剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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伝令使は笑う

 手の甲に浮かび上がった死を示す花の紋様。戦争遊戯(ウォーゲーム)の最中に鈴音が獲得したそれは、関係各位にとっては全く違った意味を持っていた。

 関係各位、というのは紋様が浮かび上がった本人である鈴音、その原因であるアゼル、そして二人の主神であるヘスティアだ。

 

 少女にとってその紋様は愛しの剣士との新たな繋がり、今までのどれよりも確かで、強く、深い繋がりだった。傍にアゼルがいなくとも、その紋様に意識を集中させれば何時でもアゼルの存在を感じ取ることができた。

 特に近くにいる時であれば、どこにいるのか感じ取れるくらいだ。竈火の館の中であればどの部屋にアゼルがいるのか鈴音には分かった。

 

 アゼルにとってその紋様は、良く分からないものだった。いつの間にか浮かび上がったそれは、どうやら自分が関わっているらしいということくらいしか分かっていない。確かに意識すると鈴音のいる場所が明確に分かるのだが、それが何を意味するのか、アゼルにはさっぱり分からなかった。

 

 そして、主神であるヘスティアにとっては――

 

「君は、また厄介なことを……」

 

――現在進行系で悩みのタネである。

 

「いや、待って下さい。今回に関しては私は何もしていません……していないはずです」

「そんなわけないだろう。君はこれが何なのか分かってないのかい?」

「んー……」

 

 差し出された手の甲をアゼルが覗き込んで顔を近付ける。見ているだけで何も分からないので続いてアゼルはその紋様をなぞるように撫でた。

 

「んっ」

「痛かったですか?」

「う、ううん……その……アゼルに触られると、少しぴりって」

 

 触れられた鈴音が少々艶っぽい声を出して少し微妙な空気になった中、アゼルは答えた。

 

「さっぱりです。入れ墨(タトゥー)じゃないことくらいしか分かりませんね」

「入れ墨なわけないだろう! 行き成り入れ墨が浮かび上がってきたら怖いよ! ったく、鈴音君は?」

 

 巫山戯たことを言うアゼルをペシリと一叩きしてからヘスティアは話を鈴音に向けた。鈴音は自分の手の甲を愛おしいそうに撫でながら、彼女の率直な考えを言った。

 

「これは、この印は刻印。私とアゼルを繋ぐ奇跡の顕れ――」

 

 鈴音はダフネとの戦闘を思い出す。あの時、自分の奥底から力が湧き出ていた。限界を越えて戦っていたはずなのに、その限界を軽々と越える力を彼女は振るっていた。それは、ともすればランクアップを果たした直後の冒険者のような感覚だったのかもしれない。

 急激な成長というにはあまりにも突然だったそれは、実力のカサ増しのようなものだったに違いない。鈴音本人ではなく、何か別の、誰か別の力が彼女に流れ込んだ。

 

 神秘的な光を放つその刻印を、冒険者であれば誰でも知っている。超常の存在から授けられた家族の証、人の無限の可能性を加速させる神秘の術――

 

 

 

 

「――これはきっと、アゼルが私にくれた【ステイタス】」

 

 

 

 質問したとうのヘスティアが驚いた。だが、考えてみればその紋様の影響を受けていた鈴音がその答えに辿り着くのは必然だったのかもしれない。冒険者である彼女にとっては即知の感覚のはずだからだ。

 

「いやいや、何を言ってるんですか鈴音。【ステイタス】は神々にしか刻めないもの。仮に私が関わっていたとしても、それが【ステイタス】というのは流石に。ねえ、ヘスティア様」

 

 流石にそれはないだろうと思ったアゼルがヘスティアに話しかけるも、彼女は沈黙を続ける。そんな彼女に違和感を覚えたアゼルが僅かに戸惑いを見せる。

 

「え、いや、流石に、ないですよね?」

「そんなわけないだろう――って言いたかったんだけどねえ、はぁ……」

 

 溜め息を吐いてからヘスティアは説明を始めた。

 

「まあ、あくまで私見ではあるけど、十中八九当たってる。その彼岸花の紋様、鈴音君は【ステイタス】と言ったけど少し違う。【ステイタス】はあくまで()()()刻んだものを指す言葉だ」

