蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第110話「ただ、己であり続ける為に」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後世、アメリカ合衆国が広島原爆投下に踏み切った理由については、様々な憶測が飛び交う事になる。

 

 と言うのも、この辺の事情について、当の合衆国政府は沈黙を守り続けており、「200年後の2145年に情報開示を行う」と発表したきり、その後は一切の開示要求に応じていないからだ。

 

 更に、実際に原爆投下を支持したとされるトルーマン政権も、この僅か1年後に弾劾を受けて崩壊。トルーマン自身も大統領解任に追い込まれる事態となった為、真実は一層、闇の中だった。

 

 しかし、隠そうとすれば探りたくなるのが、人間としての性と言えよう。

 

 憶測は、それこそ五月雨のように飛び交った。

 

「軍部の暴走」

「原爆の威力実験」

「合衆国が勝ちを急いだ」

「そもそも大統領が、日本嫌いだった」

 

 などなど。真実味のある物からうさん臭い物までピンキリである。

 

 そんな中で、特に有力視されているものの一つが「ソ連への牽制」であった。

 

 当時、ソ連が日ソ不可侵条約を破棄して対日宣戦布告したばかりであり、更に満州を制圧、北海道にも矛先を向けようとしていた。

 

 幸いにして帝国海軍の奮戦によって北海道は守られたものの、ソ連がいつまた、再侵攻を開始するか判らない。

 

 それでなくてもナチス・ドイツが倒れ、イタリアは降伏、日本も昔日の力を失った今、合衆国軍にとって次の敵は、共産主義の首魁たるソ連となるであろう事は明白である。

 

 合衆国は戦後世界のパワーバランスを見据え、ソ連に原爆の威力を敢えて見せ付けて牽制する狙いがあったのではないか、と言う説は根強く囁かれている。

 

 しかし、そのどれもが、合衆国が沈黙を保持している以上、憶測の域を出ない物ばかりだった。

 

 原爆投下に関する研究は様々な分野で行われる一方、メディアはこぞって、灯火の正当性有無を含めた特集を組み、ドキュメンタリー番組が星の数ほど作られて行く事になる。

 

 しかし、それらは全て先の話である。

 

 今、正に現在、世界初にして唯一の被爆国となった帝国にとって、今後の対応だけでも末期的な気分に浸るのは充分すぎる物だった。

 

 推定被害は算出不能。

 

 投下後4カ月経った死傷者数も、9万~16万とふり幅が大きすぎて特定できない程である。

 

 被害総額がいくらになるかは、考えるのも嫌になるくらいである。

 

 街は瓦礫の山と化し、ありとあらゆる物が吹き飛ばされた。

 

 しかも、被害は爆風による一時被害のみに留まらない。

 

 原子爆弾が投下された広島市を中心にした地域一帯には、人体に有害な放射線が大量にばら撒かれ、それが次々と、生き残った人々の命を奪って行ったのだ。

 

 比喩でも何でもない。

 

 広島と言う街は文字通り、地図の上から「消滅」したのだ。

 

 しかも恐ろしい事は、これ程の被害が、たった1発の爆弾によってもたらされた事である。

 

 正に、これまでの「兵器」と言う概念を一変させる、恐るべき存在だった。

 

 戦争は終わる。

 

 平和な時代が来る。

 

 そう信じていた人々にとっては正に、地獄の底に突き落とされたかのような想いを味あわされていたのだった

 

 

 

 

 

 広島原爆投下の報を受け、海軍でも緊急の会議が海軍省の一室において催される運びとなった。

 

 海軍としても、今回の事態は完全に寝耳に水の事であり、誰もが信じられない面持ちで会議に臨んでいた。

 

 とは言え、あまりと言えばあまりの事態に、会議の発起人たる海軍大臣 井上成重はじめ、出席者の全員が戸惑いを隠せずにいるのだった。

 

「卑怯にも程がある!!」

 

 会議に参加した幕僚の1人が叫ぶように言い放った。

 

「停戦交渉の最中に、このような暴挙に出るなど!! 合衆国はいったい何を考えているのかッ」

「然りッ かの国はもはや信用できませんッ」

 

 誰もが、突然の原爆投下に憤りを隠せない様子だ。

 

