剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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気がつけばクリスマスイブ……まあ、魔神柱倒すしかやることないですが!


己が為、鍛冶師は力を欲す

 左から来た冒険者の一撃を斜め前に避けながら一閃。右から放たれた弓矢を振り向かずに腕だけ動かして叩き落とす。前方から襲いかかってこようとする敵に腕を振るい炎を飛ばして牽制。その戦いぶりは正に獅子奮迅。レベル1の冒険者がする動きではなかった。

 動きは然程速くない、しかし敵の攻撃を尽く先回りするかのように避け、カウンターで刃を振るう。膂力もそれほどではなく、一撃一撃は敵を倒せる威力がない。しかし、何度も避けられ反撃されれば相手もそう安々と攻撃してこなくなる。

 

「くそ、こいつ背中に目でも付いてんのか!?」

 

 冒険者の一人が叫ぶ。そして周りの仲間達もそれに同意するように鈴音を睨んだ。普段の鈴音であればその視線に怯えているところだが、今の鈴音にはアゼルが付いている。傍にいなくとも、その心の中にはいつもあの剣士がいる。

 だから、戦える。

 

 鈴音は静かに納刀、緩やかに抜刀の構えへと至る。その動きを彼等は余裕の表れと受け取った。しかし、実際のところそれは違う。

 扉の防衛戦が始まって十数分が経つ。

 

「はあっ、はあっ」

 

 忍穂鈴音の体力はもう既に限界が近付いていた。元々体力のある方ではなかった鈴音だが、今回の戦闘では身体を動かす以外にも多大な負担を抱えていた。

 鈴音は次の攻撃に備えて落ち着くために深呼吸をする。

 

(次、行くよ)

 

 鈴音は語りかけるようにして首に掛けた勾玉に意識を向けた。勾玉が答えるように僅かに光る。一度目を閉じて、開く。脳裏に自分の周囲の景色が映し出される。

 

「くそっ、女一人相手に手こずってられるかぁ!!」

「隙を見て援護射撃だ!」

 

 十一時の方向から剣士が二人、二時の方向にいる魔道士が詠唱を開始、正面の射手が矢を番えて機会を伺っている。その、すべてが見えた。言うなれば鳥の視点、神の視点、真上から自分を眺めているような風景だ。

 

「うらぁっ!」

「やぁっ!」

 

 並んで向ってきていた剣士が、それぞれ左右へと展開し挟み撃ちを試みる。鈴音はより早く自分に到達する方、右から向ってくる剣士に意識を割く。その最中も周りを見る視界は消えない。

 自分の攻撃範囲に入った瞬間、鈴音は抜刀。相手もその攻撃を察知して急停止して避けた。返し刀で左から斬りかかってくる敵の剣を弾く。

 

「ちょこまかとぉ!」

 

 後ろから鋭い振り下ろしが鈴音を襲う。しかし、彼女はそれを一歩横に動くことで事なきを得る。真横を刃が通り過ぎる風を感じながら、身体を捻って振り返りながら振り下ろした相手の腕を斬る。

 

 相手は剣を取りこぼし、続けて足払いをしてくる。跳び上がってそれを回避した鈴音にもう一人が両手を使った強烈な横薙ぎを繰り出す。宙にいる鈴音をそれを避けることは叶わず、しかしすかさず刀を盾にして防御を試みる。

 金属同士が強くぶつかり火花が散り、鈴音は吹き飛ばされた。

 

「――うっ」

 

 何とか吹き飛ばされながら姿勢を制御して着地。しかし、勢いを殺しきれず数M(メドル)地面を滑るようにして後退させられる。顔を上げて再び前進、同時に飛んできた矢を弾く。射手はそのタイミングで防がれるとは思っていなかったのか驚愕した。しかし、続いて二射三射と続けざまに矢を射る。

 本来真正面から飛んでくる矢は遠近感が捉えにくく回避は難しいのだが、鈴音は難なくそれを避けながら射手へと向って走る。しかし、射手は焦らない。鈴音は一人だが、射手には仲間がいる。