 

 ヘスティアは鈴音とアゼルを見てから、言葉を続ける。

 

「でも、君達も少なからず聞いたことはあるだろう? 遥か太古の時代、まだ神々が下界に降りてくる前の話、英雄譚等でも描かれる、力の継承」

「まさか」

「そう、そのまさかだよ。神々の刻む【ステイタス】の前身――――精霊が英雄に与えた【加護(エウロギア)】だ」

 

 それは多くの英雄譚等を聞かされてきたアゼルには親しみのあるものであり、そう言った物語に興味のない鈴音ですら聞いたことのある現象だ。

 

「言うなれば鈴音君に刻まれたその紋様は【アゼル・バーナムの加護】であり、アゼル君が力の一部を君に分け与えた証でもある」

「……私そんなことした覚えないんですけど」

「もし君が意識してこんなことをしてたら、僕は驚きの余り失神するよ」

 

 ヘスティアの言った通り、その紋様は忍穂鈴音がアゼル・バーナムから授かった【加護】である。だが、それと同時にもう一つ重大な事実をヘスティアに突きつける印でもあった。

 【加護】を与えることのできたのは神々程ではないとは言え、人からしたら超常の存在に違いない精霊なのだ。それをアゼルが為したということは、つまりそういうことになってしまう。

 

 アゼル・バーナムは人から逸脱してしまっている。人の殻を破り、彼は前人未到の領域へと足を踏み入れようとしている。

 

「まあ、見たところ今は大した力は発揮していないみたいだから、もしかするとアゼル君が本気を出したりすると【加護】も活性化して鈴音君の力が増すのかもしれない」

「戦争遊戯の時は」

「君達は同じ時間に違う敵と戦っていたから、たぶんそうなんじゃないかと思ってね」

「ふむ、本気を出す、ですか」

 

 そう言ってアゼルは一呼吸の後、自らの深淵から湧く力へと意識を向け表へと引っ張り出した。その瞬間室内の空気は一変して緊迫したものになる。びくりと身体を震わせたヘスティアと、アゼルから発せられる鋭い雰囲気にうっとりする鈴音。

 

「どうやら、ヘスティア様の推論は正しいようですね」

「え――あ」

 

 アゼルの言葉に反応して鈴音とヘスティアは紋章へと目を向けた。そこには弱々しくも妖しく紅い光を灯した彼岸花が浮かび上がっていた。

 

「それにしても、私が【加護】をねえ……」

「二人共、これは他言無用だよ」

「精霊になったんです、なんて誰かに言ってみて下さい。頭がおかしくなったと思われるだけですよ」

 

 それは確かに、とヘスティアは溢した。だが、実際問題彼女の目の前に精霊の領域へと足を踏み入れた人間がいるのだから、何が起こるか分からない。そういうところが下界の面白い所だと謳う神々は多くいるが、ヘスティアはもう少し平穏な方が良かったと思った。

 しかし、起こってしまったことは仕方がない。今後どう対処するかが問題なのだが、片方はあまり問題ない。

 

「もうアゼル君は何でもありなところがあるし、いつも通りでいいよ」

「何でもありって何ですか何でもありって」

「『何が起こっても不思議じゃないな、明日バベルの塔が真っ二つになってても俺は驚かない』っていうのが最近の神々の間での認識だよ」

 

 それは酷い、と言いながらもアゼルは笑っていた。少しやってみようかとも考えたアゼルだったが、そういえばあの塔の最上階にはフレイヤが住んでいると聞いていたので止めた。

 問題があるとすれば、それはもう一方、実際に【加護】が刻まれた鈴音の方だとヘスティアは頭を悩ませる。

 

「鈴音君に関しては……正直な所他の神々が君の【加護】をどう認識するのか分からない。ボクは鮮明に分かるけど、それはきっと主神だからだ。仮にボクの【ステイタス】に隠れて他の神々には意識しないと認識できない程度なら、今までと変わらないだろう」

 

