「なぜ私を殺さないの?」
敗北したキャスターの発した第一声は疑問だった。自分どころかマスターの葛木も束縛されているので、魔術でどうこうしようにも下手な動きもできない。
セイバーは階段の上に運ばれてきたが、相変わらず動かない。
凛の見立てでは魔力の使いすぎだというが、一日二日で今すぐどうこうなる訳ではないので、そのまま寺の縁側に寝かせて魔力の消費を抑えるようにしている。
石畳には無数の穴が開き、瓦は吹き飛び、骨はそこかしこに瓦礫の山を形成している。
このような有様となっているのに誰一人起きてこないのは、キャスターの魔術によって眠らされているからであろう。
それもただの眠りではない、ここから通っている柳洞一成は、親友の衛宮士郎にこう告白している。
「いくら寝ても疲れが取れない」
と、妙な気を起こさせないためと、魔力の供給の一石二鳥として、生命力を死なない程度にキャスターは奪っていた。
その支配も今夜で終わる。今回の襲撃でキャスターの魔力はほとんどが失われ、陣地も解体されたのだから。
だからこそキャスターは疑問に思う。時間を置けばまた力をためれる、今見逃す手はないはずだと。
参加した七人のうち一人しか願いがかなわない聖杯戦争だから、一人でもライバルは減らすすべきだ。
「そうね、本来ならセカンドオーナーとしてあなたの所業は許せない。死人が出ていたのなら、問答無用で倒していたわよ。
ま、それでもさっきの戦闘は手加減はしなかったわ。たまたま運よく生きていて、それで止めを刺さなかったそれだけの話」
凛は淡々と事実を述べる。キャスターにとって凛たちの全力とやらには、呆れるばかりであった。魔術師が兵器を取り回したり、素手で殴りつけるなんて魔術による冒涜に等しい。
だがそれで負けたのだから、忌々しいが認めるしかない。
「止めを刺さなかった理由は何かしら?」
キャスターはこの状態でも余裕を持とうとする。どうやら向こうにも思惑があるみたいだ。それならまだ芽はある、少なくとも諦めるわけにはいかない。
「今回の聖杯戦争はまともじゃないって事よ。詳しくはアサシンに聞いてくれる?」
「ああ、聖杯は穢れている。僕たちは運がいい、前回のようなキャスターが選ばれていなくて本当によかった」
そう前置きをすると、アサシンは士郎たちに語った第四次聖杯戦争の顛末を、もう一度キャスターにも説明した。
「
キャスターはアサシンの話を吟味する。
いつでも殺せる状況で、今更嘘をつく必要はない。
それにキャスターも魔術師――それも超一流の――だ、聖杯の異変に薄々感づいていた。だが自らの目標の為、聖杯にかける望みのために取りあえずは無視していた。
そこまで考えたキャスターは、自分の心情に違和感を覚える。
「私の望み? ……私の望みは故郷に帰……」
そこまでつぶやいてキャスターは言いよどむ。そう、キャスターが聖杯に呼ばれたときに願ったことは故郷に帰ることのはずだった。
だが先ほどの戦闘で、マスターの葛木宗一郎に命の危機が迫っていると、そう思い込まされたときのあの自分でも驚くほどの動揺。
何てことはない――もっと早く気づくべきだったと、キャスターは自嘲を含んだ告白をする。
「本当に滑稽だこと。私の望みは―――もうすでに、叶っていたんですから」
そして、穏やかな表情でマスターを見るキャスター。
そんな惚気話を不意に聞かされた回りの人間は、完全に毒気を抜かれている形となった。
「あー。ご馳走様……」
凛ですら半笑いの表情のまま、キャスターに平凡な返しを何とか言えるぐらいだった。
そこにいち早く立ち直ったアーチャーが、咳払いをしながら話を戻す。
「で、ここからが本題というわけだ。確かにキャスター、君の魔術の腕は今回重要だ。
だからこちらとしても、それなりの譲歩も考慮してもいい。少なくとも敵対しないことと、これ以上魂食いをやめることは最低条件となるがね」
「それと、聖杯の調査に協力してほしいってこと?」
キャスターは躊躇する。確かに聖杯が穢れているのなら調査する必要がある。
だけど、葛木宗一郎を男性として愛しているという本当の気持ちに気付いた今、その願いを確かなものにしたいという欲求が生まれる。聖杯戦争が終わるまでだけの関係なんて嫌だと。
