剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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月夜に見る二つの魂

アゼル・バーナム

Lv.3

力:H 152 → F 324

耐久:H 123 → F 312

器用:F 334 → D 557

敏捷:F 312 → D 501

■■:■■

剣士:G → F

心眼:I → H

《■■》

【■■■】

《スキル》

剣心一如(カルデア・スパーダ)

地這空眺(ヴィデーレ・カエル)

聖痕(スティグマ)

自己体現(アルマレール)

・ 【ステイタス】の更新。

・ 任意発動(アクティブトリガー)

 

 

 

「うーーん……」

 

 更新されたアゼルの【ステイタス】が記された紙を眺めながらヘスティアは頭を悩ませていた。

 大きく成長した基本アビリティ、共に一段回向上した派生アビリティ、相変わらず復活の兆しを見せない魔力と《魔法》、そして新たに発現した《スキル》。

 神でさえ殺すことのできる可能性を秘めた【剣心一如】、弱体化というデメリットと引き換えに成長を促進させる【地這空眺】、拡張する魂に耐えられない器の成長を促しつつ魂の拡張を抑制する【聖痕】。

 戦争遊戯(ウォーゲーム)を経てまた何か増えたのではないかと戦々恐々とアゼルの【ステイタス】を更新したのは昨日、祝賀会の日の午前中のことだった。

 

 案の定、アゼルの背中に刻まれた【ステイタス】には新たなレアスキルが浮かび上がった。しかも、その効果は検証や確認はまだしていないものの、破格の性能と希少性を有しているだろう。

 

 【ステイタス】の更新を可能とする《スキル》なんてもの、ヘスティアは一度も考えたことがなかった。何せ、それは言葉通り()()()()なのだ。【ステイタス】という奇跡の力を冒険者達が享受できるのは神々のおかげだ。

 それが、個人の能力として発現するなど誰が予想できるだろうか。

 

「でも、アゼル君だしなぁ……」

 

 ヘスティアは自分でそう言いながら、それだけで納得して良いものかと悩んだが、これが彼女の率直な意見だったのだ。彼女自身が『最新の神話』と例えたアゼルは、最早神々でさえ何ができるか予想ができない存在になっている。

 それこそが神々を最も喜ばせている要因であるのだが、ヘスティアにとっては最も困っている要因だ。

 

 そもそもアゼルが【ステイタス】取得時から所有していた《スキル》であった【(スパーダ)】が進化する形で発現した【剣心一如】の説明には『神域の剣士』と記されていた。最初こそ、ヘスティアはこの『神域』が剣技に関する記述だと思っていた。だが、恐らくそれは違った。

 『神技を扱う剣士』という意味のみでなく、文字通りその存在を『神域』へと至らせる剣士であるということなのだろう。その身に宿す奇跡は人間には過ぎているが故に【聖痕】が刻まれたが、その【聖痕】はアゼルの可能性を閉ざすものではない。あれは一時的な処置に過ぎず、成長を促すことでやはり自身の消滅を防ぎながら、何処かへ、何かに至るためにある力なのだ。

 

「『我が斬撃に、斬れぬものなし』か」

 

 祝賀会の折、タケミカヅチがラオンとの戦闘の終盤で何やら呟いていたが何と言っていたのか質問した。その答えの一部がヘスティアの呟いた言葉であった。

 ヘスティアはアゼルが何か呟いていたことには気が付かなかった。否、あの時はそんなことを気にしている余裕がなかったのだ。

 

 アゼルのことを心の底から心配していたヘスティアでさえあの斬撃に――――見惚れてしまった。

 

 あれは正しく『我が(アゼルの)斬撃』であった。

 【ステイタス】を封印し、神々の力に頼らず、人として持てるすべてを曝け出し、存在のすべてを賭し、果てには人であることすら投げ捨てた――アゼル・バーナムの輝きだった。

 自分を傷付け血を流しながらも、己の道を貫くアゼルを見てヘスティアは辛く、苦しく、涙が滲むほど悲しかった。だが、それがアゼル・バーナムであると彼女は知っている。そういう生き方しかできず、間違っていると知りながらも突き進み、誰かを傷付けているという事実に苦しみながらも歩みを止めない。

 悲しみと同時に、誇らしさも感じた。あの偉業は誰にでも成せるものではない。あの夢は誰にでも抱けるものではない。道半ばに折れる者もいるだろう、叶うわけがないと夢を捨てる者もいるだろう。だがアゼルは諦めなかった、抱いた夢が自分自身に牙を剥いてもアゼルは向き合った。向き合い、そしてそれを己が物にした。

 

「ボクも、少しだけ見てみたいと思ってしまったよ、悔しいけど」

 

