剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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 後程、章管理します。


断章 疾風
ことの始まり


 迫る拳を手の平で受け止める。続いて鋭い回し蹴りによって踵が側頭部を狙ってくるがそちらはもう片方の手で上手いこと受け止める。そのまま相手の踵、そしてふくらはぎを掴み身体を反転させ背負投げのような形で投げ飛ばそうとする。

 しかし、相手も素直にそれを受けるはずもない。

 

「がッ――」

 

 背中に衝撃が走り、予想外故に私の動きは硬直してしまった。リューさんが私に引っ張られながら、崩れた体勢で難なく私の背中を蹴ったのだ。

 掴んでいた踵とふくらはぎの拘束が緩み、その瞬間を逃すことなくリューさんは行動に移った。硬直は一秒にも満たない僅かな間だったとは言え、彼女にとってそれだけあれば十分。しなやかな脚が私の首を後ろから絡め取る。

 動きやすいからと言ってリューさんの戦闘衣は脚を大胆に露出させている。そのため締めるように首に回された脚からふとももの柔らかな肌、激しい運動によって火照っている体温が直に伝わってくる。

 

 直に太ももに触れることなど殆どないだろう。恐らく膝枕をしてもらった時くらいだ。普段であれば少しくらい幸せな気分になっていたかもしれないが、今はそんな場合ではない。

 

「うぐッ」

 

 というより、そんなことを感じている余裕がない。万力の如き力で脚に締め付けられ首が圧迫され血流と酸素が止められる。そして、リューさんが次に取るであろう行動も予測できていた。

 脚の拘束を早く抜け出さなければと思考した瞬間、勢い良く後ろへと引っ張られる。

 

 リューさんは私の頭に後ろから座るような体勢になっている。そしてその状態から彼女は全身をしならせ宙返りの要領で脚で拘束した私ごと地面に脚を叩きつけるつもりだ。このままでは脳天から地面に叩きつけられることになる。流石にそれは嫌なので、手段を選ばず私はその攻撃を阻止することにした。

 私は口を開き、首と頭を締め付けている太ももを――噛んだ。

 

「――ッ!!」

 

 勿論いつもの様に肌を犬歯で破るようなことはしない。少し歯型が残るくらいの強さだ。

 びくりとリューさんの身体が反応したのが分かった。先程の私のように、予想外の反撃に身体を硬直させ、拘束が僅かに緩む。その隙に私は腕の力で脚の拘束から頭を抜く。

 

「よっとっと」

 

 地面へと引っ張られている途中だったので頭を抜いた私は宙に勢い良く投げ出される。空中で体勢を立て直しながら私は着地し、投げ出された勢いが殺しきれずに何歩かよろめいてしまうが、即座に次の攻撃に備える。

 

「ん?」

 

 だが、一向に追撃されることはなかった。疑問に思いリューさんを見てみると、彼女は地面に横たわって自分を抱きしめていた。

 

「はぁっはぁっ」

 

 身体を微かに震わせ、苦しそうに吐息を漏らしていた。まるで、何かに耐えるように表情を強張らせている彼女を見て、私は自分の行動の迂闊さに気付いた。

 横たわるリューさんの元へと近付き、膝を付く。きつく握りしめられた拳に触れて、私は努めて穏やかに彼女に語りかけた。

 

「リューさん、落ち着いてください」

「ア、ゼルッ」

「ほら、息をゆっくり吸って……吐いて、また吸って」

 

 深呼吸をさせてリューさんを落ち着かせていく。抱きしめる力が緩んでいき、表情も少しずつ楽になっていく。握りしめられていた拳も今は解かれ、私の手を優しく握っている。

 

「すみません、軽率でしたね」

「……先程の反撃は、反則です」

「はい」

 

 衝動が去ったのか、リューさんは身体を起こして私を少し睨みながら抗議してきた。

 リューさんは先日の戦争遊戯(ウォーゲーム)で戦ったリュティさんの幻惑魔法に打ち勝つために一つの特殊技術を身に着けた。それは、私のホトトギスとしての能力を元とした自己催眠による狂化だった。発動条件は、私に吸血されたことをイメージすること。戦争遊戯で使用した時は以前私が血を吸った箇所を少し傷付け血を流すことで発動させたらしい。