 無理も無い。

 

 マリアナで合衆国軍の侵攻意図を挫き、北海道を占拠しようと目論んだソ連軍を粉砕し、これでようやく戦争が終わると思っていた矢先の出来事である。

 

 帝国側の怒りは、冗談抜きにして頂点に達していた。

 

「理由はこの際どうでも良い。問題は、今後の対応だ」

 

 疲れ切った声で発言したのは井上である。

 

 彼もここ数日、広島への対応に追われ、心身共に疲労困憊している状態だった。

 

 しかしそれでも、対策の為に動かなくてはならないのが大臣として苦しい所である。

 

「今回の件に関しては、陛下も心を痛めておいでだ。どうか皆も、その事を念頭に入れて話し合ってほしい」

 

 井上の言葉に、誰もが居住まいを正さずにいられなかった。

 

 自分達にとって至高の存在である天皇陛下も、今回の事をひどく気に掛けていると言う事に、誰もが緊張を隠せずにいるのだった。

 

 彰人も、この会議に第2艦隊司令官として出席していた。

 

 彰人自身、臍を噛みたくなる想いが胸の内にある。

 

 亡き親友、中西寅彦に警告されて以来、彰人もまた原子爆弾については情報収集を行ってきた。

 

 一応、完成させたところまでは彰人も察知していたが、投下作戦が実行されるのは完全に想定外だった。

 

 恐らく合衆国軍は、今回の作戦を秘匿に秘匿を重ねた上で実行したのだろう。

 

 彰人自身、独自の情報網を駆使して情報を収集・解析し、様々な作戦に役立ててきた実績があるが、それらは所詮は個人レベルの話でしかない。国家が全力を挙げて情報統制をしてきたら、太刀うちは不可能だった。

 

 原爆投下は、完全に彰人の手の届かない所で極秘に進められ、そして実行されたのだった。

 

「まず、広島を攻撃した敵がどこから来たかですが、これについてはマリアナである事が確定しています。当日、宿毛基地の電探が、高高度から侵入してくる少数の機影を捉えていた、と報告を上げて来ています」

「ちょっと待て」

 

 報告に対し、別の幕僚が非難するように声を上げた。

 

「電探で捉えていたなら、なぜ迎撃命令が出なかったのかッ!? もしその時点で報告して迎撃態勢を整えていたなら、広島があのような事にはならなかったはず」

 

 幕僚の物言いは、非難であると同時に悲哀をも含んでいるのが判る。

 

 実際に敵を捕捉していた以上、きちんと対処していたら、今回の悲劇は防げたかもしれない。

 

 そう思えば、当事者を非難したくもなるだろう。

 

「宿毛基地では、偵察か何かだろうと判断したそうです。それに、あの基地の主力機は水上機です。とてもではありませんが、B29を捕捉する事は難しかったと言わざるをえません」

「それでも、こちらに通報して迎撃するなりなんなり、やりようは・・・・・・・・・・・・」

「そこまでだ」

 

 熱くなり始めた議論を、小沢治俊連合艦隊司令長官が制した。

 

「今は責任の所在を追及する時ではない。議論を建設的な方向に向け給え」

 

 小沢の鶴の一声で、言い争っていた幕僚達は互いに引き下がる。

 

 確かに、今ここで誰が悪い、或いはどうすれば良かった、などといったところで話は始まらない。

 

 それよりも、今後どうするかが重要だった。

 

 その言葉を受け、情報参謀が立ち上がって発言した。

 

「広島投下後、我が海軍は数度にわたってマリアナ諸島への偵察を行いました」

 

 言いながら情報参謀は、彰人の方にチラッと視線を向けてくる。

 

 連合艦隊が行った偵察作戦には、彰人が小笠原諸島に配置した長距離偵察部隊も活躍したからだ。

 

 しかし、

 

「残念ながら、原爆投下と前後して、敵はマリアナ諸島の防空体制を強化しており、その大半が未帰還となっております。しかし、その中の1機が写真を持ちかえりました」

 

 そう言って配られた写真には、マリアナ諸島の現在の様子が映し出されていた。

 

 その写真を見て、一同は戦慄する。

 

「滑走路が、直っている・・・・・・・・・・・・」

 

