1
巨大な翼が、雲間を縫うようにして飛行している。
バナナボードと言う洋菓子が水平の翼を持ち、樽のようなエンジンを4つ取り付けたような機体のイメージは、一言で言えば「重厚」であり、見る者に威容を感じさせる物があった。
川西飛行機が開発した帝国海軍所属の大型飛行艇、「二式大艇」である。
全長28・13メートル、全幅38メートル。最大2トンまで爆弾を搭載可能であり、航続力はB29をも上回る7153キロに及ぶ。
世界最大の飛行艇と言うタイトルを持つ、帝国海軍自慢の機体である。
その2式大艇が今、マリアナを目指して飛翔していた。
目的は当然、同地に展開する合衆国軍の偵察である。
水面下で停戦交渉が進められているとは言え、完全に停戦合意がなされるまで油断が許される状況ではない。
万が一、合衆国軍が新たな攻勢を掛ける兆候が見付けた場合、停戦の話そのものがご破算になりかねない。
そう感じた彰人は、帝都を占拠したクーデター派への対処を行う一方、マリアナの偵察を徹底するように命じたのだ。
2式大艇数機を小笠原諸島に配置すると同時に、後方支援艦隊から水上機母艦「秋津洲」などから成る部隊を派遣。長距離偵察部隊を編成して任務に当たらせたのだ。
もし合衆国軍に新たな攻勢の動きがあったなら、帝国海軍もそれに対抗するべく動かなくてはならない。
現状は、間違いなく帝国軍が不利である。もし合衆国軍が新たな大規模攻勢を仕掛けて来たなら今度こそ、全滅覚悟で当たっても勝つ見込みは無いだろう。
だからこそ、事前に徹底した情報収集は不可欠となる。いざと言う時に情報不足では、動きようが無かった。
やがて2式大艇はサイパン島の海岸線に差し掛かる。今回の、重点偵察目標である。
波の打つ海岸線。
やがて、
眼下に、巨大な躯が横たわっているのが見えた。
「大和」である。
第3次マリアナ沖海戦勝利の立役者。その命を賭して帝国を守る礎と化した巨大戦艦は今や、彼女が最も愛した提督と共に、このマリアナの地で静かな眠りについていた。
既に艦体は、合衆国軍による徹底的な爆撃によって、殆ど原型を留めていない。
艦上構造物は度重なる爆撃によって破壊し尽くされ、中央の巨大な煙突は崩壊、後部艦橋は根元からもぎ取られている。特徴的な前部艦橋も、半ばから吹き飛ばされて完全に喪失していた。
舷側の対空砲は軒並み全滅。モンタナ級戦艦の46センチ砲をまともに浴びた第3砲塔は叩き潰されている。本来なら重量1・5トンの砲弾すら受け止める事が可能なはずの甲板装甲にも、無数の穴が穿たれているのが見える。特に長大な艦首などは、クレーターさながらに、多数の破孔が開いている女歌だった。
第1、第2砲塔だけは比較的原形をとどめているように見えるが、砲身の数は明らかに足りていなかった。
「大和」の上空を通過する際、2式大艇のパイロットと搭乗員たちは、尊敬すべき戦艦に対し敬礼を施すと、そのまま真っ直ぐ飛行を続ける。
目的地は、この先に存在していた。
更に飛行を続ける2式大艇。
その視界の中で、目的地が徐々に姿を現そうとしていた。
しかし、
「馬鹿な・・・・・・・・・・・・」
その姿を見た瞬間、パイロットの顔は驚愕に染まった。
眼下には、信じられない物が映り込んでいたのである。
「すぐに写真を撮影しろ。しっかりと記録するんだ!!」
「りょ、了解!!」
機長の指示を受け、カメラを構える搭乗員。
緩やかに旋回する2式大艇の窓から、構えられたレンズが目標を捉える。
夢中になってシャッターが切られる中、機長は容易ならざる事態が起きようとしている事を、感じずにはいられなかった。
2
帝国全土を震撼させた「六・一六事件」が本当の意味で終結を見たのは、鎮圧から1カ月以上過ぎた後の話だった。
その間、正規軍は事後処理に奔走していたのである。
クーデター派の核である愛国臨時政府は崩壊。その主要メンバーである富士宮康弘、永野修、杉本元次、黒鳥陽介等は全員、正規軍に確保される運びとなった。
対照的に、離間工作が功を奏し、兵達の大半は正規軍に投降し、原隊復帰を果たしている。
彼等については実際のところ、上官の命令に従っていただけである為、罪に問う必要性は誰も感じなかったのだ。
また、4隻の駆逐艦の艦長と幹部、及び艦娘は全員、連合艦隊に投降し拘束されている。
