斯くして一色いろはは本物を求め始める。   作:あきさん
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 窓の外や廊下の遠くから届いていた喧騒はすっかり聞こえなくなり、校舎にはしんとした空気が漂い始める。そんな中、わたしは椅子に座ってぼーっと生徒会室の天井を眺めていた。

 最終下校時刻を過ぎているにもかかわらず、ぽつんと寂しげに明かりの点いた生徒会室。それに気づいた見回りの先生がそろそろやってくる頃だというのはわかっているものの、脱力感のせいか立ち上がる気力が未だ沸いてこない。だが、ずっとこのままというわけにもいかないだろう。

 重く感じる身体に鞭を打ち、鞄を肩にかけよいしょと立ち上がる。その直後、扉をこんこんと叩く音。……あちゃー、間に合わなかったか。

「どーぞー」

 怒られないよう居残りしていた理由を頭の中でいくつか繕い声をかけると、開かれた扉から表れたのは見回りの先生なんかじゃなくて。

「……あれ? せんぱい?」

「明かりが点いてたからまだいんのかと思ってな」

「もしかして迎えに来てくれたんですか?」

「……まぁ、そんな感じだ」

 がしがしと頭を掻きつつ、目を逸らしつつ。それを見て、わたしの心はふわっと舞い上がる。せんぱい、だいぶ隠さなくなったなー。……わたしも人のこと言えないけど。

「で、終わったのか」

 他に誰もいないことがわかると、せんぱいが確認するように尋ねてきた。

「ええ、まぁ。……意外どころか予想外な形で、でしたけど」

「……そうか」

 深くは聞いてこないその優しさは、やっぱり心地よくて。

「せんぱい、手」

 言い添えたのはたった一言だったが、思惑は伝わったらしい。そろりと差し出された手に自身の指を絡め、つないで、結ぶ。

 二度とほどけてしまわないように。

 絶対にほどけることがないように。

 そんな願いを込めながら、何度も、何度も、握って、包んだ。

「……んな心配しなくてもどこにもいかねぇよ」

「……ばか」

 お互いほんのりと赤く染まった頬で顔を見合わせ、くすりと笑い合う。心がむずむずして、今すぐ抱きついてしまいたい。でも……。

「今は、これで我慢します。まだ全部終わったわけじゃないので」

「……あいよ」

 そうして穏やかな時間を終わらせるように戸締りを済ませ、どちらからともなく歩き出した。歩調は自然と揃っていて、わたしの足音も揺れることはない。

 窓の外には、薄くオレンジ色に滲み始めた空がある。それは普段から目にしている当たり前の景色なのに、今日はいつもより別段と美しく見えた。

 

****

 

 翌日の放課後。

 一人でここへ来るのは、四月以来だっただろうか。あの時とは違う緊張を感じながら、とんとんと扉を叩く。

「どうぞ」

 ……よかった、いた。

 伝えたいこと、伝えなきゃいけないことがいっぱいある。頭の中で言葉の整理を済ませてから扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。

