斯くして一色いろはは本物を求め始める。   作:あきさん
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ちょっとだけ遅刻マン。


4#05

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 カフェを出ると、薄闇の空はすっかり夜の空へと移り変わっていた。

 身体の震えこそ収まりはしたが、心は未だに影が差したままでいて。そのせいか、辺り一面を包み込む闇がわたしの胸中と同期しているように思えてしまい、余計に気持ちが晴れてくれない。

 高嶺の花、雲の上の存在。陽乃さんにはそういう類の言葉がよく似合う。生徒会長になっていなかったのなら、間違いなく関わることがなかったのだろうと思う。現に仕事の上で顔を合わせたのもこれまでにも二、三回くらいしかない、知り合いと呼べる程度の間柄。

 しかし、成り行きから前以上に接点を持つことになってしまった。

 あの人は本当にわからない。知ろうとすることを躊躇わせるほど底が知れない。それでも、と手を伸ばせば引き込まれ、ただ飲み込まれていくだけで、わたしには一生をかけても雪ノ下陽乃という人間の本質には辿り着けそうにない。

 結局わたしがいくら考えたところで、もうどうにもならないのはわかっている。だが、マイナスの感情が思考を放棄することを許してはくれず、ポジティブとネガティブとが交互にひたすら循環し続け、気持ちの掃き溜めばかりが積み重なっていく。

「……悪かったな」

 自転車をとめている駐輪場目指して二人並んで歩いている最中、不意にぽつり、そんな呟きが耳に入ってきた。明らかな自責が滲んだ重苦しい声色に、頭の中の時間が止まる。

「何が、ですか……?」

「雪ノ下さんがあの場に来たのは、間違いなく俺のせいだ」

 わたしが振り向くと、せんぱいは静かに空を見上げて吐息交じりの声で言う。視線の行き先にあるものは、浮かんだ月と広がる闇。そして、物憂げな表情には自嘲と後悔が見て取れた。

「だから、すまん」

「……いえ、大丈夫です」

 正直言ってお世辞にも大丈夫とは言える状態じゃないし、今すぐにめいっぱい甘えたいし、ずっと慰めていてほしいくらい。

 けど、陽乃さんの言葉がリフレインして欲求は押し留められ、そのまま引っ込んでしまった。不満を口にすることができずに悶々としていると、せんぱいが空白の間を繋いだ。

「それともう一つ、お前には謝っておきたかったことがある」

「なんですか……?」

 謝られるようなこと、なんかされたっけ。記憶を掘り起こしてみたものの、思い当たる出来事はない。

 目線をわたしへと戻し、せんぱいが顔の色を変えることなく疑問の先を口にする。

「俺の勝手な都合で、お前に生徒会長という役職を押し付けちまったことだ」

 あぁ、一人納得し頷く。最初こそ仕方なく乗せられて就いた会長職だったが、今となってはやっていてよかったと胸を張って言える。だって、そのおかげでわたしは成長することができたから。

「そんなこと、気にしなくていいんですよ」

 今度はわたしが空を仰ぎ、頭上にある黒い海を穏やかに泳いでいく雲を眺める。

「むしろ、感謝してるくらいです」

 そう言い添えると、せんぱいが驚いて目を白黒させた。わたしはもう一言だけ付け加えることにして、精一杯、わたしにできる限りの笑顔を作る。

 こんなの、意味のない強がりだ。でも……。

 後ろ手を組み、くるりと身体をせんぱいのほうへと向ける。自分の気持ちを隠して、目の前の人を気遣うことだけにリソースを割いて、震える寸前の唇で言葉だけを紡ぐ。

「だから、もう謝っちゃだめですからね」

「…………すまん、そう言ってくれると助かる」

 せんぱいの声を最後まで聞き遂げてから、もう一度、視線を宙へと移す。すると、さっきまでと変わっていないはずの夜空はいっそう暗さを増していた気がして、より重苦しさを感じた。

 

****

 

 自宅に帰ってからは、すぐにぐでっとベッドにうつ伏せで倒れ込む。

 疲れたというよりかは精神をすり減らした、といった感覚だろうか。何もやる気が起きない。

 どこか虚ろで頼りない足取りのわたしを心配してせんぱいが家まで送ると申し出てくれたが、今回は遠慮して一人で帰路についた。というよりも、そうせざるを得なかったといったほうが正しいのかもしれない。

