* * *
「そろそろいい時間になるな。話もまとまったようだし、私は御暇させて頂くとしよう」
平塚先生が口を開いたところでわたしも時刻を確認する。
せんぱいと過ごす時間を少しでも長く楽しみたいという気持ちはあるが、さすがに長々と居座りすぎたので、わたしもそれに続くことにした。
「わたしも、そろそろ帰りますね」
「一色、よかったら送っていくぞ」
「あ、じゃあお願いしてもいいですか?」
平塚先生がわたしを気遣ってくれたので素直に甘えることにした。
「先生、ありがとうございました」
「気にしなくていい」
「……っす。あと、よろしくお願いします」
「うむ。では行くとしようか」
「長々とお邪魔しましたー」
「平塚先生もいろはさんまた学校でー!」
それぞれ挨拶を交わした後に玄関へ向かおうとすると、わたしを引き止める声が聞こえた。
「あー……一色」
「はい?」
「先生、ちょっとだけ外で待っててもらっていいですか?」
「ん? 構わないが……」
「小町、お前もちょっと外せ」
「およ? なになに? なんかあるのお兄ちゃん? んー?」
「いいから」
ニヤニヤしながらからかうような声音の小町ちゃんとは対照的に、せんぱいの声音は至極真面目なものだった。
それを察してか、小町ちゃんは「ちぇー」とつまらなそうに平塚先生と一緒に外へ出て行った。
「で、どうしたんですか?」
「お、おお、うん」
「なんできょどってるんですか……」
「う、うっせ……。とにかく、ちょっと待ってろ」
せんぱいはそう言い残して二階へ上っていってしまった。
不思議に思いながらもその場でおとなしく待っていると、綺麗にラッピングされた小箱を持ってせんぱいが戻ってくる。
「あー……その、こんな状況だし学校じゃアレだから、ほれ」
「……なんですか、これ」
「ちょっと早いが、先に渡しとく。……お前、もうじき誕生日だろ」
わたしが口をあけたまま呆けていると、せんぱいは顔を真っ赤にしながら「早く受け取れ」と催促してくる。
長い沈黙の末に、ようやく理解が追いつく。瞬間、嬉しさと温かさが心の奥底から一気に溢れ出してきて、思わず涙が浮かびそうになってしまった。
――わたしの誕生日、ちゃんと覚えててくれたんですね。
「……せんぱいあざといです。あざとすぎます」
「第一声がそれかよ……。いいから、ほれ」
そうして二度目の催促で、わたしはそれを受け取る。
「せんぱいのくせに……」
「悪かったな」
「開けてもいいですか?」
「あぁ」
ラッピングを丁寧に剥がし箱を開けると、綺麗なヘアピンのセットが入っていた。
「……へぇ。せんぱいにしては意外とまともなチョイスですね」
「おい、なんだその言いぐさ」
「まぁ悪くはないですし、仕方がないのでもらってあげます」
「ほんで、なんでそんな上から目線なんだよ……。いらねぇなら返せ」
「いらないとは言ってませんよ。……あの、ちょっとだけ後ろ、向いててもらっていいですか?」
「……ん」
せんぱいが後ろを向いたことを確認した後、バッグから手鏡を取り出してさっそくつけてみる。
「……せんぱい、もういいですよ」
「あいよ」
「似合いますか?」
「……まぁ、いいんじゃねぇの」
「やりなおし」
「お、おう……。ん、その、似合ってる、と思う」
「……そうですか」
わたしから吹っかけたにもかかわらずなんだか気恥ずかしくなってしまい、せんぱいから顔を背けてしまった。
「まぁ、その……そういうことだから。悪かったな、引き止めちまって」
「……いえ。ありがとうございました」
「んじゃ行くか」
「せんぱい」
「ん?」
頬が赤く染まってしまっているような気がしたが、せんぱいからわたしの表情はうかがえない。
だからこそ、ちょっとくらい素直になってもいいだろう。
「……誕生日プレゼント、超嬉しいです」
「そ、そうか……」
お互いに表情を隠したまま玄関の扉を開くと、車に乗り込んだ平塚先生と小町ちゃんがわたしを待っていた。
「もう済んだかね?」
「すいません、お待たせしましたー。小町ちゃんもごめんね」
「いえいえー……およ?」
さっきまではなかったヘアピンとわたしの表情に気づいた小町ちゃんは、わたしとせんぱいを何度も交互に見ながら「ほーん? ほーん?」とニヤニヤしている。
そんな小町ちゃんに対して、せんぱいはばつの悪そうな顔をしながら「うぜぇ……」と視線を逸らしながら呟いている。
