剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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戦闘者の狂宴

 自分が如何にして誕生したのか化物は知らなかった。そもそも自分の誕生を知っている存在など、それこそ神であってもいないだろう。

 しかし、化物は産まれ落ちた次の瞬間、己の産まれた理由を知った。

 

 朧気ながら脳裏に浮かぶのは一人の人間だ。赤い髪の男で、片手には剣を携えていた。それを認識した瞬間、身体が憎しみに満ち溢れ、化物は雄叫びを上げた。その雄叫びを聞きつけたモンスター達が群がってきたが、その一切合切を殴り殺し化物は産まれた。

 ただ一人の剣士を殺すためだけに存在する――それこそが自分だと化物は理解した。

 

 

 

「オオオオオォォォッッ!!!」

 

 大きく飛び上がり自らの髪で編み上げた武器の数々を降らせる。自分の宿敵の刃と己の拳を交えれば交えるほどに化物は自分が成長していることを自覚できた。ここに来るまでに数多くのモンスターと数人の人間を殺してきたが、その比ではない。

 殺したモンスターの魔石を食べ、己を高めた。

 殺した人間の技術を盗み、己を高めた。

 しかし、目の前のアゼルとは戦っているだけで己の中の何かが燃え上がり成長を加速させていく。

 

 今まで突き穿つ槍としてしか使っていなかった髪の毛も、今では刃やモーニングスターなど様々な形となりアゼルに襲いかかる。アゼルの動きを見て、どのように動けば効率が良いかなんとなく理解し、そして実践もできていた。

 今までと変わらず相手を殺そうとしているだけなのに、化物は自分の知らない感情が己の中に渦巻くのを感じた。憎しみだけではない、動悸を激しくする何か。

 

「ハハハ、何という不条理」

 

 そして、自分の技術が相手に吸収されていることにアゼルも気が付いていた。一度攻撃するために踏み込めば、次の瞬間その足運びの一部が盗まれている。相手の攻撃を避ければ、今度は更に避けられないよう工夫を凝らしてくる。

 まるで水を吸い上げる砂のような速度で化物は学習していた。

 

「楽しいですねえ!」

「タ、ノシイ?」

 

 タノシイ、とは何なのか化物は気になった。もしかしたら、それが自分の今感じている自分の中で暴れだしている何かなのかもしれないと思った。思わず、化物は立ち止まってしまった。合わせてアゼルも激しく肩を上下させながら動きを止めた。

 

「ええ、だって貴方も笑っているじゃないですか」

「ワラ、テル」

 

 言われて化物は自分の顔、その口元に触れた。確かに、自分では分かっていなかったが口角が上がっていた。自分が笑っているという事実を理解したが、笑っていることが何を示しているのかまでは理解できなかった。

 当然である、化物は言うなれば産まれて間もない子供のような存在だ。言葉を理解できようともその意味をしっかり理解することなど到底無理だ。

 

「ワラッテル、タノシイ」

 

 アゼルに言われた言葉を復唱する。自分の中の何かが噛みあったような感覚を化物は抱いた。憎しみだけではない、自分の中に燃え上がる何かが自分を戦場へと駆り立てる。

 それが――楽しいという感情。

 

「ヴァハッ」

 

 獰猛な笑みが更に深まる。無邪気な子供のように、その邪気溢れた笑みを露わにしていく。己の中のタガが外れてしまったかのように、もう歯止めが利かなくなる。

 

「バハハハハッハッハッバァァァ――――!!」

 

 化物は生まれて初めて笑った。憎しみだけではない、化物は己を高めるという楽しみを知った。化物の心は歓喜に震えた。まるで世界のすべてが彩色を得たかのように新鮮に映り、未だかつてない程に身体に力が漲っていた。

 

