剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
「さて、じゃあ作戦会議といこうか」
オラリオに酒蔵は多くあれど、これ程広大なものは早々ないだろうと思わせる酒蔵から少し離れた路地裏に私達は潜んでいた。私の後ろには先日ヘファイストス・ファミリアから
目的地であるソーマ・ファミリアの酒蔵を目前に、ヘスティア様がおもむろに言い出す。
「正直な話、アゼル君に一人で行ってもらうのが一番楽だ」
「いや、流石にそれは嫌だぞ」
「自分も流石にそれは……」
ヘスティア様のあんまりな提案にヴェルフと命さんが反論する。私も嫌だ、というよりそれはしたくはない。そもそも、私はリリを救出する手助けをすると言っただけだ。リリを救うのは私ではない。
「うん、ボクも嫌だ。でも、アゼル君は有名人だしこの中で一番強い。だから最初に乗り込んで敵の陽動をお願いしたい」
「まあ、私はそれくらいしかできないですしね」
私にリリを積極的に助ける意志がないことはヘスティア様も承知だ。そもそも私はリリが連れて行かれるのを見逃したのだ、助けに行くほうが筋が通っていない。助けるつもりならあの時点で助けた。
「助かるよ。敵の大部分が先行したアゼル君に集中している内に、人員を二つに別けて別の入口から侵入。そのままサポーター君を探して、見つけ次第保護。保護した後はボクがソーマと話を付ける」
リリがソーマ・ファミリアのホームではなくオラリオの東南に位置する酒蔵に捕まっていることを知ったのは今朝の話だ。ヘルメス・ファミリアが調査をしてリリの居場所を突き止めたるのにかかった時間は二日。リリは三日間囚われの身となっている。
その間ヘスティア様は交友のあるファミリアや個人に協力を仰いだ。
「ヘスティア様、一つ約束してください」
「何だい?」
「もし、リリが助けを求めないのであれば、その時は」
「何を言ってるんだい君は? 彼女が求めようが求めまいが関係ない。ボクはベル君と約束したんだ、彼女を連れて帰ると。サポーター君が勝手にベル君から離れていくって言うなら、ボクは勝手に彼女を引きずってベル君のところまで連れて行く」
そう言いながらもヘスティア様は不敵な笑みを私に向けた。
助けを求めない者を助けない、それもまた私の勝手な行動だ。ならば問答無用で助けるのもまた勝手なのかもしれない。結局、どこまで己の意志を貫き通すかというのは個人の決めることで、その行動によって起こる影響をどう背負っていくかが問題なのだろう。
しかし、
自身もまた下界に生きる一存在でしかないと、ヘスティア様は恐らく自覚しているのかもしれない。
「でも、ボクは人を見る目には自信があるからね。なんたって世間を騒がせる有望な新人を二人も見つけたんだ。彼女はベル君のためなら戦うよ、ボクには分かる。へこたれてるならボクが発破をかけるまでさ」
世間を騒がせる有望な新人を見つけたからこそ今厄介事の渦中にいるのだが、出る杭が打たれるのは世の常。世の弾圧に屈して引っ込むか、それとも跳ね除けて更に頭角を現すか、今が力の見せ所ということだろう。
「じゃあ、私は先に行きますね」
「ああ、頼んだよ」
「任せてください。切った張ったは分かりませんが、斬ったは得意ですから」
「言っておくけど、後々の遺恨を残さないために骨折くらいで頼むよ?」
呆れながら注意するヘスティア様の声を置き去りにするように走り出す。そのまま酒樽を運送するために舗装された道を突き進む。正面には酒蔵の正面にある最も大きな入口が待ち構える。
「流石に警備は厳しそうですね」
入口には見張りの団員が十人程、中に入ればどれほどの人員がいるか分からない。ヘスティア様から聞いた話、ソーマ・ファミリアの団員たちは
「お邪魔しますよっと」
「なぁっ!?」
