蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第14話「姫のリボン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 宇垣護は、目の前の友人に対して呆れ顔を隠せないでいた。

 

 元来、無表情でいる事が多い彼にしても、今回の「これ」はあまりにも荒唐無稽に過ぎたのだ。

 

 ここは「大和」にある宇垣の執務室だが、今は珍しく来客者の存在がある。

 

「お前な・・・・・・・・・・・・」

 

 宇垣が頭痛がするような思いで睨む先には、山口多聞第2航空戦隊司令官の姿がある。

 

 江田島兵学校の同期である2人は、普段の公務中は、互いにGF参謀長と、2航戦司令と言う立場を考慮して、相応の口調で話すが、今は2人だけしかいない為、口調も友人同士のそれになっている。

 

「こんな荒唐無稽な事が、本当に可能だと思っているのか?」

 

 そう言って宇垣が示した手の中には、一束の書類が握られている。

 

 それは、山口がインド洋作戦から帰還後、寝る間も惜しんで作成したレポートである。

 

 同様の物は、軍令部や海軍省にも送りつけてあるが、宇垣とは同期の友人と言う事もあり、直接、自分で持ち込んで来たのだ。

 

 レポートの概要としては、南方資源地帯を確保した後、帝国海軍が取るべき作戦の道筋と、それに必要な兵力、物資を事細かに書き記していた。

 

 だが、その内容はあまりにも仰天すべき物だった。

 

 

 

 

 

 1942年5月にインド要地占領。

 

 同年7月にフィジー、サモア、ニューカレドニアおよびニュージーランド、オーストラリア主要部の占領。

 

 同年8~9月にアリューシャン占領。

 

 同年11~12月にミッドウェー、ジョンストン、パルミラ占領。

 

 同年12月~1943年1月までにハワイ占領。その 後、パナマ運河を破壊し、カリフォルニア州の油田地帯を占領し、北米全域を爆撃してアメリカを屈服。

 

 

 

 

 

 必要参加兵力(艦艇)

 

 戦艦・巡戦:15隻

 

 正規空母:10隻

 

 軽空母:10隻

 

 重巡洋艦:20隻

 

 軽巡洋艦:10隻

 

 駆逐艦:100隻

 

 護衛艦:200隻

 

 潜水艦100隻

 

 

 

 

 

 必要参加兵力(航空機)

 

 艦上戦闘機:1500機

 

 艦上攻撃機:700機

 

 艦上爆撃機:700機

 

 陸上攻撃機:800機

 

 偵察機:100機

 

 

 

 

 

 その他、必要人員、及び消費物資・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 開いた口がふさがらない、とはこの事だ。

 

 この後、山口の書類には、空母を中心とした大規模航空艦隊の編成、後方支援部隊の充実、南方航路を安全に運用する為に、海上護衛隊の設立にまで及んでいる。

 

 しかし、今の帝国ではどの財布をどうひっくり返しても、これだけの兵力をそろえる事はできない。

 

 山口の意見は、完全に絵に描いた餅である。

 

 だが、

 

「無論、無理だろうな」

 

 尋ねた宇垣に対し、山口はあっさりと言ってのけた。

 

 その返事に、宇垣は眉を顰める。

 

 無理と判っていて、なぜこんな殴り書きにも等しい意見書を書いたりしたのか?

 

 宇垣には山口の意図が測り兼ねていた。

 

「宇垣、お前も薄々は感づいているだろう。今の海軍に蔓延している楽観的な空気を」

「・・・・・・・・・・・・」

 

 山口の言葉に、宇垣は黙して答える。

 

 山口が言わんとしている事は、宇垣にも理解できていた。

 

 帝国海軍全体が、緩み始めている。緊張感を著しく欠き、どこか楽観論的な空気が滲み始めている。

 

 米英恐れるに足らず。帝国海軍の向かうところに敵はいない。

 

 そんな事を、一般の兵士や下士官はおろか、士官や、果ては提督、参謀に至るまで思い始めている節がある。

 

 その結果が、先日の帝都空襲である事は間違いない。

 

 それはGF司令部においても同じである。

 

 今や向かうところ敵なしと言っても良い連合艦隊。中には「次の勝利はいつになるのか?」などと気楽な事を言っている参謀までいる始末だ。

 

