剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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彼女の愛情

 今日は何をしようかと悩みながらギルドから出ようとした。ありえないことに精霊にまで至ってしまった私にどのような後遺症があるか分からないからと、ヘスティア様は数日間のダンジョン禁止令を私に命じた。

 私としても、なんとなく身体に違和感があるのである程度それが何なのか掴んでからダンジョンへ行きたいと思っていたので大人しく従った。

 

「あ、ありがとうございました」

「いえいえ、これからも頑張ってください」

「はいっ」

 

 受付の横に設置されている魔石換金所から聞き覚えのある声が聞こえなければ、そのままギルド本部から出て宛もなく散歩でもしていたかもしれない。

 鈴の音のように可愛らしい声は、初めて会った時とは比べ物にならないくらい芯が通っていて、聞いていて心地良かった。

 

 換金が終わり、その人物もギルド本部から去ろうと入り口へと足を運ぶ。実に一週間ぶりに彼女と会うが、歩き方一つとっても身体操作の向上が見られた。

 

「鈴音」

「え、あ、アゼル!」

 

 声をかけると、彼女は顔を上げて私を見た。花が咲いたというべきか、鈴音は満面の笑みを浮かべながら駆け寄ってきた。淡い紅色の着物の裾には牡丹が染め出され、ベージュの帯と合わさって落ち着きのある雰囲気だった。

 彼女が鍛冶師だと知らなければ、それこそ散歩をしている良家のお嬢様と言われても納得できたくらいだ。その実、鍛冶に対しては人一倍情熱を持って挑むこれ以上ないくらい立派な鍛冶師なのだが。

 

「お久しぶりですね」

「うん、久しぶり」

 

 一週間ぶりだが、18階層で死の淵を二度ほど彷徨った私としてはそれ以上の時間が経過しているように感じられた。頬を僅かに朱に染めながら微笑む鈴音を見て、懐かしさすら覚えたのだから相当だ。

 

 

 この時、鈴音も私の事を一日千秋の想いで待っていて、実際の時間以上の経過を感じていたことを私が知る由もない。

 

 

 

 

 その後、両方が暇であることが分かり、鈴音が私を連れて行きたい場所があるというので付いて行くことにした。

 

「アゼルは、その、大丈夫だった?」

「何がですか?」

「ほら、18階層で何かあったって、噂で聞いて」

「あぁ……すみません、それについては喋っちゃいけないことになってまして」

 

 18階層で起きた出来事には箝口令が敷かれている。それはもうペナルティも厭わないというくらいの剣幕で誰にも喋らないようにと言われた。実際、18階層という安全地帯(セーフティポント)に階層主であるゴライアスが侵入した原因は神であるヘスティア様やタケミカヅチ様がいたことらしく、ダンジョンへと足を踏み入れた三柱の神々のファミリアには罰金が下された。

 その罰金額はファミリアの財産の半分という、最近までかなりの零細ファミリアであったヘスティア・ファミリアやタケミカヅチ・ファミリアは損害が少なかったものの、それなりに大きいファミリアであるヘルメス・ファミリアの損害は大きかったらしい。主神であるヘルメス様は真っ白になり、団長であるアスフィさんは盛大な溜息を吐いていた。

 

「そっか……」

「まあ、死にかけはしましたが、無事帰ってこれましたし」

「死にかけたの!?」

「ええ、二度ほど」

「二回……!」

 

 驚きの情報を聞き鈴音は転びそうになったが、見事な足運びで体勢を立て直した。私も一週間に二度死にかけたと聞いたら驚くだろう、転びはしないだろうが。

 

「えっと、じゃあ、ギルドにはそのことで?」

「いえいえ、ギルドには違う用事で寄ったんです」

 

 それがどんな用事なのか聞きたそうにしている鈴音を手招きして耳を寄せるように言う。言う前に驚かないように言い聞かせてから私は周りに聞かれないよう彼女に呟いた。

 

