片や全てを飲み込む悪夢。
片や全てを塗りつぶす悪意。
その挟間を少女達は往く。
最後の奇跡を、円環の導きを越えて。彼女達が見たものは。
「そんなこと、ありえるはずがないっ!ここはバイドの侵攻ルートからは遠く離れた場所なんだよっ!」
現状を認められずにインキュベーターは叫んだ。けれど、眼前に迫り来るバイドの姿は消えはしない。それは絶望的な現実。
バイドが人類にとって恐るべき敵であるのと同じように、インキュベーターにとっても、バイドは憎むべき敵でしかないのだ。そしてバイドにとっては、人類もインキュベーターも変わらない。
どちらもただ、喰らい尽くすだけの敵なのだ。
「あたしらが後をつけられてたのかね。それとも随分派手にドンパチやったからね。それでうっかり連中を呼び寄せちまったかな」
状況はたちまち混沌と化していくことだろう。少なくともそれは、先ほどまでの圧倒的な劣勢よりは遥かにマシである。敵が増えたことに変わりはないし、絶望的な状況であることも変わりはない。
それでもまだ足掻くことができる、戦う事ができる。好戦的で、そして危険な笑みが杏子の表情に宿る。ぎらりと、その目は輝いた。
「私が視る未来は、このまま進んだ世界の未来。だからそれは、現在を動かすことで変容しうるものなのよ。容易くはないけれど、未来は変えられる。私が視た未来ですらも、変えられるのよ」
織莉子は静かに呟いて、混迷を深める戦場に再び意識を向ける。
「――だから、私は戦う。これが運命だというのなら、その運命と戦って、勝利して見せるわ」
そして織莉子は更なる未来の姿を得る。
それは無残な敗北の未来。けれどそれは、たった一人の行動で覆る未来。
「さやかさん、聞こえていますか?」
そんな未来を覆すため、織莉子は行動を開始した。司令室との回線は繋がっている。恐らくその声は、今も壁際で蹲っているさやかにも届いている。
そして恐らく、彼女はまだ死んでいない。だとしたら、まだ可能性は潰えていない。
そして織莉子が願ったとおり、声に答えてさやかはゆっくりとその顔を上げた。血の気の無い、苦痛に歪んだ顔だった。
それでもまだ、生きている。
「話せないのならそのまま聞いて。そして、覚悟を決めて欲しいの」
その言葉は、まだ希望が途絶えていないことを示した。希望がそこにあるのなら、さやかは必死にそれにしがみつく。だからさやかは、そんな織莉子の言葉に弱弱しくも頷いた。
その目から、死に堕ちていくだけの弱弱しい光は消えうせた。
「もうすぐ、バイドの攻撃でアークに激しい衝撃が与えられるわ。その時、まどかさんのソウルジェムが貴女の手元に落ちてくる。それを拾えば、貴女はそのままアークを脱出することができるはずよ」
織莉子の言葉に、さやかの目が見開かれた。それは確かに希望と呼べた、けれど何故そんなことがいえるのかという疑問もあった。そしてようやく、さやかは織莉子がもっていた能力のことを思い出した。
それはかつての戦いの中で、ただ推測として考えただけのものではあったけれど。今この状況に及んで、それは十分に信じるに足るものだと思えた。
「貴女が動けば未来は変わる。お願い、もう一度だけ――」
声は途切れた。通信が打ち切られたのだ。
「キミ達に未来なんて与えない。未来は、ボク達のものだっ!」
激昂を露わにインキュベーターが叫ぶ。
既にアークは迫るバイドに対する迎撃を開始していた。杏子達さえもまとめて葬り去ろうと、全身に備え付けられた武装が再び起動する。
けれどそれは一歩遅かった。アークの迎撃装置が作動するより一瞬早く、バイドの放った大型ミサイルがアークを直撃し、激しい衝撃がアークを貫いた。
司令室にまで、その激しい衝撃は浸透する。
振動が部屋を揺さぶり、そこにあるもの全てが投げ出された。
「これを離さなければボクの勝ちだ。これがボクの運命だというのなら、ボクは絶対にそれを手放さないっ!」
当然、インキュベーターの小さな身体はその衝撃に翻弄され、宙に浮く。それでもインキュベーターは、まどかのソウルジェムを握ったその手を離さなかった。
これさえ握っていられれば、これさえ砕いてしまえれば、それで運命に決着をつけられる。今すぐ宇宙を再生することはできないだろうが、どの道遠からず人類は滅ぶ。その絶望を使えば、きっと今度こそ上手くいくはず。
だからこそ、その手を離すわけには行かなかった。
手段はどうあれ、その思いは強い。
失われた文明を、同胞を、使命を夢を取り戻そうというその思いは、インキュベーター自身にとっても思いがけないほどに、強いものになっていた。それもきっと、感情というものを得たからなのだろう。
けれど、そんなインキュベーターに運命は問いかける。
――命を取るか、夢を守るか――と。
「っ!?」
衝撃に弄ばれ、宙に浮くインキュベーターの身体。その身体が落ち行く先には、椅子に縛られたままのまどかの身体があった。
最早命の無いその身体は、その四肢は衝撃に揺さぶられ、その顔は宙を向いていた。目を見開いて、その表情には思い苦悶を浮かべたままで。
それは偶然なのだろう。だがそれでも、インキュベーターには感じられたのだ。事切れたまどかの表情が、その見開かれた眼差しが、彼を見つめているかのように。
そして、まどかの腹部を食い破って突き出た固い金属の杭。血に濡れたそれが、作られた重力によって落下するインキュベーターを待ち受けていた。
恐らくそれも偶然。けれどそれは確実に、インキュベーターを貫かんとしていた。