 

「【凍てつく息(フロス・ウィスパ)】」

「【一途に燃ゆる(カグヅチ)】」

 

 横合いから襲ってきた氷の弾丸を見向きもせず腕の一振りで炎を放出して相殺した。その最中も射手は狙撃を止めないが、どれも弾かれたり避けられたりと止めることができない。

 

「させるかよぉ!!」

「そこまでだっ!」

 

 再度、剣士二人が左右から剣を振り下ろして鈴音の進路を阻んだ。

 これ以上は近付けないと判断した鈴音は大きく後退し、扉の前、元いた位置に戻った。

 

「ちっ」

 

 その戦闘を眺めていたダフネが舌打ちをする。相手の動きはレベル1に相応しいものだ。特別速いわけでもなければ、凄まじい技の練度というわけでもない。敢えて感想を言うなら、平凡。

 しかし、背後からの攻撃を見向きもせず避け、真正面から飛んでくる矢を弾く。視野が広いとかそういう問題ではない。何かしら絡繰りがあることにダフネはすぐ気が付いた。だから、他の団員に戦わせて様子を伺っていた。

 そして辿り着いた答えは、鈴音には正面を向いている二つの目以外に、戦場を見ている第三の目があるという結論だった。

 

(まだ、いける)

 

 敵から距離をとった鈴音は少しばかり緊張を緩ませた。その直後彼女に疲労が一気に押し寄せた。脚から力が抜け危うく倒れそうになるが、何とか持ちこたえる。

 

(でも、きつい)

 

 ダフネの予想は的中していた。

 鈴音の自分の二つの眼以外に視界を得る方法がある。とは言ったもののそれは視界を得るという効果の《魔法》ではない。一つの《魔法》、そして一つの《スキル》によって鈴音は第三の目を獲得していた。

 

 【傀儡】という魔法は封じた思念体に人格を宿らせることができる。とは言ったものの、鈴音自身が人格とは何かを詳しく理解しているわけではない。【傀儡】によって宿る人格とは、単純に封じられ身動きの取れなくなった思念体を動かすための機構だ。感情だけの彼等に結晶という器を与え、人格という出力を与える。

 これによって彼女は封じた思念体との対話が可能となった。しかし、彼女の封じる思念体とは主に生前の未練がこの世に残ってしまったものだ。強い憎しみ、強い悲しみ、殆どが負の感情を抱えている。そのまま言うことを聞く思念体は少ない。

 しかし、彼等が鈴音に逆らったり、ましてや身体を乗っ取ろうとすることはない。それが【傀儡師】というスキルの効果だ。自らが封じ人格を与えた思念体に限り、彼女は絶対的な命令権を得る。

 

 こうして、彼女は首から下げている勾玉に封じた思念を任意の場所に飛ばし、視覚を共有することで戦場を見渡す。しかしながら、思念体の動力は鈴音の体力である。それ故に、鈴音は今までこの第三の目を長時間使ったことはなかった。上層のモンスター相手なら使わずとも勝てることも多く、囲まれても五分もかからず倒せる。

 今回の戦闘で彼女は初めて持続的にその力を使った。そして、今までそうしてこなかったことを少しばかり後悔した。日頃からもっと使っていれば体力の消耗にも慣れただろうに、と。

 

「――くっ」

 

 敵が動き出す雰囲気を感じ取り、鈴音は四肢に力をこめた。

 しかし、動き出そうとしていた冒険者達をダフネが手で制した。

 

「ウチが行く。あんたらは下がってて」

「え、いや、でもダフネさん」

「邪魔、足手まとい、というか一人で十分」

 

 仲間に対する物言いではない。しかし、ダフネより冒険者としても団員としても格下の彼等はそれに従うしかなかった。ダフネ以外の冒険者が引き下がり、鈴音とダフネ二人が向き合う。

 

「正直、もう追いつけないだろうしどうでもいいんだけど。ここまでやられると、やり返したくなるのよね」

 