 「大和」の主砲で粉砕された筈の滑走路が、ほぼ完ぺきに近い形で修復されているのだ。

 

 僅かだが付帯施設も存在している。

 

 以前のような大規模部隊の運用は無理でも、少数のB29程度なら配備しても問題無い程である。

 

「写真はサイパン島航空基地の今の様子です」

 

 情報参謀が、更に説明を続ける。

 

「ご覧の通り、既に滑走路と施設の一部が復旧し、稼働を始めている様子です。因みに、残りの2島、グァムとテニアンについては、未だに修復を終えている様子はありません」

 

 恐らく、合衆国軍の設営能力を持ってしても、マリアナにある全ての基地を修復する事は難しかったのだろう。だからこそ、どこか一つに集中して修復したと思われる。

 

「甘く見ていたな」

 

 発言したのは豊田玄武軍令部総長である。

 

「合衆国軍の設営能力が尋常ではない事は前から知っていたが、ここまでとはな・・・・・・・・・・・・」

 

 先の第3次マリアナ沖海戦で、帝国海軍はマリアナ3島の帝拠点を、「修復不可能」と判断されるまでに徹底的に破壊し尽くした。

 

 事実、ソ連軍の侵攻が始まる前までは、多少の修繕はされていたが、とても「捗っている」とは言い難い状況だった。

 

 誰もが、この敵の行動を「帝国軍の攻撃に備え、念のため修復を行っている」程度にしか考えていなかったのだ。

 

 何しろ、マリアナは合衆国本土から遥かに離れており、必要な資材や機器を簡単には輸送できない。

 

 仮に輸送できたとしても、かつての規模の爆撃機部隊を展開するのは容易な話ではない。

 

 よって、マリアナに敵の爆撃機が再進出する可能性は極めて低い。

 

 それが、帝国海軍の結論だった。

 

 しかし、

 

「要するに、これが敵の狙いだった訳ですね」

 

 彰人が発言した。

 

「大規模な部隊は無理でも、少数の機体を運用するくらいの整備なら簡単にできる。そして『少数の部隊』でも、こちらに大打撃を与えるだけの戦力を用意できる目途も立っていた」

 

 つまり、それが原子爆弾だった、と言う事である。

 

 こうなっては、ソ連軍の侵攻も、停戦交渉も、全て合衆国軍の時間稼ぎに付き合ったに等しい事だった。

 

 更に、

 

 原爆投下後、連合国は米・英・仏・蘭、ソの4か国連盟による無条件降伏案を、帝国に突き付けて来ていた。

 

 その条件の中には「陸海軍の解体」「占領地からの撤退」「戦前の外部領土の全返還」「全海軍艦艇の引き渡し、乃至解体処分」「賠償金の支払い」「連合軍による、帝国全土の保証占領」「天皇制度の廃止」など、厳しい用件の物ばかりである。

 

 帝国としては、とても受け入れがたい者がある。

 

 しかし、これを受け入れない場合、原爆による再度の攻撃があるのは明白だった。

 

「盗人猛々しいとはこの事だな」

 

 憤懣やるかたない、と言った感じにいて豊田は腕組みをする。

 

 合衆国のやりようは卑怯なばかりでは無く、彼等が盛んに標榜する「正義」とやらにも反する行為である事は明白である。

 

 もっとも、彼等にとってはそんな物は関係無いのかもしれない。

 

 合衆国が求めるのは「正義」では無く「合衆国に都合のいい正義」なのだろうから。

 

 今回の事は、その事を明確に表していた。

 

「その後の追加情報ですが、敵は既に1~2発分に相当する原爆の材料を、サイパンに運び込んでいると言う情報が入ってきています。更に、向こう1カ月以内には、追加で輸送できる体制も整えていると言います」

 

 こと情報戦に関する限り、帝国軍は完全に合衆国軍の後塵に配していた。誰もが、広島に原爆が落とされるまで、その存在を察知する事ができなかったばかりでなく、その輸送タイミングについても掴む事ができなかったのだから。

 

 全てが、遅きに失したと言える。

 

 しかし、

 

「これ以上の原爆投下は、何としても防がねばならん」

 

 小沢の言葉に、誰もが頷きを返す。

 

