓の、特に高齢者達は遊び場の事を承知しており、子供達が近寄る事を厭い、精確には幽霊屋敷の過去を厭うて、不吉な場所に可愛い孫や曾孫達が通う事を阻止したかったそうだ。以上の屋敷の庭事情を聞き、最も危険な場所は、矢張り屋敷の中と分明した。

 資料等を仕舞った茶封筒を手渡し、又失踪者の情報提供を求め、本来屋敷に集う霊能者でない彼女は、職員他霊能者達の目を避ける為に資料を渡すと拠点部屋を出て行った。最後は明日の時間帯を言い置いて、屋敷の夜陰の色濃い鬱林へ駆け込んだ。部屋の明かりが漏れて、真っ暗闇の庭を照らし、水飢饉に陥った地域を髣髴させる無数の罅裂が走る地面を眼下に見て、肌寒い夜風が顔の薄皮を裂く様で、慌てて窓を閉めた。

 資料の熟読は翌日の作業の合間に行い、本日の調査活動を終了として、私達は宿泊部屋に戻った。深更、夢最中の寝姿を隣の寝台に曝す麻衣の寝息に耳を澄まし、耳の奥底の鼓動を聞く気持で目を瞑り、規則正しい自身の寝息を子守唄に、久し振りの重労働と糞爺の暴力からの脱出の為に渾身の力を籠めた後遺症で腕が痺れ、思ったより早く夢の国へ旅立った。肌に馴染む煎餅蒲団、陶器の枕で悪戯した夢を見乍ら一時の実家を堪能し、ふと寝苦しく思って薄目を開けた。

 燦爛と輝く黒目が鼻先に迫り、絹糸の様な自慢の黒髪が、蚊帳の様に私の頭部を覆って互いの呼吸音が聞こえ、睫毛に糞爺の呼気が掛かって鬱陶しい。薄目の儘、黒目許りが輝く糞爺の顔を睨み返し、睫毛に掛かる呼気が断続して、人間臭く笑う様子を横目に見つつ、蚊帳の様に顔を覆う黒髪を払い、隣の寝台に寝る麻衣と反対側の原真砂子さんの寝姿を確認する。女部屋の調査員と霊能者達は誰一人起きる気配が無い。寝惚け眼を擦り、随分意識の判然した糞爺の顔を見て、ふと枕の下の巾着袋を思い出して、肩と腕を可動域の限界まで動かして後頭部の下を弄って薄桃色の巾着袋を取り出した。量産物の御守りは、一日掛け忘れた銀縁眼鏡の脇に置き、眼鏡等の貴重品─常時眼鏡を掛け出した私には財布携帯電話と同等な位眼鏡が貴重品となった─を仕舞う鞄は、出番の無い腰に巻く小型鞄の中に入っている。目撃者麻衣以外の事務所関係者に見せる勇気は無かった。助手は巾着袋の時の様に察しているか知れない。

 巾着袋を摘む手を、糞爺が掛蒲団の下に仕舞い、肩の出た蒲団を直して寝惚け頭に彼の手を翳すと破戒僧の様な言葉を唱え、しかしよく聞くと破戒僧の真言でなく、末っ子が強請る度に厳選して歌った童謡等を彼が最初に生まれ育った時代の発音に直して歌った事を思い出す。遥か昔の呪文だろう。異国の大地の幕屋に寝起きした頃は、環境の問題で皮膚が荒れ、節榑立った手指をしていたけれど、翳した手を私の額の生え際や鼻梁を撫ぜる指の腹の感触は栄養状態が良く、衛生状態も良好な環境に生きる人間の様だった。実際東京埼玉の県境に住む弟夫婦の家に寓居し、砂塵や灼熱の太陽の脅威に曝される環境を脱した彼だ、元々身嗜み等に五月蠅い子だったし、物の揃う環境下にあるのだから健康状態も良いに違いない。再度額を撫ぜ、彼の術が完成したのか、満足げな溜息を吐き、人様の横に寝転がって耳元で囁いた。耳朶を擽る呼気は、寝惚け頭では蠅の羽音の様に鬱陶しく、耳を庇って糞爺の方を向く。

 黒目が真剣な光を放ち、しかし寝惚けた私は又突拍子もない事を言い出した。

「勾玉を有難う」

「実は予感があった。だから、護身用の道具や呪具は、持ち運びの楽な物を沢山持って来た」

「凄いな、星の王様はお見通しか」

「今の僕は、死ぬ迄徒の人だ」

「魂の故郷に、君は居ないのかい」

「詳しい説明は省くけれど、要するに分身を置いて来た」

「寒くないの、山だし。風邪を引く、被りなさい」と言って私は糞爺に掛蒲団を掛けた。

 無闇に広い敷物の端に寝転がる糞爺は、掛蒲団の大きさを考慮して少し私の方に近寄り、顎の下まで蒲団を被って半分瞼を下ろす。元来早寝早起きが癖の子だ、真夜中の活動は不得手らしいが、大会期間中は真夜中の行動が多かった。大分無理をして、大人振って夜に動き回ったのかも知れない。

「ねえ、失踪した人達は無事なの?」

「屋敷の中の奴は、僕らの管轄。歩は、大丈夫。今、護身術を懸けた。でも、奴らが触れる事が出来ないだけだから、誘いに乗らない様にね」

「そうかい、……有難う」

「眠い? まあ、あれだけぎちぎちした上司なら、毎日疲れるよね」

「失踪、した人は?」

「髪切ったの? 又、随分短くしたね。これじゃあ、バレッタの意味が無い。伸ばしたらどうだい」

「……失踪……人は?」

「眼鏡も掛けて、マルコ見たい。ちゃんと御飯食べている?」

「…………人は?」

「ねえ、帰って来ない? 僕が、何とかしてやる。口約束しか出来ないけれど、歩の事、家族の事、何とかしてやるよ」

「………………」

「……お休み。オパチョは、君を忘れない」

 その日の夢は、末っ子と手を繋いで実家を訪ねる夢だった。




隠忍自重(いんにんじちょう)
:我慢して大人しくする事。
意訳(?)
:一応大人しくしているつもりのハオ。
 千年の計画を立てて実行した根性は伊達ではない……なんて。

後一話で迷宮編終わりなので、とっとと更新します。
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