 生きることとは闘争なり。化物は自らの生に答えを得た。

 自分が死ぬその瞬間まで戦い続け、高め続け、強くなり続けることこそが化物の生。憎しみとは切っ掛けに過ぎなかったのだ、起爆剤と言っても良い。そうだ、目の前の剣士を倒しても生き続けるのだから、そこが終着点であるはずがない。

 

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオッッッ――――!!!!」

 

 天に向って化物は吠えた。化物は感謝した。この世界に、目の前のアゼルに、自分を産み落としてくれた母なる存在(ダンジョン)に。すべてが満ち溢れている、そう感じる程に化物は大きな何かを得た。

 人はそれを理性と呼ぶかもしれない。

 

 今まで本能の赴くまま、戦ってきた敵の力を吸収して強くなってきた化物は、ここに来て更なる段階へと足を踏み入れた。

 それ即ち、自ら考えて戦うということ。

 

「ああ、私も嬉しいよゴライアス。死にそうなのに、私も笑ってしまうんだ」

「アゼル、ワラウ、ダノシイ?」

「ああ、楽しいよ――命を賭して敵を斬るのが、堪らなく楽しいんですよ!」

 

 そう言いアゼルは踏み込みながら白夜を振るう。

 化物も時折放たれる飛ぶ斬撃は束ねられた髪で受け止めることができたが、その刃で直接斬られては髪の毛では止められないことを学習した。

 すべてを斬り裂くというアゼルの刃と、アゼルを殺すためだけに産み落とされた化物に備わった剣士を殺すためだけの特殊な耐性。化物には『斬撃耐性』というものが備わっていた。それでも、アゼルの刃を直接阻むことは叶わない。

 

 鋼の髪の毛は化物の最強の矛であると同時に最強の盾でもある。それはその機能を果たさない場合もその役割を真っ当する。

 振るわれる白夜に対して、髪の毛の盾を何重にも構える。白夜はそれを容易く斬り裂きながら化物へと迫る。

 

「――ヴンッ」

 

 そして化物はその刃を指の間で挟んで受け止めた。すべてを斬り裂く刃も、横から掴んで勢いを殺してしまえば脅威ではなくなる。視認することも難しい程の速さで振るわれる凶刃をタイミング良く掴めればの話だが。

 しかし、化物はそれを容易く成し遂げた。髪の毛の盾は盾としての役割を成しはしなかったが、その変わり斬り裂く刃の位置と速さを感覚として化物に知らせた。武人は自分の周りに感覚を張り巡らせようとするが、化物は字の通り自分の髪の毛という身体の一部を使い周りの状況を知ることができる。

 

 そんな使い方今までしたことはなかったが、戦闘中も急成長する化物は自分のポテンシャルを更に理解し始めた。階層主としての能力を押し固めた身体、化物としての激しく自分を衝き動かす本能、知性を持ったことで得た理性。そのすべてが化物の力となっていた。

 

「ちぃッ!」

 

 アゼルは掴まれた白夜を即座に手放して腰に差していたもう一本の刀を抜刀。ほぼ同時に化物は白夜を投げ飛ばし、遠くの樹の幹へと刃が埋まった。

 

「白刃取りは、老師にされて以来ですね」

 

 呟きながらもアゼルは動きを止めない。前後左右、襲い掛かってくる灰髪を避けながら再び接敵。アゼルを掴み殺そうとする化物の手を避け胸に埋まる魔石を狙って一刀、返し刀に胴を一閃。そのどちらもが決定打にならず、肉薄したまま激しい攻防が続く。

 斬り裂いた数秒後には傷が塞がる化物と、一撃くらえば致命傷となるアゼル。肉体的なポテンシャルが違いすぎる両者はしかし、同じ笑みを浮かべてお互いの拳と刃をぶつけ続ける。

 

 己を信じて止まない剣士。故に、目の前の強大な敵にさえ恐れず立ち向かう。

 己を殺すことができるのは目の前の剣士だけだと信じる化物。故に、目の前の宿敵を殺し乗り越え、更なる高みへと至ろうとする。

 

「くそッ」

 

