剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
「それで、あの後は何をしてたんですか?」
「大したことはしてないですよ。【ステイタス】の更新、ギルドへのランクアップの報告、鈴音と出掛けて、ヴェルフのランクアップの祝賀会に……後は、切り裂き魔に襲われたくらいで」
「ちょっと待って下さい。もう一回お願いします」
リューさんはこめかみを押さえながら今言ったことを繰り返すよう言った。
「【ステイタス】の更新」
「はい」
「ギルドへのランクアップの報告」
「はい」
「鈴音と出掛ける」
「そこを詳しく」
静かにコップを置き、リューさんは至って真剣な雰囲気で私に説明を求めた。
リューさんは鈴音を私の言葉の中でしか知らない。実際に会ったことはないだろうし、見かけたことはあるかもしれないがそれが鈴音とは分からないだろう。
「ギルドに報告に行った帰りに偶然会って、やることもなかったので鈴音を誘って出掛けました」
「……そうですか」
彼女はそれ以上は聞いてこなかった。あまりプライベートな話にずけずけと足を踏み入れるのを悪いと思ったのか、それとも興味がなかったのか。続きを促すように彼女は私を見る。
「ヴェルフの祝賀会を火蜂亭で行いました。これが昨日のことですね」
「確かに火蜂亭で行うとクラネルさんから聞きました」
「はい、その通りです。あ、そこでベルが隣の客に殴りかかって乱闘騒ぎになりましたよ」
「……何をしてるんですか貴方達は」
呆れたのか、リューさんは溜息を吐いた。豊穣の女主人亭ではあまり見られない光景だが、他の酒場では割りと起こることだ。冒険者は荒くれ者が多い職業の上、酒が入ると判断力が衰える。ちょっとしたことで激昂して殴り合いに発展することもしばしば。
「いえいえ、私は何もしてませんよ」
「クラネルさんを止めることはできたはずです」
「ベルも一人の冒険者、私のお守りはもう必要ないでしょう」
「面倒事を避けるのは極々当然の行動です」
子供を叱るようにリューさんはそう言った。言われてみればあの場で一番の年長者は私であったし仲裁するべきだったかもしれない。殴り合いを止めることも、そもそも動き出したベルとヴェルフを止めることも容易かった。
それをしなかったのは、一重にする必要を感じなかったからだろうか。あれだけ言われて我慢をしろというのも酷な話であるし、乱闘騒ぎなどそう珍しくもない。若気の至りということで済ませることもできる。
ただの乱闘であるならの話だが。
「まあ、あれです。男として止めるべきではないかと」
「……」
「ベルには、色々と学んで欲しいんですよ」
人としてベルは己の抱える感情を学ばなければならない。ベルは呆れるほどお人好しで、善意が服を着て歩いているような少年だ。人に悪意があると知りながらも、どこかで善意を信じ続ける彼は、きっと誰よりも人というものを信じている。故に、知らなければならないだろう。
怒りは時折抑えられなくなる。
意地は張らなければならない時がある。
慢心はその身を滅ぼす。
渇望は自らの心の叫びである。
己という存在の発露、感情という感情を知らなければならない。そこにきっと自分が生きる意味というものが潜んでいる。
多くの者は道半ばで死に絶えるだろう。意味を知ることもなく、知ろうともせず、生きることに意味を求めず、ただ生きる者もいるだろう。
だが、ここは世界の最も熱い街で世界の中心である。その渦中にいるベルは果して意味を知らずに戦い続けられるだろうか。英雄に憧れた少年は、何を持ってしてその憧れを抱いたのか自覚しなければならない。
そう、きっと老師ならこう言うだろう。
『己を知れ。己を知り、相手を知り、そして世界を知れ』
何故、老師はベルには剣の手ほどきをしなかったのか終ぞ疑問だった。しかし、私という弟子がいればそれも当たり前だったのかもしれない。
無限の可能性を秘めたる人の子が、ただ一つの切っ掛けで一つの道以外一切合切を斬り捨ててしまった。そんな私がいたのだからこそ、老師はベルに剣を握らせなかったのかもしれない。
