お前退くまで私消えるまで、共に忘れ得る日まで。   作:赤茄子

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第七話:何が友かと言えば話せた相手…

 翌朝昼前、快晴の青空の真ん中に太陽が懸かる少し前、昼寝前に目覚めて階下の書斎へ行くと、私達の就褥前と毫も変わらぬ恰好の事務所所長と助手が鉄製の棚に鎮座する機械の調整か確認か、記録映像等を見直す様で、朝の挨拶も等閑に、事務所所長は雑用係に昼間の基礎情報を再度計測し直すよう言った。豪奢な装飾が移動や開閉に不便な飾り棚、衣装箪笥の横の物置場に投げた記憶のある温度計を探し、雑品を掻き分け、置き場所を間違えたか知らと飾り棚や空の衣装箪笥の抽斗を開けて覗く。矢張り無い。抑も雑用係の私達が雑品の取捨を容易にする為、物置場の場所を合議した上で決め、基礎情報の計測に用いる器具の類は全て物置場から持ち出す事を、物の遺失が頻発する幽霊屋敷に来る前日、散々話し合ったのだ。麻衣が別の場所に置く事はない。これも幽霊屋敷に潜む幽霊の、否、借り暮らしの妖精の仕業と断じ、事務所所長に温度計の予備の有無を尋ねた。表の自動車にあると言う。

 昨晩窓掛を引いた前庭側の窓は、書斎に容赦無い陽光を惜しげも無く招き入れ、薄雲一つ無い青空と色の薄い太陽を見上げ、玄関広間や廊下より一等暑そうな天気に閉口した。密閉空間の書斎には、表の物騒な蝉時雨も届かず、胸奥の焦燥を煽る要因も無く、微動もしない雑用係を叱咤する上司の一声に重い足を動かした。遺失を承知で物置場を漁り、何度も自動車へ取りに行かねばならない事実から逃避して、分厚い資料の束で頭頂部を殴られ、不承不承、青葉の青色が目に痛い酷暑の最中へ躍り出た。

 幽霊屋敷を囲む鬱林の下陰は、真昼の烈日の脅威も何のその、不気味に薄暗くて、背後の幽霊屋敷の事実さえ無ければ紫外線の暴挙を窘める程度の清陰を齎すに違いない。

 寝巻は普段就寝に使う半袖で、昼間の太陽の下での活動中、か弱い皮膚を庇蔭する普段着は長袖を着る。屋敷を訪れる前は半袖と袖無しの上着に限定しようか考え、念の為、と言う事で長袖を鞄に詰めて、避暑地の溽暑真夏日の今日、湿気の心配も残るが、獰悪な太陽から皮膚を護れるなら、熱中症も熱射病も我慢する。罹患後は痩せ我慢の通じる病気でない事は病気全般にある事で、私は灼熱地獄の荒野の遥か上空を不可視の飛行機で旅した経験がある。多少の暑さは灼熱地獄の空の旅で体験した恐怖に比べれば、欠伸が出る。

 自動車は鬱林の下陰、生垣の向う側に長時間停車していて、蝉時雨の降り頻る庭を通って、根元の青草の揺蕩う生垣を越えて製鉄の可能な程の熱せられた自動車の後部扉を開け、押し寄せる熱気に顔面を蒸され乍ら攀じ登る。作業続行の気概も失せ兼ねない、真夏の熱気に、賃仕事の駄賃を貰う為の精神を作興して、後部座席の機材安置場を漁る。精密機械や熱に弱い機械の類は書斎に避難済みで、車内に残った機械は空っぽ、機械の空き箱が転がる許りの安置場の雑品の眠る箱を手探りで探し、温度計の感触を指先で確かめる。後部扉は勿論全開、表の蝉声が五月蠅く、薄手の長袖に包まれ腕に纏い付く布の感触が一層苛立ちを募らせ、滲み滴る汗を上着の肩口で拭き拭き、薄暗い後部の機材安置場の床に膝を突いて温度計を引き側む。

