剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

33 / 97
決戦

「フンッ!」

「ッ」

 

 振り下ろされる大剣を上から叩き落とすようにして逸らす。間髪入れず刀を横薙ぎに振るうが、自分がしたようにオッタルもまたその剣閃に合わせて横薙ぎに大剣を振るい斬撃を逸らす。

 攻防は苛烈を極めた。剣閃が重なる度に火花が散り、手が痺れるほどの衝撃を感じながら固く刀を握って再び振るう。

 

「ハアッ!」

 

 先程まで差を縮めていた身体能力もフレイヤの血と意志を斬り裂いた私から失われ、動きは遅くなっている。それでもオッタルと斬りあえているのは未来視(フトゥルム)による攻撃予測とホトトギスに蓄積されていた経験のおかげだ。

 幾十幾百年も人の血と経験を吸収してきたホトトギスには膨大な戦闘記録が内包されていた。ホトトギス自身となった今の私はそれを他人の記憶としてではなく、自分の記憶として見ている。そこから次に来る攻撃の予測を以前より遥かに高い精度と早さで導き出すことができる。

 

 しかし、それでもやはり地の力が違いすぎるからだろう。オッタルの剣は私の処理能力を越えていく。私がどう足掻いても捌けない斬撃が私の胴体を真っ二つにしようと迫る。

 

「オオッ!!」

 

 片手をホトトギスから離して大剣を弾くように横に振るう。金属同士がぶつかり合う大音響が鳴り響き、火花を散らせながら大剣の一撃は横へと逸れる。

 常軌を逸したその行動に私もオッタルも呆けることなく攻防を再開する。オッタルにはこの戦闘で何度か見せているのでその特性を理解されてしまった。私もまるで昔からそうであったかのように自然に自分の異常性を理解した。

 

 私の手が血で染まっていた。比喩表現ではなく、指先から手の平と手の甲、付けている籠手とプロテクターも血が覆っている。そしてその部分は血が鋼のように硬質化していた。

 私の血は斬り裂けと叫び続ける。それはまるで刃のようだ。否、もうこの身体は刃になったのだ。だから血は鋼のように硬く、刃を弾き、すべてを斬り裂く。

 

 神の血(イコル)によって開花させられた人の可能性としての【魔法】ではなく、私がそういう存在になったことで獲得した異能。

 

「シッ」

 

 この身は剣に堕ちたのかもしれない、それでも私は私であると誓った。私は剣であると同時に剣士。この身が剣となっても剣を振るうことが本懐だ。だからホトトギスを振るいオッタルを斬る。

 

 懐に踏み込みながら刀を振るう。しかし、繰り出した斬撃は上から振り落とされた柄の先端で叩き落とされる。

 

(非常識なッ!)

 

 かなりの勢いで叩き落とされた刀と一緒に私も僅かに姿勢を崩される。そして、急いで横へと転がるようにして回避運動に入る。

 見なくとも分かっていた大剣の振り下ろしが真横を通り過ぎ、また爆音と共にダンジョンの床を破壊した。

 

「ぐぅッ!」

 

 真横にいた私は直撃を免れたものの、床を破壊した衝撃で吹き飛ばされる。床を転がりながら、手で地面を弾くように押し跳び上がる。

 

「ゴライアスが可愛く見えてきますね」

 

 パワーもスピードも、すべてが別次元である。本当に同じ冒険者なのかと疑問に思うほどだ。実はモンスターなのではないだろうか。

 

「巨体しか目立つところのないモンスターと一緒にされては困るな」

「ハッ」

 

 自分が死にかけながら倒したモンスターをまるで、いや文字通り雑魚のように扱うその男を見て私は笑ってしまった。場違いなまでに、私は喜んでいた。

 

「ハッハッハッハッハ!!!」

 

 腕が、思考が、本能が、剣が、アゼル・バーナムという存在すべてが歓喜する。目の前の男の強さに、無情なまでの絶対強者に歓喜する。

 

(貴方は最高だ)

 

 私が人でなくなっても、目の前の男は私の先を歩く。その背中は未だ遥か遠くにある。どこまでも追わせてくれる。

 だからこそ、全身全霊を賭ける意味がある。

 

「この身を剣として、斬り裂くは世界」

 

 今ならあの斬撃を放てるはずだから。

 私という存在で世界を塗りつぶす、世界を侵す、世界を斬る。ただそれだけだ。今までやってきたこととなんら変わらない。己を信じ剣を振るう。単純にして明快。

 

「世界に示しましょう、私という存在を。斬り裂きましょう、この世界を。何故なら私は――」

 

 ホトトギスを納刀して構える。左足を引き、右手を柄に添える。オッタルも強者として、私の一撃を受けることを了承したかのように大剣を構えた。

 

「――そうあると誓ったのだから」

 

 自分ですらいつ振り切ったのか分からないほどの神速で刃は振り抜かれた。私とオッタルの距離はそれなりに開いていたというのに、阿呆のようにその場で刃を振り切った。

 しかし、それでも――

 

「ぬんッ!」

 

 ――オッタルという男は最強であった。

 

 何を察知したのか、オッタルは回避行動をとった。見えないはずの斬撃を、どのような速さなのかどのような大きさなのかも不明な一太刀を避けた。

 

「クハッ」

 

 振り切った刃をもう一度切り返す。身体のどこかが斬れたのを感じた。ゴライアス戦の時と同じだ。ただあの時より軽傷なのはランクアップの恩恵だろう。それでも乱発は危険だろう。

 それを理解しても私は試さずにはいられないのだ。どれほど高めれば目の前の男に追いつけるのか知りたいのだ。

 

「フフ、フハッ!」

 