 何度目かの斬撃でアゼルが手にしていた刀の刃が砕けた。白夜と比べると硬度は天と地ほどの差、同じように振るい戦っていたのだから当然の結果だった。

 砕け散った瞬間アゼルは後方へと走りだす。流石に無手で相手をできるほど甘い相手ではない。迫り来る髪の槍や刃を掻い潜り、時には手刀で斬り裂き、木々の間を走り攻撃を阻む。白夜を手にしなければ話は始まらない。

 

「もう、少しッ」

 

 漸く化物が投げ樹の幹に刃を埋めた白夜の柄の近くまで来たアゼルは最後の加速とばかりに地を蹴った。本体より先行して迫る髪の槍を背にアゼルは白夜を掴み、そのまま振り向きざまに斬撃を放った。木々を斬り裂きながら斬撃は灰色の槍を斬り裂いた。

 そしてアゼルは斬り裂かれた髪が灰へと変わる中、何かが僅かに光ったのが見えた。しかし、それが何か理解する前に視界が奪われ脳を突き刺すような激痛が走った。

 

「がっ、ああぁぁぁぁっ!!!」

 

 痛みに叫び声を上げながらもアゼルは迫り来る攻撃を転がるようにしてなんとか避けた。元々視界外からの攻撃も鋭すぎる感覚で避けることはできていた。視界が失われた今、すべての攻撃をその方法で避けなければいけない。

 その結論に瞬時に至ったアゼルは痛みをねじ伏せ、自分の周囲に感覚を広げるようにして集中力を高めた。

 

 自分を囲む木々、地面の凹凸までをも感覚だけで把握しながら、迫り来る化物の攻撃を尽く避けていく。攻撃が巻き起こす風を感じ取り、化物独特の臭いを嗅ぎ分け、なぎ倒される木々で攻撃を聞き取り、突き刺さるような殺気を肌で感じる。視界を失うと、それ以外の感覚が途端に鋭敏になっていく。

 アゼルは今、肌で世界を感じ取っていた、聴覚で世界を聞いていた、嗅覚で世界を嗅ぎ分けていた。

 

(あの、攻撃は……)

 

 最初からそうであったが、ここに来てアゼルには余裕の一欠片もなくなった。それでも逃げ出さないのは恐怖を勝るだけの闘争心が健在だからだ。故に、思考は止めない。相手の攻撃が何であったのか考える。

 そして、答えに至る。あれは他の髪の毛に紛れさせた極細の髪の毛の針だったのだろう。それで両目を突き刺された。

 

(学ぶだけではなく、自らで考えたのか)

 

 そんな戦法誰が思いつくだろうか。そもそも髪の毛という特異な武器を持つ存在など目の前の化物しかいない。であるなら、その戦い方を考えついたのは化物自身に違いない。どこまで強くなるのかと、戦っている最中でその成長を感じられるほど成長している化物にアゼルは戦慄を覚えた。

 それと同時に、高揚感も増していく。目の前の化物は、ともすれば自分の生き写しのようにすら彼には思えた。人の知恵を持った化物は、どこまでも力を望み自分を殺しにきてくれている。

 

(ああ、やはりお前は私に似ているようで似てない)

 

 純粋に私を殺したいという想いが突き刺さる髪の槍から伝わってくる。もっと力が欲しいという願望が空気を震わせる声から伝わってくる。人らしく何かを望んでしまった化物と、化物らしく何かを望んでしまった人間。

 

(なら、お前と私が殺しあうのも当然の結末か)

 

 目が潰されたからなんだと言うのか。視覚がなくとも戦える。諦めるなど自分らしくないとアゼルは白夜を握る手に力を込めた。そんな彼に応えるように、白夜は仄かに赤い光を灯し、残光が空間を斬り裂いていく。

 自身の感覚を研ぎ澄ませれば研ぎ澄ませるほど、何かが自分の中から溢れだし自身に罅を入れていくのがアゼルには分かった。

 