 そして、ダフネは何故か屈み右手で右足を左手で左足を触れた。

 

「それに、アンタなんかちょっとムカつくし」

 

 ダフネには嫌いなものがある。それは、無駄な努力だ。努力が報われるなんていうのは方便でしかない。世の中には報われない努力の方が圧倒的に多い。それを、ダフネは身に沁みるほど理解している。だからこそ、彼女は今アポロン・ファミリアに所属しているのだ。

 逃げても、逃げても、無駄だった。家族と別れた、友人と別れた、それでも逃れることはできなかった。

 

 目の前の鈴音は、勝てない勝負をしている。必死に抗い勝利を得ようとしている。しかし十人相手に長時間戦い勝利することは鈴音には不可能だとダフネは分かっていた。レベル1の冒険者で、少なくとも戦闘に関してはそれほど突出した才能もない。

 そして、ダフネというレベル2の冒険者の前では、無力だ。それを無駄な努力だとダフネは断定した。

 

「私は勝つ、それだけ」

「ちっ、そういうのがムカつくって言ってんの」

 

 まあいいか、とダフネは息を吐いた。どうせ、もう自分の勝利は揺らがないという自信が彼女にはあった。ベル・クラネルとアゼル・バーナムには格上を倒すだけの能力があった。しかし、目の前の少女にはない。特別な何かを感じない。

 ならば――

 

「【吹き荒れる風は誰にも見えず、誰にも捉えられず、ただ走る】」

 

――自分には追いつけない。

 

「【走れ、疾れ、奔れ――赤き風は荒野を駆ける】」

 

 それは彼女の願い、彼女の後悔。誰にも捕まらない風でありたいと願った彼女の《魔法》。逃げたいと思った神から授かった皮肉な《魔法》。

 

「【ラウミュール】!!」

 

 赤い光がまるで炎のようにダフネの足を包んだ。そして次の瞬間――

 

「――遅い」

「っ」

 

 鈴音の真横に移動していた。敵の接近を察知した瞬間、幾度となく身体に馴染ませた居合が放たれる。閃く剣閃がダフネに向かって迫るが、虚空を斬り裂くだけに終わった。

 

「こっちよ」

 

 刃を振り抜いた方向と真逆からダフネの声がした。振り抜くこともできず、鈴音の本能が危険信号を鳴らす。反撃が間に合うはずもなく、回避行動も今からでは遅すぎる。彼女ができたのは攻撃されるということを覚悟するだけだった。

 鈴音に回し蹴りが突き刺さる。数人で攻めてもそれらしい傷を負うことがなかった鈴音は、ダフネの一度の攻撃で扉の前から動かされてしまった。今までの苦労はなんだったのかとアポロン・ファミリアの冒険者達は思った。

 単純なことだ。第三の目があったとしても、捉えられない動きにはどうやっても対応できない。彼女の魔法は、ただ疾く走ることに特化したものだ。だが、速度とはそれだけで脅威となることもある。

 

「くっ、ぐぅっ」

 

 防御することもできず、内臓にまでダメージが通った鈴音は地面に横たわる。一撃で仕留められなかったと分かったダフネは一瞬で鈴音の横まで駆ける。

 

「ねえ、アンタは何でそこまでするの? 勝てないって分かってるのに、ねえ? 馬鹿なの?」

 

 しかし、横で立ち止まり話しかけた。どうせ己の勝利は揺るがないと思っているダフネは鈴音の首を持って持ち上げた。軽い、それがダフネの鈴音に対する第一印象だった。触れてみて、持ち上げてみて再度理解する。

 少女は決して戦闘者ではない。

 

「負け、たくない」

 

 絞り出すようにして鈴音は言葉を発した。か細い声だった、か弱い少女だった。それが余計にダフネの神経を逆撫でる。弱いなら、引っ込んでいればいい。戦うのが怖いのなら、自分に任せていればいい。

 自分の親友に対していつも思うことだった。

 

「あの人に、負けたく、ない」

 

