蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第101話「暗闘」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帝国海軍所属軍令部部員、中西寅彦大佐は暗がりの中を走り透していた。

 

 右手には1丁の拳銃を持ち、左手には書類を手にしている。

 

 この書類は大切な物である。絶対に、他の者の手に渡す訳にはいかなかった。

 

 慎重に息を殺し、己の気配を消して動く。

 

 追っ手の足音は既に遠ざかっている。どうやら巻く事に成功したようだった。

 

「・・・・・・・・・・・・ったく、水上の野郎」

 

 一息ついた中西は、この場にいない旧友に毒舌を吐く。

 

「とんでもない事を押し付けてくれやがって。おかげでこっちはこのザマだよ」

 

 彰人は第3次マリアナ沖海戦に出撃する前、中西にある事を頼んで行った。

 

 その作業を進めていくうち、中西は海軍を取り巻く巨大な闇の存在に行きあたったのだ。

 

 それは、中西1人では決して抗いきれないような、巨大すぎる闇。

 

 気が付いた時には、既に中西の至近にまで暗殺者の手が伸びていた。

 

 そして今、中西は追われる身となっている。

 

 相手は敵対組織の放った刺客と見て間違いない。狙いは、彼の手にある書類だろう。

 

 これが公になる事は、彼等にとっても都合が悪いと言う事だろう。だからこそ、なりふり構わずに奪い返しに来ている訳だ。

 

「こいつは、ますます持って守り抜かないとな」

 

 言いながら、手の中の書類をしっかりと抱える。

 

 この書類を何としても彰人の元へ届けないと。

 

 それこそ、この帝国の未来が掛かっているのだ。

 

「・・・・・・・・・・・・よし」

 

 周囲を見回して頷いた中西は、物陰から出て歩き出す。

 

 マリアナ沖の戦いは帝国海軍の辛勝に終わり、一時的にではあるが帝国に平穏な日々が戻ってきている。

 

 だが、これが嵐の前の静寂に過ぎない事は、中西にも判っていた。

 

 やあて合衆国軍は、体勢を立て直して再び帝国への攻撃を再開する事だろう。

 

 そうなる前に、この戦争を終わらせる必要がある。

 

 もう帝国は限界だ。これ以上、戦争を継続する事は不可能なのだ。

 

 しかし、戦争終結を望まない奴等が、この帝国に入る。そうした連中が今、中西の命を狙っているのだ。

 

「待ってろよ、水上」

 

 闇の中で呟きながら駆け出そうとした中西。

 

 その時、

 

「海軍大佐、中西寅彦だな」

 

 名前を呼ばれた瞬間、

 

 中西は振り向き様に引き金を引く。

 

 相手が誰か、など考える暇は無い。自分の名前を知っている時点で敵だと考えなくては、これまで生きてはこれ無かった。

 

 暗がりの中で、誰かが倒れる気配があった。

 

 次の瞬間、

 

 複数の銃声が折り重なり、中西の体から鮮血が舞った。

 

 音を立てて、地面に倒れる中西。

 

 その体を中心に、赤い水たまりが広がって行く。

 

 中西の眼は見開かれ、既に事切れている事は明らかだった。

 

「やったか?」

 

 闇の中からゆっくりと歩み出てきた男が、配下の者に尋ねる。

 

 地面に倒れ伏した中西を見下ろすのは、黒鳥陽介海軍大佐だった。

 

 レイテ沖海戦時における作戦始動の責任を問われ、軍事参議官の職に追いやられた黒鳥が、なぜこのような場所にいるのか?

 

 その答えは、今まさに、彼の足元で躯と化している中西が無言で語っていた。

 

「鼠が・・・・・・」

 

 黒鳥は中西の死体に侮蔑的な視線を投げかけて吐き捨てる。

 

「貴様のような亡国の輩が、我が国をここまで惨めな状況に追い詰めたのだ。殿下の崇高な理想を解さぬ者など、この帝国には必要無い」

 

 1か月程前から自分達の組織の事を探っている海軍士官がいると言う情報を聞いた黒鳥は、富士宮康弘の直接指示の下、内偵を進めていたのだ。

 

 そこで浮かび上がってきたのが、軍令部職員の中西寅彦だった訳だ。

 

 しかも経歴を洗ったところ中西は、黒鳥にとって憎んでも憎み切れない水上彰人ともつながっていると言う。

 

 その事を知った黒鳥は万難を排して中西を見つけ出し、暗殺を実行したのだった。

 