「じゃあ、お前は、そうした空気を引き締める為に、これを?」

「半分はな。だが、半分は本気だ。アメリカが相手である以上、それくらいの気概でもって挑むべきだと思っている」

 

 確かに、と宇垣は思った。

 

 真珠湾攻撃による短期決戦構想が崩れた今、戦争を早期終結させるには、敵が完全に体勢を立て直す前に、攻め込む必要がある。

 

 それを考えれば、山口の意見は無茶苦茶ではあるが、決して間違っていないだろう。

 

「・・・・・・・・・・・・そうだな」

 

 宇垣はもう一度、ページをぱらぱらとめくりながら、ふと、ある事を思いついたように口を開いた。

 

「『あいつ』なら、面白がって読むかもしれんな。それどころか、嬉々として加筆修正も加えるだろう」

「あいつ?」

 

 宇垣の言葉に、訝る山口。

 

 その宇垣の脳裏には、彰人の顔が思い浮かべられていた。

 

「そう言えば、直接紹介した事が無かったな。考えが実に面白い奴でな、それでいてしっかりとした戦略構想を持っている。戦いに勝つ為には、今何が必要かという事を見極める事ができる奴だ」

 

 彰人がこの書類を見たら、どんな顔をするのか、宇垣は何となく興味が引かれていた。

 

 戦略的な展望を持っていると言う意味では、彰人と山口はどこか似通っている部分がある。

 

 一度、お互いを引き合わせてみるのも、面白いかもしれないと思った。

 

「とにかく、この書類は山本長官にも提出して、御一読いただく事にする」

「頼む。南方作戦がもうすぐ完了するだろう。そうなった後、帝国がどのような指針で戦争を進め、どんな形で終わらせる事を目指すのか、ある程度道筋を立てておく必要があるからな」

 

 山口がそう言った時だった。

 

 入口の扉が開き、手にはお盆を持った大和が、静かな動作で入ってくるのが見えた。

 

「失礼いたします」

 

 一礼すると、大和はお盆に乗せて運んできたお茶と茶菓子を、山口の前へと置く。

 

「どうぞ、山口提督。ゆっくりしていってください」

「お、これはすまんな、大和」

 

 そう言って、山口は湯気の立つ茶を手に持ち口に運ぶと、大きく息を吐く。

 

「これは美味い。宇垣はいつもこんな美人から、こんな上手い茶を淹れてもらっているのか」

「そんな。私なんてまだまだ、長官や参謀長のお役に立っているとは・・・・・・・・・・・・」

 

 褒められた大和は、少し恥ずかしそうに頬を紅くしながら、お盆で顔を隠す。

 

 そんな大和の仕草を、山口は微笑ましそうに眺める。

 

「いやいや、そんな事はないと思うぞ。何しろ、うちにはこういう事が一切できなさそうな、ガサツな奴がいるからな」

 

 山口はそう言うと、自身の旗艦を思い浮かべて嘆息するのだった。

 

 

 

 

 

~一方その頃~

 

 

 

 

 

「ハクシュンッ!?」

「あれ、飛龍、風邪?」

「いや、そんな筈ないんだけど・・・・・・おかしいな・・・・・・・・・・・・」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうぞ、参謀長も」

「ああ、ありがとう」

 

 大和から茶を受けとりながら、宇垣はもう一度、山口の書類に目をやる。

 

 山口の構想は、言ってしまえば、短期決戦思想の超先鋭化だ。敵の反撃を受ける前に、一気に敵に回復不能なダメージを与えてしまおうと言うのである。

 

 そしてそれは、山本長官が構想している作戦案とも一致している。

 

 山口が言った通り、南方作戦は間も無く完了し、長期自給体制は間も無く確立できる。

 

 そうなれば、必然的に次の作戦が必要になるのは間違いない。

 

 インド洋作戦が成功し、米豪遮断作戦も、先の珊瑚海海戦の結果を考慮して、一時延期の決定がなされている。

 

 となれば、必然的に取るべき道は限られて来るだろう。

 

 すなわち、ハワイを攻め落とし、一気にアメリカの喉元に食いつくのだ。

 

 これぞ短期決戦思考の神髄と言える。

 

 そして、

 

 その為の作戦も、今審議中だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「出るべくして出た結果ね」

「グッ・・・・・・・・・・・・」

 

 目の前の女性から言われた一言を前に、瑞鶴はぐうの音も出ないと言った感じに押し黙る。

 

