斯くして一色いろはは本物を求め始める。   作:あきさん
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 部活動の時間が終わる手前。

 返しておいてやると言ったせんぱいに生徒会室の鍵を預け、わたしはサッカー部へ急ぎ足で向かう。それはもちろん、揺らぐことのない確かな決意を伝えるために。

 たたたっと一気に階段を駆け下りてそのままグラウンドへ出ると、忙しなく動き続けている人のかたまりの中に目当ての人物を見つけた。

 少しだけ乱れた息を整えつつ、どこか懐かしむ眼差しで、他の部員に指示を出しながら走り回っているその姿を眺める。

 一目見た時から、ずっと憧れ、憧れ続けていた。

 もっと近づくために、ずっと追いかけ、追いかけ続けていた。

 でも、あの日をきっかけにわたしは変わった。

 だから、気づけたんだ。

 誰にでも優しい人だから、わたしには優しくない人だと。

 告白までしておいて、散々言い訳をしておいて、いまさらこんなこと言うのはずるいかもしれないけど。

 何度問い直しても、その答えは変わらなかったから。

 葉山先輩。

 わたしの求めた、願った本物は。

 ――あなたじゃ、なかった。

 口の中だけでそんな言葉を溶かした時、ちょうどホイッスルが鳴り響く。

 それはまるで、わたしが描き続けていた空想の物語が終わりを告げるかのようだった。

 

****

 

 ミニゲーム形式の練習が終わり、それぞれの部員にマネージャーの子たちがタオルやドリンクを手渡している。その輪の中心にいるのは、もちろん葉山先輩。……一応、戸部先輩も。

 去年までは、きっとわたしもそこにいたんだろうなぁ。

 でも、そこにはもう、わたしはいないから。

 一つだけ息を吐いて、確かめてみる。それでもやっぱり、心残りなんてものはなくて。

 人だかりに一歩、また一歩と近づくたび、一つ、また一つと何かから決別しているような錯覚に陥る。それでも、不思議と足が止まることはなかった。

 足音に気づき、葉山先輩がこちらに向かって軽く手を上げてきた。その動作に誘導され、周りの視線全てがわたしへと集中する。

「あんれー? いろはす、どしたん?」

 わたしの姿を見るなり、戸部先輩がやかましい声をあげる。いやいや、戸部先輩に用はありませんから……って、そうじゃなくて。

「葉山先輩、ちょっといいですか?」

 着飾ることのないわたしの素の声に、他の部員やマネージャーがざわつく。部活にちゃんと出てた時期は常に猫なで声全開だったし、そりゃ当然の反応か。……葉山先輩や戸部先輩はともかく。

「みんなは先に着替えててくれ」

 わたしの真剣な表情に何かを察し、そう告げてから葉山先輩がこちらにやってくる。普段の温厚な雰囲気からは想像もつかない厳かな口調にぴたりと声は止み、次第に張り詰めた空気へと変わっていく。

「戸部、後は任せた」

「お、おう……」

 おろおろとした様子でわたしと葉山先輩を交互に見つめていた戸部先輩に、葉山先輩が言葉を向けた。強い語調には、明らかな拒絶の色が滲んでいる。

 ……正直助かるけど、やっぱり前のわたしと同族だよなーこの人。

 葉山先輩が人払いをした理由は、至ってシンプル。相手を気遣ったともとれる行動の裏にあるものは、ただの自分本位なものだ。

 隠している自身の黒い部分を、汚い部分を、人には知られたくない。ある種の仮面とも呼べるそれは、誰しもが持っているものであり、どのくらい重ねるかも人の自由でもある。

 求められているキャラクターを演じ続けるという仮面は、前のわたしも葉山先輩も同じだ。見抜けなかった以上、仮面の分厚さは葉山先輩のほうが上だったけど。

 知られたくないからこそ、遠ざける。

 理解してほしくないからこそ、近づかせない。

 つまりは、今回もそういうことだろう。

「それじゃあ、いろは」

「はい。……あ」

 歩き出そうとしたところでふと思い立ち、心配そうな表情を浮かべている戸部先輩に向き直る。

 ディスティニィーの時の借り、ここで返しておこうかな。これからは接点なくなりそうだし。

 ………………とても不本意、不本意だけど。

「戸部先輩あの時はありがとうございましたそれだけです」

 早口で言い、勢いよく頭を下げ、すぐにふいっと顔を背ける。コマ送りのような一連の流れを横で見ていた葉山先輩は一瞬目を丸くしたものの、直後にぷっと吹き出した。うわ、なんかすごいムカつく……。

「な、なんかよくわかんねーけど……まぁ、いいってことよ!」

 残念ながら意味は伝わらなかったらしく、戸部先輩が親指をぐっと立て適当に返してきた。ちゃんとお礼も言えたしもうほっといていいよね、うん。ていうかこれ以上はメンタル的な意味でもう無理です。

「葉山先輩お待たせしました。行きましょう」

 気恥ずかしさから、行き先が不明瞭なままずんずんと歩き出す。わたしの背後からは笑いをかみ殺す声が聞こえてきて、だんだん屈辱感まで生まれてきた。

 ……あーもう、とにかく借りは返しましたからね!