 中西の手の中にある書類を取り、中身を確認する。

 

 それが何かの名簿である事はすぐに判った。しかも、黒鳥にとって見覚えのある名前もいくつか載っている。

 

 どうやら黒鳥の同志。富士宮派閥に属する海軍士官の名前のようだ。

 

 先に永野修が失脚した事で、海軍内における富士宮派閥は大幅に縮小されている。しかし、まだ壊滅した訳では無く、相当数のメンバーが息を殺して「時」を待っている状態である。

 

 だが、この名簿が彰人達の手に渡れば危ない所だった。最悪、黒鳥達の組織はその時点で壊滅していた可能性すらあった。

 

「これは殿下に届けよ」

 

 そう言って、黒鳥は中西から奪った書類を部下に手渡す。

 

 対して、書類を受け取った部下が黒鳥を見て言った。

 

「それでは、この死体も一緒に処理しておきます」

 

 だが

 

「いや、それには及ばん」

「は?」

 

 部下が首をかしげる中、黒鳥は中西の死体を汚物でも見るような目で見ながら言った。

 

「こいつは、このままここに放置しろ。我等に賛同せぬ蒙昧な輩の躯なぞ、野犬の餌が相応しい。それに、こうして放置しておいた方が、我等にはむかう者共への警告にもなるだろう」

 

 そう言うと黒鳥は、中西の死体を爪先で蹴り上げる。

 

 この男の死体を見れば、あの水上彰人がそれはそれは悔しがることだろう。自分の無能を痛感し、また友を救えなかった事を嘆くに違いない。

 

 その事を夢想しながら、黒鳥は踵を返して去って行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツ第3帝国。連合国に対して全面降伏。

 

 この重大ニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡った。

 

 あのドイツが?

 

 なぜ?

 

 そんな事を考える者も少なくは無かった。

 

 何しろ、第2次世界大戦の引き金を名実ともに引いた国家であり、一度はヨーロッパの大半を手中におさめ、世界の覇権を手にするほどの勢いを見せたドイツである。

 

 負けるはずがない。何かの間違いだ。

 

 そんな風に思ったとしても不思議ではなかった。

 

 しかし1942年に起こったスターリングラード攻防戦において主力軍の過半を失い、更に1944年に起こったノルマンディー上陸作戦において連合国軍の欧州上陸を許したドイツ軍は徐々に追い詰められ、ついには首都ベルリンにまで攻め込まれる事態に陥ったのだ。

 

 聞けば、ヒトラー総統は4月30日に既に自殺しており、後継首班となった海軍提督デーニッツが、連合国軍に対して無条件降伏を打診したと言う。

 

 この事態は、遥か極東の地で奮戦を続ける帝国にとっても、決して無視できる自隊ではなかった。

 

 ドイツが敗れたと言う事は、連合軍がヨーロッパ方面に兵力を張り付かせておく理由が無くなったことを意味する。と言う事はつまり、早晩敵は戦力を整え、太平洋戦線に主力軍を投入してくるであろう事は疑いなかった。

 

 合衆国軍の戦力だけでも手に余ると言うのに、そこに英仏と言った連合国軍の主力まで加われば、もはや帝国の勝機は1パーセントたりともありはしなかった。

 

 

 

 

 

「最早、一刻と言えども猶予はならん」

 

 居並ぶ者達を見回して重々しく口を開いたのは、富士宮康弘である。

 

 皇室に連なる人物であり元帥でもある富士宮は元々、海軍内において絶大な権勢を誇っていた。

 

 しかしレイテ沖海戦以後の人事刷新において、彼の派閥に連なる者達の大半が実権を奪われ、閑職に回されてしまった。その為、富士宮派閥は大きく縮小を余儀なくされたと思われていた。

 

 だが、富士宮の賛同者は尚も多く存在し、こうして参集の声に応じている。

 

 この光景こそが、未だに富士宮派閥が侮りがたい勢力である事を、如実に表していた。

 

「過日、我らが偉大なる盟友にして、比類なき親友だったドイツ第3帝国が、無念の涙を飲み、連合国に対して無条件降伏した」

 

 その声に、居並ぶ一同にざわめきが広まる。

 

 誰もが、ドイツが負けることなど、想像だにしていなかったのだ。

 

 中には、「敵がどれだけ強かろうが、ドイツが健在なら何とかなる」など、他力本願的な考えを持っていた者までいたくらいである。

 