「実はレベル3になったんです」

「…………え?」

「あ、そこから叫ぶのは無しですよ」

 

 見たことのある反応をした鈴音に前もって釘を刺しておく。どうせすぐに知れ渡ることではあるが、外で情報を拡散して騒がられるのも面倒だ。固まってしまった鈴音が早く動き出すように先へと歩く。

 

「え、えっと、えぇ?」

 

 先に歩いてしまう私に追いつくために小走りになった鈴音が隣に立つ。首を傾げて指を使って前回のランクアップからの日数を概算しているようだ。

 

「一ヶ月、経ってないよ?」

「ええ」

「……はぁ、早過ぎるよアゼル」

 

 鈴音は溜息を吐き肩を落とした。私に追いつくと言った手前、また突き放されたことを気にしているのだろう。その仕草がどこか可愛らしく、私は少し笑ってしまった。

 

「私は待ったりはしませんからね」

「うぅ、知ってる」

「でも、そうですね……この後稽古を付けるというのはどうでしょう?」

「……本当?」

 

 私がそんな申し出をするとは思っていなかった鈴音は立ち止まって驚いたように私を見た。私も、師に稽古を付けてもらうならいざしらず、他人に稽古を付けることは初めての経験だが、鈴音は特別である。

 色々な意味で、彼女は私にとって特別だ。歪んで真っ直ぐな彼女の想いを、私は愛おしいと思った。その想いを私は受け取った。

 

「ええ、場所は探せばあるでしょう」

「ば、場所は、大丈夫……ファミリアの修練場が、あるから」

「……それって私が入っても大丈夫なんですか?」

「大丈夫」

 

 それが本当かどうかは分からなかったが、鈴音が自信満々に言ったので私と鈴音の稽古はヘファイストス・ファミリアの修練場でされることとなった。

 

「まあ、その前に私を連れて行きたかった場所に行きましょう」

「うん!」

 

 嬉しそうに足を速める鈴音は見た目以上に幼く見えた。速く速く、と私を急かす微笑みはどこかもう見ることないこの手にかけた女性に似ていて、やはり彼女は私にとって特別な女性なのだと自覚させられた。

 

 

 

 

「えっと、まだですか?」

「もうちょっと、だから」

 

 肩越しに後ろを見るが、彼女は今私の背後で屈んで作業をしているので鈴音の姿は確認できない。衣擦れの音がするたびに腰回りが締め付けられていく。

 

「こういう物を着るのは初めてなのでなんだか新鮮ですね」

 

 そう言って私は自分の身体を見下ろした。普段は格好には無頓着な方である私は、殆どの時は無地のシャツに動きやすいズボンというセンス皆無の格好をしている。ダンジョンに行くときはそれにマントを羽織り、プロテクターと籠手をするのだが、今はしていない。

 そんな私だが、現在はいつもの格好ではない。

 

「はい、これで終わりだよ」

 

 極東に伝わる伝統的な服装である着物。その上に羽織と言われる、防寒や礼装用の上着のような着物をはおらされる。背後から正面に回った鈴音は羽織の衿の首あたりの部分を外側に半分に折り、その後羽織紐を付けて私の着せ替えは終わった。

 

「えへへ、似合ってるよ」

「そうですか?」

 

 藍色の着物を紺色の帯で締め、その上に水色の羽織を着た私を鈴音は目を輝かせて見る。

 彼女が私を連れて行きたかった場所、それは極東の衣服を扱う店だった。着いた当初は彼女が自分のために何かを買うのだろうと思っていたのだが、彼女は私のランクアップ祝いに何かプレゼントを贈りたいと言った。

 勿論、その時の彼女の嬉しそうな表情から、そもそも彼女が私に着せたい服があったのだろうことは察せた。

 

「私の知り合いにこれと似たものを着ている人はいますが、この羽織は着てませんでしたね」

「それは着流しっていう着こなし方で、部屋着なの。羽織はお出かけ用」

「なるほど、そういう違いですか」

「うん、他にも黒紋付きとか色紋付きとかもあるよ。この二つはね、結婚式とかに着たりするの」

「こちらでいうドレスみたいなものですか」

 

