* * *
街灯や様々な看板の光が照らし出す夜道を歩いていると、ときどき夜風が吹いて散った桜の花びらをひらひらと舞わせながらわたしの頬を撫でていく。
それがやたらと冷たく感じるのは、わたしの顔がいつもより赤く染まっているせいだろう。
わたしがせんぱいに頭を撫でてもらった時間はとても短いものだったが、その感触は鮮明に覚えていて、未だに心臓がどきどきと早鐘を打っている。
雪ノ下先輩と結衣先輩に見られたかなと少しだけ顔をあげると、相変わらず日常の一ページに花を咲かせていて気づいているようには見えない。だが、気づいていないふりをしている可能性があることも否定はできない。
わたしは嬉しさと恥ずかしさ、後ろめたさが入り混じった表情で再び俯いて少しだけ歩調を速めると、隣で自転車を押しながら歩くせんぱいも自然に、いつものように合わせてくれる。
そういうところ、ほんとにあざといなーと思いながら歩いていると、二人の後ろ姿が近くなっていく。
「二人とも遅いよー!」
わたしとせんぱいが追いついたことに気づいた結衣先輩は立ち止まり、ぷんぷんという擬音が浮かぶように頬を膨らませる。その自然な仕草は結衣先輩の人柄も手伝っているせいか、やけに可愛らしく見えた。
わたしもそういった仕草をすることは多いが、それは自分を可愛らしく見せる方法の一つとして意図的にやっていることが多い。表面上は魅力的に見えても、内面は打算や腹黒さ、汚さで染まっている。
そんなわたしとは違って、城廻先輩や結衣先輩は意図的にやっているわけじゃない。自然と、素直な感情がそういう仕草に繋がっているので、同じように見えてまったく別の物だ。見る人が見ればはっきりとわかる。
結局はわたしは養殖と呼ばれる“偽物”であって、“本物”じゃないと、勝てるわけがないのだと諦めてしまっていた。
でも、心の中ではそれを否定したいわたしがいて、結果、中途半端に手を伸ばそうとして引っ込めて、また手を伸ばそうと繰り返す。それが、少し前までのわたしだった。
そんなことを考えていたせいで険しい顔になっていたのか、わたしを心配するように結衣先輩が尋ねてくる。
「いろはちゃん、どしたの?」
「あ、いえ、なんでもないですよー」
「……そう?」
可愛らしく首を傾げる結衣先輩の仕草はやっぱり純粋で、可愛らしい。それを見たわたしの心の中で嫉妬と羨望が生まれ、複雑に入り混じったせいで、もやもやする。
そんなわたしの様子を見た雪ノ下先輩が静かにかぶりを振った。深く考えないほうがいいというニュアンスが込められていたので、わたしはそれに従い小さく頷く。
「ところで、小町ちゃんはどうしてるんですかねー?」
そして、まとわりつく感情を振り払うようにわたしは話を逸らした。
「小町さんにはできる範囲での準備をお願いしたのだけれど、それでも一人じゃ限界があるでしょうね。だから後は私が手伝って何とかするわ」
「ゆきのん、あたしも手伝うよ?」
「いえ、由比ヶ浜さんはゆっくりしていて構わないわ。だから余計なことは絶対にしないでね、絶対に、絶対によ」
「相変わらず言い方がひどい!?」
表情をころころと変えながら雪ノ下先輩に泣きつく結衣先輩と、それを迷惑そうにしつつも抱きつかれたままの雪ノ下先輩も、二人とも素敵な女の子。
そんな二人と比べれば出会った時期も遅く、一緒に過ごした時間も少ない。ようやくスタートに立てたわたしじゃ足元すら見えていないだろう。でも、何もしないまま、負けたくない。
わたしは二人から見えないように、隣にいるせんぱいの制服の裾をくいっと、控えめに掴む。
