* * *
「やっはろー、いろはちゃん」
「こんにちはー、結衣先輩」
結衣先輩はわたしの想定したとおり、影のある表情と声をしている。恐らく、噂については既に知っているのだろう。
「……それで、話ってなに?」
「えっと、わたしとせんぱいの、その……噂。……知ってますか?」
「……うん、聞いた」
「……ですよね」
沈痛な面持ちで、今にも泣き出しそうな結衣先輩が震える声で答える。それもそうだ、確定できる材料が揃いすぎている。
昨日のわたしの様子とせんぱいだけを連れ出したこと、その後わたしとせんぱいが何をしていたのか、何を話していたかは結衣先輩は知らない。もちろん、雪ノ下先輩も、小町ちゃんも、知らない。その翌日に謀ったようなタイミングでこんな噂が流れれば、何かあったのだと邪推してしまうだろう。
「……ヒッキーと、付き合ってるんだよね?」
「……付き合ってないですよ」
「……えっ、違うんだ?」
「わたしとせんぱいが昨日一緒に話をしてる時とか、送ってもらった時に誰かに見られてたみたいで。それに尾ひれがくっついてこんな状態になっちゃったっぽいです」
「あ、なるほど」
わたしが昨日の出来事を簡潔に説明し、噂を否定すると結衣先輩の表情と声に少しばかり安堵の色が戻ったようだ。
ただ、未だに影がある表情のまま変わらないのは、去年の噂のこともあったせいだろうか。それとも別の懸念している何かがあるからだろうか。
考えたところで仕方がないので、申し訳ないが強引に進めさせてもらおう。
「……で、ここからが本題なんですが」
「本題?」
「結衣先輩はせんぱいのこと、好きなんですよね?」
「……っ! え、えっと……」
「ここにはわたししかいませんし、誰かに言ったりとか、そういうこともしません」
「…………」
「……それに、普通にバレバレですって」
「そ、そんなにかな?」
「はい」
「……あはは、うん、好きだよ、ヒッキーの、こと……」
同じ内容の質問を雪ノ下先輩にしたところで、素直に答えてくれるとは思わない。それどころか「……一色さん、ろくでもないことを考えているでしょう? やめなさい」などと、一蹴されるのは想像に難しくない。
だからこそ、結衣先輩だけを呼び出した。悪く言えば、利用した。結衣先輩でなくてはならない理由が他にもある。雪ノ下先輩も同様なのか、聞かなくてはならない。
確証が持てないからこそ、知りたかった。誰よりも雪ノ下先輩の近くで見てきた結衣先輩にしか気づけない変化がきっとある。
――さて、ここまでは予定どおり。ここからは確認した後、わたしは最高に最低な依頼をするだけだ。
だが、わたしが想定していた流れとここから違っていた。
「……でもね」
消え入るような声で結衣先輩が呟いた。その刹那、結衣先輩の瞳に大きな滴が浮かぶ。
「……振られちゃった、かな。あたしは、だけど」
そして、つつりと頬を伝った後――滴はぽとりと床に落ちた。
「……は? え、ちょ、は?」
思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。まずいまずいまずいまずい――この展開はまったく予想していなかった。頭が真っ白になる。
「え、えっと、その、どういうことですか?」
「……いろはちゃんだから言うけど、入試で学校が休みになった日、あったでしょ? や、バレンタインって言ったほうが、いいのかな?」
「あ、ああ、は、はい」
「……その日にね、ヒッキーと、ゆきのんと、一緒に出かけたの」
予想外の出来事にうろたえるだけのわたしをよそに、ぽつりぽつりと言葉を繋ぐように、何かが堰を切ったように、大粒の涙をぽろぽろと零しながら結衣先輩は語り始めた――。
* * *
受験生には最悪の環境とも言える雪が降った入試の日、且つバレンタインデーでもある日に結衣先輩の提案で奉仕部の三人で出掛けたそうなのだが、それは奉仕部にとって大きな変革をもたらした。
何一つ具体的なことを言わずに避けてきたことであり、踏み出すべきで向き合わなくてはいけない問題なのだと――だからこそ、これを最後にして、進まなくてはいけないのだと。
何度もちゃんと考えて、苦しんで、あがいた。それでも、欲しいものを手にするために結衣先輩は、選んだ。二度と問い直すことすらできないかもしれない、そのことを理解した上で手を伸ばした。
そんな悲壮な覚悟をその瞳の奥に秘めて、その停滞してしまった関係を壊すために、自身が犠牲になるかもしれない茨の道を選んだ。
――誰かのために、誰かを救うために、結衣先輩も。
先日、気づかないふりをした違和感の正体は、その出来事がきっかけなのだろう。わたしには見ることすらできない、あの陽だまりのような空間に起きた小さな揺らめき。
その揺らめきがきちんと形を作り、判然とする時、きっと違和感はなくなるのだろう。ただ、そうなる前に、どこか不調が生じていたからこそ、違和感を覚えたのだ。
せき止めることができない感情の奔流は、その証明だ。相当一人で抱えていたのだろう。何も知らない部外者のわたしにここまで話してくれるのだ。
――なら、そういった状況下でなければ本来、聞かせたくない話にほかならない。つまりは、そういうことなのだと思う。
その事実に胸が痛むが、それでも話してくれたことに嬉しくもなる。
「あたし、わかるの。……ちゃんとした答え、まだ聞いてないけど、わかっちゃうんだ……」
「結衣先輩……」
「あたし、ずるいんだ。今もずるいんだ。全部欲しいから……待ってるの。ちょっとでも可能性が残ってるなら、って……」
「…………」
「そんなものなんてないって、わかってるのに、全部、欲しいの。諦めらんないの。ゆきのんはわかんないけど、あたしはバカだから。そうするしか……、あたしには、できないから……」
結衣先輩は泣きじゃくりながら、途切れ途切れに、懺悔するように、まとまらない言葉でも、必死にわたしに伝えようと吐露していた。それは一度見た光景のはずなのに、何度見ても目が離せないくらい酷く綺麗だった。
わたしは本来の目的も忘れ、手にしたハンカチで涙を拭ってあげることもできずに、様々なものが綯い交ぜになった瞳で呆然と結衣先輩の姿を見つめていることしかできなかった――。
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この場にて、お礼申し上げます。
また、自己満足の作品ではございますが
お付き合い頂いている事、重ね重ねお礼申し上げます。
※行間とか色々今の雰囲気に近づけました。