老師はベルに世界を知って欲しかった。きっと、そうなのだろう。鈍色に染まっただけの世界ではなく、色鮮やかに輝くこの世界を。
だが、それで良い。そうでなければいけない。
誰に蔑まれようと、誰に罵られようと、誰に嫌われようと、誰に斬られようと私は私の道を行く。登り詰めるその日まで斬り捨てたすべてを積み重ね、いつの日か頂へと至ることを夢見て変わらず――――剣を振るう。
生きる意味など、それで十分。
だが少しだけ、本当に少しだけ思ってしまった。
(リューさんには、嫌われたくないなあ)
そして自分が彼女に好意を抱いていることを再確認する。嫌われても構わないと言っても、何も嫌われたいと思っているわけではない。嫌われないことに越したことはないだろう。だがリューさんに対しては明確に嫌われたくないという感情があった。
それでも、彼女に嫌われるかもしれないことを続けるのは、私が剣に魅入られてしまったからだ。
好意を抱いている己を知り。
剣に魅入られている己を知り。
しかし、私はそこまでだ。相手がどう思おうと私は止まらない。世界がどうなろうと私は斬り裂く。阻む壁はすべて斬る、横に逸れる道などなく、私の道はただ一本しかない。
その道程で、私は苦しみに叫び声を上げるだろう。傷付き血を流し、涙を溢すこともあるかもしれない。だが、剣の心はもう曲がらない。
「それで、その後の『切り裂き魔に襲われた』というのは?」
「そのままですよ。まあ、訂正するとしたら、襲われたというより襲いかかったというか、自ら襲われに行ったというか」
「貴方は本当に何をしてるんですかっ?」
持っていたフォークを取りこぼしかけるほどリューさんは動揺した。確かに『襲われた』と『襲われに行った』では大きな違いがあるし、予想の斜め上を行くだろう。珍しい場面を見れて私は満足した。
「そう言えば、街の南の方で殺人があったと噂を聞きましたが」
「たぶんそれですよ」
「街の南側と言えば、歓楽街の方になりますが。アゼル、まさか」
「誤解です。リューさんの考えているような事実はまったくありません」
「では何故そんな事件に遭遇したのですか?」
またそれを説明しなければならないのか、と一瞬絶望しかけたがリューさんは私の事情を知る数少ない女性だ。詰め所で何時間も強いられた説明も彼女相手であれば数分で済むだろうと思い取り敢えず安堵した。
「呼ばれたからですよ、彼女に」
「元から貴方が狙いだったということですか?」
「はい」
ハナという偽名を名乗った彼女のことを思い出す。
三日月を背後に立つ姿は正に狂気。振るう剣に技はなくとも美しいと思わせるだけの何かがあり、斬り結ぶ度に斬りたいという欲求が募っていく感覚は言葉に出来ないほど甘美だった。
「アゼル、殺気漏れてます」
そう言われて、私は初めて自分が笑みを浮かべ手に力を入れ殺気を放っていることに気が付いた。没入感とでも言うべきか、私はハナに夢中になっていた。
しかし、仕方ないだろう、技でもない、圧倒的な地力の差でもない、私の知らない他の理由で私と斬り結べる存在に初めて出会ったのだ。
「すみません、つい」
「そこまで、焦がれるような相手ですか?」
「焦がれる……そうですね。私は彼女を知りたい、何故ああなったのか、何故斬った私を愛しいと言うのか。彼女のことを考えるとどうも昂ぶってしまうんです」
――嗚呼、早く貴女を斬りたい
まるでそれが定められた運命のように感じられた。斬らなければいけないという脅迫概念さえあるように感じられた。そうでなければ、私は私でなくなってしまう、そんな気分だった。
「アゼルが斬った?」
「割りと最近まで忘れていたことなんですけど、オッタルと戦う前に側にいたアマゾネスの集団を退かせたんですが、その時一人斬っていたようで」
「……それが18階層で襲ってきた
「そういうことです。その切り裂き魔が私がその時斬ってしまった女性でして」
因果な関係とでも言うべきか。私としては斬った彼女が私のことを斬りに来るというのはそれはそれでドラマがあっていいと思った。本来は憎しみで私を斬りに来るべきなのだが、彼女の場合は愛情を抱いて斬りに来たことが驚きだが。
(だが、考えてみれば私も同じか)