待ち受けるのは冷たい杭、貫かれれば死ぬかもしれない。回避する術はある。けれどその為には手が必要だった。
まどかのソウルジェムを固く抱きしめたその手が、どうしても必要だった。
運命は問いかけていたのだ。自らの命を守るために、夢を手放すのか。それとも自らの夢に殉じ、死をもたらす杭に立ち向かうのか。
インキュベーターがかつてのままの存在であるのなら、間違いなく手を離さなかっただろう。けれど彼は感情を得た。さらに、彼はたった一つの存在だった。
死に対する恐怖が、その身体を支配する。そして恐怖を乗り越える術を、彼はまだ知らずに居た。
「う……っ、わぁぁぁっ!!」
インキュベーターの中の冷静な部分は、その声をまるで他人の声のように聞いていた。そして残った全ての部分が、恐怖に駆られた悲鳴を上げていた。必死に手を伸ばし、椅子の縁に手をかける。そのまま渾身の力でその小さな身体を引き上げた。
そして辛うじて、インキュベーターの身体は椅子の縁にしがみつくことに成功した。冷たく恐ろしい杭から、どうにかその身を遠ざけることができたのだ。
けれどそれは手放されてしまった。まどかのソウルジェムは、キュゥべえの手を離れて再び宙に舞う。
それは定められた運命に従い、再びその身を壁に打ち付けたさやかの元へと舞い降りた。
(来た……っ)
さやかもそれを待ち受ける。
足は動いてくれそうも無い、だから手を伸ばす。その手が届けば、後は這ってでもカーテンコールへ戻るだけなのだから。
されど運命は尚も過酷。まどかのソウルジェムはくるくると回りながら、さやかの元へと落ちてくる。けれどその軌道は、その手の届く範囲とは重ならなかった。
せめて後一歩、後一歩動くことができたら。その為にはどうしても、この傷ついた足に働いて貰わなければならなかった。
「……ったくもぉ、覚悟を決めろって、こういうことね」
青ざめた顔でさやかは笑った。運命もまた、さやかを嘲笑っていた。
――変えられるものなら変えてみろ、と。
まだ無事な右足を踏ん張り、身を起こしながら手を伸ばす。
覚悟を決めて、左足でもう一歩。
「っ、ぎ……ぁっ」
激痛が走り、左足から力が抜ける。そのままがくりと膝をつく。このままでは、伸ばしたその手は届かない。
「と……ど、けぇぇぇっ!!」
右足に、そして左足にも力を篭める。激痛が再びさやかの意志と力を奪おうと迫る。余りにも痛すぎる、左足どころか頭まで痛くなってきた。吐き気がする。それでもさやかは、その両足に力を振り絞り、そして。
さやかは、跳んだ。
不安定な姿勢での跳躍、更に足が片方潰れているとあっては、もはや着地なんてできよう筈もない。ごろごろと無様に地面を転がりながら着地する。そうしてさやかが降り立った場所は、カーテンコールのすぐ側で。
そしてさやかの掌の中には、かすかに輝くまどかのソウルジェムが握られていた。
「なるほどね、そのまま脱出できるって、そういうことなわけ。ったくもう、もっとしっかり説明しなさいよね。帰ったら問い詰めてやる」
「待てっ!逃げられると思うのか……美樹さやかっ!!」
さやかを追いかけ、インキュベーターが吼える。そんなインキュベーターに、さやかは僅かに振り向いて。
「結構、長い付き合いだったね。……さよなら、キュゥべえ」
ほんの少しの感傷を篭めて、さやかはカーテンコールに飛び乗った。足はおろか体中が痛い、まるでばらばらになってしまいそうだった。それでもどうにか身体を動かし、カーテンコールは再び主を受け入れた。
「オートパイロット、コードイプシロンっ!!」
音声認証によって、カーテンコールは既に入力されていた命令を実行する。予め指示された脱出経路を辿り、アークを脱出するという命令を。
この状況、最早躊躇うことなど何も無い。脱出の妨げになっている周囲の構造物を、レールガンで薙ぎ払う。
そしてカーテンコールは後退、まどかの身体とインキュベーターを残したまま、アークからの脱出を開始した。
それを阻む余力は、バイドの迎撃に負われるインキュベーターには残されていなかった。
「やれやれ、見境なしかっ!!」
バイドとアーク、そして魔法少女の三つ巴。誰しもにとって全てが敵、戦況はますますもって混沌に沈んでいく。そんな大混戦の最中、杏子は叫ぶ
「右も左も敵ばかりだ、バイドまで来ると……流石に勝手が違うね」
大部分のバイドはアークへと向かっているが、それでもかなりの数のバイドが殺到している。それにまださやかが脱出していない以上、あまりアークを傷つけさせるわけにも行かない。
そして当のアークは、バイドも魔法少女もお構いなしの無差別攻撃を続けている。奇しくも少女達は、自らの命を狙う敵を守りながら戦うという、奇妙な行動を強いられていた。
「……来るわ」
そして織莉子は呟き、その言葉が示す運命は訪れる。アーク表面に穿たれた穴から、カーテンコールが飛び出した。
「さやかっ!無事か、返事しろっ!!」
すぐさま杏子が通信を飛ばした。怪我をしている、無事なはずは無い。それでもここまで来られたのだからきっと、大丈夫なはずだ。
「……なんとか、生きてるよ。ごめん、色々面倒かけたね」
弱弱しくも、それでもさやかの返事が聞こえて。杏子は、ひどく安堵した。
「ったく、よく帰ってきたもんだよ。よし、じゃあさっさと脱出するぞ!キリカ、織莉子っ!近場のバイドを蹴散らして脱出しようぜ!」
「ああっ!そうと決まれば長居は無用だ、行こう、織莉子っ!」
