斯くして一色いろはは本物を求め始める。   作:あきさん
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 陽乃さんの黒い瞳が、じっと私を見据えている。そのせいで視界がちかちかしてきて、息を継ぐ間隔が短くなりそうになる。

 この人が望んでいる答えを口にすれば、話を終わらせること自体はできると思う。でも、残っているわたしの最後のプライドが、そうすることだけは絶対に許さない。

 結果、思考は到達点を見失い中途半端な状態で消えていく。言葉どころか吐息ですらないものは喉元につっかえたまま溶けていき、無言を生む。そして、口を閉ざしている時間が長く続けば続くほど、後ろめたさがあることを色濃く裏づけてしまう。

 何か、何か言わなきゃ。でも、何も見えない。何も、見つからない。

「……なーんか、雪乃ちゃん見てるみたい」

 そんな中、興味を失ったように冷たく色のない声がわたしの耳を貫いた。思わず肩がびくっと動き、心臓の鼓動は一段階上に跳ね上がる。

「…………」

 そんなの、わかってる。陽乃さんに改めて言われなくても、わたし自身が誰よりも一番、わかってる。とはいえ、自覚している欠点を他の人に突かれるのはやっぱり鬱陶しくて、痛い。

 だから、言い返したい。今すぐ否定したい。けど、今までやってきたずるいことが、深く食い込んだ棘が、自制心や罪悪感として攻撃的な感情を心の奥底にしまい込もうとしてくる。そうして気持ちと理性が引っ張り合い、せめぎ合いを繰り返す。

「あの子も、一人じゃなーんもできないのよねぇ……」

 わたしの心模様を知ってか知らずか、陽乃さんは淡々と続ける。

「できないくせにできるって言い張っちゃって、結局は助けられて、守られてばーっかり。いろはちゃんのそういうところ、雪乃ちゃんとよーく似てて……可愛い」

 下唇をぎゅっと噛みしめ、熱く、冷たいものが瞳の端から込み上げてきそうになるのを必死でこらえる。すると、俯いた視界の外からくすっと笑う声が聞こえてきた。

 やめて。もう、やめて。

「――だから、そこがすごく気に入らない」

 当然、陽乃さんは待ってはくれなかった。現実がいつも優しいはずがないし、そこまで甘いわけがない。それは当たり前のことなのに、今は許容できなかった。 

 もう、限界。耐えられそうに、ない。

 話を遮断するように席を立ち、閉じていた唇を無理矢理こじ開けながら呟く。

「…………すいません。ちょっと、飲み物買いに行ってきます」

「はーい、いってらっしゃい」

 逃避の口実を受けた陽乃さんは、引き止めることなく明るい声音でそう言った。単純に見逃してくれているだけか、それとも泳がされているだけか。様変わりした態度と執着のせいで悪い方向にばかり勘ぐってしまう。

 とりあえず、ここから離れなきゃ……。

 挫折感や虚無感に包まれながら、わたしは生徒会室を一人後にした。

 

 校舎と特別棟をつなぐ廊下の四階部分は屋根がなく、いわゆる空中廊下になっている。わたしは今、そこへ赴いていた。

 手すりに寄りかかり、かすかな赤みが滲み始めた空をぼーっと見上げる。その合間合間に、梅雨特有の湿気を孕んだ風がまとわりついて、流れていく。

 ぶっちゃけ、この生ぬるさは不快でしかない。それでも、ちっとも生ぬるくないあの場所に身を置いたままでいるよりかは、全然マシに思えてしまう。

 かつてないほどの緊張に見舞われ、口の中はすっかりからからだ。乾いた喉を潤そうと、無造作に、ポケットに突っ込んでいた黄色と黒の警戒色をしたコーヒー飲料缶を取り出す。