 斬撃を放つ奇跡を理解し万全に使える喜びに魂が震えた。それが笑いとして身体から漏れ出す。走りながら斬撃を放ち続ける。一度見ただけでどのような攻撃か把握したオッタルは、危なげなく斬撃を避け始める。

 

「捉えた」

 

 しかしどれほど卓越した技術でも、どれほど優れた身体能力でも避けられない攻撃は避けられない。壁際に追い込み一瞬で全方位を埋め尽くすような波状攻撃は、回避不能である。

 度重なる斬撃で身体が傷だらけになり、おびただしい量の血が流れていたが、私は気にしなかった。この一瞬を味わうためなら惜しくないと思った。

 

「甘い」

 

 その声は嵐のように殺到する斬撃の中でも低く私の中に響いた。

 すべての斬撃がオッタルという一点へと到達するかしないかという瞬間、オッタルは懐から一本の短剣を取り出しそれを投擲した。

 

「『穿て』」

 

 崩れるようにその刃を壊しながら、その短剣は風を纏った一本の槍となった。私の斬撃が世界を侵すように、その魔法も世界に穴を開けるように突き抜けた。その魔剣は崩壊とともに、斬撃の包囲網を食い破った。

 そして風の槍は私へと迫る。

 

「ハアッ!!」

 

 オッタルが次に起こす行動を予測し、私はホトトギスを横薙ぎに振るう。風の槍は横一閃に斬り裂かれ、私に到達する前に霧散する。しかし、私が予測していた結果と違いそこにオッタルはいなかった。

 

「大技は連発するものではない」

 

 声が聞こえた瞬間に振り返る。そこにオッタルは立っていた。オッタルも私の行動を予測し、斬撃を避けて魔剣を目眩ましに背後に回ったのだろう。

 

「だが褒めてやろう、私の片腕をもっていったのだからな」

 

 攻撃直後で硬直していた私の目の前まで迫ったオッタルの左腕は半ばでなくなっていた。だが、残る右手には大剣が握られ今にも私を斬り裂こうと振り抜かれようとしていた。

 

「オオオオオッッ!!!」

 

 オッタルが吼えた。ビリビリと痺れるほどの大音声と共に、先程までとは比べほどにならないほどの殺気と圧力を伴って大剣は振り下ろされる。

 

「ハアアアアッ!」

 

 私は同時にありったけの力を振り絞りながらオッタルの振り下ろしに対して刀を振り上げる。回避している時間はなく、未だどれほどの斬撃に耐えることのできるか定かではない硬質化した血で防ぐこともできない。

 だから私は斬り裂くことを選んだ。

 

 片や最強の力と技ですべてを斬り裂く大剣。

 片やその存在を剣へと昇華させた、存在そのものが斬るという概念に至ろうとする者が振るう刀。

 

 両者激突し拮抗する。激突の衝撃は暴風と爆音を発生させ辺りを破壊する。地面は陥没し、天井と壁には亀裂が走る。

 

「オオオオオオオ!!!」

「ガアアアアアア!!!!」

 

 あらん限りの力で私を押しつぶそうとするオッタルに私もあらん限りの力で対抗する。

 

(斬り裂け)

 

 その想いが私を強くする。

 

(私は剣となったのだから)

 

 その奇跡が私を衝き動かす。

 

(否、それ以前に負けるわけには、いかないッ!)

 

 ただ一つのことに特化しているからこそ、それで負けるわけにはいかないという矜持がある。例えそれが最強の相手であったとしても、例え自分が遠く及ばない相手だと知っていても、この矜持を曲げること、折られることはありえない。

 

 手に纏っていた血が移動し刀へと移動する。柄を伝い刃へと血が這い、刃は血に染まった。そして徐々に、赤い刃はオッタルの大剣へと斬り込み始めた。

 

「――ッ」

 

 一瞬でそれに気付いたオッタルは大剣を引こうとした。

 

「ハッ!」

 

 しかし、それを私も見逃さずに押しつぶさんとしていた圧力が弱まった瞬間刀を振りぬいた。澄んだ鈴のような音を奏でながらオッタルの大剣は半ばで斬り裂かれた。斬り飛ばされた刃が地面へと落ちる音が鳴る。

 競り勝ったということへの余韻に浸る暇もなくオッタルは次の攻撃を繰り出してくる。それは武器を使っての攻撃でも、手足を使った殴打でもなかった

 

「オオオオァッ!!」

 

 全身を使った突撃だった。その身体に宿る力と脚力に任せた猪のような突進の速さは剣速よりも、拳よりも速かった。しかも拳のように点の攻撃でも、剣のように線の攻撃でもない面の攻撃を避けるには攻撃を認識した時点で既に遅かった。

 

 攻撃を食らう直前、私も血を纏ったホトトギスで突きを放ち喉を斬り裂こうとする。ホトトギスの切っ先がオッタルに届いたのと突撃が私に当たったのはほぼ同時だった。

 コロシアムで吹き飛ばされた時とは比較にならない衝撃で私は来た道を戻るように吹き飛ばされた。

 

「ッッぎぃッ」

 

 勢いがなくなり地面に倒れるまでどれほどの距離を跳ばされたのか分からなかった。ただ一つ分かったのは身体の節々が痛むことだけだった。恐らく骨も折れているだろう。まともに動かせる気がしなかった。

 地面に倒れながら、誰かの足音を聞いた。

 

「ぐぅッ――はあッ」

 

 身体は闘争を望んでいる、魂は剣戟を望んでいる。身体は折れても、心はまったく折れていなかった。諦めて死ぬなどという選択は私の中に存在しない。

 

「動け……」

 

 ありったけの力を込め、身体を蝕む痛みに耐えながら手足を動かしていく。

 

