剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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いずれ吹く風

 迷宮都市オラリオに数多くある酒場の一つ、豊穣の女主人亭。しかし、その酒場の特筆すべき点は、荒くれ者が多い冒険者が集うというのに荒事があまり起こらないということだ。起こったとしても大事には発展しない。

 その酒場の給仕係のほぼ全員が荒事に慣れていて実力も伴っているからだ。殴り合いを始めようものなら、拳が相手に届く前に店員に無力化されている。当然そうなると店員に良からぬことをする者もいなくなる。綺麗な花には棘があると言わんばかりに、不埒な真似をしようとした時点で鉄槌が下される。

 大通りに面しているという立地、給仕係が美人揃い、当然料理も酒類も美味な豊穣の女主人亭は毎晩賑わう。そんな夜の営業のために店を閉め準備をしている店内で、一柱の男神と一人の女性が向き合って座っていた。

 

「いやー、リューちゃんから呼び出しとは」

「……」

「それで、俺に用があるのはリューちゃん? それとも、リュー・リオンかな?」

「――神ヘルメス、貴方にお聞きしたいことがある」

 

 どこか軽快な男神の声とは違い、豊穣の女主人亭の給仕係の一人であるリューの声色は真剣一色だった。どこか鋭さすら含んだ声は、給仕係という職業には似つかわしくない。しかし、それも当然。

 リュー・リオンは数年前までは冒険者だった。【疾風】という二つ名を神々から授かり、オラリオの平和と秩序を守っていた彼女は、ある事件を切っ掛けに復讐鬼へと成り果てた。復讐を果たした彼女は、死にかけている所を同僚であるシルに拾われ、今は給仕係をしている。

 

「ほう、依頼ではなく、聞きたいことかい?」

「はい」

「リューちゃんには今回大きな借りができた。いいだろう、何でも聞くといい。答えられるものには嘘偽りなく答えると誓おう」

 

 数日前、ヘルメスはヘスティアやタケミカヅチ、各々の眷属を数人連れて18階層へと足を踏み入れた。その際道中を安全にするため自分のファミリアの団長であるアスフィだけでは万全とは言えないので、リューに助っ人を頼んだ。

 結果的にヘルメスの判断は多くの人を救うことになった。

 

 本来の目的はダンジョンに行ったきり帰ってこないヘスティアの眷属であるベルを探しにいくことだった。18階層へと行き、ロキ・ファミリアに保護されたベルに出会うまではよかったのだが、その後異常事態(イレギュラー)である黒いゴライアスと激戦を繰り広げることになった。それに加え、アゼルに依頼していた灰色のモンスターにも遭遇、死闘の末アゼルが討滅した。

 この両方の戦闘においてリューは重要な役割をこなした。黒いゴライアスを倒したのはベルであったが、それまで気を引き足止めができたのは殆どリューがいたからだ。灰色のモンスターとの戦闘では戦力としてでなく負傷したアゼルを治療した。

 彼女がいなければ、ヘルメス達は全滅していた可能性もあった。

 

 依頼していた内容よりかなり多くの働きをさせたという意味もあるが、命を助けられたという意味でもヘルメスはリューに大きな借りがある。

 

「ある女神の居場所を知りたい」

「なるほどね……その神の名は?」

 

 既にヘルメスにはその女神が誰なのか分かっていた。そもそもアスフィを介してリューに呼ばれた時点で、彼はある程度どのような用事か察していた。お世辞にもリューはヘルメスを好いているとは言えない。むしろ少なからず嫌悪を抱いている節すらある。

 

「彼女の名は、アストレア。正義と秩序を司る女神であり、アストレア・ファミリアの主神です」

()()()、じゃないのかい?」

「――私がいます」

 

 その目を見れば、リューの決心が見えた。ヘルメスはリューの過去を知っている。彼女は一度自ら掲げた正義から逃げ、そして主神であるアストレアからも逃げた。そして数年もの間その状態は停滞していた。

 【疾風】リュー・リオンはただのリューとしての日常――豊穣の女主人亭の給仕係という日常を手に入れた。だが、それは同時にアストレア・ファミリアの冒険者としての自分を捨てたということだ。

 

「一度アストレア様(正義)に背いてしまった私が、彼女の眷属を名乗るのは虫のいい話かもしれません。それでも――」

「ストップストップ。それは俺に語るべきことじゃない。言っただろう、君には大きな借りがある」

「ということは、アストレア様の居場所を知っているのですか?」

「知っているとも」

 