クーデター派に属していた艦長、及び艦の幹部たちは全員、この後で開かれる軍事裁判で問責され、刑が執行される事になる。
艦娘達については、恐らく艦体を解体されたうえ、艦娘本人は専用刑務所に収監される運びとなるであろう。
艦体を失った艦娘は、ただの一般人に過ぎない。これはある意味、自沈処分(事実上の極刑)に次いで重い刑罰となる。
こうして、クーデター派の解体、及び処分が勧められていく中、
ただ一点、関係者たちの納得がいかない部分が存在した。
誰あろう、富士宮康弘の処遇についてである。
まことに持って業腹な事に、愛国臨時政府幹部の中で実質的な黒幕と目される富士宮だけは、皇族であると言う理由で処罰の対象外となった。
帝国憲法に定められた条項では、皇族を罰する事はできない決まりとなっている。
その為、富士宮の成した事がいかに罪深い事であろうとも、現行法で彼を裁く事はできないのだ。
勿論、拘束後は厳重な監視下に置かれている。
富士宮は確保された横須賀から東京の自宅へと移送され、屋敷は近衛師団の兵士達によって監視されている。事実上の監禁に等しい扱いだった。
それでも、富士宮が帝国の法律によって保護され、何人たりとも手出しできる状態でないのは間違いない。
聊か以上に納得がいかない流れではあるが、これにて「六・一六事件」の幕引きとなったのであった。
帝国が受けた傷は計り知れない。
特に、最強戦艦である「信濃」が無為に失われた事は大きい。
その巨大すぎる存在を失った事で、今後の帝国の運命に暗澹たる物を抱かずにいれた者は、ごく僅かな楽天者に限られていた。
そして、
まことに頭の痛い事に、
戦争はまだ、終わってはいないのだった。
2
クーデター鎮圧後、連合艦隊は解放された横須賀軍港へと投錨。予想外の作戦行動による疲れを癒していた。
とは言え、今回は明確な戦闘行為があった訳ではない。
名目上「東京湾海戦」と言う名称が付けられてはいる、戦艦「信濃」以下、帝都警備海上部隊との戦闘だったが、戦闘自体は
せいぜい、第2艦隊の戦艦群が「信濃」と東京市街地に対する演習さながらの空砲撃を行い、第3艦隊の航空部隊がビラ配りに精を出した程度である。
これで「戦闘」などと言うには、おこがましいにも程があった。
「とは言え皆、良くやってくれた」
再び小沢が座乗し、連合艦隊旗艦に復帰した「瑞鶴」の会議室において、小沢治俊連合艦隊司令長官は口を開いた。
会議の席には旗艦艦娘である瑞鶴や、第2艦隊司令官である水上彰人、2艦隊旗艦の姫神を始め、連合艦隊に所属する者達が集まっていた。
「皆の活躍もあり反乱軍は解体。クーデター派幹部全員の捕縛にも成功した」
実際、今回の戦いで連合艦隊が示した活躍は大きい。
第2艦隊の戦艦群が東京湾に入り、その巨砲を持ってクーデター派を威嚇したからこそ、クーデター派の士気は一気に瓦解し、それが崩壊へと繋がったのだ。
本来なら、喜ぶべき事態である事は間違いない。
しかし、
「戦勝気分を味わいたいところを申し訳ないが、事態は聊か、雲行きが怪しくなってきている」
小沢は険しい表情で、彰人の方へと視線を向ける。
それを受けて、今度は彰人が口を開いた。
「会議前に配布された資料を見てください。それは先日、マリアナを偵察した2式大艇が齎した物です」
資料には写真が添付されており、そこには1本の長い線が引かれ、それに取りつくように土木機械が点在しているのが判る。
殆どが瓦礫と土砂に覆われ、殆ど原型をとどめていないのが判る。
上空からでも、「大和」以下の砲撃がいかに凄まじかったかを物語る光景だ。
しかし、
「・・・・・・・・・・・・修理しようとしているわね。まだそれ程でもないって感じだけど」
険しい顔で瑞鶴が呟く。
彼女の言う通り、写真の飛行場はサイパンにある飛行場は、殆ど修復の手が付けられていないのが判る。
しかし、一部の修復部隊が稼働してるのは事実である。
第3次マリアナ沖海戦の後、そのまま放置されていたサイパンの飛行場が修復されている。
つまり、合衆国軍には何らかの理由で、この飛行場を使う予定があると言う事だ。
「しかし・・・・・・・・・・・・」
幕僚の1人が首をかしげながら発言した。