「動けッ」

 

 心臓が強く脈打ち、全身に巡る血が熱く燃えたぎる。しかし、それでも身体は立ち上がれるほど動かなかった。手で地面を押して立ち上がろうとしても途中で力尽き再び地面へと倒れる。

 

「動けよッ!」

「バーナムさんッ!」

 

 身体を動かそうとすることに夢中で私は誰かが接近していたことに気が付いていなかった。地面に倒れながら首だけを動かして見ると、そこにはいつもの給仕服を着たリューさんが駆け寄ってきていた。

 

「リュー、さん……そういえば来る前に会ったのか」

「何を呑気にッ」

 

 彼女の助けを借りながら私は壁に寄り掛かるようにして座らせられた。全身にある様々な傷を見ながらリューさんは顔を顰めた。最も目を引いたのは切り傷だろう。それを実は自身で作ったと言ったら彼女はどういう反応をするだろうか。

 

「どうすればこんな傷を」

「まあ、色々あったんですっ、いッ」

「動かないでください、急いで地上まで戻って治療をしなければ」

 

 そう、本当に色々あった。女神に導かれ最強に相対し、力に飲まれ意識を乗っ取られ、私を救うために誰かが犠牲になり、私が斬り殺した。

 

――私は人を殺した

 

 それが例え誰にも見えない、人によっては人と認められない存在だったとしても、私が人と認めたのだから。私は人を斬ったのだから、戦わねばならない。こんな所で倒れている場合じゃない。

 

「だめ、です」

「何を言ってるんですか!」

「戦わ、なければ。斬らなければ、いけない」

「こんな身体では無理です、現に今私の助けがなければ座ることもできなかったではないですか」

 

 それが問題だったが、ここにリューさんがいれば解決できる。

 リューさんは何も武装していない。いつも店で見る給仕服のままだ。どうやって9階層に来るまでのモンスターを倒してきたのかは分からないが、それでも手足に傷ができていた。

 

「リューさん、一つお願いを聞いてくれませんか?」

「それは地上に戻ってからにしましょう」

 

 そう言ってリューさんは私の言葉を聞かずに私を起こすために肩に手を回そうとする。それによってリューさんの頭も私の近くになる。怪我人になるとリューさんとて優しくなるようだ。

 

「今じゃないとだめなんです」

「それは、自身が死ぬかもしれないという可能性を考慮した上での判断ですか?」

「ええ」

「聞くだけです」

 

 私を起こそうとする事をやめたリューさんを見て安心する。まあ、お願いを聞いてもらうと言っても了承など求めていないのだが。

 

「今からすることには目を瞑ってください」

「え」

 

 返事を聞く前に、彼女が自分から離れる前に実行する。頭を動かしてリューさんの首筋へと口を持っていき――噛みつく。

 

「なッ」

 

 全身を刃とすることができる私の歯は易易と肌を突き破った。そこから血がにじみ出てくる。口が温かい鉄の味で満ちていく。そして、それを飲み込む。

 

「か、らだが」

 

 リューさんが発した言葉が私と彼女どちらの身体を指して発せられた言葉なのかは分からない。

 リューさんの身体の自由はきかない。人に乗り移り操る怪異であったホトトギスの特性は私へと受け継がれている。身体の自由を奪うくらい可能である。

 私の身体は再生していく。血によって自身を強化、再生させていく能力も私に受け継がれている。折れた骨も自分で斬った箇所もすべてが湯気を出しながら尋常ではない早さで回復していく。

 

「こ、の」

 

 破られた皮膚から溢れる血を舐める。血は美味しくなかった。しかし、不思議と嫌ではなかった。初めて血を飲むというのに、まるで今まで何度もしてきたかのような錯覚に陥る。しかし、考えてみれば刀からでも血は吸えた気がする。

 いきなり噛みつくのと斬りかかることのどちらがマシだったかは分からないが。

 

「不埒者がッ!」

「ぐえッ」

 

 気合で身体の自由を取り戻したリューさんは恐らく私が怪我人であることを忘れて腹を殴った。状況を考えれば当然の仕打ちであったが、かなり痛かった。

 

「貴方は、貴方という人は――ッ」

「本当に」

 

 殴られた腹を擦りながら私は立ち上がる。身体の傷は殆ど塞がり、折れていた骨も正常に繋がり、体力も戻っていた。自分の人間を越えた部分を目の当たりにして心が痛んだ。

 

「助かりました」

「……どういう、ことですか」

 

 リューさんは目の前で起きたことが信じられないと言った目で私を見る。それもそうだろう。自分でもあまり現実味のないことが起こっているのだ。

 

「見ての通り、怪我は治りました」

「だからそれが何故かとッ」

 

 私に今起こったことを問い詰めようと寄ってきたリューさんは、瞬間空気を支配する殺気を感じて通路の奥を見た。

 

「よかったですよ、間に合って」

「ほう、どのようにして治したかは知らんが、僥倖だ」

「ええ、そうですね」

 

 暗がりからオッタルが歩み出てくる。右手には大剣ではなく、恐らく予備の武器として装備していた長剣を携えていた。

 

「「まだ戦える」」

 

 私もホトトギスを構える。血の吸収によって身体の再生がされたのだから、強化もされているはずだ。私はもっと強くなっているはずだ。

 

「その女は?」

「え、ああ。そうでした」

 

 オッタルの殺気にあてられて思考が一気に戦闘に向けられて一瞬忘れていたリューさんに向く。彼女も彼女で戦闘に備えて構えをとっていた。リューさんも殺気にあてられて私がさっきしたことを追求し忘れているのだろう。

 

「リューさん」

「バーナムさん、貴方は彼を斬ろうと」

「ええ、だから見ていてください」

 