 この状況でさすがにそれはどうかと自分でも思うけど、今は甘さに浸りたかった。

「甘い、なぁ……」

 かしゅっとプルタブを起こすと漂ってきた甘ったるい匂いが、心に安心をもたらす。誰よりも優しくてわたしにすごく甘い、あの人の温もりが、ただただ、恋しい。

 手にした缶を傾け、勢いよく口の中に流し込む。暴力的な糖分とわずかな苦味が同居する味は慣れ親しんだはずなのに、どこか懐かしく感じる。

 どこでボタンを掛け違えてしまったのだろう。はーっと一つ息を吐き出して、誰に向けるでもなく両眉を下げて微笑む。

 わたしの選択は、きっと間違っていない。だって、それを咎めていいのは自分だけだから。じゃあ、間違えたものは方法だろうか。なら、どう間違えたかを考える。

 陽乃さんの言葉に思い当たることが、一つだけある。たぶん、きっと、何もしないからこそ、何もできないと評されたのだろう。

 曖昧で、ぬるま湯のような関係。答えを待つと飾り立てて、衝突することを避け続けていただけの現実。それは二週間、いや、もっと長い時間。

 …………。

 感情を捨てて導き出された結論は、信じていた“本物”を崩すのには充分すぎるほどだった。缶の中身もいつのまにか空になっていて、もう甘さが広がることはない。

 ああ、と。自信が涙としてこぼれ落ちていく。

 直後、誰かがガラス戸を開けた音が耳に届いた。

 しかし、既に決壊した感情の爆発は止まってなんてくれなくて。

「やっぱりわたしなんかじゃ、あの二人には――」

「だから勝手に決めつけんじゃねぇよ」

 漏れた独り言を、聞き慣れた気だるげな声が遮った。その瞬間、瞳が声のした方向に吸い寄せられる。

「せん……ぱい……?」 

「ったく、探したぞ……って、何泣いてんのお前」

 突然現れた待ち人の姿に、落ちる滴の量は増えていく。髪は頬にべったりと張り付き、見るも無残になっているわたしの顔。それを見ると、せんぱいは頭を優しく撫でさすってくれた。

 変わらない優しさ、変わることのない温もりが、わたしをそっと包む。

「なん、で……どう、して……?」

「ほれ、行くぞ」

 わたしの投げた問いかけを無視し、せんぱいが手を取ってきた。

「えっ、あ、あの……」

「いいから」

 せんぱいがくいっとわたしの腕を軽く引き、歩くことを促してくる。けど、せんぱいが何をしようとしているのかまったく見当がつかず、思考が混乱の渦中に引きずり込まれる。だが、いい加減そろそろ戻らないと陽乃さんに何を言われるかわかったもんじゃない。

「で、でも、は、はるさん先輩が……」

「雪ノ下さんのことは心配しなくていいぞ」

 わたしの言葉が最後まで辿り着く前に、不安が打ち消される。口ぶりから、生徒会室に寄った際に陽乃さんと話を済ませたらしい。

「あと……」

 間を作り、せんぱいがわたしから一旦視線を外した。その後すぐにどこか気恥ずかしそうに、それでいて澄みきった表情で、途切れさせた先を、せんぱいがゆっくりと紡いだ。

 

 ――ずっと待たせて、悪かったな。

 

 たった一言。

 でも、わたしにとってその一言は、今までで一番、何よりも温かかった。

 

****

 

 奉仕部での、わたしにとっても特別だった一幕。

 せんぱいの曝け出した本音から逃げ出して雪ノ下先輩が向かった先は、皮肉にもさっき離れたばかりの場所だった。

 当時の出来事を逆再生するかのように、空中廊下から奉仕部の部室へと場面が移り変わろうとしている。逆行する物語の結末は、本来あるべきはずのものから逸れているだろう。

 平穏な廊下に響く二つの足音のうち、一つは揺らぐことなく淡々と。もう一つは、揺れに揺れまくっていて弱々しく。言うまでもなく、後者はわたし。

 目的地までの距離が縮まるたび、どくどくと鼓動のペースが速くなる。やがて、頻繁に通いつめていた扉は徐々に大きくなっていき、ついには目の前まで迫った。

 もし、もしもわたしがあの時間軸の中で、この扉一枚の境界線を踏み越えることができていたとしたら。仮定したところでどうにもならないし変わらないけど、すぐ前にある頼りなくて頼りになる背中を見ていると、過程は違っても結果だけは変わって欲しくないと願いたくなる。

 だって、わたしのスタートはそこで、わたしのゴールもそこだから。

「……どうぞ」

 せんぱいのノックに、雪ノ下先輩の声。それを合図に、せんぱいは“本物”を求めた場所へ。わたしは“本物”を知るきっかけとなった場所へ足を踏み入れる。

 そして、二つと二つの視線が交差した。

「……わかってはいたけれどね」

「うん……」

 達観めいた声と、気落ちした声。空気が、がらりと変わる。

「お前らに一つ、依頼がしたい」

 

 最後に、確かな意志を含んでいた声が一つ、二つの声の後に続いた――。

 

 

 

 

 




それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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