刀を抜いて相手の胴を目掛けて振り抜く。相手もその致死の攻撃に驚愕したが、その後起こったことを認識する前に吹っ飛んで気絶した。【
突然の敵襲に固まる見張りに構うこと無く一直線に閉まっている門へと走る。
「敵襲! 敵襲!」
「門を開けていただけないのなら、自分で開けるだけのこと」
袈裟に刀を振るい、今度こそその刃は相手を切断する。
「己が欲望のために獣に成り下がる、私にも覚えがある。しかし、それを理性で律してこそ人。そう、私は人――未だ人でありましょう」
木製の門が崩れ、酒蔵の内部へと足を踏み入れる。土煙が晴れると、そこには数えるのも億劫になるほどの冒険者たちが待っていた。誰も彼もが目を血走らせ、私をまるで獲物のように見ている。
これが神酒によって狂わされた人間か。
「ノックもせず、訪問の知らせもなく失礼とは思いますが。少しの間、私の相手をお願いします」
あまり楽しめそうな戦いではなさそうだ。暴走した時の私を相手にしていたオッタルの気持ちが少し分かった気がした。獣に人の強さはない。
「何、心配しないでください。骨の一本や二本折れるかもしれませんが、死ぬことはないでしょう、きっと」
息を吸って心を落ち着かせる。相手に脅威はまったく感じないので、ここは修練のつもりで相手をしようと思った。せっかく大人数で掛かってきてくれるのだ、どれだけ周りの情報を感じ取ることができるのか試させてもらおう。
正眼に構え、感覚を集中させるのではなく拡散させていく。胸に針が刺さったような痛みが走ったが無視する。神経を空間に張り巡らせるように、己という存在を外へと向ける。
「うぉおおおおおおおおおおおお!!!!」
「ヘスティア・ファミリア、アゼル・バーナム。推して参るっ」
突進してくる第一波を前に、臆することなく一歩踏み出す。
■■■■
「はぁっはぁっ、はぁっ!!」
少女は走る。息を吸う度に肺が悲鳴をあげながら空気を吸い込み、そして吐き出す。限界だ、もう止まれと本能が告げる。それでも少女は止まらない。
「なんでっ、なんでですか!!」
穢れている。汚れている。間違っている。
どれだけ考えても、否、少女は考えれば考えるほど自分という存在が価値のないものに思えてきた。生まれたその時から、少女は暗闇の底に浸かっていた。
神酒のために何でもする両親は、当然それを年端もいかない娘にも求めた。娘の稼いだなけなしの金を奪い、持って返ってくるものは僅かな神酒のみ。愛情など皆無、親心など感じたこともなく、少女はただ己の運命を呪った。
何故、自分は生まれたのか。
そんな少女に両親は神酒を一滴飲ませた。喚いている我が子が鬱陶しかったからしたことだったが、効果は覿面だった。少女もまた酒に取り憑かれ、酒を求める餓鬼と成り下がった。
もう抜け出せないというのなら、利用するまでだ。
両親と違い、少女は酒に取り憑かれながらも周囲を利用するくらいには頭が働いた。身体の小さい自分が、どうすれば稼ぐことができるか考えた。利用するしかない、自分で稼げないのであれば誰かに稼いでもらうしかない。
そして、最後にそれを自分が奪い取る。殺してでも、殺さなければ自分が殺される。
都合が良いことに、ダンジョンでは人死など日常茶飯事だった。罠に嵌めるまでもなく、モンスターをおびき寄せて殺させれば証拠も残らない。利用した相手だって最後に自分を斬り捨てるつもりだったのだ。自分が斬り捨てて、何が悪い。
心が血を流した。でも、生きるためには必要だった。
やがて両親は死んだ。自分のように誰かに利用され死んだのだろうと少女は思った。涙など流れない、悲しみなどなく、ただ隣人が死んだような感覚が少女に残った。
少女は罪を重ねていく。少女には姿を変える《魔法》があったので、捕まることはなかった。
「私は、ベル様を不幸にしてしまうのにっ」