 購入したものを店内の試着室で着替えたので、そのまま店から出る。いくつもの借りがある鈴音に代金を支払わせるのは心苦しかったが、彼女が贈り物をしたいと言うので、私が払ってはなんの意味もない。

 白夜の代金を多く払えばいいだろう、と結論づけた。

 

「さ、次は修練場に行きましょう」

「あ、その前に一回家に……着替えたいから」

「なら、私も着替えますかね」

「アゼルはそのまま!」

 

 曲がりなりにも剣を振るうのであれば慣れた服装の方が良いので私が着替えようかと言い出すと、鈴音は普段は見せないような反応速度で私を止めた。

 

「私相手なら、着物でも大丈夫、だから」

「そこまで卑屈にならなくても……」

 

 実際どうにでもなるだろうが、それを自分で言うのはなんだかおかしいような気がした。しかし、彼女がそこまで着ていて欲しいと言うので、私はそのままの服装で彼女に稽古を付けることにした。

 

「ふふふ」

「歩きづらくないですか?」

 

 そしていざ歩き始めると鈴音は私の腕に自分の腕を絡めた。衣服越しとは言え、密着状態である。巷に溢れる恋人達はこんな動きづらい体勢で歩いているのかと少し感心したが、考えてみれば恋人が皆が皆腕を組んで歩くわけではない。

 鈴音の嬉しそうな顔を見たら、振りほどくこともできなくなった。

 

「ん、アゼルじゃないか」

「おや」

 

 前方から声を掛けられて、見てみるとそこにはタケミカヅチ様率いる眷属の面々がいた。桜花さんは大きな袋に防具や武器を入れて担ぎ、命さんと千草さんは回復薬(ポーション)などを持っていた。

 

「タケミカヅチ様、こんにちは」

「身体はもう大丈夫そうだな」

「ええ、後数日もすれば探索にも行けると思います」

「それで――――そこの女子(おなご)はお前の恋人か? 良くヘスティアが許したな」

 

 主神自ら眷属の買い出しに付き合うのは、恐らく元から豊かではなかった懐が更にやせ細ってしまったからだろう。誰がどこで金を使うにしても、きちんと管理しなるべく節約していかなければ零細ファミリアはやっていけない。

 そういう点で言えば、ヘスティア・ファミリアはマシである。何故なら、私が換金する前であった宝石樹の宝石がそれなりに残っているので、換金すればある程度まとまった金額が手に入る。

 

 タケミカヅチ様、そして桜花さんや命さんまでもが私と腕を組んで歩いている鈴音に視線を移す。人に見られるのが恥ずかしいのか、身を強張らせた鈴音はより強く腕を絡めた。恥ずかしがるくらいならしなければいいなど野暮なことは言わないが、強く絡めたことで色々柔らかい。

 

「いえ、こちらは私の専属鍛冶師ですよ」

「お、忍穂鈴音です」

 

 鈴音は私と話す時というより、知り合いと話す時と初対面の人物と話す時の違いが顕著だ。公衆の面前で私と腕を組めるのに、何故初対面の相手と話すことが恥ずかしいのかは分からないが、そういう性分なのだろう。

 恋は盲目とは使い古された言葉だ。

 

「忍穂……退魔一族の忍穂か?」

「ご存知なんですか?」

「まあ、極東では有名な一族だからな。会うのは初めてだが、昔から色々話は聞いている」

 

 忍穂という名前を聞いてタケミカヅチ様とその眷属たちはより一層鈴音を凝視した。既に鈴音は私の背中に隠れようとする勢いだ。

 

「それで、なんで専属鍛冶師と極東めいた服装をして腕を組んで歩いてるんだ?」

「これは鈴音からのプレゼントですよ。店からそのまま着てきたんです。腕を組んでいたのは……」

 