 狭い襟刳りで汗を拭い、姿勢を直して後部扉を潜ろうとした時、薄暗い車内に無闇に眩しい真昼の庭を望む薄黒い窓を見遣ると、見慣れぬ細い背中を認めた。夏季の植物の叢生する花壇と駐車場を隔てる生垣と草叢の中間地点、華奢な、いや高齢な為に痩せ細った背中が、緑陰に浅黒い顔と暗色の作業着を隠して、草叢の向う側を盗み見る様に小腰を屈めていた。私は機械の空箱の山を鑿空して間隙に顔を覗かせ、草叢越しに花壇の見当を観察するらしい人影を観察した。高齢の人影は無精髭も無く禿も無い、白髪の蓬々とした老爺だった。軈て作業着姿の老爺は中腰姿勢の儘、身を翻すと事務所の自動車に気付き、薄黒いフィルムを貼って外側から内側を覗くのが困難な、後部の安置場の窓を矯めつ眇めつして、何事か思案する風に向うへ行ってしまった。熱射病患者の様な赤い顔の老爺は気儘に屋敷の手入れに来る曾根さんと言う人だろう。

 私は電子温度計を握り締め、鑿掘した空箱を元の位置に直し、後部扉を潜って老爺の蹲って居た草叢の向うを見遣った。建物を囲繞する様に設置され、又手前の庭園に迄広がる花園に、如雨露片手に水遣りに勤しむ森下典子さんと森下礼美ちゃんの後ろ姿を見て、暫く炎天下で思案投げ首、眩暈を覚える位長居して書斎に戻った。

 昼寝時間は疾うに過ぎ、僅かな睡眠と強烈な睡魔に襲われ乍ら、麻衣と別個に各部屋の基礎情報を計測し、溜池の見える範囲の気温を測る際、私は景致を害す現代の摩天楼の先端部に顔を顰めた。高層ビルの最上階が蜃気楼の様に頼りなく、幽邃の趣ある屋敷の裏手の不釣合な混凝土製の建物の影は、末っ子の芋掘り風景を思い描いた異国の大地に突如戦車が疾駆して来る様な、無粋な異物に思われた。計測完了を知らせる電子音に、温度計から目を離した事を思い付き、慌てて壁際の電子温度計を見遣るが別段位置が変わると言う事も無く、不動如山宜しく壁に凭れて計測結果の数字を出していた。昨日の基礎情報の紙の上に別紙を重ね、基礎情報の気温の空欄に、測り終えた許りの温度を書き込んで、まだ其処にある温度計を取って部屋を出た。

 基礎情報の書き込みを終えて書斎に戻り、特別変化の見られぬ基礎情報の一覧を瞥見しつつ、私は昼間の老爺の奇行を上司に報告した。同時に、贅沢な長椅子の後ろの扉が開き、話題の老爺の登場に少し胸がどきんとした。機材安置場で見掛けた事を後ろめたく思い、棚の角に蟀谷をぶつけ、鉄製の頑丈な棚の威力を堪能した私は、暗視状態から通常の画質に戻った、鮮明な画面の向うで祈祷の準備をする松崎綾子さんの巫女装束姿を見て、祭壇の設置や祭具を並べる度に苛々する様子を見詰めた。昼夜問わず勤勉な妖精の真面目腐った悪戯は、頻度を増して、神道式祭壇を蹴飛ばし兼ねない憤り振りに、私と麻衣は目を瞬がせた。上司の不審者老爺への尋問は資料を確認する事として、抑揚無く流れる祝詞を聞き、時折祈祷の風景を横目に見て、口の重たい老爺の尋問風景を見遣った。

 熱射病患者の様な赤い顔は日陰の書斎に居る為か、段々青褪める様で、老爺の体調が案じられる変色具合に私は上司の仮借無い尋問に身震いした。身震いする程の恐怖や脅威を感じた事がある。糞爺への復讐を目論む集団が複数あって、異国の大地で未知の育児に奮闘していた頃、真夜中のママの警告や威嚇の声の意味を量り兼ね、誘拐されて簀巻にされて、土手の広場に転がされて、糞爺一行の乙破千代救出の一撃目を食らい、誘拐犯共々被害を被った。復讐者で混雑する眼下の広場を睨む糞爺の寸毫の仮借無い攻撃の余勢で、私も大火傷を負い、挙句火柱を赤い巨人に間違える程瀕死に追い遣られ、多分初めて糞爺の中で私が高評価を受けた瞬間だ。傍で私の間抜け面を見た者は、瀕死の重傷より、燃焼物の無い場所で発生した火難に依って目撃の機縁を得て、有難みに欠ける火事の犯人像に悚懼する私を、指差して腹を抱えて笑ったに違いない。火事の熱気許りが記憶に焼き付き、他の風景や人影を見る余裕は無く、糞爺の愛想笑い一つ浮かべていない顔が見下ろして来る事だけ、明瞭に記憶している。