 単純な強弱で比べることはできないが、【ステイタス】と【加護】を比べた時どちらが強大な力かと言えばそれは【ステイタス】に違いない。鈴音の【加護】による強化は【ステイタス】のそれとは別枠ではあるものの、根本的には似通った力だ。であるなら、【加護】が【ステイタス】に隠される可能性もある。

 

「でも、逆に他の神々にもはっきりと分かってしまうなら……うん、どんまいとしか言えないかな。頑張って神々から逃げてくれ」

「え、ええッ!?」

「面白いもの好きが多いから……うん、数日も追い掛け回されればあいつらの気も済むと思う」

「も、もし捕まったら……?」

「………………」

 

 鈴音の問いにヘスティアは答えなかった。それが逆に鈴音の不安を増幅させたのだが、そこにアゼルが助け舟を出す。

 

「まあ、こうなったのも私に原因の一端があるらしいですし。そうなった時は私がお助けしますよ。逃げるなり、交渉するなり」

「あ、アゼルぅ!」

「君に任せるのは果てしなく不安だけど……その時は頼んだよ」

 

 アゼルと神はヘスティアにとっては混ぜるな危険の類のものとなっていた。

 

「後、鈴音君。後日ヘファイストスのところに行って、他の神がどう認識してるのか詳しく検証したいと思うんだけど、良いかな?」

「ヘファイストス様なら、良いと思います」

「アゼル君も。ある程度君のことも話さないといけないと思うんだけど」

「私は全く問題ないですよ。私としては何も隠してないですし」

 

 わざわざ懇切丁寧に説明する気はアゼルにはないが、聞かれればざっくり説明しても良いだろうくらいの認識である。事情を隠しているのはあくまでヘスティアの意向があるからだ。

 

「じゃあ、そういうことで。日程については今日決めてくるよ」

 

 そう言ってヘスティアはアルバイトへと出かける支度をしはじめた。

 

 

 借金発覚、地雷【ファミリア】認定、リュー歓迎会兼景気付けの宴が明けた朝の出来事だった。その後、ヘスティアはアルバイトへと出掛け、鈴音とアゼルは引っ越し作業へと勤しむこととなった。

 

 

 と、誰もが思ったのだが。

 

 

■■■■

 

 

 北のメインストリート、ギルドの関係者も住む高級住宅街に隣接するこの通りは商店街として活気付いていて、私が今まで過ごしてきた廃協会と現在住んでいる『竈火の館』のある西の区画とは大分違う趣きがある。

 行き交う人々は楽しそうに買い物をしていて、客寄せのために大声で宣伝をしている店員なども多い。

 

「うーん、平和ですねえ」

 

 つい最近まで二つの事件に巻き込まれ、その内一つでは剣を執って戦っていたし、今現在は引っ越しのために慌ただしく作業をしている。久しぶりに訪れる和やかな雰囲気だ。

 思わず腕を伸ばして背伸びをしてしまう。

 

「さて、私もやることをやるとしますか」

 

 私が普段はあまり来ない北のメインストリートを歩いている理由は一つ。数日前に済ませるはずで、結局大賭博場(カジノ)へ行ってしまいすっぽかされてしまった買い出しのためだ。

 各々が自分達の引っ越しの荷物を運んだり、【ファミリア】全体としての荷物を運んだりしている中、私は買い出しを任された。陽気に当てられて窓から庭を眺めていたのが悪かったのだろう。どうせサボるなら買い出しついでにサボってくれとリリに言われてしまった。私の荷物なんてものは殆どなかったので早く終わってしまったのだ。

 鈴音は一緒に来たがっていたが、鍛冶師である彼女の荷物は他の者と比べ物にならない量だ。ベルは同じく鍛冶師であるヴェルフを手伝い、鈴音の方はリューさんが手伝うことになった。何かお土産を買ってくるということで、彼女は残念そうに荷解きに戻ってくれた。

 

「とは言ったものの……私が使う物ならいざ知らず、他人が使う物を買うのに一人で選ぶというのもな」

 

 貧乏性というわけではないのだが、私はそこまで食器類や家具類に拘りがない。装飾された器を美しいとは思うが、それを使いたいかと問われれば否だ。私が拘りを持つものなんて刀剣類しかないだろう。