「いったい、どうする心算でしょう? いかに合衆国軍でも、以前と同規模の部隊を再びマリアナに展開するには、相応の時間と手間がかかる筈です」
確かに。
マリアナは合衆国から遠すぎて、今まで修復もほとんど進んでいなかった場所である。現に、以前行った偵察では、修復作業は始められる気配すら感じられなかった。
半ば放置に近い扱いを受けていたマリアナが、ここにきて修復されていると言う事実に、誰もが困惑を隠せない様子である。
「実際は使う気はないのでは? ただ、用心の為に修復をしている、と言う事は考えられませんか?」
幕僚の発言に、幾人かが頷くのが見えた。
修復されている事自体に意味は無く、ただ単に帝国軍が再攻勢を掛けてくる可能性への備えとして、最低限の機能だけは取り戻しておこうと考えているのかもしれない。
いざと言う時の為に備えておく。と言うのは、確かに軍として必要な措置である事は間違いないのだが。
「いずれにしても、以前と同規模の部隊を展開するには、相応の時間がかかる筈。その間に、こちらの防空システムを再構築すれば、敵の攻勢を防ぐ事は充分可能でしょう」
「そうだ。それに、もうすぐ戦争は終わるかもしれん。そうなれば、敵に対する備えその物が必要無くなるわけだ」
会議の場には、楽観的な空気が流れ始めようとしていた。
現在、帝国と合衆国との間で停戦交渉が進められている事は、この場にいる全員が知っている事である。
戦争が終わるなら、そもそも敵の来襲を心配する事も無くなる。となれば、自分達が心配する事自体、ただの杞憂でしかなくなる。
その心理は間違ってはいないのだが。
「・・・・・・・・・・・・」
彰人は談笑する参謀たちの様子を眺めながら、1人沈黙を保っていた。
確かに、仮にマリアナ基地を再建して使用するにしても、その前に停戦合意がなされる可能性の方が高いだろう。
先のクーデター未遂によって継戦派は、今度こそ本当に政府と軍の中枢から追放され、今の帝国上層部はほぼ講和推進派によって締められている。今更、こちらから停戦破りをする可能性は低いと言える。
合衆国軍が攻めて来る事はできず、帝国軍から仕掛ける気は無い。
一種の「千日手」に近い状況だが、危ういバランスながら両軍が拮抗していると言えなくもない。
このまま行けば、戦争は終わる。
誰もがそう思っても不思議ではないし、彰人自身、そう願っている。
だが、
彰人は脳裏の片隅で、何かが警報を発しているのを見過ごす事ができなかった。
成程。確かに、事態は良い方向に進んでいる。
だが、本当にこのまま、全てが終わるのかと尋ねられると、
彰人はどうしても、肯定する事が出来ないのだった。
自分達は、何か重大な物を見落としているのではないか。
そう思えてならなかった。
会議が終了したその日の夜。
彰人は必要な書類の決裁を終えた後、ふと気分転換の為に甲板へと出てみた。
時折すれ違った当直兵の敬礼に答えながら、「姫神」の甲板を歩く。
艦内各所を見て歩きながら、彰人は感慨深いものを感じずにはいられなかった。
この艦も、竣工時に比べればだいぶ様変わりした物である。
当初は通商破壊用の巡洋戦艦として建造されたが、相次ぐ戦況の悪化により大改装が施され、今や本格的な戦艦ともまともな撃ち合いが可能なほどに強化されている。
甲板上には所狭しと対空砲が設置され、更にはそれらを管制する装置も、一部は電探連動式になっている。
正に次世代の先取りをしたような威容を誇っている「姫神」。
だが、
艦がどんなに変わろうとも、変わらない物がたった一つある。
「姫神」
彰人は闇の中で、暗い海面を見て佇む少女に声を掛ける。
振り返る巡戦少女。
その可憐な容姿だけは、決して変わる事は無かった。
吹いて来る海風が少女の髪とスカートを揺らす中、姫神は茫洋とした瞳で彰人を見詰めてくる。
「何をしていたの?」
少女の傍らに立って、尋ねる彰人。
対して、少女は視線を再び、暗い海面に向けながら言った。
「信濃の事を、考えていました」
少女のその言葉に、彰人は納得したように頷く。
姫神にとって、掛け替えのない親友であった少女。
そして、先のクーデターで彰人や姫神を庇い、尊い命を散らした少女。
いったい、いつの頃から、彼女と自分達との行くべき道は、決定的に違えてしまったのだろうか?