 数瞬考えてみたが、腕を組んでいることに理由などない。敢えて言うなら鈴音がそうしたくて、私は特に断る理由もないのでそうなっているだけだ。

 

「デートだからですかね」

「「デッ……!」」

 

 私の発言に命さんと、そして鈴音が驚いた。

 

「親しい男女が一緒に出かければ、デートと私は教わりましたよ」

「そ、そうかな? そうかも……そう、だね」

「まあ、デートの最後のイベントが稽古なんですが」

 

 何とも色気のないデートコースだろうか。

 

「そうか。まあ、あまりヘスティアを心配させるなよ」

「これくらいじゃ心配しませんよ。私にはもっと色々心配なことがあるみたいなので」

「自分で言うな」

 

 タケミカヅチ様に頭を軽く叩かれた。そしてもう一度鈴音を見て、興味深そうな顔をした。

 

「しかし、なるほどな、お前の()()は忍穂の力が関係していたのか」

「そうですね……加速の切っ掛けというべきでしょうか。鈴音は、そういう意味で私にとっては鍛冶師以上に大切な人ですよ」

「はっはっは、言うじゃないか色男。忍穂の娘よ」

「は、はい」

 

 突然タケミカヅチ様に話しかけられて、鈴音はやや緊張した声で返事をした。私としてはタケミカヅチ様はあまり緊張する必要のない神なのだが。

 

「この男はまあそれはとんでもない奴だ。武神である俺でも稀に見る剣士で、俺もその将来に期待してる。その成長を手伝ってくれたお前には、感謝する」

「い、いえ……私も、その……見てみたいだけなんです。アゼルの剣を」

「そうかそうか――それは、よかった」

 

 それだけ言ってタケミカヅチ様は通り過ぎていった。桜花さん達が通り過ぎていく時に「今回は口説かなかった」などという言葉が聞こえたが、その意味を知るのはもっと後の話だ。

 

「ああ、そうだアゼル。着物、中々似合っているぞ」

「だ、そうですよ鈴音」

「よ、よかったぁ」

 

 思い出したように背後から送られた賛辞を、私は鈴音に渡した。着せようと思ったのも、選んでくれたのも彼女である。私だけだったら一生着ることがなかったと言っても過言ではないだろう。

 腕を組んだまま、私と鈴音は彼女の住まいへと歩みを進めた。

 

 

 

 

「じゃあ、ちょっと待っててね……」

「ええ」

 

 そう言って鈴音は部屋へと入っていった。開けられたドアの隙間から、私は以前よりも増えている刀が見えたので、ドア越しに話しかけた。

 

「なんだか、刀増えてません?」

「えっ」

「ダンジョンに行ってるなら、打たなくても生活はしていけるのでは?」

「えっと、あの、これは……」

 

 声だけでドア越しに鈴音の戸惑っている様子が手に取るように分かった。

 

「……う、売る分だよ」

「なる、ほど?」

 

 言った通り、ダンジョンの浅い階層でも生活するには十分な金銭が稼げるはずだ。それでも売る分の刀を打つということは、彼女が刀鍛冶であるというだけのことなのかもしれない。私が剣を振るうことをやめられないように、彼女も鉄を打つことをやめられないのかもしれない。

 ただ、そうなら動揺する必要はない。それから数分間ドア越しの会話はなく、私はただ鈴音が着替えを終えるのを待つだけだった。

 

「いいよ」

「ん?」

「入って、いいよ」

「えっと、はい」

 

 着替えが終わったのなら、そのまま出てくればいいだけなのだが、彼女が入ってと言ったので私は素直に部屋に入る。

 ひんやりと冷えた室内の空気は、気温だけの話だけではなく、雰囲気がどこか冷たい刃のようだった。壁に立てかけるように保管されている刀の数々は、一目見ただけで分かるほど増えている。

 

「嘘」

「はい?」

 

 部屋の中心で私に背を向け、鈴音はそう呟いた。カーテンが閉められ、その間から差し込む僅かな陽光に照らされ、白い道着と紺の袴を身に着けた彼女は普段より凛々しく見えた。恐らく稽古用の服装だろう。

