お前退くまで私消えるまで、共に忘れ得る日まで。   作:赤茄子

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第八話:何が相手と言えば相容れぬもの…

一、

 記録映像等を、機材を用いて確認する。背後で霊能者達が除霊失敗を嘲り、不貞腐れた様に明後日を向いて、騒々しい幽霊の力業を自動発火と呼んで、高級な能力に総毛立つ。素人調査員達で霊能者達を振り返り、自動発火と言う現象の詳細を尋ねると、除霊の失敗談の続きの様に、顰めっ面の松崎綾子さんが補足した。私は文字通りの現象を回顧し乍ら、手掌に生む火影が唯一の光源だった頃、調理暖房その他生活に活躍する火を操る糞爺の愛想笑いと人間臭い顔を脳裏に浮かべ、高級な能力と呼ばれる能力を遺憾無く披露した後ろ姿を憎らしいと思った。綺羅星の輝く夜空を流れる薄雲に罅裂を見て、何か不穏な事の起こると予想して、専門知識の無い私が、何事か解らぬ間に行動を開始した糞爺は、大多数の一人たる私を顧みて顔を顰めた。専門知識も興味も無い、理不尽な関係に数知れぬ程憤りを覚えた。生来の才能の有無に、誕生後数年の人間に多くを求める様が、理不尽と叫び怒りを覚えず居られるだろうか。

 烏の濡れ羽色の長髪が艶を増し、艶が曇って皮脂に塗れ、砂塵を髪飾りの様に纏い付け、手櫛で整髪の間に合わぬ頃に、水飢饉に悩む筈の地域で惜しげも無く水を集め、太陽光か霊能力か知らない力で一度沸騰させ、少し冷まして浸かった。洗濯が趣味の末っ子も自分を洗濯して、縮れ毛が砂塵を巻き込む前に乾かし、糞爺の艶の鈍い射干玉の頭髪も艶が蘇って満悦の様子だった。湯船─穴を掘った簡易風呂─の中の沸騰した湯を見る度、墨汁の星空に棚引く湯気を見る度、過酷な自然に翻弄され、飢饉の際も仕事に手を抜く事無く没頭する遊牧民や現地民の羨望も素知らぬ顔で湯船に浸かる糞爺の神経を疑った。勿論水飢饉に悩む人達には、霊能力を揮って水を齎す事もあり、神経を疑う行動の後の行動が慈善なのか偽善なのか判然しない。水を齎す能力、水を沸かす程の加熱能力、全て霊能力に括るのは困難な気もするが、概して超常的力は超能力か霊能力と言って納得する事もある。良いかな、と私は記憶の中で憤慨物の笑顔を振り撒く糞爺の横面を引っ叩く瞬間を想像して、気を落ち着けた。

 瞑想で集中を高める等、高等な精神を持たない私は、霊能者達と素人調査員の会話を外れて起動音の喧しい機械に向き直り、記録映像を再生する事は、既に瞼が重くなる程繰り返したので、上司の漁った紙束の資料の整理整頓をした。助手の睨む機械の横に資料の山を築き、鉄製の棚に一番近い機械の傍に聳立する紙束を、表紙と内容を確認して、上司の手の届く範囲に積み重ねる。そうして霊能者と素人調査員の意見を聞いて思案投げ首、傍の資料の山の中腹を引っ張って、山の均衡を崩す事無く紙の資料を捲り出す上司は、思春期前の少女の超能力か、地霊地縛霊、幽霊の正体は不明だが、人ならざる者の仕業か、答えを出し兼ねている様だった。私は資料整理に夢中になって、心象だか能力だかの外在化云々の講釈は聞き逃し、ふと鉄製の棚に収まる機械の一部に青黒い色を認めて眉根を寄せた。色彩豊かな画面はサーモグラフィーだ。その画面の一部が青黒く、温度が異常に低い事を無知な素人調査員に教えた。

 助手が上司を呼ぶ。皆顔を機械に寄せて、子供部屋の気温が著しく低下する様に、その急激な温度低下に、人間業ではないと驚嘆した。

 異音も検知して、軈て子供部屋の異常現象は沈静したが、経験豊富な霊能者達と玄人調査員達は、何か不満があるのか腕を束ねて顔を顰めていた。私達、素人調査員は、資料整理と機材の移動と、他意見交換の時間の後、東雲の青い空を窓越しに見上げて就褥した。玄人達がいつ頃就寝したか、寝入り端に末っ子の寝物語に語った竹取物語の概要を思い出し乍ら、段々順序が曖昧になって、姉貴分の世話係の方が早く寝入ってしまった事に寝起きの不機嫌な時に糞爺が笑った。あの鼻梁の通った顔面の中央に渾身の力を乗せた拳を一発、叩き込む夢を見て、携帯電話のメール受信を知らせる震動で目覚めた。時刻は午前十時半、角部屋の寝台で泥の様に眠る麻衣が動く気配はない、その儘着替えて、メールを見乍ら客間を出て、階下の書斎の扉を潜った。

