「これがかの有名なエルミンスターさんが、愛してやまない飲み物なのですね。なんといいますか、甘くてしゅわしゅわします」
ミーシャが衛宮邸の居間で飲んでいるのは、パッケージが緑色がまぶしいレモン・ライムの風味の弱炭酸飲料である。
隣にはキャスターも鎮座している。
「でも、おかしいよな。ミーシャが来たのが200年前で、その時代の人が好きといっていたんだろ。計算が合わないんだろ」
該当の飲み物は200年前には決して存在しない飲み物だ。なので、士郎はもっともな疑問を口にする。だがその疑問に対してミーシャもキャスターもそっけない。
「次元と時間の関係ほど不確かなものはありません。私が狭間で彷徨っていたときも体感時間はともかく、肉体の時間の流れはおそらく止まっていました。
この国でもある漁師が海の底の妖精界に招待され、帰ってきたら数百年たっていたという伝説があります」
「一番わかりやすいのが英雄の座。どの時代でもその英雄の分霊は、存在することができるもの。
それが未来の英雄だとしてもね。少しは勉強しなさい坊や」
ミーシャに続いてキャスターが説明する。
顔をすこししかめているのは、ミーシャと一緒に飲んでいる飲み物が口に合わなかったためであろう。
「すまないな勉強不足でさ。で、キャスターはさっきまで大洞窟に出向いていたんだろ? 戻ってきたということは、成果はあったのか?」
キャスターは昨日から円蔵山の地下の洞窟に存在する、大聖杯と呼ばれる巨大魔方陣の調査に出かけていたのだ。
仕返しとばかりにその調査結果を士郎は問いただすが、キャスターの実力で持って正面から返される。
「ええ、調べたわ。アサシンの言ったとおり、聖杯は本来無色の魔力のはずなんだけど、確かに意思を感じた。
その意思は表現するならば、そうね陳腐だけど悪意の塊ってところかしら」
「こうなると聖杯は壊す方向になるのか……」
士郎の顔は暗い。
どうしても聖杯に願いを持つセイバーの存在が、頭の片隅に過ぎってしまうからだ。
だが、セイバーの願いは間違えているという考えは変わらない。
あのような少女に消えるだけの運命を持たせるだけなんて、許せるわけがない。
士郎が自分のサーヴァントの運命を嘆いていると、突然背後から腹立たしげな声がしたので振り向いてみる。
「やられた、桜が居ない」
そこには怒りとも悔しさともつかない表情で、青ざめた顔色の遠坂凛の姿がいた。
「――――どういうことだ」
剣呑な声色で士郎が反応する。桜は聖杯戦争に関係ないはずだ。
なのに、今朝の血にまみれた姿といい、今回の消失といい彼女の身になぜ異変が起きる。
「お兄ちゃん。それについては私が説明するわ」
問い詰めようとする凛の後ろからイリヤが現れる。
そしてイリヤは間桐桜についての、衛宮士郎が知りえなかった秘密を話す。
間桐桜が当代の魔術師であること、マキリの聖杯として覚醒しかかっていること。
そして、たぶん自分一人で決着をつけに行ったこと。
それを聞いた士郎は、今にも怒鳴りだしそうな表情でイリヤに詰め寄る。
「何で桜はそのことを教えてくれなかったんだよ! 知っていたのなら俺は……」
「判らないの? それはサクラが一番知られたくなかった人間が、シロウ――あなただから」
その言葉に士郎は膝をつく。桜がどんなに苦しんできたか知らなかった。
本人が苦しんでいるのに、何一つ理解できずに軽い気持ちで話しかけていた。
たとえ桜本人がそれを望んでいたとしても、そんな自分が士郎は許せない。
イリヤに詰め寄ったことを謝った士郎は、そのまま俯いて沈黙してしまった。
そんな重い空気に耐えられなくなったように、電話が鳴る。
誰かが反応するよりも早く遠坂凛が受話器を取る。凛も内心はかなり荒れているようだ。