そう思わずにはいられない。
「きっと・・・・・・未来の人達は、あの娘の事を悪く言うんでしょうね。『反乱軍に与した馬鹿な戦艦』として・・・・・・本当の彼女がどんなだったか、知りもせず」
本当の信濃は姉想いで、友達想いで、誰よりも純粋で、そして強かった。
だからこそ、だろう。そんな純粋な想いをクーデター派に取り込まれ、不名誉な戦いで命を散らしてしまったのだ。
姫神にはその事が、哀しくて、そして悔しいのだ。
そんな姫神に対して、
彰人は優しく頭を撫でてやる。
「後世の人間がどう言うか、なんて僕達には関係無い事だよ」
「え?」
驚いたように顔を上げる姫神に、彰人は笑い掛ける。
「会った事も無い後世の人間が何を考え、どう言おうが、それは僕達の耳には届かない訳だし。そんな事より重要なのは、今を生きる僕達が、『本当の信濃』がどんなだったか、覚えていてあげる事だよ」
信濃がどんな艦娘だったか、仲間達の為にどれだけ勇敢に戦ったか。
それを知っているのは、今を生きる自分達だけである。
本当の信濃を、
少女の本当の姿を、
覚え、伝えて行く事ができるのは自分達だけなのだから。
「・・・・・・・・・・・・ありがとうございます、彰人」
そう言うと、少女は自身の恋人にそっと身を寄せる。
自分の恋人が、落ち込んでいる自分を励ましてくれているの感じ、姫神は温かい気分に包まれていた。
互いの温もりが、夜風で冷えた体を温めていくのが判る。
「さあ、中に入ろう。ここは寒いからね。また紅茶を淹れてあげるよ」
「はい」
コクンと頷き、彰人に肩を抱かれて歩き出す姫神。
その時だった。
「司令官ッ 姫神も、こちらにいらしたんですかッ」
参謀の1人が、息を切って走ってくるのが見えた。
どうやら部屋の中に彰人の姿が見えなかった為、艦内中を走り回ったのだろう。汗だくになっている。
「どうかしたの?」
不思議そうに尋ねる彰人。
見れば、傍らの姫神も、何事か判らないと言った感じに首をかしげている。
「ただ今、GF旗艦『瑞鶴』から緊急信がありまして、ただちに司令官にお越しいただきたいとの事でした」
「旗艦から、呼び出し、ですか・・・・・・」
反芻するように呟く姫神。
それと同時に、彰人の脳裏にも嫌な予感が浮かぶ。
会議の後。しかも夜半になってからの呼び出しとは、ただ事ではない。
何か、良く無い事が起ころうとしている。
そう思わずにはいられなかった。
3
彰人が身なりを整え、姫神を伴って「瑞鶴」を訪れたのは、それから1時間ほどしてからの事だった。
会議室に入ると、既に連合艦隊司令長官である小沢の他、主だった参謀、艦娘が顔を揃えており、彰人の到着を待っている状態だった。
「来たか。座ってくれ」
小沢に促されるまま、着席する彰人と姫神。
それを待っていたかのように、小沢は口を開いた。
「まずは、夜中にも関わらず、皆、よく集まってくれた。皆にわざわざ来てもらったのは他でもない。現在、重大な事態が起ころうとしている」
その口調に、誰かが息を飲み込む音が聞こえた気がした。
一同の視線が集まる中、
小沢は重々しく言い放った。
「ソ連軍が、満州との国境に集結しつつある、と言う情報を掴んだ。既にかなりの数の部隊が展開を終えているとの事だ」
その言葉に、一同は衝撃を感じずにはいられなかった。
満州との国境に部隊を配置するち理由は、一つしか考えられない。
即ち、帝国領への直接侵攻である。
「し、しかし我が国とソ連との間には不可侵条約が存在しています。それなのに・・・・・・」
「理由は、いくらでもでっち上げれる」
言い募る幕僚の言葉を斬り捨てるように、小沢は言った。
