間桐邸
居間には間桐臓硯が一人座っていた。普段この屋敷にはめったに寄らず。また。いても自室に引きこもっているのだが、今日は居間に鎮座している。
臓硯は椅子に座ったまま、当にかすれきった記憶を手繰り寄せていた。其れはミーシャに対する最後の記憶、200年前の事故のことであった。
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暗く大きな空間を歩くは二人の影。
一人は純白の装束をまとうストレート銀髪の女性、一人は目つき鋭き癖毛青髪の若者。二人の名はユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンとマキリ・ゾォルケン。
彼らは、常人ではない、一人は人工的に作られた生ける魔術回路といわれる存在。一人はゆうに300年を生きる超越者。
その二人が向かう先は、当然常人には計り知れない場所となる。
ここは冬木の地は柳洞寺、その地下にある洞窟を二人は中心部に向かって歩いている。
今回は英霊の魂を持って本当に世界に孔をうがつことが可能か、それを見極めるための試験。所謂、プレテストを行うためにこの空洞に出向いている。
今の段階では英霊そのものを呼び出すことはできない。ならば英霊の移し身――といっても現段階では、自我を持たぬ只の魔力の塊のような漠然としたものしか召還できない。が、それでも可能性を図ることができるであろう。
すでに二人の魔術師――遠坂永人とミーシャ・ブラント――が準備を行っている。
二人の付き合いはこの四人の中では一番長い。といっても二年ほどだが、もともとミーシャは
「で、ミーシャにブラントの家名を叙したってわけですか?ずいぶんと思い切ったことをしましたね」
男の声が暗闇に響く。明かりはこの地の独特な照明具、提灯のみである。
ブラントとは。今は絶えているが、16世紀のドイツはハンブルクのヘニッヒ・ブラント。燐を発見した人物として知られている錬金術師を輩出した魔術師の家系である。錬金術師が魔術師のカモフラージュであることは珍しくもない。
もっとも何の魔術的な力を持たない錬金術師のほうが、圧倒的に多いのだが。
そして名門中の名門、アインツベルンの鶴の一声であっさりその絶えた家名は復活したのであった。
最も積極的に反発したものは殆どいない。何せブラント家には、独りも魔術師がいない状態だったのだから。
「あぁ、いくら名門とはいえ絶えて久しい家柄。異世界とはいえ彼女ほどの魔術師に与えるならば問題はない」
「箔をつけようってことでしょうか……いやもしかしたら、箔がつくのは家名かもしれませんね」
楽しそうに肯定するマキリ。彼もミーシャの家名引継ぎに異論はないようだ。
「それとマキリ、彼女を男の名前みたいだとからかうのは、控えて欲しい。
汝も彼女の気持ちにも気づいているだろうに」
ミーシャはロシア語ではミハイルという男性名の愛称だ。そこを突いてマキリは彼女の名前でたまにからかっていた。
その度、ミーシャは少し困った表情をする。その仕草が少々マキリにとって楽しい。
ユスティーツァは、そのことについてマキリ・ゾォルケンをたしなめる。
表情が柔らかいのは、怒っているのではなく道中の話の種に出しただけであろう。
実際、ミーシャの困り方も微笑が混じった仕草で、嫌がっている印象はない。
移動中の話の種に少々困るほどここの洞窟は広い、三キロは有に越すほどの空洞だ。荒涼とした大地そのものといっていいだろう。これならばどんな大儀式でも広さに困るということはない。さらに地脈が集まった霊的な土地であるのだから、アインツベルンが聖杯の儀式の地として注目するのも理にかなっている。
加えて、根源いたる儀式など行えば雑音も聞こえてくる。協会の目も届かない極東の地であることも加味すれば、ここが選ばれるのは必然といってもいい。
「ついつい彼女を見てしまうと弄ってしまいまして……いささか、エレガントではありませんでした。
もうひとつのほうは……やはり聖杯作成が完了してから考えたいですね。彼女は嫌いではありませんが、恋愛対象としては一度も考えたことはありません、今は聖杯の成就が一番大事なのですから」