 呆気無い、リューはそう思ってしまった。ヘルメスのことだからもう少し交渉をするかと思っていたが、どうやら男神は彼女の予想以上に恩を感じていたらしい。尤も、ヘルメスが一番恩を感じているのはリューに命を救われたことではなかった。

 ヘルメス他アゼルと灰色のモンスターの死闘に立ち会った二柱の神は、アゼルが【ステイタス】の力ではなく、ただ己の力で精霊へと至ったことを知っている。そして、その切っ掛けがリューであったことも少し話を聞き考えてみれば分かることだ。

 解毒できないと思われていた魔法毒を容易く癒やしたのはリューだ。目を潰され負傷していたアゼルを数分で万全の状態まで回復させたのはリューだ。そしてその直後精霊化を果たした。

 リュー・リオンという存在がいなければアゼルは精霊へと至らなかっただろう。

 

「そもそも彼女をこのオラリオから逃がす手筈を整えたのは俺だからね」

「……そうだった、のですか」

 

 オラリオにファミリアを持つ神は、本来オラリオの外へと出ることができない。しかし、どんなルールにも抜け穴がある。ヘルメス・ファミリアは多大な金と引き換えにアストレアをオラリオの外へと逃し、遠く離れた村へと送り届けた。

 

「だが、彼女の居場所はかなり遠い場所だ」

「どれほどですか?」

「足の早い馬を使ったとしても数ヶ月は掛かるだろうね」

「数ヶ月……」

 

 それは、あまりにも長過ぎる。往復することを考えると半年以上掛かってしまう。

 リューには目的がある。彼女はある剣士に正義を志して欲しいと願った。だが、その剣士は己の望みを捨てることはない、己以外のために剣を振るうことはない。

 だからリューは一度その望みを諦めさせることを決心した。言葉では届かない、届いたとしても彼は折れない。残った道は実力でもって雌雄を決するしかない。

 リュー・リオンはアゼル・バーナムと剣を交えることにした。

 

 故に、彼女は一度逃げてしまった己の主神と再び向かい合わなければならない。

 二ヶ月程前冒険者になったばかりのアゼルは、その短い期間で二度のランクアップを果たしレベル3になった。それに比べてリューはレベル4の冒険者だ。しかし、アゼルは【ステイタス】の外、アゼル・バーナムに備わった特異能力で凄まじい戦闘力を発揮する。レベルで勝っていても、リューは勝てる気がしない。

 だが、勝たなければいけない。

 

 自ずと導き出される答えは【ステイタス】の向上だ。勿論技術の向上も大事ではあるが、それだけでアゼルに勝てるはずもない。数年更新をしていない彼女の【ステイタス】は恐らくランクアップに必要な【経験値(エクセリア)】を蓄えている。

 そして【ステイタス】の更新をすることができるのは、彼女の主神であるアストレアだけだ。

 

 片道数ヶ月という期間は、あまりにも長過ぎる。アゼルはその間に更に強くなるだろう。それに加え彼の傍にいたいという感情もリューにはあった。何をしでかすか分からないアゼルを放っておくことは、彼女にはもうできない。

 

「そこで、だ」

 

 得意げな笑みを浮かべてヘルメスは一つの案を提示した。

 

「彼女をオラリオ(ここ)まで連れてくるというのはどうかな? それなら、君は半分の時間で済む」

「それは……」

 

 願ってもない提案だった。しかし、リューはそれに即決することができなかった。自分が逃げ出した相手を呼びつけるという行為は、正しくない。逃げたのが自分であるのなら、追いかけるべきも自分だ。

 だがオラリオ、そしてアゼルから離れることもしたくない。

 

「俺が言うのも何だけど、アイツは君に会いたがってると思うよ」

「そう、でしょうか」

「ああ、間違いない。自分の子供(眷属)に会いたがらない()なんていない。オラリオを離れる時のアイツは、ずっと君のことを気にかけていたよ」

 

 リューは僅かな違和感を覚えた。目の前の男神はいつもはおちゃらけていて、人の神経を逆なでするような神だ。だが、今はどこか威厳すら感じさせる。

 

「俺もね、少し思うところがあるんだ」

「思うところ?」

「ああ、アイツが帰ってこなかったことに対してね」

「しかし、それは――」

「逃げるべきじゃなかった、なんて言うつもりはない。俺だって、そうしたかもしれない。でもね」

 

 ヘルメスは微笑んだ。その表情は芸術品のように美しくもあり、少年のような無邪気さを含み、それでいて太陽のような暖かさがあった。リューは思い知る、目の前にいるのは神であると。