 矢張り睡眠と無縁な様子の上司達が機械と向き合い、資料を捲って石像の様に屹立していた。朝の挨拶の隙も無く、基礎情報収集は省略して、屋敷内の異常に遭遇して生活支援者兼保護者の嫌味を聞くのが嫌だから、と上司は滅茶苦茶に引っ掻き回した資料の整理を再度命じて、普段着の刺繍の解れた箇所の糸屑で遊びつつ、資料整理に精を出していると、昼の直前に目覚めた麻衣が書斎に遣って来た。酷薄な直射日光に雪膚を焼かれ、黒色の長袖の集める熱に渋面を作る上司が窓際の機械を動かし、容赦無い太陽を睥睨して、事務所所員の内最も遅く動いた麻衣の青褪めた顔を見遣った。書斎の贅沢な革張りの長椅子に座らせ、銘々起き出した霊能者達も丁度集まって、青褪めた顔に焦燥を滲ませ乍ら麻衣は子供部屋で見聞きした、森下礼美ちゃんの会話風景を語った。

 思春期前、八歳少女の森下礼美ちゃんは『見えない友達』と話して居て、最初は半信半疑の霊能者達も顔付きが険しくなり、親身になって異常行動の話に聞き入った。これを事務所所長は腹話術の可能性を疑い、聞き疲れたので、会話の概略次第の描写は省略し、心霊現象に於ける二重人格は憑依現象の事で、精神医学では解離性同一性障害等の解離性障害に分類し云々、と言う所で実話を基にした映画の話題に転じ、宗教の現場でも悪魔祓いの再注目、退魔師の育成講座に及び、又ポルターガイストはキリスト教では悪魔憑きとされる、そんな話を背中で聞いた。悪しき精霊、即ちキリスト教が入る以前の古い土着の神様を悪魔と称した話を聞き、霊能者の社会もだが、神様等の霊的な者の社会も軋轢や闘争の絶えぬ事実を知った。正直、宗教も心霊現象も、糞爺に関わる前は無関心だったが、こうも絶えず心霊現象の話題許りだと耳に胼胝が出来そうでいけない。

 知識の整理整頓の追い付かぬ内、話題は憑依と憑着と言う、又耳慣れぬ専門用語が飛び交い、兎に角霊能者の破戒僧が憑き物の中でも除霊可能と不可能のある事実に納得した風情で頷き、納得し兼ねた素人調査員達は解った風な顔で取り繕った。破戒僧曰く、人格が激変する憑依現象は除霊が不可能、若し除霊するなら、まず人間から幽霊を引き剥がす必要があって、剥がす事自体が難題と言った。私は記憶を手繰り、記憶の霊能者達の娯楽漫画の頁を捲るが、憑依状態から無理矢理引き剥がす作業を思い出す事は出来なかった。抑もあったか知ら。

 霊能者達は人形の問題を指摘し、文句の無いらしい上司も、事務所の依頼人を招請して、陶器の顔を持つ人形の出処を尋ねた。金髪の薄気味悪い人形を手に取り、上司は瞼の閉じた状態の白い顔を見詰めた。引っ越し前に父親が巴里の蚤の市で購入した物で、更に詳しく知る為に義姉の森下香奈さん迄招請した。そうして陶磁器の顔を持つビスクドールの講釈等を聞き、決して悍しい因縁ある物ではない、そんな思いを起こさせる話をする最中、持ち主が駆け付けて人形を奪還して書斎を逃げ出した。

 薄手の窓掛を引き、真夏の太陽の光線を和らげ、青葉の繁る樹冠の光沢のある青色が眩しい樹木と、背中を着物ごと焼く太陽を背負い乍ら紙の資料の頁数を数える。鮮好な葉の緑色が陽光を透かして、白紙に黒線の躍る資料の端に、薄い陰影を作って、何気無く肩越しに姿の良い楕円形の葉と不細工な楕円形の葉が錯落として、窓に迫る様を見て表の風勢の強さに吃驚した。避暑地は風の穏やかな場所と想像していたが、島国の溽暑の夏を遣り過ごす場所が、無風で、湿気の停滞する様な場所では意味が無い。盆地の寒暖は知らないし本物の避暑地の寒暖も知らないが、此処いらは風の強い地域なのだろう。銷夏の法は様々だが、避暑地に退避する事も自衛の一つ、輓近お茶の間を騒がす熱中症対策とは異なるも、酷暑を凌ぐ術に変わりはない。北海道出身者が沖縄に永住すると、温暖気候に慣れる間も無く歳を取るそうだが実相は勿論、私の関係者に極端な地域に移り住む人はいない、つまり私は知らないのだ。

