斯くして一色いろはは本物を求め始める。   作:あきさん
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本編、最終話です。
先に言っておきますが、伏せた部分はあえて書いてません。


4#11

****

 

 いつからだろう。わたしが脆くなってしまったのは。

 いつからだろう。わたしが弱くなってしまったのは。

 ただそれは仕方のないことで、きっと悪いことなんかじゃない。

 だったら、一歩さえ踏み出せれば。

 ぼやけ始めた視界を一度袖口でぐしっと拭い、心につかえていたやましさを言葉として繋ぐ。

「……奉仕部のお二人にとって、大切なものを、わたしが……奪わせてもらいます」

 遅すぎる宣戦布告、というよりも、もはや後出しじゃんけんになってしまったけど。

 やっと、伝えられた。

「もちろん手放すつもりはありませんし、誰にも渡したくありません。……ていうか、絶対渡しませんし」

 念のため、忘れ物はないか探してみる。でも、やっぱり胸の中にはもう何も残っていない。

「それだけ言っておこうと思いまして……。お時間取らせて、すいませんでした」

 謝罪と共に深々と頭を下げる。

 雪ノ下先輩も結衣先輩も、何も言わない。

 そうして空白だけが生まれ、流れていく。

「……いろはちゃん」

 居心地の悪い沈黙を破り、結衣先輩が口を開いた。昨日と同じ確かな意思が見て取れる眼差しの奥には、潤んだ瞳と様々な感情を孕んだかたまりがあって。

「そんなに、ヒッキーのこと……好き?」

 そして、震える唇で。今にも壊れてしまいそうな笑顔で。わたしの独りよがりにもかかわらず、結衣先輩は真正面からぶつかってきてくれた。

 だからわたしは、迷うこともない、揺れることもない瞳を向ける。進んだ時計の針が、いまさら巻き戻るはずもないから。

「はい」

「……やっぱり、いろはちゃんならそう言うと思ってた」

 瞬間、結衣先輩の頬に一筋の光る滴が伝う。透き通ったそれは、受け止められるものがないせいで静かに落ちていく。

 わたしには、何も言えない。何もできない。ただ、間違っていたあの時と状況は同じでも、理由は違う。言えるけど、言えない。できるけど、できない。だから今はお互い言葉が尽きるまで、ただただ、身を委ねることにする。

