1
「長門と陸奥は日本の誇り」
イロハかるたにまで謳われる人気を誇る長門型戦艦。
それは、
文明開化が遅れ、世界から二等国とみなされた帝国が、世界最強の戦艦を保有した事は、国民に衝撃を与えると同時に、大きな誇りとなった。
自分達の国も、ついにここまで来たのだ、と。
誰もが憧れ、国民に圧倒的な人気を誇った長門型戦艦。
多くの海軍軍人が、その乗組員になる事を夢見た。
その長門型戦艦が、
その「陸奥」が、
今、全艦を炎に包まれ、海上に停止していた。
艦体は傾斜し、既に主砲も沈黙している。
苦戦する「長門」を掩護する為に、あえて「ノースカロライナ」へ目標を変更した「陸奥」。
しかしそのせいで、それまで主敵にしていた「ワシントン」から、無防備に集中攻撃を受ける結果となってしまった。
首尾よく「ノースカロライナ」を戦闘不能に陥れたのもつかの間。集中砲火を受けた「陸奥」が大破してしまった。
艦首が徐々に海面に近付いている点から見て、もはや沈没が免れないであろう事は明白だった。
「陸奥・・・・・・」
「陸奥が・・・・・・・・・・・・」
「そんな・・・・・・・・・・・・」
艦橋の士官たちが呆然として、炎上する「陸奥」を眺めやる。
自分達の誇りの象徴とも言うべき陸奥が、今まさに炎の中に沈もうとしている姿が、絶望感を誘っていた。
だが、その時、
「皆、うろたえるな!!」
凛とした叫びが艦橋に響く。
誰あろう。叫んだのは長門である。
「戦いはまだ終わっていない。ここで我々が戦いを投げ出す事は、誰よりも陸奥が望んでいないはずだ!!」
陸奥をやられ、最も悔しい筈の長門が、毅然とした態度で皆を叱咤したいた。
「長門の言う通りだ。敵はまだ残っている。油断している暇は無いぞ」
艦長にも言われ、皆は気を引き締め直す。
敵の新鋭戦艦はまだ、3隻が健在なのだ。確かに、呆けている暇は無かった。
皆が配置につき直す中、長門は炎上する「陸奥」へと視線を向ける。
炎に包まれる愛おしい妹。
その姿を見詰め、誰にも気づかれない程度に眉を顰める長門。
だが、すぐに視線を前へと向け直す。
皆に言った通り、ここで立ち止まる事は、長門には許されなかった。
一方、「陸奥」を仕留めた「ワシントン」の艦橋では、当のワシントンと艦長のアンリ・ステイネス大佐が、冷や汗を拭っていた。
この開戦に参加するに先立ち、大佐へと昇進を果たしていたアンリは、しかし思わず相手の気迫に飲まれそうになって指揮を誤る所だった。
「危なかった。敵が目標変更をしなかったら、沈められていたのは私達の方だった」
「同感です。旧式なりと言えど、相手はビッグ7の1隻。油断するとこちらが叩き潰されると言う事ですね。良い教訓になりました」
新鋭戦艦をここまで叩いた「陸奥」の力に、アンリとワシントンは惜しみない称賛を送る。
そして、その名だたる戦艦を撃沈確実に追い込めたことはある意味、この上無い名誉だった。
しかし、
アンリはあえて、心の中で告げる。
「陸奥」は目標を変更すべきじゃなかった。そのまま押し込んでいれば「ワシントン」を撃沈できたかもしれないのに。
「いや、それも無粋か」
傍らのワシントンが寡言そうな眼差しを向けてくる中、アンリは自嘲気味に笑う。
先頭艦は旗艦である可能性が高い(今回、合衆国艦隊はセオリー破りをしているが)以上、旗艦を守るのは2番艦の務めでもある。それを全うできなかったアンリの方こそが恥じるべきである。
「ならば、失点は取り返すまで」
野球で言えばようやく5回の裏が終わり、折り返し地点に到達したところだ。つまり、勝負はまだまだこれからと言う事。
現在の点差は3対2で合衆国軍が有利。このまま押し切りたいところである。
「目標、敵1番艦に変更!!」
「了解」
アンリの号令に、ワシントンは低い声で頷きを返す。
「ワシントン」も「長門」も既に手負いの身。しかし、傷は「長門」の方が深い。
「ワシントン」は残り6門の主砲を旋回させ、「長門」へと照準を付ける。
対抗するように、前部主砲4門を旋回させる「長門」。
しかし、互いの主砲が火を噴こうとした。
正にその瞬間、
だしぬけに、「ワシントン」の周囲に立ち上る水柱。
「何っ!?」
「クッ」
衝撃を受け、思わずアンリとワシントンはよろける。
「長門」はまだ主砲を撃っていない。
つまり、「ワシントン」を狙ったのは、他の戦艦だと言う事だ。
そこへ、報告が絶叫となって入って来た。
「新たな敵戦艦2!! 本艦後方より急速接近中!!」
「ワシントン」の後方を襲う形で現れた新たな戦艦部隊の存在に戦慄が走る。
「ここでリリーフ投入とは、
舌打ちするアンリ。
後方から撃たれた、と言う事は、後部の第3砲塔を失っている「ワシントン」は、完全に無防備な背中を晒している事になる。加えて今は「長門」と真っ向から対峙している状態だ。
状況的に1対3となってしまった事になる。
対して、アンリは顎に手を置いて考え込んだ。
状況を確認する報告を受け、思わず彰人は天を仰ぎたくなった。
戦闘開始前、第2艦隊に6隻あった戦艦の内、既に「長門」「陸奥」「比叡」「霧島」が大破。その内、「陸奥」と「霧島」は沈没確実な損害を受けている。