 そんな2人のやり取りをベッドの上の翔鶴と、その傍らで見舞い品の菓子折りをほどいている赤城が、苦笑しつつ眺めていた。

 

 珊瑚海海戦から帰還した「翔鶴」「瑞鶴」から成る第5航空戦隊だったが、「翔鶴」大破の損害を受け、「瑞鶴」もまた、所属航空隊の多くを失う大損害を被った。

 

 結局、米空母1隻(後の情報解析で「レンジャー」である事を確認)を撃沈したものの、作戦その物は中断を余儀なくされたのだった。

 

 そこで、傷ついた「翔鶴」をドッグに入れて修理する傍ら、翔鶴自身は入院する運びとなった訳だ。

 

 そんな翔鶴を見舞いにやって来たのは、赤城と加賀の1航戦ペアなのだが、その加賀が瑞鶴を前に言った言葉が、冒頭のそれである。

 

 加賀は表情の乏しい、冷たい視線を瑞鶴へと向ける。

 

 帝国海軍最強の母艦航空隊を持つ1航戦。その1航戦の誇りを、具体的な形で体現しているのが、この加賀である。

 

 そもそも空母「加賀」は、ワシントン軍縮条約の結果立ち消えとなった「八八艦隊計画」において、長門型を強化した戦艦として誕生する予定だった艦である。

 

 その巨大な艦体を流用している事から、搭載している艦載機量は帝国海軍随一となる90機を誇っており、更にその誇りから来る搭乗員練度の高さも、随一と言って過言ではない。

 

 そのせいか、新参の瑞鶴などから見れば、ただの高慢ちき女にしか見えないのだが。

 

「まあまあ、加賀さん。今日は翔鶴さんのお見舞いに来ただけですから、それくらいで」

「瑞鶴、あなたも。せっかく、お2人が来てくださったんだから」

 

 見かねた赤城と翔鶴が、それぞれを宥めに入る。

 

 まったく、この2人は顔を合わせる度に喧嘩を始めるから、赤城も翔鶴も気苦労が絶えないこと暫しだった。

 

「とにかく、よく頑張ってくれました。今はゆっくりと休んで、戦線復帰に備えてください」

「でも、次の作戦って近いんですよね。そう、のんびりしている場合じゃないです」

 

 赤城の言葉に反応して、瑞鶴が意気込んで言い募る。

 

 MI作戦の事は、既に瑞鶴たちの耳にも入っている。既に海軍全体が、次の作戦の為に動き始めているのだ。

 

 当然、瑞鶴としては、自分も参加するものと思って部隊の再編を進めていた。

 

 しかし、

 

「心配しなくても大丈夫ですよ。次回の作戦では、5航戦には外れてもらう予定ですから。既に私から南雲司令に上申し、山本長官の御裁可も頂きました」

「なッ!?」

 

 赤城の言葉に、瑞鶴は思わず絶句した。

 

 自分達が外れる? 次期作戦に?

 

「冗談じゃないですッ 何で、そんな!!」

「瑞鶴、ここ、病室よ」

 

 翔鶴が人差し指を唇に当てて妹を窘める。

 

 慌てて声のトーンを落とす瑞鶴。

 

 しかし、その可憐な双眸は鋭く吊り上げられ、尚も赤城を睨んでいる。

 

「納得いきませんッ どうして私が出撃から外されなければいけないんですか?」

 

 百歩譲って翔鶴は仕方がない。大破した「翔鶴」の修理は、どう考えても次の作戦に間に合いそうになかった。

 

 しかし「瑞鶴」は無傷に近く、航空部隊さえ補充で来たら出撃は充分可能なの仇。

 

 だが、

 

「自明の理でしょう」

 

 そこで、話を聞いていた加賀が割って入った。

 

「翔鶴は大破、貴方は航空隊の損害が大きい。これでは、戦いに連れて行く事などできない事は判り切っている事よ。大人しく、本土で留守番をしていなさい」

「グッ」

 

 悔しそうに声を詰まらせる瑞鶴。

 

 しかし、加賀の言っている事は正論である。珊瑚海で大損害を受けた5航戦は、戦力として問題がある。瑞鶴の航空隊にしても、仮に再編成が間に合ったとしても、訓練等に時間がかかる為、やはり出撃には間に合わない。

 

 編成から外されるのも無理ない話だった。

 

「心配しなくても大丈夫です」

 