 要はコップは液体が注げればいいし、ナイフは食べ物を切れればいいのだ。それに極東出身の鈴音や命さんはお箸というものを使う。私は使ったことがないので、良し悪しなんてさっぱり分からない。

 

「まあ、サボるついでに買ってこいと言われたことですし、ゆっくり見て回るとしましょう」

 

 冒険に必要な物を売っている店があまりない北の商店街に来ることはこれまでもあまりなかったし、これからもあまりないだろう。頼まれた仕事もあるし、皆が引っ越し作業をしている中私だけがダンジョンに行くのも気が引ける。せっかくの機会を楽しむことにした。

 そして私は北の商店街をぶらぶらと歩くことにした。

 

 

 

 ネックレスなどの装飾品を売る露天商、その日採れたての野菜を売る八百屋、焼き立ての串焼きを訪れた買い物客に売りつけていく屋台等、探索と戦闘が主な活動な私とは縁の遠い店を眺めていく。時折雑貨屋を見かけては少し店内を見て回り食器類を物色していく。シンプルなものから凝った模様が描かれているものまで色々とあったが、選択肢が広がっただけに終わった。

 今も一軒見て回るだけ見て回り出てきてしまったので、まるでひやかしているようで少し申し訳ない気持ちになった。

 

「んー……こんなことならリリにでも付いてきてもらうべきでしたね。いや、リリだと値段だけで判断しそうで私と大差ない可能性もありますか」

 

 では誰なら良かったのかと考える。

 鈴音やヴェルフは鍛冶師であり、大きな括りで言うと製作者だ。特に鈴音の打つ刀は武器としての性能だけでなくその美しさも追究されている。どちらかが一緒に来てくれていれば質の良い食器類を見つけてくれたかもしれない。

 命さんは家事仕事が得意であるとタケミカヅチ様から聞いている。普段使う食器ということなので、洗いやすい形であったり収納しやすい形であったりと彼女なら助言してくれたかもしれない。

 ベルは私と同じくダンジョン探索に明け暮れているので、私が二人になったようなものだろう。ヘスティア様はベルとお揃いの物を買うなどと言い始めそうだ。

 

「リューさんは、どうなんでしょう」

 

 『豊穣の女主人亭』で働いていたという面で見れば、彼女は食器類とは長い付き合いがあるはずだ。それに加えて、聞く所によるとリューさんは【アストレア・ファミリア】に所属していた時に様々な技能を仲間達から教えられたらしい。『エルドラド・リゾート』ではポーカーの腕を見せたとシルさんから聞いた。もしかしたら目利きのようなこともできるかもしれない。

 

「まあ、考えたところで何も変わりはしないんですけどね」

 

 こういったどうでもいいことで頭を悩ませていることが平穏ということなのかもしれない。

 

「――ん、あれは」

 

 気が付くとメインストリートから少し離れた第一区画まで来ていた。そんな時、ふと視界の中で見知った神を見つけて私は立ち止まる。その神は花屋の店先で店員と思しき少女と対面していた。

 金色の髪に鍔付きの帽子、出で立ちは世を流離う旅人のような男神――ヘルメス様だ。

 

「鮮やかな花束も、可憐な君が持つと更に美しくなるな」

「神様ったらお上手なんですからぁ」

「ふふ。でも、君の笑顔が一番美しいぜ」

「も、もうっ。そういう冗談は止して下さい……」

「冗談なものか」

 

 そう言ってヘルメス様は店員のほっそりとした顎を指で持ち上げるようにして自分を見つめさせた。質が悪い、それが第一印象だった。中身は別として、ヘルメス様の外見は優男ではあるが恐ろしいほど整っている。風貌も相まって気障ったらしい台詞も良く似合う。

 ヘルメス様の行動に少女は頬を赤く染め目を潤ませていた。

 

「そんな目をしていると――食べちまうぜ?」

「――これはアスフィさんに報告ですかね」

「それは勘弁してほしいなあ、アゼル君」

 