敵の戦艦も数を減らしているようだが、戦況は明らかに第2艦隊が不利だった。
「ここに来るまでに時間がかかりすぎました」
「これでも急いで来たんだけどね」
姫神の言葉に、肩を落とす彰人。
せめて第2艦隊が自分達の到着を待ってくれれば、と思わなくも無かったが、それも今更である。
ともかく、何とかこの状況を打開する必要があった。
「敵艦、進路変更ッ 離脱する模様!!」
「長門」と対峙していた敵戦艦が、大きく転舵して退避する進路を取っている。
この時、「ワシントン」艦長アンリは、損傷した「ワシントン」で無傷の巡戦2隻を含む3隻の戦艦を相手取るのは無謀と判断し、一時距離を置く選択をしていた。
おかげで「長門」はそれ以上の損害を免れた形となる。
「目標変更。無傷の艦を狙う」
今は第2艦隊の援護が最優先である。取りあえず、「長門」の危機を救えたのなら、それで充分だった。
程無く、報告が上げられてきた。
「提督。右舷前方に艦影ッ 敵艦と思われます!!」
見張り員からの報告を受け、右舷へと目を向ける彰人と姫神。
見れば確かに、その方向には炎を上げながら航行する敵戦艦の姿があった。
既に機関に損傷を負い、航行速度は遅い。主砲も、完全に沈黙していた。
「これは、ここで仕留めておいた方が良いかもね」
沈められる艦は沈められるうちに仕留める。
その鉄則に従い、彰人は行動を起こす。
「第13戦隊に通達。右舷の敵艦隊に対し雷撃を実行せよ」
「ようやく出番が来ましたね。皆さん、この阿賀野に続いてください!!」
気合を淹れつつも、どこか緩い感覚が抜けない声で阿賀野が告げる。
第13戦隊は現在、「阿賀野」「島風」「暁」「響」「雷」「電」の順で単縦陣を組み、退避中の敵戦艦追撃に移っている。
その敵戦艦と言うのは、先に「比叡」「霧島」の砲撃によって大破していた「アラバマ」だった。
既に主砲は完全に沈黙していた。
そこへ、突撃していく第13戦隊の6隻。
しかし、「アラバマ」の方でも、ただ黙ってやられる心算は無かった。
自身に接近してくる少数の水雷戦隊を発見すると、生き残っていた両用砲を駆使して反撃に出てきた。
合衆国軍が使用する両用砲は、所謂、帝国海軍における高角砲に相当するのだが、その威力と性能は、帝国海軍の物よりも勝っている。
「比叡」「霧島」の砲撃によって大半の火器は使用不能に陥れられているが、それでも尚、抵抗する程度の火力は残っていたようだ。
放たれる砲撃を縫うようにして進撃する第13戦隊。
その周囲に、両用砲着弾による細い水柱が立ち上る。
「撃たれっぱなしでいる気はありませんよ!!」
やはり、どこかフワフワした口調で言い放つと、阿賀野は自身の前部に位置する主砲を撃ち放った。
当初、阿賀野型軽巡洋艦は水雷戦隊旗艦として設計された為、50口径15・5センチ砲連装3基6門、61センチ魚雷発射管4連装2基8門を搭載し、更に水上偵察機の運用能力も備えた、理想的な偵察軽巡として完成する予定だった。
しかし、時代は航空戦主流に移行し、水雷戦隊旗艦として期待されつつも、阿賀野型が全艦揃う頃には、既に働き場所が無くなっているのではないか、と言う懸念が浮上した。
そこで、1番艦「阿賀野」の竣工を前にして、改装が施される事となった。
まず、水上機の運用能力を撤去。また、中途半端な能力しかない判断された主砲と高角砲は取り外され、姫神型巡洋戦艦や秋月型防空駆逐艦と同じ、65口径10センチ砲に換装された。
この結果、阿賀野型軽巡洋艦は、65口径10センチ砲連装4基、同単装4基、合計12門、61センチ魚雷発射管4連装2基8門、25ミリ機銃3連装12基、同単装6基と、破格の防空能力を持つに至っていた。
元々、スマートな細い船体を持つ美しい巡洋艦だったが、そこにアンバランスなほど武装を満載した姿は、正にハリネズミと言うべき姿だった。
もっとも、昼間の戦闘で第7艦隊が空襲を受ける事は無かったため、折角の防空力が試される事は無かった。そのせいか、阿賀野はやや欲求不満気味であったりする。
その苛立ちをぶつけるように突撃する阿賀野。
対して、「アラバマ」も両用砲による反撃を繰り返す。
その内の一弾が、ついに標的を捉える。
直撃を受けたのは「響」だった。
「クッ まだ、いける・・・・・・・・・・・・」
普段は冷静な顔に苦悶を浮かべる響。
直撃弾は彼女の艦首を襲い、艦底部にまで貫通してしまっている。
駆逐艦と言う物は、思っている以上に脆い物である。機銃の掃射ですら穴が開き、浸水してしまう。そこへ、自身の主砲と同じ口径の砲弾を喰らっては、装甲が耐えられるはずも無かった。
更に1発の直撃弾が「響」を襲う。
今度の命中は、艦中央付近。砲弾は甲板を貫通し、一気に機関にまで達した。
「機械室損傷ッ 速力、低下します!!」
駆逐艦にとって、速力は命である。どのような戦いであっても、自慢の脚力で駆けまわる事こそが、勝利への一里塚となる。
しかし今、「響」は速力を大きく衰えさせ、隊列維持も困難となりつつあった。
「仕方がない。隊列を離脱する」
艦長の言葉に、響も顔を伏せて頷く。
