剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
ヴェルフのランクアップの知らせをベルから聞き祝賀会に誘われたのは今朝のことだった。あまりヴェルフと関わっていない私がその席にいていいのか聞いたが、18階層から無事に生還できたことも祝うらしいので問題ないとのことだ。
その祝賀会を開く場所は勿論豪奢なレストラン等ではなく、オラリオに数多くある酒場の一つ『火蜂亭』だ。本音を言ってしまうと、できれば豊穣の女主人亭で食事をしたかったが、言わないでおいた。
ベルはリューさんが仕事をほっぽり出して自分を助けにきたことに責任を感じていて、その上ミアさんから冒険者なら自分の尻くらい自分で拭けとお叱りを受けた。若干の気まずさが相まってベルは今豊穣の女主人亭に行きづらい。なのでヴェルフのお勧めの酒場である火蜂亭で祝賀会を開くことになった。
「豊穣の女主人亭の方がよかった?」
「今日の主役はヴェルフですから、彼の行きたい所に行くのに異存はありませんよ」
「本当に?」
「…………まあ、少しだけですけど」
ヴェルフとリリの待つ火蜂亭への道すがら、隣を歩くベルがまるで私の心を読んだかのような台詞を言った。少し驚いたが、長年一緒にいるのだ、微かな仕草で考えていることを察することもできるのだろう。
「やっぱり、その……アゼルってリューさんと、付き合ってるの?」
「いえ、別に恋仲というわけではないですよ」
恋仲などという甘酸っぱい関係ではない、それだけは断定できた。私と彼女は恋人ではない、友人でもない、仲間でもない。
私の鞘になると、掴んだ私の手を離さないと彼女は言った。そのためであれば、私と斬り合い、私を斬り伏せ、私の願いをへし折るのも吝かではないと言った。
「なら何なのか、という質問に私は答えを持ちあわせていないのですがね」
「……そっか」
恋人のように私を愛そうとし、友人のように私を正そうとし、仲間のように共に戦おうとする。同時に敵のように私の前に立ちふさがり剣を交える、彼女と私の関係を私は言葉にすることができない。
だが、それが大切な関係であることは分かっている。
「お互いを大切に想っているのは、確かですよ」
大切に想っているからこそ、彼女は私の剣に光を灯そうとする。大切に想っているからこそ、私は彼女を斬り己の道の正しさを示そうとする。
私と彼女はお互いを大切に想うからこそ、お互いの信念をぶつける。関心がなければ、私達二人の道は交わらなかっただろう。
「アゼルはさ……その、そういうこと言って恥ずかしくないの?」
「いえ、特には」
剣士の心得は常在戦場、常に戦場にいる時のように振る舞うべきということだ。流石に四六時中警戒しているわけではないが、それでも何事にも動揺しないよう心は落ち着かせている。
自分の言った台詞に恥ずかしがったりはしない。
「ただの事実ですし、大切なものを大切と言って恥ずかしがるというのもおかしいでしょう」
「それは、そうかもしれないけど……」
「まあ、流石にリューさんに直接言うとなると、私もそれなりの心の準備は必要でしょうけど」
「いや、言えること自体がもう僕にとってはびっくりだよ」
「そうですか? しかし、口にしなければ伝わらない想いもあるでしょう。結局、私達は皆他者を理解するには言葉が必要ですからね」
お互いを見つめ、触れ合い、時には剣を交え殺し合い、それでも理解できるのはその存在のほんの一部分でしかない。言葉にせずとも分かり合える、そんなものは例外でしかない。言葉にしなければ分からない、態度に出さなければ伝わらない。
彼女の肌に直接触れ、噛みつき、血を飲んだ私でさえ彼女の真意を知ることはできない。