 あの人がどの人なのかダフネには分からない。しかし、それが自分達ではないことは理解できた。鈴音は今この場にいない誰かの為に戦い、今この場にいない誰かに負けない為に戦っている。なんだ、自分はとんだ外野じゃないかとダフネは呆気に取られた。

 

「私は、アゼルに相応しい――」

 

 アゼルを想うだけで、彼の剣閃を思い出すだけで、鈴音の四肢に力が入った。

 ああ、そうだ自分は戦う者ではないと鈴音は自覚している。戦うことが好きではない。でも、アゼルは戦うことでしかその剣を見せない。であるなら、自分も戦わないといけない。彼女の戦う理由なんていうものは、そんなものだ。心の底から、自分から望んで戦場に立っているが、それ以外のやり方があったのならそっちを取っただろう。

 しかし、そんな彼女でも――負けられない戦いというものはある。

 

「――私でありたいっ」

 

――あの人(恋敵)には負けられない

 

 腕を振るい刃を走らせる。しかし、それもダフネにとっては遅すぎた。鈴音を掴んでいた手を放し、難なくその一撃を避けたダフネは振り抜かれた刀に向って蹴りを放つ。

 そして、呆気なく、なんの抵抗もなく刃は砕かれた。

 

「あっそ」

 

 そして、興味のないつまらなそうな声を出す。

 

「ま、ウチには関係ないから――」

 

 破壊された刀を放り捨て、懐に挿していた予備の小太刀を抜いた鈴音に下から掬い上げるように蹴り上げる。抜かれていた刃を再び一撃で砕き、そして顎を蹴り抜いた。

 

「がっ」

 

 蹴りの勢いで浮き上がった鈴音にダフネが追い打ちをかける。実力差は明白、留めを刺さずとも勝利は確実。しかし、これは戦闘である、これは戦争である。残滅せよ、それがアポロンの命令だ。ならば、完膚なきまでに相手を叩きのめす。

 

「――潔く寝てな!」

 

 蹴り上げた足を、次は振り下ろす。レベル2としての力と速度、そして《魔法》によって強化された足が鈴音の後頭部に突き刺さり地面へと激突。

 

「知ってた、世の中って理不尽なのよ?」

 

 ダフネはそれだけ言って鈴音を背にして去っていく。もうどうせ城内に侵入したベル達を追っても意味がないと判断したダフネは迎撃部隊の方の援護に向かうことにした。城内にはヒュアキントスがいる。ヘスティア・ファミリアの戦力も実質はベルとヴェルフのみだ。アゼルは【ステイタス】を封印しているしリリルカ・アーデは所詮サポーターだ。

 放っておいても問題はないだろうというのがダフネの考えだった。

 

 

 

 

 

 

(た……て……)

 

 だから、せめて今回の戦場で勝利を掴もうと思った。リューは負けないだろう、負けることは許されないだろう。アゼルの代わりにリュティと戦うと言った彼女に敗北はない。それは、鈴音にも分かった。リューとアゼルの鍛錬を見ていた鈴音には敗北するリューの姿は浮かばない。

 

(勝ちたいっ)

 

 だが、無理だった。そもそも無茶だった。前よりは強くなったと自分でも分かる。冒険者としても、そして剣客としても以前よりは成熟した。しかし、彼女は英雄などではないのだから道理を曲げることができなかった。

 

(勝ちたいよっ、アゼル)

 

 それでも、愛する人の名を呼ぶ。自分の戦う理由、自分の生きる理由、自分の心臓が脈打つ理由。自分が想いを捧げる、最高の剣士の名を呼ぶ。置いて行かれたくない、その一心で。隣に立ちたい、その一心で。

 

(負けたくないよ、アゼル)

 

 アゼルは鈴音に勝利など求めないだろう。鈴音が己を戦闘者ではないと自覚しているように、アゼルも彼女に戦うことは求めていない。鍛冶師としてアゼルは鈴音を必要している、そんなことは鈴音も分かっている。しかし、これは鈴音の心の問題だ。