キングス・マインドはいち早く、カーテンコールの元へと駆けつける。そんな二人を横目に、キリカは織莉子を促した。
「………そう、ね」
けれど、それに答えた織莉子の声はどこか沈んでいた。
「織莉子?何か……気になることでもあるのかい?」
「アークは既に発進している。ということは……計画通りなら、あそこには10万人の人間が眠っている。それを見捨てるのは……悲しいわね」
それを、織莉子は守りたいと思った。けれど、それが叶わないであろうことも知っていた。そんな余裕は、今の彼女達には存在しない。前後を敵に囲まれて、その敵を守りながら戦い通すことができるほど、彼女達は器用ではない。その上、どう見ても戦力が足りない。
それに、アークに眠る彼らは……もう。
「……無駄だよ。あそこに眠ってた人達はみんなもう、死んじゃってた。何をしたのかわかんないけど、あいつが……インキュベーターが、殺したんだ」
思い出すだけで吐き気がするようなおぞましい光景。それがフラッシュバックして、さやかの言葉が震えてしまった。
「マジ……かよ。キュゥべえ……何考えてやがるんだ、あいつは!」
それが意味することを知り、杏子の声も震えていた。恐らく、それは怒りによるものであろうが。
「なんて、ことを……っ」
ぎり、と織莉子が歯噛みした。それだけの命を、こうも容易く奪い去る敵に怒り。それを守ることができなかった自分に、怒っていた。
けれど、彼女はその怒りに身を任せはしない。怒りが熱く燃え盛るほど、その心は冷たく沈んでいく。その頭脳は、心は。既に自分のやらなければならないことを知っていた。
「織莉子……っ、くそっ!あいつ、やっぱり叩き潰してやる。織莉子を悲しませる奴は、許すもんかっ!!」
その衝撃に、呆然と立ち尽くすヒュロス。そして、怒りを露わにアークに立ち向かおうとするダンシング・エッジ。このまま放っておけば、きっと無謀に突っ込んでいってしまうだろう。
そんなことはさせられない、させられるはずがなかった。
「キリカ、私なら大丈夫だから。だから……このまま脱出しましょう。これ以上、ここに留まる理由は無いわ」
込み上げそうになる嗚咽を噛み殺し、いつもと変わらぬ調子で織莉子は告げた。
「織莉子がいいなら……いいけど、でも、本当にいいのかい?」
「守るなら、今生きている人を……よ。敵の包囲を抜けるわ、暴れて貰うわよ、キリカ」
今やらなければならないことは、戦う事。そして生き延びることだった。
「っ、ああ。任せておくれよ、織莉子っ!!」
キリカは鋭く一つ答えて、脱出経路を確保するため敵陣へと飛び込んでいった。
「なんにしても、無事に帰ってきてくれてよかった、さやか。……それで、まどかは助けられたのか?」
怪我をして、十分に動けないであろうさやかを守るように、杏子は周囲を警戒しながら飛ぶ。
「まどかの身体は死んじゃってたけど……それでも、ソウルジェムは助けられたよ。とりあえず、よかったかな……ぁ、くぅっ!」
さやかの声は弱弱しくて、更に声には苦悶が混じる。機体はオートパイロットに任せてあるが、この先の戦場を越えるのはそれでは不可能だ。
かといって、今の状態のさやかには任せられない。どうにかする必要があった。
「さやか、まどかのソウルジェムと一緒に、機体を捨ててこっちに移れ。その傷じゃあ、それ以上は無理だ」
「……そうだね、残念だけど……そうするしか、ないか。折角託して貰ったのに、ごめんね、カーテンコール。ここまでありがとう」
(こんなふがいない乗り手で、ごめんね)
キャノピーを開放。キングス・マインドに乗り移ると同時に、機体の自爆コードを作動させる。
カーテンコールは人類の英知の結晶。それをバイドやインキュベーターの手に与えることだけは、避けなければならなかった。
――待って、さやかちゃん。
けれど、それを止めたのはまどかの声だった。
「まどか……?」
その声はさやかだけにではなく、杏子にも聞こえていた。
「どうしたんだ、まどか?何かいい考えでもあるのか?」
――うん、でもゆっくり説明はしてられないんだ。
いかにまどかの能力が優れていようと、それを行使する身体が存在しない。その為に、魔法によってその能力を行使するための器官をその都度作り出していた。
それは目には見えない特殊な精神網で、それで直接相手の精神に触れることで意志を伝えていたのだった。それゆえに、ソウルジェムのみで意志を伝えるのは、まどかにとって多くの負担を強いる行為だった。
――お願い、さやかちゃん。杏子ちゃん。私にこの機体を使わせて。
「使わせて、って……まどか。カーテンコールは、魔法少女が乗れる機体じゃあ……」
そう、確かにカーテンコールは普通の人間が乗るための機体。少なくともさやかにとってはそうであったし、コクピットブロックは明らかに人間が乗ることを意図して作られていた。
――大丈夫、なんとかできるから。今は必要なんだ、私にも戦うための力が。
「……まぁ、まどかなら確かになんとかできちまいそうだな。ほら、こっち来いよ、さやか。それに、あんたが戦えるってなら文句はねぇ。……しくじらないだろな、まどか」
どうにか開いたキャノピーから身を乗り出したさやかを、杏子が引っ張りあげた。
キングス・マインドのコクピットブロックは、杏子の最後の戦いの時のまま、タンデム仕様であった。
その後部座席にどうにかさやかを座らせた。応急処置をしている暇もない。しかたなく、医療キットに入った痛み止め用の麻酔だけを打っておいた。
