C#01
* * *
六月のあの日、わたしとせんぱいは両想いの末に実を結んだ。それから約半年が経った今、わたしはこれまでの出来事を思い返していた。というのも、昨日の夜から今日のデートが待ち遠しすぎて、無駄に早く家を出てしまったからだ。
こういう時、一緒に住んでたらなー……。冬の寒さがもたらす人恋しさに加え、恋人と過ごしていない空白の時間から、そんなことを考えてしまった。
最近は、せんぱいの受験が目先に迫っているという理由で、おねだりを自重したりわがままを言うのは我慢したりな日々を送っていた。なので、せんぱいのおうちにお邪魔して一緒に勉強したりとか、一緒に本を読んだりしてまったりぐだぐだ過ごしたりはちょくちょくあったけど、こうやって二人でお出かけするのはほんと久々だったり。
うーん、やっぱり大人になったら二人で一緒に暮らすことにしてー……あ、だったらせんぱいのことはやっぱり名前で呼びたいかな。
せんぱいはわたしのことを『いろは』って呼んでくれるようになったけど、わたしはまだ『せんぱい』呼びのまま。一度呼んでみた時、どうにもくすぐったいだとか恥ずかしいだとかで、やめてくれってお断りされて仕方なく。
あ、そうそうそれで、わたしがせんぱいの帰りをご飯作りながら待ってー、ご飯食べた後はまったりしてからできる限りいちゃいちゃしてー、寝る時は一緒のベッドでおやすみのキスしてー、みたいな。なにその生活わたし幸せすぎて死んじゃう。
……はっ! いけないいけない、ここ外なのにまたにやけちゃった。にへらと緩みきった顔を戻すついでに、身だしなみのチェックや今日のコーデの見直しを図る。
上は襟元に白いファーの付いた淡いピンクのポンチョコート、その中には白ニット。下はやや明るいブラウンのショートパンツ、黒タイツと同系色のショートブーツ……うん、大丈夫、いつもどおり。
「ていうか、やっぱ寒っ……」
十二月にもなればさすがに風は冷たく、朝という時間帯や今いる場所が臨海部というのもあって余計に寒い。はぁと白くぼやけた吐息を漏らし、少しでも暖をとろうと身体を丸めて着ているコートのファーに顔を埋めた。
早くせんぱいに抱きつきたい。抱きかかえられるようにハグされたい。全身まるごとぎゅーって包まれたい。
わたしは、自分で思っていたより遥かに甘えんぼだったらしく。雪ノ下先輩や結衣先輩とちゃんと向き合って後ろめたい気持ちがなくなったせいか、遠慮も容赦もなくせんぱいにべたべた甘えるようになってしまった。……ただまぁ、調子にのりすぎて叱られちゃったりするのがしょっちゅうだけど。
でも、叱られたせいでわたしがしゅーんと泣きそうになっていると、せんぱいは照れくさそうに抱きしめてくれる。わたしの頭をぐっと胸元に押しつけて、頭を撫でてくれる。その手つきはすごーく優しくて、わたしはほっぺたがすぐゆるゆるになっちゃう。そんな抱きかかえられるようなハグがわたしはとっても大好きで、思い出すだけで両手をぺたぺたとほっぺたにくっつけてあうあう悶絶しちゃったり、一人できゃーきゃー騒ぎながらベットの上を何往復もごろごろ転げまわったりしちゃうくらい。
……はっ! あぶないあぶない、前は想像に入り込みすぎて興奮のあまり鼻血まで垂らしちゃったことあったし、ほんと気をつけないと。
そろそろ結構な時間が経ってくれたかなと、駅内の吊り時計に目を向けてみる。だが、待ち合わせ時刻に決めた午前九時まではあと三十分近くも残っていて。あの人のことだから遅刻はしてこないとしても、少なくともあと十分くらいは待つ必要があった。
「まだかぁ……。せんぱい、はやくはやくー……」
ふにゃふにゃにとろけてしまったほっぺたをむにむにと両手で引っ張って戻しつつ、時計の針をじーっと凝視する。ゆっくりと回り続ける分針が、非常にのろく感じてまどろっこしい。秒針と同じくらい……や、もっと早く回ってくれたらいいのに。
それでも一分、また一分と緩やかなペースで縮まっていく時間と距離。次第にわたしの心と身体はむずむず、うずうず、そわそわと、どんどん落ち着かなくなっていく。
あともうちょっとで、大好きな人にまた会える。
あともうちょっとで、大好きな人にまた触れられる。
たったそれだけの出来事なのに、わたしの全てがどうしようもなく高揚して。自分でもわかるくらい、表情もきらきらと華やいでいって。
だからこそ、ごちゃごちゃした人波の中でも。
気だるげに歩く恋人の姿は、簡単に見つけることができた。