そんな時だった、いつもと同じように冒険者を利用してやろうと思ってある少年に近付いたのは。白髪の少年の瞳は人を疑うということを知らぬ純真さを映し出し、底抜けなお人好しで、馬鹿なのではないかという程夢見がちだった。
心が痛んだ、だがそれだけだ。少年は少女を信頼していた、だから痛みはいつもより突き刺さった。だが、それだけだ。
今更生き方を変えた所で、自分が汚れていることに変わりはない。
だが、少年は少女に手を差し伸べた。彼女が必要であると、一緒にいたいと、死んでほしくないと、少年は少女の手を握った。
傍に居て良いのだと少年は言ってくれた。
「私は、誰にも必要とされてないはずだったのにっ」
少年という光のもと、少女の影は濃くなる。少年の純真さを見る度に、自分の犯してきた罪に苛まれた。こんな自分が少年の近くにいて良い訳がない。しかし、一度縋ってしまったら最後、離れることができなくなっていた。
少年の傍にいることが余りにも心地良く、必要とされることが余りにも嬉しくて。
「私が、誰かの力になれるはずなんてないのにっ」
だから、今回昔の仲間に連れ去られたことは幸運だったのだ。自分では離れることができなくなっていたところを引き剥がされた。縛られ閉じ込められ、ここで死ねばもう縋ることもない。
最後に見たのは少年の幼馴染の剣士だった。彼は少女の叫びを聞いて、それが嘘であると知りつつも言うとおりにしてくれた。少女を必要としない彼だったからこそ、少女は漸く終われる。
引き止めてほしかったのか、そうでなかったのか少女にはもう分からない。ただ、最後まで誰かを利用したことが度し難く嫌だった。見逃してもらったのに、見逃した彼は批難される。
だが、もうこれで終わりだ。この薄汚い牢で自分は朽ち果てる。もう終わりたい、少女は確かにそう思った。
幸せだった。少年に救われてから、今まで生きてきた時間と比べれば短い間だったが、光の中少女は幸せな時間を過ごした。必要としてくれる相手に尽くし、笑いかけられ、自分も笑った。
自分には相応しくない幸福を少女は享受した。
こんな自分を必要としてくれて、こんな自分に笑いかけてくれて。たくさんの幸せを貰ったのに、自分は少年を不幸にすることしかできない。だから、自分はいらないのだ、間違っていたのだ、穢れていたのだ。
少年の傍にいる資格なんて、少女にはなかった。そのはずなのに。
『君が必要だ!』
その声が、その言葉が彼女の心に響いた。
『お願いだ、ボク達を――――ベル君を助けてくれ!!』
心に火が灯る。今まで考えていたことなどどこへいってしまったのか、終わりたいと思っていた感情は暗い牢に置き去りとなった。今、少女の心にあったのは一人の少年に対する熱い想い。
必要とされている、待っていてくれている、戻ってくると信じてくれている。自分が傷付け、傷付いたのに自分のことを心配して助けてくれた少年が、今も尚少女のことを待っている。
そう思うだけで、少女の足は前へと進んでいた。
「私は、ベル様の傍になんていちゃいけないのにっ」
悲劇のヒロインを演じたかったわけじゃない、助けに来てくれるなんて期待もしていなかった。つい今さっきまで来て欲しいとも思っていなかった。自分は少年の期待を裏切って彼から離れたのだから、追ってこないだろうと思っていた。
だが、来てしまった。本人ではなかったが、少年の意志を引き継いで仲間達がやってきた。圧倒的な戦力差を前に臆すること無く、後先のことを考えず、ただ自分を助けるためだけにやってきた。
「なのに、なのにッ!」
涙が流れた。嘘を吐いていた。ずっと嘘を吐いていた。
自分は相応しくないと、相応しいわけがないと。罪を重ね、卑怯で臆病な自分が少年の隣にいていいわけがないと。
自分自身に少女は嘘を吐き続けていた。
「私は、リリルカ・アーデは!」