 

(力が、欲しい)

 

 アゼルの刃を成す、それだけでも幸せだ。でも、もっと欲しい、もっと見たい、もっと、もっと、もっと――もっと傍にいたい。だから、力が欲しい。誰にも負けない、そんな力でなくても良い。だけど、アゼルの隣にいられるだけの力が欲しい。

 

(嫌だ……)

 

 置いていかれる、それは、それだけは嫌だ。話を聞くだけの自分が嫌だ、一緒に戦えない自分が嫌だ。心を暗い感情が占めていく。急速に、唐突に、叫び出したいほどまでに渇望した。

 

(貴方と一緒に、いたい)

 

 何故、もっと早く出会えなかったのだろうか。運命だったというのなら、何故もっと早く二人を引き合わせてくれなかったのか。もっと前に出会っていれば、追いすがるだけの時間があった。でも、もうアゼルは止まらない。鈴音のペースには合わせてくれない。

 世の中が理不尽であるということなど、鈴音は知っていた。だって、彼女は共に戦えないのに恋敵(リュー)は平然とアゼルと刃を交えている。それが、理不尽だと言わずなんだと言うのだろうか。自分にも、彼女のような力があればと嫉妬した。あんなにも楽しそうに戦うアゼルを自分も見てみたいと嫉妬した。

 清廉潔白などではない。忍穂鈴音という少女はどこにでもいる恋する女性のように、嫉妬に駆られ、愛する誰かの一番でありたいと願う。

 

「ぁ……ぅう」

 

 涙が流れた。悔しいのだろうか、悲しいのだろうか、鈴音は自分の感情が分からなかった。だって、アゼルが自分を愛してくれているのは間違いない。それ以上に何を望み、そして手に入らないからと言って嘆くのか。

 自分でも分からなかったが、その感情が真実であると涙が示していた。

 

 

 

 

――泣かないでください、鈴音

 

 

 

 

 暗闇の中、深淵から何かが話しかけてきた。手を伸ばしもがく鈴音に、誰かが手を伸ばした。姿はない、しかし声は聞こえた。はっきりと、乱れに乱れた精神でもその声だけははっきりと聞こえた。

 

(力が欲しいんですか?)

 

 欲しい、鈴音は力強く願った。

 

(なら、私が手を貸しましょう)

 

 声の出処は自分の胸の内側からだった。胸の中心、脈打つ心臓から送り出される血に乗り、そして全身へとその思念は伝わった。

 地面に横たわりながら鈴音は自分の胸に手をあてた。

 

(でも、私はきっと貴方を壊してしまう)

 

 構わない、続きを言わせずに鈴音は答えた。時間が足りない自分は、他の何かを犠牲にしなければいけない。それは道理だ。それが命であっても心であっても、鈴音に戸惑いはなかった。

 アゼルに近付けるのであれば、なんでも構わない。例え、それが悪魔との契約だって結んだだろう。

 

(ああ、私はきっと貴方のそういう所が好きなんでしょうね)

 

 まるで他人を語るようにその声は自分のことを語った。もしかすると、この声とその主は別の存在なのかもしれない。でも、力を貸してくれるのは、自分を引っ張ってくれるのはいつだってアゼルだ。

 

(では、行きましょうか我等が屍の姫よ)

 

「ぁ、がっ」

 

 心臓が握りつぶされたような痛みが鈴音を襲い、彼女は思わず身体を曲げて肺の中にあった空気をすべて吐き出してしまった。身体中の血管を何かが這い回りその度に内側から破裂するような痛みが走る。

 

(汝が血をもって、我等の依代となれ)

 

 根付いた花が今咲き乱れる。鮮血に染められていく意識の中、鈴音はその者の名前を聞いた。

 

――我が名はホトトギス、剣の頂きに至る者

 

 侵される、アゼルと似て非なるその亡霊に。でも、そこに少しでもアゼルという存在が潜んでいるなら、それはそれで良いのかもしれないと鈴音は思ってしまった。そして、力が手に入るのなら心が蹂躙されても構いはしない。