 そんな2人を宥めるように、赤城はやんわりした口調で言った。

 

「あなた達が珊瑚海で『レンジャー』を沈め、『ヨークタウン』を大破した事で、『サラトガ』が動けないでいる今、米軍が使える空母は『エンタープライズ』と『ホーネット』の2隻だけになりました。これなら、仮に出て来たとしても私と加賀さん、飛龍さん、蒼龍さんで何とかなりますから」

 

 そう言って、ニッコリと微笑む赤城に対し、瑞鶴は不満を抱きつつも、何も得居なくなってしまう。

 

 赤城は第1航空艦隊の旗艦であり、その人柄ゆえに艦娘のみならず、兵士や士官、果ては提督からも尊敬される存在である。

 

 勿論、瑞鶴も(どこぞの鉄面皮艦娘と違って)赤城を尊敬している。

 

 その赤城に言われては、瑞鶴としても従わざるを得なかった。

 

 

 

 

 

「加賀さんも素直じゃないわね」

 

 翔鶴の病室を辞去して、開口一番に赤城が言った言葉はそれだった。

 

 対して、加賀は訝るように首をかしげながら赤城を見やる。

 

「何がでしょうか?」

「素直に言ってあげれば良かったじゃないですか。『心配した、けど無事で良かった。よく頑張った』って」

 

 赤城の言葉に、加賀は何も答えずに嘆息する。

 

 赤城の言っている事は正しい。

 

 加賀は普段から無表情でいる事が多く、それでいて口から出る言葉もきつい物が多いため、周りからは冷たい女だと思われがちだが、その内面では誰よりも情が深い。

 

 今回の珊瑚海域にしても、当初は「加賀」が参加する予定だったところを、急遽、5航戦の出撃に差し替えられた経緯がある。

 

 そんな中、翔鶴と瑞鶴は奮戦し、翔鶴が傷つきながらも「レンジャー」を沈めたと聞いた時は、心配であると同時に、心の底から喜んだものである。

 

 もっとも、加賀がこんな性格である事を知っているのは、昔から付き合いの長い、赤城をはじめほんの数人なのだが。

 

 そんな加賀の複雑な心境を了解しているのだろう。赤城はそれ以上は何も言わずに、ただクスクスと笑っている。

 

 対して、そっぽを向く加賀。その顔は、心なしかほんのり赤く染まっているような気がした。

 

「さて、それはさて置いて・・・・・・・・・・・・」

 

 そこで、赤城は話題を変えるように言う。

 

「先の戦いでは、翔鶴さん達が頑張ってくれました。だから、今度は私達の番ですね」

「はい」

 

 赤城の言葉に対し、真面目な顔に戻って頷きを返す加賀。

 

 次のMI作戦は、今後の戦局を左右する一大作戦になると言う。上手く行けば、戦争を終わらせる足掛かりにもなると噂されていた。

 

「あの子たちの頑張りに恥じない戦いをしないといけませんね」

「ええ、1航戦の誇りに掛けて」

 

 頷き合う赤城と加賀。

 

 1航戦の誇り。

 

 最強航空部隊としての誇りに掛けて、何としても帝国海軍に勝利をもたらす事。

 

 それこそが、2人に与えられた最重要の使命だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世は戦争をしていると言うのに、市井はいたって平和な物である。

 

 喫茶店の窓から道行く人々の流れを眺め、姫神はそんな事を考えていた。

 

 今日の姫神は、艦娘としての正装であるセーラー服姿では無く、水色の半袖ブラウスに、黒と赤のチェック柄をしたプリーツスカートと言う私服姿をしている。髪をポニーテールに束ねているリボンはいつも通りだが、やはりどこか違う雰囲気を見せていた。

 

 珊瑚海での戦いから2週間。

 

 事実上、帝国海軍の戦略的敗北で終わったあの戦いだったが、とにかくも敵の空母1隻を沈め、もう1隻も大破させたと言う実績を考慮されたのか、海軍内部では、珊瑚海海戦の「勝利」を謳う者も少なくなかった。

 

 そんな中、「姫神」「黒姫」「島風」「瑞鳳」の4隻は、第4艦隊からの編成を解かれ、内地へと帰還していた。

 

 途中、中部太平洋のトラック環礁に立ち寄り、大破した「祥鳳」を預けて来た。

 