 私は彼女に向かって頭を下げた。そんな私の行動に驚いた彼女の顔を見れないことが少し残念に思えた。

 もちろん戦闘を邪魔されたくないという思いはあった。しかし、それだけではない。それだけなら彼女の事を無視して戦い始めてもよかった。私はこの戦いを誰かに見ていてもらいたかったのだ。

 

「何故、そこまでして、そんなになってまで戦うのですか」

 

 それは質問ではなく、独白のように聞こえた。悲しむように、嘆くように彼女はその言葉を発した。しかし、私は答える。

 

「リューさん、私は人を斬りました」

「ッ」

「だから戦うんです。だから斬るんです」

 

 私はホトトギスに彼女が私の一部であると言った。私の中に、私の斬撃に彼女は存在する。だから私は今、きっと彼女のために剣を振るっている。自分が絶対にできないと思っていた行為をしている。自分の中にある彼女を見るために、私を生かしてくれた彼女の斬撃でオッタルを斬るために剣を振るっている。

 だから、彼女がここにいたのだということを誰かに見ていて欲しい、誰かに知っていて欲しい。

 

「見ていてください」

 

 答えを聞かずに振り返る。一歩、歩く毎に力が漲ってくる。

 

「それにしても驚いた。まさかあの瞬間逃げるでも防ぐでもなく反撃を選ぶとはな」

「先に攻撃が当たれば問題ないと思ったんですがね」

「ふっ、もう少しだったな」

 

 そう言ってオッタルは首を私に見せてきた。喉仏から血が一筋流れ、私の突きが僅かだが当たっていたことが分かった。

 

「つくづくお前は面白い」

 

 オッタルは左手を失ったが、その圧力は増していた。ダンジョンの壁や床がオッタルの放つ膨大で濃厚な殺気で軋み始める。それに負けないよう私も感覚を研ぎ澄ませていく。

 

「貴方を殺せば、あの女神は怒るでしょうか? 悲しむでしょうか?」

「それはないだろう。私如きで動かされるお方ではない。むしろ、お前の勝利を喜ぶだろう」

「そうですか……それは残念だ」

 

 あの女神の顔が怒りに染まる様を見てみたかった、悲しみに暮れる姿を見てみたかった。それは仕返しのつもりだった。しかし、それも望めないというではないか。

 

「結局、貴方は報われない片想いをしている」

「片想い? 笑止、あのお方の愛を私は受け取っている」

「それは貴方だけの愛じゃない」

「それが何だというのか。あのお方の愛は平等にして絶対」

 

 右手一本で長剣を構える様はまるで修羅の如く、その身から漏れ出す闘気はまるでその思いを具現しているかのように揺らめいているようにさえ幻視できた。

 

「あのお方に愛されたその時より、この命を捧げることに迷いなどない」

「……これは失礼しました」

 

 オッタルはなんの迷いもなくそう言い切った。

 自分の邪な思いを振り払う。今はあの女神のことなど関係ない。考える事すらこの戦闘を侮辱する。他の誰も、何も関係ない。

 

 オッタルがただあの女神のために戦うように、私はただ目の前の男を斬り殺し、そして越えて行きたい。

 

「では、第二幕と行きましょう。観客もいることです、美しく、鋭く、情熱的に貴方を斬りましょう」

 

 ホトトギスの刃が赤く染まっていく。より硬く、より鋭くなれと思えば思うほど血は熱く滾る。より疾く、より強くと願えば願うほど心臓は力強く脈打つ。

 踏み出す一歩すら何かを斬る。ならば、振るわれる刀に斬れぬものなどないだろう。

 

 

■■■■

 

 

「すごい」

 

 感嘆の声がリューの口から溢れる。それはかつて【疾風】の名で呼ばれていた冒険者が無意識に発してしまった声だった。それほどまでに目の前に広がる攻防は凄まじかった。

 

 【猛者(おうじゃ)】の名を冠するオラリオ最強の冒険者の実力はリューもある程度予想はしていた。しかし、その予想を遥かに越える実力をオッタルは見せていた。まるで大樹のような安定感と暴風の如き力強さを兼ね備えた超人だ。

 一度オッタルが剣を振るえば床は砕かれ風が吹き荒れる。刃はすべてを割断するほど鋭く、絶対に相手をしたくないとリューは思った。

 

 しかし、リューを真に驚かせたのはその相手であった。

 

 アゼル・バーナム。ヘスティア・ファミリア所属のレベル2の冒険者。同じくヘスティア・ファミリアに所属するベル・クラネルの幼馴染であり、その剣の腕はレベルを超えてモンスターの討伐を可能にするほど優れている。しかし、リューはそれを見たことがなかった。

 所詮リューが知っているアゼルは戦闘の起こらない地上での彼でしかなかった。話にアゼルがかなりの無茶をしているとは聞き、それを改めるように何度か進言したこともあった。

 

(ですが、これなら)

 

 だから目の前のアゼルの戦いぶりを見て、リューは納得してしまった。血を流しながらも圧倒的暴力の前に一歩も引かず立ち向かうその様は勇敢を通り越して異常だった。大きく破れた衣服から、神々しいとも禍々しいとも言えるような赤い輝きを放つ【ステイタス】を背負いながらアゼルは剣を振るっていた。

 

 斬りながら圧殺すると形容しても足りないほどの圧力を伴ったオッタルの斬撃をアゼルもまた手に持つ刀で鋭い斬撃で迎撃していた。片やレベル7の冒険者最強の男、片や冒険者になって一ヶ月ほどのレベル2の冒険者。両者には埋められない【ステイタス】の差がある。いくらアゼルがレベル2の冒険者とは思えないほどの動きをしていても、その差は歴然であった。