 

「でも、俺達は受け止めないといけないんだ。血を分けた家族(ファミリア)になると決断した時に、俺達は何があっても君達を見捨てない、家族であり続けると誓うんだ」

 

 神は下界の者達とは隔絶した存在だ。永遠の時を生き続け、成長することもないし死ぬこともない。出会った数だけ別れを経験し、そのすべてを見届ける存在だ。不死であり、不老であり、不変の存在だ。

 だからこそ、彼等は子供達を愛した。死という運命に立ち向かい、短い命を燃やし、変化していく子供達を神々は愛した。

 

「まあ、アイツと同じ経験をしていない俺が何を言っても陳腐にしか聞こえないだろう。だけど、俺はそうあって欲しいと思っている。アイツは、良い奴だからね」

「神ヘルメス、貴方は」

「皆まで言うな。こんなこと滅多に言わないからね、少し恥ずかしい」

 

 微塵も恥ずかしそうな表情ではなかったが、普段の態度とはどこか違うとリューは感じた。娯楽を愛し、旅を愛し、何よりも子供を愛する神々の伝令使ヘルメスは良くも悪くも神なのだ。彼女は初めてそのことを実感した。

 

「なぁに、アイツも天界に帰ってないってことは君に会いたいってことさ。招待すれば来るだろうよ」

「貴方に感謝を、神ヘルメス」

「言っただろう? 君には借りがあるからね」

 

 リューは目の前の神を認めて頭を下げた。

 

「さて、じゃあ俺は行くとするよ」

「よろしくお願いします」

「大船に乗った気持ちで待っているといいさ。あ、そう言えば」

 

 真面目な雰囲気のままヘルメスは店から出ようと席を立った。しかし、途中で何かを思い出し振り返った。

 

「この後アゼル君に会う予定なんだが、何か伝えておくことはあるかい?」

「いえ――」

 

 特にありません、とリューは答えようとしたが止めた。地上に戻ってからまだリューとアゼルは会っていない。寂しいとは思っていなかったが、アゼルの事情を知っているだけにアゼルの状態は気になっていた。

 

「では、来店をお待ちしていますと伝えて下さい」

「承った。なに、普段は神々の伝言を運んでいるが、子供達の伝言を運ぶのも一興だ」

 

 つば付き帽子を被りながらヘルメスは扉を押して通りへと出て行った。

 

 リュー・リオンという冒険者の時計が動き出す。ゆっくりと、だが確実に彼女は前へと歩みを進め始める。目指す先を見つけたが故に、もう迷わないと決めたが故に。

 そんな彼女の背を、ミア・グランドは眺めていた。どこか寂しそうに、だがどこか嬉しそうに彼女は微笑んだ。まるで、来るべき結末をもう知っているかのように彼女は大切な娘を見た。

 

 動き出した時計の針は、もう止まらない。

 

 

■■■■

 

 

「やあ」

「こんにちはヘルメス様。もう大丈夫なんですか?」

「何がだい?」

「色々ですよ」

「あははー……まあ、なんとかなるさ――――きっと」

 

 私の質問にヘルメス様は乾いた笑みで答えた。財産の少ないヘスティア・ファミリアに比べるとヘルメス・ファミリアにとって『ファミリアの所有する財産の半分を没収する』というギルドからの罰則(ペナルティ)は大きく響いた。

 

「さて、そんなことは置いておいて」

「そんなことなんて言うと後でアスフィさんに怒られますよ」

「置いておいて。今回アゼル君を呼び出したのは、他でもないあのモンスターについて話があるからだ」

 

 現在私はヘルメス・ファミリアのホームに招待され、滅多に使わないらしいヘルメス様の執務室に来ている。

 

「あ、報酬はいつでもいいですよ。お互い大変でしょうから」

「ありがたい申し出なんだが、その報酬も変更してもらって構わないかな?」

「それは……ものによりますけど」

「絶対に気に入ってくれるさ。まあ、それも含めて説明していこう」

 

 途端、ヘルメス様はいつもの優しそうな表情から一転真面目な表情に変わった。

 

「アゼル君が倒した灰色のモンスター、気付いているとは思うけど」

「――ゴライアス、でしたね」

「流石と言うべきか……直接戦うと分かるものなのかい?」

「特徴がありましたからね。分かりましたよ」

「そう、あれは君がレベル1から2にランクアップする時に倒したゴライアスが転生した存在だ」

 