 「祥鳳」は飛行甲板に2発の直撃弾を受け、機関にもダメージを負っている。その為、外洋を通って本土に帰還させるのは困難と判断され、一旦、トラックで応急修理を受ける事になったのだ。

 

 タイミングが良い事に、トラックには工作艦の「明石」が来ていた。

 

 「平時における海軍全体の40パーセントにも及ぶ」と称される「明石」の修理、補修能力を持ってすれば、「祥鳳」が受けた損傷も比較的早い段階で復帰できるだろうと期待された。

 

 祥鳳をトラックに残していくことについて、妹の瑞鳳は最後まで懸念していたが、結局、次の作戦準備が迫っている理由から、後ろ髪を引かれつつも、姫神達と共に帰還する事を了承した。

 

 そう、次の作戦である。

 

 珊瑚海海戦からあまり日が経っていないにもかかわらず、連合艦隊は次の作戦に取り掛かろうとしているのだった。

 

「次は、何処に行くことになるのでしょうか・・・・・・・・・・・・」

 

 誰に聞くでもなく、姫神はポツリと呟く。

 

 第11戦隊はこれまで、北太平洋、房総沖、珊瑚海と転戦してきている。

 

 まさに「海上の特殊部隊」としての面目躍如とも言うべき活躍ぶりであるが、逆を言えば良いように使いまわされていると言えなくも無かった。

 

「まあ、それも、あの提督だから、仕方ないと言えば仕方ないのですが・・・・・・・・・・・・」

 

 姫神は彰人の顔を思い浮かべながら呟く。

 

 彰人はおよそ軍人らしからぬ線の細い顔をしていながら、それでいて性格は好戦的と言って良いほど積極果敢な物である。

 

 これまで彰人は、どんな敵にも臆することなく、正面から立ち向かっていった。

 

 それは即ち、これからも彰人が司令官であり続ける限り、姫神は過酷な戦場に投入され続ける事を意味していた。

 

 しかし、

 

 それも悪くないかもしれません。

 

 そんな風に自然と考える事ができる自分がいる事が、姫神には少しだけ不思議だった。

 

 彰人の指揮の元、艦娘として、巡洋戦艦として戦い続ける事が、何となく楽しいと思えるようになっていた。

 

 それにしても、

 

「遅いですね・・・・・・・・・・・・」

 

 壁に掛けられた時計を見ながら、姫神は少し苛立ったような低い声で呟く。

 

 約束の時間は13時だが、今は13時15分。15分の遅刻である。

 

 一体何をしているのか?

 

 そんな事を思っていた時だった、入り口の扉につけられた鈴が鳴り、姫神の待ち人が店内に入ってくるのが見えた。

 

「ごめん姫神、ちょっと待たせちゃったかな?」

 

 入ってきた彰人は、こちらもいつもの軍服姿では無く、Yシャツにスラックスと言うラフな格好をしている。

 

 苦笑を浮かべて近付いて来る彰人。

 

 軍服を着ている時ですら軍人に見えないのだから、私服に着替えると、本当にタダの一般人にしか見えなかった。

 

「遅いです」

 

 そんな彰人に対し、姫神は口を尖らせると、ボソッと抗議の声を上げる。

 

「人を1時間近くも待たせるとは何事ですか。もう少し遅かったら、帰ろうと思っていたところです」

「ごめんごめん」

 

 言い募る姫神に謝りながら、彰人は対面の椅子に腰かける。

 

 と、そこでふと、何かを思い出したように姫神を見た。

 

「あれ、でも約束は1時だよね。12時半くらいから来ていたの?」

 

 少し早く来るくらいなら判らないでもないが、流石に30分以上早く来るのはどうなのだろう?

 

 抗議するような視線を送ると、姫神はシレッとした感じで答える。

 

「いけませんか?」

「い、いや、そう言う訳じゃないけど・・・・・・」

 

 つぶらな目でキロッと睨んでくる姫神に、彰人は慌てて手を振ってこたえる。

 

 姫神がなぜにそんな早く待ち合わせの場所に来たのかは謎だが、何やら理由を聞いても良い雰囲気ではなかった。

 

「さ、さて、じゃあ、早速行こうか」

 

 このまま姫神を不機嫌にしてしまったら最悪、軍務にも差支えるかもしれない。そう判断した彰人は、話題を変えるように言った。

 

 幸いな事に、姫神がそれ以上、遅刻した件について言及してくることはなかったが。

 