ここまで来て戦線離脱するのは響としても痛恨の極みだが、既に彼女は隊列後方に取り残された形となっている。これ以上の参戦は困難である。
仕方なく「響」は隊列を離れ、戦線離脱していく。
だが、「アラバマ」の抵抗もそこまでだった。
「響」戦線離脱と言う痛い結果の上ではあったが、ついに第13戦隊は「アラバマ」を有効射程圏内に捉えたのだ。
「阿賀野」「島風」「暁」「雷」「電」の各艦から、一斉に放たれる魚雷。
海面を疾走する、帝国海軍最強の切り札、93式酸素魚雷。
その航跡を残さない槍衾が、合衆国軍の中で最も新しい戦艦へと襲い掛かる。
対して、「アラバマ」にできる事は、もはや何も無かった。
やがて、無数の水柱が立ち上った。
第13戦隊が「アラバマ」にトドメを刺している頃、第11戦隊の2隻の巡洋戦艦は、新たなる敵との対峙を余儀なくされていた。
主砲を撃ちながら接近してくる敵戦艦。
その姿を見て、彰人はスッと目を細めた。
「殆ど損傷を負っていないように見えるね」
「みたいです」
彰人の言葉に、頷きを返す姫神。
海戦も明らかに終盤に差し掛かろうとしている時に、未だに無傷に近い敵艦が残っておる事に戦慄する。
彰人は決断する。
疑うべくもない。間違いなく現状、最大の脅威となるのは、目の前の敵戦艦だった。
ならば、これを叩かねば自分達に勝利は無かった。
「目標、左舷前方敵戦艦ッ 主砲発射準備ッ 弾種、徹甲!!」
彰人の命令と共に、「姫神」と「黒姫」が主砲を旋回させる。
敵艦を指向する、4連装2基の主砲塔。
その砲門が、轟音とともに解き放たれた。
闇夜に飛翔する砲弾。
ほぼ同時に、敵戦艦の方も主砲を撃ち放った。
第11戦隊の前に現れた敵戦艦。
それは、リーの旗艦である「インディアナ」だった。
ここまで「比叡」「霧島」と交戦し、その両艦を大破・戦線離脱に追いやっているが、「インディアナ」自身は、軽微な損害に留まっている。
「比叡」の砲弾を2発ほど喰らったが、被害は両用砲1基損傷のみ。今だ、戦闘航行に支障は無かった。
「敵の後方から増援部隊が来ているのは知っていたが、まさか、このタイミングで参戦とはな」
リーは僅かに苦い表情を作りながら呟く。
ここに至るまで、合衆国は戦局を有利に進めている。帝国海軍の戦艦4隻を大破させ、2隻には撃沈確実の損傷を与えている。
だが、ここで増援と合流されてしまっては、逆転される可能性もあった。
「インディアナ。残弾はどれくらい残っている?」
「おおよそ、60パーセントといったところです。1会戦分には充分と言えます」
レーダーで射撃精度を高めた事で、砲弾の節約にもある程度役立っていると言う事だろう。
その事を踏まえ、リーは素早く計算する。
敵の増援部隊。これさえ撃破すれば、もはやこちらを遮る物は何も無くなる。漂流中の「サラトガ」を曳航する算段が整う事になる。
「よし、敵の増援部隊を叩く。それで、この戦いは終わりだ」
「了解です」
リーの言葉に敬礼するインディアナ。
程無く「インディアナ」は、第11戦隊目がけて、主砲を撃ち放った。
2
戦闘開始以来、「金剛」「榛名」は、合衆国戦艦「マサチューセッツ」と砲戦を繰り広げていた。
「マサチューセッツ」の戦闘力は、金剛型戦艦を大きく上回っている。本来であるなら、2隻がかりで戦ったとしても勝てるかどうか怪しい相手である。
しかし、今回は相手が悪かったと言えよう。
「金剛」は帝国海軍の戦艦の中で最古参である。それはつまり、最も乗組員たちが艦の扱いに習熟している事を意味している。
つまり、「金剛」の乗組員は皆、1人1人が最精鋭と呼んで差支えない存在だった。
いかに強力な砲撃力を誇る最新鋭戦艦と言えど、自身が1発当てている間に、3発、4発と当てられたのではたまった物ではない。加えて、そこに「榛名」の砲撃も飛んでくるのだから尚更だろう。
「金剛」に僅かなダメージを与える事に成功した代償として、「マサチューセッツ」は、ほぼ全ての戦闘力を喪失していた。
「ミッションコンプリート。何とかなりましたネー」
「まったくだな。危ういところだった」
互いにため息をつきながら、金剛と栗田は肩を落とす。
今回の戦いは、経験の差が物を言った。金剛でなければ、危うかったかもしれない。
実際、「金剛」も数発の直撃弾を受け、第2砲塔は旋回不能、舷側の副砲もいくつか吹き飛ばされていた。
「提督、ヒメ達も援軍で来てくれてみたいネー ここは一気にフィニッシュと行きたいところデース」
「そうだな。敵の数も減ってきている。今なら行けるだろう」
頷くと栗田は、「金剛」と「榛名」に進路の変更を命じる。
戦いは終盤に差し掛かりつつある。
だが、まだ終わった訳ではない。
作戦目的である「サラトガ」撃沈を成し遂げるまで、手を緩めるわけにはいかなかった。
「姫神」「黒姫」。そして「インディアナ」の間で、激しい砲火の応酬が成される。
第11戦隊の巡戦2隻は、自慢の速射能力を駆使して敵新鋭戦艦を攻め立てる。既に数発の直撃弾を得る事にも成功していた。
対する「インディアナ」は、まだ直撃弾は無い物の、レーダーを駆使した砲撃によって、着実に弾着を近づけて来ていた。
