2月5日
午後三時少し前、士郎と凛が通う学校の手前にある坂をミーシャが自転車で、駆け上がっている。
その自転車は広い冬木市を魔術抜きでカバーするために、アサシンが用意してくれたもの。フラットハンドルのダイヤモンドフレームにブロックタイヤを装着した自転車。俗に言うマウンテンバイクだ。
まだ慣れないのか少しよろめいているが、何とか倒れないでのたのたと坂を駆け上がろうとしている。
「さ、坂道だとこんなにつらくなるのですか。この自転車という乗り物は……」
ミーシャは、アサシンの独自のルートで手に入れた荷物を衛宮邸に置いて、新たに《
ミーシャは慎二の習得の早さには心底驚いていた。
どうも、話によると間桐家の蔵書の中に、まったく同じ魔術理論で書かれている本があったという。
読んでいたときはちんぷんかんぷんだったが、昨日の
この世界でミーシャの魔術の理論を知っている人は、一人しかいないとミーシャは首肯する。キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグ、かの者ならばその気になれば、ミーシャの実力以上の呪文も行使できるであろう。
「この前、エルミンスター殿に
初対面のとき、彼はウォータディープの名家ワンズ家に客人として――なんでも異世界から来たという噂の創始者エルドラス・サンスタッフの知己だとか――の身分であった。そのときの未だに嘘か本当かわからない冗談は、今でも印象に残る。
エルミンスターとは、1200年を生きるフェイルーン最大の魔術師。大魔術同士親交があってもおかしくはないが……
だが、今回は当てはまらないであろう。慎二の話ではその本は日本語で書かれたいたのだから。
なんともいえぬ嫌な感覚がちくちくと残る。そんな得体の知れぬ不安を振り払いながらミーシャは学校へ急ぐ。
夜の衛宮家には桜がいるので、今は放課後の学校の裏山が相談場所となっているのだ。
その裏山に続く草分け道の手前まで力尽きる寸前に到着したミーシャは、ぐったりとしたまま自転車とガードレールの柱をチェーンで繋ぎ――アサシンにこれは絶対に忘れるなと念を押された――士郎と凛の待ち合わせ場所に向かう。
挨拶もそこそこに三人は情報交換を始める。
学校の結界は昨日の段階で消えているので、もう問題にはなっていない。
残るはキャスター、ランサー、バーサーカー。中でもキャスターは最優先事項だ。
冬木市に蔓延する昏睡事件。この原因は、ほぼ確実にキャスターだと推察している。
「取り合えず一成はマスターじゃなかったぞ」
「そういえば士郎が、調べるっていったわね。どうやってわかったの?」
一成と言うのは士郎の親友で柳洞一成、そして凛の天敵。柳洞寺の住職を代々務めている柳洞家の次男である。
凛が調べた結果によると、昏睡事故で吸われた霊気は柳洞寺に流れているらしい。
そして、柳洞寺の山門は今は閉じられていて部外者は入れない。
寺から外に出てくるのは、一成だけという。
凛は一成をとっちめるといって聞かず、止める士郎と校門でひと悶着会ったらしい。
で、折衷案として士郎自身が一成をマスターでないと証明することにしたのだ。
「ん? ちょっと一成の服を強引に脱がせて令呪があるかどうか確認したんだよ」
その瞬間、凛は呆然と士郎を見たまま固まり。ミーシャは変な得心をしたようだ。
「シロウさんって陰間茶屋の常連だったのですか」
「なんでさ。そんなところ入ったことないぞ」
ミーシャから出た単語の意味は理解できなかったが、本能的にそれは否定しなければならぬと士郎は危機を感じた。
そして無駄にそれた話を強引に戻し、士郎は話を続ける。
「で、一成に寺に新しい人が来たかと聞いたら"見慣れない女"がいるって言っていた。だけどそれ以上話を聞いて、もし一成が興味を持って下手な行動したら、危害を及ぶかもしれないんでそれ以上追及しなかったけどな」
「それ正解よ。相手は
キャスターの底知れない実力と、知らないうちに地雷原を通り抜けていた恐怖心に、士郎は青ざめる。
「さてと、振り出しに戻っちゃったわね。しょうがないか、今日、柳洞寺に夜襲をかけましょ。キャスターに時間を与えたらろくなことにならないから、ちゃっちゃと勝負決めないとね」