 ふと鋭い光線が数条、薄手の窓掛を貫いて黒髪の覆う後頭部を焼いて、大変暑い。黒線に汗が滴る事のない様に額を袖で拭い、もう一度枝葉の間隙に覗く太陽光線を辿って、一寸目線を下げると、前庭の鬱蒼たる樹木の碧瀾が風の随に躍って賑々しい。青葉は美しく、風は勇ましく、屋敷内は陰々滅々たる空気が漂い調査員側の気持も塞ぐ。何度も滲み滴る汗を拭き拭き、灼熱地獄で数年間を過ごした経験もある筈なのに、湿気の多寡で体感温度が違う所為か、島国日本の夏季は煩わしい。皮膚が焼け爛れ兼ねない熱気の最中で喘ぎ喘ぎ生きた日々を追懐し、真冬の杉林の下陰で寝起きした頃の、直ぐ風邪を引かなかった理由を思い出す。糞爺の持ち霊の特性を活かした懐炉は、糞爺の陰陽術を用いれば、冷房にもなり得る事実に想到する。まさか、灼熱地獄でも糞爺の温情で、気付かぬ内に快適に過ごしていたのか。

 懐中の携帯電話の画面を撫ぜ、資料整理を中断して開くと、矢張り日本語変換の機能を知らないのか、態となのか判然しない、羅馬字の文章が薄暗い画面に並んで、送信先は孤児仲間事ダイゼルさんだった。前の文章と合わせて読むと、最近始めた賃仕事の塩梅を尋ねるもので、私達の健康安全を案じて下さるらしい。機械に齧り付く助手、資料を捲る上司の背中を窺いつつ、返信す可きか考えた。就寝前に書く方が賃仕事に従事する者として常識だが、最大の難問、時差の問題を解決する術を思索し、今の時間帯に到着するのだから、しかしダイゼルさんは賢い。利口な彼が時差問題を考慮しない訳がない。

 結局携帯電話を仕舞って、後日時差を調べて、返信内容を吟味してから返事しようと決めた。

 資料整理を再開し、気が付けば月影を背負う程時間が経ち、書斎の明かりの漏れる前庭を振り返り、真っ黒の樹影の凄涼として、向うに薄白い幽霊を見ても笑えない暗闇に窓掛を引いた。機材の大半を子供部屋に設置して、森下典子さんと共寝する礼美ちゃんの腕から人形を盗み出し、深更午前零時、子供部屋の寝台の枕に凭せて録画録音を始めた。午前二時半、気温の低下が始まり、画質の悪い画面が移って、寝台に座る人形に皆の意識が集中した。

 癖っ毛の金髪が白い陶磁器の顔を縁取り、襞の多い洋服を着込む人形は、俯き加減で枕を背にして座る。玻璃の様な二つの碧眼が一点を凝視し、薄紅色の唇は引き結ばれ、愛らしい顔立ちで画面越しに書斎の人間達を睨む。陶磁器や布製の顔を持つ、何だか高価そうな人形は精々雛人形を祖母や母親から受け継ぐ程度の私は、魔女の末裔が大事に扱う呪具を髣髴させるミニーを見て、実は誰か霊能者、即ち術者が居て、幽霊騒動に見せかけて幽霊屋敷を奪おうと、危険を冒して迄人形を操るのではないか。当然、俊敏な事務所所長に卑見を披露する愚行は控え、真夜中の幽霊屋敷で怪しい人形の行動を監視する羽目に遭っているのだが、魔女の呪具を考えると決して馬鹿に出来る意見でないと思われる。糞爺も木製の人形を操り、時には枯葉一枚を操り、砂塵を操る事もしていた。非霊能者の私は彼らの行動が何を意味するか理解出来ないが、媒介が動き回る様は、中々面白い。