立ち上る水柱が視界を塞ぐ中、「姫神」の艦橋に立つ彰人は、一歩も引かないまま「インディアナ」をにら見据える。
前部甲板に集中配備された8門の30センチ砲が火を噴く。
ほぼ同時に、「インディアナ」も主砲を撃ち放つ。
空中で交錯する、互いの砲弾。
衝撃波が撒き散らされ、弾着する。
立ち上る水柱。
吹き付ける瀑布をを物ともせず、彰人は艦橋で微動だにしない。
その傍らに立つ姫神もまた、真っ直ぐに「インディアナ」を睨んでいた。
「命中弾2、確認!!」
「インディアナ」の甲板上で、命中弾炸裂の閃光が見て取れる。
しかし、それよりも彰人は、険しい表情を見せている。
「今のは危なかった・・・・・・・・・・・・」
今の「インディアナ」の一撃は、「姫神」のすぐ至近に落下した。もう僅かに照準がずれていたら、直撃を受けていた可能性が高かった。
「姫神」と「黒姫」の砲撃は確実に「インディアナ」に直撃弾を浴びせているものの、「インディアナ」は未だに弱った様子を見せず、むしろ照準は正確さを増してきている。
そこへ、更なる砲撃が落下する。
「姫神」の左右を包み込むように、砲弾が落下する。
その光景に、思わず彰人、姫神含めて、全員が凍り付く。
「狭叉されました・・・・・・」
姫神の言葉が、無情の響きを持って聞こえてくる。
次からは「インディアナ」の正確な照準が「姫神」を襲う事になる。
このままではまずい。
ギリッと、歯を噛み鳴らす彰人。
何か手段は・・・・・・・・・・・・
そう考えた時だった。
だしぬけに、「姫神」の後方から、強烈な閃光が放たれるのが見えた。
思わず、ハッとして振り返る。
そこには、探照灯を「インディアナ」目がけて照射する「黒姫」の姿がある。
「クロッ!!」
叫ぶ姫神。
彰人が照射を命じたわけではない。恐らく、艦長の成瀬中佐あたりが独断で照射を敢行したのだ。狭叉された「姫神」を助けるために。
一方、「黒姫」の艦橋では、艦長の成瀬京介が、闇の中で浮かび上がった「インディアナ」の様子を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。
彰人の予想通り、照射は京介の独断である。
もっとも「共犯者」がいたのも事実だが。
「これで良いんだな、黒姫?」
「うん。お姉ちゃんを守るのが、私の役目だから」
一切の迷いを見せず、黒姫は頷きを返す。
照射によって敵の目を引き付け、その間に「姫神」を安全圏まで逃がす。それを言い出したのは、他ならぬ黒姫本人だった。
「姫神」は第7艦隊の旗艦だ。ならば、何を持ってしても守り通さなくてはならない。
だからこそ、あえて囮になると決めた。
照射は行う方にとって諸刃の剣だが、同時にやられる方にも相当な圧力になる。何しろ、照射艦を排除しない限り、いつまでも闇夜に姿を浮かび上がらせ続ける事になるのだから。
まともな精神の持ち主なら、まず照射艦を潰しに掛かる筈。
そこまで計算しての独断専行だった。
その効果は、程なく現れた。
唸りを上げて飛んでくる砲弾の弾着が、先ほどよりも「黒姫」に近い場所へと落下するのが見える。
「インディアナ」が、目標を変更したあかしだった。
「よし、良いぞッ こっちも撃ち負けるな!!」
叱咤するように叫ぶ京介。
「黒姫」の主砲も、唸りを上げて放たれる。
「姫神」と合わせて、相当な量の砲弾を、既に「インディアナ」へ命中させている。
にも拘らず、未だに砲撃力の低下が見えない「インディアナ」。
激しい砲弾の応酬が交錯する。
次の瞬間、
ついに、「インディアナ」が放った一発が、「黒姫」を捉えた。
艦中央に、爆炎と衝撃が走る。
「キャァァァ!?」
悲鳴を上げて、激痛を堪える黒姫。
「損害報告!!」
「左舷、に敵弾命中!! 第2、第4高角砲損傷!!」
恐るべきは新鋭戦艦の威力である。
1発で左舷側の対空火力の半分をもぎ取られてしまった。
そこへ、更に畳みかけるように「インディアナ」の砲撃が殺到してくる。
その度に命中弾を浴び、破壊される「黒姫」。
「左舷、艦首損傷!!」
「カタパルトデッキに命中弾ッ 射出機使用不能!!」
「艦後部に直撃ッ 第2副砲損傷!!」
たちまち、全艦炎に包まれる「黒姫」。
だが、
それでも尚、照射だけはやめない。
「インディアナ」の砲弾がいくら命中しようとも、「黒姫」の探照灯が破壊される事は無かった。
「もう少し・・・・・・もう少し、で・・・・・・・・・・・・」
痛みに耐えて砲撃を繰り返しながら、黒姫が呟く。
その間にも、致死の砲弾は次々と降り注ぎ、彼女の艦体を容赦なく破壊していった。
「インディアナ」の砲撃を浴びて炎上する「黒姫」。
その様子は、先行する「姫神」からも確認する事が出来た。
それは、衝撃的と言っても良い光景である。
開戦から半年以上下経過し、大小多数の海戦に参加してきた第11戦隊。
その主力たる姫神型巡洋戦艦の2隻は今まで、様々な敵と交戦し、その全てに勝利してきた。
「姫神」と「黒姫」が大きな損傷を負う事など、今まで殆ど無かった。
その「黒姫」が今、一方的に砲撃を浴びて炎上していた。
「クロッ!! クロッ!!」
悲痛な声を、姫神が発する。
普段冷静な少女は、妹の惨状を目の当たりにして、感情の制御ができなくなったかのように叫ぶ。