その嘘を吐く度に心が痛んだ。自分を騙そうとして吐いている嘘だったが、少年に対する想いは強すぎて騙せる訳もなかった。それでも、騙そうとし続けた。
『帰ってこないとベル君はボクのものだぞ! それでいいのか君は!?』
女神の言葉が、彼女に素直になれと叱りつけた。
良いわけがない。そんなこと望んでない、そんなもの見たくもない。少年の隣に他の女性が恋人のように寄り添っている光景なんて嫌だ。
『別にいいんだぞ!? 君が帰ってこなければホームはボクとベル君の愛の巣だ! どうだ、まいったか!!』
若干一名忘れていることを指摘した者はいなかった。長期間帰ってこないこともあるのであながち間違いでもない。
少女は歯を食いしばって耐えた。
『ずっとイチャイチャしてやる! もう周りが砂糖を吐くくらいイチャイチャしてやるぞ!』
うるさいと言い返したかった。しかし、ここで言い返してしまったらもう耐えられない。こみ上げてきた感情を抑えることはできない。
『悔しいだろ!? 嫌だろ!? 言い返せよ、いつもみたいに!! くっつくな、威厳を見せろって!!』
手を差し伸べてくれるのは少年だけではなかった。女神は少女を呼んでいた。こっちへ来い、こっちで喧嘩をしようと。一人では喧嘩もできないから、君が必要だと叫んでいる。
『立てよリリルカ・アーデ!! 君の想いはそんなものか!?』
女神は大きく息を吸って、今まで一番大きな声で言い放った。
『戦え、リリルカ・アーデ!!! ボク達が、ベル君が必要としている、他でもない君のために、立ち上がれ!!』
戦う、他の誰でもない自分のために。
走る、他の誰でもない自分の足で。
叫ぶ、他の誰でもない自分の想いを。
「ベル様が、大好きです!!!!」
言葉にしてしまえばそれだけのこと。少年を目の前にしなければこんなにも簡単に口から出せる言葉。しかし、その想いが少女の――リリルカ・アーデの身体を衝き動かす。
「ヘスティア様になんか、絶対、絶対、絶対!!」
涙が流れる。しかし、少女は笑っていた。
「負けません!!」
リリルカ・アーデは走る。ベルと一緒にいたいという自分のために、自分の本当の想いのために、彼女は戦う。今まで間違った生き方をしてきた、汚れた生き方をしてきた。それでも、やはり自分はあの少年に恋をしているのだ。
その感情を失くすことなんて、どうやったってできない。だから、戦え。自分の罪と向き合え。
「家出娘確保、と言ったところですかね」
「うなぁぁぁぁぁ!?」
丁度十字に廊下が交差する場所に差し掛かったリリを、横合いから豪速で誰かが掻っ攫う。突然のこと過ぎて、目を回しながらもこんなことをする人間にリリは心当たりがあった。
決別の時は、すぐそこまで来ている。
■■■■
『ベル様が、大好きです!!!!』
「随分恥ずかしいことを叫んでますね、彼女は」
雪崩のように押し寄せていた敵も既にその数を半分にまで減らしている。それでも尚個人個人の勢いは戦闘開始時とそれほど変わらない。策もなく、技もない特攻を繰り返すばかりの相手に辟易しながらも私は走り回ってできるだけ多くの敵を引きつけていた。
壁を破壊して建物の中を突っ切ろうと思って足を踏み入れたのだが、目的としていなかったリリの近くに辿り着いてしまったらしい。
「回り込め、室内なら挟み撃ちにできる!!」
「仕方ない」
流石に声が聞こえる範囲にいながら見逃すことはできない。さっさと助けてこのつまらない戦いを終わらせようと私は走り出す。同時に外から私を追っていた冒険者たちも室内へと侵入する。
壁を蹴ったり走ったりしながら肉壁となっている冒険者達を越えていく。幸い彼等は私達の目的であるリリが近くにいることに気が付いていないのか、私を追いかけるだけだ。
何度か廊下を曲がり、近付いてくる足音を聞き取る。