(身を縛る鎖があるのなら――――引き千切るまで)

 

 だが、まだ足りない。

 

「のわっ!」

 

 感覚だけを頼りに森の中を疾走していたアゼルの足に何かが絡まった。一本一本が岩のように荒々しい表面、細いのにかなりの硬度を持った、細い何か。

 

(罠かっ)

 

 それは狩人が獲物を捕まえるための罠のようなものだった。髪だけを先行させ地面に張り付かせ、アゼルが踏み込んだ瞬間足に絡めて動きを止める罠。

 

「まずっ」

 

 足に絡まった髪の毛に引っ張られアゼルは宙に投げ出された。既に視覚はなくなり、罠に捕まった時に一瞬混乱し、空中に投げ出され方向感覚などなくなった。しかし、それでも一つだけ確かなことが分かっていた。

 髪の槍など比べ物にならない程の殺意の塊が豪速で迫っていた。

 

「オオオオオオオオオオオォォォォォッ!!!」

「死んで、たまるかぁっ!」

 

 足場さえあれば、そうアゼルが思った瞬間、彼の中の奇跡がそれに応えた。

 その瞬間、本来であれば空中で動けないはずのアゼルは足の裏に確かな地面を感じた。踏みしめてしまえば壊れてしまうだろう脆い地面ではあったが、回避行動にはそれだけで十分だった。

 アゼルは足元にできた血の薄床を蹴り、迫り来る拳を紙一重で避けることに成功した。踏み砕かれた血の床は最初からなかったかのように影も形も残さず塵となる。

 

「ラアアアアアアアアッッ!」

 

 しかし、拳が当たらなかったくらいでは安全ではなかった。元々罠にかかり足を髪の毛に絡み取られている状態、化物は髪の毛を振り回してアゼルを投げ飛ばした。

 殴られるより何倍も軽い被害で済んだものの、地面を転がり木々をなぎ倒しながらアゼルは吹き飛んだ。なんとか足で地面を踏み体勢を立て直した頃には化物は再び高く飛び上がり、上から髪の毛の波状攻撃を開始していた。

 

 

■■■■

 

 

「あ、あれは何なんだい!?」

「新種のモンスターです! 取り敢えず巻き込まれないよう離れてください」

「ま、巻き込まれるなっつったって、追ってきたら逃げるもクソもねえだろ、あれ」

 

 走りながら突如出現した灰色のモンスターに驚愕しながらも、ヘスティアを抱えたアスフィ率いる面々は無事雨のように降り注ぐ灰色の刺突攻撃の範囲から逃れていた。

 ヴェルフはちらりと後ろを窺い、モンスターの迫っている速度を見た。降り注ぐ灰色の弾丸と変わらぬ速度で、化物の本体も移動している。

 

「それは大丈夫でしょう」

「なんでそう言い切れる」

「あれは【剣鬼(クリュサオル)】しか狙わない」

「はあ?」

 

 モンスターが特定の冒険者しか狙わないという話を聞いたことがなかったヴェルフは思わず声を上げてしまったが、その場にいた誰もが同じ気持ちだっただろう。

 

「ここまで来れば、大丈夫でしょう」

「ヘスティア、お前も大丈夫だったか」

「タケ、そっちも無事でよかった……」

 

 ある程度離れたところまで走ったアスフィはヘスティアを地面に下ろした。同じようにベルを背負っていたリューもゆっくりとベルを地面に寝かせた。動けなくなった桜花に肩を貸して同じように逃げてきたタケミカヅチ、千草。命も合流する。他の面々は本当に大丈夫なのか不安になりながら足を止め、現在進行形で戦闘が行われている方向を見た。

 

「……」

「ほ、本当にアゼル様しか狙ってない、です」

 