「アゼルは拒絶されたり、嫌われたりすることは怖くないの?」
「人の関係は一期一会、拒絶されてしまったのならそこまでですよ」
人と人の関係は限りなく脆い。どれだけ強固に結ばれていると思っていても、確かな絆など存在しない。見えない物を信じるということは、それだけで難しいものだ。絆も、人の心も、考えも何もかも見えない。そんな中、築かれる人間関係は些細な一言でも壊れる。
「他人に嘘を吐くのは、まあ良くはありませんが良い。でも、私は自分には嘘は吐けません。自分を偽るくらいならば――――私はその関係を壊す道を選ぶでしょう」
道を譲ることなどできるはずがない。そんなことをしてしまったら今まで犠牲になってきた者達がすべて無駄になってしまう。ホトトギスという怪異、吸収してきた幾百幾千の魂を私は背負っている。忍穂鈴音という少女の願いも、私が背負っている。その全身全霊を捧げて、刀に命を吹き込む彼女を裏切ることはできない。
そして何よりも、私は私のために剣を振るい続ける。
だから、私は彼女とぶつかる。道を譲るくらいならば、立ちはだかるすべてを斬り裂き私は進むだろう。
私が私であるために、目指した頂へと至るために、すべてを斬り裂くために。
「変化を怖がる気持ちは分かりますよ。明日に希望を抱くことと同じくらい、私たちは明日に不安を抱くでしょう。それは今日が昨日と違うように、明日と今日が違うからです。それでも、停滞することは許されない。どれだけ願おうと今日は昨日となり、明日が来ますからね」
人もまた、変化せずにいはいられない存在だ。どこまでいっても他人は他人でしかなく、自分とは関係なく変化していってしまう。自分がどれだけ変わらないようにしたとしても、周りは変わる、人は移ろう、時は進む。
「僕は――――」
「ベルが何を考えているのか、私には分かりません。でも、これだけは言えます」
少し俯きながら小声で何かを言おうとしたベルを止める。
「自分が本当に望むものが何なのか、良く己に問うことです」
様々なものを天秤にかけ、最終的に何を優先するのかは個人個人で違うだろう。他者を優先する者もいれば、己を優先する者もいる。当然その中間にいる者もいるだろうし、どれだけ他者を大切に思うか、どれだけ己を大切にするかは人それぞれだ。
人の心は不安定で、複雑怪奇で、コントロールしようと思ってできるものではない。だからこそ、己の中で何が最も大切なのかを知っておくべきだ。それを見失わないように、道を間違えないように、迷ってしまわないように己の心に刻み込んでおくべきだ。
「アゼルは、何が一番大切?」
「ふふ、そんなの決まってるじゃないですか」
ベルもそれが何なのか分かっているのか、少しだけ笑っていた。少しだけ、悲しそうな笑みだった。
「剣ですよ」
我斬る、故に我あり。
目指すべき頂は見えている。そこに至る手段も、気概も、理由もある。ならば、目指すしかないだろう。目指さずにはいられないだろう。
何故なら、私は剣士なのだから。
■■■■
「おめでとうございます、ヴェルフ」
「そっちこそランクアップしたらしいじゃねえか」
「私は、未だに信じられませんが……でも、あの戦いを見ている身としては納得というか……なんだかベル様とアゼル様といると自分がおかしいのではないかと思い始めてしまいます」
「確かにな」
ヴェルフはリリに同意しながら杯を傾けて酒を飲んだ。
火蜂亭の名物は宝石のように鮮やかな赤に染まった蜂蜜酒だ。専ら豊穣の女主人亭で果実酒ばかり飲んでいるアゼルにとっては新鮮な味わいだった。
「まあ、あれですよ。私とベルが命知らずというだけではないでしょうか。ここ数ヶ月何度死にかけたことか」
「あはは……それでも早過ぎますけどね」
