第五話:何が怖いと言えば変化が怖い…
高く澄明な青空が頭上を覆い、真上を色の薄い太陽が燦爛と輝いて黒い頭髪の生える私達の頭皮を虐め、一度幕屋の日陰へ避難しようか考え直すが、正直修行の真っ最中の人達が砂塵を巻き上げ対峙する傍へ寄るのは、物事の真髄を見通す目を持たぬ私は恐ろしい。カメラの手入れに忙しい山田さんの背中を頼るのも可哀想で、極彩色の肉厚の花弁か葉か判然しない樹木の下陰で身動きを最小限に抑えて発熱の機会を減らす。樽状の幹と枝葉の均衡が可笑しい、不細工な樹木の疎林の向う、荒野の彼方に朦朧と霞み、輪郭が曖昧に見える峻峰を真正面に見る様に、飢餓の象徴の様な、貧相な幹に凭れ掛かる。縦割れの樹皮が無闇に伸びた頭髪に絡み、長い破片が薄い頭皮を突き、痒くて腹立たしくて、尻の置き場所を何度も変えて、漸く落ち着いた。
射干玉の長髪の整髪と現状維持に心血を注ぐ、精神は糞爺、外見糞生意気な少年の糞爺に悦服する、外見通りの年齢のラキストさん手製の貫頭衣擬きの袖で、額に滲む汗を拭く。先日新調した貫頭衣擬きは皺が少なく、自身が着物に着られる様で、四肢の屈伸や跳躍して無理矢理関節の位置に合わした皺を作り、心身共に自身の普段着と断言出来る物にしようと、休憩場所の木陰で愚図愚図と景色を眺める私は画策している。獰悪な太陽が灼熱の大地を焦がし、色の薄い地面や、色素の焼失した様な若葉の繁茂する樹木が、極彩色の花の咲き誇る樹木を囲み、一本寂しく色彩豊かな樹木は私達の休憩場所として、不服すら黙殺されて背凭れとして甘んじている。樹皮の剥落が酷く、頭部を置く位置を変える一寸の動作でぱらぱら落ちて、近隣地域の渇水の過酷さを痛感した。
貫頭衣擬き越しに胸元で輾転反側する末っ子の攻撃を食らい、骨の軋る音が耳の奥で響き、胸の奥では動悸がして呼吸困難に陥り、姉貴分の世話係の危篤も何処吹く風の末っ子は下腹部に就褥して寝息を立て始める。塵埃の舞う度に呼吸器が正常に機能しなくなり、咳き込む回数が増え、喘息患者の発作の苦痛を、その真髄は解らずとも、砂埃の吸引に依る疑似体験の御蔭で息苦しさは解った。風が強い。近隣の遊牧地に住む遊牧民の低年齢層、高年齢層に、腹に来る風邪が流行っている事を、着物の新調の際に腹心から聞き、今は頑健な末っ子の健康を心配した。私の方が不健康や虚弱に見え勝ちだが、実年齢は当然私が年嵩で末っ子が年下で、しかも予防接種を受けた事のある私は予防接種で予防出来る病気には一層罹り難い。衛生環境、食糧事情の最低な灼熱の大地で育児に励む事は、現代っ子代表者には厳しく、又現代っ子風の育児法で保育される為、同環境にて現地の母親達の保育を受ける子供達は末っ子よりもっと丈夫な気がしてならない。