 画面の端が漸く見える距離で、人様の横や前で駄弁を弄す人達の頭部を避け、目を細めて黒白の映像を見詰め、不意に枕に凭れていた人形が背中を押され前傾した様に、横面を蒲団の敷物の皺に埋めて転倒する。書斎内の物音が止み、人間達の息差が五月蠅い程響く。黒白の画面の向うで、絹糸の様な金髪は敷物の皺をなぞり、頭部は倒れた位置を動かず、着物を纏う胴体が裾を引っ張られる様に寝台の端の方へ動き、短い首が目一杯伸びて、軈て接着剤の限界を超えて胴体から離断され、万歳の体勢で胴体が寝台を落ちた。鉄製の棚に収まるスピーカーから衣擦れが漏れ、硬質な落下音を聞いた。枕許に残る頭部は、賽子が転がる風に転がり、蓬髪の間隙に虚ろな碧眼が覗いた。

 そうして画面は砂嵐になった。子供部屋の温度も通常に復し、異音も静まった。

 書斎内の一切の音が消えて、霊能者達と調査員達は、助手を残して上階の子供部屋の扉を蹴り開け、寝台の上で、元の位置に元の体勢の儘座る人形を確認して歯噛みした。踵を返して書斎の鉄製の棚、卓子に据えた機械で記録映像等を再生して、全部砂嵐なので一層憎らしいと思った。昼間私達が整理した資料を漁り、又様々の音声照合の機械を駆使して衣擦れや落下音等の正体を調べるも、録音した筈の物音も砂嵐の雑音に掻き消されて、碌々調査も出来ない。研覈の儘ならぬ状況に激怒した破戒僧が自分の荷物を漁って着替えて道具を持って、一瞬臆した自分を恥じる様に言って、書斎を飛び出すと寝台に鎮座する人形の除霊に取り掛かる。機材を通して除霊後に燃やす、燃やしてやる、と息巻いている。除霊対象の眼前で宣言す可きではない気もするが、已んぬる哉、破戒僧によるミニーの除霊が始まった。上司や破戒僧の掻き回した後の資料を再度整頓して、上司が人形は無関係、器に使われたに過ぎない、と言うのを傍で聞いた。只の勘らしい。

 破戒僧は除霊終了後、素早く裏手の庭に駆け出し、其処で人形を箱に詰めて燃やした。素人調査員達は一件落着と楽観したが、玄人調査員と霊能者の顔は緊張して、数十分が経過し、中身も箱諸共焼尽したと思われる頃、屋敷の上階で悲鳴が上がった。矢庭に駆け出す霊能者と玄人調査員は、矢張り助手を残して階段を駆け登り、後を追う素人調査員達も書斎で機械と向き合う助手の身を案じつつ、悲鳴の轟く部屋の前で踏鞴を踏んだ。松崎綾子さんが木製扉の傍で森下典子さんを慰めていた。寝台の上では金髪が丸い輪郭を覆う人形を抱えた森下礼美ちゃんが、寝惚け顔で金色の頭部を抱いて、怯える叔母に首を傾げる。事情を聞くと、寝惚けて胸元の子供の頭部を触れたが、共寝する姪は枕に頭部を預け、しかし胸元に姪と同大の球状物を触れる。指の腹は毛髪の感触を捉え、思わず悲鳴を上げたそうだ。

 上司は記録映像を確認し乍ら、寝惚けて吃驚したのだろうと誤魔化し、人形が寝室に居る理由は、用事を終えたので戻した、と事実を糊塗して胴体と頭部の離断事件を知らぬ興奮気味の彼女を宥めた。機材を直し、書斎に戻ると着替えた破戒僧が贅沢な長椅子に腰を掛け、苦虫を噛み潰した様な顔で、折角整えた紙束の山を崩していた。一言、逃げられた、と言って除霊失敗を詫びた。

 その後、又除霊の為に必要な事項を挙げ、本物の悪魔祓い師を招請する事が決まった。

 

二、

 辞書を捲る機会があって、碧羅の天と言う言葉を見付け、意味を読んで冷気を逃さぬ為に隙間無く閉じられた前庭側の窓を見て、鬱閉した樹木の樹冠越しに文字通りの青空を認めて夏季の入道雲すら無い快晴を恨んだ。本物の悪魔祓い師に深夜の無礼を承知で電話をかけ、道中渋滞も無く順調なら本日午後に到着予定らしく、昼前に起床した私は記録映像の整理と資料整理を命ぜられ、書斎を出て仕事に励む麻衣の任務は本職の悪魔祓い師の到着まで、森下礼美ちゃんの傍に張り付く事である。数日間の滞在で溜まった映像や音声の記録、紙束を纏めて、大量であるけれど、一時間弱で整理整頓は終わり、仕事が無くなった。非霊能者の上、素人調査員如きに出来る仕事は少なく、手持ち無沙汰の私は資料の山が鎮座する機械の前で、依然機械と闘う助手の横に立ち、上司に指示を仰ぐが寝るなと言うので睡魔と闘う事になった。