 それくらいで発動できるのだ、私が噛み付けば発動してしまうのは考えてみれば当たり前だ。恐らく私が噛み付き、その上吸血まですれば自己催眠より私による催眠の方が優先されるので発動はしないだろう。

 

「今日はこれでお終いにしますか」

「……そうですね」

 

 いつもより少し早いが、これからもう一戦するような雰囲気でもない。私達は離れへと戻り僅かに出来た傷を治したり、身支度をすることにした。

 アポロン・ファミリアとの戦争遊戯に勝利してから二日が経つ。一日掛けて戦場であった古城跡から帰還したのが昨日のことだ。鈴音、命、ヴェルフの三人は改宗したとは言えヘスティア・ファミリアには現在住居がないので各々がそれまで住んでいた家へと戻った。リリに関してはそもそもどこに住んでいるのか私は知らないが、彼女もオラリオのどこかにある自分の拠点へと帰った。

 私とヘスティア様、そしてベルは新しいホームとなる元アポロン・ファミリアの所有していた豪邸の近くの宿に泊まった。多額の賠償金を手に入れたからと言ってヘスティア様が宿で一番良い部屋に泊まりたいと言ったこともあり、一晩ではあるが大変快適な睡眠がとれた。

 

 これから新しいホームへと行くことになったのだが、私とヘスティア様は豊穣の女主人亭でお世話になった時の荷物がそのままであったことを思い出し、それを取りに行くことになった。ベルはその間に他のメンバーを迎えに行った。

 ただ荷物を取りに行くのも何なので、私はついでにリューさんの朝稽古に付き合うことにした。今となっては荷物を取りに来ることがついでのような気分だ。

 今朝の稽古内容は武器を持たずに肉体のみでの徒手戦闘だ。本来私はその気になれば血を硬質化させ即席の武器を作ることができるので必要ないと思いつつ、リューさんの申し出を断るほどの理由ではないと結論付けた。

 

「うーむ」

 

 粗方の治療を終わらせ、私は豊穣の女主人亭の離れのシャワー室を借りていた。程よい温度のお湯が稽古でかいた汗を流していく。

 考えることは、やはりと言うべきか刀剣類を使った戦闘と徒手戦闘の練度の違いだ。やる気の差と言っても良い。どうしても、剣を持たないと戦いに対する思い入れが薄れてしまう。元々、戦闘技能とはそれ単体で存在してはいない。剣技の上達とは、他の戦闘技能にも応用できるし、培ってきた戦うこと自体に対する技能、先読みや気配察知等はどんな武器を使っても有効だ。

 であるにも関わらず、やはり私は自覚できてしまうほど二つの戦闘方法に差が生じる。最早剣の間合いではない肉体のみの戦闘に違和感を覚えるほどだ。

 

「この身は剣、か」

 

 己の魂を刃と定めた、己の器を鞘と定めた。それ故に、私という存在は剣に他ならない。それが私の認識である。しかし、これまで存在していた肉体はそう容易くその認識に付いてくるわけがない。本来の用途とは違う、人としての魂を受け入れる器ではなく、冷たい刃金を納める器として必要とされることなど、本来は決してない。

 だが、認識と現実の差も今は徐々に狭まってきている。拳を構えることに違和感を覚えるくらいには、私という存在は剣に近付いてきている。

 

 自覚をすると、途端に感覚が冷えていく。温もりが消え、音が遠ざかり、視界が鈍色に染まっていく。剣士であり剣、剣であり剣士、どちらにしろ私は人ではなくなる。人では到達できない極点を目指すために、人であることを放棄しようとしている。

 感覚を蝕む冷たさが心臓へと食い込もうとする。だが、一際強く脈動した心臓が熱を生み出しそれを跳ね除け、溶かしていく。身体に再び感覚が蘇る、流れる血流、滴る雫の温度、清潔な石鹸の香り、視界が色を取り戻す。

 

 胸に手を当てて心臓の鼓動を感じる。私を縛り付ける【聖痕(スティグマ)】を撫でながら、私が想うのは空色の瞳だった。

 