 アゼルを想うその心は誰にも汚せない。

 

 

 

「――ああ」

 

 

 

 そんなはずはないと、背中越しにその声を聞いてダフネは思った。到底立ち上がれるようなダメージではなかった。ありえない、あのか弱い少女がどうやってあの状態から立ち上がることができる。だから、これは聞き間違えか、少女を助けに来た誰かのはずだ。

 心なしか、口調も変わっている。

 

「この身体は、良く馴染む」

 

 ゆっくりと振り向いた先、ありえないと思っていた光景が広がる。所々破れた血に濡れた衣が風になびく。紫水晶の瞳に黒い髪、外見に変化はそれほどない。だが、少女が醸し出す雰囲気が変貌していた。

 それは、戦いに赴く戦士のそれではない。それは、燃え盛る炉と向き合う鍛冶師のそれでもない。愛する男に囁く乙女のそれでも、ましてや勝利を諦めた敗北者のそれでもない。

 

「魔を封じる少女が霊媒として上質というのも、道理ですかね」

 

 それは、殺戮を求める殺人者のそれ。それは、遥か過去に滅んだ亡霊のそれ。

 

「汝の血は鉄、想いは刃。なればこそ――」

 

 鈴音が口の端から流れていた血を拭い、そして手を前に出す。何かの攻撃の予備動作かとダフネ他冒険者数名は身構える。それだけ異様な光景だ。先程まで戦っていた少女とは似ても似つかない禍々しい空気がその場を支配する。

 

「――汝の運命(さだめ)は果てる時まで鉄を打つこと」

 

 手に付着していた血が角々しく膨張、一気にその体積を増やし棘の生えた赤い棒状に変化した。それに飲み込まれた手を鈴音が強く握ると、罅が走る。

 

「血晶刀工。この身体を炉として、幾星霜の願いをここに実らせよう」

 

 右から左に、鈴音は罅の入った棒を振るった。如何なる方法か、さしたる衝撃が走ったわけでもないのにその一番奥、芯となる部分を残しそれは砕けた。

 

 それは、美しかった。柄にもなく、戦っていたことも忘れてダフネ達はそれに見惚れてしまった。赤い、紅い、血のように朱色の人斬り包丁だった。柄もなく、鍔もなく、刀というにはどこか無骨。例えるならば、やはり人を斬るためだけの刃――人斬り包丁。

 

「――っ、お前ら一斉に行くよ!」

 

 他よりも一拍早く我に返ったダフネが指示を出す。その声で僅かに遅れて我に返った冒険者達が鈴音を包囲し、そしてダフネと同じタイミングで襲いかかる。全方位からの集中攻撃、いくら異様な雰囲気を出そうと身体は一つ、武器も一つ。

 

「無駄です」

「な――ぁ」

 

 だが、その攻撃は失敗に終わる。否、攻撃するまでに至りすらしなかった。

 鈴音は屈んで、地面に流れ落ちた自分の血に触れて再び唱える。

 

「言ったはず――この身は炉であると」

 

 たったそれだけで血溜まりから刃が射出され冒険者達を襲う。詠唱らしい詠唱もなければ、魔力の高まりもなかった。辛うじて避けることができたのは、未だ《魔法》で加速することができたダフネだけだった。

 

「ふむ、しかし脆い」

「何なんだ、アンタッ」

 

 鈴音は自分の身体を確認し、更に傷が増えていることに気が付く。最早自分のことを敵とも思っていないのか気にもしていない鈴音を見てダフネは堪らず叫んでしまった。勝負は決まったはずだった。忍穂鈴音という少女は立ち上がることなどできず、戦争遊戯の勝敗はどうあれその場の戦いは終わったはずだった。

 しかし、これはどういうことだろうか。少女は立ち上がり、そして形勢を逆転させてしまった。摩訶不思議な力で、冒険者としての力でもなければ武器の力でもない何かで勝敗をひっくり返した。

 