「姫神ッ 落ち着いて!!」
「でも彰人ッ クロがッ!!」
彰人の制止も振り切るように、炎を発する「黒姫」を見る姫神。
このままでは「黒姫」が沈む。
大切な妹が、死んでしまう。
その事実が、姫神から普段の冷静さを奪っていた。
と、
「姫神ッ!!」
「ッ!?」
彰人は、そんな少女の肩を掴むと、強い語調で名前を叫んだ。
対して、肩を震わせて彰人を見る姫神。
「大丈夫だッ」
彰人は、真っ直ぐに姫神を見据える。
「僕の言う通りにするんだ。そうすれば勝てるッ 黒姫も助けられる」
その言葉に、姫神は顔を上げる。
少女は縋るように、彰人を見詰めてくる。
「本当に?」
「約束する」
彰人は頷きを返すと、姫神の肩を抱いて命令を下す。
「艦長より砲術ッ 主砲照準、下げ02!! 目標手前の海面を狙え!!」
その命令に最も驚いたのは、砲術長だろう。
思わず、確認の為に返答を返してきた。
「下げ02ですか・・・・・・しかし、それでは・・・・・・」
「下げ02だッ 良いから早くしろ!!」
いつに無く強い語調の彰人。
その剣幕に叩き付けられるように、砲術長は慌てて命令を実行する。
それまで性格そのものだった主砲の照準を僅かに下げ、「インディアナ」手前の海面を狙うように修正する。
「照準修正完了!!」
「第1、第2砲塔、装填良し!!」
「主砲、発射準備完了!!」
報告を受け、彰人は帽子を深く被り直す。
同時に、口を大きく開いた。
「撃てッ!!」
対して、リーは殆ど、自分達の勝利を確信していた。
増援として現れたヒメカミタイプの巡洋戦艦の1隻は既に大破し、海上に停止しようとしている。
もう1隻のヒメカミタイプは尞艦を掩護する為に盛んに砲撃を繰り返しているが、「インディアナ」は大きなダメージを負ってはいない。
「チェックメイトだ。帝国軍」
自身に満ちた表情で、リーは呟きを漏らす。
太平洋戦線では初となる、大規模な戦艦同士の激突。
その勝利の瞬間が間近に迫り、冷静沈着な提督も高揚を隠せない様子だ。
今回、彼の持論であるレーダーを用いた射撃技術が、大きな役割を示した。ならば、これからはもっと、レーダーが活躍する時代が来るだろう。
その時、「姫神」が放った8発の砲弾が着弾する。
しかし、その砲弾は全て、まるで力尽きるように「インディアナ」の手前へと落下した。
「フンッ とうとう焦って、ろくな照準も付けられなくなったか。帝国軍め」
吹き上がる水柱を見て、嘲笑するリー。
帝国軍の動きは末期的だ。あとは残敵を掃討するのみ。
そう思った。
次の瞬間、
だしぬけに、連続した衝撃が艦底部から「インディアナ」を襲い、リー、インディアナ以下、全員をなぎ倒した。
衝撃は1回では終わらず、次々と「インディアナ」を抉り、吹き飛ばしていく。
立ち上った水柱は、全部で5本を数えた。
「馬鹿なッ 魚雷だと!?」
愕然とするリー。
合衆国海軍でも知性派と言われる彼ですら、この事態を予測する事は不可能だった。
最前まで戦いを有利に進めていたのが、一気に至高の玉座から蹴落とされた形である。
いったい、何が「インディアナ」を襲ったのか?
潜水艦か?
駆逐艦か?
答えが出ぬ問答が、グルグルとリーの中で巡る。
だが、
実際のところ、「インディアナ」を襲ったのは、潜水艦でも駆逐艦でもなかった。
正体は「姫神」が放った91式徹甲弾だった。
ワシントン軍縮条約の結果、建造中だったいくつかの戦艦が廃棄処分にされる事になった。
その中で、船体状態まで完成していた戦艦「土佐」。
無事に完成していたら「加賀」の妹になっていた筈の艦を使用し、帝国海軍は貴重な実弾演習を行った。
まだ艦娘も宿っていない船体をリモートで動かして行われた実弾練習。
そんな中、目標の手前に落下した砲弾が、ある一定の条件で水中を魚雷のように直進し、舷側に命中した事が判明したのだ。
これを受け、開発されたのが91式徹甲弾である。
空中にある時は空気抵抗を排する為、先端の尖った被帽を被せて飛翔し、着弾と同時に衝撃で被帽が外れ、魚雷のような丸みを帯びた弾頭が出現。海中を直進して敵艦の舷側に命中するのだ。
砲弾を外して尚、命中を目指すという執念が生みだした砲弾だった。
姫神型巡戦の主砲弾は1発辺り400キロ。通常の魚雷に比べればはるかに威力が低いが、それでも装甲の薄い舷側を食い破り、浸水を引き起こすには充分だった。
「クソッ 馬鹿な・・・・・・ここまで来て!?」
傾斜を増していく「インディアナ」の艦橋で、リーは訳が分からず呻く事しかできないでいる。
今一歩のところまで届きかけていた勝利が、彼の手からすり抜けて砕け散る。
リーは決して無能な男ではなかった。それどころか、誰よりも冷静沈着で、緻密な計算の下に作戦を展開できる得難い人材だった。
だが、それでも計算を超えた何かが起こる事が、往々にして戦争にはあると言う事だ。
速力を落とす「インディアナ」。
そこへ、トドメとばかりに「姫神」の連続斉射が襲い掛かった。
第39話「妹たち」 終わり
敵空母2隻、戦艦4隻、巡洋艦3隻、駆逐艦6隻、撃沈確実。空母1隻、戦艦1隻、駆逐艦2隻撃破。