 逃げ遅れた冒険者もいたにもかかわらず、灰色のモンスターは本当にアゼルだけを執拗に狙っていた。放たれる灰色の触手のような髪の毛を槍のように尖らせ刺突を放ち、刃や岩のような形にして振り回したりと、斬突打すべての攻撃方法を網羅しているが、奇妙なことにそのすべてがアゼルへと向かっている。

 その上熊の如き体躯をした人型であるモンスターの本体もアゼルへと肉薄し、拳打や蹴りを巧みに放ちながら殺しにかかっていた。時折アゼルも反撃しているものの、ほぼ防戦一方だ。防ぎきれずに攻撃が掠ったり、何度か吹き飛ばされてアゼルの傷が増えていく。

 

「な、何故アゼル殿は反撃しないのですか!?」

「相手が強えからに決まってんだろ」

 

 数日だけとは言えアゼルと共に稽古をし、ティオナとの戦闘を見ていた命はアゼルが反撃しないことに違和感を覚えた。確かに相手の動きは速いが、レベル5の冒険者(ティオナ)や果てにはレベル6の冒険者(アイズ)と渡り合ったアゼルに対応できない速度には思えなかった。

 投げやりに返事をしたヴェルフの言っていることは本当かもしれないが、それだけではないように命には思えた。そして、そう思っている者は彼女以外にもいた。

 

「いえ、目でしょう」

「目? 目がどうしたって言うんだいエルフ君?」

「アゼルは、今目が見えていません」

 

 リューの発した言葉に全員の視線が戦っているアゼルへと向けられた。しかし、アゼルが目を閉じ血の涙を流していることを視認できたのは、繰り広げられている高速戦闘を目で追うことのできた数人だけだった。

 

「で、どうするよ? 俺達だけじゃ――」

 

 ヴェルフはもう一度戦っているアゼルを見た。

 目が見えていないとは思えないほど灰色の触手を身のこなしで避け、避けられない攻撃は斬り裂き、迫る拳打や蹴りも紙一重で躱していることは分かるものの、動きが速すぎて結果しか見えない。

 

「俺達だけじゃ勝てねえだろ」

 

 それは、勿論実力的な話も含まれていた。レベル1では到底無理、黒いゴライアスを一撃で倒したベルの攻撃は砲台のようなもので、的が小さく動きも速い相手には通用しないだろう。レベル2で武芸に秀でている命や桜花でも敵わないだろう。

 アスフィはレベル4の冒険者で実力はあるものの、本人も接近戦ではアゼルに及ばないことを自覚している。頼みの綱のリューも黒いゴライアスの陽動に力を使い果たし疲労が溜まっている状態だ。

 

「アゼル殿が、万全であれば……」

 

 命が小さな声でそう漏らした。

 そもそも異常なことではあるが、レベル2のアゼルが人間の感覚で最も大きな割合を占める視覚を失いながらも戦えているのは事実だ。そのアゼルが万全であれば、倒せる可能性はあっただろう。

 しかし、冒険者達が疲労困憊でありながらも回復をしないのは回復薬(ポーション)類がもうなくなっているからだ。あったとしても潰れた目を治すことはできなかっただろうが。

 

「【万能者(アンドロメダ)】」

「なんですか【疾風(リオン)】」

「数分間、時間を稼いでもらえますか?」

「……一応聞きますが、何か策でもあるんですか?」

「今言ったではないですか」

 

 そう言って立ち上がったリューは命を見た。

 

「アゼルを万全の状態に治療します」

「それが可能だと?」

「はい」

 

 アスフィは少し悩んだ。魔法の毒を治療してみせたリューの発言にはそれなりの信憑性があるように思えた。しかし、アゼルが万全になったところで確実に倒せるかと言うとそうでもない。

 だが、それ以外の案はない。そもそも灰色のモンスターはアゼルを狙っているので、他の者が相手をしてもすぐに標的を変えるだろうことは予測できた。

 

「分かりました」

「感謝します。では、一度アゼルを退避させましょう」

「はあ……本当に最近良いことが起きませんね。ルルネ、行きますよ」

「へぁ!?」

「貴女が地上で追い回され、私が空から気を逸らします」

「いや、ムリムリムリムリムリ!!!」

 