「……実はさ」

 再度静寂に包まれかけた時、優しく、憂いを帯びた声が染み渡った。胸中を吐き出すような響きに唇をきゅっと結び、こちらも傷つけられることに備える。

「あたしもゆきのんも……わかってたの。ヒッキーといろはちゃんの間には、あたしたちじゃもう入り込めない何かがあるって……」

「へ……?」

 だが、次に飛んできたのは予想外の言葉で。思わず素っ頓狂な声が口から浮き出てしまい、視線も雪ノ下先輩と結衣先輩の間を行ったり来たりと忙しくなる。

「あの、それってどういう……?」

 戸惑いながらも尋ねると、結衣先輩は両眉を八の字に垂らしつつ寂しげに紡いでいく。

「最近ヒッキー、昼休みいつもご飯食べてるところにいなかったし……。放課後は放課後で、いろはちゃんのところばっか行くようになってたし……」

「……あー」

 つまり、見て見ないふりをしてくれていた、ということか。なら、そうした理由としては間違いなく。

「わたしにもせんぱいにも言わなかったのは、全部のため、ですか」

「……うん」

 その肯定を受けて、柄にもないことを考えてしまった。

 もし、もしも命運を分けたものが、全部か一つかでしかないとしたら。仮に、運命と呼ばれるものが本当に存在するのなら。それはどこまで残酷で皮肉だらけなのだろう、と。

「……それだけじゃなくてさ、中二……あ、この前いろはちゃんが久しぶりに来た時にいた人、覚えてる?」

「ああ、材木座先輩、ですね」

 頷いて答えると、結衣先輩も首を縦に振る。

「そん時さ、二人にしかわかんないこと言ってて、通じ合ってたというか……。いろはちゃんもなんか、前と雰囲気変わってたし……」

 諦め、失意といった感情をより滲ませ、結衣先輩が微笑む。

「だから、さすがにわかっちゃった」

 空間の中へ溶かすようにそっと言い添えた後、結衣先輩が指先で目元を拭った。はぁと漏らした小さな嗚咽交じりの吐息は、行き先がないまま霧散していく。

「……一つだけ、聞いてもいいかしら?」

 ずっと口を閉ざしていた雪ノ下先輩が、ふと尋ねてきた。

「はい、なんですか?」

「一色さん、あなたは……どうして、踏み出せたの?」

 こんな時、せんぱいならなんて言うだろうか。偉そうなこと言える立場じゃないのは、わかってる。でも、わたしにはその言葉以外何も浮かんでこないから。

「……わたしの場合は、ですけど」

 大切に思うから傷つけるし、傷つく。

 自分を偽っても、きっと後悔することになる。

 平塚先生と葉山先輩が、そう教えてくれた。

 だから、わたしは思うままを口にすればいい。

「間違った後悔を、したくなかったんです」

 しっかり先を見据えた上で、後悔のない選択を。

 惑わされ、本質を見失ってはいけない。

 平塚先生と陽乃さんが、そう教えてくれた。

 だから、わたしは全力で自分を貫いていけばいい。

「そのぶん、いっぱいちゃんと考えて、苦しんで、悩んで、あがいて、動いて……」

 何より、そんな強引で、むちゃくちゃなわたしを。

 認めて、受け入れて、推してくれた人が、一番近くに、隣にいてくれたから。

「一つのために、全部を捨てました。……それだけです」

 その結果、今のわたしの手には、そばには、心には、ずっと欲しかったものが、ちゃんと。だからもう二度と間違えたくないし、これからは間違えないように。

「……そんなの、やっぱあたしにはできないや」

「あなたは、強いのね……」

「いえ……」

 結衣先輩の力のない声に、雪ノ下先輩の儚げな声に、ゆっくりと首を横に振る。

「わたしは、わたしがしたいと思うことをやってきただけですから」

 変わらないことが嫌なら、自分が動いて変えるしかない。散々道を間違えても、長い寄り道をして遠回りしたとしても、見失ったとしても、最終的な答えさえ間違わなければ、大丈夫。それはこれからも、たぶん、きっと。

「……ありがとう。もう、行きなさい」

 雪ノ下先輩が結衣先輩と顔を見合わせた後、そう言った。凛とした佇まいで、けど、優しい瞳でわたしを見据えて。

「……ヒッキー、待たせてるんでしょ?」

 裏表のない、優しい表情で。けど、確かな芯が通っているような瞳でわたしをまっすぐ見つめながら、結衣先輩が雪ノ下先輩の言葉を継いだ。

「……お二人とも、ありがとうございます」

 もう一度、深々と頭を下げる。

「一色さん」

「いろはちゃん」

 奉仕部の部室の扉へ手をかけた時、二人がわたしを呼んだ。

 その声に振り返ると――。

「また、そのうち」

「またね」

 いつもと変わらない、声で。

 いつもと変わらない、雰囲気で。

 いつだって、わたしの周りには。

 いつだって、わたしの近くには。

「……はい。また、そのうち」

 

 ほんと、かなわないな。

 

 こぼれ落ちてしまう前にと、再び袖口でぐしぐしと拭った。

 

****

 

 今度は、生徒会室へと向かって歩みを進める。やがて見えてくる隔たりの先には、わたしが本当に憧れて、追いかけ続けて、ようやく手にした未来がある。

 何十年と残っているわたしの人生のうちの、たった数か月の出来事。なのに、この先これ以上胸がいっぱいになる時間はないとすら思えるくらい、大切な瞬間ばかりだった。

 そしてきっと、次も。

 始まりは、終わりへ。

 終わりは、始まりへ。

 最初と最後を締めくくる扉は、今、目の前に。

「すいません、お待たせしました」

「おお」

「ひゃっはろー、いろはちゃん」

 中に入ると、せんぱいも陽乃さんも本を読んで時間をつぶしていた。……よかった、待っててくれた。

「……おっ。その顔を見る限りは、無事終わらせてきたってことでいいのかな?」

「はい、やることやってきました」

 話し合いというよりも、わたしが本音や想いを一方的にぶつけてきただけなんだけど。ただ、現実は思っていたよりちょっとだけ優しくて、ちょっぴり甘かった。たとえたまたまでも、巡り合わせがよかっただけだとしても、今くらいは。