 驚くことなく、ヘルメス様は少女にお礼を言ってから振り向いた。少女は私に見られていたことが恥ずかしかったのか頬を染めて店の中へと駆けていってしまった。

 

「去り際も愛らしいねえ」

「本当に報告しましょうか?」

「うぉっほん! いやあ、それにしても美しい花束を買ってしまった。これはいつも苦労をかけているアスフィに贈ろう」

 

 その言い方から、そもそも花束を買うことすらついでだったようだ。幼気な少女達を誑かすことが用事であり、花束の購入はそのための足がかり、アスフィさんへの贈り物というのは取ってつけたようなものだろう。

 まあ、別に私も本気で報告なんてするつもりはない。面倒であるし、神が自由奔放なのは今に始まったことではない。

 

「冗談はさておき。こんにちはヘルメス様」

「四日振りと言ったところか。君とこんな所で会うとは思っていなかったが、会いに行く手間が省けたと喜んでおこう。後、君が言うとあまり冗談に聞こえないんだが、本当に冗談だよな?」

「どうせ私が報告せずとも、また違う理由でお叱りを受けるでしょうからね。アスフィさんの心労を考えると、ええ、とてもとても報告なぞできません」

「嫌な予想は止めてくれ」

 

 笑顔を引き攣らせたヘルメス様が芝居がかった仕草で帽子の鍔を人差し指で押し上げて私に向き合う。

 

「それにしても君が花屋に用事とはね。いや、でも君がこの店と無関係かと言うと、そうでもないか」

「別に花屋に来たわけではありませんよ。ここらへんをぶらぶら歩き回っていた時に幼気な少女を誑かしているヘルメス様がいたので脅かしてみただけですよ」

「誑かしていただなんて、物騒な言い方は止してくれよ。俺は彼女達を愛でていただけさ」

 

 そうですか、と短く返しておく。別段ヘルメス様の毒牙に誰がかかろうが私の知ったことではない。

 

「後、私はこの店に来るのも見かけるのも初めてなんですが」

「そうなのかい? 清い乙女達の花園、『ディア・フローラ』と言えばオラリオでも屈指の人気を誇るんだけどね。眺めているだけで一日過ごせる、と俺達(神々)の中でも人気が高い」

「まあ、そのようですね」

 

 今しがた店名が分かった『ディア・フローラ』の向かいにある喫茶店のテラス席には花などまったく似合わない厳つい冒険者が多数座りながら顔をだらしなくさせ働く少女達を眺めている。下心まる分かりの様子で来店する男神にも丁寧な接客をする店員達は、接客などしたことのない私でも敬意を払う。

 

「そして、アンナ・クレーズの働く店でもある」

「……そう言えば、彼女の居場所を調べたのはアスフィさんでしたね。でも、私が関わっていると言った覚えがないのですが」

「おいおい、大賭博場(カジノ)なんて面白い場所に聞き耳を立てないとでも思ったかい?」

 

 予想外の名前がヘルメス様の口が告げられる。そして、それに続いた言葉に納得させられた。シルさんは大賭博場をオラリオの治外法権と形容した。そんな場所だからこそ、様々な人が集いそして表にでない情報が飛び交う。

 中立を謳い、今回のように様々な顧客の依頼を受ける【ヘルメス・ファミリア】が間者を忍ばせていないわけがないということだろう。

 

「まあ、残念なことに、アンナ・クレーズはまだ勤務を再開していないよ」

「彼女に会いに来たわけではありません。何せ、彼女がこの店で働いているということを今知りましたからね」

「それにしても、アゼル君も流石はあのお方の一番弟子。ベル君に負けず劣らずモテるね。あ、これは馬車の御者からの情報」

 

 ニヤケ顔でヘルメス様が肩を組んでくる、非常に鬱陶しい。だが、相手はそれを知りながらやってきているのだろう。神という存在が、皆ヘスティア様のように純粋無垢ではないとは分かっていても、捻くれ者が多すぎるような気もする。

 いや、もしかしたら私が関わっている神々が面倒くさいだけなのかもしれない。

 

「君に限って背中からぶすり、はないと思うけど気を付けておくことだ。痴情の縺れで最期を遂げた男の物語なんてこの世に巨万とある。君の物語は、そんな有り触れた物じゃあない」