 皆の瞳に宿る輝きには、今だ力を失っていない。

 

 自分達はまだ戦える。

 

 諦めるのは早すぎる。

 

 誰もが、そう思っているのだ。

 

「問題は、如何にして、2回目以降の原爆投下を防ぐか、だな」

 

 既にマリアナ近海には、合衆国艦隊が展開して守りを固めていると言う。

 

 マリアナの港湾施設はたかが知れている為、常時大艦隊を張り付けておけるわけでは無いようだが、それでも空母数隻を含む「1個任務部隊」程度は常駐している様子である。

 

 しかしいかに1個任務部隊とは言え侮る事はできない。今の連合艦隊を相手取るには、それだけでも充分すぎる程である。

 

「是非もありません」

 

 静かに、彰人が発言する。

 

「僕達にできる事はもう、それほど多くないんですから」

 

 彰人の言葉に、誰もが渋い顔をしながら聞き入る。

 

 そう、消耗し尽くした帝国海軍に取れる手段は、もはや限られている。

 

「全艦隊、及び航空隊でもって、再度の原爆投下を阻止すると同時に、これ以上、敵が原爆をマリアナに運び込むのを防ぎます」

 

 彰人の言葉は、皆の胸に重く響き渡る。

 

 もはや正否を問う時間は過ぎた。

 

 帝国滅亡のタイムリミットが迫る中、帝国海軍はあらゆる未練も、不安も断ち切り、前に進まなくてはならない状況に追い込まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数日は、瞬く間に過ぎ去って行った。

 

 ともかく、今の帝国海軍は何もかもが足りない状況である。

 

 艦艇、人員、時間、

 

 そして、燃料。

 

 北海道を巡る一連の戦闘において、連合艦隊はなけなしの燃料の大半を使い果たしてしまったのだ。

 

 現在でも敵潜水艦が跳梁する中、南方航路は辛うじて維持されている。

 

 その為、どうにか作戦行動に必要な分の燃料を確保できる目途は立ったのだが、しかし、全ての艦艇に燃料を行き渡らせるには、到底足りないのが現状だった。

 

 あと1か月。

 

 それだけ待てば、全艦に行き渡るだけの燃料は確保できると見通しができている。

 

 しかし、それでは間に合わないであろう事は確実だった。

 

 敵はあと数日の内に、二の矢を放ってくる可能性すらある。

 

 時間は、あまりにも無さすぎた。

 

 彰人はこの数日の内に、できるだけの手を打った。

 

 艦隊出撃に必要な燃料の確保。消費した弾薬の積み込み、損傷個所の修理と、大わらわであった。

 

 正直、北から戻って来たばかりの状況での出撃には不安を覚える。

 

 一応、大湊にいた頃に「明石」以下の工作艦部隊や、工廠施設を使用して最低限の整備は行っている。特に主砲を始とした火器関係と、電探などの照準装置は最優先で整備してもらっている。

 

 しかし、乗組員に充分な休息を取らせてやれていないのは事実である。

 

 そこで彰人は、出撃前の僅かな時間を利用して艦隊乗組員に休暇を与える一方、出撃する艦娘達にも一時休暇を与えた。

 

 恐らく、これが最後の出撃となる。

 

 それは、誰もが漠然と抱いている予感だった。

 

 今度は生きて帰れないだろう。

 

 しかし、広島の惨状は、既に皆が知る所である。

 

 合衆国は、再びあれを投下しようとしている。

 

 それがどこかは、誰にも判らない。

 

 しかし、どこだろうと、これ以上の暴挙を許すわけにはいかない。

 

 それが、艦隊を構成する、全乗組員の総意だった。

 

 祖国を守る。

 

 愛する人を守る。

 

 その為ならば、この水面に朽ち果てようとも、誰も後悔はしなかった。

 

 

 

 

 

 出撃を明日に控え、艦隊全体がお祭り騒ぎの様相を呈していた。

 

 俗に言う「酒保開け」と言う、出撃前のどんちゃん騒ぎである。

 

 海軍は、一度出撃すれば帰ってくるまで船の上で過ごす事になる。下手をすれば帰って来れない可能性もある。

 