オッタルという圧倒的強者に惹かれ、私を斬ると言ったリューさんに惹かれた。彼等の刃は私を殺すだろう。今度こそ、オッタルと相まみえればどちらかが死ぬだろう。リューさんが私に勝てば、アゼル・バーナムという剣士は死ぬだろう。
そうだ、私と彼女のどこが違うというのか。
――だって、私達は
(そうか、あの時彼女は)
――同じだもの
ぞくりと背筋が震えた。悪寒を感じるほど私の中の何かが叫びを上げる。彼女を殺せと心が悲鳴を上げる。悲しいほどまで素直に、理性でもなく本能でもなく、理解という過程を越えて私は結論へと辿り着く。
――彼女を殺さなくては
「それで、彼女が貴方の事を『愛しい』と?」
「……」
「アゼル?」
何故、そんな結論に至ったのだろうか。追うようにして私は理解を始めようとする。前回がほぼ初対面と言っていい彼女に、何故自分はこんなにも静かに殺意を抱いているのだろうかと考える。
確かに異様な人物ではあった。斬った私を愛しいと言い、そして私と斬り結ぶことができた。強いと感じさせるほどの実力はなく、武芸に通じているわけでもない。なのに、私は彼女の剣に心惹かれた。
「――アゼルっ」
「え、あ、はい」
鋭い声で名前を呼ばれて顔を上げる。声の主、リューさんはどこかつまらなそうな目で私を見ていた。
「集中力があるというのも、良いことばかりではないですね」
「そうみたいです……すみません、女性の前で別の女性の事を考えて呆けているなんて、男として失格ですね」
「……別に、そういうことを言いたかったわけでは」
だが妙な感覚だ。目の前のリューさんや斬ると決めたオッタルにさえこんな殺意を抱いたことはない。己の奥底から湧き出る、静かで穏やかな殺意だ。激しさなど皆無、思考という工程をすっとばしている故に葛藤も皆無。
まるでそれが純然な事実かのように、彼女を殺さなくてはいけないと感じた。
「まあ、彼女のことは置いておきましょう」
「仮にも貴方を殺しにきてるんですよ?」
「次斬りかかってきたら返り討ちにするので問題ありません」
「問題だらけです」
しかし、これ以上私が彼女について語ることはないと察したのかリューさんは何も聞いてはこなかった。しかし納得はしていないのか、ジト目で私を見ていた。
これは後日自分から会いに行こうと思っていることは言わないほうがいいだろう。危険に自ら突っ込んでいくのは今更として、やはり歓楽街に赴くというのは誤解を招きかねない。
「あ、そう言えば」
「……まだ何かあるんですか?」
波乱万丈ですね、とリューさんは加えた。改めて考えるとその通りである。
勿論意図して騒動の渦中へと踏み込んでいった出来事もあるが、巻き込まれたものも多々ある。私とはまったく関係なく、運が悪いとしか思えないような出来事もあった。常に平穏を望んでいるというわけではないが、一休みが欲しいと思わなくはない。
ゆっくりと自分の剣と向き合う時間が欲しい。
「宴に誘われたんですよ」
「何の宴ですか?」
「
それを聞いたリューさんは訝しげに私を見た。神の宴はその字の通り、神々達の宴でありそこに人が立ち入ることはない。しかし、今回開かれる宴は例外中の例外。
「主催者側の趣向で、眷属を一人連れて行くことが今回の宴の条件だそうです」
「ではヘスティア様はクラネルさんではなく貴方を?」
「いえ、
しかし、私に対しての招待状は一応眷属の一人からのものということになっている。つまり、私はおまけということなのだろう。本命はベルなのか、それともヘスティア様なのか。今回は何かの騒動に巻き込まれたような気がする。
「主催者はどのファミリアですか?」
「アポロン・ファミリアですよ。何か知ってます?」
「アポロン・ファミリアですか……そうですね、数多くあるファミリアの中で美男美女が多いと言われています。後は、
「――なるほど」
美男美女が多いファミリアならロキ・ファミリアもその一つと言えるだろう。あのファミリアは主神であるロキ様の趣味で美女が多いと聞いた。
「目的は引き抜きでしたか」
「可能性はありますが、根拠がありませんよ」
「まあ、警戒はしておきますよ。私はまだヘスティア・ファミリアから抜けるわけにはいかないので」