 頭をぶんぶんと振りながらルルネは猛烈な勢いで辞退した。

 

「我儘を言わないでください」

「いや、これは我儘じゃ」

「貴女以外にはできない仕事です」

「え、本当?」

「ええ、今こそ貴女の逃げ足の速さを活かす場面です!」

 

 そう言いながらアスフィは嫌がるルルネを引きずりながら戦場へと足を向けた。マントの内側やポケットなどに入った魔道具を確認しながら、リューと最終的な打ち合わせを済ませた。

 

「『タラリア』!」

 

 オラリオ最高の魔道具製作者は飛翔した。

 

「うあああぁぁ、ヘルメス様の馬鹿ぁぁぁぁ!!!」

 

 自分の主神に大声で文句を言いながらルルネは走り始めた。

 

「貴方も、人の希望足りえるでしょう」

 

 小さくそう呟いたリューは、二つ名の【疾風】の如き速さで音を置き去りにして疾走。絶望的なこの状況を覆せるのはその剣士ただ一人だと信じる彼女を、阻める者などいやしなかった。

 

 異常事態(イレギュラー)尽くしの18階層の戦闘も終幕へと向かい始めた。

 

 

■■■■

 

 

「アゼル、一度退いてください!」

 

 木々がない広場のような場所に出るとリューさんの声が飛んできた。彼女にしては珍しく、と言うほどリューさんと戦場をともにした訳でもないが、声を張り上げどこか切羽詰っているようだった。

 

「【万能者(アンドロメダ)】と【泥犬(マドル)】が時間を稼ぎます! その間に治療を!」

 

 治療、という言葉は勿論字面通りの意味ではない。リューさんの言う私に対する『治療』は回復薬(ポーション)の類を使った行為ではなく、彼女の血を飲んで傷を癒やす吸血行為だ。

 それは、正に今必要としていた行為であった。傷の治療という意味だけでなく、己の殻を破る最後の引き金としてだ。

 

「こうなったら自棄糞だ、おらぁぁぁ!!」

 

 という勇ましい声を上げながら、恐らくルルネさんは手近にあった石を投擲した。

 

「ルルネ、そんな物じゃ気を引けませんよ。これくらいじゃない、とッ!」

 

 ルルネさんを叱る声が空から降ってきた直後、鼓膜を揺るがす爆発音が響く。空を飛べる人物などつい先程見たアスフィさん以外知らないので、恐らく空にいるのはアスフィさんだ。

 

「そんなの持ってないからああああ!!」

 

 文句を言いながらもルルネさんは俊足でゴライアスの周りを駆けながら石の投擲を続ける。

 

「ヴゥゥ――ジャマダアァァァァァッ!!!」

 

 そんな彼女等に少しだけ苛立ちを感じたのか、私に襲いかかってきていた攻撃の一部がルルネさんとアスフィさんへと向けられた。攻撃が手薄となった私は、その隙にゴライアスから遠ざかりリューさんの声がした方へと向かう。

 後ろから追いかけられそうになったが、アスフィさんがもう一度爆弾を使い阻止した。

 

「さあ、ルルネ気合いを入れなさい! 【剣鬼】早く帰ってきてくださいねッ!」

「了解です」

 

 聞こえてるかは分からなかったが一応短く答えておいた。

 

「アゼル、こちらです!」

 

 私を誘導するようにリューさんの声が耳に届く。どうやら彼女は私が目が見えていないことを分かっているようだ。近くまで来るとリューさんの方から近付き、私の腕を掴むと森の中へと連れて行かれた。後方ではルルネさんの叫び声とアスフィさんの怒鳴り声、ゴライアスの雄叫びと爆発音が鳴り響く。

 