 霊能者達は屋敷内の巡回、素人調査員達は二手に分かれ仕事を熟し、仕事量の少ない、重要でない任務許りの私は自身の無能を実感した。暇潰しに資料の脇に置いた辞書を捲り、国語力を養う為に披読する。異文化を享受する精神を涵養せんと、まず知識を豊富にする。元来勉強嫌いの私が勉学に励む事は、戦場に赴く戦士の気概に等しく、記憶を手繰って学ぶ事を厭う暇すら奪った相手を思い出して、愛想笑いと嘲笑と恐怖の対象の火が一緒くたに脳裏に浮かぶ。理解が及ぶ日は遠く、又遠い日が来ない可能性が高い事を承知で、私は私の真実に誓って糞爺の事を理解する努力を怠らず、理解の及ぶ日まで、努力を続けると宣誓した。辞書を捲り黒線を追う事が、糞爺への理解に繋がるかと言うと、結果は未だ判然しない。糞爺と会う機会は自ら断ち切り、今度会う時は死を覚悟しなければならない。

 機械を操作する助手の、大分目線の異なる横顔を見下ろし、辞書を胸に抱えた儘前庭側の窓を顧みて、凶悪な太陽光線が贅沢な長椅子の革を虐める。金属製か木製か判然しない長椅子の縁は、真夏の陽光に熱され、革は長時間、又頻繁に重量級の物が載っかり、皺を作って、罅割れた風に不恰好になって、その皺の無い箇所が陽光を反射して白く輝いた。不意に胸元の辞書の重みが消え、仰天して胸元を見遣ると黒色の縮れ毛と艶やかな額が私の頬を撫ぜる幻覚を見て、長髪を纏める髪留め無いので、鬱陶しい頭髪を良い機会と思って潔く散髪した。今年春は項を曝す程短く、今年夏、つまり今は襟足が伸びて首筋の半ばに被さっている。暑中休暇の間に散髪を考えていたが、暑中休暇初日、精確には休暇開始の間際に仕事が決まり、散髪の機会を逸して避暑地の片隅に建つ幽霊屋敷で痒い項を掻き毟る目に遭い、鬱陶しい頭髪の所為で可愛い末っ子の幻覚を見る。非常に不愉快で、末っ子の縮れ毛と錯覚した自身の黒髪の先を払って、抱えていた辞書を資料の脇に戻した。

 本物の悪魔祓い師の到着予定の時間まで一時間を切った。丁度麻衣が書斎に来て、少し前に警邏を終えて草臥れた様子の霊能者達も帰還して、長椅子の皺を増やしていた。労働直後の霊能者と調査員の為に麦茶を用意して脚の短い卓子に置く。資料が濡れる事を嫌い、麻衣はコップを持って長椅子の榻背の後ろに立つ。其処で珈琲と見紛う程黒色の濃い飲み物を舐め、茶髪の霊能者に人形の機嫌を伝え、私達は人形が真夜中の焼殺未遂の件を恨んでいる事を知った。更に麻衣は看視対象の森下礼美ちゃんが『見えない友達』と話していたと報告した。私は胸中に去来する寂寥感に堪え兼ね、目線を鉄製の棚に戻し、瞼の裏に盤踞して動かぬ睡魔と格闘し乍ら、私の見えぬ羊のママと話す末っ子の姿を真っ黒の画面に描いた。糞爺も精霊化したママの頭を撫ぜ、愛用のカメラに憑依させた持ち霊を説明して下さる山田さんの得意満面の笑みを想起し、一人非霊能者の為に目視の叶わぬ事、それに伴う孤独感は堪能したけれど、距離を置いて久しい今、又記憶の虚無感や孤独感を味わうとは思わなかった。

 麻衣はクライアントのケアが杜撰、と霊能者達に個々の依頼人の心情を代弁し、私達調査事務所と霊能者達が別個で受けた依頼と言う事実を思い出したらしい。そうして表の花壇の所で老爺曾根さんが森下礼美ちゃんを注視していた事も報告し、益訳の解らない、複雑怪奇な人間模様の家内に項垂れた。