 それは私が思っていた通りの答えだった。にわかに信じられない、だがあの状況になれば誰もが辿り着いていただろう答えだ。

 モンスターの()()という人智を超えた事象。

 

「俺達は彼等を異端児(ゼノス)と呼んでいる」

「彼等ってことは、他にもいるんですか?」

「ああ、いるよ。数は少ないが集まって生活している、ダンジョンでね」

「集まって? でもかなり強かったですよ。それこそあのモンスターなら普通のゴライアスでも倒せるでしょう」

「全員が全員強いわけじゃない。あの個体が異常に強かったってだけだ」

 

 確かにあんなモンスターがそう多くいるとは、想像したくない。

 

「彼等は理性と知性を持っているモンスターだ。その原因は分からないが、特徴として前世とでも言うべき記憶を持っている」

「でしょうね。でなければ、私を狙うなんてことはできない」

「そして、その記憶はすべて地上への強い想いだ。あのゴライアスは、アゼル・バーナムという地上から来た剣士を殺すという強い想いを抱いていた」

 

 しかし、それも個体によって千差万別であると教えられた。例えば星が輝く夜空を飛びたいという願い、太陽が燦々と照る大地を駆けまわりたい、涼しく吹く風を感じたいと言った至って平和な願いもあるという。

 しかし、総じて()()を想うことで彼等は転生を果たす。

 

「それで、何故それを私に説明するんですか?」

「知りたくなかったかい?」

「知っていても知っていなくても、何も変わりませんよ。私は敵意には敵意で応えます、殺意には殺意で応えます、そこに斬るに足る理由があれば私は斬ります」

「だからかな」

 

 ヘルメス様は面白そうに笑顔を見せた。

 

「あれ程強大な力を前にしても、君は君であり続ける。何処までいっても君にあるのは、自分自身と他人という境界線しかない。だから、君に話す」

 

 その目は至って真面目だった。真っ直ぐと私を見つめ、瞳に映る私の奥底まで見透かそうとしているように思えた。何も偽ることはない、私もまた真っ直ぐヘルメス様の目を見返した。

 

「モンスターと人間の共存」

「――はい?」

「それを目指していると言ったら、君はどう思う?」

「不可能としか思えませんが」

「何故だい?」

 

 巫山戯ていない、そう思わせるに十分な雰囲気をまとっていた。それは普段との落差が激しかったからかもしれない。

 

「違うからですよ。人とモンスター、あまりにも違い過ぎます。見た目だけではなく、中身も」

「そうかもしれない。でも、君自身はどう感じているんだい? 君は――アゼル・バーナムは彼等との共存を受け入れるか?」

 

 聞かれて、私は考えた。脳裏に浮かぶのは今まで斬り殺してきたモンスターの数々だった。上層に生息する『コボルト』や『ゴブリン』、中層に生息する『ミノタウロス』や『シルバーバック』、下層に生息する『デッドリー・ホーネット』や『ガン・リベルラ』。数多くのモンスターを斬ってきたが、それは半ば作業のようなものだった。

 私は、その数多くのモンスターに明確な意志、人のような理性を感じていなかった。

 

 だが、異端児はどうだろうか。

 転生したゴライアスという一個体しか私は知らないが、それでも私にとって彼等を一人の人として認めさせるには十分な出来事であった。私は、あのゴライアスに確かな理性、人としての心を感じ取った。

 それは優しいものではなかったかもしれない、戦闘狂という異常な精神だったかもしれない。それでも、私はあのゴライアスを一人の人として強かったと思った。

 

「私個人としては、可能性はゼロではありません。しかし、これは私がモンスターに対抗するだけの力を有しているからです」

「何故可能だと?」

「あのゴライアスは、結果や過程はどうあれただの怪物ではなく()としての強さを持っていました」

「つまり、彼等を一人の人として見ることができるということかい?」

 

 それは、まるで最後の確認のようだった。私の目を見て、呼吸を聞き精神の揺らぎまでも感じ取り、その質問に対する私の真意を聞き出そうとしていているように見えた。

 

「はい」

「…………そうか、それはよかった」

 

 幾ばくかの沈黙の後、ヘルメス様は安堵の息を吐いた。

 

「ということだ、彼に会う価値はあると俺は思うが? どうかな、賢者殿」

『元々私は彼には会うつもりだった神ヘルメス』

「おっと、そうだったね」

 

 誰もいない壁にヘルメス様が話しかけるものだから、ファミリアが財政難になってとうとう頭がおかしくなったのかと思ったが、話しかけた壁から返事が帰ってきて自分がおかしくなったのではないかと思う羽目になった。