その瞬間、わたしの笑顔はぱあっといっそう大きく輝き――。
「せんぱぁ~い!」
無意識に、全力の甘え声が出てしまう。その後すぐに上機嫌でぱたぱた駆け寄っていくと、せんぱいがかくんと肩を落とす。
「……だからなんでお前はいつもでけぇ声で呼ぶんだよ」
「てやっ!」
注目を浴びた恥ずかしさのせいで、せんぱいが深々としたため息を吐く。わたしはそんなの気にも留めず、がばっと抱きつく。
「むふー……あったかーい……」
「……あのな、いろは」
「はい、せんぱい」
「毎回毎回ほんと恥ずかしいからやめて」
「んー……」
「おい、聞けよ」
「あうっ」
抱きつきからすりすりへシフトした段階でぺしっとおでこを軽く叩かれ、仕方なく、しぶしぶ離れる。
「……別に、ちょっとくらい」
「ちょっとじゃ済まねぇだろお前の場合」
「むー……」
不満ですよ拗ねてますよアピールするために、唇を突き出してぷっくりと頬を膨らませる。すると、何を思ったのか、せんぱいがわたしの顔めがけて指を伸ばしてきた。直後、口から押し出された空気がぷしゅっと間抜けな音を立てる。
一瞬ぽかんとしてしまったが、理解と共に顔の熱も増していく。
「……な、何するんですかー!」
「い、いや、なんとなくやってみたくなったから、つい……」
うがーっと口を開け目を剥いたわたしを見て、せんぱいがおかしそうにくっくっと笑いをかみ殺す。その状況に余計羞恥心を煽られ、恥ずかしさを誤魔化すために恋人の肩を何度もぺしぺしと叩く。
せんぱいが笑いを納めた後もむすーっといじけていると、頭にぽんと手が置かれた。
「……悪かった。機嫌直してくれ」
よしよしと優しく撫でさすられ、思わず顔が緩んでしまいそうになる。ううっ、そ、そのくらいじゃ乙女の顔を弄んだこと、ゆ、許しません、から……。
「……えへへー」
はい、だめでしたー。どうにもわたしはせんぱい相手だとめちゃくちゃチョロくなっちゃうみたいです。いやまぁとっくに知ってたけど。
うっとりと目を細めて頭をこすりつけていると、機嫌が戻ったと判断したのか、せんぱいが動かしていた手をぴたりと止めた。
……物足りない。
「んで、どうすんだ?」
「もっといっぱい撫でてほしいですー」
「俺が聞きたかったのはお前の願望じゃねぇよ……」
「だってー……」
つーんとそっぽを向き、懲りもせずほっぺたに空気を含ませる。ただ、わたしの指先はせんぱいの衣服をちょこんとつまんでいて。
何回、何十回、何百回としてきたこと。甘えたい、甘えさせてほしいとは少し違う、新しく生まれたサイン。端的に言えば、もっとかまってほしい、もっと甘やかしてほしいという合図。
当然、わたしの恋人もそのシグナルはわかっていて。
「はいはい、わかりましたよ……」
やれやれといった様子で、せんぱいが再びわたしの頭に手を置く。わたしは目を閉じ、せんぱいの胸元におでこをこつんと置く。
くしゃくしゃ。
わしゃわしゃ。
「んふー……」
表情をとろけさせて心地よさげな吐息を漏らすと、ふっと笑った声が頭の上から降ってきた。その呆れ交じりではあるものの満更でもなさそうな声が、いつも心をふわふわとさせてくれる。じんわりと広がっていく温もりが、いつも心をぽかぽかとさせてくれる。
ほんとでれでれだなー、わたし。そんな今の自分がせんぱいの次に大好きだけど。
「……満足したか?」
「もうちょっ……あっ、いえ、ありがとです」
……っと、うっかりいつもみたいに甘えちゃうところだった。今日のデートはかなり時間制限きついし、急がないと。
「ん、おお。で、どうすんの?」
「とりあえず、駅、出ましょっか」
「はいよ。っつーか、先にそうして欲しかったんだが」
「まぁまぁ、いいじゃないですかー」
「……そうだな、いつものことだもんな」
「ですです!」
「……ま、行くか」
「はいっ」
かつっとヒールを鳴らし、せんぱいの左に並んで歩き出す。すると、ごくごく自然にお互いの腕が交差して、右手と左手が重なり合った。
だから、絡めた腕や指も、つないだ手も、結んだ想いも。
同じように、いつまでも、きっと――。
* * *
冬場のディスティニィーランド、ということもあって、入場待ちの列は長蛇の大混雑だった。列自体はぞろぞろと動いてはいるものの、前後左右どこを見ても人、人、人。
予想してはいたが、いざ目の当たりにするとため息をこぼしてしまった。それは隣に並ぶわたしの恋人も同じらしく、続いて似たような息を吐く。……前売りのチケット、買っといてよかった。
