蒼海のRequiem   作:ファルクラム

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第49話「巨壁」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 富士宮康弘(ふじのみや やすひろ)

 

 今上天皇の外戚に当たる皇室関係者であり、同時に現在の帝国海軍において唯一、元帥の階級を持つ者である。

 

 若い頃から海軍士官として活躍、日露戦争の時には、当時の連合艦隊旗艦「三笠」に分隊長として乗艦。後部30センチ砲の射撃指揮を執った。

 

 戦争中盤における黄海海戦において負傷した際、負傷した自分の治療を優先しようとした軍医に対し、その措置を断り、より重傷者の治療を先に行うように指示を出した事は有名である。

 

 このようなエピソードがある事から、皇族でありながら、下級兵士にも気を配る親しみやすい好人物、と言う評価がある。

 

 しかしその一方、軍拡時代に海軍の要職に就くと、海軍の規模拡大に奔走。同時に自身の権力強化をも図り、徐々に自身の子飼いとなる勢力を拡大していった事も有名である。。

 

 今では富士宮派閥は海軍の大半、特に軍政・戦略に関わる海軍省や軍令部を掌握するに至っている。のみならず、その影響力は陸軍や政界、財界、情報界、司法にまでおよび、帝国その物を牛耳る勢いで、今なお拡大を続けていた。

 

 既に実戦から遠ざかって久しい身であるが、その威厳と貫禄は損なわれる事無く、「影の提督」「海軍の黒幕」とまで噂されている。

 

「本日は、遠い所をよくぞ来てくれた」

 

 重々しい言葉が、重厚な音声でもって発せられる。

 

 現役唯一の元帥、海軍の事実上のトップと言える存在は、ただそこにいるだけでも、恐るべきプレッシャーとなって襲ってくる。

 

 姫神などは、普段の茫洋とした態度を保てず、顔を青褪めさせて彰人に寄り添っていた。

 

 少女は、目の前の「巨人」が発する存在感に当てられ、完全に委縮してしまっているのが判る。

 

 対して、

 

「お招きには応じましたが、聊かやり方が強引すぎるように感じられましたが?」

 

 当の彰人はと言えば、どこか飄々とした態度で富士宮と対峙する。

 

 その口元には薄く笑みすら浮かべている。要するに、殆ど普段と変わらない態度だった。

 

 その彰人の様子に、富士宮は僅かに眉根を吊り上げるが、それ以上は何も言わずに続けた。

 

「成程、噂通りの男のようだな」

 

 その喉が、僅かに鳴るのが判る。どうやら、彰人の態度に対し苦笑している様子だった。

 

「水上彰人大佐。現第7艦隊司令官。戦前より水上艦に寄る通商破壊戦を中心とした海上ゲリラ戦を主張。開戦後は指揮下の第11戦隊を率いて奮戦。開戦初頭には空母『レキシントン』、戦艦『コロラド』等を撃沈。その後も最前線で活躍を続ける・・・・・・・・・・・・」

 

 どうやら、彰人達の事を随分とくわしく調べて来たらしかった。開戦後の活躍はともかく、開戦前の主張についてまで調べられるとは思って無かった。

 

 流石は、海軍の影の提督などと呼ばれるだけの事はある。

 

 彰人は腹の中でそんな風に考えた。

 

「赫々たる活躍ぶりだな。その戦果に違わず、性格の方も随分と豪胆らしい」

「ありがとうございます」

 

 富士宮の言葉に対し、彰人は頭を下げる。

 

「けど、それらは全て、僕だけで上げた戦果じゃありません。全て艦の乗組員や補佐してくれる幕僚達、僚艦の艦長、それに・・・・・・」

 

 彰人は、傍らの姫神の頭を撫でてやりながら続ける。

 

「この、姫神の助けがあったから、ここまでやって来れた事です」

 

 彰人のその言葉に、富士宮は深く頷きを返す。

 

「確かに。海軍士官と艦娘の関係は、切っても切れない物がある。提督と呼ばれる程の者であるならば尚更だ。提督と艦娘がしっかりとした意志の疎通を行ってこそ、真の力は発揮される。私自身も、経験がある事だ」

 

 どこか遠い目をする富士宮。

 

 だが、すぐに視線を彰人達に戻した。

 

「全ての帝国海軍軍人、そして艦娘達が国の為に戦ってくれれば、この帝国をよりよく発展させる事ができるだろう。そこで、水上大佐、貴様に尋ねるが・・・・・・」

 

 睨みつけるような視線を浴びせる富士宮。

 

 彰人もまた、それを迎え撃つように視線を交わす。

 

「貴様は当初より、占領地の放棄と勢力圏への撤退を連合艦隊内部で主張し続けて来たと言うが、それは本当の事か?」

「当初、と言うのがどのあたりからの事を差しているのかは判りませんが、確かにそれに相当する主張をしましたね」

 

 こちらの事を調べているのなら隠しても仕方が無いので、彰人は正直に答える。

 