 昼食の直後、本物の悪魔祓い師ブラウンさんが到着し、上司の状況説明を聞いた後の彼の見解は典型的な悪霊憑きと言う事で、悪魔祓い師の間に伝わる悪魔憑きと悪霊憑きの違いを講釈して下さったが、要するに今度の事件は飽く迄悪い霊が子供を取り込もうと策動している訳だ。直ぐ様祈祷の準備を整え、居間に家族を集め、聖書を持つ補助係に麻衣が抜擢されて、残る霊能者と調査員は書斎の機械の前で静観する事になった。薄暗い居間の長椅子に腰を掛け、金髪の人形を抱く少女を真正面に、エクソシストの祈祷が始まった。聞き慣れぬ宗教的言葉を言い連ね、聖水を撒き、最後に清灑な十字架を取り出して、悪霊の獲物の森下礼美ちゃんの首にかけた。

 祈祷を終えてエクソシストが戻る。感想を述べるも要領を得ず、兎に角悪霊は滅びていない為に危機を逃れた訳ではない、厳重な警戒態勢で獲物の周囲を監視す可きと意見した。

 根本の解決にならぬ、膠着状態の現状を憂えた風の松崎綾子さんは気晴らしの散歩へ出ると言って、書斎の扉の取っ手に手を掛けた。

 その時、地震の前触れの様な地鳴りを靴越しに感じた。鉄製の棚に積み上げた機材の画面が一斉に暗くなり、黒い硝子に瞠目した私達の間抜け面を映し、電源の点灯する筈の箇所も暗く、一瞬配線の中途に異常が起こったと思った。真夏の日盛りの獰悪な太陽光線の射し込む前庭側の窓を顧みる。表は晴天が果てし無く続き、鬱林の樹冠を越えて、東西南北の判然しない地平線上に揺蕩う入道雲で途切れ、しかし屋敷の頭上は濃い青空が広がり、停電の気配も無い。試しに機械の電源ボタンを押すが反応は無い。真昼の太陽の照る時間帯、書斎の表側の窓は窓掛が端に寄せられ、機械で遮る訳でもなし、だのに室内は不自然に薄暗くて只ならぬ気配が瀰漫する。

 調査員一同と霊能者一同が真紅の絨毯を蹴って書斎を飛び出し、玄関広間の階段の前に立ち尽くす。拳で壁を殴る音、重い精密機械を運び際に取り落とした様な落下音、体重の軽い何者かが大勢居て、屋敷中を駆け巡る足音が響き渡り、建物全体を戦慄させる。絨毯を敷き詰めた書斎の扉に何か衝突する音が聞こえ、振り向くも人影は無く、傍の麻衣の足許に重量級の物が着地する衝撃が伝わって、微かに風を感じた。脚の露出箇所を冷たい物が擦れ、通り過ぎて離れる。いつぞや末っ子に幽霊や精霊は物と接触出来るか尋ねた事がある。末っ子は時と場合に依って接触可能と言った。非霊能者の場合は幽霊等が優勢で、幽霊側の意志で接触の可能、不可能が決まり、霊能者の場合はある程度、人間側で調節出来るそうだが、矢張り幽霊側の意志も必要らしい。末っ子は霊能者なので、精霊化した羊のママと戯れる事も容易だった。

 屋敷内を殴る様に、蹴飛ばす様に、乱暴な足音を立てて駆け巡る幽霊達は、霊能者達の横も我が物顔で擦り抜け、突然物音が止んで辺りが森閑とする。秘書尾上さんの家族の安否を確認する声が響いて、上階と階下を繋ぐ階段から、血相を変えた森下典子さんが涙顔の姪を抱えて駆け下りて、悪魔祓い師の前で鎖が切れたと訴えた。

 ──と言う一騒動で夕御飯の時間が遅れて、家の電話が鳴って出ると、秘書尾上さんが森下香奈さんの精神の限界を伝えた。家族の不在は、この際関係無い。非情と雖も致し方無し、霊能者達と調査員達は合議の末、人形の除霊を決めた。除霊担当は悪魔祓い師である。

 実は夕御飯の前に松崎綾子さんが散歩に出掛けて、長く帰らず、一時は圧倒的勢力の差に気圧され遁走したと破戒僧が揶揄したが、私達の夕御飯の終わる頃に戻り、仮眠の後に軽食を摂った。重苦しい雰囲気の避暑地や屋敷周辺を漫歩して、果たして気分転換の効果はあるのか、霊能者でない私に幽霊屋敷の幽霊の実力は計り兼ねる。極簡単な食事内容だったが、綺麗に平らげた所を見ると、程良く気分は転換された様だ。食欲増進、大変結構。健康増進、大変望ましい。