――貴方を人に繋ぎ止める鎖に私がなりましょう

――貴方の刃を休める鞘に私がなりましょう

 

 声が蘇る、感触が呼び起こされる。私という人間の最後の砦、剣に染まり、剣を求め続ける私を人と定めるたった一つの願い。彼女がいるからこそ、私は未だ私でいれるのかもしれない。

 【聖痕】を私に刻んだのは、もしかしたら神々ではないのかもしれない。

 

 ズキズキと痛みが彼女の存在を私に教える。人の身に余る力を宿し、人の身に余る願いを抱え、それでも人でいることを望まれることへの痛み。身体の内側から突き刺されたかのような痛みは、私が未だ人であるということを示す。

 

「嗚呼、これは中々――重症だ」

 

 今となっては手遅れで、私が執着心を持っている時点で異常だったのだ。

 血が欲しいとか、剣を交えたいとか、そんなことではない。ただ、傍にいて欲しい。傍にいて、触れ合い、そこに彼女がいて、そこに私がいるということを確認したい。

 

「これが、人の弱さなんででしょうか、老師」

 

 リューさんは、弱さを消せる人などいないと言った、私にも弱さはあると信じた。だが、違う、全く違う。()()()の私には弱さはなかったのだ。私は、私一人で完結できていたのだ。私に必要だったのは、剣を執った私と敵だけだった。

 ()()()()()()

 

 心に僅かな恐怖が募る。久しく感じていなかったその感情が思考を加速させていく。

 リュー・リオンという存在を失う事に恐怖を感じた。彼女はもう私には必要不可欠な存在となっていた。剣を執った私と敵、そして彼女が私には必要になっていた。

 リュー・リオンを斬った瞬間、私は人でなくなる。化物となり、その先にこそ私の願う斬撃がある、そう信じてきた。

 

「斬りたく、ないのか……私は」

 

 それは許されない。私が私であるためには斬るしかない。そんなことは分かっている、分かっているのに心がそれを拒み続ける。捻じ伏せろ、踏み潰せ、消し去ってしまえ、そう念じ続けても痛みが増すだけだった。

 できない、この感情を消すことなど叶わない。

 

 痛みこそが存在の証明、痛みこそが生の実感。何かを得た喜びと、それを失った悲しみ、それこそがその何かの価値を示す。であるなら、この身を引き裂くような痛みから導き出される解は分かりきっている。

 恋であるかなど、私には分からない。

 愛であるかなど、私には分からない。

 だが――

 

「――私が、こんなにも誰かを想うことができるなんてね」

 

 顔を上げ、シャワーから流れるお湯を顔に浴びる。自嘲気味に笑いながら、私は己の弱さを知った。滴る雫が床を濡らす。

 弱さを斬り捨てることなどできないと彼女は言った。私はこう答えるしかない、誰がなんと言おうと――私に斬れないものはない、と。

 

 

 

 

 

 ずいぶんと長い間シャワーの中で考え事をしていたのか、私が離れから店の方に戻ると既に朝の営業が始まっていた。

 

「あ、アゼルさん。呼びに行ったのになんで返事してくれなかったんですか? リューが怒ってましたよ」

「少々考え事をしていて、集中しすぎていたようです」

「集中しすぎるのがアゼルさんの悪い癖ってリューが言ってましたよ」

「面目ない」

 

 フロアの方に私が足を踏み入れると注文を聞き終わったシルさんが話しかけてきた。いつもだったら離れの方で他の従業員と共に朝食を摂るのだが、今日はその時間を丸々考え事に使ってしまっていたようだ。

 

「朝ご飯、食べていきますか?」

「ええ、お願いします。朝食の一番上のやつで」

「ぶー、お金取るんですかって驚いてほしかったのにー」

「はは、残念でしたね」

 

 口を尖らせながら文句を言ったシルさんは、その後注文された料理を厨房へと伝えに行った。

 私は、恐らく店内で私のことを待っているであろうヘスティア様を探し、彼女のもとへと足を運ぶ。

 

「お待たせしました」

「まったく遅いぞー、お風呂で寝てしまったのかと思ったじゃないか」

「少し考え事をしていただけですよ。後、すみません。朝食を食べることにしたので、もう少し待ってください」

「んー、じゃあボクも何か飲む物を頼もうかな。おーい、アーニャ君」

 