 もっとも、元より彰人は自分の主張が間違っているとは思っていないのだが。

 

 対して、富士宮は眼光の鋭さを増しつつ、彰人を見やる。

 

「随分と、軽率な発言であると思わんのか?」

「何がですか?」

 

 相変わらず飄々とした態度で、質問に質問を返す彰人。

 

 対して富士宮は僅かに目を細めつつ続ける。

 

「我が軍は、この帝国を繁栄させ、もってアジアに千年続く王道楽土を完成させる為に戦い続けているのだ。しかるに、貴様のように前線で戦う指揮官が弱腰の態度を見せているようでは、兵士達の指揮にも関わると思わんか?」

 

 別に弱腰な心算は無いんだけどな。などと考えつつ、彰人は富士宮に真っ向から視線を放って言い返す。

 

「ご質問に答える前に殿下、試みにお尋ねしてもよろしいでしょうか?」

「何だ?」

 

 問いかける彰人に対し、重々しく促す富士宮。

 

 対して、彰人は自身の内にある考えを纏めるように、ゆっくりと口を開く。

 

 相手は海軍のトップであると同時に、皇族でもある。下手な事を言えば、海軍大佐程度の首などすっ飛ばす事は容易いだろう。

 

 しかし、

 

 彰人はそこら辺を、まるで頓着することなく口を開いた。

 

 ある意味、水上彰人と言う人物の人間性を如実に表した光景であると言える。

 

 相手が誰だろうと、態度を変えない。勿論、礼を失するような真似はしないが、どのような人物を前にしても、決して揺らぐ事が無く、自身の主張を保ち続ける事が彰人のスタイルであると言えた。

 

「殿下のおっしゃられた、王道楽土とは、どのような形の物を差しているのでしょうか?」

「・・・・・・・・・・・・ふむ」

 

 問いかける彰人に対し、富士宮は頷いて口を開いた。

 

「我が帝国が西欧列強と肩を並べられる世界。そして、西欧列強に属する者共が、我々日本人に対し頭を下げずにはいられない世界。それが、私の目指す王道楽土だ」

 

 先に産業革命を迎え、文化を発展させた西洋に比べ、文明開化の遅れた東洋はどうしても下に見られがちである。それは、アジア一の軍事力を誇る帝国と言えども例外ではなかった。

 

 だから、その状況を覆す。

 

 西洋が東洋の上に来るのではなく、東洋が西洋の上に立つ世界を作る。

 

「その頂点に立つべき存在こそが、我が帝国であるべきなのだ。そして、我が帝国海軍は、その理想を実現するためにある組織なのだよ」

 

 自身の理想を訥々と語る富士宮。

 

 対して、彰人は彼の言葉を聞いて頷くと、顔を上げる。

 

「なら、僕の考えは殿下の理想から外れる物ではないと思います」

「・・・・・・なに?」

 

 その答えは予期していなかったのだろう。富士宮は訝るように彰人を見る。

 

 巌の如き表情には、どこか怒りがわき出ているようにも見える。

 

 戦って武威を示そうとしている自身の考えと、目の前の若造が掲げる弱腰の撤退論が同列と言われ、どこかプライドを傷つけられたような気さえしているのかもしれない。

 

 だが、彰人は更に続ける。

 

「戦争は守る方が有利なのは言うまでも無い事です。自分達の勢力圏をしっかりと確保し、どんな敵が来ても撃退できる万全の態勢を築き上げる。強大な敵を何度も撃退すれば、それは帝国軍の武威向上につながる事は間違いないです」

 

 これは、彰人の海軍軍人としての思考から導き出した、確固たる思想と言って良かった。

 

 国を守る為には、攻めるのではなく守るべき。それが彰人の考えである。

 

 現に合衆国軍は南太平洋において、鉄壁の防衛ラインを敷き、戦力的に優勢な帝国軍を迎え撃ち撃退している。

 

 だが、本来ならその戦い方は、帝国海軍が取るべき戦略だった。

 

 もし開戦初期でその戦略を取っていたなら、戦争はここまで泥沼化する事無く、あるいはほんの数か月の「紛争」レベルに留まっていたかもしれないと彰人は考えていた。

 

「情けない事を言うな」

 

 対して、富士宮は彰人の考えをバッサリと斬り捨てる。

 

「戦争とは生存圏の争いでもある。より多くの領土を獲得し、国土を広げる事で初めて勝利と言えるのだぞ」

「そうは思えませんね」

 

 彰人は真っ向から言い返した。

 

 それに対し、

 

 富士宮の顔が、明らかな怒気に包まれた気がした。

 

 この時、富士宮の取り巻きであるなら、床に這いつくばって彼に許しを請う場面であろう。海軍の影の提督が持つ影響力は想像を絶しているのだ。

 

 だが、彰人は笑顔のまま、彼の怒気を受け流す。

 