 あの輝きが大きくなればなるほどアゼルという人間を苦しめると知っていても尚、ヘスティアはその先が見てみたいと思ってしまった。それ程までにアゼルの剣は人も神も魅了させる魔力があった。

 人の器から漏れ出すほどの魂の輝きは、蝋燭の明かりに虫が惹かれるように、様々な思惑を引き寄せるだろう。強い力とはそれだけで人の注目を集めてしまうものだ。一部とは言え、神々の御業を扱う程の力を宿すアゼルともなれば、その事実が明らかになった時どれほど注目されるか見当もつかない。

 この先アゼルは多くの危険に遭遇するだろう、時とし自ら飛び込み、時として誰かの策略で巻き込まれ、しかしそのすべてを斬り裂き歩み続けるだろう。

 

「強くなればなるほど死にゆく君を、一番近くで見ていることがボクの主神としてのあり方。だから、君にこの言葉を贈ろう――」

 

 ヘスティアは部屋の窓から夜を照らす月を見上げた。月明かりで顔の陰影が浮かび上がり、その表情を色濃く照らし出す。悲しそうに微笑みながら、彼女もまた一つ強くなっていく。楽しいことばかりではない、辛いことも色々ある、それでも彼女はアゼルの主神であることを辞める気はなかった。

 不甲斐ない神であると自覚している、頼りないということも理解している、それでも自分に本音でぶつかり合ってくれるアゼルのためにも彼女は強くあろうと決めた。遠くに行ってしまったアゼルが、戻ってきた時に抱きしめて迎えてあげられるように、強くあろうと決めた。

 だから、彼の成長を彼女は祝うのだ。

 

「――おめでとう、君はまた一つ強くなった」

 

 そろそろ夕食の時間だろうと、ヘスティアは窓から離れて自分の部屋から出る。【ゴブニュ・ファミリア】に依頼した改修工事の最中のため、新生【ヘスティア・ファミリア】の新居である『竈火(かまど)の館』で居住可能な空間は今は少ない。ヘスティアは主神ということもあり、本心ではベルと同じ部屋がよかったのだが眷属達の説得により一人部屋になった。その他にはアゼル、ベル、ヴェルフの三人が使っている男性部屋、リリ、鈴音、命が使っている女性部屋があるくらいだ。

 キッチンは全面改修することになったので、現在【ヘスティア・ファミリア】は夕食は全員で外食することにしている。

 

「それにしても、アゼル君も隅に置けないなー」

 

 先程までヘスティアの悩みになっていたアゼルも本来は夕食を共にするはずだったのだが、今日はなんでも先約があるらしく少し前に出かけてしまった。相手が女性かとヘスティアが尋ねた時に肯定していたので、デートか何かだろうと彼女は思っていた。相手は【ロキ・ファミリア】のアマゾネスの妹かもしれないと予想した。

 

「あ、神様! そろそろ呼びに行こうと思ってたんです」

「やあベル君、今日はどこに行くつもりなんだい?」

「ヴェルフがおすすめのところがあるって言ってたのでそこに行こうと思ってます」

 

 彼女を呼びに来たベルとばったり会ったヘスティアは、その少年の笑顔で悩みが一瞬で吹き飛び満面の笑みで彼を迎えた。その頃自身の眷属であるアゼルが、【ヘスティア・ファミリア】の面々が行こうとしている店より少なくとも数倍は値が張る店で、ヘスティアが『苦手』と称した女神と向かい合って食事をしていることなど、彼女は知る由もない。

 

 

■■■■

 

 

 食べる所作が汚い、という光景はオラリオにいればいくらでも見ることができる。粗野で暴力的な冒険者は割りと多く、普段そうではない人物も酒が入って酔っ払うと大抵食べ方が汚くなる。普段見ているベルやヘスティア様の食事の所作は可もなく不可もなく、言ってしまえば平均的だ。

 上品な食事の所作というものを、私はこの時初めて見たように思う。初めて見たのが、彼女のものであったということが恐らくいけなかったのだろう。

 

「どうしたの? そんなに私のことを見つめて……私のものになる気になった?」

「馬鹿なことは言わないでください」

「あら、私は本気よ?」

 

 思わず、彼女の手元を見てしまっていた。ナイフとフォークを持つ指、それを動かす手と腕、大きく露出した肩、そして夜に映える銀の髪。美しい所作で切り分けられた料理を、口まで運ぶその動作、口に含むその様、使い終わった食器を静かに下ろす彼女につい魅入ってしまっていた。

 それほどまでに、美しく食事をするということに私は慣れていなかった。

 