「そうですね。時間も押してますし」

「今日は、何をする予定だったっけ?」

 

 彰人は姫神から、今日の外出に同行してくれと言われて来ただけで、具体的に何かすると言う話は一切聞いていなかった

 

 その事を今さら思い出したのか、姫神は「ああ」と声を漏らす。

 

「私のパジャマを買いに行くのに付き合ってください」

 

 言いながら姫神は、つい先日、黒姫達と交わした会話の事を思い出していた。

 

 

 

 

 

 日を決めて、誰かの艦に集まるのが、半ば常習化しているような気がする。

 

 居並ぶ一同を見ながら、姫神はそんな事をぼんやりと考えていた。

 

「うわッ これ美味しいね~」

「新作だよ~ こっちも試してみてよ」

「あ、本当だ。けっこう斬新ですね。けど、やみ付きになるって言うか・・・・・・」

 

 床に広げた御菓子類を代わる代わる口にしながら、少女達は顔を綻ばせている。

 

 黒姫と島風、それに瑞鳳。

 

 珊瑚海で共に戦った少女達である。

 

 ここは「瑞鳳」にある彼女の私室である。

 

 先述した通り、誰かの艦に4人で集まるのは、半ば習慣化しつつあった。

 

 勿論、各々の執務等もある為、常に全員が集まれるわけではないのだが、珍しく今日は全員が集合していた。

 

 持ち寄りのお菓子やらお茶、人数分のジュースとラムネが並んでいる。

 

 さしずめ「艦娘女子会」とでも言った風情だろうか?

 

 話す内容も様々で、先の戦いにおける反省や、新装備の実装に向けた期待、次の作戦の展望と言った真面目な話があったかと思えば、どこで仕入れて来たかもわからないような、他の艦娘の噂話や恋愛話と言った、他愛のない話も出てくる。

 

 姫神の場合、大抵は他の3人が話しているのを聞いたり頷いたりするくらいだが、それでも一緒にいて悪い気はしていなかった。

 

 なるほど、これが「友達」と言う物か、などと今更ながら納得したりしている。

 

 艦娘同士のおしゃべりは深夜まで続く事もしばしばだが、その場合は、会場となった艦に、そのまま泊まって行くことになる。

 

 本来なら、自分の艦に戻らなくてはならないのだが、第11戦隊は司令官の彰人がそこら辺についておおらかである為、翌朝に戻れば問題は無かった。

 

 その日も、そのまま「瑞鳳」に泊まって行こうと言う話になり、一同は持ち寄ったパジャマに着替えはじめた時だった。

 

「ん・・・・・・・・・・・・」

「ん、どうかしたヒメちゃん?」

 

 姫神が上げた僅かな声に、島風がいち早く反応して振り返る。

 

「いえ、パジャマが少し、以前より小さくなった気がして・・・・・・・・・・・・」

 

 言ってから、具合を確かめる姫神。

 

 やはり、腕回りが、少し動かしにくい気がする。胸元は緩いままだが。

 

「太った?」

「怒りますよ」

 

 からかうような口調の島風を一睨みしつつ、もう一度パジャマを確かめる。

 

 やはり、動いた時に若干の違和感がある。

 

 一応、艦娘も成長はする。しかし、それは人間に比べると遥かに緩やかな物であり、中には一生において、容姿がほとんど変わらない艦娘もいる程である。

 

 しかし、竣工し(うまれ)てまだ数年しか経っていない姫神にとっては、まだ縁の遠い話である。

 

「少し生地が縮んだのかもね。これ、買ってから結構経つし」

 

 姉のパジャマを摘まみながら、黒姫が難しい顔で言う。

 

 姫神が白地に赤の水玉が入ったパジャマであるのに対し、黒姫は水玉の部分が黒になっている。色違いのお揃いである。

 

 しかし、

 

 これは姫神にとって由々しき事態である。

 

 「趣味:昼寝」の姫神にとって、安眠の確保は至上命題と言って良い。

 

 その為にもパジャマは常に、体に合った物を選んで着ているのだ。

 

「クロ、すみませんが明日、買い物に付き合ってください。新しいパジャマを買いたいので」

「ごめん、お姉ちゃん。私、明日は京介君に付き合って、艦内の点検やらなきゃいけないんだ。何でも出撃に備える為だって・・・・・・・・・・・・」

 