 しかし、その壁の景色がまるで蜃気楼のように歪み黒い人影が浮かび上がった。

 

「やあ、アゼル・バーナム。今回は気付かれなくて安心したよ」

「貴方は、あの時の」

 

 その人物は黒いローブを着ていた。深くフードを被っているので顔は見えず、両手には複雑な模様が描かれた手袋をはめていて一切の肌を見せていない。

 

「おや、知り合いだったのかい?」

「一度会ったことがあるだけだ」

 

 ヘルメス様とその人物は知り合いなのだろう、話しかけながらヘルメス様の横に座った。全身を黒衣で隠す人物が目の前に座っているのはどこか異様な光景だった。

 

「さて、自己紹介と行こう。私の名はフェルズ――」

 

 そう言いながら、フェルズと名乗った人物はおもむろにフードと手袋を外した。そしてそこから覗く、全身真っ黒な姿など霞むくらい異様な本性を晒した。

 白かった。目があるはずの場所には空洞しかなく、肉があるべき頬には硬い骨しかない。指の一本一本も白く細い骨だけで、爪も毛もない。フェルズと名乗った彼は()()()()()()。それが私の感想だった。

 

「――かつては賢者と呼ばれ永遠の命を手に入れた、いや、手に入れてしまった愚者(フェルズ)。愚かな魔術師(メイガス)の成れの果てさ」

「…………」

 

 流石の私も驚きを隠せなかった。フェルズさんは骸骨だった。『スパルトレイ』と呼ばれる骸骨のモンスターよろしく、どうやって動いているか不明の肉も神経もない身体だった。

 

「アゼル君の驚く顔を見れるなんて、やるじゃないかフェルズ」

「別に特別なことはしていないがな」

「いや、すみません。少し驚いてしまいました。私はアゼル・バーナムです、ご存知でしょうが」

 

 我に返った私は、既に知っているであろう名前を告げてから手を差し出した。フェルズさんは私の手を取って握手を交わしてくれた。触っても、やはり骨でしかなかった。

 

「えっと、不躾な質問だと思うんですが、いいですか?」

「ああ、私が何かという質問なら答えよう。そもそもそれを話すために君に会おうと思ったんだ」

「はあ?」

 

 目の前の骸骨人間と私がどのような関わりがあるのかは定かではないが、話してくれるのであれば邪魔をせず聞こうと思った。

 

「私は、言ってしまえば君の()()だ。愚かにも、人の身に余る奇跡に手を伸ばし、そして手を届かせてしまった愚か者だ」

「人の身に、余る奇跡……」

「そう、君も心当たりがあるだろう? その身を傷付けてしまう奇跡が、君にもあるだろう?」

 

 私は自分の手を見た。確かにフェルズさんの言うとおり、私はホトトギスという怪異に成り、人には扱えない力を手に入れた。その力で本来人では到達できない神域へと片足を踏み入れ精霊へと至った。その結末を想像していなかったわけではない。神に成るなどという希望的観測をしていたわけではない。

 その刀身に宿る魔法を解き放った魔剣が砕け散るように、私もいつか砕け散るのだと思っていた。その結末が、目の前のフェルズさんなのだろうか。生ける屍、死ぬことも、生きることもできない人外。

 

「私の先輩ということですか」

「ああ、大先輩と言っていいだろう。私はこうなってしまったのは八百年程前のことだ」

「八百年……」

「途方もない、そう思うだろう? でも、君が辿るかもしれない道だ」

 

 世界の理から外れてしまった目の前の人物に、私は恐れを抱くことはなかった。自分が辿るかもしれない道に、恐れを抱くことなど愚かでしかない。その道を歩むと決めた事自体が愚行であるのに、それ以上愚行を重ねてなんの意味があるというのか。

 目指すと決めた頂は世界の理の外にあるに違いない。すべてを斬り裂く刃は、理すら斬り裂くのならば、それは理の内ではなく外になくてはいけない。なればこそ、私という存在は理から外れ、目の前の存在のようになるのも当然の結末だろう。

 

「私を見て、そんな目をするとはね……そういう意味でも、私と君は同類というわけか」

「別段特別なことではないでしょう。私は目指すべき場所を見定めている、ただそれだけのこと。まあ、多少決心が強いというだけです」

「成長することも老いることもできない、永き時を生きる苦しみを知らないからじゃないかな?」

「そうかもしれません、いえ、そうなのでしょう。所詮私はまだ十八の若造でしかありません。八百年生きている貴方にすれば幼子のようなものでしょう。それでも――」

 