今まで長年冒険者を見てきたリリが言うのだからそうなのだろう。そもそもレベル1から2よりレベル2から3にランクアップした期間の方が短いというのも少しおかしい話だ。一般的にはレベルが上がれば上がるほどランクアップに必要な【
それだけで、アゼルがどれほど無茶苦茶なことをしているかリリは理解した。
「でも、これでヴェルフとは……パーティー解消、だよね」
ベルの声は明らかに沈んでいた。表情もどこか暗いが、無理をして笑みを浮かべている。
ヴェルフがベルと共にダンジョンを探索していたのは、ランクアップをして派生アビリティ『鍛冶』を習得するためだ。ランクアップした今、その目的は達成されてしまった。共に死地を乗り越えた仲間と別れることがベルにとっては寂しいことだった。
「そんな捨てられた兎みたいな顔するな」
ヴェルフは隣に座るベルの頭に手を伸ばして荒っぽく撫でた。
「お前は俺の恩人だ。ランクアップしてサヨナラってなるわけないだろ」
「え、でも」
「呼ばれたらすっ飛んでいくぜ。ダンジョン探索でも、鍛冶でもなんでも言ってくれ」
もう一度、ヴェルフは力強くベルの頭を撫でてから離した。ベルも若干痛かったのか、それとも嬉しかったからか目尻に涙を溜めて、満面の笑みを浮かべた。
「……」
「嫉妬ですか?」
「……違います」
そんな二人を遠い目で眺めているリリにアゼルが声をかける。俯きながらジョッキに映る自分を見ているリリは、本当に嫉妬してはいなさそうだった。それどころか、どこか辛そうにすらアゼルには見えた。
「リリは……」
彼女は何かを言おうとしていた。だが、きっとそれは口にしてはいけない類の言葉だったのだろう。苦しそうに、彼女はその言葉を飲み込んだ。蜂蜜酒の水面が揺れ、映っていたリリの姿は掻き消えた。
「兄弟のようで、楽しそうだなと思っただけですよ」
「そうですか。まあ、確かにヴェルフは兄貴肌ですからね」
誤魔化せていないことくらいリリも分かっていただろう。しかし、アゼルは彼女の話に乗っておくことにした。言いたくないことだったから誤魔化したのだろうし、自分が聞いたところで彼女の助けになることはあまりないだろうと思ったからだ。
「……聞かないんですね」
「ええ、聞きませんよ。聞いて欲しいんですか?」
「いえ……これは、リリの問題なので」
アゼルのあまりな反応に若干の異議を申し立てたリリは、しかし思った通り聞いてほしくないようだった。なら最初から言うなとも、聞かないのかという質問をするなとも思うかもしれないが、そこは人であるから誰かに聞いて欲しい時も、構って欲しい時もあるだろう。
「相談するなら目の前に最善の相手がいるじゃないですか」
「それだけは、ダメです」
きっぱりと、彼女はそう言い切った。ベルに言うくらいならアゼルに相談すると言わんばかりに彼女は断言した。
「なら、私は何も言いませんよ」
と言いつつ、ベルもヴェルフもリリから何か違和感を覚えていることは見て取れた。アゼルに分かるくらいだ、リリだって二人が違和感を抱えていることくらい承知だろう。それでも何も言い出さないのは、ベルに聞いて欲しいからなのか、それとも本当に言うつもりがないのか。
「アゼル様は、非道くて優しいですね」
「優しいだけというのは、きっと恐ろしくつまらないですよ」
すべての存在に優しくあろうなどと思う人間がいたとしたら、それは届かぬ理想である。そもそも『すべて』を認識することすら出来ない人間に、『すべて』に優しくなることなど到底不可能。
そして、仮にそんなことができたとしよう。きっと、それは自分に恐ろしく優しくない生き方だ。