 近々大作戦があるかもしれない、と言うのは海軍中で囁かれている事である。それを考えれば、「黒姫」艦長である成瀬京介も、居ても立っても居られないと言った感じなのだろう。

 

 しかしそうなると、黒姫に付き合ってもらう訳にも行かない。

 

「仕方ありません。私が1人で・・・・・・」

「それはダメ」

 

 姫神の言葉を遮って、黒姫が言下に否定した。

 

「なぜですか?」

「だって、お姉ちゃんに1人で買いに行かせたら安いの選んで買って来るでしょ」

 

 過去に同様の経験がある黒姫は、ピシャリと言ってのける。

 

 姫神は、とにかく買い物が下手である。

 

 何かと効率ばかり重視して安い物を買おうとする傾向があるのだ。それでいて、気に入らなければすぐ使わなくなってしまうから始末に負えない。

 

 普段なら黒姫も付き合うか、少し待ってもらうかするのだが、今回はそうも言ってられない。姫神としては、一刻も早く新しいパジャマが欲しい所である。

 

 そこで、島風が何か思いついたように、目を輝かせた。

 

「じゃあさ、提督に選んでもらったら?」

「はい?」

 

 突然の物言いに、姫神は思わずキョトンとする。

 

 なぜ、そこで彰人が出て来るのか?

 

 だが、そこへ瑞鳳が加わって来た。

 

「あ、それ良いですね。水上中佐なら、ちゃんと真面目に選んでくれそうですし」

「瑞鳳まで、何を言い出すのですか・・・・・・」

 

 呆れ気味に窘める姫神。

 

「それに、提督にだって予定があるのですから、そのような些事を頼むべきではないです」

「あ、それ大丈夫。提督、明日は半勤で、午後からは休みだって言ってたから」

 

 姫神の言葉を否定するように、黒姫が遮る。

 

 姫神は、全ての反論要素を失った。

 

 

 

 

 

 そんなわけで、現在に至っている。

 

 姫神は彰人を伴い、前に黒姫と共に買い物に来た事がある服屋へと入って行った。

 

「いらっしゃいませ。何をお探しでしょうか?」

 

 店内には客が少なかったせいか、2人が入って来たのを見た店員は、すぐに駆け寄ってきた。

 

「この子のパジャマを見てもらいたくて来ました」

 

 彰人は姫神の頭にポンと手を乗せて用件を言う。

 

 対して店員は、そんな2人を見比べると、微笑ましそうに笑みを浮かべる。

 

「御兄妹でいらっしゃいますか? 仲がよろしいのですね」

「え、ええ、まあ。ありがとうございます」

 

 わざわざ「いえ、提督と艦娘です」などと、律儀に訂正する必要もないと思った彰人は、適当な笑みを浮かべてお茶を濁す。

 

 傍らの姫神が、どう思っているかは判らない。相変わらず、無表情のままだった。

 

「どういった物がご希望でしょうか?」

「着易さ重視で。睡眠時の着心地が良く、快適に眠れる感じのが良いですね」

 

 姫神が何か口を開く前に、彰人はスラスラと要求を伝える。

 

 店員が奥へと戻って行くと、姫神は彰人へ不思議そうな眼差しを向けてくる。

 

「随分とて慣れていますね?」

「前に黒姫から、君の好みについては聞いていたからね。それを言っただけだよ」

 

 なるほど。根回しは万全という訳だ。

 

 意外な所で、彰人の気配り上手を再確認できた感じである。

 

 やがて、店員が戻ってくる。

 

「準備ができましたよ。さあ、こちらへ」

 

 促されるまま、奥の試着室へと向かう姫神。

 

 その小さな後姿を見送ると、手持無沙汰になった彰人は、ぐるりと周囲を見回す。

 

 ここは総合的な服飾店なので、色々な物が揃っている。

 

「一口で女の子の服って言っても、色々とあるんだな」

 

 落ち着いた感じの服、おしゃれな感じの服、可愛い系の服と様々だ。

 

 ふと、姫神ならどんな服が似合うか、と考えてみる。

 

 彼女の性格からいって、あまり派手なのは好みではないだろう。しかし、それだからこそ、逆にギャップを狙って着せて見たいとも思ってしまう。

 

 と、

 

「あ、そうだ」

 

 ふと、ある事を思い付き、彰人は別の店員を探してカウンターの方へと向かった。

 