「『向こうから先に手を出した』『連合国からの要請により』『世界平和の為』。その手の理由を考えさせたら、いくらでも湧いて来るだろうさ」
日ソ不可侵条約の有効期限は1946年。つまり、来年までとなっている。
しかしそもそも条約締結の理由は、帝国からすれば「合衆国との戦争をしている間に背後を突かれない為」であり、ソ連側からすれば「ドイツと戦っている間に背後を突かれない為」である。
つまり帝国はともかく、ソ連にとってはドイツが倒れた今、条約を継続する理由は無いのである。
彰人は更に、もう一つの可能性を脳裡に浮かべる。
今や帝国も敗亡寸前まで追い込まれている。その状況を見たソ連が、極東における権益を獲得する為、対日宣戦布告を急いでいる可能性は大いにあった。
グズグズしていたらバスに乗り遅れる。
ならば乗り遅れる前に飛び乗って、残り物を喰らい尽くしてしまおう。骨までしゃぶるくらいに。
ソ連側が、そのように考えたとしてもおかしくは無かった。
「し、しかしですな・・・・・・・・・・・・」
別の幕僚が、難色を示すような口調で口を開いた。
「ついこの間まで、ソ連軍の主力部隊は全て、ヨーロッパにいた筈です。それが、わずか数か月で、満州の国境に大部隊を展開できるでしょうか?」
その幕僚の言う事も一理ある。
ソ連軍主力が対独戦の為、ほぼ全軍を欧州戦線に向けていた事は確認が取れている。
広大なユーラシア大陸の西の果てから東の果てである。しかも大半が道なき道である事を考えれば、大軍をそう簡単に移動させる事は不可能なはずである。
仮にソ連軍が攻めて来るにしても、時期はもっと後にずれる筈なのだが。
「たぶん、シベリア鉄道です」
彰人が口を開いた。
「あれを使って、部隊を一気に極東に送り込んだんです」
その言葉に、誰もが思い立ったように声を上げた。
シベリア鉄道は超大型の貨物列車も運用可能であり、兵士や物資のみならず、戦車のような大型車両の輸送をも可能にしている。更にヨーロッパとアジアを直通で結んでいる。確かに、あれを使えば大部隊でも短時間の内に移動できる。
欧州にいた主力部隊を、短期間の内に極東に再展開する事は充分に可能なはずだった。
「由々しき事態だ、諸君」
小沢は固い口調で言った。
「陸軍の主力は大半が南方に移動しており、満州は手薄になっている。本土の部隊も、先のクーデターの混乱が収まっておらず、すぐに動ける状態ではない」
誰もが思う。
もし今、ソ連軍に攻め込まれたら、防ぐ事はできない。最悪、本土にまで攻め込まれる可能性すらあった。
「とにかく皆、いつでも動けるように準備を進めておいてくれ。いざとなったら、我が連合艦隊が敵を食い止める最後の切り札となるかもしれんからな」
小沢の言葉に、一同は一斉に頭を下げた。
第106話「オワリノハジマリ」
だが、その数日後、
彰人達の心配は杞憂ではなかった。
突如、ソ満国境に無数の閃光が迸り、それと同時に大地を抉るような衝撃が襲ってくる。
轟音と共に戦車が進撃を開始し、それらの支援を受けた兵士達が一斉に蹂躙を開始する。
それに対し、南方に主力の大半を引き抜かれた帝国陸軍はあまりにも無力だった。
彼等は襲い来る敵軍に対し、ささやかな抵抗を示したのちに全滅。残った部隊はゲリラ戦に掛け、満州に潜伏する以外に道は無かった。
こうして、瞬く間に満州の地を席巻した部隊は、やがて帝国が支配する樺太や千島列島へと、侵攻の矛先を向けようとしていた。
1945年7月26日 午前零時
ソビエト連邦は突如、帝国との間に締結した日ソ不可侵条約を破棄。大軍を持って侵攻を開始した。
今、正に、
帝国のにとっての「終わり」が、旦夕に迫ろうとしているのだった。