「家出娘確保、と言ったところですかね」
「うなぁぁぁぁぁ!?」
廊下が交差する地点で丁度良くリリと鉢合わせになったので脇に抱えるようにして持ち上げる。目を白黒させながら、リリは私を見上げて睨んだ。その瞳からは涙が流れていた。
「おや、リリが泣いているのを見れる日が来るとは」
「アゼル様ぁ!」
自分が捕獲、もとい保護されたことを認識した彼女は暴れ始めた。しかし抵抗むなしく私の腕から逃れることはできない。力が違いすぎる。
「離してください!」
「ダメですよ。まあ、本当は私自身が助けるつもりはなかったんですが、ここで貴方を放っておいたらヘスティア様に怒鳴られます」
後ろから怒声とともに追いかけてくる冒険者達から逃げながら、これからどうやってヘスティア様と合流するか思案する。一人でこの場を去っては他の人員は永遠とリリを探す羽目になる。
「行かせてください、リリは」
「二度目はありませんよ、流石に」
「違います、今回は違うのです!」
懇願されるのは二度目だったが、あの時とは声の覇気が違った。前回は力のない今にも泣きそうな声だったが、今回は違った。覚悟が決まった、支える者ではなく戦う者の声がした。
「もう私は逃げない、自分から目を背けない! 資格なんてどうだっていい、罪があったって構いません、許されなくたっていい」
彼女の声を聞いて分かった。彼女はもう誰かに救われた。救われたからこそここまで走ってきた。その小さな身体で、その弱い力で、すり減らしてきた心で、ただ自分の想いを糧に走ってきた。
「私は、ベル様の傍にいたい!」
声が響く。誰もが変わっていく、変わらずにはいられない。ベルという少年に関わってしまったら最後、心が動かないわけがない。純粋故にベルは相対した者をそのまま写し返す。
「私は戦うんです!! だから、行かせてください!!」
追いかけてくる冒険者達に負けないくらいの声を出したリリは、今まで走ってきた分も肩を激しく上下させて荒い呼吸をした。もう力が入らないだろう身体に鞭を打ちここまできた彼女に体力など残っていないだろう。
しかし、彼女はそれでも戦うのだ。
「ふふ、そうですか」
「んな、ここまで言わせて離さないおつもりですか!? この鬼畜!」
「酷い言われようですね」
一層足に力を込めて走る。音を置き去りにし、風を斬りながら、地についた足は床を踏みに抜く程速度を出す。
「お急ぎのようですし、私が連れて行って差し上げましょう。さあ、目的地はどこですか?」
「――上です!!」
「了解です」
そして跳び上がる。
「ちょ、アゼル様!?」
「これなら階段を見つける手間も省けます」
そして天井を斬り裂きながら上の階へと突貫する。廊下が入り組んでいた一階と違い、二階は広い廊下の両脇に部屋がある設計のようで、私が出たのは丁度廊下の真ん中だった。
「もうっ、本当にアゼル様は滅茶苦茶ですね!! そのまま真っ直ぐです!」
リリの案内のもと走り出す。
未だ追いついてこない冒険者達と鑑みるに彼等は律儀に階段を使って二階へと来ているのだろう。リリがどこを目指しているのか私は知らないが、一度見逃した私が彼女を連れているというのもまた数奇な運命だ。
渡り廊下に足を踏み入れる。窓から外を確認すると地上ではヴェルフや命さん、鈴音やナァーザさんがヘスティア様を中心に敵を迎え撃っていた。
そんな時だった、窓を突き破って一人の男が乱入してきた。
「おおおぉぉぉぉ!!」
飛び込むと同時に片手剣をあらん限りの力で振り抜いてくる。
「遅い」
最小限の動きでその刃を避け、男と交差した後立ち止まる。息を荒くしながら男は私を睨みつけてくる。腕の中のリリが一瞬身体を震わせ縮みこむ。
「それを返してもらおうか【
それ、と言いながらその男はリリを指差す。