 老爺の退室後、間を置かずに儀式的、或いは拝み屋的除霊を終えた松崎綾子さんが着替えて書斎を訪れ、私の目撃情報を麻衣が口伝すると忽ち顰蹙して、老爺の挙動不審を疑った。行動の制限を受けぬ老爺が馴染みの屋敷の敷地内で、草叢に身を潜めて水遣りに夢中の一家を凝視する事由とは何ぞや、霊能者達と素人調査員達は顔を突き合わして考えた。屋敷を囲む種類の豊富な草花は建物が建つ以前から植わっているのか、随分な広範囲に簇生し、建物に近い花壇に植わる草花は、古色蒼然たる煉瓦で囲われ繚乱と咲き乱れる。時季は暮春辺りの気候が最も美しいと思われるが、青嵐に靡く青葉は白い太陽に反照して色を深め、諄い位の香気を土熱れと共に屋敷内まで誘い、寝入り端に鼻腔を擽る芳香が胸先を悪くする。自動車の機材安置場を出て草叢の向うで花壇の傍を漫歩する二人を見た時、青臭い植物の樹液か何か知らない臭気に鼻が痒くなった。

 家の異常現象は土地の問題か一家の問題か、一家が引っ越しの騒動の際に竄入した問題か、急激な環境の変化に依る家庭問題の発露か、抑も義姉と義妹が同居と言う事実が不信感を煽る。両親義両親と別居するくせに義理の姉妹が同居、血縁関係の無い娘の育児、環境変化を境に関係の複雑さが浮き彫りとなり、異常現象と思しき事態も加わって皆が疑心暗鬼に陥るのも無理のない事と思われた。

 誰かが潜在的超能力者の存在を指摘し、環境の激変に順応し損なって天賦の才が開花した、と聞き齧った知識を現状に照応させ、無茶苦茶の様で、実際は誰の意見の中でも最も正解に近く思われた。事務所所長と機械と格闘する助手を除く皆が納得した風情でいると、事務所所長は該当し得る年齢の人物がない事を根拠に、この意見に賛同し兼ねると断言した。物の移動紛失の多発、物の同位置に在り乍ら向きが変わる以外、身体的な実害の無い事も根拠と言った。結局注釈の仕様も無い仮定に拘るより、聞き込みを優先す可き、と誰かが言って、破戒僧が家政婦柴田さんの許へ、松崎綾子さんが森下香奈さんの許へ、麻衣は森下典子さんの許へ何気無い風を装って聴取に向かった。

 素人調査員、一人玄人調査員達の居る書斎に留守居させられ、資料を捲る上司の気配に怯え乍ら、記録映像の確認や人の掻き回した資料の整理に追われた。誰の帰還する様子も無い時、資料を捲る手を止めた上司は、到頭私の嫌な事を聞いて来た。

「XーLWASについて調べたが、欧羅巴を中心に活動する慈善団体としか解らなかった。一説では、上層部の人間は、各国の特殊部隊、軍の出身だとか、軍人崩れとか、実態はどうなんだ」

「慈善団体だよ。孤児の私を助けてくれた」

「援軍を派遣すると言っていたが、心霊現象を調査する部門があるのか」

「無いよ。ある訳ない」

「なら、何故、ラキスト氏は心霊現象の調査中、危険があると判断した場合は連絡を寄越せと、一慈善団体が援軍を出すと言ったんだ」

「過保護なのさ」

「極東の島国の一学生相手に?」

「ナル、話し難い。私一人の問題ではない。話すのは無茶だぜ」

「不公平だな。僕の事情を把握しておき乍ら、お前の事情をこちらに話すのは無茶なのか」

「当然だ。私一人でなく、慈善団体の団員、他の組織の人達も関わる事だ。私に話せる事なんて、幾らもない」

 松崎綾子さんが戻られて、この話は中断された。

 事情聴取に赴いた霊能者達と素人調査員が書斎に揃い、義姉は陰謀説を説き、家政婦は人間関係の縺れを恐れ、事務所の依頼人は姪の衣服の下に隠れる傷跡を疑い、事態は剣呑さを増して、専門家の介入を要する虐待説まで持ち上がった。この話も大した進展も無く、昼食後に再度聴取を命ぜられ、同時に屋敷を出る秘書尾上さんの事情聴取を上司自ら行い、助手リンさんも機械の前を離れて老爺曾根さんの聴取の為に屋敷を出た。又々書斎の静寂に素人調査員と上司が残り、気詰まりのする思いをして、私は資料の整理の無用な分まで勝手に漁って片付けて、上司の尋問を如何にして躱すかに懊悩した。