 アゼルが一歩動く間にオッタルは二歩三歩動く。しかし、それでもアゼルは対等とまではいかなくとも斬りあえていた。

 

 オッタルが二手三手先を行くのなら、アゼルはオッタルより四手先まで見えているかのように刀を振るいオッタルの斬撃や殴打を捌いていた。それはまるで舞のようにすら思えるほど洗練されている動きで一つの迷いもなく、剣閃は揺らぐことがない。

 その上時折斬撃はまるで延長されるような現象が起き、アゼルが刀を振るうと壁や天井に亀裂が走る。そのありえない剣技を見て、リューは戦慄した。魔力の高まりが一切感じられなかったのだ。

 

(どれほど鍛錬を積めばそうなる)

 

 迷いの無さは自信の表れだ。揺らがぬ剣閃は積んできた鍛錬の証だ。それは武人として誇れるものだろう。しかし、リューにはアゼルの剣戟が狂っているようにすら思えた。

 オッタルはその驚異的な身体能力で完全に優勢である。アゼルはそれに反してかなり不利な状況だ。それなのに、アゼルは命綱なしで綱渡りをするかのような戦闘を楽しんでいた。

 

「ハハハッ!」

 

 アゼル・バーナムは心の底から笑っていた。しかし、彼の繰りだす斬撃には悲しみと怒りが滲んでいた。

 

(何故、こんなに目が離せない)

 

 その剣閃にリューは魅せられていた。剣士が泣かずとも、振るう剣は泣いていた。剣士が怒らずとも、振るう剣は怒っていた。その光景は、感情の発露の仕方を知らない子供のようにも、感情をひた隠しにする大人のようにも見えた。

 剣にはアゼルという存在が宿っていた。戦士として目の前の戦闘から目を離すことなどできるはずもなかった。アゼル・バーナムは一介の剣士を越えていた。その剣技は芸術の域にさえ届いていた。

 

『リューさん、私は人を斬りました』

 

 アゼルは確かにそう言った。その目に、その表情に嘘偽りはなかった。

 リュー・リオンにとって人を斬るということは、希望であって欲しいと願ってくれた仲間への裏切りだった。激情に任せて復讐を果たした彼女に待っていたのは孤独感と絶望だった。

 しかし、アゼル・バーナムはそうではなかった。

 

『だから戦うんです。だから斬るんです』

 

 人を斬ったから戦う。人を斬ったから斬る。アゼルが口にした言葉は意味不明でリューにとっては理解不能だった。しかし、そこにはアゼルの揺るがない信念のようなものを感じた。

 

(貴方は)

 

 人を殺めた罪は一生消えない。いかなる理由があろうとも、人が人を殺す正当な理由などこの世にはない。それでも、人が人を殺してしまうのは人が理性だけでなく本能を持ち合わせているからだろう。

 

(貴方は、何故そんなに強い)

 

 人を斬ってまで成したいことがあるのだろうか。修羅に堕ちてまで辿り着きたい場所があるのだろうか。傷付き、血を流し、叫び、嘆き、絶望に苦しみながらも何故アゼルが歩めるのかリューには分からなかった。

 人を殺めたという罪は、アゼルを強くしているような気さえした。

 

 リューは、アゼルが自身とは正反対のように思えた。人を殺めて絶望に浸り弱くなってしまった自身と、人を殺めて強くなるアゼル。その違いがなんなのか、彼女は知りたかった。

 

(何故、私はあの時あんなに弱かった)

 

 もしもの過去など考えることに意味は無い。過去に戻ることはできず、現在の状況を変えることは不可能だ。それでも、リューは過去の自分とアゼルを比べてしまった。アゼル程の強さを持っていれば、結末は変わっていたのかもしれないと夢想してしまった。

 

(何が貴方をそこまで強くする)

 

 人を殺してしまった自分には正義を語る資格すらないと自覚しながらも、彼女はどこまでいっても正しさを求める。裏切ってしまった仲間達の願いを、彼女はまだ叶えていない。

 

 人を殺めても狂わないほどの強さがどこから来ているのか知りたいとリューは思った。過去の自分になく、目の前のアゼルにあるものが何なのか気になった。

 言ってしまえば、彼女はその強さに僅かに惹かれてしまった、魅入られてしまった。振るう刀の鋭さがあまりにも鋭く、美しかったから、憧れの念を抱いてしまった。

 だがリューは人を殺めてまで振るう剣が正義であるはずがないと分かっていた。

 

 それでも、彼女は知りたいと思った。

 リュー・リオンの時間は仲間達が死んでしまったときに止まってしまった。しかし、壊れ狂って回る歯車にも耐えられるほどの強さがあれば、時は進むだろう。目の前の剣士は、それを持っている気がした。

 

 

■■■■

 

 

(そろそろ限界か)

 

 それは体力的にも精神的にもだったが、何よりも武器の摩耗が激しすぎた。今まではホトトギス自身が斬った相手の血を吸い自己修復と強化をしていたから刀として損なわれていなかったが、私がホトトギスとなった今手に持つ刀はただの刀でしかない。

 斬れば刃こぼれするし、攻撃を弾けば傷も付く。

 

 しかも、その相手がオッタルであるという事実は消耗具合に拍車をかける。繰りだす一撃一撃が致死の一撃で、どれほど上手く剣戟を逸らしても衝撃を殺しきることができない。いくら未来が見えて攻撃が予測できても、力で押し切られてしまう。

 オッタルの長剣を受け流し一度大きく後退する。

 

「どうした、臆したか?」

「まさか」

 

 オッタルも私の武器の状態をある程度把握しているはずだ。打ち込めば僅かではあるものの音に変化が表れる。

 

「ふう……」

 

 深呼吸をして心を落ち着かせる。勝てる未来など一切見えない。しかし――

 

(終わらせるッ!)