「こんなことをしでかしたお前達には然るべき罰を与える。だが、それを返すなら少しくらい罰を軽くしてやってもいいぞ?」
薄い笑みを見せながらその男は己の勝利を確信していたのだろう。何しろ、私達にはソーマ・ファミリアを攻撃する大義名分がない。リリはヘスティア・ファミリアの団員ではないのだ。
しかし、そんなことヘスティア様は百も承知だ。私はリリを地面へと下ろす。
「リリ、行ってください」
「でも」
「ここは私に任せてください」
見上げる彼女の頭を撫でる。
「貴女を救うのはベルでもヘスティア様でも、ましてや私でもない。貴女を救うのは、貴女自身だったんですね」
「アゼル様……」
「さあ、行きなさい。ここからは貴女一人の戦いだ」
リリは一度涙を腕で拭うと、強い意志を感じさせる表情で私に言った。
「行ってきます!」
「待てぇ!!」
走り出すリリを追うように斬り込んできた男の片手剣に向けて一閃。金属同士がぶつかる音は鳴らず、甲高い鈴のような音が響く。何の抵抗もなく片手剣は破壊された。
「貴様ぁぁ!! 私の邪魔をするなぁ!!」
「無粋ですね、貴方は」
武器をなくした男は跳び下がると憤怒の表情で私を睨んでくる。男の後ろから私を追っていた冒険者達が追いついてきた。男は再び勝ち誇った表情をする。
「そこを退け【剣鬼】、この人数相手に立ち向かう気か?」
「本当に、無粋ですね。欲しい物があるなら、自らの手で勝ち取ってみてはどうですか?」
「欲しい物こそ手段を選んでいる暇はない」
間髪を容れずに返ってきた答えに、そういう考えもあるだろうと私は少し感心した。しかし、やはり本当に欲しい物なら自分で手に入れるのが道理だろう。自らの望みを他人に任せては意味がない。
手に入れることと同じくらい、その過程も大切だ。例え上辺に見える部分が積み重ねの結果だけだとしても、その積み重ねてきたものにこそ価値がある。
「まあ、貴方に語ったところで意味はないか」
「時間稼ぎか? 流石の【剣鬼】も数の暴力には勝てなかろう」
「さて、それは終わってからのお楽しみということで」
そう言ったものの、勝敗など分かりきっている。どれだけ人数を集めようと、どれだけ策を弄そうと、獣に負ける気はさらさらない。
「少女が己がために戦場へと赴こうとしているのです。ここから先は戦士にだけ許される領域。酒に取り憑かれた餓鬼如きが踏み込んでいい場所ではない」
己の最奥から力を引き出す。脈打つ度に心臓に痛みが走り、身体から何かが漏れ出す。 自分たちが得体の知れない何かと対峙したことに漸く気付いた冒険者達は恐れを露わにしていた。未だ酒に取り憑かれ憤怒に染まっているのは先頭の男だけだった。
「それでも進みたいと言うなら――私を倒してからにしてもらいましょう」
■■■■
白濁とした意識の中を漂う。感覚も、記憶も、感情もすべてが濁った意識に染められていく。ゆったりとした微睡みのような感覚に囚われながらも、激しい快感が身体の中を駆け巡る。
ただ一滴で人を豹変させるその液体は、一口飲んだだけ身体に力が入らないほど人を蕩けさせる。
「――――ぁ、ぁぁ」
アゼルの助けもあり、妨害されることなくリリは主神であるソーマのいる部屋まで辿り着いた。激しく開けられた扉に驚くこと無く、ソーマは無感情な瞳で転がり込んできたリリを見つめた。
リリは戦いを止めるように懇願した。自分はベルのもとへ行きたいのだと言った。しかし、ソーマは聞く耳を持たなかった。
――酒に溺れる子供達の声は……薄っぺらい
――この神酒を飲んで同じことが言えたなら、聞いてやろう
そう言ってソーマは盃に神酒を注ぎリリに差し出した。かつて自分がそれを飲み、魅了されおかしくなった当時の記憶が蘇ったが、リリは恐れること無くそれを飲んだ。そうするしかないのなら、恐れてはいけない。
臆することは、心の敗北だ。
「――ぃ、や」
