* * *
――どうしても、しておきたいことがあったから。
四月の半ばを過ぎ、あと二週間ほど経てば五月を迎える。
そんな休日の土曜日、わたしはモノレールに揺られながら千葉駅へ向かっている。休日の快晴ということもあってか、車内はそれなりの賑わいを見せていた。
窓から流れ込んでくるぽかぽかとした日差しにうとうとしながらも千葉駅に着き、モノレールを降りて改札を抜け、待ち合わせ場所である東口へ向かっていると人波の中にせんぱいの姿を見つけた。
身だしなみを整えた後、急いでせんぱいのいるところへ駆け寄っていく。すると、わたしの姿を見つけたせんぱいが小さく手を上げて応えてくれた。
「すいません、お待たせしちゃいましたか」
「ああ。結構待ったわ」
「だから、そこは今来たとこって返すべきなんじゃないですかね、って言いたいところなんですけど……」
駅の時計を見ると時刻は九時五〇分を指していて、待ち合わせに指定した時間より少しばかり早い。
「わたし、結構早めに出たつもりだったんですけど、せんぱいのほうが早かったみたいですねー。あ、もしかしてわたしとのデート、楽しみにしてくれてたんですかー?」
「ちげぇよ……。っつーかお前、小町まで巻き込むんじゃねぇよ。おかげで朝早くから追い出されただろうが」
「だってせんぱい、電話したのに出てくれないんですもん。わたし、ちゃんと折り返しの電話待ってたんですよ?」
わたしがむーっとしながら言うと、せんぱいはうぐっとくぐもった声をあげる。
「い、いや、だったらメールくれりゃよかったじゃねぇか。それなら、後からでも用件は伝えられるだろ。俺としてもそうしてくれるとすごく助かるぞ、うん」
「普通ならそうしますけど、せんぱいの場合、気づかなかったとか言ってなかったことにしようとするじゃないですか」
わたしがじとーっとした目で睨むと、せんぱいは諦めたように肩をがっくりと落とし、ため息を吐く。……あの、わたしのほうがため息吐きたいくらいなんですけど。
「わかった、俺が悪かった。次からちゃんとする。だから、小町を巻き込むのはやめろ。俺に効くから」
「……約束ですよ?」
「はいよ……」
せんぱいがやれやれと言いたげに二度目のため息を吐く。……いや、だからわたしのほうがため息吐きたいくらいなんですけど……。
「で、今日どこへ行くかなんですけど……。せんぱいは、行きたいとことかありますか?」
「いや、特にない。しいて言うなら家だ。だから今すぐ帰ろうぜ」
「まったく、もう……。すぐそういうこと言うんですから……」
こんなどうしようもないこと言う人だけど、わたしにとっては大切で、特別な人。そう思いながら、呆れつつもどこか安心したようにわたしはくすっと笑った。
「……お前、やっぱ素のほうがマシだな」
そんなわたしの様子を見て、せんぱいは短くふっと息を吐いた後、そう言った。
「え、なんですか急に」
「ああ、いや、今のも素だったんだろうけど、お前がそんなふうに笑うの、あんま見ねぇからな」
「…………」
「……忘れてくれ」
わたしが呆気にとられたままでいると、せんぱいは顔を赤くしながらそう言った。
「………………せんぱいのそういうとこ、ほんとあざといです、ばか」
わたしのことを、ちゃんと見ていてくれている。そのことがどうしようもないくらい、嬉しかった。わたしが思わずせんぱいの袖をぎゅっと掴むと、相変わらず鬱陶しそうに、恥ずかしそうな表情を浮かべる。でも、やっぱり本気で嫌がることはせずに、わたしを受け止めてくれる。
ときどき、わたしらしくないわたしが顔を覗かせて、またわたしの知らないわたしを知ることができる。そして、いつのまにか、わたしの知らなかったわたしがわたしになっていく。
でもそれは嫌じゃなくて、なんだかせんぱいにわたしを染められているような、独り占めされているような、端的に言えば愛されているような気がして、むしろ嬉しくなる。
――本物が欲しい。
わたしはあの一幕を思い出しながら、心の中で呟くように反芻する。そして、今度はせんぱいの手を掴み、手をつないだ。
「ちょ、お前なにしてんの。恥ずかしいからやめろ。ほら、周りも見てるから。勘違いされちゃうから」
「……わたしだって恥ずかしいです。ちゃんと手をつなぐなんて、初めてですから」
「いや、だったら……」
わたしは真っ赤に染まった顔を少しだけ上げて、今にも泣き出してしまいそうなくらい潤んだ瞳のまませんぱいを見つめた。そして、かき消えてしまいそうなくらい震えた声で、言葉を絞り出すように呟く。
「……お願いします」
「くそ、お前のほうがよっぽどあざといじゃねぇか……」
今は強引なわたしのわがままだけど、でも、いつかはちゃんと――。
わたしは、わたしの願った“本物”を確かめるように手をつなぎ直して、そのまま歩き出した。
* * *
駅前から中央の歓楽街へ続く道を、冬の思い出と重ねながら歩く。