根拠ならあるが、ここで語ったところでリューさんを騒動に巻き込むだけだ。巻き込んでもリューさんならどうにかするだろうが、関係のない彼女をわざわざ渦中に引き込むことはしない。
「ああ、それでですね。宴に行くのは良いんですが、少し困ってまして」
「礼服などですか?」
「いえ、服はベルと同じものを用意するので大丈夫なんですが……マナーと言いますか、ダンスもあるらしいですし」
田舎育ちの上、剣にしか興味のなかった私はダンスのダの字も知らない。ヘスティア様は確実にベルにエスコートを頼むので、その辺りは別にいいのだがダンスは誘われたら断りづらい。
「じゃあリューが教えてあげれば?」
食器を両手に持って近くを通りかかったシルさんが割り込んできた。勢いを付けてしまったのかよろめいた彼女を、凄まじい速さで動いたリューさんが支えた。
「おっとと……えへへ、ありがとリュー」
「まったく、気を付けてください」
「はーい」
注意されたのに嬉しそうに笑うシルさんと少々呆れながらも微笑むリューさんを見ていると、どこか仲の良い姉妹のように見える。当然リューさんが姉でシルさんが妹だ。
「で、私が教えればいいとは?」
「前言ってたでしょ、リュー昔ダンスとかエスコートのマナーとか教えてもらったって」
「確かに言いましたが……」
「いえ、ちょっと待って下さい。なんでリューさんがエスコートのマナーを?」
エスコートするのはあくまで男性であり、女性が知らなければならないのはエスコートされるマナーだろう。リューさんは女性である。
「……聞かないでください」
「それがですねアゼルさん。リューって格好いいじゃないですか」
「シルっ」
「だから昔男装を頼まれたそうで、その時教えてもらったって。これがモテモテだったらしいですよ」
「はあ、リューさんにも色々あるんですね」
「ああ、私は見てみたかったなー」
ねえ、と言ってシルさんは私に同意を求めてきた。しかし、私は何を言っているのかと一蹴する。
「私はドレス姿の方が見てみたいですね」
「アゼルさんのそれって素ですか? それとも狙ってます?」
「狙ってるも何も、思ったことを言っただけですよ。というか、男の私が男装を見てみたいというのも変な話でしょう」
服の上から見ての感想だが、確かにリューさんはサラシ等を巻けば胸を隠して男装できるだろう。見た目もスラっとしていて、可愛いというより綺麗な彼女なら男装すれば大層目立つことは予想できる。
だが、男である私が男装している相手に何を思えばいいというのか。
「アゼルさんって何時か背中から刺されそうですね、ブスッと」
「そうなったら相手の首を斬り落としますよ」
ケロリととんでもないことを言うシルさんに、私もとんでもない返しをしておいた。怖い怖いと言ってシルさんは食器を片付けるために離れていった。
「あ、あの時は仕方なくと言いますか。別に私に男装の趣味等は」
「別に勘違いはしてないので大丈夫ですよ」
席に戻ったリューさんは少し恥ずかしそうに頬を染めながら弁明しようとしたのでその必要がないことを言っておく。やはり彼女の一番の弱点はシルさんで間違いないようだ。
「では、改めて。リューさん、私に女性のエスコートの仕方を教えて頂けないでしょうか?」
そう言って彼女に手を差し出す。
「お役に立てるのであれば、喜んで」
そして彼女は私の手のひらに重ねるようにして、その手を掴んだ。
■■■■
パーティーのあれこれを軽く学ぶ前にリューはアゼルに一つ注意しておいた。そも神の宴とは神々が通うものであって、あの型破りな神々がマナーにうるさいと考えるほうが難しい。宴の会場で暴れまわる騒動も珍しくなく、立食パーティーの食事を持ち帰ろうとする神もいるとかいないとか。
つまり、エスコートのマナーを学んだ所で役に立たない可能性の方が大きい。
「別に構いませんよ。知っておいて損はないですし。まあ、今回役に立たなくとも何時か役に立つこともあるでしょう」
それに対してアゼルはどこか嬉しそうに答えた。かくいうリューも喧噪に包まれた店内から出て、内庭でアゼルと二人でいる方が落ち着いた。