「食べ方が綺麗だと思っただけです」

「ふふ、ありがとう。教えてあげましょうか?」

「遠慮しておきますよ。食べれればなんでもいい、とまでは言いませんが、私は別に目も当てられないほどでなければ食べ方に拘りはないですから」

「そう、残念。手取り足取り教えてあげたかったわ」

 

 そう言いながら目の前の女神、フレイヤは微塵も残念そうな顔をせず、相も変わらず神すら魅了する微笑みを浮かべる。そんな彼女に見つめられ、全身を甘い痺れが走り抜けるがもう慣れた感覚となってしまった。

 見つめられても動じない私を見て、フレイヤは更に嬉しそうに笑みを深めた。

 

 場所は昨晩シルさんが地図に記してくれた見るからに高級なレストランのテラス席。恐らくフレイヤが貸し切りにしたであろうレストランのテラスには私と彼女しかいない。ただ一人で来たわけではないようで、別室にオッタルが待機しているとのことだ。

 見事な夜景が眺められる席だが、美神であるフレイヤといては夜景を眺める方が失礼だろう。

 

「もう一杯、頂けるかしら?」

「これが最後ですよ」

 

 彼女が差し出してきたグラスに神酒を注いでいく。シルさんに言われて持ってきた神酒だったが、フレイヤは甚く気に入ってくれた。彼女も私が神酒(ソーマ)を持ってくるとは知っていなかったのか、酒瓶の中身を知ると目に見えて上機嫌になった。

 ヘスティア様やヘファイストス様、そして意外なことにあのヘルメス様ですら乾杯の一杯で自粛していたのに対して、フレイヤは美味しい美味しいと言いながら飲み進め今三杯目を所望している。

 

「もう後一杯分くらいしかないわね」

「貴女がそんなに飲むとは思っていませんでしたよ」

「ごめんなさいね、こんなに質の良い神酒を飲むのが久しぶりで、つい」

「別に構いませんよ、お酒は嗜む程度ですし。それに――」

 

――至上の酒に最美の女神、これ以上ない組み合わせでしょう

 

 心の中で率直な感想を述べる。

 グラスを片手に月を眺めるフレイヤを見る。その光景は、多くの者がその命を捨ててでも見てみたいと思う光景だろう。月光を受けた銀髪はまるで夜空を走る流星のように一本一本が美しく光る。グラスを月に掲げて眺めるその姿は絵に描くことすら戸惑うほどの完成された美。

 彼女は神酒を少量口に含み、ゆっくりとそれを飲み干す。酒の美味さからか、彼女は小さな溜め息を吐く。その動作がまた妖艶で、それを狙ってやっているわけではないから恐ろしい。

 美しく、そして艷やかに魅了し堕とすことが美神である彼女の本性である。

 

 そんなフレイヤが、銀の瞳を僅かに細めて私をじっと見ていた。引き込まれそうになるが、目を逸らすことはしない。真っ向から視線を絡ませる。私の対応がお気に召したのか、彼女は微笑みながら立ち上がって私の背後へと歩み寄ってきた。

 身を屈めながら後ろから私に身を寄せてくる。後ろから首に回された程よく温かい腕、頬をくすぐるきめ細かい髪、そして優しく耳を撫でるような囁き声。

 

「貴方に足りないのは何? 力? 名声? 金? それとも、もっと別の何か? 例えば、冒険。例えば、自由。例えば、愛。貴方を輝かせるのに必要なのは、何?」

 

 初めて彼女と出会った時に突きつけられたその問いがもう一度私に投げかけられる。

 

「ねえ、教えて。貴方の冷たい刀身(からだ)を熱くするには、何が必要?」

 

 まるで恋人に愛を囁くように甘い声でフレイヤは私に聞いた。柔らかい唇が耳に触れ、痺れるような快感が身体を走り抜ける。

 

「私では、足りない?」

 

 声だけはいじらしく、愛くるしく、まるで献身的なか弱い女性のようだった。蜘蛛の巣に捕まったかのように、心が絡め取られていくような感覚。もがけばもがくほどに絡みつき、ゆっくりと溶かされ吸い取られていく。

 それは、身を任せてしまえば一生抜け出すことのできない甘い誘惑だ。だが、私にはそんなものは必要がない。

 

「貴女に縋れたのならば、どれほど楽だっただろうか」

 

 思い浮かべるのは彼女の最も信を置く眷属、オラリオ最強の名で語られる現代の英雄。二度剣を交え、二度の敗北を味わわされた私の宿敵。今度こそは勝利し、相手に敗北の味を知らせると決めている武人。

 一柱の女神のためだけにその強靭な肉体を鍛え、立ち塞がるすべてを蹴散らす女神の剣。

 