 ヘスティア様は近くにいたアーニャさんを呼んで紅茶を頼んだ。それから数分、私の朝食と共にヘスティア様の頼んだ紅茶も運ばれてきた。運んできたのはリューさんで、朝食に現れなかった私に何かあったのかと質問してきたので、何もなかったと答えておいた。

 そうですか、と少し安堵した彼女の表情を見て――痛みが脈動した。

 

 

 

「――じゃあ何かい、アンナを売ったっていうのかい!?」

 

 ヘスティア様が紅茶をちびちびと飲み、私も朝食についてきたコーヒーを飲み終えようとしていた時、フロアの一画で一人の女性が大声でそう叫んだ。

 店にいた客も従業員もそちらに視線を向けた。テーブルに座っていたのは夫婦と思しき二人組だった。どこか悲壮感が漂う表情の夫と、今は怒りと驚愕を露わにしている女性だ。

 

「売ったんじゃねえ……取られたんだ」

「同じことじゃないか!! このっ、駄目男! だから賭博なんて止めろって言っていたのに……! 実の娘を質に入れる親が、どこにいるのさぁ!」

 

 女性は両手で顔を覆い、声を上げて泣き出してしまう。

 私とヘスティア様は朝から何やら物騒な話を聞いてしまったとお互いを見た。私はこの場にベルがいなくて良かったと思っていたが、ヘスティア様は恐らくあの二人のことを気の毒に思ったのだろう。

 私も気の毒に思わなくもないが、話の通り男が賭博で負けて娘を取られたというのならそれは自業自得というものだろう。可哀想ではあるが、現実は厳しい。

 

「なに見てやがる! 見世物じゃねえぞ、てめえ等は不味い飯でも食ってろ!!」

「ちょっと、止めなよ!」

 

 周りから注目されていることに気が付いた男が、目を吊り上げて乱暴に立ち上がり逆上した。テーブルの上に負いてあったグラスを鷲掴みし、中に入っていた水を撒き散らした。そして最後に握る力が緩んだのか、振り回した勢いのままグラスが男の手の中から放たれた。

 

「のわっ!」

 

 よりによってヘスティア様を目掛けて。

 

 飛来してくるグラスに驚くヘスティア様を余所に、私は咄嗟に動いていた。冒険者でもない一般男性が投げたグラスは、当然それ相応の速度しか出ない。正直言ってかなり遅かったのでヘスティア様に当たる前に普通に掴めた。

 

「おお、ありがとう、アゼル君」

「いえいえ、当然のことをしたまでですよ」

 

 グラスを投げるつもりなどなかったのだろう、男はやってしまったという表情を浮かべてこちらを見ていたが、私がグラスを止めたのを見て安堵していた。存外小心者のようだ。それくらいなら最初から水を撒き散らすなと言ってやりたかった。

 周りの店員も少しどころか一気にぴりぴりしだしたので、私は穏便に済ませるために男性に近付いた。

 

「まあまあ、一旦落ち着きましょう」

「な、なんだてめえは!?」

「しがない冒険者ですよ。ほら席に付いて、落ち着いて話をしましょう」

「うるせえ!! てめえには関係ねえだろうがっ!」

「あ、あんた」

 

 女性の方は周りの空気が変わったことに気が付いたのか必死に男性を止めようと声をかけていた。

 

「ええ、関係など一切ありません。ただ、できれば朝食は静かに摂りたいじゃあないですか」

「じゃあ、失せればいいだろうが!」

 

 もう料理を頼んでしまったので無理だと言おうとしていたら、男性は私の態度が気に入らなかったのか、更に態度を荒げて私の胸ぐらを掴んできた。心配そうに席を立ち上がったヘスティア様に心配ないと目配りをしておく。

 男性はそれほどまでに追い込まれているのか、息を荒げ、涙を目尻に溜めながら鋭く私を睨めつけてくる。

 

「おうおう、料理にケチを付けて、コップを投げて、その上うちのお客にまで手を出すニャンて……相当地面にチューしたいみたいニャ」

「――はあっ!? ちょっ、待て待て待てぇっ!!!」

 