 

「さっきのは、嘘」

「さっきと言うと、売るために打ったという話ですか?」

「うん。これは、全部全部全部――――」

 

 くるりと振り返り、彼女は微笑みながら言った。

 

「――全部アゼルのために打ったの」

 

 ただ純粋そうに、子供のようにあどけなく、他のことなど何一つ感じさせないような笑みだった。驚異的なまでの、狂気的なまでの、もっと言ってしまえば脅迫的なまでの愛を感じた。

 その身を捧げる、その心を捧げる、そのすべてを捧げると言わんばかりの笑みだった。

 

「もう、いらないかもしれないけど……それでも、全部アゼルを想って打った刀なの」

 

 止められない、止めることなどできるはずがない。想うこととは即ち成すということ。想いを胸に灯らせてしまったなら、成さねばその熱は収まらない。私が剣で斬るように、彼女は鉄を打つ。ただ、それが自分のためではなく私のためというだけ。

 

「ご、ごめんね……迷惑、だよね」

「――そんなことありませんよ」

 

 言うと同時に彼女を抱きしめる。

 

 嗚呼、その想いを受け取らずしてどうすればいいと言うのか。

 その血を捧げ、私に戦えと言ったリューさんを抱きしめた。ならば、そのすべてを捧げ、私に斬り裂けという彼女を抱きしめるのも当然だろう。

 

「私は貴女の想い、すべてを捧げその存在を賭し私と共にあり、私の剣を成すというその想いを受け取りました」

「――うん」

「だから、貴女の打つ剣はすべて私のものだ。誰にも渡しはしない――――鈴音は私の鍛冶師ですよ」

「――うんッ」

 

 抱きしめた身体は思っていたよりも細く柔らかかった。私が力を入れてしまえば容易く折れてしまいそうなほど弱く、彼女のどこに白夜を打つほどの激情があるのか分からなくなる。

 しかし、だからこそ私は彼女を愛おしいと思うのだろう。そのか弱き身体で、ただ想いに駆られて槌を振るう彼女だからこそ私は愛しく感じるのだろう。その身を削り、死に近付きながらも私を求める彼女だから。

 

「今日は一振りだけ貰っていきますね」

「どれがいい?」

「鈴音が選んでください。どれを、まず貰って欲しいのか鈴音が決めてください」

「じゃあ、これ」

 

 そう言って彼女は並べられている中から一本選ぶと私に手渡した。鈴音が文字通り命を賭けて打った白夜と比べると、その刀は平凡と言えただろう。勿論、刀の出来は十二分、私のために打ったと言うだけあって重心や長さも私に合っている。

 だが、やはり私を衝き動かすような激情は宿っていない。刀を打つ度に命を賭けていては命がいくつあっても足りないので、それはそれで安心した。

 

「ありがたく頂戴します」

「ううん……貰ってくれて、ありがと」

「代金は後日持ってきますね」

「え、い、いいよ……私の勝手で打ったんだし。それに――」

「だめです」

 

 私は鈴音の言葉を遮った。それ以降を言われてしまったら、どうやっても代金を受け取ってもらえそうになくなるような気がした。

 

「これは正当な対価ですから」

「……アゼルが、そこまで言うなら貰うけど」

「そうしてください」

 

 漸く受け取ってくれると言った鈴音の頭を撫でる。気持ちよさそうに目を細める姿は、どこか子犬を思わせる仕草だった。

 

 

■■■■

 

 

 ヘファイストス・ファミリアの修練場は、そもそもあまり人が来ない場所だ。何せ鍛冶師達が作っている武具の数々は前提として人間相手に使用されるものではない。主な用途はモンスターの討伐だ。そのため、人相手に試し切りをしてもあまり意味を成さないことも多々ある上、製作した人間が持ちあげられないような武具すら注文されることもある。

 つまるところ、修練場は人気があまりない。

 