――うん。それに、もうすぐだから。
「もうすぐ?……どういうことだ、まどか?」
訝しげに杏子がそう問いかけた時、突如としてカーテンコールから音声が発せられた。
【ソウルジェムユニットの搭乗を確認。M.M.I.をTYPE-Mに換装します】
その音声が発せられると同時に、まどかのソウルジェムのみを残したコクピットブロックはその様子を大きく変更させていた。
コクピットブロックの壁面より生じたマニュピレーターがまどかのソウルジェムを固定する。さらに、サイバーコネクトの接続口から湧き出した有機回線が、ソウルジェムに接続された。
長らく闇に閉ざされていたまどかの視界に、久方ぶりの光が宿った。
それはカーテンコールが見ていた光景。まどかが右を向くと、カーテンコールも右を向く。左を向けばそれもまた叱り。そしてまどかの身体の中に満ち溢れている力。それは波動を操りバイドを討つための……力。
そう、カーテンコールは完全なるワンオフ機であるラストダンサーとは違っていた。全てのR戦闘機のデータを集約した機体であると同時に、誰でも乗ることのできる究極互換機としての側面も持っていた。それは、たとえ魔法少女であろうとも例外ではなかったのだ。
カーテンコールはソウルジェムユニットの搭載を感知し、自動でパイロットブロックを魔法少女仕様へと換装した。そして今、ついにまどかは力を手にしたのだった。
敵を倒すための、自らの手で運命を切り開くための、力を。
「……まさか、ここまで予想してたってのかよ、まどか」
だとすれば驚愕するよりないといった感じで、呆然と杏子は呟いた。
「あはは……流石にここまでは予想外だったかな、なんて」
そんな杏子に、かなり困惑気味にまどかは答えていた。
「ってこたなんだい?まだ何か隠し種があるってわけかよ。……でも、その前に脱出しようぜ。あの二人にばっかり頑張らせるのは不味いだろ?」
「うんっ!」
そして脱出の為に、再び戦火の中に飛び出すキングス・マインド。それを追い、少し頼りなくも飛んでいくカーテンコール。
初めてのR戦闘機、初めての戦場で、それでもまどかはどうにか機体を動かすことができていた。それは恐らく、まどかが既に人としての身体を失っていたからであろう。
人としての身体を失ったまどかの魂は、新たな身体である鋼の戦闘機に、実に容易く適応していた。
早く走ることや、派手な体操を何の練習もせずにできる人間はそうはいないだろう。だが、わざわざ方法を教えられなければ手足を動かすこともできない人間もいない。
すなわち、今のまどかにとって機体を動かすことは、その手足を動かすことも同義だった。飛ぶことはできる。ただ、恐らくそれは戦闘には耐えられないであろうというだけで。
「道はあたしが切り開くっ!まどか、あんたは後からついて来いっ!」
「わかったよ、杏子ちゃんっ!」
そして二人は、ますます混迷を深めてゆく宙に、舞う。
「よう、待たせたねお二人さん」
「随分遅かったじゃないか。それで、無事囚われのお姫様達は救出できたのかい?」
「お姫様、なんて柄じゃないんだけどな。うん、でも大丈夫だよ」
「さやかさんは、大丈夫なのですか?」
「ああ、麻酔が効き始めたみたいでね、大分落ち着いてる」
戦場の片隅、周辺の敵を蹴散らし一時に猶予を得て。ようやく少女達の描く軌道は、近しく触れ合えるほどの軌道を取った。手短に言葉を交わし、お互いの状況を確認しあう。
「それでは、そろそろ脱出の算段を立てなくてはね」
いよいよ脱出、尚も激しく追撃するアーク。そしてそれすらも飲み込み、全てを塗りつぶさんと迫るバイド。
脱出するにしても、どちらの動きも予想できない。下手に動けば、双方の間に挟まれ潰されてしまうかもしれないのだ。
「とりあえず、まどかを中心にする。それで織莉子、あんたはまどかを守ってやってくれ。あんたの能力と、その機体の迎撃能力ならきっとなんとかなるだろ」
「ええ、しっかりと守り抜かせてもらうわ。まどかさん、どうにかついてきてくださいね」
「うん、わかったよ。織莉子さん。……えっと、ごめんね。私、守ってもらってばっかりで」
折角力を得たというのに、それを振るう能力をまどかはまだ持っていない。それがどうしてももどかしくて、すまなそうにまどかは告げた。
そんなまどかに、織莉子は柔らかに笑って答えるのだった。
「いいのよ、私も貴女を守りたいのだから。貴女はきっと、この絶望に沈んだ世界を変えてくれる。……随分と頼りない未来だけど、それでも信じてみたいの。だから、私は貴女を守るわ。まどかさん」
「……織莉子」
そんな様子を見て、ちょっとしょんぼりしてしまったキリカだった。そんなキリカの首根っこを引っつかむかのように、杏子の声が飛ぶのだった。
「お前は前衛、あたしは殿。あたしらが頑張れば、織莉子もまどかも守れるさ。それともあんたは、始終織莉子を独占してなきゃ気がすまないってかい?それじゃ、まるで子供だな」
そう言って、杏子はからかうように笑った。
「だれが子供だっ!……見ているといい、織莉子もまどかも、ばっちり私が守ってやるさ。だからキミも、つまらないミスで勝手に死んでくれるなよ」
少しふてくされながら、それでもそんな自分に少なからず恥じ入るところはあったのか。幾分か落ち着いた様子で、キリカもそう答えるのだった。