「こんにちはー」

「……一色さん?」

「……いろはちゃん?」

 中に入ると、すぐに怪訝そうな視線が二つ飛んできた。

「あなた、比企谷くんと一緒じゃなかったの?」

 雪ノ下先輩の質問に、首を大きく横に振る。それもそのはず、今この場にせんぱいはいない。いるわけがない。

「せんぱいには待っててもらってます。わたしの話が終わるまで」

 わたしは今朝、一通のメールをせんぱいに送った。内容は『放課後、生徒会室で。後で必ず行きます』といった要点をまとめただけのもの。

 待ちぼうけを食らわせてしまって、せんぱい、ごめんなさい。でも、わたしのこれからのために大事なことだから。

「……話って、昨日のこと?」

 結衣先輩が俯きがちに、困惑したような表情で呟く。

「はい、わたし、昨日は何も言えませんでしたから。……掘り返すみたいで悪いですけど」

 一旦区切り、胸に手を添え、深呼吸。

 二人に抱えていた後ろめたさとここでお別れするために。

 この先ずっと胸を張ってせんぱいの隣を歩いていけるように。

「今度はわたしのお話も、聞いてもらえませんか?」

 確かな決意を瞳に点して告げると、雪ノ下先輩と結衣先輩はお互いの顔を見合わせる。ただ、わたしだけは二人をじっと見据えたまま。

「……本当、不思議なものね」

 そこでふと、雪ノ下先輩が虚空へ視線を投げた。その瞳の先に捉えているものは、わたしにも心当たりがある。

「ゆきのん……?」

「何でもないわ。少し思うところがあっただけ……」

 不安の色を帯びた結衣先輩の表情に、雪ノ下先輩は目を伏せ口元に笑みをたたえる。

「一色さん」

 わたしを呼んだ声音は柔らかく、優しく、温かい。

「今度こそ、あなたの答え……聞かせてもらえるかしら?」

 きっとこれ以上似てしまうこともなくて、変な意地を張る必要だってない。だからこそ、迷いのない頷きを返して応えられる。

「……結衣先輩も、聞いてくれますか?」

 何一つ具体的なことを言わずに、避け続けてきた。踏み出すことを恐れて、逃げ続けてきた。だからこそ、その責任を果たさなくてはいけない。

「……わかった」

「ありがとうございます」

 一拍。

 瞼を閉じ、回想の中にある出来事の断片一つ一つを繋いでいく。そして先日目に焼き付けたあの瞬間を重ねながら、覚悟と共に口に乗せて――。

「……わたし、ずっとずるいことしてたんです」

 吐き出した。

 もう、途中下車することはできない。ただ、不思議と気持ちは晴れていて。事前に思考の整理を済ませていたおかげか、引っかかることなく、次の言葉がするすると頭に浮かんでくる。

「最初は、諦めてました」

 あの二人がいるから、あの二人のほうが、なんて言い訳を盾にして、本当の言葉や自分の想いから顔を背けていた。経験からくるひねた価値観から、おぞましい何かだと銘打って、蓋をして、見て見ないふりを繰り返していた。また、そうすることでしか割り切れず、『わたし』を保てなかった。

 そんなものはいらないと願ったはずなのに。あれだけ嫌っていたはずなのに。

「でも、気づいちゃったんです」

 仮面がより分厚くなっていくたび、心の中で咽び泣くわたしもどんどん増えていった。それでも手を差し伸べないまま、同じことを繰り返していた。けど、平塚先生と葉山先輩がきっかけを作ってくれたおかげで、間違っていると気づけた。

 諦めたふりをするくせに諦めきれなくて、理由をこじつけて逃げ道を作っているだけだって。居場所になりたいという虚実で心の表面部分を必死に塗り潰して、羨望と嫉妬、独占欲といった汚い部分を見せたくなかっただけだって。

「そしたら、どうしても欲しくなりました。もっともっと、欲しくなりました」

 何度問い直しても、何回解き直してみても、辿りついた答えは必ず同じだった。わたしがずっと欲しいもの、欲しかったもの、手を伸ばしたくなったもの、手に入れたかったもの、全部。

「強引にアピールして、むちゃくちゃなことばっかり言って、近づいて……いっぱい、いっぱい、甘えました」

 手段を選ばなかった。だって、そうでもしないとわたしには勝ち目がなかったから。

 二人に内緒で連れ出し、こっそりデートしたり。嬉しさのあまり大胆なことしてみたり、新しい世界に踏み込んでみたり。せんぱいと一緒の時間を過ごして、楽しくて、嬉しくて、幸せな気持ちが溢れ出して、心の器からこぼれてしまうくらい一杯に満たされて。

 そのぶん、罪悪感も比例して大きくなり、苛まれた。

「……特に、結衣先輩には恨まれても仕方ないなって思います」

 二人からすれば、甘さも酸っぱさもある果物の甘い部分を、全部わたしに取られてしまったようなものだ。

「でも……」

 一件落着、なんて綺麗な終わり方はきっと無理。

 だったら、後悔しないように。

 わたしの本音を、本当の想いを、残すことなく伝えきって、ここに置いていきたい。

「やっと、振り向いてくれたんです」

 ああ、目の奥が熱くなってきた。でも、最後までまだ伝えきれていないから。

 制服の胸元をぎゅっと握り、こぼれそうになるのをこらえる。

「やっと、応えてくれたんです」

 声は震え始めていて、情けない。

「やっと、手に入ったんです」

 かすれて、泣き出す寸前で。

 でも。

「だから……」

 それでも。

 

 わたしは――。

 

 

 

 

 




次話とアフター編で本編は終わりになります。
ここまで書くのは本当長かったなーとつくづく……。

それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!





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