「歩」と油断ならぬ上司の冷酷な声が響いた。

「知り合いに霊能者はいるか?」

 居るも何も、異世界の知り合いは霊能者で占められている。

 無論曝露する事は出来ないので、有耶無耶にする術を模索する。

「昨日、麻衣との会話を聞いて思ったんだが、その前に確認だ、お前はリアム・ダイゼルを知っているか?」

「ダイゼルさんのお父さん」

「名前だけの様だな。彼は英国の私立探偵、ダウジングで有名なダイゼル家の当主だったが、約十年前、帰宅した息子リゼルグ・ダイゼルに焼死体で発見されている」

「……聞いた事はある」

「この時、彼の妻も焼死体で発見された。警察は無理心中と決め付けたが、妻に抵抗の跡は無く、リアム氏にも無かった。殺人の線は皆無と言われ、心霊現象、未解決事件は超能力捜査を担当するとある超能力者がこの事件を殺人と断定し、警察による再捜査を嘆願した。理由は、灯油やガソリンを撒いた様な形跡も無し、マッチ、ライター等の火器も無し、火の気の無い所で突然発火したとか思えない現場に疑問を覚え、透視したからだ」

「透視? 犯人は解っているの」

「解らない。其処まで鮮明に見える訳ではないらしい。只、この超能力者が言うには、ダイゼル夫婦の無理心中でなく真犯人が居て、これは殺人だと当時事件を担当していた友人の捜査官に訴えた」

「……犯人像は」

「体格は子供、四歳から六歳位、黒髪、星が見えたそうだ」

「ほし?」

「星。ダイゼル家に黒髪はいない。子供も、息子のリゼルグ一人。星に関連する物も、自宅内には無かった。透視した本人も信じ難いと何度も言って、自分の透視結果を疑ったそうだが、数回行った透視結果は変わらない。真犯人は星が深く関わった黒髪の四歳から六歳位の子供。ロンドン警察は情報を公開する事はしなかった。これは息子リゼルグの安全を考慮したからだ」

「つまり、怨恨?」

「殺人なら、な。だが、それは警察の結論で、超能力者は怨恨には否定的。衝動的なものだろう、と言うのが超能力者の意見」

「だから何」

「子供の怨恨より子供の衝動的犯行の方が、僕も納得がいく」

「そうかい」

「僕は自動発火と考えている。これは超能力によるものだが、リンは霊能力の一種と見ているらしい」

「リンさん? 何だ、リンさんは霊能者か」

「その殺人事件の被害者遺族と知り合い、その遺族も又優秀なダウザーと聞く。リンは彼も超能力者でなく霊能者だと言っている。後、リゼルグ・ダイゼルは過去XーLWASに所属し、現在は援助を受け乍らロンドン市内の高等学校に通っている。麻衣はお前を通して知り合った訳だから、恐らく詳細は知らないだろう。が、お前は違う」

「違うかな?」

「当事者だと、僕は思う」

「だから話し難い。沢山の人の関わる話だ。援助を受けて漸く暮らしている小娘の一存で話す事柄ではない」

「一度ラキスト氏を交えて話す可きかな」

「何故知りたい」

「優秀な霊能者なら、是非お近付きになりたい」

「ナル、貴方は欲望に忠実だ」

「事件の自動発火が霊能力の一種? 面白いじゃないか。実際人死にが起きているが、人を焼き殺す程の火力は、火気の無い所で出すには相当な力が必要だ。それを可能とする人間がいるなんて、解明したいと思わないか」