「へっ、言ってくれるね。……その調子なら、まあ心配はいらないだろうな。ここまで来たんだ。最後まで生き延びて、見届けようぜ、キリカ」
「言われなくともそのつもりさ。私はこんなところで潰えるつもりは無い」
しばしの沈黙、互いに機首をつき合わせて睨みあい。
「……へっ」
「……くす」
そして、どちらとも無く小さく笑った。
「さあ、蹴散らしてあげよう。私達の道を塞ぐ不届き物は、みんな纏めて微塵切りだっ!!」
「あたしの前を通りたけりゃあ通してやるよ。ただし、五体満足に通して貰えると思うなよっ!!」
二人は同時に咆哮し、そして4機のR戦闘機は希望への脱出を開始した。
どこで間違えたのか、何が間違っていたのか。人類に比しても遥かに高度であるはずの頭脳は、そんな簡単な問いにすらも答えを見つけられずにいた。
ただただ迫り来る敵を迎え撃つことと、逃げてゆく者を追い縋る事だけに注力していたのだ。そしてそれ以上に彼は焦っていた。思うようにならない状況に
長らく待ち続けた、この千載一遇のチャンス。世界再生を行う最高の機会が失われようとしていることに。彼は、ひどく焦りを抱いていた
そして彼は恐れていた。自らの死を、その存在の終焉を。孤独が怖かった。失敗を認めるのが怖かった。その感情を、恐怖と認めることが怖かった。
「何故だ。何故……どうして理解してくれないんだ。キミ達が犠牲になるだけで、この宇宙は正しい姿を取り戻すのに。バイドも居ない、宇宙の寿命に悩まされることも無い。素晴らしい世界が生み出されるというのに」
半ば呆然と、インキュベーターは、キュゥべえは呟いた。
「これからあのバイドによって失われていく命と、今この場所で消えるたった200億の命。比べ物になんかなるわけが無いじゃないか。なのに何故、何故キミ達は分かってくれないんだ」
アークは尚も、インキュベーターの手によって存分に破壊を振りまき続けていた。けれど、それは恐らく人の手によって操られるそれには及ばなかった。
いかなインキュベーターが優れた種であろうとも、それはあくまでも個。知識と技術、そして経験に裏づけされた人が操る兵器には、やはりどうしても及ばなかったのである。それゆえにアークはバイドによる猛攻に晒され続け、その被害は甚大なものとなっていた。
衝撃が幾度もアークを揺るがし、内部各所に火災が発生する。ついに火の気は司令室の存在するブロックにまで至り、内部の温度は急速に上昇を始めた。
そして気がつけば、まどか達が操る機体の姿が消えていた。恐らく離脱されたのだろう。バイドへの対応に追われるインキュベーターにはそれを追跡する余裕すらも残されては居なかった。
恐ろしかった。恐怖という感情を自覚してしまうと、それは更に強くなった。かつてインキュベーターという種を滅ぼしたバイドが、今再び彼の命を絶とうとしている。避けがたい死が、その存在の終焉が今まさに、彼の頭上で振りかぶられていた。
「……ああ、そうか。なんで、こんな簡単なことに気付かなかったのだろう」
死を眼前に向かえ、ようやくインキュベーターは自身の内に宿ったその感情を自覚した。
「死にたくなかったんだね。キミ達人類は。自分が死ぬのが嫌だから、だからどれだけ非合理的でもどれだけ非効率的だったとしても、自分達が生存できる可能性を必死に模索していたんだね」
それは酷く簡単な真理。飽くなきまでの生への欲求。ありとあらゆる生命が、生まれながらにして持っていなければならないその本能にも近しい感情を、高度な理性と知性を持ち、そして個を否定する意識を持っていた彼らは、いつしか忘れかけていたのだった。
けれど今、彼は人類と同じようにその感情を抱いている。自身すら気付かぬ内に、いつしか彼はその感情に支配されていたのだろう。
「なんで気付けなかったんだろう。……ボクは、死にたくないんだ」
呆然と呟いたその時、一際大きな衝撃がアークを貫いた。小さなインキュベーターの身体は衝撃に投げ出され、壁に打ち付けられた。
痛い。痛みを感じるということが、これほど恐ろしいとは知らなかった。否、それは忘れ去っていただけなのかもしれない。
「嫌だ……こんなところで終わるのは、嫌だ」
その赤い瞳が揺らぐ、焦り、恐れ、悲しみ、後悔。様々な感情が、その瞳を揺るがしていた。
「誰かっ!誰か……助けてっ!嫌だ、ボクは死にたくない、こんなところで死にたくなんかないっ!バイドに、殺されたくなんかない……お願いだ、誰か……誰か、助けてっ!」
悲痛な叫びを音に乗せ、通信に乗せてありったけの力で放つ。けれどもう、それに応えるものなど誰もいない。居るはずがない。彼はたった一つのインキュベーターで、彼は人類を敵と断じた。
そんな人類の敵を助けるほど、人類という種はお人よしではなかった。
「嫌だ。嫌だ……死にたくない、死にたくない……っ!ぁぁ……………うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁっ!!」
錯乱し、叫び散らすその声は誰にも届かない。ついにバイドがアーク内部に侵入し始めた。
最早どうにもならない。絶望に打ちひしがれ、全ての力が抜けたように横たわるインキュベーター。
虚ろに見開かれた瞳に最後に見えたのは、宇宙を流れる一つの星だった。
「どうなってやがるんだか、今度はさ」
今度こそ本当に訳が分からない。そんな様子で、これでもかというほどにあきれ返った様子で杏子は言葉を口にしていた。