 深更午前一時、真夏の夜も星影が頼りの夜陰は濃縮された墨汁の様に真っ黒で、墨染の夜空に棋布する綺羅星は、煉瓦の壁が荒寥たる屋敷の雰囲気を一層危うくして、無灯の子供部屋に祭壇を設けて除霊の支度をする悪魔祓いが一人、電灯の点いた書斎内では霊能者と調査員が固まって機械を睨んでいる。聖書と聖水を保護する係りの麻衣が部屋を訪れ、祭壇前に佇む霊能者の背後に控える。寡黙で無愛想な所が悪いのか、明朗快活、自由闊達な麻衣と違い、私は霊能者達と意気投合する事も無く、輪を外れて距離を置いて、遠巻きに見守る事が多い。糞爺一行と行動した頃も人間関係が良好な人は少なく、魔女の末裔や数世紀前の英雄の末裔とは、特に相容れず、又相手も厭悪の情を抱く対象に胸襟を開く真似は出来ない。事務所所員は論外で、霊能者達とは今暫く気を置く関係が続くだろう。親友麻衣の爪の垢を舐めれば、幾分増しになるか知ら、と半ば本気で考えた。

 除霊は恙無く終了し、除霊完了を機械越しに確認した破戒僧が書斎を駆け出し、除霊を終えた許りの人形を奪取すると、裏手の水場で焼いた。家鳴りも悲鳴も聞こえず、赤い炎から昇る黒煙は、墨汁の星空を揺曳して、屋敷の頭上を覆う薄雲と共に高く昇って行った。焼場の準備を破戒僧の指示の下、延焼防止対策を手伝った私は普段着の儘火影の揺蕩う前で人形の輪郭の崩れる様を、瞬時も見逃す事無く睨み続けた破戒僧の周囲を見遣る。黒煙は頭上へ昇って薄雲と合流し、更に高く昇り夜風の吹く儘に、避暑地の小高い丘の遠景が広がる方へ、何の躊躇う様子も無く流れて行く。煙に未練は無いらしい。昼間は燦爛と輝く薄汚い溜池の水面も、空の墨汁を吸って、水明かりも霞んで暗闇が蟠踞する。

 火勢の衰えぬ焼場に歩み寄り、黒い屋敷の輪奐を顧みると、幽霊屋敷と言う先入観の所為か、真昼の太陽の下で見る壮麗な洋館の雰囲気は一転し、只管不気味な雰囲気を漂わす。妖気縹渺たる輪奐を見上げて、皮膚を撫ぜる夏の夜風が薄気味悪く、身震いが止まらない。書斎を駆けて上階への階段を駆け登り、又裏手の焼場まで駆け下りて、一生分の運動を経験した気持で突っ立ち、黒煙の量が心持少なくなった火葬風景を見遣り、金髪の影も碧眼の影も見えない、洋服の一部が焼けるを待つ許りの炎の真ん中を見て自然頭が垂れた。屋敷に居る幽霊達は、人形を通して人間達に接触して、接触の為の必需品だった人形を失い、若し誰かの目に留まる事が真の目的だったら、どれだけ落胆するだろう。実際は違う。勿論解っている。それでも、非霊能者の私は幽霊との唯一の接点だった人形の燃え尽きる様を見て、何故だか涙が滲んだ。

 焼場に処置を施し、破戒僧と共に書斎へ戻る。皆、幽霊の余裕有る様を訝る。最終的に幽霊を視る者がいない事を嘆き、霊視能力者の協力を嘆願した。「急募。優秀な霊視能力者、透視能力者、でなければサイコメトリスト」

「サイ……?」

「超能力者ですか」

 私は内心霊視は読心術の一種、と言う認識があるので、霊視能力者は気の毒な人と想像してしまう。この場合の霊視能力者は、只幽霊を視る人の事だが、霊視に辛酸を嘗めた糞爺や弟さんの許嫁さん、実態は不明瞭だが可愛い末っ子の能力を思い、霊視能力を持つ人の協力を懇請する破戒僧に良い印象を抱く事が出来ない。勘違いは承知でも、一瞬の不快感を無視する事が難しい。

 皆が一流霊媒師の原真砂子さんの招請を望む中、渋る渋谷一也所長は機械で収集した情報を眺め、除霊や火葬に所員以外の霊能者を使ったくせに、素知らぬ振りで私達の視線を無視する。苦虫を噛み潰した様な顔の破戒僧と松崎綾子さんは、彼らを宥め賺すブラウンさんにも同意を求めて詰め寄り、正直原真砂子さんの業績に不知案内の私達は顔を見合わせて黙っていた。──その時、玄関広間で、昼間の様な異音が響き渡った。