「さあ、再び始めよう」

 

 ダフネの声に鈴音は応えない。少女は空を見上げ、そして天に告げる。

 

「す――」

「隙だらけだっつーのよっ!」

 

 ダフネが構えもしないで立ったままの鈴音に肉薄、首を狙った意識を刈り取る回し蹴りを放つ。しかし、驚愕と共に脚は空振り振り抜かれた。驚きで生じた意識の空白に紅い刃が迫る。間一髪でダフネはその一太刀を避けようとするが僅かに斬られる。避けたと思っていたが、先程より剣速が上がっている。

 どこにそんな力が残っていたと思いながら、一歩引いた足を再び前へ。

 

「拙い」

「うるっせぇ!!」

 

 今さっきまで自分にボコボコにされていた少女にそんなことを言われれば怒りも湧く。

 ダフネは縦横無尽に駆けながら拳打と脚技で猛攻。突き出された拳は空気を震わせ、回し蹴りは風を切り、踵落としは大地を陥没させた。しかし、鈴音はそのすべてを身のこなし一つで避けた。

 

「試し斬りをしている内に、自然と強くなってしまった」

「訳分かんねえこと、言ってんじゃねえ!」

 

 前蹴りを放つ、避けられる。右ストレートをフェイントに左の回し蹴り、避けられる。力任せの拳のラッシュ、相手の刀にほぼすべて叩き落される。訳が分からない、しかし怒りでダフネはその困惑を捻じ伏せた。

 鈴音は左右前後、足運びだけで殆どの攻撃を避けていく。

 

「あっ」

「――喰らえっ!」

 

 後ろに一歩下がった時、鈴音は運悪く石に躓き体勢を崩してしまった。ダフネは好機と思い、あらん限りの力で殴り飛ばした。

 

「ぜぇ、はぁっ」

 

 戦闘の疲れだけではない、感情の揺らぎによってダフネは疲労していた。しかし、これで終わりだと思い構えを解いた。

 

「ああ、これが肉の痛みか。久しい感覚だ」

 

 だが、何もなかったかのように鈴音は立ち上がった。殴られた胴を擦りながら、しかしふらつくことなくその両足を大地に付けている。

 

「先程は宣誓を邪魔されてしまいましたから、もう一度言いましょうか」

 

 何が起こっているのかダフネには理解できなかった。だが、彼女の冒険者としての経験が彼女にもう一度構えをとらせた。

 

「すべてを斬り裂く刃を、打ってみせよう」

 

 遥か太古の願いが今また花開く。たった一滴の血が忍穂鈴音という少女の存在を変えてしまった。鍛冶師であったが故に、剣の頂きを目指す方法は刃を打つことの他にない。魔を封ずる一族故に、その血にその妄執を閉じ込め刃を創る。

 それは剣を極め頂きを目指すアゼル・バーナムとは違った可能性。その願いの始まり、鉄を打ち斬ることに取り憑かれた言ってしまえばより原初に近い可能性。

 

 アゼルにはそれを拒むだけの強さがあった。鍛冶ではなく剣で、己の身体ですべてを斬り裂くという願望があった。だからこそ、鍛冶師の亡霊は表に出ることができない。だが、忍穂鈴音は剣に対する拘りは太古の執念に劣った。それに加え刀鍛冶という親和性の高い存在でもあった。

 それ故に乗っ取られた。それ故に剣で斬ることではなく剣を打つことでその願いを果たそうとした。

 

 太古の亡霊、刃に取り憑かれた男の亡霊が再誕した――かのように思えた。

 

 

 

 

――ち……が、う

 

 

 

 

 だが、少女の炎は燃え尽きない。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

鈴音の戦闘をじっくり書くのは初めてですね。
うーん、アゼルくらいぶっ飛んでると書きやすい。
ダフネの魔法は名前は10巻限定版小冊子に乗ってます。効果は、こんなもんだろうなと思いながら書いたオリジナルです。そう言えば、自分で考えた詠唱式はこの作品では初めて公開した気がします。

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