飄々と風の鳴る枝葉の隙間に覗く太陽の過激な光線に手を翳し、砂塵の擦れ、歴落たる風音が耳元を賑わし、真昼の皮膚が焼ける気温も忘れて幹に凭れる。常識の通じぬ世界を拒む様に意識が遠退き、はっと目を見開くと遠く霞む峻峰の輪郭は薄曇りの向うに没して、地平線間近の太陽を見て、一度幕屋に戻る決心がついて御輿を上げる。すると、遠雷の腹に響く轟きが地響きを伴って伝わり、私は遠方の薄暗い荒野の景色を見遣るが、其処に不気味な稲妻はなく、可笑しいなと首を傾げる。尻が樹皮の敷蒲団から離れて一足踏み出す。又遠雷の轟きが腹部に伝わり、と此処で漸く違和感に気付いて腹部を見下ろすと、涙顔の末っ子が黒い顔を真っ黒くして、糞爺とお揃いの渋色の外套を巻き付けた腹部を押さえている。私は真っ黒の顔に度を失って、何度も大丈夫かと呼び掛けるが、この時の腹の具合を鑑みると状態の確認の呼び掛けは鬱陶しい許りだったと思われる。痛い、と末っ子は訴えるなり、貫頭衣擬きの裾が少し濡れる位、黒い尻から泥水の様な下痢便を漏らした。
吃驚した私は幕屋か焚き火の輪で愛想笑いに勤しむ糞爺と、頼りの山田さんと、食材確保の為に不在の腹心は仕方ない、急ぎ幕屋の方へ駆けて行って、銀髪の優男の修行に付き合う山田さんの黒い外套の襟に飛び付いた。混乱の余り、末っ子の異常事態を精確な言葉で伝える事も出来ず、幕屋で遅い昼寝から目覚めた糞爺が十八番の読心術で危篤状態を察し、駆け寄って来て、全く役立たずの私と糞爺は、山田さんの的確な処置が済む迄、傍でおろおろしていた。後に食材確保に出掛けたハンさんが帰還して激烈な腹痛を訴える末っ子の容態を見て、さすがに医者の許へ連れて行く可きだと仰られ、糞爺の腹心の機転で無事医者に診て貰う事が出来たが、保険証等の書類や治療費の事情は知らない。実は、今日、夢を見る迄疑問を抱く事もしなかった。糞爺はお金が嫌いらしく、集団にお金を使う事を禁じたが、末っ子の健康を護る為のお金は惜しむ必要は無いのに、果たして治療費の問題はどうなったのだろう。
目を開け素早く身支度を整え、整髪は鬱陶しい頭髪を項が外気に曝される程切ったので、手櫛で梳って、寝癖を直す事は諦めて、念願の賃仕事、世間一般の常識では雇用を御免蒙りたい類の仕事だが、非常識な私は非常識な事務所で働く事を厭わない。晩夏の早朝の蜃気楼の一種が拝める様な酷暑の今日、異常気象の馬鹿野郎と愚痴を言い乍ら電車で渋谷を目指し、暑中休暇を目前に控えた日曜日の駅の構内を歩き回る連中は、碌な奴ではない。皮膚の乾燥を待たずに汗が吹き出して、着物の体で挟む箇所に濃い染みが出来て、全く鬱陶しい。肩摩轂撃の駅舎前を通り、朦朧とした意識の中、記憶した道順を辿って、涼の期待の出来る煉瓦の壁が厳めしい楼閣、要するにビルに踏み入った。噴水広場の水音は風鈴と同様の効果があるのか、聞くだけで救われる気がするが、するだけで実際に皮膚の乾燥を促進する訳でもなく、水の涼気の御蔭で錯覚するだけなのだ。
二階へ続く階段を登る前に、穹窿形の屋根が手前に出っ張る庇を見遣る。丁度麻衣が来た。一緒に階段を使って事務所を構える上司の許へ向かい、二階広間の袖廊下を曲がって、最奥の喫茶店染みた構えの事務所の扉を押し開けた。
昼過ぎ、業務は所長の給仕、肝心の電話番は免除されて、私達は人員の要らない事務所の応接間の長椅子に腰を掛け、迫る暑中休暇の消費の仕方を話し合う。無論仕事三昧、宿題三昧なのだが、それは学生の義務なので考慮に入れる必要は無い。紅茶の継ぎ足し、淹れ直し、茶菓子を摘んで談笑する。私が今朝の夢を話すと、末っ子の世話の経験談を中学時代に聞き覚えた麻衣は、紅茶や茶菓子が卓上に並ぶ間食の時間にも拘わらず、尾籠な話題を挙げる私の笑顔を見てか、腹を壊した末っ子の健康を案じてくれた。