「だいぶすっきりしたみたいだね、いろはちゃん」

 気持ちの晴れが相当顔に浮かび上がっていたのか、陽乃さんがくすくすと笑う。

「おかげさまで」

「……ああ。やらなきゃいけないことってそういうことか……」

「ですです。わたしだけ内緒のままなのは、やっぱりずるいかなーって思ったので」

 得心がいった、という様子のせんぱいに向けて微笑みを返す。と、そこで一応は聞こうとしていたことを思い出した。

「そういえば、はるさん先輩」

「ん?」

「……ほんとに、よかったんですか?」

 知っている上でこれを聞くのは、野暮だ。でも、悔恨が残るよりかは。

「それは、わたしが決めることじゃないでしょ」

 相変わらず、この人は真実を語ってはくれない。ただ、その一言で多少はわたしが救われた気がした。目の前で楽しげに笑う陽乃さんの姿に、一人胸の中で安堵を噛みしめる。

「……さーて。聞きたいことも聞けたし、今日は一足先に帰ることにしようかな」

 わたしをちらりと見た後、陽乃さんがぱちりと片目を閉じた。……どうやら気を遣ってくれたらしい。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「お、おい……」

 ぎゅっとせんぱいの腕を引き寄せると、陽乃さんは蠱惑的な笑みと声響を残して生徒会室を出て行った。

 そうして二人きりの空間ができあがり、どちらからともなく向き合う。きっと、今考えていることも、今見ている景色も、まるっきり同じで。

 

 ――奉仕部での決着がついたら。

 

 わたしも、せんぱいも、けじめをつけた。せんぱいの番が終わって、わたしの番になって、今度は、二人の番。

 あの時、言葉と指で結んだ“約束”を果たす時。

 左手に嵌まっている指輪が、形のない“偽物”から、確かな意味のある“本物”へと変わる時。

「せんぱい」

「ん」

「もう一度言います。……お待たせ、しました」

「……ああ」

 わたしは、手を広げた。

 包んで、抱きしめてもらいたくて。

 遠慮がちに添えられた手も、胸元にくっつけた顔も、やっぱり温かくて。

「せんぱい」

 回りくどい言葉は、もういらない。

「大好きです」

 回りくどい伝え方も、もういらない。

「……おう」

 違う。

「……ちゃんと、言ってください」

 たとえ、お互いの思っていることがわかっても。

 たとえ、お互いに思っていることが一緒でも。

「わたしに言葉を、形を、意味を、ちゃんと、ください……」

 やっぱり、わたしは言ってほしいから。

「……ずっとそばにいてくれ。お前が好きだ」

 もっと。

「もう一回……」

 本当は一回じゃなくて、何回も。

 もっと、いっぱい、たくさん。

「好きだ。…………いろは」

 嬉しくて嬉しくて、幸せで幸せで。

 だから、ちょっとだけ背伸びした。

 わたしの言葉も、気持ちも、心も、全部乗せて。

「お……おま……お前、今……」

 すぐ近くには、わたしの大好きな人の、顔。

「せんぱいからも、……して、ほしいです」

 すぐそばには、隣には、わたしの大好きな人の、温もり。

 

「…………」

「…………」

 

 まるで、わたしとせんぱいだけが世界から分断されたような。

 そんな夢心地に浸りながら、わたしとせんぱいは、もう一度、そっと、唇を寄せ合った――。

 

 

 

 

 




本編は、形としてはこれで終わりです。
書きたいことが増え続けて、話数ばかり増えてしまいましたがようやく。
ただ、いざ終わるとなると感慨深く、寂しく思います。

私がたった一言、それを言わせたいがためだけに本編は書き続けてきました。
それでもお読みくださり、お付き合いくださり、応援してくれた方々には、本当に感謝してもしきれません。
残すところ、もう一つの書きたかったことであるアフターのみですが、宜しければあとちょっとだけお付き合い下さると非常に嬉しいです。

ではでは、つい長々と書いてしまいましたが。
本当に、ここまでお読みくださりありがとうございました!


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