 フェルズさんの空洞の目を見る。どこまでも深い闇のようながらんどうの瞳は、まるでそれ自体が彼の存在を表しているようだった。底なしの闇、生きることも死ぬこともない果てしない虚無。

 

「――私は私の目指す場所に辿り着くために必要なのであれば、私はその苦しみをその痛みを、その果てのない虚無感を受け入れます。その結果、私という人格が消え失せ、永き時の積み重ねに折れ、アゼル・バーナムという存在でなくなることは有り得ない」

「どうしてだい? 起きてもいない事象に対して根拠などあるはずもない」

「根拠などありません。しかし、私は誓ったんですホトトギス(自分自身)に」

 

 誓いとは破られないからこそ誓いなのだ。

 

「私は私であり続けると、誓ったんです」

「……私にも、君のような強さがあれば違う結果になっていたのかもしれないな」

 

 表情などあるはぞもないフェルズさんはその時僅かではあるが確かに悔やんでいることが分かった。

 

「ただ我武者羅に無限の知識を追い求めるあまり、時間が欲しいと、永遠の時が欲しいと愚かにも願ってしまった私に、君のように何か一つを想う心があれば」

「それは、どうでしょう」

 

 もしもの過去など考えるだけ無駄だ。だが、仮に目の前の己を愚者と呼ぶ賢者に私のように求める唯一つの頂があったとしたら、確かに結果は変わっていただろう。もしかしたら彼は死ぬ前にその頂に手を届かせたかもしれない、永遠の命ではなく延命の方法を模索していたかもしれない。

 だが、私にはなんとなく結末が分かった。それは自分自身がこれから辿る道なのだから、私が誰よりもその行き着く先を見ているのだから。

 

「どちらにしろ、碌な結末にはなりませんよ」

「――――く、くくく、くはっ、はっはっはっは」

 

 カタカタと剥き出しの歯を鳴らしながらフェルズさんは笑った。その口の中もやはり空洞だった。

 

「それを知りながら歩むのか、君は」

「人々の望みが私の望みではなかった、それだけの話です。私は私のためだけに生きます、この心臓は私のために脈打ち、この手は私のために剣を握るんです」

「……嗚呼、確かに君のようになっていても、碌な結末にはなっていなかっただろうね」

 

 フェルズさんも私の願いの行き着く先を悟ったのだろう。永い時を生きているだけに、人ならざる者になってしまったが故に、彼には少なからず私に理解がある。

 自分のため――――それは世界すら自分以外と見定める。

 

「だが、あまり世界を舐めないほうがいい。神々が君を可愛い子供だと見ているのは、君が()()()()にいるからだということを、忘れないことだ。なあ、神ヘルメス?」

「うーん……そうだね。俺も下界が大好きだから、仮にアゼル君が世界そのものを斬り裂くに至ってしまったら――」

 

 背筋に悪寒が走った。ヘルメス様はいつもとは違う笑みを浮かべていた。笑っているのは表情だけで、その内面では何を考えているのかは分からなかったが、その男神の笑みはただの笑みではなかった。

 その時、私は確かに僅かな恐怖を感じた。

 

「――その時は、君を殺してでも止めることになるよ」

「ハッ」

 

 だが、恐怖に戸惑ったのも一瞬。次の瞬間私が感じたのは高揚感だった。オッタルとも、ゴライアスとも違う、超越存在(デウスデア)という次元違いの高みから見下される感覚。

 私がすべてを斬り裂くというのなら、いつかその高みにいる神々にすら刃を向け斬ることになるのだろう。初めて向けられる神の敵意というものを受けながら、私は今日もその頂を見上げた。

 

「いやあ、まさか神に殺すと言われる日が来るとは思ってもみませんでした」

「それだけ俺は君に期待してるってことさ」

 

 既にヘルメス様はいつもの笑顔に戻っていた。そこから威圧感はなくなり、だからこそ先程までの笑みの異常性を際立たせた。目の前の男神はヘスティア様のような善性だけでなく、どこか暗い部分も備えているに違いない。

 

「さて、じゃあ本題と行こう」

「フェルズさんが本題だったのでは?」

「いや、別にフェルズがいなくとも話はできたんだけどね。会わせた方がいいと思って」

 

 ヘルメス様が本題を切り出すと、フェルズさんはフードを被り直した。本人としてはあまり人前で骸骨姿を晒したくないのかもしれない。

 