時間は過ぎて薄暮六時頃、喫茶店と見紛う事務所の扉を開ける音がして、私達は接客の為に御輿を上げた。簡素な卓子の角に大腿前面をぶつけ、紅茶を零す事は免れたが、激痛に体を丸める私は接客に出た麻衣の声と、労働契約後、初めて真面な依頼人と話すらしく、大腿を撫で乍ら給湯室へ引っ込んだ。
紅茶を淹れ直して、隙を見て依頼人の前に出す。その儘、盆を抱えて麻衣と並んで依頼内容の確認をする上司を見詰める。暫く依頼人の話に聞き入っていたら、上司は依頼を受諾し、再度依頼の確認の為に録音し乍ら話し始めた。
依頼受諾の後、仕事終了の時間を携帯電話の時計で確かめて、生活支援者兼保護者への報告は上司の義務らしく、私は三日後の依頼人宅へ向かう日迄に宿泊準備を整える為、電車に乗り継いで部屋に駆け戻った。携帯電話の所有は定期報告の為だが、義務と言えば、生活支援を受ける者の義務だが、今度の仕事は事務所で受けるから報告義務は上司にあるそうだ。納得し兼ねる私は、しかし逆らう真似はせず、部屋へ帰って着物や洗髪、歯磨きに必要な物を旅行用の鞄に詰めて、遺失し易い充電器と携帯電話を鞄の横に置き、出発当日、矢っ張り駅舎の屋根の見える距離で立ち止まった瞬間、忘れ物に気付いて踵を返した。終業式当日でもあり、暑中休暇の初日─学生達の間では終業式直後から暑中休暇と言う認識だった─で、旅行者で雑踏する道路を駆け抜けて、蒸し暑い部屋で所持者の記憶からすっぽ抜けた携帯電話と充電器は、元の位置で蹲っていた。
準備期間の三日間の話は省略して、何故と言うに、本題は依頼人の邸宅へ向かう事、家内の異常現象を解決する人達の雑用を熟す事で、私の荷造りの三日間を語るなぞ時間の無駄遣いだ。
駅舎に飛び込み、渋谷駅まで行って、酷暑の象徴たる烈日の光線が柔な皮膚を虐め抜き、灼熱地獄の異国の大地より酷く感じる日本の真夏を苦々しく思った。事務所の収まる建物の前、事務所の所有する自動車の後部座席に続く戸の前で、数十分の遅刻を記録した私を待つ所員達に到着早々謝罪する。淋漓と汗を滴らせ、着物に染みを作る私を気の毒がる麻衣を一蹴した上司達は、運転席と助手席に乗り込み、雑用係の私達も機材の収納空間の、平均的体格が災いして窮屈に感じる空間に体を捻じ込んだ。機械は精密機械が多く、機械その物が乱暴に扱えば一瞬後に壊れる様な軟弱な物だが、精密機械は特に扱いを考えねば賠償云々の問題が発生する許りか、いい加減、生活支援者兼保護者が迎えに来て白装束集団の総本部へ連行され兼ねない。車体の動揺の度に姿勢が悪いのか、筋力が無いのか、私の貧相な体は機械の角や硬い面と衝突を繰り返して、仕舞い頃は麻衣が青痣を数え出した。見ると、骨の出っ張った箇所に青痣が出来ていた。