その気持ちを察したのか、ミーシャが懐からひとつの指輪を取り出して見せる。
「これは『
事前に存在を知らされていたアサシンと終始無言の葛木以外から、ざわめきが湧き上がる。さらっととんでもない事をこのエルフは言い出したのだ。
「ちょっと何それ! 魔法の領域じゃない」
「正確に言いますと魔法ではないのですが……こめられた魔術の力そのものではなく、高位の存在に働きかけて行使してもらうので、ある意味チート行為とも言えます」
もちろんそんな魔術が簡単に使用はできない。
「これを協力してもらう条件として、キャスターさんにあげます。それで受肉をして葛木さんと幸せになってください。
あなたの願いは好きな人といつまでも暮らしたい。そうですよね?」
その発言に葛木以外の面々は一瞬言葉を失う。一番驚いているのはキャスター自身だろう。魔法に匹敵する効果をもつ魔術礼装を取引とはいえ、圧倒的な有利な状態で差し出してきたのだから。
信じられないほどの嬉しい条件に、逆にキャスターは警戒心を引き上げる。
「何でそこまでするの? 私とあなたは何の関係もないじゃない」
「いえ、関係があります。貴方には好きな男性が居ます。私にも好きな男性が居ました。でも私は……一昨日終わりました」
キャスターの顔から先ほどの警戒心が薄れる。いきなり失恋したことを告白されて、困惑気味になったのだ。
「ですから、キャスターさんには、幸せになってもらいたいだけです。
つまり、理由は私の失恋した腹いせということになります」
その思いもしなかった言葉に、一瞬ぽかんとなったキャスターは、その後何か堰が切れたように笑い出した。その表情は目の前の曇りが全て消え去ったかのように晴れやかだ。
「笑わないでください……変でした?」
「ふふふ……ごめんなさいね。確かに変かもしれないけど、ここまでストレートに自分の恋を応援されるのって初めて。真っ直ぐすぎてこそばゆいくらい。
わかったわ、私の負けよ。私はその条件で聖杯戦争を降りることにする。私の力なら聖杯の願いだけ取り出して、破滅を無効化することもできるかも知れないけど、こればっかりは実際に調査してみないとね」
ここに置いて柳洞時の戦いの決着がついた。張り詰めていた空気が完全とはいえないが弛緩して元に戻る。その中で凛の嘆きが漏れる。
「はぁ……ミーシャちゃんの持ち物だから文句言う筋合いはないけど、ちょっと景気よすぎよ。
あとよくあんな恥ずかしい台詞を真顔で言えるのよ。聞いているこっちが、赤面ものなんだから」
「恥ずかしい台詞は、シロウさんの影響かもしれません」
「なんでさ。いや、じゃなくって、ちょっと勝手に決めすぎじゃないのか?」
どうやら衛宮士郎は納得言ってないようだ。
「どうしたの? キャスターをこのままにすることに士郎は不満でもあるの?」
「いやそれには賛成だ。悪いことをしないと誓ってくれるのならば、俺だって殺すことはしたくはない」
士郎は聖杯戦争開始時と同じ台詞と言う。そしてまったく別の観点から問題点を提訴する。
「あのさ、二人で盛り上がっているところ悪いんだけど……葛木先生はどうなんだよ。いろいろ勝手に決めちゃってさ」
その一言により、一瞬気温が1度ほど下がる。キャスターのマスターが一言もしゃべらないことをいいことに、やれ好きな人だのと、やれ幸せにだのと、勝手に話が進んでしまっていたのだから。
キャスターはおずおずとマスターである葛木に目を向ける。英霊が何の魔力の持たない魔術師ですらない人間に対し、拒絶されることに対して完全におびえている。
「宗一朗様……」
「もとよりは私には何もない。所詮は朽ち果てた殺人鬼、聖杯に願うことなどない。キャスターが良いと言えばそれに異論はない」
ミーシャはその無味乾燥な回答に異を唱える。
「あなたに何もないとは思いません。魔術師でもないあなたが聖杯戦争に参加した。その理由がそうではないかと」
「……そうか。そうかもしれないな」
寡黙な男は、何か得心したように返事をするとそのまま黙ってしまった。そのマスターの様子に、キャスターはこの世の全ての幸せを一身に集めたような笑顔を綻ばせる。
ここにはなはだ歪な、だからこそ非常に強固な絆を持つ、一つの夫婦が誕生しつつあった。
境内を照らす月の光は、それを祝福しているかのようであった。
◆