「まったく、こんな無茶をして」

「無茶と言いますが、これでも軽い方だと思います」

「……もしかして、手持ちの一本を使ったんですか?」

「ええ、それに荷物も今は持ってないですし――ぁぐっ」

「アゼル!?」

 

 一度戦線離脱してしまうと緊張感が緩み、無理をさせていた身体に尋常ではない痛みが走り、力も抜けてしまった。倒れこむようにリューさんに身体を預け、視界のない現状誰かに支えてもらっているという安心感が僅かに生まれた。

 

「早く治療をしましょう」

「直接、良いんですか?」

「あれを倒せるのは現状貴方だけでしょう。そんなことで戸惑っている暇はありません」

 

 そう言いながらリューさんは私を木に背を預けさせ地面に座らせた。僅かな衣擦れの音と共に、身体の上に誰かが覆いかぶさるのが分かった。頭の後ろに手を回し、リューさんは私を自身の首筋へと誘導してくれた。

 唇が、柔らかな肌に触れた。

 

「どうぞ――お好きなだけ」

 

 リューさんの囁き声が耳をくすぐる。その言葉に促されるままに、私は彼女の首筋に噛み付いた。歯は容易く彼女の肌を破り、流れ出る血が口内へと流れる。『停滞の檻(ヴリエールヴィ)』から飲むより、一層生々しくそして熱さを孕んだ、リュー・リオンの血だ。

 

「ぅ……ん」

 

 彼女の血を飲み込んだ。それは、他人が見たら気味の悪い光景だろうか。それとも恐ろしい光景だろうか。人の血を飲むのなんて、自身を化物とする私としては真っ当な化物らしさだと思っている。

 体内へとリューさんの血が流れ込み、心臓が強く脈打った。もっと欲しいと、思ってしまった。

 

「ア、ゼル」

 

 熱い吐息と共に、リューさんのか細い声が私に語りかける。

 

「勝ってください」

 

 頭の後ろに回された手が、もっと飲んでもいいと言うように私を逃さなかった。

 

「負けないでください」

 

 彼女を抱きしめるように、私はリューさんの背中に手を回した。私と正面からぶつかると言った彼女を、私は愛しいと思った。私が私のために彼女を斬り裂くと言ったら、彼女は彼女のために私を斬り伏せると言った。

 抱きしめたこの腕は彼女を斬り裂き、殺すだろう。

 

 ただ、本当にもしもの話だが、彼女が勝ったら、アゼル・バーナムの剣がリュー・リオンの正義に敗北し折られてしまったら。すべてを斬り裂くことを諦めさせられたこの腕に、私はどんな意味を見出だせばいいのだろうか。

 

「貴方の剣で、救ってください」

 

 救えばいいのだろうか。私が、誰かのために剣を振るうというのだろうか。リューさんは私の剣に光を見出した、誰かを救える可能性を感じた。しかし、私が持つものはただの力でしかない。

 それとも愛せばいいのだろうか。

 

「そのためなら、私は……」

 

 どうしてそこまで、と思った。ああ、だがしかし、誰もが私の渇望を理解しないのと同じように、私も彼女の渇望を理解はしないだろうし、理解など必要ないのだろう。目指したければ勝手に目指せばいい、世界はどんなことをしようと回り続け、時は流れ、人は育つ。

 

 リューさんの血を飲み、己の中の熱が膨れ上がるのが分かった。既に限界に達していたホトトギスの強化も、更に進行し続ける。抑えつけようとする私が己に課した【(グレイプニル)】と、それを破ろうとする私の魂がぶつかり合う。

 激しい痛みが自分の中で暴れまわる。

 

「傷付いた貴方に戦えと、血を引き換えに戦えと言うのは褒められた行いではないでしょう」

 

 痛みによって抱きしめる力を強めてしまったからだろうか、リューさんは優しく頭を撫でながら言った。それはまるで自分の罪を懺悔する罪人にも、愛を囁く恋する女性にも聞こえた。

 

「それでも、私は貴方に戦って欲しい。戦っている貴方が見たい」

 