「本題は、今回君が知ってしまった異端児についてなんだ」

「はあ……あれ以上何かあるんですか?」

「いやね、実は異端児の情報は極秘なんだ。このオラリオでも知っているのは数人しかいない」

「――なら私に話さないでくださいよ」

「ごもっともなんだが、俺は君に少しだけ希望を抱いてしまった」

 

 またしても、私は誰かに希望を抱かれた。

 

「君のあのゴライアスと向き合っていた時の態度を見て、俺は君なら異端児(彼等)を対等な存在として扱ってくれると、思ったんだ」

 

 それは事実なのだが、それは別段異端児が特別なわけではない。私からしたら目の前の神ですら彼等と何ら変わらない。

 

「後は、そうだね……異端児も一枚岩じゃない、人間との共存に非協力的な異端児もいる。君は身を持って知っていると思うが、知性を備えた異端児は強敵だ」

「そうですね……人外の身体能力に人の技術が加わっただけで、あそこまで強いとは思ってもみませんでした」

「だから、君にはもしものための戦力になってほしい。彼等は人じゃない、そしてモンスターでもない。でも、君なら別け隔てなく接せる」

「敵意をもって武器を振るうなら、何だって敵になりますよ」

 

 要するに、ヘルメス様が私に求めているのは異端児と友好的であること、敵意のない異端児を無闇に殺さないことだろう。そしてもう一つは、人に敵意ある異端児が暴れた時のための戦力ということだ。

 

「あまり私にメリットがないと思うんですが」

「デメリットもないと思うけど?」

「ダンジョンでモンスターを問答無用で斬れないというのは、かなりのデメリットですよ。最悪の場合判断を誤って死にます」

 

 出会い頭斬り殺すということを多々する私としては思考を挟まずに攻撃するということが重要なことだ。いちいち相手が異端児かどうか考えている暇などない。その一瞬の思考が命取りになる可能性は大いにある。

 

「そう言われるとまいるね」

 

 そして、一枚岩ではないのだから、私が異端児を斬り殺せば彼等に恨まれるということもある。それは友好的とは真逆の結果となる。

 

「うーん……じゃあ分かった。緊急時の戦力という役割だけで構わないから、その時は協力してくれるかい?」

「それならいいですけど、いいんですか? 普通に斬りますよ」

「彼等も自分達のことは人に会えば攻撃されるモンスターであるとよく分かっている。彼等が人を恨むというのも、君一人の行動で変わることはないさ」

 

 そう言ったヘルメス様は少しだけ自嘲するように笑っていた。神でもできないことがあるということが、神である彼等にとっては何よりも苦痛なのかもしれない。救えるものなら救いたいのだろう。しかし、ここは下界であり下界の存在が世の中を動かす世界だ。

 神といえども下界で好き勝手はできない、それが彼等が彼等自身に課した枷だ。

 

「あ、そうだ。もう一つあったぞ、メリット」

「なんです?」

「これは今回の報酬にも関わってくるんだが、この壮大な計画の首謀者はギルドに多大な影響力があるから、色々と情報操作をしたりできる」

「まあ、それは助かるでしょうけど。特に私は色々無茶苦茶をしているらしいので」

「らしいって……誰の目から見ても君は滅茶苦茶だよ」

「それで、今回の報酬とは?」

 

 考えてみればヘルメス・ファミリアもヘスティア・ファミリアと同じく罰則を受け資産を半分失っている。そんな相手に金銭を要求するのも酷な話かもしれないが、代わりの報酬が不十分だと感じれば遠慮なく金銭で払ってもらうことになるが。

 

「ある冒険者を要注意人物(ブラックリスト)から抹消、つまりは()()()()()の可能性を与えるのが今回の報酬さ――――どうかな?」

「……ある冒険者とは?」

「もう分かってるんだろう?」

 

 そう言えばヘルメス様は彼女の事情を知っていたことを思い出す。

 

「目を見れば分かる、彼女の目は戦士の目だったよ。あの場所から飛び出すのも時間の問題じゃないかな?」

「…………」

「じゃあ決まりでいいかい?」

「ええ」

 

 彼女は私と刃を交えると誓った。そのためには力が必要なことは明白であり、冒険者の力は【ステイタス】だ。【ステイタス】を成長させるにはダンジョンに行く必要があるので、冒険者という身分がないと何かと不便だ。

 そもそも彼女はどうやって自身の【ステイタス】を更新するのかは知らないが、そこはわざわざ私が手を差し伸ばすところではない。

 

「話も終わった感じですし、私は帰りますね」

「アゼル・バーナム、これを持っていてくれ」

「これは?」

 