 だが、そのドイツが敗れた。

 

 先にイタリアが連合国に対して降伏した為、枢軸国は帝国1国のみとなってしまった。

 

「静まれェ!!」

 

 ざわめきを大きくする一同を前にして、富士宮の怒号が鳴り響く。

 

 その声に、一同は居住まいを正して富士宮に向き直った。

 

「もはや躊躇している時は過去に過ぎ去った。今はただ、前のみを見据え進まねばならん。全ては、我らの理想とする王道楽土を、この極東の地に築く為。その為に、国民一丸となり、不遜にも我らが領土に向かって攻め入ってくる敵を撃退しなくてはならん。我が帝国臣民が決起し、一人一殺の気合を持って臨めば、倒せぬ敵などありはしないだろう」

 

 富士宮の言葉に、皆は感嘆の声を上げる。

 

 そうだ。自分達はまだ負けていない。

 

 帝國国民すべてが一丸となって敵に当たれば、きっと勝てる筈だ。

 

 そんな思考が、彼等の中で繋がって行くのが見えるような気がした。

 

「しかるにッ」

 

 富士宮は続ける。

 

「我が国には、敵が来ているのに戦いを避けようとする臆病者共がいる。そのような輩が、今や海軍のトップに居座り、国防の一線を担っているのだ。このような愚かな事態が、果たして許されるのか!?」

「否ッ」

「否ッ」

「断じて否ッ」

 

 問いかけるような富士宮の言葉に、次々と賛意の声が上がる。

 

 現体制の海軍に国の守りを任せてはおけない。

 

 ならば、我らの手に取り戻すのだ。

 

 熱気により、室内の温度が上がる。

 

 誰もが、その熱に浮かされたように、坂道を転がり落ちようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横須賀を出港した第2艦隊が呉に入港したのは、ドイツ降伏のニュースが流れた1週間後の事だった。

 

 通常、主力艦隊は呉、横須賀、佐世保、舞鶴と言った、鎮守府の置かれている各拠点に分散して配備されるのが常である。

 

 しかし第3次マリアナ沖海戦で壊滅的な損害を受けた連合艦隊は、主力である第2、第3艦隊を1カ所に纏めて配備し、有事の際には即応できる体勢を作っておこうとしているのだ。

 

「だったら、『信濃』もこっちに回せばいいのに」

 

 旗艦「姫神」の艦橋に立って、近付いて来る柱島の様子を眺めやりながら、彰人はそんな事をぼやくように呟く。

 

 「信濃」は新たに組織された帝都備海上部隊の旗艦として横須賀に留まっている。

 

 彰人としては、最強戦艦である「信濃」をこそ、実戦部隊である自分達の元へと回してほしい、と思う次第であるのだが。

 

 そもそも、いかに最強戦艦とは言え、「信濃」1隻と、数隻の艦艇のみでは、いざ本当に敵が攻めて来た時に防ぎきれない事は明白である。

 

 最強戦艦が傍にいる事で帝都臣民に安心感を与えると言う政治的意図は判らなくは無いが、実際に戦う彰人達からしてみれば、最強戦力を後方で遊ばせておく事ほど、愚かしい事は他に無かった。

 

 しかも、

 

 彰人は横須賀を出港する前、「信濃」に纏わる、良からぬ噂を耳にした。

 

 そもそも首都警備海上部隊なる組織の新設と、そこに「信濃」を配備する計画には、海軍以外の場所から入れられた横やりが入った結果だと言う。

 

 実際に横槍を入れたのがどこの誰かは知らないが、海軍の作戦方針に外部から口出しされるのは、あまり良い気分ではなかった。

 

 彰人はチラッと、傍らに立つ姫神を見る。

 

 現在、停泊場所に向かって艦を進めることに集中している姫神。

 

 信濃は姫神にとっても友達である。信濃が来てくれたら、彼女も喜んだだろうに。

 

 ともかく、この後、連合艦隊旗艦「瑞鶴」に行って、小沢と会う予定になっている。その時にでも、信濃の事はもう一度相談してみようと思った。

 

 

 

 

 

 指定された錨地に「姫神」を停泊させた彰人は、姫神を伴って「瑞鶴」にやってきた。

 

 第3艦隊も、先の第3次マリアナ沖海戦において歴戦の「蒼龍」をはじめとする空母3隻を喪失。航空機と搭乗員も200機近く失っている。

 