「貴女のためと思い剣を振るい、すべてを斬り裂き、罪を犯し、最後に貴女に許される。ああ、それはなんて幸せなことだろうか。だが――」

 

 胸板を撫でていた彼女の手を握ってそっと抱擁を解く。

 

「――私は許されたくはない。私が剣を振るうのは他の誰でもない己のため、故に私は私にすら許されてはいけない。だから、はっきりと言いましょう」

 

 立ち上がって彼女と向き合う。私の答えなど分かっているだろうに、彼女は蕩けるような笑顔で私を見上げていた。頬は上気し、熱っぽい視線が私の奥深くまで覗き込む。

 手を伸ばし、彼女の頬に触れる。そのまま首まで手を伸ばし少し力を込めれば容易く彼女を殺すことができるだろうに、彼女はまったく恐れず頬にあてがわれた私の手に自分の手を重ねた。

 

「貴女では足りない。貴女では決して私を満たすことはない」

 

 重ねられていた手が腕を伝い、そして私の頬に触れる。

 目の前の女神が憎くないかと聞かれれば、憎いに決まっている。私の唯一の理解者であっただろうホトトギスが消滅し、そして私自身がホトトギスとなったことの原因は彼女にもある。

 だが、それと同時に今の自分がいることにもフレイヤは大きく関わっている。オッタルという傑物を育てたということへの感謝もある。それでいいのだ。だって、彼女は私にとっての敵なのだから。

 

「貴女は私の敵でいて下さい。何時か、貴女を斬る時にこそ私は貴女の愛に感謝と共に応えましょう」

 

 私に斬り裂かれ、死に絶えるその瞬間でも彼女が私を愛していたというのなら、私はその愛を胸に仕舞い込み歩みを進めるだろう。自分は自分を愛した存在を、ただ自分のためだけに斬り殺したのだという痛みをまた一つ抱えて剣を振るい続ける。

 

「……貴方って本当に、素敵ね」

 

 そのままフレイヤは一歩私に踏み出し、少し背伸びをしながら顔を近付けてきた。その唇の進行先は明らかに前回のように頬ではなく私の唇だった。すかさず手で彼女の唇を止めようと動く。

 

 

 

 

 

「――見つけた」

 

 

 

 

 

 背後、テラスの外、オラリオの夜景から突如殺気が爆発した。フレイヤの意地悪を手で止めている場合ではなくなり、私は彼女を抱きかかえてその場を飛び退いた。

 直後、私達がいた場所に凶刃が振り下ろされていた。刃に付いていた血が振り抜かれた勢いで一直線上に飛び散り紅い軌跡を残した。

 

「きゃっ」

 

 突然の事態に驚いたフレイヤが普段では想像できないような可愛い声を上げたが、直ぐ様彼女を地面に下ろして立たせてから襲撃者を見る。

 

「こんばんは、愛しい人」

「ええ、こんばんは――ハナ」

 

 血濡れた二刀を携え、無警告の一太刀を放った襲撃者はハナだった。

 以前は先端のみが紅く染まっていた長い白髪は既にその殆どが紅くなっていた。アマゾネス特有なのか、それとも戦闘娼婦(バーベラ)特有なのか、露出の多い踊り子のような衣装は鮮血に染まっている。褐色の肌も返り血を浴びて紅い雫が滴っている。私の付けた刀傷は変わらずそこに残っていた。

 何よりも、彼女の口元が血で濡れていた。

 

「随分、全体的に赤くなりましたね」

「ふふ、紅くて綺麗でしょう? この髪もね、もう少しすれば全部紅くなるの」

「ほお、それはさぞ見応えがあるでしょうね」

「でもね、それにはどうしても必要なものがあるの」

 

 フレイヤの前に立ち、護身用兼お守りとして身に付けていたホトトギスを抜き放つ。短刀となってからはあまり出番がなくなっていたが、手頃な大きさで持ち運びがやすいからと持っていて良かった。

 背後から誰かが猛スピードでこちらへやってくる気配がしたが恐らくオッタルだろう。彼が来たならばフレイヤの心配はいらないだろう。少しだけ彼女に目を向けると、突然の戦闘の空気に怯えることもなく楽しそうに眺めていた。流石に巻き込まれたくはないのか先程より少し離れた場所に移動したが、物好きな神もいたものだ。

 

「どうしても、貴方の血が必要なの。貴方の血を吸って漸く私は完成するの、この渇きが満たされるの」

「その様子を見ると今までにも多くの人間の血を飲んでいるようですが」

「ええ、でも彼等じゃ駄目なの。貴方じゃなければ、私の愛しい貴方でなければ、私達の愛しい貴方でなければっ!!」

 