 立ち上がって退室しようとした私にフェルズさんは黒い水晶を手渡した。明かりにかざして見てみるが特に何が見えるというわけでもない。

 

「連絡手段だ。これを持っていれば君がどこにいるか私に分かる」

「へえ、便利ですね」

「フェルズは人類最高の魔道具製作者(アイテムメーカー)だからなあ」

 

 どこか悔しそうにしているヘルメス様は恐らくアスフィさんのことを考えているのだろう。オラリオ最高とは真実ではあるが、上には上がいるということだ。八百年生きている人外に負けたところで、当たり前と言えば当たり前だが。

 

「後君には偽名を名乗ってもらうことになる」

「なんでですか?」

「異端児達の会話が他の冒険者に聞かれて、その時君の名前が出てきたら困るだろう? 私からの連絡もアゼルではなく偽名を使う」

「用心深いですね。まあ、分かりました」

 

 幾ら用心しても足りない、とフェルズさんは呟きながら顎に手をあてながら名前を考え始めた。

 

「【獅子(ウィース)】なんてどうだい?」

 

 未だ座っているヘルメス様が名前を口にした。

 

「タロットカードでいう力だ。アゼル君にぴったりじゃないかな」

「じゃあ、それでいいですよ」

「では、それで行こう。ウィース、近いうちに実際に異端児と会ってもらうことになると思うので、心の準備をしておいてくれ」

 

 それだけ言ってフェルズさんは現れた時と同じように景色に溶けこむように消えた。こちらから連絡する手段がないということに気付いたが、特に問題はないだろう。何も言われていない内は何をしていてもいいということ、特に報告する必要はない。

 

「じゃあ、ヘルメス様。お願いしますね」

「ああ、そうだった。彼女から君に伝言だ」

 

 ドアノブを回そうとしていた手を止め、頭だけ振り向く。

 

「『来店をお待ちしています』だそうだ」

「まだ地上に帰ってきてから会いに行ってないですからね。伝言ありがとうございました」

「ああ、じゃあ」

 

 そう言って私はヘルメス様の執務室を後にした。

 色々と(しがらみ)が増えてしまった気がするが、特にいつもと変わらない生活が送っていけそうだ。色々言われたものの、結局は敵を斬ることに集約されている。異端児の住処がダンジョンにあるというのだから、会いに行く時も探索のついでということになるだろう。

 

 少し面倒くさいと感じる反面、何か面白いことが起きそうな予感が私の中にはあった。その時も、きっと私は剣を振るうことだろう。そうでなければ、アゼル・バーナムではないのだから。

 

 

■■■■

 

 

「うーん、我ながら獅子とは言い得て妙か」

 

 ヘルメスは一人になった執務室で、自身の椅子に身を沈めた。特注で作らせた柔らかい椅子は包み込むように彼の身体を優しく受け止める。

 自分がアゼルに与えた偽名であるウィースの元となったタロットカードを手の中に収める。獅子の口を女性が押さえているその絵柄は、色々な意味でアゼルを表している。

 

 純粋な力としての獅子。

 ヘスティアという女神に枷をかけられている冒険者。

 未だその実力のすべてを発揮させていない、神域の剣士。

 

「だが、お前にあの剣士を御することができるかな?」

 

 ヘルメスは窓から見える白亜の塔を眺めた。今もなお、ヘルメスが『お前』と読んだ神は祈祷を捧げているだろう。

 

()()でまだ限界じゃないんだから、恐ろしい……眠れる獅子を起こすのは一体何なんだろうか」

 

 ヘルメスは笑みを深めた。

 彼は少しだけ神威を纏いながらアゼルを威圧した時を思い出していた。戸惑ったのも一瞬、瞬時にいつものアゼルに戻り受けて立つと言い返された時は戦闘を司らないヘルメスですら興奮を覚えた。

 人が神に真っ向から抗うか、と。

 

「お前の依頼は完了したぞ」

 

 18階層で見たアゼルの姿を思い出す度にヘルメスは心を躍らせる。彼は少しだけヘスティアに嫉妬した。人智を越えた剣の使い手と時代を担うに足る英雄の器を持った少年を両方眷属にしていることは、どれほど面白いことだろうか。

 

「後はお前次第だぞ。ああ、だが願わくば――――」

 

 だが、やはり自分は外から見ている方が安心して楽しめるなどという結論に至った。アゼルとベルを眷属にするということは渦中にいるということ。楽しむ暇もないだろう。

 

「――面白い物語を綴ってくれよ、ウラノス」




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