 その為、大規模な作戦が催される時は、決まってこのようにお祭り騒ぎが全艦上げて行われる物である。

 

 この時ばかりは、士官も下士官も兵も艦娘も無い。

 

 全てが無礼講となり、上下の分け隔てなく飲んで食べ、相手の盃に酒を注ぐ事も許される。

 

 言ってしまえば、兵士であっても提督相手に酒を飲ませる事ができるわけだ。

 

 そんな訳で、各艦や各旗艦では、乾杯合戦が行われている状況である。

 

 だが、

 

 その中で1人、彰人は「姫神」の艦内を歩き回り、宴会の様子を見て回っていた。

 

 皆、顔には笑顔があり、大いに盛り上がりを見せている。

 

 と、

 

「あ、これは提督ッ」

 

 兵士の1人が声を掛けて来た。

 

 どうやら、乗艦して日が浅い、新米の兵士らしい。彰人も何度かすれ違って、挨拶を交わしたのを覚えている。

 

「どうです、提督もこっちに来て一緒に飲みませんか?」

「あ、いや、僕は・・・・・・・・・・・・」

 

 言い淀む彰人。

 

 誘ってくれるのはありがたいのだが、正直「この後」の事を考えると、寄り道はしたくない。と言うのが本音である。

 

 そんな彰人の心情を知らず、尚も誘おうとする兵士。

 

 だが、

 

「おい、やめろ」

 

 後から現れた別の兵士が、若い兵士の頭を小突いた。

 

「あたッ 何するんですか、おやっさん」

「提督は何かと忙しい方なんだ。俺等の都合に付き合わせるんじゃねえ」

 

 若い兵士を叱責してから、ベテラン兵士は彰人に向き直った。

 

「若い奴が失礼しました提督。早いとこ行ってあげてください。あの娘の所へ」

 

 彰人達の事情を察してくれているベテラン兵士は、そう言って彰人の背中を押してくれる。

 

 対して、彰人はクスッと笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて、そうさせてもらいます」

 

 彰人はそう言うと、踵を返して歩き去って行った。

 

 その背中を、若い兵士は不満顔で見送る。

 

「何で提督と飲んじゃいけないんですか? 俺等だって提督と飲みたいんですよ」

「馬鹿野郎。ちっとは事情ってもんを知りやがれ。ほれ、こっちで飲み直すぞ」

 

 そう言うと、若い兵士の頭を小突きながら、再び部屋の中へと入って行った。

 

 

 

 

 

 司令官室で待っている。

 

 彼女はそう言っていた。

 

 彰人が部屋の中に入ると、そこには既に、彰人を迎え入れるように灯りがともされている。

 

 そして、

 

「お、おかえりなさい、あ、ああ、あなた・・・・・・・・・・・・」

 

 ライトの下で、顔を真っ赤にしながら立っている巡戦少女がいた。

 

「お、お風呂にしますか? ご飯にしますか? そ、それとも、わ、わ、わた、し?」

「いや、姫神、無理しなくて良いからね?」

 

 彰人は苦笑しながら、姫神を宥める。

 

 どうやら、言ってて相当恥ずかしかったらしい。姫神は顔を真っ赤にして俯いている。

 

 まったく。

 

 恥ずかしいならやらなきゃいいのに。

 

 この娘は一体、どこでこんな事を覚えて来たのだろう?

 

 そんな事を漠然と考えながら、彰人は嘆息する。

 

 まあ、何はともあれ、

 

 彰人はそんな姫神を見て微笑を浮かべる。

 

 先程の「1人大根芝居」はともかく、姫神が彰人と共に夜を楽しみたくて待っていてくれたのは事実のようだ。

 

「待たせて悪かったね」

「いえ、彰人は提督ですから。当然のことをしてきただけです」

 

 ようやくいつもの調子を取り戻したらしい姫神が、そう言って微笑む。

 

 まるで、妻が夫を深く理解するように、今の姫神は誰よりも彰人の事を深く理解していた。

 

 そんな姫神が愛おしくて、

 

 彰人は少女の華奢な体を抱き寄せた。

 

「彰人・・・・・・・・・・・・」

 

 声を上げる姫神。

 

 しかし、彰人は構う事無く巡戦少女を胸に抱く。

 

