斯くして一色いろはは本物を求め始める。   作:あきさん
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 グラウンドを離れ、ほんのわずかに暗さを増した階段を駆け上がる。

 軽快な足音を響かせて生徒会室へと続く廊下に差し掛かった時、壁に寄りかかっているせんぱいの姿が視界に飛び込んできた。わたしの上履きのゴムが鳴らした音に気づくと、のそっと上体を起こしてせんぱいがこちらへ向き直る。

 と、そこで肩にかかっているもう一つの鞄に目が留まった。紅色のリボンがワンポイントのあの鞄は間違いなく、わたしのもの。

 あーもう、あの人は一体どんだけわたしの乙女心をくすぐれば気が済むんですかね……。帰っちゃっただろうなー、一緒に帰れなくて残念だなーって思ってたのに、わたしの荷物持ってちゃんと待っててくれるとかポイント高すぎです。ていうかもうカンストどころか上限を振り切ってるまであります。

 ……ほんとに、ほんとに、もう!

 一時停止していた足を再度動かし、タイミングを計りつつせんぱいのもとへ。あと数歩といった距離まで近づいた時、腕を伸ばし胸元目掛けて倒れ込むような形で抱きつく。

「どーん!」

「うおっ、……とっ」

 若干ふらついたものの、前のめりで胸元へ飛び込んだわたしをせんぱいは受け止めてくれた。伝わってくる胸板の感触や体温に、めいっぱい瞼を閉じて頬をすりすりとこすりつけてしまう。

「……お前なぁ」

「えへへ、ついー……」

 ため息交じりの声に、口元がへにゃっと緩んだまま答える。が、直後に肩を掴まれ、ぺいっと引き剥がされてしまった。

「……うー、せんぱいのいけずー」

「いやお前、ここ廊下だからね?」

 その言葉を聞いた瞬間、わたしの頭の上で電球がぴこんと閃く。

「あっ、じゃあ廊下じゃなかったらいいんですか?」

「え、あ、や、そ、そういう意味じゃねぇよ……」

 反撃は予想外だったらしく、せんぱいの視線があちらこちらと宙をさ迷い始める。むふふー、今がチャンス。

「隙あり、です!」

 べたっと腕に引っ付くと、すぐ近くにある肩が勢いよくびくっと跳ねた。回した腕にぎゅむっと力を込め、離すつもりはないと主張する。

「お、おいこら」

「別にいいじゃないですか~」

 甘えた声を出すわたしには何を言っても効果なしと判断したのか、せんぱいは抵抗するのをやめて力なく首を前に垂らす。

「はぁ、結局こうなるのかよ……」

「……だって、しょうがないじゃないですか」

「何が」

「せんぱいの顔見たら、わたし、甘えたくなっちゃうんですもん……」

 脱力してうなだれているせんぱいの顔を覗き込み、頬をぽっと染めながら拗ねた口調で呟く。そんなわたしを見てせんぱいは少し固まった後、火が吹き出たかのように顔を真っ赤にした。

「……あぁもう、とりあえず行くぞ」

 ぷいっと視線を逃がしたまませんぱいが歩き出したので、わたしも歩調を合わせて続く。お互いの腕が絡まっているせいで歩きにくそうにしてはいるが、無理に振りほどこうとは決してしない。

 その優しさが、たまらなく心地よくて、嬉しいから。

 もっと、一緒にいたくなってしまう。

「せんぱい、今日はもうちょっとだけ……」

「……別にいいけどよ」

 

 それは膨大な時間の中にあるほんの一部の、ごくわずかな時間に過ぎないとしても。

 できるだけ長く、誰よりもと、すぐ隣にある温もりにそっと頬を触れさせ、確かめた――。

 

****

 

 学校を出て、せんぱいの漕ぐ自転車に揺られながら、駅近くのマリンピア内にあるカフェに向かう。もうすっかりと馴染んだ後部座席の上で感じる初夏の風は、速度のおかげでいくらか涼しく感じる。

 カフェを選んだのは、勉強も見てもらえるし、ゆっくりいちゃついたりもできるという単純な理由から。……ちょっとだけ、ほんのちょーっとだけお腹がすいたっていうのもあるけど。

 目の前には、深く関わったことのない人からすれば頼りない、けど、わたしにとっては何よりも頼もしい背中がある。それを自覚するとつい小さく笑みが漏れてしまい、抱きついた腕に力を込めて、その背中にぽすんと顔を埋めた。

 ……離れたくないなー。

 ふとそんな寂しさが湧き出し始めたあたりで、自転車のブレーキがかかる音が響いた。

「もう着くし、そろそろ降りとけ」

「あっ、はい」

 言われ、仕方なく後部座席から降りる。そうして自転車をとめるために駐輪場のほうへ向かっている途中、せんぱいが口を開く。

「一色、さっきは聞きそびれちまったが……その、どうだったんだ」

「辞めることについては特に何も言われませんでしたよ」

 引っかかっていたのか、無意識に、含ませた言い方になってしまった。それを聞いたせんぱいは立ち止まり、心配そうにわたしを見つめてくる。

「……それとは別に何か言われたのか」

「ええ、まぁ……」

 後で話しますと言い添えたものの、心配、不安、怯えといった感情が綯い交ぜになった表情のままでいるせんぱいの顔を見上げ、微笑む。

「わたしは大丈夫ですから、そんな顔しないでください。……ね?」

「ん……」

 多少和らぎこそしたが、せんぱいの表情はまだ硬い。影が差した瞳が捉えているものは、本当にわたしの姿だけなのだろうか。そんな顔をされ続けてしまえば、信じているとはいえ、“約束”があるとはいえ、さすがに不安を覚えてしまう。