「さて、私は自分のことを然程特別だと考えたことはありませんよ」

「ああ、そうだ。君は自分が特別でないということを知っている。人という有り触れた存在であるということを知りながらも、君はその枠組を破り未だ誰も辿り着いたことのない境地へと向かっている」

 

 私は、何も特別ではない。他の生物と変わらず父と母から生まれ、成長して、そして死ぬ。私はこの世に一人しかいない存在かもしれないが、その存在自体が特別なものではない。死ぬ時は死ぬ、生きる時は生きる。

 

「君は、この世でたった一つの何かになろうとしている。君を最も正しく指し示し、君の行く末の道標となり、君の最期を語る言葉があるとすればそれは――アゼル・バーナム」

 

 それは人の名であって、人の名ではない。

 それは怪物の名であって、怪物の名ではない。

 それは剣士の名であって、剣士の名ではない。

 

「君を君足らしめるのは、君の魂に他ならない」

 

 アゼル・バーナムとは、この身に宿る魂の名なのだ。故に、怪物に成り果てても、剣に堕ち果てても、私が魂を人であると定め続ける限りは、変わらない。

 だが、そんなものは誰だって変わらない。それを知り、どこまで貫き通すか、それだけの違いではないだろうか。

 

「俺はアゼル君のそういう謙虚なところ、結構好きだぜ。でも、だからこそ君は傷付くということは忘れないほうが良い」

「はっ、何を言うかと思えば」

 

 組まれた腕を引っ張り耳元で真剣な声で言われた忠告を私は鼻で笑うしかなかった。

 

「心にもないことを。貴方も、私が傷付くことを望んでいるんじゃあないですか?」

「それこそ心外だ。俺がそんな酷い神に見えるのかい?」

 

 やれやれと肩をすくめたヘルメス様の表情は、新しい玩具を手の入れた子供のような笑みだったのだから。見えないとでも思っているのか、という言葉を私は口にしなかった。

 偶然とは言え花屋にいたので鈴音のお土産を買ってヘルメス様と共にその場を後にした。感謝を伝えたい人に渡すものだと言ったら店員が色々と勧めてくれたので、立派な花束を用意してもらった。

 

 

 

 

 ガチャガチャと音を立てる箱を両手にぶら下げながら私はヘルメス様の横を歩く。ヘルメス様は道行く女性に声を掛けては撃沈してを繰り返していくが、然程傷付いていない様子だ。一種のコミュニケーション、もしくは遊びなのだろう。

 碌でもない遊びだとは思う。

 

「後でアスフィさんにこっぴどく怒られても知りませんよ」

「はっ、舐めてもらっちゃあ困るねアゼル君――――百も承知さ!!」

 

 アスフィさんも大変だな、と思いながら溜め息を漏らす。

 

「私には害はないので構わないんですけど……それにしても、ヘルメス様がいてくれて助かりました」

「ふっ、俺も役に立つだろう?」

 

 私が両手にぶら下げている箱の中には食器類が入っている。『ディア・フローラ』で出会ったヘルメス様は私の事情を知ると快くどのような物を買えば無難か教えてもらえた。ケースに収納された同じ柄の食器類一式だ。バラバラで買おうとしていた私にはない発想だった。もう一つは来客用の少しばかり高い品だ。

 店まで紹介してくれた上に値引き交渉も行ってくれたのだから頭が上がらない。

 

「そうですね」

「……そこは、時々とか、偶にはとか言ってくれないと調子が出ないなあ」

「最近耳が遠くなってしまいまして、何か言いましたか?」

「それは大変だ、良い医者を紹介しよう。聞いて驚け――とびっきりの美少女だ!」

「はぁ……」

 

 二度目の溜め息が漏れる。溜め息を吐くと幸せが逃げるという迷信もあるが、アスフィさんの苦労人度合いを見ると、あながち迷信ではないのかもしれないとすら思えてくる。【ヘルメス・ファミリア】の団員達に少し同情した。

 