 愛を絶叫した直後、彼女の全身に裂傷が走り血が吹き出た。何事かと内心驚きながらも、次の瞬間起こったことには驚愕で硬直してしまった。

 

 ハナから吹き出た血が形を成していく。棒状に、長細く、そして更に鋭く。宙に浮くそれは剣だった。形は不格好、揃った形でもなく、宙に浮く様も危なっかしく到底制御しているようには見えなかった。

 だが、それは剣だった。

 

『だって、私達は――』

 

 その言葉の続きを、私は想像することしかできなかった。だが、根拠のない確信が私の中にはあった。彼女が続けて言いたかった言葉は『同じだもの』だ。

 彼女を殺しかけた私を愛しいと言って追ってくる彼女と、私の剣を折ると言って立ち塞がるリューさんに惹かれる自分が似ているのだと思っていた。

 だが、私は何か大きな勘違いをしていたのではないだろうか。

 

 本当はもっと根本的な部分で私と彼女は同じなのではないか。背筋に冷たい感覚が走り、ある思考が私の脳裏を駆け巡る。

 

(彼女を、殺さなければ)

 

 理解のできない嫌悪感に似たような感覚。理由などなく、論理など超越して、私は目の前の存在が認められない、許すことができない。何故か分からない、だが偽りのない殺意が私の中に芽生えていた。

 

「特に理由はありませんが、そうですね。こんな美しい月夜ですし、折角ですから私と踊って頂けますか?」

「アハッ、アハハハハ――」

 

 だが、本当は理由なんていらないのかもしれない。お互いが剣を執ったのなら、相手が誰であろうかなど些末な問題なのかもしれない。もう私と彼女は剣を交える運命しかないのだ、自然とそんなことを思った。

 

「――喜んでっ!」

 

 だが、どうしてか、彼女を見ていると一抹の愛おしさがこの胸を締め付けるのだ。その締め付けが、握った刃を更に鋭くしていたような気がした。

 

 

■■■■

 

 

 最初こそフレイヤはアゼルとの触れ合いを邪魔した輩と思いながら、厳しい目で乱入者を見ていた。だが、今はアゼルと斬り結ぶその少女に感謝すら感じていた。

 アゼルがハナと呼んだ少女は、その登場の仕方からして常軌を逸していた。持っていた武器、身に付けていた服、そして肌までもが血塗れ。そんな少女に表面上驚くことなく対応していたアゼルを見てフレイヤは少し笑ってしまったくらいだ。

 そして、血を刃に変える力。それはオッタルから報告されていたアゼルの力と同じもの。アゼルに恋をした忍穂鈴音も似たような力を扱っていたが、それよりも更にアゼルに近い。

 

 襲撃の直後駆けつけたオッタルを傍に控えさせながら彼女はアゼルとハナの戦闘を眺める。その表情は艶かしく、熱っぽい吐息を漏らし、隣に立つオッタルが支えていなければ力が抜けた脚は彼女を支えられず崩れていただろう。

 剣戟が重なる音が響く度に彼女は己の内から身体の隅々まで快感が走り抜けた。

 

 それ程までに、目の前の光景は彼女にとって凄まじかった。

 

「愛しい人! ああ、私達の愛しい人!! 愛しています、だからその命を、その魂を私に頂戴っ!」

「残念ながらこの命も魂も私のもの、貴女に奪われるくらいなら、私が貴女を殺す」

 

 両手に持った刀を乱暴に振り回しながら、宙に浮かせた血の剣も時折アゼルを狙って飛来。制御をしきれていないのか、結構な確率で見当違いの方向に飛んでいっている。フレイヤに当たりそうになったものはオッタルが難なく叩き落としていた。

 アゼルはそんな乱撃を繰り出してくる相手に一歩も退くことなく、すべての攻撃を避け続けている。短刀という武器のリーチの問題上アゼルはかなり肉薄しなければいけないが、難なく相手の懐まで踏み込んでいるアゼルを見てオッタルは目を細めた。

 ハナも剣技の練度は低いものの、その身体能力はアゼルを凌ぐほど高い。雑な動きながらも力押しでアゼルの攻撃を致命傷だけは避けている。

 

 それは、余りにも荒唐無稽な光景だった。アゼルは本気を出せばオッタルにすら届くほどの実力者だ。武器のリーチというハンデはあるものの、アゼルとまともに打ち合うほどの冒険者であればフレイヤの耳に入っているはずだ。

 だが、アゼルと狂った笑みを浮かべて斬り結ぶ少女をフレイヤは知らない。ハナという名前の冒険者が活躍したという話も聞いたことがない。

 では、ハナと呼ばれた少女は一体何者なのだろうか。

 