 華奢な体。

 

 触れただけでも折れてしまいそうな印象がある少女。

 

 こんな小さな少女が開戦以来、幾多の海戦に参加し、数多の敵艦を葬って来たかと思うと、とても信じられない事である。

 

 だが、彼女は紛れも無く、帝国海軍が誇る巡洋戦艦であり、そして彰人にとっては頼るべき旗艦であると同時に、愛すべき恋人でもあるのだ。

 

「姫神」

「はい」

 

 呼びかける彰人の声に、姫神は彼の腕に抱かれながら答える。

 

「多分、今度は、今まで以上に苦しい戦いになると思う」

「はい」

 

 判っている。と言いたげな感じに、見上げてくる姫神。

 

 そんな姫神に彰人は、目を細めながら更に言い募る。

 

「今回は僕も、そして君も、無事では済まないかもしれない」

 

 残された戦力。

 

 その全てをかき集めたとしても、合衆国軍に対抗する事は難しい。

 

 しかし、それでも尚、自分達は行かなくてはいけないのだ。

 

 そこに、勝利は無いかもしれない。惨めな屍をさらすだけに終わるかもしれない。

 

 だが、自分達が自分達であり続ける為、そしてこの行動がほんの僅かでも、祖国の同胞を救う助けとなる事を信じて。

 

「何も、言わないでください」

 

 見上げながら、姫神は言う。

 

「私は、帝国海軍の巡洋戦艦。そして彰人、貴方の旗艦です。あなたと共に行けるなら、何も怖くはありません」

「姫神・・・・・・・・・・・・」

 

 互いに顔を近づけ、

 

 そして、唇を重ねる。

 

 互いの温もりが、齎す感覚が、2人の想いを1つにしていく。

 

 やがて、

 

 2人の影は、互いに重なり合うように繋がって行った。

 

 

 

 

 

 お互いがお互いを激しく求めあい、互いの愛を確かめ合った。

 

 彰人と姫神。

 

 ベッドを共にするのは、もうこれで何度目になるだろうか?

 

 しかし、何度目だろうと、お互いを想う心地よい温もりは、あの隠れ宿で初めて肌を重ねた時から変わっていなかった。

 

「彰人・・・・・・・・・・・・」

 

 情事を終えたベッドの中、彰人の腕を枕代わりにして横になりながら、姫神が上目づかいで言った。

 

 互いに裸のまま、彰人はその腕の中に姫神の小さな体を抱きしめている。

 

「お願いがあります」

「何かな?」

 

 巡戦少女に微笑みかける、青年提督。

 

 対して、姫神は真剣な眼差しで彰人を見詰めてくる。

 

「彰人の事は、必ず私が守ります」

「姫神・・・・・・・・・・・・」

 

 自分の恋人たる少女の、ある種の決意じみた言葉に、彰人は息を飲む。

 

 何か、

 

 姫神がある種の決意をしているように、彰人には思えたのだ。

 

「その代り、彰人は他の全てを守ってください」

 

 守る為に、戦う。

 

 言葉にしたら、これ程矛盾した者も無いだろう。

 

 だが軍人として、提督として、艦娘として、

 

 自分達ができる事は、たったそれだけだった。

 

 己が、己である為に。

 

「判ったよ」

 

 彰人は、腕の中の姫神に向かって頷く。

 

「僕は、『君を含む全て』を守る。約束するよ」

「彰人」

 

 嬉しそうに、縋りつく姫神。

 

 そんな少女を、彰人は強く抱きしめる。

 

「抱いてください、もっと強く」

「ああ、勿論だよ」

 

 互いの存在を確かめるように、抱き合う2人。

 

 こうして、最後の夜は更けていくのだった。

 

 

 

 

 

 翌朝、

 

 マストに風を受け、日章旗を高らかに掲げながら、第2艦隊は横須賀を出港した。

 

 目的地はマリアナ。

 

 目標は合衆国が開発した悪魔の兵器、原子爆弾の完全破壊。

 

 絶望の未来を阻止する為、

 

 今、

 

 連合艦隊最後の戦いが、幕を上げようとしていた。

 

 

 

 

 

第110話「ただ、己であり続ける為に」      終わり

 

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