我が方の損害、戦艦「陸奥」「霧島」沈没、空母「翔鶴」「飛鷹」「瑞鳳」、戦艦「長門」「比叡」、巡洋戦艦「黒姫」、重巡洋艦「筑摩」、駆逐艦「響」「綾波」「村雨」大破、戦艦「金剛」、重巡洋艦「愛宕」「摩耶」、駆逐艦「朝雲」「天津風」中破。艦載機喪失6割、大破出撃不能2割。
トラック環礁に停泊していた「大和」へ届けられた電文には、そうあった。
その電文が読み上げられた時、山本以下、連合艦隊司令部の全員が、顔面を蒼白にしていた。
作戦立案者の黒鳥などは、殆ど魂が抜けたように呆然となっている。
勝つには勝った。
自軍の損害を上回る被害を合衆国軍に与え、撃退する事には成功した。
それは間違いない。
しかし、その代償はあまりにも大きかった。
主力となる艦載機はほぼ壊滅状態。更に、基地航空隊も戦力の8割を失ったと言う報告が来ている。
事実上、帝国海軍の航空隊は、この一戦で消滅したに等しかった。
何より「陸奥」が、
長年、帝国海軍の象徴とも言うべき存在だった長門型戦艦の1隻が失われた事は大きかった。
連航艦司令部から送られてきた電文の末尾には「エスピリトゥサント、並びにエファテ攻略の目途立たず。作戦中止が至当と認む」とあった。
戦術的には帝国海軍の勝利で間違いない。
しかし、戦略的には紛う事無き惨敗だった。
「長官」
電文を読んだ宇垣が、山本に声を掛けた。
「この上は、作戦を中止すべきです。既に連航艦は、事実上の戦闘力を喪失したと判断します」
艦載機を失った空母は、砲弾を失った戦艦と同じで何の役にも立たない。
最後の切り札だった戦艦部隊も、昨夜の夜戦で壊滅的な被害を受けた。
この損害を回復するには、最低でも半年はかかるだろう。それも、その間に敵の大規模攻勢が無ければ、の話である。
これ以上の交戦は、事実上不可能だった。
顔を上げる山本。
その生気を失ったような目が宇垣を見る。
「そうだな、この作戦は・・・・・・・・・・・・」
「いえ」
山本の言葉を遮るように宇垣は言った。
「この作戦では無く、米豪遮断作戦その物を中止すべきだと、私は考えます」
「馬鹿なッ 何を言っておられるのか参謀長は!?」
声を上げたのは黒鳥である。
自身が精魂込めて推し進めてきた「作品」である米豪遮断作戦を真っ向から否定され、頭に血が上っている様子だった。
「今回の作戦が中止になるのは仕方がない事でしょう。既に戦力を喪失した連航艦を後退させる事には、私も異議はありません。しかし、米豪遮断作戦を注視する必要があるとは思えませんッ」
語気を強めて詰め寄ってくる黒鳥。その目は血走り、殆ど正気を失っているようにも見えた。
「半年経てば、また戦力は回復しますッ それで今度は目標をエファテに変更すれば良い。そうすれば、今度こそ・・・・・・・・・・・・」
「不可能だ」
言い募る黒鳥の言葉を、宇垣は断言するように言った。
「半年後、我が軍が攻勢を再開する頃には、南太平洋に展開する敵軍は更に強大になっている事は疑いない。そうなれば、攻略はさらに困難になるだろう。対してこちらは、今度は戦力の集中ができない。エファテはガ島からもラバウルからも遠すぎる」
宇垣の言葉は真実である。
今回、帝国海軍は連航艦と基地航空隊が連携する事で、敵軍と同等の航空戦力を揃える事に成功した。
だが、戦場がエスピリトゥサントよりも更に南にあるエファテに移れば、もはや基地航空隊の参戦は不可能である。
そうなると、連航艦単独で戦いを挑む事になるが、それがいかに困難であるかは、今回の戦いを見れば明白だった。
最悪、攻勢を継続した場合、帝国軍は虎の子の決戦兵力である連航艦をも失いかねなかった。
「お言葉ですが、参謀長の御意見は、飛躍のし過ぎではないでしょうか?」
黒鳥は尚も、反論をこころみた。
「半年後、敵軍が強化されると言うのはただの予測に過ぎません。それに今度は、陸攻隊もガ島に進出させるように手を打ちます。それで、もう一度攻勢を掛ければ、今度こそは・・・・・・・・・・・・」
「データに基づいた予測だ」
宇垣は再度、黒鳥の言葉を遮る。
「この作戦が始まるまで、我が軍はエファテに敵の大軍が集結している事を全く見抜けなかった。事前の情報収集でも、そのような報告は全くあげられてこなかった。つまり敵軍は、ほんのわずかな期間で、エファテをエスピリトゥサントをも上回る航空要塞に仕立て上げたのだ。ならば半年後、更に要塞化が進んでいるであろう事は疑いない」
「ですが、それでも・・・・・・」
「加えて、それでエファテを取れたとしても、その先にはニューカレドニアやフィジー・サモアがある。エスピリトゥサント攻略にすら、これだけ時間を掛けて、尚、失敗した我々に、更に強大な敵拠点群を攻略する余力があると思うか?」
宇垣の言葉に、一同は沈黙を余儀なくされた。
エファテを取れなければ、ニューカレドニアも、フィジー・サモアも取れない。そしてそれらの拠点を取れなければ、米豪遮断は完成しない。
それに、
あえて宇垣は口にしていないが、もう一つ、重大な事実がある。
それは、仮に全ての作戦が上手く行き、米豪遮断作戦が成功したとしても、それで戦争が終わる可能性は低いと言う事だ。