そのキャノピーの外に広がる光景。電子的に処理をされ、キャノピーの内側に映像として映し出された世界。その光景は、青々と輝くその星の姿を映し出していた。
そこは太陽系第三惑星、地球。その衛星軌道上に設置された国際宇宙ステーション、ISPV-5。
かつて修学旅行の折、まどか達が目指していた場所。そして、とうとう辿り着くことのできなかった場所だった。
「本当に地球ね。……いつ以来かしら。本当に……美しいわ」
信じられないという驚きと、久方ぶりに目にしたその青き星への感慨を篭めて、織莉子は呟いた。
「……これも、キミに仕業だということかい?まどか」
機体に備え付けられた計器の類。それが指し示す全てのデータはその場所が間違いなく、地球の衛星軌道上であることを示していた。その事実に、最早納得するよりほかないといった様子でキリカが言葉を放った。
そう、少女と魔法少女達が操るその機体は、まさに地球の衛星軌道上。ISPV-5のすぐ側に存在していたのだった。
アーク周辺宙域から地球まで、そこにあるのは遠大にして遥かな距離。当然彼女達は、その遥かなる距離をえっちらおっちらと乗り越えて来たわけではない。
アークを脱出した後この場所に至った今にまで、過ぎ去った時はさほど長くはないのだ。純粋な速度にして表すのならば、それは恐らく光の速度すら超える程で。
もちろん、いかな優れたR戦闘機であろうと光に近い速度などが出せるはずもない。
だとすれば、一体何が起こったのであろうか。
それは、少女達がアークを脱出してすぐのこと。
「どっちを向いても敵、敵!敵っ!!いい加減にして貰いたいものだねっ!」
激化する戦いの宙。バイドの群れは、アークにも魔法少女にも、どちらにも等しく迫り来る。そしてまたアークに無数に搭載された砲台や無人兵器は、動く物全てが敵であるかのように荒れ狂う。
それは余りに混沌としていて、余りにも苛烈で壮絶だった。
「いいからさっさと道を開けろっ!ここに留まってりゃ、それこそ挟まれて潰されっちまうぞっ!」
長く留まれば、いつか必ず御しきれず囲まれ、そして潰される。覚悟を決めて飛び出したはずだった。けれどそんな少女達を待ち受けていた戦場は余りにも最悪だったのだ。
「だめだっ!こっちも自分の身を守るのでやっとだ。……織莉子っ!どうすればいい、どうすればいいんだいっ?」
迫り来るミサイルを振り切り、喰らいつくバイドを切り払い、キリカは叫ぶ。このままでは脱出するための道を作ることさえもできない。
だからキリカは、織莉子に頼った。織莉子が持つ予知能力であれば、きっと状況を打開する術が見つけられるはずだと信じて。
けれど。
「…………」
織莉子は応えない。痛々しくも沈黙を保つだけで。その沈黙は、暗に一つの事実を示す。
そこに未来はないのだということを、この地獄から逃れる為の道など存在しないということを。その沈黙は、ありありと思い知らせていたのだった。
「……それでも、覆して見せるわ。何か、何か方法はあるはずなのよ」
それでも、織莉子は諦めなかった。予知を続けることで織莉子にかかる負担は、決して軽いものではない。それでも織莉子は、まどかによってもたらされた力を糧に未来を視続ける。
前後の二人が捌ききれなかった敵を相手取り、必死にそれを迎撃しながら視続ける。必ず希望が見えるはずだと、残酷な未来にも、必ず綻びが生まれるはずだと信じ続けて。
けれど悲しいかな、押し寄せる悪夢の尖兵も全てを迎え撃つ死の箱舟も、そのいずれもが余りにも強大すぎるものだったのだ。たった五人の少女では、立ち向かうことなどできないほどに。
それでも少女達は、いずれ潰えるその体を必死に駆り、戦いの宙で必死の抵抗を続けているのだった。
「また、私だけ何もできないのかな」
カーテンコールの鋼の身体を駆って、どうにか織莉子に追随しながらまどかは、自分の無力さを噛み締めながら自問する。こうして手に入れた力も、戦う術を知らないまどかにとっては余りに過ぎた力で
それをまともに振るうことなど敵わない。ただ守られているだけで、それは酷く無力感を煽り立てる。
「……それは、違うよね。今の私にはできることがある。ううん、私にしか……できないことがある」
きっと、かつてのまどかであればその無力感に心を苛まれ、それに屈し。膝をついていただろう。けれど、今は違うのだ。今のまどかは、自分にできることを知っていた。
それはR戦闘機を駆って戦うための力ではないけれど、この逆境を打開することのできる力であるはずだと。
解き放ってみよう。
その力はきっと、今も戦う人々を救うことができる。
その力はきっと、苦境に喘ぐ仲間達を救うことができる。
その力はきっと、遥か彼方で一人戦う彼女を、救うことができる。
信じて、まどかはそれを解き放つ。絶望に沈んだ宇宙に、力強く脈打ち始めていたその力を。
「これが奇跡なら、魔法なら……きっと、皆を助けられるはずなんだ」
突如として、まどかのカーテンコールが激しい光を放ち始めた。その光は、魔法を行使しうる魔法少女であれば、見覚えのある光だった。
魔法を行使する際に発生する、機体の発光現象。
具体例はさほど多くもなく、その現象の生じる理由は解明されていない。それでもその光は、ついにまどかがその魔法を行使したのだということを示していた。
「キリカ!杏子さんっ!今すぐ戻ってっ!!」
その光は、一つの光景を織莉子に与えるのだった。その声を待っていたとばかりに、ダンシング・エッジは踵を返して織莉子の元へ。杏子もそれにほんの一瞬だけ遅れ、追従した。