首都東京から自動車を休憩も無く走らせ約二時間、車酔いが絶大な効果を発揮して、融通の利かぬ意志が帰宅の意を示し、何とか降車の機会を作ろうと策動するも、運転手は悉く無視して私は機械と衝突する度に青痣の数を増やして、勝手にしろと悪態をついた。道路環境が悪いと見え、暑中休暇中の旅行者の自動車が渋滞を作り、異常現象に悩む依頼人を待たす事に罪悪感を覚えた上司達は、脇道を選択して舗装の悪い道を長時間かけて走破し、依頼人の家のある街に着いた。車酔いの所為で意識の朦朧とする私を励ます麻衣の言葉も素通りして窓外の風光を見遣る気力も無く、精密機械の箱に凭れて、移動時に動揺の無かった糞爺の持ち霊を思った。糞爺の操縦技術が素晴らしいのか持ち霊の性能なのか知らないが、乗り物に分類する事は失礼だろうが、全く素晴らしい乗り物だったと今更解った。
車外の音響は車内の物騒な音の所為で聞こえない。薄暗い窓の向うの、腹痛を抱える人間の脳内の様な鬱屈した青空は高く間遠に薄雲が漂う。入道雲の聳える濃色の空を背景に自動車は、閑古鳥の無く商店街の看板を横切り、道普請の途中の脇道を通り過ぎて、ひっそり閑とした、往来の少ない住宅街を抜けて築地塀や背高の植物の垣根の繁茂する豪邸街を疾駆し、遠い青空のもっと向うへ突っ込んで行く。塀の屋根越しに喬木の鬱蒼たる樹冠を見て、立派な青い枝葉の、青い風の随に揺れる陰が極彩色の肉厚な花弁を付ける樹木を髣髴させ、灼熱地獄の大地で育児に励む頃を思い出す様だった。霊能者の集団の中で、魯鈍な小娘の育児風景を見守る親戚の小父さんが子守唄に読経を慫慂して、暇潰しと特訓旁、お経を熱唱した破戒僧の善さん良さんの歌の合間に五月蠅いと半畳を入れる糞爺、そんな回想が止め処無く脳裏を過って胸の隙間風に溜息を吐く。
軽井沢等の避暑地の様だと麻衣が言う。無論私達に避暑地と言う、偏見を承知で、贅沢な余暇の過ごし方や場所に足を運んだ経験は皆無だ。麻衣の第一印象が避暑地、私の第一印象では濃い青色の空が業腹な、自動車の黒い窓で青色を塗り潰しても、表へ出れば青色が頭上を占拠して、甚だ不愉快な場所だと思った。青空は大嫌い、と言うと、依頼人の前では慎めと進路の直線道路を睨む上司が言った。私にだって分別はある。天気の好悪の問題であって、広い屋根の先端が築地塀の上端部に覗く豪邸が軒を連ねる避暑地を厭う発言でなく、純粋に晴天を厭う言葉なのだが、心身が極限状態にある依頼人と家族には、悪印象しか与えない事は諒解済みである。車体が跳ね、精密機械が浮き上がり、着地の動揺が車内の座席に伝わると、機械の角が私の肉を突き刺した。
大分奥の道を行き、急勾配の坂道を登る。段々勾配は緩くなり、高台の端の陰気な鬱林の下陰を抜けて、洋風の煉瓦造りの壮麗な屋敷の門が見える所で、依頼人森下典子さん達家族の住まいの全貌が、峡谷の間に挟まる建築物や観光地の洞窟の最奥の村が精々の、貧乏性の私の目を養う豪邸が見え出した。葉擦れの賑やかな樹木に囲まれた駐車場─前庭の事だ─に自動車を停め、荷物は貴重品を懐に仕舞って、精密機械を掻き分けて、か弱い皮膚に容赦無い太陽の下へ躍り出た。冷房の御蔭でさらさらな肌が着物の裏地が貼り付く箇所から湿り、陽光の当たる面積の広い背中は、瞬く間に汗をかき、針葉樹か広葉樹か判然しない雑木林の木陰で涼を取りつつ、黒服の襟を直す上司と依頼人の森下典子さんの挨拶を交わす光景を眺めた。避暑地と無縁の麻衣が挨拶を忘れ、無縁の豪邸の蒼古とした構えに感銘し、間抜け面で幽霊屋敷の様な、生活感ある人の屋敷の様な、依頼人の家を見上げて目を輝かしている。