すべてを抱え、すべてを背負い、笑みを絶やさず、そしてきっと笑ったままその重みに潰されて死ぬ。所詮人間など矮小な存在しかなく、手の届く範囲でしか人と関わりあえない。どれほど高く登ろうとも世界すべてを見下ろすことができず、登れば登るほど下に置いてきたものは小さく視界に映る。
神にでもならない限り、遥か高みからすべてを見ることはできないだろう。
「結局、あのゴライアスと
アゼルが転生を果たしたゴライアス――
しかも、その少し前にはヘスティア様が誘拐され他の冒険者達と一悶着あったとか。実はそれはヘルメスが仕組んだことで、アスフィの役目はアゼルが介入しないよう引き付けることだった、というのも後々気が付いたことだった。
全員が持っているであろうその疑問を口にしたのはヴェルフだった。少量の蜂蜜酒を口の中で味わいながら、前者については知らないが後者については真実を知るアゼルは静観することにする。
「
それを一人で討伐せしめる異常者がここに一人いるのですが、とリリはアゼルに視線を向けた。
「能力も普通のゴライアスより上だったらしいし……あんなことがこれからも起こるようじゃ命がいくつあっても足りねえな」
「そう、だよね」
ヴェルフの言ったことに小さく同意したベルは、アゼルをちらりと見た。命が幾つあっても足りない、の部分でアゼルに反応したようだ。
「あのさ……アゼルがランクアップしたことだし。団長はアゼルがいいんじゃない、かな?」
おずおずと、ベルはそんな提案をしてきた。
そもそも二人しかいないファミリアに団長などあったものかと思うが、ギルドに登録されているファミリアの情報には団長欄がある。
つまるところ、団長というのはファミリアのまとめ役であり、顔役でもある。例えばフィンは最前線に立ち団員達を鼓舞するし、オラリオ屈指の実力者としても有名だ。有名な冒険者がいるというだけでファミリアには泊が付く。当然団長は強いに越したことはないだろう。
しかし、強さ以外にも必要な資質がある。
「いえ、遠慮しておきます」
「え、な、なんで?」
「言わなくとも、分かっているでしょう? 私は人の上に立つ素質も、人を束ねる素質もありませんよ」
ファミリアの団長とは究極的に言ってしまえば、この人物と共に戦っていけると相手に思わせるような人物でなければならないだろう。その上、きちんと周りの実力を把握していて、指揮を執れるような人物だ。
アゼルもやろうと思えばできるかもしれないが、決定的にやる気がない。
「でも、やっぱり」
「ベル、ヘスティア・ファミリアは貴方が始めたんです。私はそれに乗っかっただけに過ぎません。であるなら、やはり団長はベルであるべきですよ。そこに強さなんて関係ありません」
「そうですよ、ベル様。アゼル様が団長になんてなってしまったら、それこそ命が幾つあっても足りません」
アゼルの無茶苦茶な探索のことを言っているのだろう。
それにアゼルは目の前の敵に集中してしまうとそれ以外のことがおろそかになってしまうので、指揮を執ることに支障が出てくるだろう。その点、ベルは慎重なところがあるので大丈夫だ。
「ベル、私が言うのも何ですが。自分と私を比べるのに意味はありません。ええ、私は強いでしょう――でも、それだけです」
「でも、僕は……!」
「ベル、貴方は何を望むんですか? その手で何を掴みたいんですか? その足でどこへ向かいたいんですか? 方向を見誤ってはいけない、他人の歩いた道を道標にしてはいけない」
昔からベルはアゼルを見て育った。ベルの祖父に剣を教えてもらっているアゼルを見ながらも、ベル本人は一度も祖父から手ほどきをしてもらっていない。どこか意図的とも思えるその差はベルを腐らせてしまう可能性が大いにあった。
しかし、老師はどこまで優しくベルを育てた。彼は信じていたのだろう、ベルであれば腐ることもなく、いつしか己の足で歩き出すと。