だが、どれだけ覚悟を決めようと、どれだけ強い想いがあろうと、その快楽は抗い難い。ずっと身を委ねていたいと思わせる魔力が宿り、そのためなら何でもしたいと思わせるほど魅了される。
紛うことなくそれは神の作り給うた酒。
「ぁ、は」
笑みが溢れた。その代えがたい多幸感に精神が汚染された。身体だけではない、心までもがその酒を望んでいた。もう一口、もう一口欲しいともう一人の自分が囁いていた。その声が次第に大きくなっていき、濁った意識は闇へと堕ちていく。
だが、その直前、すべてが終わってしまおうとしていた瞬間、彼女は思い出した。
それは、誰かの声。救いたいと、少年は言った。
それは、誰かの手。一緒に行こうと、少年は手を握った。
それは、誰かの温もり。彼女だから助けるのだと、少年は抱きしめた。
それは、誰かの笑顔。冒険をしようと、少年は笑った。
それは、誰かの想い。戦おうと、少年は決心した。
ああ、そうだ。自分は彼に恋をしたのだと、少女は思い出す。すべてが飲み込まれ、すべてが終わってしまおうとしていたが、それだけは終わらない、それだけは消せない。
「…………止めて、ください」
心が色を取り戻していく。出会ってからまだ数ヶ月、生きてきた時間に比べればそれは短い時間だ。しかし、それまで生きてきた時間より大切な思い出は奥底から溢れ出てくる。特別なことじゃなくてもいい、ただ話をした、それだけでも彼女にとっては幸せな記憶だった。
「戦いを、止めてください!!」
だから、少女は戦う。その記憶を無くさないため、その記憶を積み重ねていくため。
「なっ……!」
試練を与えたソーマは驚愕した。
目の前の少女は、神酒の魔力を跳ね除けた。なんの力もない、涙を流し想いを叫ぶことしかできない少女が、万人を虜にする魅了を破った。
「リリは、あの人達を助けたい!!」
少女は叫ぶ、泣きじゃくるように叫ぶ。
「たくさん間違えた、たくさん汚れた、たくさん穢した!! それでも、リリはあの人達と、ベル様と一緒にいたい!!」
少女は自らの罪と向き合う。今までしてきた非道を自ら認めながらも、自分が許されないことをしてきたと自覚しながらも、彼女は光を求めた。近付くと自分の影が濃くなると分かりながらも、彼女は手を伸ばした。
だって、もう忘れることはできない。
ベルの声が聞きたい。ベルの手が握りたい。ベルの温もりを感じたい。ベルの笑顔を見たい――ベルと共に戦いたい。
白く濁っていた心が、色づく。すべてが覆され、違う色に染まっていく。染まりかけているのなら、その上からまた染めてやればいいだけのこと。何度だって、何度だって、その想いが続く限り――リリルカ・アーデは立ち上がれる。
「こんなものっ!」
リリは跳ね上がるように立ち上がり、ソーマに駆け寄り神酒の入っている白い酒瓶を奪い取った。リリの奇行に驚いて動くことのできなかったソーマは、続くリリの行動に更に驚く。
「んぐ、んぐ、んぐ、ぷはぁ!」
リリは神酒を酒瓶から直接飲んだ。それはもういい飲みっぷりだった。そして飲み終わると酒瓶を地面に叩きつけた。幸いソーマが特注で作らせた酒瓶は頑丈だった故割れずに部屋の隅まで転がる程度で済んだ。
「リリは、ベル様が大好きなんです!!!」
何故それを自分に言う、とソーマは言いたかった。普段であれば言ったかもしれない。しかし、その時の驚愕、その時の感動、その時の興奮が彼にそうさせなかった。目の前のちっぽけな少女が、ソーマの目には輝いて見えた。
「何度だって言います、何度だって飲みます、この部屋にある酒をすべて飲み干したってリリの想いは折れません――――戦いを、止めてください!!」
息を荒げながらリリは叫んだ。しかし、その直後地面へと倒れ込む。一気に酒を飲みすぎて異常をきたしたのだ。
「とめて……ください」