 現在、急ピッチで再建が進められているところではあるが、多くのベテランパイロットを失った今、往年の戦力を取り戻すまでには、相当な時間がかかる物と思われた。

 

「寂しくなったものだ」

 

 柱島の様子を眺めやりながら、小沢は呟いた。

 

 彼の気持ちは、彰人にも理解できる。

 

 この呉軍港柱島はかつて、帝国海軍最大の根拠地であり、連合艦隊司令長官直率部隊である第1艦隊の投錨地であった。

 

 往時には国民の誇りである「長門」「陸奥」をはじめとした大戦艦が停泊し、その威容と誇りを国民たちに示した物である。

 

 彰人も第11戦隊司令官として「姫神」に着任した時には、威風堂々とした連合艦隊の姿を目にして、誇らしさを感じた物である。

 

 しかし今、連合艦隊の威容はどこにもない。

 

 長く続いた戦争で「長門」「陸奥」を始め多くの艦が沈み、今やここにいる艦だけが、連合艦隊の全戦力である。

 

 「次は負ける」と言うのは、彰人と小沢の共通した認識と言って良かった。

 

「そうなる前に、どうにか手を打ってもらいたいんですけどね。軍が完全に継戦能力を失ってからじゃ遅い」

 

 彰人が言う「手を打つ」とは、つまり戦争を終わらせる算段を付ける。と言う意味である。

 

 そもそも帝国はこの戦争において、どのような形で決着をつけるのか真剣に考えている者がどれほどいたのだろうか?

 

 ただ戦って、領土を獲得できればそれで良い、などと安易に考えていた者が多かったように思える。

 

 だからこそ、「落としどころ」を探るのに苦労しているのが現状だった。

 

「それなんだがな・・・・・・・・・・・・」

 

 小沢は何やら、意味ありげな口調で話しを切りだした。

 

「先日、井上の奴と話をした時、奴が言っていた事なんだが、どうも水面下で我が国と合衆国の交渉が始まっているらしい」

「それはつまり・・・・・・」

 

 彰人は身を乗り出す。

 

 交渉が始まっている、と言う事はつまり、両国の間で戦争を終わらせようとする動きが見られている事を意味している。

 

 小沢は海軍大臣の井上成重とは海兵同期であり、特に親しい間柄でもある。その井上の言葉である事を考えれば、信憑性のある話だった。

 

 考えてみれば、合衆国軍もここに至るまでに受けた損害は馬鹿にならないはず。特にレイテ沖海戦ではデイビス・マッカーサー率いる南太平洋軍がまるまる壊滅し、第3次マリアナ沖海戦では海軍と戦略航空軍が甚大な被害を蒙った。

 

 一連の戦いは、彼等から途洋侵攻能力を奪い、スケジュールの大幅な修正に追い込んだ事は想像に難くなかった。

 

 とは言え、

 

「そう簡単にはいかないでしょうね」

「当然だな」

 

 彰人と小沢は揃って嘆息する。

 

 敵の侵攻能力を奪ったと言っても、それは一次的な物である。いずれ戦力の回復を終える事だろう。そうなれば、再び侵攻を再開するはずだ。

 

 つまり敢えて交渉の場に臨まずとも、暫く待てば敵は確実な勝利を物にできるわけだ。

 

 そうなる前に交渉で何らかの活路を見出さないと、帝国の破滅はその時点で確定すると言う訳である。

 

 と、そこで小沢は話題を変えて来た。

 

「そう言えば聞いているかね。先日、軍令部職員が殺害される事件があったそうだよ」

「本当ですか?」

 

 物騒な時代、と言えば今ほど「物騒」な時代も無いのだが、それでもそう思わずにはいられなかった。

 

 長引いた戦争で、帝国国内の治安も悪化していると言う事だろう。

 

 だが、次に小沢が言った言葉は、彰人を驚愕させるのに十分な威力を持っていた。

 

「名前は確か、中西大佐だったか? 情報課の人間だと言うから、君とも面識があったんじゃないか?」

「・・・・・・・・・・・・はい」

 

 小沢の言葉を、彰人は愕然として聞いていた

 

 中西。

 

 中西寅彦に間違いない。

 

 彼は彰人の要請によって、富士宮派閥の事を調べてくれていた。

 

 その中西が殺された。と言う事はつまり、富士宮派閥には何か、調べられたらまずい事案があったと言う事だ。

 