 そもそも、アゼルと()()()()ことができることが異常である。

 フレイヤは好奇心の赴くままに、目の前の二人の魂を覗き見た。魂を見るその瞳は『神の力(アルカナム)』ではなく、フレイヤに備わった基本性能、人が景色を見るために目があるように、彼女の目は魂を見るためにある。

 

「彼女は――」

 

 アゼルの魂は、毎日というほど見ていたため見慣れたものだ。オラリオの中心、バベルの塔の最上階からでも一瞬で見つけることができるほどまでに輝かしく、そして異質な魂だ。冷たい鈍色は一度は銀色に染まりかけたアゼルが生み出した色、その光は人の醸し出すものとは一線を画する。主神をして『最新の神話』と言わしめるに足る、人の領分を越えた輝きだ。

 今は、朧気ながら色だけでなく形までもが変質を始めている。人の魂の形が揺らぎ、僅かに象る形は剣。人と剣の間をぶれる魂が剣戟の度に炎のように激しく揺らめく。

 

「何故斬れない、何故弾かれる、嗚呼素晴らしい!! 貴女は、何者なんだ!」

「私が何者かなんて、どうでもいい!! そうでしょう!!」

 

 同意するかのようにアゼルは踏み込みながら斬りつけた。ハナはその一撃を防ぎきれずに受けるが、傷付いたことなど構わずにアゼルに斬りかかる。狂気に染まった表情から感覚が麻痺するほど感情が動いていることが分かる。

 

 彼女が何者か、何故分からないのかとフレイヤは思わずにはいられなかった。

 少女の魂はボロボロだった、チグハグだった。だが、その色は――アゼルと同じ鈍色に染まっていた。アゼルより不安定で、輝きなんて比べ物にならないほどなかったが、間違いなくハナの魂はアゼルと恐ろしいほど似ていた。

 魂がこれほど似るなんてことは、例え血縁であってもありえない。フレイヤですら初めて見るほどの類似だった。

 

 そして、彼女の魂はアゼルと打ち合う度に崩れていく。壊れたその下から新たな何かが生まれ出ようとしているかのように、人の魂が剥がれていく。

 

「この想いが、この身体が、この魂が!! 私のすべてが貴方を求めて止まないの!! 貴方を斬れって、貴方を殺せって、貴方の存在をこの世から消し去れって、私達が叫ぶの! だって、私達は――」

 

 ハナは自分とアゼルの関係を正しく理解していいた。

 振るう刃には愛情と憎しみ、快楽と殺意が混ぜ合わさっていた。欲して止まない男を誘うような蠱惑的な肢体、表情は狂気を孕んだ満面の笑み、だがその身体からは叩きつけるかのような殺気。

 愛して止まないのだ。だがそれと同時に、殺さなければならないと分かってもいるのだ。故に、その刃で斬り殺し、その血を啜り己が物とする。

 

「――同じなんだものっ!!」

 

 一際力強い大振り、宙で身体を横回転させながら二刀を立て続けに振り下ろす。流石にそれは受けきれないと判断したアゼルは一歩下がるが、直後地面から伝う違和感を察知して更に回避行動を取る。

 地面から血の刃が生えてアゼルを追随。まるで未来を見ているかのような動きでアゼルは地面から刺し貫こうとしてくる刃、宙から飛来する剣、そして追撃してきたハナの二刀を避けていく。

 

 そして、綻びを見つけた。それは本当に些細な硬直でしかなかっただろう。時間にしてしまえば一秒にも満たない、三つの攻撃を制御するための思考が一瞬途切れただけの隙だった。

 だが、その一瞬でアゼルはハナの間合いへと飛び込んだ。一見無防備のように見えたアゼルにハナはすかさず斬りかかる。

 

「そうくると、思ってましたよ」

「――ッ!」

 

 振るわれた刀をアゼルは手で掴んで止めた。手は硬質化した血で覆われて紅く染まっていた。アゼルとハナ、似たような力を扱うが圧倒的にアゼルの方が使いこなしている。剣の形に整えることしかできないハナではアゼルのように器用なことができない。

 

 無防備となったハナの正面、アゼルは短刀で斬り裂くことが難しいと判断して突きを繰り出した。狙うは心臓、一突きで相手を刺し殺す高速の突きが放たれた。

 

「ガアアァァァァッッ――!!」

 

 叫び声を上げながら、ハナは大きく()()と吹き飛んだ。

 

「アア、痛い、痛い、痛い!!」

 