「まあ、ヘルメス様の笑えない冗談は置いておいて」

「酷いなあ」

「私に何か用事でもあったんですか? 会いに行く手間が省けたとか何とか、言っていたと思うんですが」

「ああ、その通りさ。あまり他の人には知られたくない用事でね。『ディア・フローラ』で会えたのは本当にラッキーだった」

 

 適当なカフェでお茶でもどうかな、とヘルメス様に誘われ私は頷いた。別段私の帰りが遅くて困ることはないだろうし、むしろ荷解き中の今私は邪魔者扱いだ。ヘルメス様と一緒にいたいかと問われると答えるのは憚られるが、この男神とは良好な関係を築いておいて損はないだろう。

 何よりも、奢ってくれるらしいので私の懐は痛まない。

 

 目に入った一番最初の店に入って、一応あまり人に聞かれたくない話なのか、店の一番奥の席に私とヘルメス様は座った。飲み物と軽食を頼んでからヘルメス様は話を切り出してきた。

 

「今回は俺が依頼者というわけじゃなく、仲介役だ。まあ、中立という立場上色々と間を取り持つことも多い」

「なるほど。で、依頼者は誰なんですか?」

「うん、それがまた困った人物、いや、困った神でね……正直、君以外だったら断ってたよ」

「……皆目見当が付きませんね」

 

 私以外には会わせたくない神、と言われた所で私にはそれらしい相手が思い浮かばなかった。そもそも神々にそれほど詳しいわけでもなし、知っている神と言えばこれまで関わった両手の指で足りるほどの数柱だけだ。

 

「――美の女神」

「フレイヤですか?」

「いいや、あの女神じゃないよ。彼女なら俺なんて通さずに君に会うだろうね。知っての通り彼女は中々に独占欲というものが強い」

「では他の美の女神ということですか……誰ですか?」

 

 他にいた美の女神を考えてみたが、私の脳内にはそんな情報はなかった。冒険者事情に詳しいベルや、オラリオの情報を逐一仕入れているリリ、神であるヘスティア様であれば答えに辿り着くこともあっただろう。

 

「イシュタルだよ。歓楽街の支配者、【イシュタル・ファミリア】の主神さ」

「【イシュタル・ファミリア】……なるほど」

「あの【ファミリア】と少々因縁があるだろう?」

「少々、と言っていいのかは分かりませんが。一部には殺されるほど憎まれてますね」

「今回はそれとは別件と考えてもらっていい。イシュタルもそのことは承知だろうから、何かしら対策をしてくれるだろう」

「それで、彼女の依頼とは?」

 

 【イシュタル・ファミリア】の戦闘娼婦(バーベラ)達との因縁は、私とオッタルの戦いの時に始まった。ホトトギスの暴走によって見境のなくなっていた私はオッタルとの戦闘で邪魔だった戦闘娼婦の一人を斬ってしまった。彼女は死の淵を彷徨ったらしく、その恨みで彼女の仲間達に襲われ、危うく私も毒殺されるところだった。だが、その時斬った戦闘娼婦は私の前に切り裂き魔ハナとして再び現れ、今まで二度の戦闘を行ってきた。

 前々から【イシュタル・ファミリア】という存在は知っていたが、その主神である女神イシュタルが美の女神だとは知らなかった。

 

「別段難しい依頼じゃない。急遽君に会いたいと依頼されてね」

「……ヘルメス様、先程歓楽街がどうたらと言っていましたよね」

「ああ……【イシュタル・ファミリア】はオラリオに存在する歓楽街の総元締めみたいなものだ。あの地区の殆どが彼女等の支配下だ。勿論【イシュタル・ファミリア】も娼館を営んでいるし、だからこそ戦闘娼婦なんてものがいる」

「会いに来い、というのは?」

「さあ? 俺には彼女の真意が分からなかったよ」

 

 肩をすくめてヘルメス様は困ったように笑った。私には目の前の男神の真意が分からなかった。

 

「でも、イシュタルもフレイヤと変わらず子供達には中々に刺激が強い存在でね……彼女に誘惑なんてされてしまえば子供達はたちまち魅了されてしまうんだ」

「だからこそ、私ならというわけですね」

「そう、フレイヤの魅了すら効かない君ならイシュタルに会っても問題はないだろう。言ってはなんだが、フレイヤの魅了は別格だ」

 