「ああ、そうだな」
基本的に行動派である凛は、手詰まりと思うや強攻策を主張する。士郎とミーシャも無関係な人の被害者が出ている以上、反対する理由はない。ましてや、力を蓄えきる前にたたくのがキャスター戦の常套手段なのだから。
「そういえばアサシンは?」
凛はミーシャにサーヴァントがいないのに気づいた。
「ようやく、いろいろ頼んでいた物が届いたので、色々運び込んでいます。私は途中で抜けてこっちに来ました」
「あのマウンテンバイクもアサシン経由?」
ここからでも道路においてある自転車がよく見える。先ほどのよたよた走りも良く見えたであろう。
「はい、最初は倒れそうになりましたけど、アサシンさんの指導もありすぐ慣れました。それにしてもよくできた乗り物ですね。回転する動力が無理なく移動に転換されています」
「しかし変な気分よね。現実世界の武器装備の補給が、サーヴァントの手によって来るって。まぁ私もお金を相当工面したけどね」
もともと、アサシンは数年前に死んだばかりの人間だ。最後まで、ドイツにイリヤ奪還を敢行する意思があったため。その際の資金やコネがそれなりに残っている。もっとも過去の知人にに出会う度に、死んでいた言い訳を説明するのに苦労するとか。
さらに遠坂の財産のバックアップもあり、この陣営の金銭面と装備面はそれなりに潤沢だ。
「まぁ爺さんは今の時代の人だしな。いろいろと怪しい伝手があるのは息子としては複雑だけど、頼もしいことには変わりない」
その時、ミーシャは今夜の用事を思い出した。
「あ、今夜は私もアサシンさんも家に戻るのは遅く……たぶん、深夜二時ごろだと思います。ちょっと昼間には取引するには、憚れる品がありますので……」
「あ、あぁ。詳しくは聞かないけど了解した」
「ちょっと、セカンドオーナーとしてそれは聞き捨てならないわよ。まぁ多少は目をつむってあげるけど派手にならないようにね。
まぁ何はともあれ、戻ってきて次第突撃ってことで」
戦闘宣言と共ににやりと笑う凛の顔は、相談相手の二人が半歩後ずさるほど迫力に満ちていた。
今は三時十分、今日は早めに用事を済ませ仮眠をとったほうがいいな、と士郎は考える。
◆
「なんと、オートバイが届いていると?」
「はい、土蔵においてあります。アサシンさんがいつでも試乗していいと」
30分ほど前――士郎の用意した本日二回目の昼食を食べ始めた頃――このようにミーシャに声を掛けられたセイバーは、食事が終わるまで心を躍らせっぱなしだった。
10年前、
一度走らせば鋼の凶獣と格闘し、同時に巨大な馬を駆るような。闘争と疾走を共に行うあの不思議で心地よいな感覚。
まさか今一度、全力疾走出来るとは、これだけは衛宮切嗣に感謝しよう。
食事をじっくり堪能した後、もどかしい思いをしながら食器を洗い。足早に土蔵に向かう。鼓動が高鳴る。土蔵に着くころには走りかけてしまうほどだった。
そして土蔵の中にあったのは……
二つの車輪を前後に配置、真ん中には駆動機といわれる鉄の塊の心臓とシート、前輪には方向舵が固定されている。鐙を思わせる前部のレッグカウルが何とも美しい。
確かにあの
「小さい」
セイバーはポツリという。このオートバイは姿かたちこそ似ているが大きさが二回りほど小さいのである。
だが大は小を兼ねると限らない。このコンパクトな乗り物はちょっとした出迎え荷物運びなど、手軽な移動手段としては優秀なのかもしれない。少なくとも徒歩よりは格段に便利には違いない。
「まぁ、折角ですから、乗ってみましょう。夕方までは誰もいませんから、自宅の警備は必要ないでしょう」
セイバーは最初の落胆はどこへやら、楽しげに独り言を言った後。
玄関の鍵かけそこそこに、一緒に用意してある、シンプソンの真っ黒なフルフェイスヘルメットとこれまた真っ黒なセパレートのツナギを装着した。
バイクの正装をまとったセイバーは、ホンダスーパーカブ110にまたがり鼻歌混じりに衛宮邸を出発する。
軽快に走るバイク乗りのフルフェイスからはみ出たクセ毛は、楽しそうにいつまでも揺れていた。
内容の記述を変更しました
ホンダスーパーカブ50→ホンダスーパーカブ110