「はい、衛宮です。――――ッ! 用件は何でしょうか?………………判りましたこちらからお伺いいたします」
受話器を受け取った瞬間に明らかに不機嫌になる凛。
そして少々乱暴に電話を切ると、意外な場所から意外な人物についての連絡を報告する。
「教会からよ。慎二が大怪我したから保護しているってさ」
◆
「間桐慎二はすでに治療済だ、命に別状はない。奥の部屋にいる」
士郎達が教会についたのは夜も更けたころであった。
最初は罠じゃないかと疑ったが、さすがに慎二を放置するわけにはいかないので来るという結論になった。
教会に来たのは士郎、凛、ミーシャ、イリヤ、そして護衛としてアーチャーとなっている。
セイバーとキャスターは、セラとリズとともに衛宮邸の守りについてもらった。
凛は平静を装っているが内心落ち着いてはいられない。何せ父の敵が目の前にいるのだ。
だが、報いを受けさせるのは、今ではないと自分自身に言い聞かせる。
それに、理屈抜きで凛は確信している。言峰綺礼は必ずこの戦いで立ちはだかると。
そんな凛の様子を知ってか知らずか、いつもの調子で言峰綺礼は間桐邸で起きたことを全て士郎たちに告げる。
そう、間桐桜が間桐臓硯の手に落ち今回の聖杯となった事だ。
「聖杯を制御しきるまであと、二日か三日といったところね。
それを過ぎればサクラは完全に聖杯と化してマキリの勝ちとなるわ」
とはイリヤ見立て。
「俺はお前のことは気に食わない。でも慎二を助けてもらったことは別だ。礼は言っておく」
士郎が慎二の治療について礼を言うと綺礼は楽しげに返答する。
どうも衛宮士郎に関わるとこの男は、普段よりも少々容喙の度が高くなるようだ。
「衛宮切嗣の息子からの礼とは、監督役もしてみるというものだな。
なに、礼には及ばんさ、脱落したマスターを保護するのは監督役の務めだ。
そうだ、こっちのほうがよっぽど重症だ。残念ながらライダーは、このままでは消えるだろう」
綺礼は、教会の長いすに寝そべっているライダーのほうを指し示す。
どうやら魔力の供給を断たれたらしい。そのため極力魔力消費を抑えるために横になっているのだという。
ライダーは単独行動のスキルを持っているが、そんなに高くない。この様子ではあと半日といったところか。
ライダーが生存していたことにも驚きだが、マスターが桜だったことはそれ以上に衝撃的だった。
ライダーは今までのことを説明する。
最初は、桜が戦いを嫌がったために、間桐臓硯が令呪を消費して作成した偽臣の書を使い。慎二を仮のマスターにして聖杯戦争に参加していた。
偽臣の書の状態で倒されてもその令呪が消費されるだけで脱落することはないという。
その後は桜の元に戻っていたけど、桜の頼みによりキャスターの戦いでは手を貸したという。
そして無念なことに桜は間桐臓硯に負けたということだ。
「私の望みはサクラが幸せになることです」
落ち着いた声でライダーはそう締めくくる。
「つまり、私たちが桜を助けるならば協力するってこと?」
「はい、それ以外の望みはありません」
ライダーの協力は悪い話ではない。聖杯の力を得た桜――間桐臓硯――の力は未知数だ。
味方は多いに越したことはない。
あとはどうやってライダーを助けるかだ。
士郎が何かを思いついたように、アーチャーに質問する。
「なぁアーチャー。お前はキャスターの宝具の投影はできるのか?」
「なるほど……お前にしてはなかなかの考えだな。当然、出来ると答えておこう」
「ったく。一言余計なんだよ」
士郎の問いにアーチャーが答える。やり取りするだけで一々険悪になるのは、もはや伝統行事であろう。
つまりキャスターの
だがひとつネックがあると凛は指摘する。