その光景を見た平塚先生は「青春だなぁ……。いいなぁ……」と呟きながら、羨望の眼差しを向けている。
そしてわたしは恥ずかしさを誤魔化すように、ヘアピンで止めている前髪をいじり続けていた。
――ごほん、と平塚先生の咳払いが聞こえたのでわたしはそちらを向く。
「一色、そろそろ行こうか」
「あ、はい。先生よろしくお願いします」
「また遊びに来てくださいねー!」
「じゃあな一色。先生もお気をつけて」
わたしが乗ったことを確認すると、平塚先生の車が動き出す。最後に助手席から二人へ向けて手を振ると、それに応えてくれる。
そのまま二人の姿が見えなくなるまで、わたしは窓の外から見える景色を眺め続けた。
* * *
「……最初に君を奉仕部へ連れて行ったのは、生徒会選挙の時だったか」
車を運転しながら平塚先生がわたしに声をかけてきた。
「そうですね……。少し、懐かしいです」
「あの頃と比べると、君も変わったように私は思うよ」
確かにわたしは変わったのかもしれない。ただ、肝心なところで何もできないところは変わっていない。
「……そうですかね」
「少なくとも、君を奉仕部へ連れて行ったことは間違ってなかったようだな」
「……わたしも、そう思います」
もし、奉仕部と関わることがなかったなら、わたしはどうなっていただろう。
バカみたいに“偽物”に手を伸ばし続けて、“本物”と呼べるものすら知ろうともせずに、自己満足に浸るだけのわたしに成り果てていたのだろうか。
「……特に比企谷は、君にとっていい変化をもたらしたのだろうな。海浜総合高校との一件以来、それが少しずつ強くなっていったように感じるよ」
「……よく見てますね」
「当たり前だ。それが教師というものだよ」
生徒それぞれをそこまでしっかり見ている教師は世に多くない。だからこそ、平塚先生のような人は珍しい。そう思うからこそ、取り繕うことなく、素直に肯定した。
「最初はどうなることかといろいろ心配だったが……いい意味で期待を裏切ってくれたよ。君も、比企谷も」
言いながら平塚先生はわたしに温かい眼差しを向けた。褒め言葉と受け取っていいものか迷っていると、再びくすりと笑う声が聞こえた。
そんな会話をしているうちに、わたしのよく知る景色が目に入ってきた。
「……そろそろ着く頃だな。降りる準備をしておきたまえ」
* * *
「ありがとうございました」
「構わんよ」
車を降り、平塚先生にぺこりと頭を下げて礼を言う。
「では、また学校で」
「一色」
別れの挨拶を済ませ、頭を再度下げたところで平塚先生がわたしを呼ぶ。
「なんですか?」
「雪ノ下も由比ヶ浜も、そして比企谷も君のことを大切に思っている。……だからこそ、傷つけるし、傷つくんだ。そのことを忘れないようにな」
「……はい」
「私が言いたいのはそれだけだ。ではな」
「……お気をつけて」
そうして平塚先生の車を見送った後、玄関の扉を開いて中に入るとお母さんがちょうど夕食を作っていた。
わたしは「ただいま」と一言だけ告げた後、自分の部屋に戻り、着替えもせずに真っ先に机の引き出しを開けた。今日だけは、記憶が薄れないうちにと急いで日記を書いておきたかった。
書き終えた内容を確認すると、二ページ以上にも渡るほど濃密な内容になっていた。それだけわたしの中で嬉しく、大きな出来事だったのだろう。
そうしているうちに結構な時間が経っていたのか、わたしを呼ぶ声が聞こえた。どうやら夕食ができたらしい。丁度お腹もすいていたし、食べ終えたらお風呂にでも入って寝てしまおう。
ただ、心の中でずっと平塚先生が言っていた言葉が引っかかっていた。それはわたしの間違いを正そうとしているような――どこか、そんな印象を受けた気がする。
わたしは、傷つけているということは間違いではない。そして、これから傷つけられるということも、それらが続いていくこともきっと間違ってはいない。
――じゃあ一体何が間違っているというのだろうか。
やることをひととおり済ませた後も、答えがでないものを考え続けた。
それでも結果は変わらないまま、わたしの意識は薄れていった――。
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※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。