 

――負ける未来など一切合切斬り捨ててしまえばいい

 

「ハアッ!」

 

 ゼロから百、停止から最高速へと一瞬で達する。踏み込んだ一歩は地面を砕き、空気を斬り裂く踏み込みは一歩で数M(メドル)の距離を一瞬で移動した。

 

「真正面から来るか、その意気や良し!!」

「ハアアアアアッッ!!」

 

 一刀目に袈裟斬りを放つ。未来を見ながらオッタルによって受け流された刀が自分の望んだ位置になるように調節する。オッタルも私の振り下ろしに合わせて長剣で私の刀を上から下に弾くようにして振るう。刀の落ち着いたその場所は脇構えの位置。

 

「ゼアアアアアッッ!!」

 

 間髪入れず二刀目に逆袈裟。

 

(すみません鈴音、ホトトギス)

 

 今回オッタルは斬撃を受け流すのではなく、武器破壊を狙い私の振り上げに対して神速の横薙ぎを繰り出した。

 一度放たれた刀は止まることなく、二つの剣閃はぶつかり、そして私は負けた。

 

 甲高い音と共にホトトギスは半ばで折れ、オッタルの横薙ぎは僅かに勢いを弱まっただけ。その一撃は私の胴を横一文字に斬り裂いた。

 

「ゴフッ」

 

 当たらない距離を空けていたつもりだった。オッタルの長剣を握る手を見ると、僅かに握り手の位置が変わっていた。最後の瞬間握り手をずらし刃の届く範囲を広げたのだ。あんな高速で行われた剣戟の最中でそんなことをすれば最悪手から剣がすっぽ抜けてしまう。

 しかし、オッタルは平然とそれをやってのけた。

 

(だが、それでも私は負けるわけにはいかない)

 

「グッ、ァアアアアアッッッ!!」

 

 刃は折れても、私は折れてなどいない。心は斬ることを何よりも望み続けている。

 

 八相の構えから、折れたホトトギスで再び袈裟斬りを放つ。オッタルは油断せずに私の斬撃を防ぐように長剣で弾こうとする。折れた刀で繰りだす斬撃では本来の切れ味を出せないと思ったのだろう。

 しかし、それが貴方の思い上がりだ。

 

 そう、私の血は刃である。すべてを斬り裂けと叫び続けるその血は、私の強い想いに呼応して形を変える。ただの血から硬質化した血になり鎧となる、刃を覆う血は耐久度と鋭さを増す。では、その先はどうなるか。

 答えは単純である。斬るに最も相応しい形へと血は昇華していく。

 

「血は、刃となる」

「なる、ほどな」

 

 笑いながらオッタルは口の端から血を流した。折れたホトトギスの先に赤い刃が形成されていた。その刃は弾こうと間にあった長剣を斬り裂き、瞬時にその長さを伸ばし間合いの外にいたオッタルの身体を肩口から脇下まで斬り裂いた。

 

「だが」

 

 互いおびただしい量の血を流しながら、オッタルだけがその足を進めた。一歩一歩私に近付いてくる。

 

「あのお方が見ている限り、私に敗北はない」

 

 目の前まで来てオッタルの巨体を改めて実感する。長剣を手放したオッタルは拳を握り振りかぶっていた。

 

「これまでも、これからもだ」

「それは、勿体無い」

「何?」

 

 ホトトギスを杖のようにして膝立ちになる。もう身体を支える力もなく、流れる血が多すぎて徐々に身体が寒くなってきていた。

 

「敗北は、それはそれで甘美なものだというのに」

「ふっ、ふはっ、ハッハッハッハッハ!!!!」

 

 目の前の男は最強故に敗北を知らない、最強故に敗北を許さない。しかし、武人にとって勝利がすべてではない。失敗が成功の母であるように、敗北を知ることは大切であった。目指す背中があるというものはそれだけで原動力となる。

 オッタルが私にもたらした敗北のように。

 

「では、待つとしよう。故に、再びお前に言おう」

 

 オッタルの全身の筋肉が隆起してその込められた力を想像する。しかし、きっとどれだけ想像してもこの男は私の想像の上をいくだろう。

 

「登ってこい、私に敗北を教えてみろ」

「望む、ところだッ」

 

 血を纏った腕を交差させオッタルの拳を迎え撃つ。途方も無い衝撃と共に、全身を強くダンジョンの壁に激突して視界が明滅し、意識も一瞬飛び朦朧となる。

 地面に落ちたのは分かったが、そこから起き上がろうとしても身体をどう動かせばいいのか思考がまったく回らなくなっていた。

 

「ぁ、て」

 

 何事かをこちらに言って歩き去っていくオッタルの背中を見ながら、私は必死に手を伸ばそうとしたが、今の私ではそれができたのかどうかさえ判断できなかった。

 

 

■■■■

 

 

「バーナムさんッ!」

 

 傍観していたリューがアゼルに駆け寄る。壁に激突して地面へと落ちたアゼルは僅かに身体を震わせながら、力なく横たわっている。

 

「女、その男が起きたら伝えておけ。まだ殺すには惜しい、とな」

 

 オッタルはそれだけ言ってその場を去った。アゼルの最後の一撃はかなりの深手のはずだったが、それを感じさせないほどオッタルは悠然と歩いていった。

 

「……間に合わない」

 

 オッタルのことなど気にせずリューはアゼルの容態を見る。そして一瞬で結論に至る。最初会った時ですら瀕死の状態だったのだ。その後傷を癒やしたものの、もう一度死にかけている。血が流れすぎたのだ。