 現在ちらほらと人がいる修練場の端の方で、アゼルと鈴音は対峙していた。既に鈴音は息が上がっていて、疲労感を漂わせている。

 

「じゃあ、次行きますよ」

「は、はいっ」

 

 だが、アゼルは手を緩めない。稽古を付けてもらったことはあっても付けたことのないアゼルは、あまり加減を知らない。幼いころから身体をいじめるかの如く鍛錬に励んできたアゼルにとって立ち上がれないくらい疲れるまで剣を振るうのが半ば当たり前となっている。

 それを人に強要しようとは思っていなかったが、それでも疲労が見て取れる鈴音に剣を振るうアゼルを見て椿でも少し引いた。

 

「アゼル、もうそろそろ休憩にしてやったらどうだ?」

「……どうします?」

「ぜぇはぁっ………ま、まだいけますっ」

「らしいですよ」

 

 椿もどれほど鈴音が腕を上げたか見るために修練場へとやってきていた。ファミリアの修練場に部外者であるアゼルが来ると聞いて、主神であるヘファイストスも椿の横に座っている。

 

「まあ、無理はしないようにな」

「鈴音に言ってくださいよ」

「では言い換えよう。鈴音に無理をさせないようにな」

「……休憩します?」

「しないっ」

 

 その返事を聞いてアゼルは動き出した。アゼルにとっては別段速い動きではない。本気を出せば倍以上の速度を出せるくらい力は抑えている。しかし、鈴音にとってはぎりぎり反応できる速度だ。

 攻撃の雰囲気を感じるやいなや、鈴音は納刀していた己の刀の柄に手をかけた。

 

 臆病であるということは、何も悪いことではない。それだけ敵意というものに敏感というだけのことだ。それは時として戦闘に大いに役に立つ。特に今まで怨霊や死霊の類を見て感じてきた鈴音は、僅かな空気の変化にも反応する。

 人間誰しも攻撃する前に、自分の中で攻撃する意志を持つ。彼女はそれを感じ取っているらしい。

 

「やあっ!」

 

 鈴音は己の視界の中で流れるように動くアゼルに向かって抜刀、避けられると分かると返し刀でもう一撃。それも避けられ、自分の攻撃が失敗したと分かると後退した。

 しかし――

 

「はい、終わりです」

「あぅ」

 

 既に後ろに回っていたアゼルに止められてしまった。

 鈴音の戦法はヒット・アンド・アウェイの亜種のようなものだ。相手の一撃目を避け、そこから必殺の抜刀術で相手を斬り殺す。一撃目で駄目ならば返し刀で二撃目で倒す。両方で殺しきれないのならその場を離れるのが鉄則だ。

 

「私相手に後退したら負けるのは目に見えているでしょうに」

「だ、だって……斬り合っても負けるし」

「……まあ、私が負けたらそれはそれで問題なんですが。ではなくてですね、稽古なんですから勝ち負けとかじゃないですよ」

「な、なら、私が引くの待っててよ」

「それじゃ稽古になりません。相手の後退をただ見ている敵がどこにいるっていうんですか」

「まあ、待てアゼルよ」

 

 アゼルの指導の仕方に椿が横から割り込む。

 

「鈴音はそもそも実力が上の敵と戦うことを考慮していない戦い方を教えた」

「それはそうですけど」

「誰もがお主のように格上の相手と斬り合うわけじゃなかろう?」

「……そうですね。しかし、抜刀術だけでなく普通の斬り合いも鍛えたほうがいいのも事実です。いざ近づかれたらどうするんですか?」

「――本音はなんだ?」

「私が退屈です」

 

 こんな師は嫌だと椿は思った。

 鈴音はアゼルが付けてくれるならどんな稽古でも良いと言わんばかりの従順っぷりだ。既に刀を抜き構えていた。そんな鈴音を見てアゼルも構えて、相手から斬り込んでくるのを待った。