はぐれサーヴァントが現れた場合、聖杯に吸収された脱落したマスターの未使用の令呪が再分配されるのだが、誰の手に令呪が宿るかはそれこそ聖杯の気分しだいだ。
ましてや、間桐臓硯はまだ生きている。腐っても御三家、優先的に令呪を配分される身だ。
そして、遠坂はいまだマスターなので再分配されない。
他にもランサーのマスターもいるはずだ。
そしてイリヤは――
「バーサーカーだけが私のサーヴァントなの。だから再契約はできないわ。それに令呪はミーシャに宿るから、心配することないから」
――こう言って辞退した。
「わかったわ。イリヤの言を信じる。こと聖杯についてはこの子が一番詳しいみたいだしね」
その凛の一言により決定した。
アーチャーは
その瞬間、ミーシャの手に再び令呪の光が宿る。かくしてミーシャは再びマスターとなった。
「サーヴァントを失って次の日に新たなサーヴァントを得るか。
アサシン、いや、ライダーのマスターよ、なかなかの幸運を持っていると見える」
言峰綺礼はなにやら楽しげに喋りだす。どうもこの男の愉しみのツボはいまいちつかめない。
そして、凛はその言葉を否定する。
「これは幸運じゃない。イリヤのいったとおり必然。
はぐれサーヴァントが出た場合、令呪は御三家に優先的に再配分される。
でも、もう一つ優先的に配分される家系があったのよ。それがブラント家」
それが意味することの大きさを士郎は、ピンと来ないでいた。そこにイリヤが補足する。
「令呪のシステムができたのが第二次聖杯戦争時、今から140年前。
そのころには誰もブラント家のことを知らないし、知っていても気にも留めない。そう、ただ一人を除いてね。
って、ミーシャ泣いてるの?」
数日前、間桐臓硯はミーシャ・ブラントを拒否した。
だが確かにマキリ・ゾォルケンは、ミーシャの事を大事にしていたのだ。
60年前の生死の定かではない人が、令呪の儀式の対象に組み込まれている。普通なら起こりえないことである。
もちろん、恋人としてではない、友人としてなのは明白だ。
それで十分だとミーシャは令呪を目の前に掲げ、愛おしげに見つめながら思った。
頬に流れる一本の水筋が、教会の明かりにかすかに光る。
それは、間桐臓硯への感謝と決別の印。
ミーシャ・ブラントは、最初の聖杯儀式者としての最後の覚悟を決めた。
「では、そろそろお引取り願いたいものだな。
ここは教会だ。物騒なマスター達がサーヴァントを連れて、ぞろぞろ長居していても困るものだ」
にべもなく追い返そうとする言峰。
慎二を担いだ士郎は去り際に少し考え、そしておもむろに振り向いて問いかける。
「聖杯戦争はもうその体をなしていないだろ。聖杯は穢れ“
だったら言峰。監督役としての取るべきことがあるんじゃないのか?」
士郎は聖杯戦争を中止し、教会の介入をすべきではないのかと提言する。
だがそれに対して綺礼は冷ややかだ。
「私はそう思わん。 穢れていようが聖杯は存在し、サーヴァントもいまだ複数体現界している。
その後に何が生まれようが、関知はできぬ。
いくがよい、衛宮士郎。“
ではもう一度言わせてもらおうか。喜べ少年。君の望みはようやく叶うとな」
それ以上の問答は無意味だと判断した士郎は、振り向きもせずに教会を後にする。
◆
誰もいなくなった教会で言峰綺礼は独白する。
「生まれながらに持ち得ぬもの。
はじめからこの世に望まれなかったもの。
それが誕生する意味、価値のないものが存在する価値を見せてくれるだろう。
何もかも無くし何もかも壊したあと、ただ一人残ったモノが、果たして自身を許せるのか
私では答えを出せない。ヤツこそが答えを出せるモノとなるだろうか」
それは神ヘの懺悔か、悪魔への供物か。
もし誰かが聞いていたとしてもその真意を汲める者など、居ようがなかったであろう。