 しかしダンジョンに来る用意などしていないリューは回復薬(ポーション)を持っていないし、いくら探ってもアゼルも薬の類は持っていなかった。

 

「ぅッ」

(このままでは)

 

 自分の身体が冷えていくのが分かった。目の前の死にそうなアゼルを見て、過去の光景がフラッシュバックする。息絶え絶えな仲間の手を握りながら、死ぬなと叫び続けた記憶が蘇る。徐々に冷たくなっていく仲間の身体と虚ろになっていく瞳を思い出す。

 

(嫌だ)

 

 しかし、彼女にはアゼルを助ける手段がない。どれだけ急いで地上に向かったとしても間に合わないほど体力を消耗し血を流してしまっている。その上、途中でモンスターに出会う可能性が高い。

 

(嫌だッ)

「ェホッ……ィ」

「バー、ナムさん?」

「……ィ」

 

 気絶していると思っていたリューは何かを話そうとするアゼルに驚きながら、口に耳を近づけた。

 

「ち」

 

 ただ一言それだけ言うとアゼルは血を吐きながら浅い呼吸をしはじめた。まだ意識はあるらしく目は薄っすらと開いているもののそれがいつまで保たれるか分からない。

 

(ち……血)

 

 血と言われてリューはアゼルを見た。全身血だらけと言っても過言ではないほど血を流している上、戦闘中も手や刀身などが赤くなっていた。一瞬しか見えなかったが折れた刀がいつの間にか直っているようにも見えた。

 戦闘が衝撃的過ぎてその前の記憶が色あせてしまっていたが、思い出す内に彼女は漸くアゼルが言わんとしていることに辿り着いた。

 

「――ッ、そうか」

 

 そこからリューに戸惑いはなかった。普段の彼女であれば絶対に躊躇するであろう異性との接触もこの時だけは頭から消えていた。

 アゼルを動かして壁を背に座らせる。戦闘が終わっても尚アゼルが握っている折れた刀を使ってリューは腕を斬ってアゼルの口に近付けた。

 

「死なないでください」

 

 心の底からリューはそう願った。かつて仲間達に叫んでも実現しなかったその願いを、今度こそ叶えたかった。アゼルはリューにとって仲間ではないのかもしれない、客と店員というありふれた間柄かもしれない。しかし、それでも彼女は目の前で死にゆくアゼルを助けたいと思った。

 

「貴方と話がしたい。聞きたいことがあるんです。だから――」

 

――飲んでください

 

 その言葉に反応したのか、それとも血の匂いに反応したのか、アゼルは血が滴るリューの腕に口を付けた。

 

「っ」

 

 朦朧とした様子でリューの腕に口を付けたアゼルは、それが何なのか認識すると首筋に噛み付いた時と同じように噛み付いた。

 僅かな痺れと共に、微かな快感をリューの身体を走った。それはまるで本に出てくるような吸血鬼にでも血を吸われているような感覚だった。

 

(吸血鬼にでもなったんですか、貴方は)

 

 一度目は金縛りにあったかのように動けなくなり、今度は痛みではなく快感を感じた。その微かな快感を振り払うように頭を振り、アゼルの身体を見る。

 ゆっくりとではあるが血を嚥下することによって身体の傷が徐々に治り始めていた。二度目とはいえやはり信じられない光景を見たリューは息を呑んだ。本当に吸血鬼になったのではと疑った彼女を誰が責められようか。

 

「バーナムさん、もう大丈夫ですか? バーナムさん?」

 

 話しかけてもアゼルは返事をせずにただ血を飲んでいた。目の焦点は合っていないし、未だ意識がはっきりしていないのだろうと思ったリューはそのままにしておいた。

 

 

 アゼルの意識がはっきりと戻ったのは一分程経ってからのことだ。

 

「ぇ、あれ?」

 

 リューの腕から口を離したアゼルは腕についた歯型とリューの顔を交互に見て固まった。

 

「……殴るなら優しくお願いします」

「何を言ってるんですか、まったく……これは私がやったことです」

「え、そうなんですか」

 

 心底意外と言った風にアゼルは言葉を発した。

 アゼルの認識としては、リューとの間柄は知人以上友人以下くらいだ。ましてやエルフは認めた人にしか肌を触れさせない風習がある。加えてアゼルは男でリューは女、腕を噛ませてもらえる間柄ではない。そもそも腕を噛むなどという状況に陥るかは別として。

 しかし、目の前のリューは怪我の治ったアゼルを見て安堵していた。

 

「私とて死にかけている人がいれば助けます」

「えーと……その、まさかこんな短期間に二度も死にかけるとは思ってもいませんでしたよ、ははは」

「説明、して頂けますよね」

「……はい」

 

 目の前で繰り広げた常軌を逸した戦闘、二度に渡る吸血と超速再生。アゼルに誤魔化すという道はなかった。元より復活したばかりの意識では上手い言い訳を考えられるわけがなかったのだ。しかも一度目の吸血は了承を得ていない状態だったのだ。無許可でエルフである彼女の肌に触れるどころか口を付けたことにアゼルでも負い目を感じていた。

 それ以外にも、アゼルはリューに話しておきたいと思う理由はあった。

 

「まあ、まずは地上に戻りましょう。っとと」

 

 立ち上がったアゼルは立ちくらみを起こして壁に手をついてなんとか倒れずに済んだ。それをリューに見られていることに気が付いたアゼルは言った。

 

「傷は治っても、体力や流した血は戻らないみたいで」

 

 いつもの調子に戻っても無理をしているのだと理解したリューはアゼルの隣に立って肩に手を回した。

 