「真っ先に焼き殺される人だね、貴方は」

 多分、色々の繋がりに気付いているのだろう。

 事情聴取を適当に終えた霊能者達と素人玄人調査員が帰還し、意見を出して合議した結果、依頼人家族は皆、異常現象に怯えている事が判然した。その異常現象、家族の抱く違和感が表面化したのは、引っ越しの後と言う事で一致している。生活環境の激変に心身が追い付かず、怪しい人間関係が縺れ出して、家内で最も権力の無い少女を虐待する形で現れ、虐待の被害者の潜在的能力が引き摺り出されて屋敷内を騒がす大騒動に発展した。──と、皆家内で弱者に位置する少女の悲鳴と断じて、上司相手でも譲らない。責任感か正義感か、人並み以上の人情に厚い松崎綾子さんは年齢の近い私達に森下礼美ちゃんの動静を見張るよう言って、素人調査員で賃仕事の真っ最中の私達は、上司の許可無き行動の一切を躊躇して、相談して、書斎で資料整理等の為に残るのは私と決まった。

 そうして監視役の霊能者と調査員が書斎を出て、資料整理に勤しむ私は、陰鬱な樹影を前庭側の窓越しに見て、暗い枝葉の間隙から暑中休暇の最初の月とは思われぬ夏空を見遣って溜息を吐いた。精密機械を設置する御蔭で空調設備が調い、冷気の巡りの早い構造の書斎で、表の暑気に喘ぐ事無く、機械の稼働による熱気を肌で感じつつ、紙の資料を纏めて助手の向う機械の横に重ねて置く。原理は解らないが、助手の傍だと物の遺失紛失が少なく、多分、屋敷の幽霊も彼の身辺に手を出す事は遠慮して、又は報復を恐れて近寄らないと私は考える。金具で纏めた浩瀚な資料を機械横の紙束に積み重ね、幾つもの山を築く内、硝子を叩く青嵐に表の景色を振り返る。一陣の風が樹木の枝葉を縫い合わせ、鬱閉した枝葉の向うに夏空が消えた。急に室内が薄暗くなり、電灯と自然光を比べると、断然自然光の方が明るい。陽光を遮る樹冠を邪魔に思い乍ら、いっそ雨雲が屋敷の屋根を覆えば良いと顔を顰めて思った。

 機械の起動音が鳴り響く書斎から破戒僧が出て、書斎内をぐるり見回すと事務所所長と所員のみが作業中らしい。私は機械と格闘する助手の顔面の半分を覆う前髪を見詰め乍ら、唐突の感は否めないが、人間関係の構築、維持の意志が希薄な助手に、先程の上司の話にあった超能力か霊能力かの判断を助手が行い、英国は私立探偵の殺害事件の殺害方法を霊能力と断じた事由、又当人の霊能力の有無を尋ねた。

 助手は嫌そうな顔で緘黙し、私の質問を聞かぬ振りで、機械との格闘を続ける。

 私は糞爺と対面次第、意地でも殺害して遺体の解剖を始める勢いの上司の気配に神経を尖らせ、無視する助手の横顔を一瞥して、尚質問を続けた。幽霊を目視する事が常識の霊能者にとって、非霊能者の存在は、星の脅威であるが故に、人類滅亡を切望する程の価値観に鴻溝があると私は考えます。それでも幽霊を見る事の叶わぬ私は、死ぬ事が嫌です。霊能者達は、貪欲な人間達を厭うでしょう、でも貪欲な事にも理由がある、決して理解し合う事の出来る間柄ではない、しかし努力を重ねず理解に近付く事も出来ない、貴方は霊能者でない人間が世界を我が物顔で闊歩して土地を蹂躙する事をどう思います。

 助手は嫌そうな顔から一転、変な顔で私を見遣る。私は生活支援者兼保護者から電話で聞いた事を踏まえて更に問うた。貴方は日本人がお嫌いですか。

 助手は無言で機械に向き直る。私は嘆息しつつ、勝手に続ける。その生理的反発は、私の知る霊能者達の持つものなのでしょう。私は何も知らない。生理的嫌悪の経験も少ない。幽霊が見えない事を理由に殺意を抱かれ、嫌悪され、憎悪される事に納得がいかない、理不尽を感じる。この反骨精神が嫌われる理由でしょう。嫌われる事は辛い、理解を得られぬ事は辛い、私はそれ位しか理解出来ない。駄目なんでしょうか、彼ら霊能者達と共に痩せ衰え、瀕死の星に生きる事は、矢張り霊能者の目線では苦痛なのでしょうか。