 ハナは自分の肩に手を当てて叫んだ。肩はホトトギスが突き刺さった箇所から横に肉が抉られ、おびただしい量の血が流れ落ちている。

 アゼルの一撃は心臓を外され、肩に突き刺さった。だが、別段アゼルの技量に問題があったわけではない。無防備だったハナに対して攻撃を外すほどアゼルは未熟ではない。だが、突きが突き刺さろうとしていた瞬間、ハナが予想外な行動をとった。

 宙に浮いていた剣を自分に向けて放ったのだ。剣の腹で自分の横腹を殴り飛ばし、致命の一撃を避けた。その代わり彼女は自分の攻撃で内臓に至るほどの大きなダメージを負った。

 

「はあっはあっはあっ……ア、ハ、アハ、ハハハ!」

 

 ダラリと動かななくなった腕を下げながら彼女は尚も笑っていた。自分で殴った横腹は赤紫色に痛々しく変色し、身体中にアゼルとの戦闘での傷がある。それでも、彼女は笑った。

 

「ねえ見てっ、また一つ貴方から貰った傷が増えたわ、アハッ! 今日はなんて良い日!」

「……狂ってますね」

 

 ハナは抉れた肩に愛おしそうに触れていた。同時に胴体に残っていた大きな刀傷もなぞり、身体を快感で震わせた。恍惚とした表情は既に痛みなど感じていないのではないかと思わせる。否、痛みすらアゼルから受ければ彼女にとっては快感なのだろう。

 

「でも、どれだけ楽しくても、貴方を殺さないといけないの。どれだけ嬉しくても、どれだけ気持ちよくても、どれだけ痛くても、貴方を殺すまで死ねないの。だから、今日はもう終わり」

 

 身体中にできた傷を感じさせないほど軽やかにハナはテラスの縁へと飛び退いた。テーブルにかけてあったクロスを外套代わりに羽織りながら、彼女は逃げることにした。

 殺し合うことは楽しい、だが殺されるのは御免だった。

 

「今度こそ貴方を殺して、貴方のすべてを手に入れてみせるわ。それまで、さようなら、お休みなさい」

「ええ、お休みなさい。良い夢を、ハナ」

「ふふ、お互い悪夢しか見れないのに?」

 

 そんな言葉を残してハナはその場から飛び去っていった。お互い悪夢しか見れないという言葉に首を傾げながら、私はホトトギスを鞘に納めた。

 

「お疲れ様。熱烈なファンね」

「……止してくださいよ、あれがファンに見えましたか?」

「ふふ、ごめんなさい。でも、そうね……貴方の敵でいる、そういう愛し方も良いかもしれないわね」

「あの後にそんなことを言われると嫌な予感しかしないんですが」

 

 戦闘が終わったことを確認したフレイヤがオッタルを引き連れてアゼルに近付いた。フレイヤの言葉に呆れながらも、高揚感がある程度引いたアゼルは冷静に返した。

 

「今夜はお開き、ということでいいですか?」

「ええ、色々と楽しませて貰ったわ。ここの弁償は私がしておくわ」

「それはありがたい」

 

 テラスは見るも無残な光景に成り果てていた。テーブルの殆どは破壊され、四本足で立っている椅子はない。地面も大きく斬り裂かれ崩落してもおかしくないくらいだ。

 

「それと――」

「ちょっ、何をっ」

 

 フレイヤと馬鹿らしい話をして弛緩してしまったアゼルは隙を突かれてオッタルに背後を許してしまった。殺気がなかったことが最も大きな要因だったが、それ以外にもまったく動き出しが分からなかった移動方法を使っており、やはりオッタルはフレイヤのためとなれば武人として培ってきた技術を惜しみなく使う忠臣だった。

 

「――私を守ってくれた、お礼をしてあげる」

「いり、ません!」

 

 後ろからオッタルに羽交い締めにされたアゼルは身動きを取ることができず、近付いてくるフレイヤの唇から逃れることができない状況。先程失敗して諦めただろうと油断していたアゼルは若干焦りながら拘束から逃れようとする。

 

「――本当にいらない?」

 

 お互いの吐息がかかる、相手の瞳の中に反射した自分が見えるほどの至近距離。銀の瞳で見つめながらフレイヤは甘く誘惑をした。多くの者が求めて止まない美神の口付け、しかも本人からだ。ここまでして逆らえた者は誰一人としていなかった。

 だが、いなかっただけだ。いないわけではない。その事実に、フレイヤは歓喜した。

 

「本当に、いりませんよ」

 

 本当に自分に選択権があるのか疑いながらも、アゼルは冷静にそう答えた。もうアゼルにどうこうできる距離ではない。少し動けばお互いの唇が重なる。

 

「そう、残念。して欲しいって言っても、もうしてあげないわよ?」

「そんなこと死んでも言いませんよ」

「ふふ、それなら貴方が死んだ時にしてあげるわ。そして、貴方の魂を一生私が可愛がってあげる」

「まあ、死んだら何も分からないでしょうから、お好きにしてください」

 