米豪遮断作戦はあくまで戦争の過程にある作戦に過ぎず、アメリカとオーストラリアの連絡線を切断し、オーストラリアを連合国から脱落させる事が目的である。
確かに成功すれば政治的効果は大きいが、主敵であるアメリカはそれで損害を被る訳ではない。せいぜい、南太平洋における拠点を失う程度だ。
仮にオーストラリアを失ったとしても、太平洋にはまだハワイがある。そちらを起点に攻勢に出て来る事は疑いなかった。
なのに帝国軍は、一連の戦いで多くの物を失い過ぎた。
航空機、艦船、物資、時間、そして人間。
それらはもはや、取り返す事ができない物である。
特に今回、航空隊の消耗が激しすぎた。
それも、ただのパイロット達ではない。全員が開戦前から活躍していたベテランたちであり「どこの国に行っても教官を務められる」とまで称された、宝石よりも貴重な一騎当千のパイロット達が、である。
これらの損害回復は急務である、もはや、攻勢を掛けている余裕など無かった。
「では、参謀長は、如何にするべきと思っているのかね?」
それまで黙っていた山本が、口を開いた。
対して宇垣は、上官を真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「速やかに戦線を縮小して敵の攻勢に備えると同時に、失われた戦力の再建を急ぐのです」
言いながら、宇垣は彰人の顔を思い浮かべた。
今、宇垣が言った戦略は全て、彰人が前々から上伸していた物である。
結局、あいつが一番正しかった訳か。
皮肉交じりの自嘲を漏らす宇垣。
「しかし参謀長。撤退と言いましても簡単にはいきません。こちらの撤退行動を察知した敵が、攻勢をかけてくる可能性があります」
宇垣の言葉に対し、参謀の1人が懸念を向けて来た。
確かに。こちらが背中を見せれば、敵はこれ幸いと攻勢をかけてくるのは目に見えている。
本格的な敵の反抗はまだ先になるだろうが、それでも限定的な攻勢を仕掛けてくるのは十分予想できた。
それに対して、
「大丈夫です」
少女が、控えめに、しかし力強く言い放った。
一同の視線が集中する中、大和は静かに口を開く。
「今度は、私が行きます。皆さん、異論はありませんね?」
普段控えめな少女が見せる底知れぬ迫力に、一同が慄き、声を失う。
可憐な姿をしていても、彼女は世界最大・最強の戦艦だと言う事を思い出さずにはいられなかった。
その時だった。
「会議中、失礼いたします」
扉が開き、兵士が電文を携えて駆け込んで来た。
「ラバウル基地から緊急通信ですッ 読みますッ 《我、敵の大規模空襲を受く。ただちに救援を乞う》!!」
その報告に、一同の間に戦慄が走った。
降りしきる爆弾が基地施設を破壊し、滑走路を粉砕していく。
南太平洋海戦に参加し、辛うじて生き残った航空部隊も、容赦なく爆砕されていった。
この日、ラバウルに来襲した敵機は、300機以上を数えた。
合衆国軍は帝国軍の目をエスピリトゥサントに引き付ける一方、密かに戦力を別の場所にも集結させていたのだ。
その場所はパプア・ニューギニア南部、ポートモレスビー。
かつて、帝国海軍が攻略に失敗した地である。
珊瑚海海戦を中途半端な結果に終わらせたツケが、このような形で巡ってきていた。
対して、エスピリトゥサントばかりに目を奪われていた帝国軍は、正に伸びきった戦線の横腹を突かれた形であった。
そして、それは同時に、開戦以来、攻勢を維持し続けてきた帝国軍の戦線が、ついに崩壊した瞬間でもあった。
聞こえてくる潮騒。
頬を撫でる、優しく温かい手。
その感触に、霧島は僅かに目を開いた。
うっすらと、明るくなる視界。
その中で、
最も敬愛するの長姉が、柔らかい笑顔を浮かべて覗き込んでいた。
「グッモーニング、霧島」
「あ・・・・・・お姉さま・・・・・・」
起き上がろうとして、
霧島はもはや、自分の体が全く動かなくなっている事に気が付いた。
彼女の体は床に横たえられ、金剛によって抱きかかえられていた。
既に夜の帳は去り、遥かな海上に曙光が昇ろうとしている。
その光りを受け、金剛は末の妹に優しく笑い掛けていた。
「ここは、どこですか?」
「私の甲板の上ネー。霧島の事は、クルーの人が、ここまで運んでくれマシタ」
言ってから、金剛は僅かに視線を上向かせ、水平線へと目を向ける。
そこでは、完全に横転した「霧島」の姿があった。
既に横倒しになった艦橋まで水に浸かり、艦体の半分以上が海面下に没していた。
そこでふと、霧島は気になった事を口にする。
「そう言えば・・・・・・比叡お姉さまは、どうなりましたか?」
「ドントウォーリー」
金剛は安心させるように、霧島の髪を撫でる。
「一時は危なかったデスガ、今は何とか持ち直しマシタ。霧島が頑張ってくれたおかげネー」
「お姉さま・・・・・・・・・・・・」
尊敬する姉に褒められ、嬉しそうに笑う霧島。
実際この時、「比叡」は大破しながらも一命は取り留め、曳航の準備が進められている所だった。
良かった。
本当に、良かった。
そう呟いたつもりだったが、霧島は徐々に自分の耳が遠くなっていくのを感じ、夢と現の境が判らなくなるのを感じた。