酒場の喧騒から離れ、笑い合う客達の声が静かに聞こえてくる内庭でリューはアゼルに大雑把にどのような女性をエスコートすればいいか教えていった。とは言っても社交場の作法の数は一晩で教えるには多過ぎるし、リューもそのすべてを知っているわけではない。彼女が学んだ時も一夜限りの役として学んだだけであり、詳しくはない。
しかし、アゼルも昔のリューと同じような境遇だ。その時学んだ程度の知識で良しということになった。
「次はダンスですね」
ダンス、この場合ワルツを踊るためにはまず音楽の拍を認識しなければいけないのだがアゼルに音楽の教養などない。なんとなく分かる程度であった。その上そこから教えていれば夜が明けてしまう。
そこでリューは取り敢えず一緒に踊って、動きから音楽の拍を理解させようと思った。音楽のリズムは分からなくとも、アゼルなら人の動きであれば容易く把握できるだろう。
「そうですけど、やけにやる気がありますね?」
「話を聞いてるだけというのは性に合わないんです」
つまりアゼルは身体を動かしたいだけだった。そのことにリューは呆れながらも、自分も対して変わらないということに気が付いた。考えるよりは身体を動かすほうが得意であるし、性に合っていると言えばその通りだ。
しかし、流石に何も説明せずに始めるというわけにもいかず、そこから大まかなワルツの動きをリューは説明した。彼女が昔踊ったのは男性側の動きだったので教えやすかった。逆に女性の動きができるか彼女は少し不安になっていたくらいだ。
そして一通りの説明を終え、ホールドを組むことになる。
「では、背筋を伸ばして立ってください」
リューの指示通りアゼルは背筋を伸ばして立つ。その姿はまさに地に刺さる剣、折れることも曲がることもない立ち姿だった。これから踊るというのに、その姿は少し異様でまるで戦場にでも臨むような雰囲気だ。
しかし、リューは構わずにアゼルへと近づく。その距離ほぼ密着と言っていいほどだ。しかし、お互い恥ずかしがることもない。
アゼルにとってはこれは修行と同じこと。誰かに何かを学ぶということに恥ずかしがることなど失礼にあたる。
リューにとっては自分が触れたいと望んでいる相手だ。ここに至るまでに心の準備は済ませていた。これが突然の密着であれば、彼女も赤面くらいはしただろう。アゼルの真剣さにあてられたということもあった。
「右手を私の肩甲骨辺りに添え、左手は軽く握ってください」
「はい」
アゼルは言われた通りにした。右腕を曲げ手がリューの左肩甲骨辺りに来るように調節し、左手で相手の右手を軽く握る。続いてリューも左手をアゼルの右肩付近に添え、相手の右腕に自分の左腕を置く。
リューは少し背中が反るような姿勢となる。
「では、基本のステップから」
まずはじめは音楽を掛けずにリューが口ずさむワンツースリーという声と共に二人は足を動かしていく。言われた通り、教えられた通りに身体を動かしステップを刻んでいく。
最初はアゼルとてぎこちない動きだった。予め決めていたステップを順々に刻んでいくだけだというのに、時には足がもたついたり、リューの足を踏みかけたりと粗が目立った。
だが、一度集中状態に入った途端動きが変わった。
(動きの先を見るんじゃない――感じるんだ)
視覚、聴覚、触覚、嗅覚、そのすべてでアゼルはリューの動きを理解していく。全神経をただ目の前の相手に注ぎ込んでいく。相手になる、そう錯覚するほどまでに相手の動きを感じ取る。
足の動かし方、上半身の支え方、手の握り具合、呼吸の感覚、心臓の拍動まで手に取るように把握していく。
(まったく、貴方という人は)
そしてリューも、誰かに覗かれているという感覚が身体を駆け巡った。最初こそたどたどしかったアゼルの動きが途端に良くなるものだから何をしたのかと思ったリューはなんとなく理解してしまった。
アゼルはまるで戦闘時のようにダンスに臨んでいる。最早それはただのダンスではなくなっていた。リューが動き、アゼルはその動きの先を読み動く。それは一人で踊っているようなものだ。
ダンスとは二人で踊るもののはずなのだが。そうでなくとも、リードとは本来男の役目である。