「どした」
「いえ、なんでもないですよ?」
「じゃあなんで掴んでんの……」
わたしは自分の右手が掴んでいる小さな繋がりを黙って見つめたまま、答える。
「……わたしがそうしたいから、ですかね」
「ああ、そう……」
――だから、ちょっとくらいずるいことしたって、許してほしい。
* * *
閑散とした住宅街に差し掛かるにつれ、駅前や大通りの喧騒は徐々に聞こえなくなっていく。時刻も相まってか、聞こえてくるのは足音と、車やバイクの音、そして犬や猫といった動物の声だけだった。
わたしは先週の土曜日、小町ちゃんに連れられてこの道を通った。遠くに見えるコンビニの看板も、塗装が剥げて少し錆びている標識も、確かに覚えている。
そういえばと結衣先輩へ視線を向けてみれば、辺りをきょろきょろしながら「この辺だったような……」と呟いていた。あぁ、やっぱり結衣先輩も行ったことあるんですね、せんぱいのおうち。
今度は雪ノ下先輩へ視線を移してみると、身体を隠すように肩を抱きながらきょろきょろしていて。この場所に初めて訪れたような、そんな視線の泳がせ方だった。あぁ、雪ノ下先輩は行ったことないんですね、せんぱいのおうち。
そのまましばらく歩いているうちに、先週の土曜日に訪れたばかりの一軒家が見えてきたので、わたしは掴んでいた繋がりを離した。
「自転車置いてくるから、先あがってていいぞ」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えて」
「あ、うん。お、お邪魔します」
門扉を開きながらせんぱいがそう言うと、雪ノ下先輩と結衣先輩は返事をした後、玄関の扉を開いて中に入っていく。開いた扉の隙間からは、小町ちゃんの賑やかな声が聞こえてきた。
わたしは中には入らずにもう一度せんぱいの制服の裾を掴み、今度は少しだけ強めに引いた。
「いや、お前何してんの。あがってていいから」
「や、そうじゃなくてですねー……。……もう少し、こうしてたいっていうか」
「そのままだと俺動けないんだけど……」
「いいじゃないですか、ちょっとくらい」
「はぁ……」
わたしが拗ねたようにそう言うと、せんぱいは諦めたようにため息を吐いた。
しばらくしてから、名残惜しむように掴んでいた裾を離し、わたしは玄関の扉を開く。すると、中からぱたぱたとエプロン姿をしたまま小町ちゃんが駆け寄ってくる。
「あ、小町ちゃん、こんばんはー」
「いろはさん、いらっしゃーい。ささ、あがってください。あ、お兄ちゃんもおかえり」
「おう、ただいま」
「わざわざありがとね、小町ちゃん。それじゃあ、お邪魔しまーす」
小町ちゃんに案内されてリビングへ向かうと、結衣先輩が食器を準備しながら声をかけてきた。
「あ、やっと来たし」
「すいません、結衣先輩。わたしも手伝いますー」
わたしが床に鞄を置いて手伝おうとすると、結衣先輩がそれを手で制止した。
「や、いろはちゃんはゆっくりしてていいよ? 今日は、いろはちゃんのためなんだし」
「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらいますねー」
「うん! ほら、ヒッキーも手伝って」
「へいへい……」
わたしは近くにあったソファに座った後、小さな空間を眺める。
「小町さん、塩はどこかしら?」
「その棚にありますよー」
雪ノ下先輩はキッチンで料理を作っていた。その隣で小町ちゃんがお手伝いをしていた。……あれ? さっき言ってたことと違って立場が逆転してません?
「ゆきのーん。やっぱりあたしもそっち手伝おっか?」
「小町さんがいるから大丈夫よ。それより、由比ヶ浜さんは余計なことをしないように力を入れてちょうだい。もう一度言うけれど、絶対に、絶対によ」
「まさかの二回目!?」
「そうだぞ由比ヶ浜。人様の誕生日を台無しどころか大惨事にする気か」
「あたしってそこまでなんだ!?」
「そんなにひどいんですか……。ちょっと、興味あるかもです」
わたしがなにげなく口にした一言に、全員が反応した。
「おい一色、正気か。間に合わなくなっても知らんぞ」
「一色さん、やめておきなさい。絶対に後悔するわよ」
「今度は直球だ!? ていうか、ちょっとはマシになったんだからね!」
ふてくされたように頬を膨らませる結衣先輩に、小町ちゃんがそっと優しい声音で声をかけた。
「結衣さん、小町は結衣さんの味方ですよ」
「小町ちゃん……」
「……でも、小町はお兄ちゃん、雪乃さん、いろはさんの味方でもあるのです。だから、小町には何もできないのです」
てへっといたずらっぽく舌を出した小町ちゃんの仕草は、なんだか自分を見ているようで思わず変な気持ちになった。……ちょっと控えようかな、うん。
「それより、こっちもう終わるぞ」
うわーんと泣き声をあげる結衣先輩を無視して、せんぱいが雪ノ下先輩へ声をかけた。
「……小町さん、お願いしていいかしら」
「はいはーい」
小町ちゃんが冷蔵庫の扉を開き、箱のようなものを取り出した。それをテーブルの上に置くと、きらきらとした瞳でわたしを見つめながらふっふっふーと含み笑いをする。
「じゃーん! 奉仕部特製ケーキでーす!」
「おお、なんだこれすげぇ。お前らよくこんなの作れるな」
小町ちゃんが箱を空けると、近くにいたせんぱいが珍しく感嘆の声をあげた。
わたしの座っているソファからは箱しか見えないので一度立ち上がり、近づいて中を覗く。すると、中にはホールのショートケーキが入っていて、装飾のように散りばめられたチョコチップやフルーツがとても豪華に見える。
「わ、なんですかこれ。え、ていうかこれ普通にお金とれるレベルだと思うんですけど」
「気合いれちゃいましたー!」
小町ちゃんが心底楽しそうに、きゃいきゃいとはしゃぐ。
「いろはちゃん、ありがとね」
結衣先輩がしっとりとした声音でわたしに声をかけた。
「え? いや、わたし何もしてないですよ? ……ていうか、お礼を言わなきゃいけないのはむしろわたしのほうですし」
「ううん。……いろはちゃんは、きっかけをくれたんだよ」
わたしが首を傾げると、雪ノ下先輩が口を開く。
「……一色さん。あなたがいたおかげで救われた部分も、私たちにはあるのよ」
雪ノ下先輩はそう言って、静かに目を伏せる。
「まぁ、その、なに。……俺にもうまく言えんが、そういうことだ」
せんぱいが気恥ずかしそうに、頭を掻きながら言った。
「だからこれは、あたしたちからいろはちゃんへのお礼だよ。……いろはちゃん、お誕生日おめでとう!」
結衣先輩が最後に、ひときわ明るく大きな声でお祝いしてくれた。
きっかけだとか、救われた部分だとか、わたしにはよくわからない。けど、わたしへ向けてくれるこの気持ちは間違いなく“本物”と呼べるものなのだろう。結衣先輩、雪ノ下先輩、小町ちゃんからそれぞれ渡された誕生日プレゼントも、わたしのために考えて、悩んでくれたのだろう。このヘアピンをくれたせんぱいも、そうなのだと思う。
そのことにじわりと涙が浮かび、こぼれ落ちそうになるのを必死で我慢しようとした。でも、我慢できないまま、涙は頬を伝って流れていく。
素敵な人たちと、わたしにとって特別な人と過ごす誕生日は、同じ出来事のはずなのにこんなにも違って見えて、綺麗で、眩しい。
――わたしは十七歳になった今日を、この誕生日を、きっとこの先も忘れない。
誕生日編はこれで終わりです。
ちょっとした息抜きのお話に感じていただけたのなら私は満足です。
次はデート編ですが、まぁ、頑張ります。
それではここまでお読みくださり、ありがとうございました!
※抜け落ちてた描写追加と、ゆきのんが分裂してたので修正。どこの天さんだよ。