カーテンコールが放つ光は、更に強く激しくなった。そしてそれは周囲へと広がり膨らんでいき、すぐ側に戻っていた三機さえ包み込んだ。
その光に誘われるように、バイドや無人兵器の群れが迫る。それらが殺到し、光の内側へと入らんとするその直前に。
膨れ上がった光は、内側から弾けるようにして消失した。
その光が弾け飛んだ後には、何も残されては居なかった。
鹿目まどかの、もはや異常とも呼べるような進化を遂げた精神は、全太陽系に伝播していた。そしてその願いと、それが生み出した力もまた同じ。
要するにまどかの願いは、自分自身の存在を等しくこの太陽系に遍在させるものだった。例えその意識がソウルジェムの中に収束したとしても、かつてそこに存在していたことは事実。
そしてまどかの魔法は、呆れるほどの魔力を注ぎ込むことで、自身の存在の可能性を変動させるものだった。今いる存在をいなかったことにする。かつてそこにあった存在を、今そこにある存在に書き換える。
そうして起こる存在の変換。事象を正確かつ厳密に捉えるのならば、鹿目まどかとその周辺の一定範囲に存在しているものはその瞬間に、この宇宙から消滅している。
そして同一時間軸の別の座標に、全く同一の物として、質量保存の法則を侵すことなく再構成され出現していた。
そしてその現象を、非常に簡潔かつ的確な言葉で表すこともできた。
「ワープ……って、いうんだよね、こう言うの」
地球の青さを目に焼きつけ、そうして仲間ともども帰還を果たしたまどかは、自らの能力を非常に簡潔かつ的確な言葉で表現したのだった。空間転移。それがまどかの願いが生み出した、まどかの魔法であった。
「そこのR戦闘機っ!貴方達はISPV-5の周回軌道上に侵入しているわ。直ちに軌道を離れなさいっ!」
純粋な驚きに呆然と立ちすくむ三人と、自らの能力を確信し、同じく呆然としている一人。そしてもう一人、麻酔によって朦朧とする意識の端に、地球の姿を焼き付けていた少女。
そんな少女達に、殴りかかるような乱暴な通信が投げかけられるのだった。それはISPV-5の管制室から投げかけられたもので、その女性の声は直ちに現在の座標から移動することを求めてきた。
「っと、こりゃあ不味いな。とにかく一回離脱してあそこに寄航しよう。……あそこなら、さやかを預けても大丈夫そうだしさ」
杏子は後部座席を心配そうに眺めた。さやかの状態は安定しているように見えて杏子は、ほんの少しだけ安堵したような表情を浮かべた。そして、一芝居打つかと唇の端に笑みを浮かべた。
「っ……く、こちら、デルタ試験小隊所属の、佐倉杏子特務曹長だ。作戦遂行中にバイドの襲撃を受け、どうにか脱出してきた。負傷者もいる!機体の補給と、負傷者の収容を頼むっ?」
酷く焦燥しきった……ような声色で、杏子はその女性の声に答えた。答えながらも、四機はISPV-5の周回軌道から離脱して。
そんな杏子の迫真の演技に、通信を送っていた女性も小さく息を呑んだ。負傷者が居るのは事実だが、杏子は恐らく身分としてはすでに死んだ身だ。恐らくキリカや織莉子も状況はそう変わらない。まどかなんて論外だ。
とにかくさっさと収容してもらうためには、多少の方便は通してみるしかないだろう。
「……分かりました。合流地点の座標を送ります、7番ハッチを空けておきますので、そこで収容します」
「了解した。……協力感謝するよ」
色よい返事はすぐに返ってきた。バイドの侵攻に慌てふためく地球圏である、すぐに許可が下りたのは僥倖という他ない。
「さやかさんを預けて補給を済ませたら、すぐに火星に向かいましょう」
合流地点へと機体を向かわせながら、織莉子は既にこの先のことを考える。戦火を逃れることはできたが、それでは根本的な解決にはならない。やはり、人類そのものが生き延びるためには戦うしかないのだ。
「そうだね、火星ではきっとまだ、バイドと激しくやりあっているはずだ。多分、私達の仲間たちももうついている頃だろうからね」
キリカもそれに頷いた。もっとも、魔法少女隊はつい先ほどまでモルガナの結界に囚われており、彼女達が火星の戦場に到着するまでには、まだ幾許かの時が必要とされていたのだが。
「ああ、まだあたしらの戦いは終わっちゃ居ない。だけどまどか、あんたはここに残れ」
それに並んで杏子が言う。確かにまどかは力を得た。けれどそれは、戦うにはまだ足りないものだった。だからここにおいていく。それにまどかの能力はきっと、ただ戦うよりももっと大きな仕事をしてくれるはずだと、杏子はそう考えていた。
けれど、まどかからの返事はなかった。見れば、カーテンコールはISPV-5の周回軌道を離れたところで止まっていた。
「おい、まどか?……まさかっ!?」
そして今になって、杏子はそれに思い至った。魔法の行使は代償を必要とする。それはソウルジェムに穢れという形で現れる。
あれほどの広大な距離を、それも四機にして五人を同時に転移させるという所業。それは果たしてどれほどの魔力を必要とすることであろうか、値を求めることなどできないが、間違いなくそれは、膨大なものであろうことは杏子にも容易に推測することができたのだ。
「おい!返事しろ、まどかっ!!」
杏子は必死に呼びかけた。まさかあの転移は、文字通り命がけで行ったものだったのかもしれない。だとすれば、それほどの魔力を行使したまどかに待っている結末は何だ?