それに、マキリにはすでに焦がれている女性がいる。その赤い瞳を心に浮かべるだけで、すべての悩みが吹き飛んでしまうほどだ。
十分予想できていた反応なので、ユスティーツァは残念がることもせずに同意する。
「今は大事な時、それは間違いではない。それに時間はいくらでもあるであろう」
方や数百年を生きてきた大魔術師、方や数百年の寿命を持つエルフ。聖杯儀式に費やす数年など些細な時間であろう。
ユスティーツァは心のそこから思う。自身はこの地で聖杯と化すのが人生の全てであり。成功しても失敗しても人間としての機能は失われ人格は消滅する。
だからこそそれ以後の幸せを他人に願う。それ以降の人生のない彼女にとって、願う以上のことの選択肢が少ないのがもどかしく感じる。
そのとき奥で大きな衝撃音と爆音が伝わってきた。その爆音は、まるで巨大な風船が破裂したような乾いた音であった。
そして、振動と音の出所は儀式の実施地点だと悟ると、二人は無言で走り始める。
◆
そこは凄惨たる風景であった。崖を上った先は広大な台地となり、そこの中央が今回の試験場所――地脈の中心点――のはずだが、そこには巨大なクレータと化していた。
「永人!ミーシャ!無事ですか!?」
マキリは同志二人の名を呼ぶ。ユスティーツァも髪の毛を使い魔にしてあたりを捜索する。
おかげで、程なく探している人物は、クレーターの端で見つかった。ただし遠坂永人、一人であった。
「マキリか。すまない……信じられないことが起こった」
永人は怪我をしているが、かすり傷だ。命に別状はない。
「あの魂は何だ?優に三人分の力を持っていた」
永人の話では7人分の魂を用意すれば世界に孔がうがつことができる計算であった。
だが、変異は五番目に召還した魂で起きた。その魔力が、とてつもなく大きく、そしてすべての支配を拒む意思を感じた。
何の魂かわからない、わずかに得られた情報は、力のイメージは金というだけ。
ただの力の塊のはずなのに、制御を自ら否定し反発し勝手に暴走した。それは例えるなら傲慢さの塊であったという。その力が他の四つと共鳴しすべての力が解放されたという。突然の開放は世界に孔を開け、範囲内のすべてを飲み込みクレーターを作り出したという。
「で、ミーシャは……」
「僕は彼女の《
霊地ではよくあることだが、この柳洞の山では結界により、アストラル界を通り抜ける呪文、つまりミーシャの瞬間移動呪文は使えない。霊的なものの進入を阻止するための結界の副産物だという。
よって《
だが突き飛ばせるのは、すべての力を消費して一人だけ。そしてミーシャはあのクレーターの中心地で……
「すみません。ミーシャは次元の……根源とこの世界の隙間に飛ばされてしまいました。たぶんもう」
自らの失態により一人の同志を失った永人は、打ち拉がれたかのように言う。だが、ユスティーツァはミーシャのことには触れなかった。
「……では、世界に孔が開い……。つまり……今回の実験は成功……」
「「!!」」
二人は息を飲む。一番この事態を悲しんでいるのは彼女だ。証拠に彼女の口舌は酷く回らず、語尾も擦れている。
なのに悲しみの言葉をひとつとも言わない。
二人も流石の大魔術師である、ユスティーツァの思いを受け止め、気持ちを切り替える。魔術師は死を常に見つめている種族である。そしてミーシャも危険な儀式だとわかっていて参加していた。
そう、彼女のためにも後戻りはしてはならない。残された三人は聖杯の儀式を完成させるべき理由がひとつ増えた。それだけであった。
大空洞の暗闇は何も言わない。ただクレーターだけが何かを言いたげに口を開くだけである。
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間桐臓硯の記憶が現在に引き戻らされる。家のチャイムが鳴ったのである。時間は夜の8時、聖杯戦争が始まっている冬木では、もうサーヴァントの支配する時間だ。
誰であろうかと、蟲を通して玄関を確認した臓硯は、不意に呵々と笑い出す。
偶然か否か――いや必然であろう。その思い耽っていた相手の女性が、目の前に現れたのである。