あの頃のわたしは、葉山先輩に抱いていた感情と、それとは別の小さな感情がお互いにせめぎあい、どちらにも揺れたまま、この道を歩いていた。でも、今は違う。
かっこいいから、優しいから、なんでもできるからと、そういったステータスの部分だけを見ては憧れて、勝手な理想を押しつけて。都合よく感情を捻じ曲げて、都合よくこじつけて。そんなもの“本物”とは呼べないただの勘違いで、わたしは恋に恋していただけだって、最近になってようやく気づけた。
今、わたしの隣には手をつながれたまま恥ずかしそうに歩くせんぱいの姿がある。どれだけ見ても、やっぱり腐った目が全てを台無しにしていて全然かっこよくないし、優しそうに見えるどころか不審者に見えるし、できないことばかりありそうでマイナスイメージしかなかった。おまけにシスコンだし。
でも、わたしは知っている。こう見えて頭がよかったりとか、思いのほかなんでもできるのだとか、見た目からは想像もつかないくらいいいところがいっぱいある。でも、わたしにとってはそれだけじゃない。
わたしが困っていると、嫌々そうにしながらも手を差し伸べてくれて、背中を押してくれて、助けてくれる。わたしがわがままを言っても、困った顔をするだけで、ちゃんとわたしのことを受け止めてくれる。
「えへへ……」
つないだ手を見ながらそんなことを考えたせいか、自然とにやけてしまい、変な声がでてしまった。はっとして隣を見ると、せんぱいが顔を引きつらせながら口を開く。
「なんだその気持ち悪い声……」
――うわぁ、台無し。
「女の子に向かってそういうこと言うのは、さすがにひどすぎると思うんですけど……」
「いや、お前だって俺がいきなりえへへとか言いだしたら気持ち悪いって思うだろ」
せんぱいがそう言ったので、想像してみる。
……うわ。
「あぁ、確かに気持ち悪いですね。せんぱいの場合は特に」
「ねぇ、なんでわざわざ俺を傷つけるような言い方したの?」
「でも……」
わたしはそこで一旦言葉を区切ると、つないだままの手をもう一度ぎゅっと握って、言葉の続きを口にする。
「他の人は知りませんけど、わたしはそんな気持ち悪いせんぱいがいいので、そのままでいてほしいです」
「それ、全然褒められてる気がしないんだけど……」
訝しむような表情を浮かべるせんぱいを見ながら、わたしははにかむようにくすっと笑った。
* * *
そのまま歩いていると、五叉路になっている大きな交差点に着く。
ここからまっすぐ進んでいけば、以前に訪れた映画館やボウリング場のほうへ行ける。また、この周辺にはカラオケやゲームセンターもあり、遊ぶ場所には困らない。
実際に今日はそうしようと思ってここまで来たのだが、なんだかしたかったことと違っているような気がして、自然と足が止まった。そんなわたしに従った形で、せんぱいも立ち止まる。
もし、このまま予定どおりにデートしたとしても、きっと楽しめるとは思う。でもそれは前と同じで、ただ楽しめただけで終わってしまうような気がした。何も変わっていない、何も進んでいないと叩きつけられているようにわたしには映ってしまいそうで、それが嫌になった。
「どした」
そんなわたしの様子を心配してくれたのか、優しい声音でせんぱいが尋ねてくる。
わたしはせんぱいと普通のデートがしたいんじゃない。せんぱいと、せんぱいらしいデートをしたい。そして、それを一緒に楽しみたい。
――そう思ったら、自然と答えが出た。
「せんぱい」
「ん?」
「今日は、せんぱいの行きたいところに連れて行ってくれませんか?」
わたしが真面目な表情でそう言うと、せんぱいは困惑した表情を浮かべながら、逡巡するようにぶつぶつと呟く。
「え、あー、でも、なぁ……」
「だめですか……?」
「いや駄目とかじゃなくて、単純につまんねぇだろうなって思うんだよ。お前、本とか読まないだろ」
本、というのはわたしや結衣先輩が読んでいるようなきゃぴきゃぴした雑誌じゃなくて、雪ノ下先輩やせんぱいが読んでいるような小説だとか、せんぱいが読みながらニヤニヤしているラノなんとかとか、そういう本全般のことだろう。
「確かにそうですけど、せんぱいのことをちょっとでも知れるならそういうのもいいかなって」
「あ、そ、そう……? んじゃ、図書館でも行くか……?」
「……はいっ!」
もっと知りたいと、知ってほしいと、近づきたいと、近づいてほしいと、そう思うのは、ちゃんとした気持ちがそこにあるから。
隣を歩いているせんぱいの姿を横目で見ながら、わたしはそんなことを思った――。
ちょっと甘すぎたかもしれませんけど、なんか頑張ってたら書けました。
詰まっている時になんとか書き上げたものの、今朝になって読み直してみるとウワァァァってなってしまう時、ありますよね。
そんな感じになるかもしれませんので、最悪書き直すかも。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!