深夜、明かりの消えた一室。
当然部屋の中は暗いが、半分ほど開け放たれた窓から月明かりが差し込んで、部屋が暗黒に包まれるのを拒否している。
そしてベットの布団は膨らんで、上部から桃色の髪がはみ出していた。この部屋の主が寝ているのであろう。
そこに実体化するは黒衣の女性、ライダーのサーヴァントが現れる。
物静かな声でライダーはベッドに話しかける。
「……サクラ。終わりました」
「先輩は……先輩は怪我なかった?」
布団から漏れる声の主は間桐桜。間桐慎二の妹で、衛宮士郎の家に、ほぼ毎日朝食を作りに来てくれる後輩である。
現在は衛宮家に泊まっている身だ。
「はい、戦闘が行われましたが、エミヤシロウは傷ひとつついていません」
その答えに桜から安堵の吐息が漏れる。
「よかった。先輩に何かあったらと思うと……私、どうにかなっちゃいます。急な頼みごとしてごめんなさいライダー」
「気にすることはありません、私はいつでもサクラの味方です。ですから今後も遠慮なく命令してください」
「ライダーありがとう」
セイバーによって倒されたはずのライダーは、桜の感謝の礼にうなずくと、その声のように静かに掻き消えるのであった。
しばらくして、掛け布団に掻き消えるほどのか細い声で桜はつぶやく。
「先輩は……姉さんには渡さない」
声の細さに反比例して、そこにこめられた激情は深く重い。
窓から差し込む月の光は、それを憐憫しているかのようであった。
◆
新都の教会へ向かう坂道、ランサーはその月光色の斜面を登っていた。
「ちっ……我ながらみっともないことになったな」
ランサーは自嘲する。主の命令に背いてセイバーと全力で戦いあまつさえ敗れてきたのだからだ。
だがその言葉とは正反対に、ランサーの口調には負の感情はない。本気のぶつかり合いの上、すべての力を込めた宝具二連発を見事に切り替えされたのなら、素直に負けを認めるしかない。
あの状態で、令呪を2個惜しげもなく使った小僧の思いっきりの良さに、開け値の無い敬意を示そう。
この件でマスターが何か言おうともどうでもいい。
マスターには基本従うが、ランサーにはランサーの信条がある。
それを踏みにじる行為をさせるのなら、令呪をさらに使ってもらうだけだ。
だからこそランサーはマスターの元に戻る。
セイバーの宝具で霊核に傷を負い、いつ消え去ろうとしてもおかしくない状態でも、体が動く限りサーヴァントとしての役割にとことん足掻いてみせる。
それが生前どんなに深手を負おうが、体を石柱に縛り付けて最後まで戦った彼の矜持だからだ。
「他人から見たら、見てらんないかもしれねえがな」
「ああ、確かにな雑種。今の貴様は見るに耐えん」
ランサーはその言葉を聞くと、一気に戦闘態勢になる。ランサーの感じたプレッシャーは、バーサーカーのそれを上回っていたのだからだ。
坂の上には、金髪を逆立たせ赤い目とこの世ならざる美貌を持ち金色の甲冑で武装した男が、酷薄な笑みを浮かべ見下ろしていた。
「てめぇ! 何者だ」
今にも噛みつきそうな表情で、その金髪の男を睨むランサー。
その睨みを涼しげな顔で受け流す金髪の男。
「すでに四日たとうというのに一人目も落ちてないので、いささか退屈しておったところだ。
だが先ほどの戦いは、雑種にしては興じさせてくれた。よって、
金色の男が宣言すると同時に、背後の空間が歪み黄金の波の輪が何個も浮かび上がる。
その輪から現れるは宝具――掛け値なしのサーヴァントが持つ宝具――の武器が複数顔を出す。
ランサーはそれを迎撃する構えを取りながら、金の英霊に向かって走り出す。
あの数は規格外だ五体満足ならともかく、満身創痍の状態では戦闘にすらならないであろう。
だが、ランサーは口をゆがめて笑う。もとより二度目の生なんぞに興味はない。ただ、果たせなかった未練に固執しているだけだ。
――宝具がランサーに向かって打ち出される。その数、その速度、すべてが常識の域を超えていた。
なら最後まで戦って戦って戦って。そして果てるまで戦い抜くだけだ。それがランサーが聖杯戦争にかけた望なのだから。
無数の宝具に突き刺されながら、なおも前進する速度を緩めない無限の闘志を吹き上げるランサー。
教会の裏側から半分顔を出す月の光は、それを称えているかのようであった。
《