「噛まないでくださいね」

「……後で高い回復薬、買ってきます」

 

 噛み跡のことを心配したアゼルの提案にリューは頷いた。覚束ない足取りで歩くアゼルを支えながら、確かな温もりが宿ったアゼルに触れ彼が生きているということを実感したリューは微笑んだ。

 

「では、帰りましょう」

「ええ。本当に――疲れました」

 

 

■■■■

 

 

「本当に……貴方の眷属()達は私を楽しませてくれるわヘスティア」

 

 オラリオに聳え立つ摩天楼の最上階。女神フレイヤは『鏡』を通してベルとミノタウロスの戦い、そしてアゼルとオッタルの戦いを見ていた。下界の催しを楽しむために遠方を見ることのできる『鏡』は下界で許された唯一の『神の力(アルカナム)』の行使だ。当然、催しを楽しむ以外での使用は許されていないがフレイヤは男神達を魅了し交渉することで限定的な使用を黙認させた。

 

 今しがたそのどちらとも決着はついた。ベルはミノタウロスに打ち勝った。その時の魂の色はフレイヤが目を離せなくなるほど純粋で透明な色をしていた。新たな『可能性』がベル・クラネルという冒険者の中に芽吹いた瞬間を彼女は見た。

 

 では、アゼルはどうだったか。

 フレイヤの期待に応えるように、アゼルは人智を越えた力を行使しながらオッタルと戦った。しかし、途中でその力に飲み込まれてしまった。その時は少し拍子抜けしながらも、仕方のないことだと思った。なにせ神の血を吸わせた武器を扱っているのだ。

 その時アゼルの魂の色は銀色に染まっていった。その光景を見るだけで彼女の心は燃え上がった。飲み込まれてしまっても結局はフレイヤの血の力である。自分のもとへと来た後、どうにでもなるだろうと彼女は予想していた。しかし、それも生き残ればの話だ。

 死闘を繰り広げたのだ、死んだっておかしくはない。しかし、死んだのであれば死後の魂を彼女は優しく迎え入れただろう。だから、彼女はオッタルがアゼルを殺すために大剣を振り降ろす姿をただ見ていた。

 

 そして、彼女はその瞬間を見た。それは唐突な出来事だった。

 銀に染まっていたはずのアゼルの魂が、再び脈動するように元の鈍色の輝きを取り戻す様を見た。銀色は割断され消え失せ、以前より一層輝く剣の色が復活した。神の色に染まっていた魂は、また人の色を取り戻した。

 失われたはずの輝きが、その光を増して再び灯った。それは器の昇華などではない。

 

『存在の昇華』

 

 それは本来ありえないことだ。人が、人以外の何かになるなどできやしないはずなのだ。何せその器じゃないのだ。

 それでも、フレイヤはその魂の輝きを見て確信した。アゼル・バーナムという魂は、人から人ならざる何かに変化した、昇華した。

 仮に数値で表したら、それは1と1.01ほどの違いかもしれない。しかし、そんな僅かな違いでも、アゼルは人の身でありながら踏み越えたのだ。それは、この世のどんな試練よりも困難なことだろう。

 

「あはっ、ふふふふ……! ああ、素晴らしい。期待以上、いいえ、思ってもみなかった結果よ、アゼル!」

 

 神の意志すら斬り裂く、そんな子供がいるとは思っていなかったのだろう。フレイヤは座っていた椅子から立ち上がって歓喜した。

 神にさえ打ち勝つその強さを、その理由を、その想いをすべて自分のものにしたいとフレイヤは思った。そんな存在を自分のものにした瞬間、どれほどの快感が彼女の身体を満たすのか想像もできなかった。

 

「貴方は、やっぱり私の眷属になるべき子。魅了できないというのなら、いっそ力ずくでって言うのもいいかもしれないわ」

 

 自然と発せられる魅了が効かないというのなら、直接触れ身体を使って魅了してしまえばいい。その時屈服するアゼルを想像して、フレイヤは吐息を漏らした。

 

「そうだわ。褒美を与えないと」

 

 勝った時の褒美は自らの血と約束していた。当然負けた時は命を失うだろうと思っていた。今回は二度死にかけながらもオッタルに手傷を負わせたことは賞賛に値するが勝利とはいえない。しかし、生きている上にその精神もまったくもって折れていない様子を見ると敗北したとも言いづらい。

 

「ふふ、じゃあ名前を贈りましょう」

 

 そうして彼女は手紙を書き始めた。次の神会(デナトゥス)に出席するであろう男神達に宛てた手紙だ。

 

「滴る血と大地から生まれたモノ、生まれた時より剣を手に持ったモノ。貴方にぴったりの名前を贈りましょう」

 

 そして、彼女はその手紙の最後にアゼルの二つ名を記した。

 

「ふふ、貴方は喜んでくれるかしら」

 

 もう一度『鏡』を見て、エルフの女性に肩を預けて歩くアゼルを見た彼女は微笑んだ。肩を貸しているエルフに若干の嫉妬を抱きながら、アゼルの勇姿を見届けた余韻に浸る彼女は頬を赤く染めながら鏡に触れた。

 

「ねえ、アゼル」

 

 時間も限界が来ていたので、名残惜しそうに彼女は『鏡』を閉じた。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あれば気軽に言ってください。

長い……良く言われるのが、書くのも大変だけど読むのも大変だからあまり長過ぎるのは良くない。個人的に今回のは分割したくなかったので長くなってしまいました。

補足ですが、斬られたオッタルの左腕は断面が綺麗なのでくっつけてエリクサーぶっかけで治ります。それくらいやってくれるさエリクサーなら。

三章は後1話で終わりだと思います。

※2016/05/07 03:10 加筆修正

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。