「せんぱい……?」

「あ、あぁ悪い。ちょっと考えごとしてた」

 おそるおそる見上げると、せんぱいはわたしの頭にぽんと手を乗せて、大丈夫だと言いたげにくしゃくしゃと頭を撫でてくれた。その感触に自然と目が細まり、心も落ち着いていく。

 わたしが気持ちよさそうに顔を綻ばせたところで、やっとせんぱいも口元を緩ませてくれた。それに伴い、不穏になりかけた空気も必然的に元に戻っていく。

「そろそろ行きましょうか」

「おお」

 足並みを揃えて歩き出し、再び駅の雑踏に溶け込んだ。

 

 マリンピア内の1階にあるカフェに着き、トレイへ手を伸ばす。が、横から伸びてきたせんぱいの手に遮られてしまった。どうやらわたしの分も出してくれるらしい。

「で、どれにすんの」

「……ありがとうございます」

 チョコクロとアイスティーをお願いし、一足先に空いている席に腰掛ける。しばらくすると会計を済ませたせんぱいがやってきたので隣をぽんぽんと叩くと、未だに不慣れな様子でわたしの隣に腰を下ろす。

「ほれ」

 自分が注文した分を弾くとトレイごと差し出してきたので、それを受け取る。

「ごめんなさい、わたしのわがままなのにいつもいつも……」

「気にすんな」

 頭を下げようとしたところで、手で制されてしまった。申し訳ない気持ちがくすぶっていてすっきりとしないが、今は厚意に甘えることにしてチョコクロにはむっとかぶりつく。

「……おいしい」

 初めて食べたわけでもないのに、今日はなぜか無性においしく感じる。

 夢中になってもぐもぐと食べ進め、気づけばあっという間に完食していた。すると、すぐ横からふっと吐息を漏らす音。

「お前、相当腹減ってたんだな」

「はう……」

 図星を突かれ、思わず赤面する。う、うう、そんなにがっついて見えたかな……。複雑な乙女思考から生まれた恥ずかしさに、ついもじもじと身もだえしてしまう。

「あ、一色、ついてる」

「……えっ」

 置いてあったペーパーナプキンを手に取り、わたしの口元をせんぱいがさっと拭った。その流れるような動作に呆気にとられ、ぽかんと口を開けてしまう。

「す、すまん。つい……」

 そして、理解が追いつくと同時にただでさえ熱かった顔がより熱くなっていく。あ、え、ど、どどどうしよう穴があったら今すぐ入りたい飛び込みたい潜りたい埋まりたい。

「み、見ないでくださいー……」

 両手で顔を覆っていやいやと首を振る。よりによってなんでこんな子供みたいなこと……。

「や、その、ほんとすまんかった……」

「あ、あう、あう……」

 萎縮したような暗く重く声からばっと顔を背け、うりんうりんと身をよじる。お互いがお互いにやらかしてしまったと、気まずい雰囲気が漂い出してしまった。

 な、なんとかしなきゃ……。

「そ、その、つ、次は、自分で拭きます、から……」

「お、おう……」

 顔を震わせながらもなんとか瞳だけ覗かせてもしょもしょ呟くと、ぎこちない簡素な返事が返ってきた。それ以降は二人揃って言葉を失くしたまま、視線同士がぶつかっては逸れ、ぶつかっては逸れを繰り返し、時間だけが流れていく。

 ま、まだちょっと顔は熱いけど、そろそろ話さなきゃ……。

 ようやく冷えてきた頭で話題、話題と探しているうちに、そういえばと思い出す。同時に、遠くからかつかつと床を叩くヒールの音が聞こえてきたかと思えば、すぐ近くでぴたりと鳴り止んだ。

「おや、奇遇だねー」

 間もなく耳に届いた聞き覚えのある声に、思わず目を向ける。

 

 ――あの人が黙っているとは思えないからな。

 

 そこに立っていた人物の姿を見て、葉山先輩の言葉がふと頭を過ぎり、記憶の中のパズルがかちりと噛み合った。

 思い出した……。

 バレンタインイベントの時、葉山先輩にあんな顔をさせたのも、奉仕部の三人の様子が途端におかしくなったきっかけを作ったのも、間違いなくこの人が原因だと思う。

 底の知れない恐怖を感じた進路相談会の時と同じ表情を、同じ瞳の黒さを、あの時もしていたから。

 あれほど強烈だったにもかかわらず、どうして、どうして思い出せなかったんだろう。ただ、問いかけたところで状況が変わるはずもなく。

「ひゃっはろー、比企谷くん。あと、いろはちゃんも」

 心がざわつき、直感が危険だと告げてくる。けど、だからといってどうするか、どうしたらいいかなんて、わたしにはわかるはずもなくて。

「あ、えっと、お久しぶりです、はるさん先輩」

 

 だから、取り繕ったあたりさわりのない言葉を、つまらない言葉を吐き出すことしか、わたしにはできなかった――。

 

 

 

 

 




今回約4000文字を書くのに、やたらとくぅ疲でした。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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