 

 二つの足音と影がグラウンドから遠ざかっていく。その途中、不意に葉山先輩が歩調を速めてわたしの隣に並んだ。

「それにしても驚いたな。まさか、いろはが……」

「なんですか何か文句でも?」

 からかう声音にちょっとだけイラッとして、じとっとした目つきになってしまう。だが、葉山先輩はお構いなしに平然とした様子で続けてくる。

「いや、戸部に礼を言うなんて予想外すぎたからな。面白いものを見せてもらったよ」

「別に面白くないですしただ借りを返しただけですし。葉山先輩がわたしを振った時の」

「ああ、あの時のか……」

「気にしなくていいですよ。おかげで葉山先輩に幻滅できましたし」

「ははっ、ひどいな」

「お互い様ですよ、そんなの」

「いろはには言われたくないな」

「葉山先輩、ブーメランって知ってます?」

 お互いに嫌味の言い合いをしつつ、どちらからともなく同じ方向へと足を進める。そうして人気のない校舎裏までやって来た時、葉山先輩が足を止めた。

「ああいうの、やめたんだな」

 きっと、限られた人にしかわからない言葉。わたしは遠くを見つめるように空を見上げ、少しだけ目を細めてぼそりと呟く。

「もう、わたしには必要ないですから」

 きっと、限られた人にしか伝わらない決意。ただ、目の前の人には確かに伝わったらしく、ふっと肩をすくめて苦笑した。

「ずいぶんと彼に染められたんだな」

「お言葉に甘えて、素直になってみました」

 自分でも意地の悪そうな顔をしたと思う。でも、葉山先輩とはこの距離感でいい。

 去年、いや、実質は先月くらいまで、二人の立ち位置は逆だったはずなのに。

 問い直した結果、交差して、入れ替わった。

 問い続けた結果、近づいて、離れた。

「葉山先輩」

 だから、まがいものの恋もどきとは、ここでお別れ。 

「わたし、サッカー部を辞めます。――今まで、お世話になりました」

 深々と頭を下げ、はっきりと口にする。

 短いようで、長くて。

 何度も寄り道をして、遠回りしたけど。

 やっと、言えた。

「そうか……」

 わずかの間の後に、物憂げな声が届く。

 葉山先輩は今どんな表情をしているかはわからないけど、何を言われてもわたしの出した答えは変わらないし、変える気もない。

「なんとなく、そんなことになる気はしてたよ。あの時からね」

 二人きりの奉仕部での、あの場面。

 苛烈さを秘めた瞳で現実を突きつけられた、あの瞬間。

 でももう、あの時とは違うんだ。顔を上げ、しっかりと葉山先輩を瞳に捉える。

「前も言ったと思うけど、それがいろはの望んだ答えなら俺は何も言わないし、否定もしない。ただ……」

 一旦そこで区切ると、葉山先輩が視線を宙に移す。

 見上げた先にあるものは、一体なんだろうか。気になったわたしも同じ方向を見てみたものの、薄くオレンジ色に染まり始めた空があるだけだった。

 傾き始めた太陽を眺めていると、妙な引っかかりを覚えた。陽が沈めば、月が浮かび夜になる。そんなのは当たり前のことなのに。

「まだ解決はしていないんだろ?」

「…………」

 沈黙は肯定と捉えたのか、言葉を返さないわたしに葉山先輩は呆れ交じりに笑う。だが、それも一瞬のことですぐさま表情を戻し、目を伏せ、一言。

「なら、気をつけたほうがいい」

 二人きりの奉仕部で言われた時とは違う、鋭利な痛ましさを含んだ警告。それは冷たい水をぶっかけられたような感覚で、嫌でも意識がそちらに戻される。

「今のいろはたちを見て、あの人が黙っているとは思えないからな」

 諦め交じりの寂しげな表情をする葉山先輩の姿は、どこかで見た覚えがある。なんだっけな、どこだっけかなと記憶を辿っている間に、葉山先輩がくるりとわたしに背を向けた。

「じゃあ、俺はこれで。……頑張れよ、いろは」

「あ、はい。ありがとうございました」

 手を上げその場を離れていく葉山先輩の姿を見送った後、長々と息を吐く。

 あぁ、終わった……。

 わたしを締めつけていた鎖がぱきんと音を立て、壊れた気がした。達成感、開放感といった感情がぽつぽつと湧き上がり、心の中を満たしていく。

 が、余韻に浸ろうとするわたしを引き戻すかのように、最終下校時刻を知らせるチャイムが鳴り響いてしまう。

「……やばっ」

 

 行きよりもずいぶんと軽くなった足取りで、わたしはぱたぱたと慌てながら生徒会室へと駆け戻るのだった――。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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