「貴方は自分の道を歩くべきですよ、ベル。貴方だけの道だ」
「僕だけの、道」
その時、ベルはゴライアスとの死闘を思い出した。
レベル4のリューやアスフィがいる中、ゴライアスを打倒したのはベルだった。あの時、ベルは確かに限界を超えた力を発揮していた。悲鳴を上げる身体をねじ伏せ、逃げようとする心を奮い立たせてベルは戦った。
そして、思ったのだ、悟ったのだ。
これこそが、己の戦い方であると。大切な人達を守るために幾度も立ち上がる不屈の戦士。無様に足掻き、弱さに抗い、強さに屈しならがらも、それでもと言いながら立ち向かう。
自分の後ろに守るべき存在がいる限り戦い続け、救うと一度決めたら何が何でも救う。血反吐なんていくらでも吐く、骨なんていくらでも折る、挫折など数えきれないくらい味わう、それでも立ち上がる。
大切な誰かを失うのは四肢を裂かれるより痛いのだから。二度と手に入らない存在を失うことは心を引き裂くのだから。祖父を亡くした時の果てのない虚無感と止めどなく目から溢れる雫をベルは思い出す。
あんな思い、誰にもして欲しくない。だから、自分が守るのだと。
悪意を向けてきた人にだって愛する人がいる、愛してくれる人がいる。
自分が大切に思っている人も、自分のことを大切に思っていて欲しい。
幾ら走っても追いつけない背中は、何度も傷付きながらその距離を離していく。
だからベル・クラネルは力を欲する。
だからベル・クラネルはその道を歩み始めた。
救いたいと思ったすべてを救うその道を。せめて自分の手が届く世界では、誰も悲しまないように強くなる道を。
敵を許せるだけの強さを、彼は欲した。
どんな強敵にでも打ち勝つ強さを、彼は欲した。
いつか遥か高みにいる剣士をも守れる強さを、彼は欲した。
「……そう、だよね。僕が始めたんだから、僕が守るべきなんだ団長として――ううん、僕として、ベル・クラネルとして」
紅色の瞳に炎が灯される。すべてを守るという意志、そのために強くなりたいという願い。英雄になりたいと、女を守りたいと、人々を救いたいと夢見た幼子がそのまま育ったような少年は、その想いをより一層強めて今も歩き続けている。
「ヘスティア・ファミリアの団長は、僕だ」
少しの沈黙の後、ベルはゆっくりと頷いた。
■■■■
「――何だ何だ、どこぞの兎が一丁前に有名になったなんて聞こえてくるぞ!」
祝賀会も中盤にさしかかり、運ばれてきた様々な料理も少なくなってきていた。
真横のテーブルからそんな声が飛んできたのはそんな時だった。六人がけのテーブルに座っている内の
「ルーキーは怖いものなしで良い御身分だなぁ! 嘘もインチキもやりたい放題、オイラは恥ずかしくて真似できねえよ!」
少年のような声は店内に響いた。視線がその冒険者達へと集まる。金の弓矢に輝く太陽のエンブレムを付けているので、どこかのファミリア所属の冒険者だろう。
ベルも初めてそんな侮蔑を隠そうともせず言われたのだろう、唖然としていた。しかし、小人族は続ける。
「ああ、でも逃げ足だけは本物らしいな。ランクアップできたのも、ちびりながらミノタウロスから逃げおおせたからだろう? 流石兎だ、立派な才能だぜ!」
明らかにわざと隣にいる私達に聞こえるように大声で言っているのだろう。周りを見るとこちらを伺いながらせせら笑っている集団が幾つかいた。
当然気持ちのいいことではない。しかし、憤慨するようなことでもなかった。何よりもそれがわざとだと、意図して挑発していることが見て取れるからだろう。それに、ミノタウロスから逃げるだけでランクアップできるはずもない。
分かりきった侮蔑は、一周回って滑稽に聞こえた。