 突き刺さり続け、抜けてくれない陽乃さんの言葉が、あの時のせんぱいの表情が、わたしの行動に制限をかけてしまった。

 そう捉えてしまうこと自体が、考えすぎなのかもしれない。ただの思い込みで、被害妄想なのかもしれない。けど、余計な思考を追い出そうとすればするほど、負の感情の海にどんどん沈みこんでいく。

「はぁ、だめだー……」

 ポケットにしまってあった携帯を手にしてから、ごろんと寝返りを打つ。するすると慣れた手付きで操作して、フォルダに保存してある一枚の写真を表示させる。

「わたし、どうしたらいいんですかね、せんぱい……」

 画面に向かって、届くはずのない問いかけを投げかけた。しんと静まり返っている自室にわたしのか細い声だけが響き、跳ね返ってくる。それがなんだか無性に空しくて、寂しくて、やっぱり虚しい。

 写真の中のわたしは笑っているけど、今のわたしはどうだろうか。自分の顔をベッドの近くにある姿見に映し出してみると、抑えることのできなかった気持ちの証が頬を伝った。

「あー、もー……」

 瞳からこぼれ落ちた滴をぐしぐしと袖口で拭い、身体を起こす。

 とりあえずお風呂に入ってリラックスしつつ、ぐだぐだと考えることにしよう。

 

 ――そう思い始めてから、どのくらい時間が経っただろうか。

 ゆったりと全身を湯船に浸からせても、お気に入りの入浴剤の香りに包まれても、ちっとも落ち着かない。むしろ、静謐な空間がわたしを独りぼっちに追いやっている気さえしてきて、不安だけが大きくなってしまった。

 誤魔化したくて、ぱしゃぱしゃと何度かお湯をかけてみる。が、水滴がぽたぽたと垂れるだけで胸のつかえは取れてくれない。

 そもそもわたしはどうしてこんなに悩んで、追い詰められているのだろうか。気にせず普段どおりにべたべた甘えてしまえばいい。だが、そうやって開き直ろうとするたびに刺さり続けている言葉の棘がより深く食い込んで、執拗に邪魔をしてくる。

 関係に無理矢理割り込んで、引っ掻き回して、強引だったとは思うけど。罪悪感も、まったくないわけじゃないけど。

 わたしはただ、“本物”が欲しくなっただけなのに。

 やっと、やっと、わたしの望んだ“本物”と呼べる関係になれるって、嬉しかったのに。

 どうして、どうして――。

「……っ、う、うぁ、うう……」

 天井から落下して床を叩く水音の中に、嗚咽交じりの小さな悲鳴が交ざる。やり場のない憤りや不満、悲しさや寂しさの蓄積がふと強くなり、耐えきれずに溢れてしまった。

 泣いたところで現実が変わるわけないって、わかってる。でも、せめてわたしとせんぱいの間に結んだ“約束”くらいはまだ信じていたい。じゃないと、わたしはきっと壊れてしまうから。

「せん……ぱい……」

 口を押さえたまま、自身の小指を、指切りしていないほうの手で縋るように包む。そして、少しだけ遠くなってしまった時間を思いながら、みっともなく、ぐずぐずと泣き崩れた。

 せんぱいに頭を撫でてほしい。

 今すぐせんぱいに抱きつきたい。

 わたしがえへへと笑えば、せんぱいがしょうがないなって顔をする。

 大好きなせんぱいに、好きなだけ甘えられる。その日常が、ひたすら恋しい。叶うのなら、巻き戻ってほしい。

 繰り返し願うたび、こぼれ落ちていく。それを止めようとすることもなく、我慢しようとすることもなく、ただただ、滴らせ続ける。

 

 そうして涙が枯れる頃には、暖かいはずの浴槽はすっかりとぬるくなってしまっていた――。

 

 

 

 

 




私の筆の速さからして、これが今年最後の投稿になるんじゃないかなーと。
なので少しばかり早めの挨拶となりますが、また来年からも宜しくお願い申し上げます!

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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