そう言ってやりたかったリューだったが、少し我慢した。少なくとも今の状態でもう少し動きを身体に馴染ませていればアゼルはステップを覚えるだろう。今はまだ練習段階なのだから、覚えやすいようにやっているアゼルをそのままにすることにした。
「一端止め」
十数分の後リューは動きを止め、アゼルもリューが止めという直前に止まった。
「覚えましたか?」
「練度を度外視すればある程度は」
「それで構いません。別にワルツを極めようとしているわけでもない」
では、と言ってリューは一端身体をアゼルから離す。ダンスの手ほどきをすることになった原因でもあるシルが、どこからともなく持ってきた蓄音機へと向かう。どうせシルのことだからセットされているレコードも選んだだろうと思いリューはそのまま音楽をかける。
予想通り、ワルツが流れてくる。
どこか古ぼけ安っぽく流れる音を聞いてアゼルは確かに三拍子を感じ取った。一度感じ取ってしまえば、そのリズムはアゼルの身体に吸収されていく。三拍子に合わせて剣を振るうイメージを作り上げ、リズムを己のものにしていく。
「いけそうですか?」
「先程と同じなら」
「それはだめです」
台詞が被ってしまうのではないかと思うほど間髪を容れず、リューはきっぱりとアゼルの言ったことを否定した。
「え、あの、はい?」
「だめです」
「なんでですか?」
リューが何故そんなことを言っているのか理解できないアゼルは彼女に問う。二度もだめと言われるほど自分が何かしたとは思えないアゼルは純粋に疑問に思った。
「ダンスとは二人で踊るものです」
「踊ってるじゃないですか二人で」
「先程のダンスは……私が一人で踊っているようなものでした」
「でも足は四本動いてましたよ」
リューは溜息を吐いた。目の前の剣士は、やはりというべきか意外な事にというべきか、剣士の領分の外はからっきしのようだ。
「私の動きに合わせて動いていたようですが、あれはやり過ぎです」
「しかしできる人に合わせるというのが一番楽ではないですか。私が勝手に踊るよりマシだと思います」
「ダンスとは……いえ、人の営みとはそういったものではないと、私は思います」
「というと?」
リューはアゼルの顔に手を伸ばす。両手で左右の頬に触れ、自分を見るようにアゼルの顔を動かす。久しく触れていなかったアゼルの温もりを感じながらリューは優しく言った。
「私達はぶつかり合ってお互いを理解するしかない、そういった存在です」
初めてアゼルと会った場面をリューは思い出した。
最初は悪印象しかなかった。出会い頭に殺気を飛ばしてくるは、あろうことか剣を抜くような所作すら見せる男に対して好印象を持てという方が無理な話だ。
呆れるほど純粋で愚直なベルという仲間がいながらも、彼を蔑ろにするような態度を取るアゼルが許せなかった。仲間を大切にすることができるのは、仲間がいるからだ。仲間を大切にしない冒険者が彼女は心底許せなかった。
だが、知っていった。いがみ合いをするまでとは言わない。アゼルもそれほど無思慮な人間ではなく、踏み込んでいい距離というものを弁えていた。だから出会えば少し険悪なムードになるというだけだった。
「触れなければお互いの体温すら感じられない、そんな生き物です」
アゼルは蔑ろにしていたわけではなかった。共に歩まないという選択こそが、アゼルがベルを大切に思っている証拠だ。斬れば死ぬ、それはアゼルにとっては当たり前のことだったが、だからと言って死と隣り合わせの戦場に恐れること無く向かっていく自分が異常であることを彼は自覚していた。故に、彼は自らの意志で踏み込んでいく危地にベルを連れて行くことはなかった。
「そんな私達がただ手を合わせただけでお互いの心を知れるはずがないんです。だから――」
リュー・リオンは知った。
アゼル・バーナムという男の深淵の一端を、その心に秘めたる果てなき理想を。人に到れる極致、手を伸ばしてはいけない力、触れれば最後すべてを斬り裂く冷たい刃。
ただひたむきに、ただ真っ直ぐに、剣を握ったその日から変わらぬその熱き想いに彼女は触れた。それでも、アゼルのすべてを知ることはできなかった。
――貴方は何を想い剣を振るう?