 彼女と剣を交えたいのであれば、私は歩みを止めることはできない。他でもない彼女が、私の歩みを止めると言ったのだから。だから彼女はその身を捧げ、私に血を与える。

 

「私に負けるその時まで、己を貫き、戦ってください」

 

 願いが、自分の中に溜まっていく。自分の願いも、他人の願いも、私は自分の中に溜め込んでいく。埋もれるほど他人に願われ、その度に己の願いでそれを斬り裂き、傷付きながら己の剣を磨いていく。

 ああそうだ、私は斬り裂くのだ。他人も自分も、私は例外なくすべてを斬り裂く。

 

(こんな鎖、斬ってしまえばいい)

 

 斬ったその瞬間、自分がどうなるかなどどうでもよかった。自身を更なる高みへと押し上げるために力が必要だった。己で己に課した鎖など、ただの邪魔でしかない。

 

(斬ってしまえ)

 

 そう思った瞬間、自分の中で何かが割れ痛みがなくなる。そして赤の奔流が身体の中を巡った。心臓から身体の末端へと流れ、全身に熱を伝えながら、そして最後に頭へと到達した。

 思考が赤に塗りつぶされる。

 

 赤い脳裏、私は一つの夢を見た。否、それは一つの記憶だった。今までにも寝る度に見ていたホトトギスに蓄積されていた人々の記憶が再生される。しかし、その記憶は特別なものだった。

 

「……首を、斬ったんです」

「え」

「抜き放ってしまえば一瞬で、いつもと変わらず斬れたんです。斬られた方は、こんなに痛かったのに」

 

 目の前に立つのは、時折鏡で見る自分の姿だった。赤い髪に緑の瞳をした剣士だ。ホトトギスという怪異が最後に見た光景が脳裏に刻まれた。その剣士が振るう刃が首を斬り裂いた痛みも、私の中へと注がれた。

 

「嗚呼、これがきっと最後の夢だ」

 

 私は漸く辿り着いた、深淵の底へと足を下ろした。

 暴れまわっていた痛みも、巡っていた奔流も収まり、私はどこか解放感を覚えた。それは【鎖】を破ったからであり、それと同時にホトトギスという存在が完全に定着したからだろう。

 噛み付いていたリューさんの首筋から離れる。顔をあげると、目の前にリューさんの顔があった。熱に浮かされたように朱色に染まった頬とどこかとろけた目、常時であれば扇情的だと思っただろう。

 空色の瞳に、私の姿が映る。

 

「瞳の色が」

「何色ですか?」

「赤い、血の色です」

 

 身体の傷はすべて修復されていた。リューさんからは都合三度目の吸血だったが、今回は前より多く血を飲んでしまった。力無く今度はリューさんが私に身体を預けてきた。息も少し荒いし、彼女も体力の限界だったのだろう。

 入れ替わるように彼女を地面に座らせ、私は立ち上がった。

 

「リューさん、私は負けません」

 

 久しぶりの感覚が身体を支配する。身体を満たす熱が、どこまでもその力を増していく気さえした。私は己の枷を斬り裂いた。

 

「この手に勝利を掴みましょう」

 

 途中で手から落としていた白夜を拾い上げる。柄を持つと熱が腕を伝い白夜へと流れこみ、その赤い輝きをより深くより強く刃に宿らせた。

 

「剣に誓って」

 

 灼熱の如く燃える背中に刻まれた【ステイタス】の一部が焼き切れたような痛みがあった。そこから、己の中に留まっていた奇跡が外へと漏れだす。

 漏れだす奇跡は世界を塗りつぶす、すべてを斬り裂くという意志は世界すらも斬り裂く。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

キスくらいした方がよかっただろうか……?
いや、でもリューさんの唇はそんな安くないのでは……?

次で5巻本編は終わりです。(もう予約投稿している!)
その後一話幕間を挟んで6巻に入る予定です。

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