 機械の黒白画面を覗くと家人が抱き合って寝台の上で震えている。普段機械と格闘する助手を伴い、上司と霊能者達が書斎を出て、私達も一拍遅れて書斎の扉を潜ると大喝一声、上司は書斎での待機を命じて階段を駆け登った。事務所の最大権力者の命令に渋々書斎へ戻り、機械に齧り付き、機械から漏れる甲高い声に慄然として、無数の子供の幽霊が悲鳴を轟かす様に麻衣と手を握り合った。黒白画面に映る部屋の模様は黝然と暗く、丸で異国の荒野の地平線を見る様な気持で見詰め、段々握力の増す麻衣の手を叩いて励まし、又励まされ、そうして幽霊に見初められた不憫な少女の泣き声が聞こえた。暫くして、機械の向うで事務所の最大権力者が私達も部屋に来いと言って、書斎を駆け出した私達は通い慣れた様な廊下を伝い、家人の寝室へ飛び込んだ。

 十数畳はある寝室の寝台に凭れる風に森下典子さんが蹲り、歔欷する姪はブラウンさんが抱え、異様な雰囲気の中、居場所に困却して立ち往生する私達は、破戒僧の脱臼発言に動悸がした。耳の奥で早鐘が鳴り響く。麻衣の服の裾を握り、普段は制服で襞を摘む真似をすると怒るが、普段着の為か、或いは彼女も気が置けない他者の気配が間近にある事に安堵しているのか、抗議の目線も仕草もなく、黙然と部屋の扉の横に突っ立っている。薄地の上着に皺が寄り、裾を摘む指頭を中心に背中一面に大小様々な皺を作って、肩口が窮屈そうで、それも気付かなぬ風に蹲った儘微動もしない家人を凝視する。

 寝台の傍で丸まる家人は昼間の異常現象を髣髴する現象の最中、姪を引っ張る勢力と孤軍奮闘した事を語り、幽霊の餌食になりそうな姪の救難を懇願した。長い前髪が鼻頭に掛かり視界を狭め、薄暗い視界の端に金髪の悪魔祓い師が抱える姪を見て、涙を浮かべて何度も調査員に縋った。上司は平生無感動な黒目に、矢張り無感動な儘だけれど、決して非情ではない事の証左として、力強く頷いた。そうして脱臼の懸念のある足首を触らぬ様にし乍ら、階下へ降りて、松崎綾子さんの呼んだ救急車が到着するなり、救急隊員の手で運ばれ、近場の病院へ搬送された。同行者は松崎綾子さんで、旧校舎で原真砂子さんが二階端の教室から転落した際の処置も、素人目で見ても頼もしく、序でに負傷理由の良い言い訳も考えてくれるに違いない。煌々と明滅する救急車の電灯を見送り、客間の階の角部屋で保護する少女を寸毫の仮借無く尋問する、無感動で没義道な上司から庇う為に、慌てて身を翻して屋敷内へ駆け戻った。

 無感動で没義道な上司は険悪な空気を纏いつつ、雰囲気にすっかり萎縮した頑是無い少女を面詰する。死者が出る事は免れたが、病院へ行く程の負傷者が出てしまった。被害拡大を恐れる調査員側の望む所は、少女の告白だが、頑固を貫く少女は、最初は怖いなりに反駁し、人形の奪還を試みた様だ。しかし残念乍ら相手は我らが事務所所長、黒目に感情を見せる事も稀な鋼鉄の精神を有し、幼稚を融通の利かぬ事由に主張しようと、容赦無い糾弾の手は緩めない。眉間の皺こそ微動もしないが、蟀谷の青筋が増える勢いで語調は荒くなり、もう少し彼の精神が幼かったら地団駄を踏む位、今の焦燥を露骨に見せていたと思われる。私は頑是無い少女相手の尋問風景を見て、冷静沈着な上司は建設的且つ友好的雰囲気作りを体得す可きと愚考した。無論その建設的且つ友好的雰囲気作りの修得は上司だけでなく、私も同様、又無愛想な所長助手も同様である。

 到頭根負けした少女の心が根元から木っ端微塵に砕けて、隣で援護射撃に勤しむ麻衣の胸元へ飛び込んだ。漸く重い口を開き、全てを告白した。その中で『見えない友達』を未だ『友達』と呼ぶ森下礼美ちゃんに麻衣は、その子達は友達ではない、と言い聞かす。

 森下礼美ちゃんは事務所の良心たる麻衣の慰め顔を見上げ、可愛らしく頷いた。

 私には、到底不可能な慰め方だ。




 一冊分を会話ぎっちり書くと一体何万文字になるか知らと考えますが、んなもの考える位なら投げます。
 原作の大筋は変わりませんし、会話はぶっ飛ばしてどんどん行きます。
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