――貴方を衝き動かすその熱はどこからきた?
「だから、私は貴方と踊る」
――貴方はどのように剣を振るいたい?
「魅せてください」
ぶつかりあった時にこそ、人と人はお互いを理解するに違いないとリューは思った。同じ方向を見ていては相手が見えない。向き合ってこそ相手が見える。その結果、ぶつかり合うこともあるだろう、剣を交えることもあるだろう。
しかし、それでも彼女は知りたいと、知らなければと思った。
――貴方の剣を
「貴方の心を」
触れる度に斬り裂かれ血を流すだろう。しかし、流した血の分だけ彼女は彼を知ることができるのであれば、その身を呈して彼を知ることを願った。知った上で、その剣を、その心を砕くことを彼女は選んだ。
――貴方は私とどう斬り結びたい?
「貴方は私とどう踊りたい?」
そう言ってリューは再び右手で相手の左手を軽く握り、左手をアゼルの右肩付近に添える。リューの言葉を聞いて考え事をしながら、アゼルも右手をリューの背中へと回す。
「そういうものですか」
「そういうものです。どうぞ、リードはお任せします」
「了解です。剣ほど上手くはいかないでしょうが、できうる限りのことはしましょう」
「それで構いません。それが貴方の踊りなら、私はそれで満足です」
一歩踏み出す。たったそれだけの動作なのに、相手がいるというだけで難しくなる。思うように動かない、それは当たり前だ。目の前にいる相手は自分ではなく他人、違う考えがあり違う意識があり、違う鼓動で生きている存在だ。
手から伝わる僅かな温もり、聞こえてくる呼吸音、その他様々な情報が彼等の中を行き交い、時にぶつかり合い、時に混ざり合い次の動きとなっていく。
――ああ、踊るとはこういうことか
アゼルは心の中で呟いた。確かに、それはどこか剣を交えるという行為に似ていた。相手と剣を交え、殺すために最善の剣戟を繰り出すという行為にどこか似ていた。
相手の呼吸を読み、剣閃の先を読み、どうすれば相手を斬れるか考えるあの時と同じだ。ただ、違うことがあるとすれば踊りとは創造だということだろう。共に美しいものを作り上げるという過程で向かい合っている。
剣を交えるということは、どちらかが死ぬということだ。共に美しい剣戟を繰り出すことに努力をすることはあるだろう。しかし、お互いを壊すために向かい合っている。
――これは、ありえたかもしれない可能性だ
剣などというものに取り憑かれていなければ、こんな未来もあったかもしれない。そんなこと起き得ないとアゼルは確信を持っていたが、目の前で微笑むリューを見ていると僅かな痛みと共にそんな考えが過ぎった。
アゼルは少しだけ笑った。それが自嘲的な笑いだったとしても、彼は今笑えることが嬉しかった。その痛みも、その喜びも彼が人であることを教えてくれる。
楽団などいない蓄音機から流れる古ぼけたワルツ。きらびやかなステージもなければ、豪華絢爛な装飾品もないただの内庭。片や普段着の男、片やウェイトレス姿の女にお世辞にも上手いとは言えないダンス。
妬ましそうに眺める月に見守られながら、彼等の踊りは続いた。
閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。
ワルツなんて踊ったことがないので気分で書いてます。
リューさんの過去とかは作者の想像です。潜入捜査とかそういう感じです。