「オイラ、知ってるぜ! 兎は他派閥の連中とつるんでるんだ! 売れない下っ端鍛冶師にガキのサポーター、寄せ集めの凸凹パーティーだ!」
ベルが一瞬席を立とうとしたが、ヴェルフとリリに声をかけられて止められていた。自分のだめだけでなく、他人のために心を動かすというのもまた人の上に立ち束ねる者に必要なことだろう。
そういう点で言えば、ベルほど他人想いな少年は早々いないだろう。
「それに剣鬼の渾名知ってるか? 奴はロキ・ファミリアの腰巾着! ランクアップが早いのは格上の冒険者に媚を売って安全に下層を探索してるからだぜ! そんな腰抜けが二人もいるファミリアは傑作だ!」
特に何も心には響かなかった。言いたいのなら言わせておけ、それに限る。
「威厳も尊厳もない女神が率いるファミリアなんてたかが知れているだろうな! きっと
「――取り消せ!!!」
椅子が倒れる音と共に、誰かが吠えた。普段とは似ても似つかない荒々しい声だった。ベルはとうとう我慢ができなくなったのだろう、隣のテーブルの小人族を睨みつけていた。鋭い、自分の大切なものを侮辱されて激昂している目だ。
「ず、図星かよっ。あんなチビの女神が主神で、恥ずかしくて堪らないんだろう?」
ベルの剣幕に怖気付いていることが分かるほど、小人族の男は狼狽えていた。それでも、その台詞を彼に言わせるのは何なのか、少しだけ気になった。ベルの剣幕で怖気付くのは、言っては何だが小心者が過ぎる。となれば、彼のやっていることは彼らしくない、演技のようなものだ。
そして私は思った。種族の関係で仕方のないことかもしれないが、目の前の小人族も世間一般にはチビと言ってもいい身長だ。
「いけません、ベル様!?」
リリの制止する声を振りきってベルはその小人族へと掴みかかろうとした。これは乱闘になりそうだ、と思いながら蜂蜜酒を口に含む私はそれを止めようと思っていなかった。時には怒りに任せて動くことも必要だろうし、心優しいベルが抑えることのできなかった憤りを否定することはできない。
「ぶびっ!!」
しかし、それをよしとしない者もいた。
ベルが触れる直前、小人族の顔に前蹴りが突き刺さり椅子をひっくり返しながら彼は地面へと倒れた。白目を向き、鼻血を流しながら時折痙攣する姿は完全に気絶していることが見て取れた。
「すまん、足が滑った」
声はあくまで平坦。悪びれもせずに、前蹴りを放った犯人――ヴェルフが謝った。しかし、むしろ彼は不敵な笑みを浮かべていた。
その行動が引き金となって、小人族のテーブルに座っていた仲間が立ち上がった。
「てめえ!!!」
「よくもやりやがったな!」
乱闘の始まりであった。
邪魔な障害物を撤去するなどという親切な精神は相手になく、邪魔なものは蹴り飛ばし投げ飛ばし、周りを巻き込んでいく。
中を舞うテーブルや椅子、地面にぶつかり割れる皿やコップ、甲高い音を立てる食器類。数人の給仕係が悲鳴を上げる中、店にいた冒険者達は戦っている者達を囲みあたかもリングのように広がった。
もっとやれ、そこだ、いいぞ、などと歓声を上げながら観戦を始める始末だ。
「ああもうっ、これだから冒険者は!」
そう叫びながらリリは飛んできたジョッキを避けた。私を見上げて援軍に行かないのかと目で問うてきた。
私は首を横に振り参戦しないことを示す。リリは安堵の息を吐いた。
「よかったです。アゼル様がここで暴れたら店が潰れてしまいかねません」
「いや、流石に無手でそこまではでき……るかもしませんが」
腰に白夜を差しているが、流石に店内で抜く気はない。抜くべき時は戸惑いなく抜くが、そうでない時は抜くべきではない。剣には真摯に、時と場合を選び、礼節を持って接する。たかだか乱闘騒ぎに得物を抜くというのは、大袈裟過ぎる。
(ん?)