 親友の死と言う重大事に加え、彰人は底知れぬ闇を覗いたような気がして、戦慄を禁じ得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドイツ第3帝国の崩壊は、同時に第2次世界大戦そのものの終焉が見え始めている事を意味していた。

 

 枢軸国を構成する国家は最早、追従する小国を除けば大日本帝国ただ1国のみ。それも、長く続いた消耗戦で風前のともしびと言う状況である。

 

 だが、それは同時に戦争の醜い側面をさらけ出そうとしていた。

 

 降伏したドイツは、特に悲惨だった。

 

 首都ベルリンは戦闘によって徹底的に破壊された上、いち早く市街地突入を果たしたソ連軍兵士によって略奪の嵐が吹き荒れた。

 

 兵士達は、まるでそれが自分達の特権であるかのようにベルリンの街を荒しまわり、目に付いた金品を手当たり次第に強奪。更に女性と見れば寄ってたかって暴行に及んだ。

 

 それに対して、ドイツ暫定政府は抗議の声を上げるも、完全に黙殺された。

 

 これが「戦争に負ける」と言う事である。

 

 勝者は如何なる暴虐も許容され、敗者は全てを奪われ、声を上げる事も許されない。

 

 全ての道徳も、倫理も飲み込んだ「答」が、そこにはあった。

 

 そんな中、前線では奇妙な事が起こっていた。

 

 ソ連軍の一部の部隊が、姿を消し始めたのだ。

 

 初めは噂程度の話であったが、実際に消えてしまった部隊が次々と出始めた事で、噂は真実となって波及していった。

 

 中には、昨日までは確かにいた連中が、翌朝には忽然と姿を消していた、などと言う事例まであるくらいである。

 

 彼等はなぜ、姿を消したのか?

 

 そしていったい、どこへ行ったのか?

 

 ある種の不気味さを伴って、兵士達の戦慄は広がって行くのだった。

 

 

 

 

 

 黒鳥から手渡された書類に目を通し、富士宮は唸り声を上げた。

 

 そこに羅列されている名前は全て、富士宮派閥のメンバーの中で、未だに海軍組織内に留まっている者達である。

 

 永野の失脚に伴い、主要メンバーの大半は閑職に追いやられたものの、未だに潜在的メンバーが多く残っており、立ち上がる時を待っている。

 

「危なかった。これが我々に反発する者達の手に渡れば、決行に際して大きな障害となる所であった」

 

 書類から目を放した富士宮は、目の前で低頭している海軍士官に鷹揚な頷きを見せる。

 

「良くやったぞ、黒鳥」

「ハッ 恐悦です殿下」

 

 答える黒鳥に目を向けつつ、富士宮は傍らの永野に書類を手渡す。

 

 その書類を一読し、永野は渋面を作った。

 

「まったく・・・・・・我らの崇高な大義を理解せず、悪戯にこのような反逆を行うとは、奴等はいったい、どこまで度し難いのか・・・・・・」

 

 やれやれとばかりに首を振る永野。愚か者の考える事は自分達には理解できない。そんな思考がにじみ出ているようだった。

 

 永野は書類から目を放し、富士宮に向き直る。

 

「殿下、大ドイツが降伏した今、もはや一刻の猶予もありませぬぞ。弱腰な海軍の現上層部は、自分達の使命を忘れ、敵国に屈服しようとしておりまする。このままでは我が国の未来も、散って行った英霊たちの誇りも、全てが踏み躙られる事でしょう」

「永野閣下のおっしゃる通りです。この国を救い、真の王道に立ち返らせる事ができるのは、もはや殿下を置いて他にはありません」

 

 永野の言葉に、追従する黒鳥。

 

 彼等の目に共通してある物。

 

 それは自分達の理想こそが唯一にして絶対の物であると信じ切っている、歪んだ輝きだった。

 

 他の思想は決して認めず、ただ自分達に対する「YES」のみを求め続ける狂信者の如き様相が、彼等の中には存在していた。

 

「よかろう」

 

 そんな2人に対して、富士宮は重々しく頷いて見せる。

 

「我々はこれより、『我々の戦争』を始める。全ては帝国に勝利をもたらし、真の理想郷を、このアジアに築く為、聖戦を持って、この帝国を導く」

「「ハハァッ」」

 

 富士宮の言葉に、首を垂れる永野と黒鳥。

 

 今ここに、帝国にとっての激動が幕を上げた。

 

 

 

 

 

第101話「暗闘」      終わり

 

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