「少し疲れましたカ霧島? 安心するデース。あなたが眠るまで、ずっとこうしていてあげますから」
最後に、優しい姉の声を聞きながら、
霧島は、徐々に近づいてきた虚無の闇へと、自らを委ねていった。
「陸奥」は、艦首から前のめりになるように、海中へと引き込まれようとしていた。
既に第1、第2砲塔は水没し、海面は艦橋の前まで迫っている。
その傾いた艦橋に立ち、陸奥は静かな笑みを浮かべていた。
「長門達は・・・・・・そろそろ着いたかしらね」
彼女の姉は、今この場にはいない。
彼女は彼女の務めを果たすために行った。
その栄えある後ろ姿を見送る事が出来たのは、妹として、そして2番艦として最高の栄誉と言って良かった。
「勤めは・・・・・・これで、果たせたわよね」
姉を守り抜き、最高の砲撃戦を戦い抜いた。
戦艦として生まれ、戦艦として生きて来た者にとって、それはこの上ない程の幸福と言って良かった。
「ああ・・・・・・でも・・・・・・・・・・・・」
心の内に浮かんだ、ほんの少しの後悔に胸を疼かせる。
「あの子と、もう少しだけ、この海原を一緒に駆け巡りたかったわね」
目を閉じればいつでも、その姿は克明に浮かんでくる。
流れるような黒髪を靡かせた、美しい立ち姿。
いかなる戦国武将よりも凛とした印象のある武人。
自分にとって、最高以上に最高の姉。
「がんばってね・・・・・・・・・・・・長門」
海の彼方にいる姉に、陸奥は小さくそう呟いた。
炎上し、傾斜した空母を前にして、長門は静かに目を開いた。
苦しい戦いだった。
日米双方ともに多大な犠牲を出した戦いは、辛うじて帝国軍の勝利に終わり、そして暁を迎えると共に、長門達はついにこの場所に到達していた。
周囲には戦艦「榛名」と、旗艦「愛宕」及び「高雄」「摩耶」の重巡3隻、そして「神通」以下、第2水雷戦隊の各艦が控えていた。
視線の先では、傾斜したまま漂流している「サラトガ」の姿がある。
昨夜の夜戦において、合衆国軍を下した第2艦隊は、ついに最重要目標である空母「サラトガ」を、射程距離内に捉えたのだ。
周囲に合衆国軍艦艇の姿は無い。どうやら、主力艦隊が敗れたと言う報せを聞いて、退避したらしかった。
「長門、では・・・・・・」
「ああ」
艦長に促され、「長門」の前部甲板に残った2基4門の40センチ砲が旋回し、「サラトガ」に指向する。
「サラトガ」の介錯は「長門」がする。
それは第2艦隊司令官の近藤に要望し、既に了承も得ていた。
これは、長門なりの幕引きだった。
元はと言えば「サラトガ」は、合衆国海軍が帝国海軍の「八八艦隊計画」に対抗して立案した「ダニエルズプラン」に則って建造された艦である。つまり、ほんの少し歴史が変われば、「サラトガ」は戦艦として完成し、「長門」と砲火を交えていたかもしれないのだ。
そのような艦にトドメを刺す役割は、自分であるべきだと思っている。
それが、死にゆく者への、せめてもの手向けだった。
やがて、照準は完了し、主砲弾の装填も終わる。
「・・・・・・陸奥」
そっと、妹の名を呟く。
「この砲撃は、お前に捧げさせてもらう」
昨夜の戦いで、「長門」を庇い、瀕死の重傷を負った陸奥。
その陸奥の助けがあったからこそ、自分は今、この場に居られる。
その事実を噛みしめ、長門は「サラトガ」を睨む。
その瞳から一筋、涙が零れ落ち、陽光に反射して煌めいた。
長門達が「サラトガ」の捕捉に成功している頃、第7艦隊の各艦は、針路を北に向け、微速でゆっくりと航行していた。
「島風」と第6駆逐隊の「暁」「雷」「電」は、前方で単横陣を敷き、対潜警戒に当たっている。
そして傷ついた「黒姫」は「姫神」が、「響」は「阿賀野」が曳航する形で、それぞれゆっくりと北へ進んでいた。
「これから、どうなってしまうのでしょうか?」
姫神は、背後に立つ彰人に、そっと尋ねる。
ここは「姫神」内にある、彼女の私室である。
そこにある姫神のベッドの上では今、運び込まれた黒姫が静かな寝息を立てて眠りについていた。
開戦の後、曳航準備が完了するまでにこちらに連れて来てもらったのだ。
既に軍医の治療も終わり、今は安らかな眠りについている。
そんな黒姫の髪を、姫神は優しく撫でてやる。
「・・・・・・・・・・・・占領地を捨てて撤収する。内南洋の拠点を要塞化して、来る敵を迎え撃つんだ」
先程の質問に対し、彰人は答える。
それは、ミッドウェー以後、彰人が強く主張する防衛線構想だった。
「中部太平洋決戦に敗れ、米豪遮断にも失敗した僕達に取れる手段は、もうそれしかないよ」
思えば、この戦争は最初から間違いだらけだった。
真珠湾を攻撃したのも、攻勢を取り続けたのも。
そもそも帝国海軍は、長年にわたって内南洋以西における迎撃戦を戦略としてきたのだ。作戦も、補給計画も、艦艇や航空機の建造計画に至るまで、全てが迎撃戦向けの艦隊として仕上げられていたのである。
それが開戦直前になって攻勢計画にすり替えられたあげく、無理な侵攻作戦を続けた結果が今日の体たらくである。
今から間に合うかどうかは判らない。しかし、今度こそ正道に戻す必要があった。
慈しむように黒姫を看病する姫神の姿を見ながら、彰人は強くそう思うのだった。