 これはイシュタルには言わないでくれよ、とヘルメス様は付け加えた。

 フレイヤの魅了は別格と言われて、私はそうだろうと納得した。イシュタルに誘惑されたら、とヘルメス様は言った。だが、フレイヤはそんなことせずともすべてを魅了していく。視線を向けただけで、言葉をかけられただけで、その指先で触れられただけで、まるで夜に浮かぶ月を見上げるが如く万物を惹き寄せるのがフレイヤという女神だ、

 

「イシュタルはフレイヤに強い対抗意識を持っていてね、そこらへんに君と会いたい理由があるのかもしれない」

「……本当にあの女神は厄介事を運んできますね。美の女神じゃなくて疫病神なんじゃないですか?」

「君、それ彼女の眷属に聞かれたらただじゃ済まないよ」

「何、返り討ちにしてやりますよ」

「はぁ……君は本当にぶれないな」

 

 ヘルメス様は溜め息を吐きながら、頼めるかなと聞いてきた。

 断る理由が特になかったので、私はそれを了承した。

 

「いや、良かった! 実は今夜彼女に会わないといけなくてね。機嫌の悪いイシュタルなんて、絶対に会いたくないからね、本当に良かった良かった」

「……娼館通いも程々にした方が良いのではないですかね。いくらアスフィさんでも、愛想を尽かしてしまうかもしれませんよ?」

「いやいや、彼女からの依頼で届け物をしないといけないだけさ」

 

 流石に神からの依頼を眷属に任せるわけにはいかないのだろう。考えてみれば美の女神であり人を魅了する神であるなら、眷属に任せるなんてできるわけがなかった。

 

「まあ、折角歓楽街まで出向くんだから、遊んではいくけどね」

「…………はぁ」

「おいおい、何だよその溜め息は? アゼル君だってそういうことには興味あるだろう? そういう年頃だろう!?」

 

 全くないと言えばそれは嘘になるが、それはそれ、男なのだから仕方がないだろう。美しい女性を見れば見惚れることもあるだろう、瑞々しい四肢を見せつけられて疼く時もあるだろう。だが、そのどれもが私の剣に対する欲求に劣る。

 

「まあ、そんなことより。何時会いに行けば良いんですか?」

「そんなことって、君らしいというかなんとういうか……あー、急な話で悪いんだが、今晩行けるかい?」

「特に問題はありません」

「じゃあ、頼むよ。案内役を一人付けるらしいから、歓楽街の第四区画に入った所で待ってて欲しいそうだ」

 

 そう言ってヘルメス様は私に地図を渡してきた。歓楽街のあるオラリオの南東の方面に明るくない私にとっては大いに助かる。

 

「後、これも。これが目印だから、しっかり見えるように身につけておいてくれよ?」

 

 地図と共に羽を模した装飾品も渡される。

 

「君も今や有名人だからね、変な噂を立てられるのは嫌だろう? これならフード付きのローブを被っていても大丈夫、というわけさ」

「お心遣いありがとうございます」

 

 娼婦や歓楽街で働いている人々を貶めるつもりは全くないが、確かに【ファミリア】の面々やその他の知り合いにあらぬ誤解を抱かせないに越したことはない。有難く装飾品を受け取り私はそれを懐に入れた。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等があったら気軽に言って下さい。

 はい、章管理しておきますた。章の名前は割りと適当です。でもまあ、どういう感じの話になるか、ある程度分かるかと思います。いい章名が思いつかなかったんです……

 ちなみに、アゼルが買った花束はオラリオ特別制長期保存できる包み紙に包まれているので大丈夫です(嘘です)。お土産買うって言ってたんだった、と読み返した時に気付いてつけたした部分です。更にちなみに、花束は白いダリアとガーベラを想定していましたが、わざわざ書かなくてもいいかと思って省略しました。両方花言葉が感謝です。

 次話は明日投稿できるかどうか分かりません。たぶんできません。今回の投稿はここまでとなりそうです。

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