「ここは相変わらずだな……」
「ですねー……」
四方八方に広がる人の姿と喧騒にお互い苦笑しつつ、チケットをパスに引き換えてエントランスゲートを抜ける。
さて、今年は一体どんな感じだろう。そんな期待に胸をわくわくとさせ、広場に足を踏み入れた直後のこと。
「ほわぁ……」
「おお、すげぇな今年も」
視界に飛び込んできた風景に、思わず感嘆の声が漏れた。
門から覗く正面には、巨大なクリスマスツリーとイルミネーション。そして、西洋風の建物が並ぶメインストリートの背景にそびえ立つ白亜の城。
映画の中にいるような、光景。去年も確かに見たはずの、情景。なのに、今のわたしにはまるっきり違う景色にすら映って。
――なら、その理由としては、間違いなく。
「どした」
「いーえ、なんでもっ!」
横でぼけっとツリーを見上げる恋人に、にこりと微笑む。すると、不意にくしゃっと髪を撫でられた。一瞬驚いてしまったが、すぐにふにゃんと顔が緩んだ。
「ふへへ、どうしたんですかー」
「なんとなくな、なんとなく……」
すっごい愛されてるなぁ、わたし。喜びのあまり、つないでいる手をぶらんぶらん前後に揺らしてしまった。
「……あ、そうだ」
ぶら下げた赤いポシェットから携帯を取り出すと、せんぱいがああと小さく呟いた。どうやら意図を察してくれたらしい。
一番最初にデートした時、あんなに嫌がってたのになー……。恋人の“変化”を実感するたび、ついつい遠くなった思い出の中の姿や言動と比べてしまう。
「すいませーん、カメラ、お願いしてもいいですかー?」
ぱっと手を上げ近くにいたスタッフに呼びかけると快く応じてくれたので、ツリーや背景をバックに何枚かぱしゃり。
撮ってもらった写真の映り具合などを確認した瞬間は、毎回必ず幸福感に満ちた笑みがこぼれてしまう。
携帯の画面には、恥ずかしげもなくせんぱいにくっつくキメ顔のわたしと、ちょっぴり顔は赤いけど普段と変わらない様子でぬぼーっと立っているせんぱいの姿が映っていて。
「ありがとうございますー!」
スタッフにお礼を言った後、撮った写真を見せるため駆け戻る。
「思い出には残せたか」
「はい、ばっちりです。ほら、どうですかー?」
「いんじゃねぇの。知らんけど」
「じゃあ後でせんぱいの携帯にも送りますから、ちゃんと保存してくださいね」
「ああ」
「それにしても、今回はいい感じに目が死んで……」
「おいこら」
「ひゃう」
ほんのいたずら心で言ったら、右のほっぺたをむにっとつままれた。……今回はわたしが先に仕掛けたから文句言えない。でも、これがせんぱいの愛情表現だって考えたら心底喜んじゃう自分もいたりして。
ということは、つまり。
「うー……」
「なんで涙目でにやけてんのお前……」
自然と、せんぱいの言ったような顔になっちゃうわけで。
……わたし、案外その気があるのかもしれない。実際にそういうことした経験はないからわかんないけど、もしかしたら。
「でもでも、せんぱいにならされてもいいかなぁって……えへへ……」
「何の話だよ……」
「……あっ、な、なんでもないです!」
うっかり心の声が口から漏れ出ていたらしく、わたわたっと手を振って誤魔化した。……なんていうか、最近のわたしは想像の方向性がいろいろ間違っている気しかしない。
しらっとした目つきでこちらを見ているせんぱいへ、こほん、と取り繕いの咳払い。そして、恋人の手をくいっと引いて促した。
「次、行きましょ、せんぱい。時間、なくなっちゃう前に」
「……だな」
楽しい時間は、あっという間に過ぎていってしまう。それは、お互いにちゃんと知っていて、理解していること。
だからこそ、精一杯笑って、楽しむんだ。
幸せを感じる瞬間や、幸福で満たされる時間を、その都度、噛みしめるために――。
少し間が空いてしまいましたが、アフター前半でした。
それと、この場をお借りして伝えたいことがいくつかございまして。
本編最終話を投稿した際、皆様から温かいコメントを沢山頂けて本当に嬉しかったです。
それに加えて、感想つきの投票をしてくださった方も多数いらっしゃいまして、本当書いててよかったなと心底思いました。
残すは後編のみでございますが、こちらも最後までお付き合いくださると幸いです!
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました!