斯くして、一色いろはは本物を求め始める。   作:あきさん

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  *  *  *

 

 ――今は、ごめんなさい。

 

 雪ノ下先輩からの重い一言に、わたしとせんぱいは奉仕部からほど近い廊下で行き場を失くしたように佇んでいた。複雑な心境のまま巡らせるのは、やっぱりさっきまでの出来事で。

 ずっと欲しくて欲しくてしょうがなかったものにやっと手が届いた時、嬉しくない人間なんていない。けど、目の当たりにした人間味溢れる後味の悪さに素直に喜べるはずもなくて。

「ねぇ、せんぱい」

「どした」

「ほんとに後悔、してませんか……?」

 甘ったれにもほどがある。わたしはどうしようもないくらい甘ったれだ。同時に、心底めんどくさいやつだなと改めて思う。だって、こんな状況になってもまだ言葉を欲しがっている自分がいるから。

「……まぁ、後悔がないかと聞かれれば嘘にはなるな」

「そう、ですよね……」

「……でもよ」

 今にも泣き出してしまいそうな顔を晒したままでいると、せんぱいがわたしの頭にぽんと手を置いてきた。

「俺は間違ったとは思ってないぞ。だから、いいんだ」

 くしゃっとわたしの頭を一撫でした後、せんぱいが優しく微笑んだ。その言葉に、刺さっていた棘がするりと抜け落ちていったような感覚。

 

 ――できるようになるのは、できるようになるまで続けた者だけだ。

 ――二度と問い直せないなら、何もない未来より意味のある後悔を選べばいい。

 ――傷つけるってわかってても、もう逃げたくない。

 ――その結果壊れてしまったとしても、わたしは間違っているなんて思いたくない。

 

 ああ、わたしは見失っていたんだ。甘えと幸せのぬるま湯が当たり前になりすぎたせいで、実際にその当たり前が壊れてしまうのが怖くなったんだ。

 強引で、むちゃくちゃでも、わたしはそれを貫いてきたはずなのに。

 そんなわたしを肯定した上で、“約束”を結んでくれたはずなのに。

 

 ……大丈夫って言ったくせに、全然大丈夫じゃなかったじゃん。ちっともらしくなかったな、わたし。

「せんぱい」

 ほんと、かなわないな。

「ん?」

「お話、聞いてもらっていいですか?」

「……おう」

 せんぱいは、望んだ以上の答えを返してくれた。だから、次はわたしの番。

 胸の奥に溜まっていたものを全部曝け出すように大きく息を吐き、温かみを感じる瞳を正面から見据える。

「……実はわたし、さっきも自分に嘘ついちゃったんです」

 人間は誰しも嘘をついてしまう生き物だ。本音という刃を隠して傷つけないためだったり、冗談だったり。あるいは自分を逃がすためだったり、守るためだったり。場合によっては、塗り固めすぎて身動きがとれなくなってしまうことだってあるくらい、日常に飽和していることだ。

 ただ、大事なのはついたとかつかないとかじゃなくて。

「雪ノ下先輩や結衣先輩にはやっぱり後ろめたさがあって……それで……」

 誰かのために自分だけが傷つけばいいだなんて、間違ってるって知っていたのに。また、そのせいで自分よりも深く傷ついてしまう人がいるってことも、理解していたのに。

 手探りながらも、記憶や気持ちの切れ端を言葉として形にしていく。

「ほんとバカですよね、わたし。せっかくせんぱいが“約束”してくれたのに、自分で出した答えまで否定し始めて……」

 悲劇のヒロインぶってるわけじゃない。慰めてもらいたいわけじゃない。こんなの、一方的な懺悔みたいなものだ。ただそれでも伝えたくて、吐き出しておきたいから。

「せんぱいはすごいって言ってくれましたけど、わたしは全然すごくなんかないです。だって、一人じゃ何もできないくせにできるって言い張って、結局はせんぱいに助けられて、守られてばっかりでしたから……」

 吐露していくたび、覚えのある高揚感が湧き上がっていく。

「でもそんなわたしに、せんぱいはそばで見せてくれたんです。眩しくて、ずっと手が届かないと思っていた場所を」

 そこには、みんな、なんて都合のいい魔法の言葉は存在しない。あるのは、上辺や建前を取り払った酷く傲慢で、独善的で、利己的なおぞましい現実だけ。

 だからこそ、理想や幻想という夢物語の先に憧れ追いかけ続けた。作って、繕って、蓋をしてばかりだったから、手を伸ばしたくなった。

「なにより、ずっと……ずっと欲しくてしょうがなかったものを、せんぱいはくれました」

 たとえお互いの自己満足だとしても、相手と向き合って、押しつけ合って、それでも求め合えていける相手。また一つ知って、理解して、共有して願い合えていると信じられる存在。

 そして、どんなわたしでもわたしでいることができる唯一の特等席。たった一人しかいない、わたしの心の中の特別枠。

 ――やっと、掴めたんだ。

 絶対、手を離したくない。絶対、失くしたくない。

「だからこそ、わたしが頑張る時は今かなーって」

 何もしないのもできないのも、もう、やめだ。

「……なんとなく言いたいことは伝わった。まぁ、やること思い出したんなら行ってこい。待っててやるから」

 わたしは今、どんな顔をしてるだろう。まぁ、せんぱいの表情を見る限りそんなに悪い感じじゃなさそうかな。

「はい」

 まだいてくれるかなんてわかんないけど。

 でも、今しかできないこと、今ここにしかないものがあるから。

 くるりと身体を翻し、行ってきますと短く告げてその場を離れた。

 残っている二つの問題のうちの一つを、少しでも早く片付けるために。

 

  *  *  *

 

 最終下校時刻まで、あとわずか。

 ここから生徒会室まで歩いて数分もかからないが、ただもう時間がない。西へと落ち始めた太陽が照らす廊下を、全力で駆けていく。

 そうして昇降口へと続く廊下まで着いた時、通りがかりにある生徒会室にはまだ明かりがついているのが見えた。

 ……よしっ。

 一つ、深呼吸。心臓は相変わらずうるさい。けど、確かな安心感もあって。

「おっ、おかえりー」

 扉を開けると、読んでいた本を閉じて陽乃さんが声をかけてきた。時間をつぶしていたのは、わたしが必ずここへ戻ってくるという確信があったからだろうか。

「ただいまです」

 とりあえずはと陽乃さんの横、つまり、さっき逃げ出す寸前まで座っていた椅子を引いて座り直す。

「ずいぶん長い寄り道だったねぇ」

「……ほんと、そう思います」

 自嘲気味にくすりと笑い、窓の外に浮かぶ雲の切れ目へと視線を移す。瞳に映っているのは、隙間を縫って差し込んでくる光。

 いつだって、その明るい光が何度も迷いを晴らしてくれた。

 いつだって、その眩しい光が何度も震える背中を押してくれた。

 いつだって、その温かい光が何度も存在を認めて受け入れてくれた。

 もし今だめだったとしても、これから何度でも、きっと。

 だから、今度こそ、本当に大丈夫。

「はるさん先輩」

 呼び起こしていた記憶から目線を戻し、陽乃さんに向き直る。

「んー?」

「数学、明日からもよろしくです」

 含ませた意味を感じ取ったのか、陽乃さんの肩がぴくりと動く。

「……おや、どういう心境の変化?」

「わたしもがんばんないとなーって思っただけですよ」

 第三者からすれば、大した意味もない言葉の応酬。当事者からすれば、大きな意味を持つ意思表示と意思表明。

「それに……せんぱいが教えてくれましたから。わたしは間違ってなんかなかったって」

 揺らぎのない瞳でしっかり見据えて伝えると、若干の間の後、陽乃さんはおかしそうにくすくす笑い始めた。……えっと、わたし変なこと言ったつもりないんだけど。

「いやー、思ってたより比企谷くん効果絶大だなぁ」

「………………ふぇ?」

 陽乃さんのふわついた言葉に拍子抜けしてしまい、無意識に口から間抜けな声が漏れた。

「いろはちゃんが期待どおりでお姉さん嬉しいぞー」

「……え、えーっと?」

 わたしの理解を置いてけぼりにしたまま、陽乃さんは楽しげにうんうんと頷く。何がなんだかわかんない……。

「最初はなんでこんな子がーなんて思ってたんだけどねぇ……」

 興味深そうにわたしのことをまじまじと眺めながら、陽乃さんが頬杖をついた。

「あ、あのー……」

「ま、しょうがないよねこればっかりは」

「……さっきから一体何の話ですか」

「あ、ごめんごめん。こっちの話だから気にしないで」

「はあ……」

 そう言われるとなんか余計気になるんですけど……。視線で訴えかけてみたが陽乃さんはにこりと微笑むだけで結局何が言いたいのかわからず、話の展開とわたしの理解は差が埋まらない追いかけっこを続けたまま。

 一つ言えるのは、わたしに対する感情が今までと違う、ということくらいか。

「……結局さ、ただ待ってても何かが変わってくれるわけなんてないのよね」

 会話が消え始めた時、つまらなそうに陽乃さんがぼそりと呟いた。切なげで儚さを感じる響きを含ませた言葉は、いくつも思い当たる部分があって納得してしまう。

「変わらないのが嫌だったら、自分で動くしかないんじゃないですかね。わたしが言えたことじゃないですけど……」

 ちゃんと考えて、苦しんで、悩んで、あがいて、最後に動く。他の人にはどう映ってるかなんてわかんないし、それを知る方法なんかもない。でも、わたしはわたしなりに精一杯そうしてきたつもりだから。

「そうだね」

 反撃を覚悟しつつ言ったのだが、陽乃さんは満足げに微笑んだだけだった。……なーんか調子狂わされっぱなしだなぁ。おまけに煙に巻かれた気もするし。

「……っと、もうこんな時間だったか。長居しすぎちゃった」

 腕時計を確認すると、話はおしまいと言うように陽乃さんは鞄を肩にかけて立ち上がった。あーあ、これは明日まで持ち越しかなー……。

「……今日は、ありがとうございました」

 仕方ないかと諦め会釈をし、すっきりとしない気持ちを抱えたままわたしも帰り支度を整え始める。

「あ、そうだいろはちゃん」

「……なんですか?」

 思い出したように言う陽乃さんに一瞬身構えてしまったが、どうやら杞憂だったらしい。視界に飛び込んできた陽乃さんの微笑みは、表も裏も見えなくて。

「いろいろ意地悪しちゃってごめんね?」

 言い添えられた一言に、呆然としてしまう。

「じゃ、また明日ねー」

 ぽかんと口をあけ放心している間に、陽乃さんはばいばーいと手を振って生徒会室を去っていってしまった。

 もしかしなくても、あの人は、たきつけるためだけに……? 理解がようやく追いついた瞬間全身から力が抜けてしまい、がくりと膝から崩れ落ちそうになってしまった。

「………………なんですかそれ。わたし、まるでピエロじゃないですか」

 ため息を吐き、完全にやられたなーと一人自嘲しつつ愚痴をこぼす。すると、ちょうど最終下校時刻になったことを知らせるチャイムが校舎中に鳴り渡った。

 

 そのタイミングは確かな終わりを告げたことを象徴しているようにも感じて、わたしはもう一つだけ吐息を漏らした――。

 

 

 

 

 




UAが20万突破しました!
連載開始当初はここまで伸びるとはまったく思っておらず、のんびりやれたらなー程度の気持ちだったので非常に嬉しく思います。
本編は残すところあとわずかですが、最後まで書ききりますので今後も宜しくお願い申し上げます!


それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!

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