誰の先導か、私達事務所所員は屋敷の中へ招かれ、真っ白な壁に真っ白な天井、靴の儘踏む屋内の床に感動し乍ら、正面階段の脇の道を通って奥の応接間へ案内された。真紅の絨毯を踏んで応接間の閾を踏んで、部屋の真ん中の豪奢な卓子と革張りの長椅子、その長椅子には先客が居て、榻背越しに私達を顧みた先客達は、四月の旧校舎の幽霊騒動で無闇に騒いだ破戒僧事滝川法生さんと巫女松崎綾子さんの二人だった。
私達自身が遭遇に驚く中、依頼人はお茶請けの用意の為に応接間を出て、残った霊能者達と調査員達は、銘々椅子に腰を掛けて再会を喜ぶ様に、又再会を鬱陶しがる様に、勝手な事を言って通り一遍の挨拶を済ます。二人は私達、一介の生徒が事務所で働く迄の経緯を話すと案外な顔で嘆息して、業界の厳しさ等を揶揄して脅して来た。私は中途半端な実力の、しかし自身とは比較にならぬ霊能力を有する霊能者達の言葉を話半分に聞き、お茶請けの準備を整えて再度応接間に遣って来た依頼人と家族の顔を順繰りに眺めて、面倒臭そうな関係と、上司の依頼内容の確認に調査の開始の前から疲れを感じた。
聴取を終えて調査活動の中心となる部屋に案内され、玄関広間の脇の部屋、依頼人の兄の書斎を宛てがわれ真昼の陽光の恩恵で、前庭の樹木が硝子窓に迫ろうが室内は明るく、機材設置の面積を申し分ない。豪華絢爛たる装飾は白装束集団の隊員と、アパートの決まる迄寝起きした宿屋の内装以来、縁の無かった光景で、無性に現代の母親と可愛い末っ子に逢いたくなった。家族と異世界の家族を天秤に懸ける浅間しさ、愚劣極まる思考に観念して、私は糞爺に渡す手紙に末っ子の生涯を託し、末っ子への遺言は糞爺から巣立つ瞬間まで、糞爺を宜しく頼む、と言う様な内容を書き連ねて生活支援者兼保護者に配達をお願いした。贅沢な飾り棚や卓子の並ぶ部屋の中央に立つ上司が振り返り、雑用係に機材運搬の命が下され、物思いに耽る間も無く、勿論霊能者達との差別問答を追懐する事が目的でないのだから、其処でぼんやりする事は宜しくない。
不意に背後の扉にかしましい松崎綾子さんの声と鬱陶しい破戒僧の声が響き、蟀谷を解して振り向くと、霊能者は同業者と組む事は無いと嘯いた破戒僧が居て、卓子の寸法を測る事務所所員、所長の助手たるリンさんに異常現象について意見を求めた。天上天下唯我独尊、嫌味な所長の助手を務める彼も又、突慳貪な物言いで、返答義務の有無を問い返し、私達と霊能者達を閉口させた。
機材運搬は松崎綾子さんが現場から韜晦し、雑用係は遺憾無く雑用係としての能力を発揮し、職務を全うして設営機材の数、設置場所を確認し直す所長と助手を見守る。異常現象の原因を地霊地縛霊と問答を続ける人達は放置して、私達は精密機械の取り扱いを熟知した上司の指揮下、重い荷物と機材を運び、自動車と屋敷を往復し、淋漓と滴る汗が着物を濡らす不快感を堪え、手汗で滑る機械を持ち上げ金属製の棚を組み立て、幕屋の組み立ての何と大雑把な事。集団の男衆の手際の良さは、一行の総帥が寝起きする寝所の創造すら真面にやらない事に起因し、十八番の読心術で以て、寝所の幕屋の構造と不安定な柱を諒解していた筈の糞爺は、よく倒壊の危険性のある場所で伸び伸びと寝られたものだと、豪胆な精神に感服した。頑丈な金属製の棚を、糞爺の様に愛想笑いで黙止する事無く、大喝一声、下手すりゃ上司自ら道具を奪って棚の構築や設営を行うと言う、労働環境の差異に目を瞬かせ、集団の男衆は中国の名家の下で仲良くやっているか知らと不安になった。