それでも、彼女はうわ言のようにそう言い続ける。あるかもわからない意識に強くしがみつきながら、彼女は心の支えとなっている少年の名前を呼ぶ。
「ベル、様」
「……お前の願い、聞き届けよう」
ソーマはゆっくりと動き出し、そして部屋のバルコニーへと出る。目下ではソーマ・ファミリアの団員がリリを助けにきたヘスティアやヴェルフ、命と戦っている最中だった。ソーマはそんなことにすら気付かず酒のことばかり考えていた自分に少し驚いた。
ソーマは適当にあった酒瓶を手にとって、外へと放り投げる。地面にぶちあたり、酒瓶は砕け全員の視線がソーマへと向けられる。
「戦いを止めろ」
たった一言、バルコニーから投げかけられたその言葉を聞き冒険者達は主神を見上げて動きを止めた。それだけその光景は異常だった。皆が皆、ソーマが酒のこと以外で動いた場面を初めて見たのだ。
争いが静まったことを確認したソーマは再び室内へと戻る。
「リリ、大丈夫ですか?」
「うぅぅ、ぉぇ」
「吐かないでくださいね」
そこにはリリを迎えに来たアゼルがいた。アゼルは戻ってきたソーマを見て挨拶をした。
「こんにちは、うちのリリがお世話になったようで」
「……」
「ああ、後すみません。お酒少し飲んじゃいました。前々から神酒のことが気になっていて。店だと高すぎて手が出ませんし、あれも本物ではないらしいですし」
「飲んだのか?」
「ええ、少しだけですが。美味しかったですよ」
美味しかった、そう言われてソーマは少し嬉しかった。神酒を飲んでも魅了されていない目の前の人間が誰なのか、気にはなったがどうでもよかった。自分の作った酒を美味いと言って飲んでくれる人がいる、それでいいんじゃないかとソーマは思った。
「その少女を連れて行くのか?」
「いえ、しばらくすればヘスティア様も来るでしょう。それまではここにいますよ」
「そうか……」
ゆっくりとソーマは棚から新たな酒瓶と盃を二つ取り出す。それをアゼルの前まで持っていき酒を注ぐ。
「なら、それまで飲んでいけ」
「敵対しているんですが……せっかくですし、一献いただきましょう」
唸り声をあげながら寝転がるリリの横にアゼルは座り込む。差し出された盃を受け取り、注がれた神酒の美しい水面を眺めた。
「美し過ぎるものも、美味過ぎるものも、強すぎるものも、どんなものも行き過ぎると総じて災いを呼ぶんでしょうね」
アゼルは盃に口を付けて神酒を飲んだ。ソーマはその光景をただ眺めた。少女が一度飲まれかけ、しかし最後の最後踏みとどまり神酒の魔力を跳ね除けた。だが、目の前の男は違う。魅了される素振りすら見せない。
「ふぅ……」
アゼルはその美味しさに溜息を漏らした。だが、それだけだった。盃を地面に下ろすと、酒瓶を手に取りソーマの盃へと酒を注いだ。
「私は狂いませんよ、もう狂ってますから」
「なる、ほど」
そう言われソーマは目の前の男が自分と同じ類の存在だと理解した。酒以外に狂えないソーマと同じように、目の前の男にはもう何かその命を捧げたものがあるのだ。神のように無限の時間があるわけでもないのに、その短い生をたった一つのものに捧げる人がいるとは。
人の子の業も深い、そう想いながらソーマは盃を傾けた。そして、そんなことも知らなかった、人を見ようともしていなかった自分を神は情けなく思った。
閲覧ありがとうございました。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。
ここらへんは時々原作と殆ど変わりはないので自分の中でも書かなくてもよかったのでは、と思ったりしますがヘスティア様の変化とか書きたかったので書きました。うーん、正直必要な話ではないですけど色々書きたい部分があったのが本音です。「ここは俺にまかせて先にいけ」みたいなの書いてみたかったんです。