 慣れていないと聞いたので、アゼルなりに気を利かせたつもりだ。斬り込まれるより斬りこむ方がペースを掴みやすい。

 

「やぁっ!」

 

 その上、先程よりも加減しながら鈴音の攻撃に対応していた。近接戦闘において動体視力は必須だ。相手の動きの一つ一つを捉え、そこから未来のイメージを作り、相手の攻撃や回避運動を見越して戦わなければいけない。

 周りから見るよりも、当人たちにとってはより一層速く感じられる。

 

 ただ素直に、ただひたすら鈴音の斬撃をアゼルは弾いていく。弾かれる度に鈴音は嬉しそうに次の一刀を振るう。何度も何度も、見ている椿とヘファイストスが呆れるほど嬉しそうに、ただアゼルと斬り結べることを喜んでいる。

 

(これだけ嬉しそうに剣を振るえるのも、才能と言うべきですかね)

 

 考えて見ればアゼルの周りには変わり種ばかりだ。ベルは何度倒れてもその度に起き上がる、桜花と命は歴然の差を見せつけられても折れない、そして鈴音は疲れ果てているはずなのに刃同士がぶつかる度に喜んでいる。

 

(ああ、私も――――斬りたい)

 

 心躍る闘争を、死と隣り合わせの戦場を、対等に渡り合える強敵が欲しい。相手が強ければ強いほど、倒した時の達成感が増す。強ければ強いほど、乗り越えた時手に入る力が増す。

 18階層に現れた転生体ゴライアスとの戦闘を経験したアゼルは、更なる刺激が欲しくなってしまった。人の欲望とは無限だ、堕ちるところまで堕ち、貪欲に強欲に求め続ける。だが、それくらいでなければ最強の剣士に、すべてを斬り裂くには至れないだろう。

 

「あ」

 

 その時、アゼルはつい力を込めてしまった。想い過ぎるあまりに、鈴音の刃を弾いた後一歩踏み込み、腕を振るってしまった。その刃の向かう先は――――首。

 

「――――」

 

 誰も声を上げることができなかった。ヘファイストスはアゼルの動きが速すぎて見えておらず、椿もまるで瞬きを縫うような速さの動きに追いつけるはずもなかった。そして、刃を向けられた当の鈴音は、見惚れてしまっていた。

 

 アゼルの内から一瞬だけ吹き荒れた闘気が余りにも鋭く、刃のようにひんやりとしていたので、鈴音は固まってしまった。その闘気を纏った一撃に、彼女は斬られても良いとすら思ってしまっていた。

 

 寸での所で刃は止められ、鈴音の首から一筋の血液が流れた。

 

「いつっ」

 

 そして何故かアゼルも痛みを感じ刀を手から取りこぼしてしまった。痛みを感じた指先を見てみると、傷は小さかったが、傷付けた覚えがないのにぱっくりと肉が裂け血が溢れていた。

 

「ちょ、ちょっと大丈夫!?」

「まあ、待て主神殿。アゼルは本当に斬るつもりはなかった。なあ?」

「え、ええ」

 

 椿は話をややこしくしないためにそう言った。実際アゼルには鈴音を斬るつもりは皆無だったため、それは嘘ではない。ヘファイストスも、僅かに疑ったが、最後の一撃も稽古の一環だと納得した。

 

「アゼル、指」

「え、ああ、早く手当をしないといけませんね。鈴音の首も」

 

 鈴音は血の滴るアゼルの指を見て、両手で手を掴むと、指を口元まで運び――口に入れた。

 

「「「…………」」」

 

 鈴音の温かい口内を指で感じながら、アゼルは固まった。鈴音が突拍子もないことをするのを見て、椿とヘファイストスも固まった。動くのはアゼルの指を丁寧に舐める鈴音の舌だけだった。

 

「えっと、何してるんですか?」

「いずのれあえ」

「取り敢えず口から指を出しましょう」

 