昼頃、台車に霊能者と調査員の昼食を載せて、森下家家政婦の柴田さんが来られ、霊能者染みた発言と現代科学の精鋭、精密機械の山に愕然として、事務所の依頼人の森下典子さんも建物の見取り図を持参して間隙も無く設置された機械の壁に顎を落とした。改めて書斎の模様を見回すと、全く様変わりしたと感心する。偏に私達肉体労働者の功績で、頭脳労働者の上司は、見取り図の出処、屋敷の前所有者、兄との関係の詳細を尋ね、根掘り葉掘り聞くものだから、若し私の知識と記憶にある霊能者の情報の提供を求められた時、返事の仕方を誤れば、関係の遠近に拘わらず多大な迷惑と混乱を招く事は、想像に難くなく、非常に面倒臭い。頭の回転が遅く、発想も貧困で、馬鹿な為に末っ子に寂しい思いをさせる姉貴分だ。頭の回転が早く、発想が奇抜で、賢い為に嫌味な事務所所長の尋問を受けた場合、要らない事を喋るに決まっている。所長の嫌味に薫染して、私も糞爺を負かせる程の嫌味な性格を作ろうと思う。
上司と依頼人の会話は聞き流したが、兄の知己の十和田と言う高齢者の方から屋敷の所有権を移譲され、その先住人の十和田夫妻が屋敷を去った理由は、着目する点も無く、何の不思議も無い。昼食の載った台車を囲み、豪華な献立に興奮気味の麻衣と一緒に、家政婦柴田さんは割烹着の似合う皺塗れのお婆さん手製の洋食の湯気を吸い込んだ。真実美味い料理は、湯気も美味いと知った。
食事後、私達は基礎データと言われる基礎情報の収集に向かう。基礎情報とは、屋敷内の各部屋の気温、電波、その際に臭いと物音の確認も怠らず、特殊な事務所で働く機縁を得たが為に、馴染みの無い高周波電波低周波電波を検出する電磁波計と騒音計を携え、広々とした屋敷内を競奔し、自身の担当する部屋の全てを計測し終えて書斎に駆け戻ると、惜しい、麻衣の方が先着していた。記録用紙を上司に手渡す事で口頭での報告を省略する。機材設置に労働力として鞭打たれ、今後除霊の際に馬車馬の様に働かされる運命にある破戒僧は、書斎の椅子に腰を掛け、泰然として上司達の仕事振りを眺める。この時は私も破戒僧が、これから酷く長い付き合いになるなぞ、露とも思わず、除霊依頼はどうした、仕事はどうした、仕事着はどうした、と内心文句を並べていた。
書斎の片隅で麻衣と一緒に次の指示を待ち、私達が基礎情報の収集に勤しむ間、兄の秘書と言う壮齢の男性尾上さんが屋敷の来歴や、水道等の調整、水道管の工事の為に遣って来た業者に聞くも情報無し、お力になれず申し訳ありませんと平身低頭して書斎を退室された。上司は情報の乏しい屋敷の苛立ち、一階二階の廊下に一台宛、玄関広間に一台、担ぐ様な無骨なカメラを設置して様子を見ると言った。
カメラの設置は私達の仕事である。
オパチョ腹ぐるぐる。あの環境で腹壊したら、下手すりゃ死にますね。
いよいよ人形劇の始まりです。