 アゼルの返事を聞いて、フレイヤはゆっくりと離れた。オッタルもフレイヤが離れるにつれ力を緩め、十分な距離が空いた時にはアゼルの拘束は解かれていた。

 

「じゃあ、これをあげるわ。売り払えば豪邸の一つくらいは建つわ」

 

 そう言ってフレイヤは指に嵌めていた指輪をアゼルに握らせた。三種類の貴金属の輪が絡み合うように重なり合い、そして小さな宝石がはめ込まれている。派手すぎず、かと言って控え目すぎるというわけでもない。

 どこまで行っても、フレイヤという美神は上品な美しさを持っていた。

 

「『虹霓石(イリス・ラピス)』、とっても珍しい石よ。その日の気温や湿度、付けている人によって覗き込んだ時の色を変える。一度足りとも同じ色を見せることのない石」

「なるほど、着飾る用というよりは観賞用ということですね」

「そうね、でも付けてくれてもいいのよ?」

「戦う時に邪魔なので、付けませんよ」

 

 指輪の内側を覗いたアゼルは、そこに【フレイヤ・ファミリア】の徽章である戦乙女の側面像(プロフィール)が刻まれていることを確認した。こんなもの、余程の理由がなければ売る気にはなれない。

 

「まあ、部屋にでも飾っておきます」

「ふふ、そうして頂戴。ああ、後ねアゼル――」

 

 オッタルを連れてその場を去ろうとしたフレイヤは一度振り返って、笑顔で言った。

 

「――私だって傷付くのよ?」

「なら、それらしい顔をしてください」

「ごめんなさい、貴方といるとつい楽しくて」

 

 その笑顔は普段のフレイヤとは少し違った、恋人との逢瀬を終えて楽しそうに笑う少女のような笑みだった。本心からアゼルといることを楽しいと思っている、そんな笑みだった。

 

「……はぁ、お休みなさい女神様」

「ええ、お休みなさい、私の愛しい剣士様」

 

 フレイヤ達が去るために数分間アゼルはその場に立ち尽くす。その間貰った指輪を月に掲げてその色を眺めていた。その晩見えたのは、綺麗な鈍色の光だった。

 

 

 

 

 

「オッタル、アレンに【イシュタル・ファミリア】の監視を強化するように言っておいて」

「承りました」

「でも、決して深入りをしないこと、いい?」

「はい」

 

 暗い裏道を歩くフレイヤの後ろにオッタルが続く。彼には前を歩く主神がどのような表情をしているか見えはしないが、見えずとも分かった。

 この上なく、フレイヤは上機嫌だった。

 

「ふふ、まさかイシュタルに感謝する日が来るなんてね」

 

 フレイヤとイシュタルは敵対関係にある。フレイヤにはそのつもりはあまりないのだが、だからこそイシュタルはこれ以上ないくらいにフレイヤに敵対心を燃やしている。生まれや伝承は違えど同じ美の女神であるのに、オラリオの王のように君臨するフレイヤをイシュタルは許せない。

 何度も嫌がらせのような小競り合いは今まで起こっていて鬱陶しいとは思っていたが、まさかあれほどの化物を飼っていたとは思ってもいなかった。偶然にしろ故意にしろ、あれが育つことができたのは貪欲に力を求めるイシュタルの元にいたからだろう。

 

「さあ、貴方の神話に新たな一頁を加えましょう」

 

 アゼルとハナ、常軌を逸した力を持つ二人がぶつかればどちらが死ぬのかは、分からない。その一頁がアゼルの終わりとなるのか、それとも新たな偉業となるのか、それは神でさえ分からない。

 アゼルが負けて死んでしまうのなら、残念ではあるがそれもまた良し。死したアゼルの魂を我がものとして愛せばいい。だが、やはり彼女は、他の多くの者がそれを望むように、アゼルの勝利を見てみたいと強く思った。

 

 次にあの剣が何を斬るのか、どのような輝きを見せてくれるのか――ああ、やはり強引にでも口付けをしておくのだった、とフレイヤは指で唇に触れながら僅かに後悔した。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言って下さい。

 ああ女神様。
 フレイヤ様大好きだからフレイヤ様出すと筆が乗ってしまう現象。本当はヘスティアと【ステイタス】について談義をさせるはずだったが、なんだか上手く書けなかったのでヘスティア様には違う出番を後程与えることに。
 イシュタル、原作と違う方向で目をつけられる。
 飛び込み参加はハナさんの基本スタイル!そして華麗に去っていって弁償はフレイヤにさせる!

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