 

 

 

 

 その頃、姫神は試着室に入り、店員に勧められたパジャマを手にする。

 

 まったく。

 

 なぜ、こんな事態になったのか。

 

「不本意です。提督にまで迷惑を掛ける事になるのは」

 

 不機嫌そうに呟く。

 

 今にして思えば後日、改めて黒姫に付き合ってもらって買いに来る、と言う手段もあったはずなのだ。

 

 しかしあの時、

 

 島風が思い付きで言った「彰人に選んでもらえ」と言う言葉を聞いた時、

 

 なぜか姫神は、悪い気はしなかった。

 

 休日なのに彰人と一緒にいられる事が、自分の中でなぜ否定的な要素になりえないのだろうか?

 

 そんな事を考えながら、服を脱いでいく。

 

 Yシャツのボタンを外し、スカートを床へと落とす。

 

 姿見に移り込む、ほぼ裸の自分。

 

 飾り気の薄い白のブラとパンツに包まれた自分の体。

 

 黒姫からは毎度のように、恰好には気を使えと言われているのだが、妹と違って効率重視型の性格をした姫神は、服装について全くと言って良い程頓着していない。その為、下着も簡素な物ばかりである

 

 それにしても、

 

 いかにも華奢で小さい、姫神の体。

 

 これについては黒姫も同じなのだが、戦艦の艦娘としては、姫神型は特に体が小さく、細い。

 

 そっと、自分の胸に手を当ててみる。

 

 手の平に、微かに感じる膨らみが、柔らかい感触を伝えてくる。

 

 何かの本で読んだ話では、男の人は胸の大きな女に興味を持つ物であるらしい。

 

 ならば、彰人もそうなのだろうか?

 

 そんな事を考える。

 

 なぜ、そんな事を?

 

 姫神は己の中に、微かに浮かび上がろうとしている訳の判らない感情の正体が何であるのか、理解できなかった。

 

 と、

 

「お客様、如何でしょうか?」

「あ・・・・・・・・・・・・」

 

 カーテンの向こうから声を掛けられ、ここへ来た目的を思い出す。

 

 最前まで考えていたこと全てを頭の隅へと追いやると、持ち込んだパジャマを手に取った。

 

 

 

 

 

 彰人が目的を果たして暫くすると、奥の試着室から姫神が戻ってくるのが見えた。

 

「良いのが見つかった?」

「はい」

 

 女性店員が持っているパジャマを見て、姫神は頷く。

 

 彰人が着易さ重視を強調したおかげで、姫神としても満足行く物を買う事が出来た。

 

 これでまた、思う存分安眠できるだろう。

 

 満足そうな姫神を見て、彰人も微笑を浮かべる。

 

「良かった」

 

 言ってから、彰人は店員に目配せをする。

 

「じゃあ、これは僕からね」

「え?」

 

 キョトンとする姫神。

 

 すると、店員が姫神に近付き、そっと、髪を縛っていた紐をほどく。

 

「あ・・・・・・」

 

 姫神が何か言う前に、ポニーテールに束ねられていた髪は重力に従って落ち、セミロング状のストレートに早変わりする。

 

「何を・・・・・・」

「大丈夫だから、じっとして」

 

 戸惑う姫神を宥める彰人。

 

 その間に、店員は姫神の髪にブラッシングを掛け、ほつれを治していく。

 

 そして、慣れた手つきで再び纏めていく。

 

 やがて、

 

 全てが終わった時、姫神の髪は再びポニーテールに戻されていた。

 

 ただし、先程までとは違い、その頭には水色のリボンで括られていたが。

 

「これは・・・・・・・・・・・・」

「僕からのプレゼント。せっかく着いてきたのに、パジャマ選びはしてあげられなかったからね。そのお詫びだよ」

 

 姿見の前に立ち、自身の頭を見詰める姫神。

 

 普段付け慣れていないリボンは、少女の飾り気の無い頭を可愛らしく彩っている。

 

「とってもよく、お似合いですよ」

 

 店員も笑顔でそう言う。

 

 姫神はと言えば、尚も戸惑いがちに自身を見てから、彰人を見やる。

 

 対して、笑顔で応じる彰人。

 

 ややあって、

 

「ありがとう・・・・・・ございます」

 

 小さな声で、それだけ口にした。

 

 

 

 

 

第14話「姫のリボン」      終わり

 

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