 助手は機械と闘う手を止めず、只一言。私は貴女の言う霊能者程の力を持ちません。

 私は霊能者の間にある格差社会に目を瞬がせた。同時に、彼の嫌な事を例えに用いた事実を恥じて、無礼な言動を深謝した。

 暮色が裏手の溜池の瀲灔たる水面に溶け、深緑の輝きが鈍る頃、間食の時間から監視を務めた麻衣と松崎綾子さん、屋敷の警邏か散歩に出ていた破戒僧が戻り、森下礼美ちゃんの悪い魔女だの家政婦柴田さんは魔女の家来だの、自分達を毒殺して死体を処理して、完全犯罪を云々と言う八歳らしからぬ発言を報告した。八歳の想像力を超越した発想だ。虐待より幽霊の教唆を真に受け、束縛されていると解る。重苦しい雰囲気の蔓延る書斎内に、廃屋の実験室の様に機械の起動音許りが響いて、屋敷中が森閑として、私は前庭側の窓掛を引いて月光を遮った。電灯が照らす書斎は眩しいけれど、何だか薄暗い印象を与える。夜は暗い事が当たり前で、電灯が点くと途端に薄暗く感じ、気持が塞ぐ様な気がした。

 薄汚い黄金の月影が霊能者非霊能者の鬱陶を助長する様に、天心目指して緩やかに上昇し、無用な資料整理や家内の異常現象等に意見交換の絶えぬ時、屋敷の最奥の一室から悲鳴が上がる。打てば響く様な瞬発力を以て身を翻した破戒僧と麻衣が書斎を駆け出し、機械を離れた助手や資料を捨て置く上司も揃って書斎の扉を蹴り開け、玄関広間の半ばを駛走する私を追い越す二人に、自身の運動能力の低さを悔やんだ。基礎情報の収集や家人と話す機会が無い為に踏み入る機会を逸した応接間に、家具の裏返し事件以来、扉の前を往復する程度だったが、数十時間振りに応接間の閾を跨いで、奥の台所へ駆け付けた。私の勝手な想像だが、台所には縄簾等の暖簾が掛かっていて、出入りの度に簾が肩を掻き、簾内の家人、主に母親と祖母の指示で御膳を運ぶものと思っていた。古い屋敷の台所に縄簾は無く、遮蔽物も無くて室内の様子を一望出来た。

 家政婦柴田さんが食器棚の傍に蹲り、火を噴くコンロを凝視する。火勢の凄絶さに霊能者達も調査員達も一瞬立ち尽くし、次いで弾かれた様に行動した。異国の大地の誘拐犯に体も霊魂も焼尽した火勢を想起し、換気扇の覆いを焦がす火柱を見上げ、家政婦の悲鳴と松崎綾子さんの踏鞴を踏む音に意識が台所に戻る。瞬間、業務用より少し小さい冷蔵庫の横に消火器を認め、記憶を手繰って使用法を思い出し、黒いホースの先端部の金属部分を握り締めて、狙いをコンロに定めて噴射した。幽霊の仕業の場合、人間の作った消火法が通用するか不安だが、一本目の消火器を使い切り、二本目の消火器を抱えて飛び込んだ麻衣が噴射して、無事鎮火した。

 家政婦柴田さんは食事の準備に追われるでもなく、火を使用していた訳でもなく、突然火が噴いて、忽ち身の丈を越す火柱となって悲鳴を上げたそうだ。鎮火後、頽れた麻衣が磨り硝子の向うに人影を認め、子供が居る、と叫んだ。上司が確認するも、其処に人影はない。

 子供と言う単語に森下香奈さんが子供部屋へ駆け込み、火事の恐怖に笑う膝を宥め乍ら、漸く上階の子供部屋に到着すると、森下礼美ちゃんの無実を訴える悲鳴が聞こえた。木製の扉と木枠の、蝶番の分の隙間から室内を盗み見る。悲鳴に呼応する様に家具が動揺し、重い絵本等の連なる本棚が、絵本を散らかし乍ら森下香奈さんの上に覆い被さった。──幸い軽傷で済んだが、幽霊の仕業か超能力か、いよいよ解らなくなった。




 国際問題を広げたら人間が二分された話。
 矢っ張りハオのやった事は、知っている人は一般人(?)でも知っているよなあ、と。
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