忘れもしない、かつてさやかが辿った末路と同じ。魔女となり、破壊と絶望をもたらす権化と化す。そんな最悪の悪夢が、杏子の脳裏でありありと再生されていた。
「大丈夫だよ、杏子ちゃん。このくらい、全然平気だよっ」
けれどその心配は、まどかの元気そうな声によって杞憂に終わることになる。
「……ンだよ。心配させやがって。ったく、じゃあさっさと行こうぜ、まどかっ」
ほっと胸を撫で下ろして、杏子はまどかに呼びかけた。けれど、カーテンコールは動かない。
「まどか、お前……本当に大丈夫なのか。実はもう、ギリギリなんじゃないのか?」
そんなまどかに、やはり訝しがって杏子は尋ねた。あれほどの途方もない魔法を行使して、平然としていられるとは信じられなかったのだ。
それは、杏子もまた魔法を行使する魔法少女であったからこそ分かること。
「違うよ、本当に大丈夫なんだ……でも、私は行けない。私には、行かなくちゃいけないところがあるんだ」
杏子の声に、まどかはどこか覚悟を決めたような様子で、そう答えるのだった。
「私はきっと大丈夫。あのね、杏子ちゃん。私が一度死んだとき、この宇宙の人たちは皆絶望しちゃったんだよ。その絶望が、とても大きな力を生んだ。私はその力を皆に返してあげて、それで杏子ちゃんを呼び戻したんだ」
「……ああ、未だに信じられねぇけど、そういうことなんだってのはあたしにも分かるよ」
それは独白にも似た言葉。杏子は到底信じられないようなまどかの言葉にそれを信じざるを得ない自らの状態を重ねて、そう相槌を打った。
「それで、みんなは希望を取り戻した。死んでしまいそうな深い絶望から、力を手にしてそれを乗り越えたんだ。私ね、思うんだ。希望が絶望に変わる、それが力を生み出すっていうのなら……その逆もあるんじゃないかな、って」
「それは……じゃあ、まさかっ!?」
希望と絶望の相転移。それが生み出すエネルギー。それがエントロピーを凌駕し得るというのだとしたら。そのエネルギーの発生は、恐らくエネルギー保存の法則さえも無視するのだろう。
だとすれば、エネルギーを生み出す行為と真逆の行為は何をもたらすのだろうか。そのいずれもがベクトルを逆にしただけの、同じく強い感情の相転移なのだ。それは何を生み出すのだろう。
「全ての人類が希望を取り戻したわけじゃないから、その力はさっきと比べて全然弱いけど。けれど、それでも凄く大きな力が生み出されたんだよ。……私の魔法は、それを使っているみたいなんだ」
生み出されるのはやはり同じく膨大なエネルギー。それを宇宙の延命に役立てるためのシステムは既になく、生み出されたエネルギーは必然的に、まどかの身の内にはち切れんばかりに蓄えられていた。
「そっか……なんか、よくわからねぇけど凄いな。それでその力を使って今度は何をやる気なんだ、まどか?」
理解はできない。それでも、信じるには十分すぎた。だから杏子は、きっとまどかが何かをしてくれるのだろうと信じた。
「多分、この力があればいろんな事ができると思う。マミさんや、他の魔法少女達を助けることができる。火星に住んでる人たちを、地球に避難させることだってできるかもしれない。でも……私には、この力でやらなくちゃいけないことがあるんだ」
そのいずれも、まどかの今の能力をもってすれば不可能なことではないのかもしれない。この太陽系で今尚苦境に喘ぎ、バイドと戦う人々を助けるためにこの能力は確実にその力を発揮してくれるだろう。
けれど、まどかはそうしない。そうできない理由があった。
「大切な、とっても大切な友達を助けに行きたいんだ。その子は、とってもとっても遠いところで、今も一人で戦ってる。私は、その子を見捨ててなんて置けない。助けてあげたい。……だから、行くんだ」
「その友達ってのは、あんたが救えるかもしれない沢山の命やあたしと天秤にかけてもそれでも助けなけりゃならない、そういうものなのかい?」
まどかの決意は固い。けれどそれほどの希望が目の前にあって。杏子はどうしても、それを問いかけずにはいられなかった。その問いに、まどかは少しだけ躊躇って。それでも。
「……うん。あの子は、ずっと一人で戦ってたんだ。あの子を助けられるのは、私しか居ないから。それにね、きっとあの子を助けることが、人類皆を助けることに繋がるはずなんだ。……だから私、行くね」
力強く、そう答えるのだった。
「やれやれ、あんたにそこまで思われてる子は随分と幸せもんだね。……わかったよ。もともと何があろうと戦ってやるつもりだったんだ。行ってこいよ。あんたが帰ってくる場所は、あたしらが守っててやるよ」
そして杏子も、そんなまどかに力強く笑って答えた。
「貴女も見つけたのね。自分より大切な誰か。……本当に譲れない、戦う理由を」
気付けば、織莉子のヒュロスが隣に並んでいた。かつて織莉子が見たまどかは、戦うことの意味を知らず、その苦痛を知らず。ただ孤独に耐えかね、戦いという名の逃避を選ぼうとしていただけの少女だった。
けれどどうだろう、今こうして再び相見えることとなったまどかは、驚くほどの成長を遂げていたのだった。
「織莉子さん……うん、今なら分かる気がするんだ。あの時言われたことの意味。でもね、織莉子さん。もしかしたらもう織莉子さんも分かってるかも知れないけど。戦う先に未来がないなんてことはないんだ。戦って、勝ち取らなくちゃいけない未来だってあるんだよ」
それは、かつて戦う理由を問われた織莉子がまどかに答えた言葉。
“戦うことを選んだ時点で、その先に未来などありはしない。”その言葉から時を経て、織莉子も戦いの先に描く未来を知った。
まどかもまた同じく、戦うことで勝ち取る未来をその胸に描いていたのだった。
「……ええ、今ならはっきりと言えるわ。あの時の私の言葉は間違っていた。だからまどかさん。あなたにもそれを証明してもらえるかしら。私達の未来を、一緒に作りましょう」
「おおっと!そんな素敵な未来なら、私のことを忘れてもらっちゃ困るな。当然織莉子の素敵な未来の側には、いつもいつでも私が居る。それで完璧素敵な未来だ。そうだろう、織莉子?……そして私は、そんな未来をキミ達とも見られたらいいと思うよ」
付け加えるようにそう言って、キリカは照れくさそうに笑った。
「うん、織莉子さん、キリカさん。……私、行ってくるね。皆が手にした希望を、絶望なんかで終わらせないために。皆が未来を勝ち取るために。そして、必ず帰ってくるから。……あの子と、スゥちゃんと一緒に」
そして、カーテンコールが再び光に包まれる。今度はその光は膨らむことはなく、カーテンコールのみを包み込む。かつてまどかの意志は、その能力は26次元の彼方、スゥの元へも届けられていた。だからこそ、その場所にもまどかの存在は残されていた。
それを辿れば、転移することができる。
(行ってくるね、さやかちゃん)
昏々と眠り続け、一切の反応を見せないさやか。その横顔を僅かに眺めて、そっと心の中で言葉を告げた。
そして、再び光は弾け。
カーテンコールは、太陽系から消失した。