 そう言ってアゼルは鈴音の口から自分の指を抜いた。自分の指が他人の唾液で濡れるという状況も珍しく、どう対処すべきかアゼルは迷った。しかし、アゼルが行動するよりも早く鈴音は懐から手拭いを一枚取り出してアゼルの指を優しく拭いた。

 

「き、傷の手当て、だよ」

「いや、まあ確かに唾液には殺菌作用があるとは言われていますが」

 

 手拭いを破って包帯代わりにアゼルの指に巻いた鈴音は、いそいそと身支度を整えて一度アゼルに礼を言うと帰っていった。残ったのは、何事だったのかと不思議に思いながら若干気まずい雰囲気の三人だった。

 

 

■■■■

 

 

(私、何してるんだろ……)

 

 稽古から逃げるように帰ってきてから数時間、鈴音の頭を占めるのはすべて自分がしてしまった行為についてだった。風呂に入り身を清めている最中も、着替えている最中も、首に包帯を巻いている最中でさえも、頭から離れなくなってしまった。

 現在は布団にくるまり、改めて自分が何をしたのか考えているところだ。

 

 舐めた。

 人の指を舐めた。

 アゼルの指を舐めた。

 

(ううぅ……)

 

 恥ずかしいどころの話ではない。頭がおかしいと思われても不思議ではない奇行だ。だが、何も理由なしにあんなことをしたわけではない。勿論、その直前に感じた凄まじい闘気に当てられたということもあったが、それだけで人の指を口に入れるほど鈴音も馬鹿ではない。

 

(ただ、羨ましかっただけだもん)

 

 嫉妬だ。細やかで、つまらない乙女の嫉妬の表れだったのだ。

 アゼルが誰かの血を飲んだことに気が付いた彼女は、その相手を羨ましく思った。自分も血を吸われたいという、人の血を飲むよりは幾分か度合いが低いもののおかしい考えがあった。

 血を吸われた相手がいるというのなら、鈴音はその上を行けばいいと思った。つまり、血を飲まれるのはなく、アゼルの血を飲んでしまえばいい。

 

(あの時のアゼル、凄かったなぁ)

 

 鈴音は包帯越しに首の傷に触れた。僅かに斬られただけだったが、それだけでアゼルの斬撃に注ぐ想いが分かった。尋常ではないあの闘気、斬られても良いと思えるほど美しい剣閃、思い出すすべてがアゼルへの想いを膨れさせる。

 アゼルに対する想いでだけは、誰にも負けない自信が彼女にあった。

 

(『鈴音は私の鍛冶師(もの)ですよ』なんて………)

 

 よくも恥ずかしげもなくあんな台詞が言えるものだと鈴音は感心した。感心すると同時に喜びもこみ上げ、自然とにやけてしまっていた。若干脳内で台詞が変わっているが、彼女は気にしないことにした。

 首を撫でる。くすぐったいような感覚が首筋から広がり、それが熱となる。

 

(そうだよ、私はアゼルのもの……身も心も、貴方にあげます。だから――)

 

 愛して欲しいとは言わない。それは求め過ぎだと彼女は思った。アゼルの目指すべきはすべてを斬り裂く剣士になること。ならば、愛など求めるべきではない。鈴音はそんなアゼルを横から眺める、共に歩く資格が欲しいだけだ。

 愛し愛される関係など、求められるはずがない。ただ横に居ていいと言ってくれれば、それだけでいいのだ。

 

(――だから、一緒にいてもいいよね)

 

 窓から見える月は、冷え込んでいく夜を明るく照らしていた。だが、少女の熱は冷めない。鈴音は自分の中の熱が広がっていくのは分かった。普段よりも色濃く、鮮明にアゼルの温もりを思い出せた。

 その理由、その原因を知らずに彼女は受け入れてしまった。

 

 その熱が彼女の中で花開くするのはまた先の話だ。

 

 夜更けるオラリオで、恋する刀鍛冶の少女は一人愛を囁く。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

着物とか羽織にたいては一応色々調べて書いていますが、何が間違いがあったら指摘してくださいり

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