 私が男性の腕を掴んで再度落ち着くように呼びかけようとするよりも早く、アーニャさんが男性を掴んで――持ち上げていた。そこいらの冒険者より遥かに早いスピードで彼女は男性の横に移動していたのだ。

 女性とは思えない腕力で男性を持ち上げると店の入り口に向って投げようとする。

 

「アーニャさん、その人も一応お客さんですよ。投げちゃだめでしょう」

「無理ニャ、不味い飯なんて言った奴はぽいニャ!!」

「明日の朝稽古にご一緒したいと言っていたとリューさんに伝えておきますね」

「店の外にゴミを捨てるわけにはいかねえニャあ!!」

 

 瞬速の手の平返し。失礼なことを言いつつもアーニャさんは男性を地面に下ろした。危うく店の外まで投げ出されようとなっていた男性は、荒い息のまま助かったことに安堵の息を漏らしていた。

 

「あの、ちょっと物騒なお話が聞こえたんですが……何かあったんですか?」

 

 そこに優しい微笑みを浮かべたシルさんが手を差し伸べていた。男性は一度動転したからか、冷静さを取り戻しシルさんの手を取って立ち上がった。

 

 

 

 

 

 目尻に涙を溜めながら男性、ヒューイ・クレーズは悔しそうに事情を話し始めた。

 発端はヒューイさんが行った賭博だ。遊びだと言ってヒューイさんを誘ったのはファミリアのばらばらのチンピラ冒険者集団だった。遊びのつもりで参加したヒューイさんだったが、彼が負けを溜め始めると冒険者達は対応を豹変させた。もし払えないなら家まで押しかけるとまで言われ、ヒューイさんは最後の大勝負をするはめになった。

 その大勝負にも負け、気が付いた時には返しきれない負債が彼の手元にあった。そして、冒険者達は言った通り今朝家まで押しかけ、夫妻は家から追い出され最愛の娘であるアンナさんは攫われてしまった。

 まったく事情を知らない妻であるカレンさんは事態に当惑し、顔を真っ青にした夫に説明を求めた。そして話をするために豊穣の女主人亭までやってきたらしい。

 

「そのアンナという娘のことを、聞かせてもらっていいですか?」

 

 一通りヒューイが事情を話し終えると隣に立っていたリューさんが質問をした。何故そんな質問をするのか少し疑問に思いながらもヒューイさんはここまでくればすべて話そうと思ったのか、アンナさんについて話し始めた。

 

 夫にとっては自分には勿体無いほどできた娘であり、妻にとっては自分に似て綺麗で気立てがよく少し内気で可憐な少女。西区の花屋で働いており、男神達が求婚するほど整った容姿をしていたらしい。

 男神達が求婚するほどの美少女と聞いて、少しばかり見てみたい気もしたが攫われたとなってはそれも叶わないだろう。むしろその優れた容姿が今回の災いを呼んだようにも私には思えてしまう。

 

 つまり、逆だ。原因と結果の順序が反対という可能性もあるだろう。

 ヒューイさんは、自分が負けたせいでアンナさんが攫われたと思っている。だが、逆に、神に求婚されるほど可憐な少女を手に入れるためにヒューイさんに接触した、という考え方もできる。

 考えたところで、私にはどうしようもないので意味はないのだが。

 

 都市の治安維持に努めているガネーシャ・ファミリアに助けを求めようにも、このような悲劇は有り触れていて一々助けてくれるわけがない。冒険者の関わっている問題ではあるがギルドは中立を決め込むだろう。

 打つ手はないのかと、ヒューイさんが頭を抱えた。

 

「……アストレア・ファミリアがいてくれたら」

 

 あんな綺麗な娘、今頃娼館にでも売り飛ばされてしまっていると嘆いていたカレンさんがぽつりと聞き覚えのあるファミリアの名前を呟いた。私と同様、その場にいる何人かがその名に反応を示す。

 

「おい、やめろよ、もう無くなったファミリアの話を出すのは……」

「でもっ、アストレア様がいてくれたら、きっとこんな私達にも手を差し伸べてくれた筈さ! どうして、優しいファミリアばかりいなくなっちゃうんだ……!」

 