ふと、興奮した客で賑わう店内を見渡した。乱闘にばかり目が行っている客達は気付いていなかったが、新たな客が慌てた様子で店内に転がり込んでいた。その男は店内のあるテーブルに一直線で向かっていった。
(ベートさんじゃないですか)
その向かった先にいたのはロキ・ファミリアの第一級冒険者である銀狼ベート・ローガだった。つまらなそうにベルの乱闘を見ながら酒を煽っている。男は何事かをベートさんの耳元で囁いていた。流石に五感が鋭くなったとはいえ、歓声轟く店内で囁き声など聞こえるわけもない。
しかし、気になった。
『あいつヒュアキントスだ』
『レベル3の第二級冒険者様かよ……』
『アポロン・ファミリアの【
突然騒いでいた観客が静まり返った。ベルに喧嘩を売った小人族のテーブルに座っていた最後の一人がベルと対峙していた。美しい青年だった。容姿もさることながら、身につけている装飾品も調和を保ちながら彼の美貌を引き立たせた。
そして何よりも、その立ち姿は戦う者のそれであった。
「よくも暴れてくれたなリトル・ルーキー」
青年、ヒュアキントスは地面に横たわる仲間を眺めて、ベルを僅かに睨みつけた。その程度の威圧だけでベルは動けなくなった。今までの喧嘩などではなく、青年が醸し出す空気は戦場の空気だったからだろう。
「我々の仲間を傷つけた罪は重い……相応の報いを受けてもらうぞ」
そう言いながらヒュアキントスは口角を少しだけ上げた。そこにはどこかベルを見下しているような雰囲気が漂っていた。
動けずにいるベルに攻撃をするために動き出そうと踏み出した、その瞬間だった。
木を蹴り砕く音を鳴らしながら、テーブルが一つベルとヒュアキントスの中間に飛んできた。
ベルも、ヒュアキントスも、そして観客達もそれを蹴り飛ばした人物に視線を向けた。
「揃いも揃って、雑魚が騒いでんじゃねえよ」
銀色の髪に銀色の尻尾、狼を彷彿させる鋭い瞳でベートさんは睨んでいた。荒々しい口調はありありとベートさんの機嫌の悪さを周囲に知らせた。立ち上がっただけで人垣が一歩下がった。
「てめえらのせいで不味い酒が糞不味くなるだろうが。うるせえし目障りだ、消えやがれ」
「ふん……がさつな。やはりロキ・ファミリアは粗雑と見える。飼い犬の首に鎖もつけられないとは」
不機嫌なベートさんに臆すること無くヒュアキントスは言った。客達はより一層顔を青くして銀の狼人が暴れないかと戦々恐々になる中、青年はベートさんを真正面から見た。
「あぁ? 蹴り殺すぞ、変態野郎」
睨め付けるだけでなく、ベートさんは青年に更に殺気を飛ばした。それでもヒュアキントスは一歩も引かず、視線を外さない。
私には、その理由がなんとなく分かった。他の者達が腰を引かせる中、ただ彼だけは己を信じ続けてその場に立っている。それを慢心と呼ぶこともあるだろう。しかし、自信を持つことは大切なことでもある。
冷静に考えれば、ロキ・ファミリアの幹部ともあろうベートさんが殴りかかるはずもない。しかし、そんな結論も殺気を放つ銀狼の前で冷静でいられなければ出せないだろう。
「興が削がれた」
ヒュアキントスはそう言って店内を去った。よろめきながら立ち上がった彼の仲間達は気を失った小人族を抱えて青年に続いた。最後の男がいなくなり、私は開け放たれたドアを眺める。
彼等の目的は何だったのだろうか。
あそこまであからさまな挑発、正直言って怪し過ぎる。それを言っているのが小心者の小人族であったということも違和感に拍車をかける。彼等の行動がもたらしたのは二つのファミリアの小競り合いだ。
まずベルを侮辱して反応がないのを見て仲間を侮辱した。それでも手を出してこないからと主神を侮辱した。
私には、何か面倒事が起きるような予感がした。
ぼんやりとそんなことを考えているとベートさんが目の前を通り過ぎた。銀色の髪はどこにいても目立つ。
「あ、ベートさん」
「あ?」
話しかけただけで睨まれるが、その程度ではなんともならない。少なくとも本気の殺気くらいでなければ心は震えない。
「ティオナに話があるんですけど、これからホームに寄ってもいいですか?」
「……いいわけねえだろうが」
もっと大声で怒鳴られるかと思ったのだが、ベートさんは静かにそう言ってヒュアキントスと同じように店内から出て行く。狼人を追うように他のロキ・ファミリアの団員達も出て行く。
(なんだか、変ですね)
最後に出て行ったラウルさんの焦ったような顔を見て、何かが引っかかった。ダンジョンにいる時のような表情だったのだが、流石のラウルさんもいつもあんな感じではないだろう。
(まあ、いいか)
気にはなるが、私が聞いたところで事情を説明してくれるとは思えない。ロキ・ファミリアには色々世話になっているし懇意にしたいが、関係のないことに頭を突っ込んで藪蛇は困る。
私は砕けたテーブルや椅子が散乱した店内を見渡し、最後に地面に座り込むベルを見た。顔を殴られたのか鼻血を出しながら、痛む頬を擦っていた。しかし、それほど深刻なダメージはなかったのか少しよろめきながらも立ち上がった。
「大丈夫ですか、ベル」
「う、うん」
リリが差し出したタオルで鼻血を拭き終わったベルはベートさんが出て行った扉を見ていた。余程怖かったのか、それとも何かが気になったのか。
「あの人……助けてくれたのかな?」
「さあ、どうでしょう……そういうことが似合う人物ではないですが、だからと言って必ずしないとも言い切れませんし」
結果だけ見れば、確かにベートさんはベルを助けたのかもしれない。あれ以上ヒートアップしていればベルは為す術もなくヒュアキントスにやられていただろう。だが、やはりというべきかベートさんがベルを助けるとは考えづらい。
何かがベートさんの琴線に触れたのかもしれない。それがベルを助ける理由になったのか、それともヒュアキントスに突っかかる理由になったのかは分からないが。
「ま、それはさておき。修理費は私が出しておくので帰るとしましょうか」
「た、助かります……」
「恩に着る」
「あ、ありがと、アゼル」
「いえ、後日各々返してくださいね」
だよね、と溢したのはベルだった。少し残念がっているように見えたが、まさか私が全額払うと思っていたのだろうか。そもそもの原因はベルが手を出そうとして、ヴェルフが前蹴りをおみまいしたことだ。
■■■■
――こっち
何かが私に呼びかけた。
――こっちへ
優しく耳をくすぐるような声が囁いた。否応無しに、私を惹き付けるその声の主はどこにも見当たらない。
「どうかしたのアゼル?」
既に祝賀会は解散となり、ホームである廃教会へと帰る私とベルだけとなっている。夜になっても通りを歩く人はあまり減っていない。行き交う人々はざわめいているものの、私に話しかけている人はいない。
――来て
「アゼル?」
南東部、オラリオの繁華街が広がっている方面だ。広がる夜空を見上げながら私はその存在を感じ取った。見下ろす三日月は妖しく輝いていた。
――こっちへ来て
疼いた。腕だけでなく、脈打つ心臓から広がるように全身が疼いた。甘美に身体中をその声は蠢いた。血流に乗って心臓から身体の末端へと流れる。
――斬り合いましょう
「……少し用事を思い出したので、先に帰っていてください」
「え?」
ベルの素っ頓狂な声を置き去りに私は駆け出した。
雑踏が邪魔なので地を蹴り建物の屋根へと飛び乗り月夜を駆ける。南東へと進むに連れ囁き声は次第に鮮明に聞こえてくる。
――愛し合いましょう
それは歌声だった。色気を感じさせる声が、熱っぽく、だが静かに口ずさむその歌は聞いたことがないはずの歌なのにどこか懐かしくすら聞こえた。自然と、まるで昔からそうであったかのように歌が私の中へと染みこんで沈む。
深淵へと、沈む。
「あは、来てくれた」
笑う月を背後に
「私を呼んだのは貴女ですか?」
月光に照らされ膨よかなボディラインが浮かび上がる。身に纏っているのは踊り子のような衣装――
逆光でその表情は分からなかったが、その中でも瞳だけが妖しく紅く光る。口元は生々しい赤色の液体で濡れていた。一瞬紅かと思ったが、違う。
――血だ
「ええ、アゼル」
幻聴ではなく、彼女から発せられた声が空気を伝って鼓膜を震わせる。歌声と変わらずどこか浮世離れした澄んだ声だった。
「さあ、愛し合いましょう、斬り合いましょう、殺し合いましょう――――私の愛しい人」
両の手に携える刀が妖しく月光を受けて瞬いた。音もなく彼女は一足で私の間合いへと飛び込んできた。
立ち込めるは血と闘争の香り、お互いに持つは万物を斬り裂く刃。行き着く先は自ずと知れる。
「喜んで――」
身体の疼きに逆らわずに白夜を抜き放つ。仄かに朱色の光を灯す刀身がその姿を晒し、正眼に構えて相手を迎え撃つ。
「――受けて立ちましょう」
閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。