 アストレア・ファミリア。かつてオラリオに存在した、正義の女神を主神とする冒険者集団。ダンジョンの探索にも力を入れながら都市にはびこる悪を裁いてまわっていた彼等は、冒険者達の中でなく一般人にも広く名を知られていた。

 どのような小さな悪であろうと、そこに助けを求める人がいるのなら手を差し伸べる。正しく、暗黒期と言われていた当時においてアストレア・ファミリアは正義の味方だったのだ。

 

 五年前に主神が都市から消え、十一人いた眷属すべてを死亡したとされ無くなったファミリアだ。だが、それは真実ではない。死亡した眷属の人数は十人、主神は都市外へと逃亡しただけであり彼女の恩恵(ファルナ)にはまだ力と共にその志が宿っている。

 リュー・リオンというたった一人の眷属を残してなくなってしまったファミリア――それがアストレア・ファミリアだ。

 

 カレン・クレーズは気付けない、知る由もない。そのたった一人の生き残りが、酒場のウェイトレスとして働いていて、今正に話を聞いているということに。

 

(リューさん)

 

 横を見ると、リューさんは下を向き自分の手を眺めていた。その手はかつて多くの人間の命を刈り取り血に染まった、咎人の手だ。決して落ちることのない罪に濡れた手だ。

 リューさんの事情をしっているシルさんやアーニャさん、店の従業員達は彼女の表情を見るが何も言わない。カウンターの方にいるミアさんもこちらに口を挟まず傍観を決め込んでいる。かくいう私も彼女に何か言うつもりはなかった。

 彼女にとっての正義とは、私にとっての剣のように、誰かに諭されて求めるべきものではない。偽善であると誰かが言うだろう、復讐に駆られた彼女が正義を名乗ることを許さない者もいるだろう。そんなことは彼女も承知の上だ。否、彼女以上にそう思っている者はいないだろう。彼女以上にリュー・リオンという存在を許していない存在はいない。

 だが、それでも誰かを救いたいと願う彼女の心こそが正義だ。

 

 顔を上げた彼女は一度クレーズ夫妻を見た。娘を想い涙を流す妻、己の軽率な行動と賭博にのめりこんでしまった自分を呪うように頭を抱える夫。そこには、救うべき悲しみがあった。

 リューさんは一度瞼を閉じて、握った拳を胸に当てた。数秒後、開かれた空色の瞳は何かを決心したかのように、綺麗な澄んだ色を映し出した。

 

 それを見て私は、美しいと思った。もしかすると、彼女の掲げる正義という心もその瞳に劣らぬ美しさを魅せるのかもしれない。だが、それはきっと隣の芝生は青く見えるだけのことなのだろう。それを持ち得ないからこそ、美しいのかもしれないなどと思うのだろう。

 だって、そうだろう。きっと、リューさんにとって彼女の正義は血に塗れその身に突き刺さる茨のようなものだ。正義に背いた彼女を、彼女の正義は許さない。

 

「さ、ヘスティア様。私たちはお暇しましょうか」

「え、いや、でも」

 

 クレーズ夫妻の事情を聞いて放っておけないと思ったのか、ヘスティア様は店を出ようとする私とクレーズ夫妻を見て、少なくとも今できることはないと思ったのか私に付いてきた。

 

「では、ごちそうさまでした」

「またのご来店をお待ちしてますね!」

 

 出ていく私に元気よく返事をしたのは、シルさんだけだった。

 

「あ、ヘスティア様。なんなら明日の祝賀会をここでやるというのはどうでしょう?」

「んー、ボクは構わないよ」

「じゃあ、そうしましょう。というわけでシルさん、諸々の祝賀会をするので明日の夜の団体予約お願いします」

「はーい、ありがとうございます!」

 

 振り返ることなく、私は店の外へと出た。既に多くの人間が活動を始める時間となり、通りは多くの人間で賑わっていた。

 私達はヘスティア・ファミリアの新しいホームとなる豪邸へと向かった。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言って下さい。

少し分かりにくいかもしれませんが、この話は前話の数時間前の話になります。

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