「戦争とは、あくまで国と、そこに住む人々を守る為に止む無く起こす物です。決して他国を侵略する為に拡大して良い訳ではありません」

「多くの領土を獲得すれば、それだけ本土の守りは厚くなる。それだけ、国の安全が確保できるはずだ」

 

 国土を多く持つ事で敵の侵略を防ぎ、本土を守る、と言うのは古来からある戦略である。

 

 しかし、

 

「海に囲まれた帝国では、その戦略は通用しません。広い海面の全てに防衛ラインを張る事はできませんからね」

 

 海の上では、その戦略を適用する事はできない。なぜなら、海の上では監視は艦船や飛行機頼みとなり、敵はいくらでも警戒ラインをすり抜けて勢力圏へと入って来れるからだ。

 

 また、帝国軍の保有する戦力で、広げ過ぎた勢力圏を防衛する事は不可能に近い。

 

 領土を拡大すれば、それだけ増えるデメリットの方が大きいのだった。

 

 海に囲まれた帝国では、領土を拡大すればするほど不利になる。と言うのが彰人の考えである。

 

「戦争は負ければ終わりです。やる以上は必ず勝たなくてはならない。だから、必ず勝てる体勢を整える必要がある。海に囲まれた帝国が勝つ為には、勢力圏を縮小して防衛ラインを強化し、同時に、敵がどこに攻め込んで来たとしても監視と戦力の集中を行って即応できるようにしておくことが重要だと僕は考えています。だからこそ、今必要なのは、広げ過ぎた戦線を縮小する事なのです」

 

 説明を終えた彰人は、ジッと富士宮を見る。

 

 自身の言いたい事は言い終えた。あとは相手の反応を待つだけである。

 

 対して、富士宮は目を閉じ、腕を組んだまま身じろぎすらしていない。どうやら、彰人の言葉の意義について考えている様子だ。

 

 ややあって瞼を開き、彰人をジロリと睨みつけて来た。

 

「残念だが、貴様の言っている事を受け入れる事はできん。日露戦争以来、我が国は常に領土を拡大する事で国の守りを固めて来た。それを今更変える事は亡国へと繋がるだろう」

「日露戦争の頃は確かに、南下政策を取る巨大なロシア軍に対し、まだ発展途上だった帝国は国土が狭く、防衛拠点となる外部領土が必要でした。しかし、第1次世界大戦で戦勝国に名を連ね、多くの領土を獲得できたことで、国土としての発展は充分すぎるくらいに発展したと言えます。ならば最早、次の段階に移行したと判断するべきです」

 

 発展した領土を外敵から維持するための戦い。

 

 それこそが、本来の帝国のあるべき戦略だと彰人は信じていた。そもそも、領土を広げて防衛力の強化を図ると言うのは陸軍的な考え方である。海軍の軍人であるなら、海を渡ってくる敵に対して艦隊の機動力を駆使した防衛戦略を考えるべきなのだ。そして機動防衛戦法を取る為には、来寇した敵に即応する時間や補給の面を考えると、戦線は狭い方がむしろ有利である。

 

「僕は自分が『戦術家』であると同時に、まあ、こっちは自称ですが『戦略家』であると思っていますが、政治的な事にはあまり興味ありません。あるいは、そっちの思考もできる人間なら、殿下のご意見にも賛同するかもしれませんが、軍人である僕がまず考えるべきは、如何にして敵に勝つか、と言う事と、勝つ為に必要な物は何か、と言う事ですから」

 

 「軍人は政治に関与すべからず」

 

 最近では隔たりが曖昧になってきているが、軍事、政治、司法は本来独立した形でなくてはならない物である。帝国海軍の軍人たちには、その事を美徳している物が多いが、彰人もそうした軍人の1人だった。

 

 彰人を睨みつける富士宮。

 

 対して彰人は、全てを圧倒するような強烈な眼光を真っ向から受け止める。

 

 その揺るがぬ瞳。

 

 信念を宿す眼光は、穏やかな雰囲気を持ちながらも真っ直ぐに富士宮を見据えて放さない。

 

 ややあって、

 

 視線を逸らしたのは富士宮の方だった。

 

「・・・・・・成程な。顔に似合わず、随分と頑固な性格の持ち主のようだ」

「恐れ入ります」

 

 頭を下げる彰人。

 

 海軍の影のトップに対し随分と失礼な物言いである事は自覚しているが、相手が誰であろうと、彰人は自分の考えを曲げる気はない。

 

 相手の存在如何で節を曲げているようでは到底、信念など語れなかった。

 

「あい分かった」

 

 そう言うと、富士宮は立ち上がる。

 

 富士宮は自分の考える道こそが、帝国を発展させると信じている。

 

 だが彰人は、富士宮とは全く真逆と言える考えを持っている。

 

 目の前の青年提督と自分は、全く別の物を見て歩いている。その道が交差する事はあり得ない。

 

 その事が、富士宮にははっきりとわかった。

 

「本日は有意義な時間だった。気を付けて帰るがよい」

「あ、あの・・・・・・・・・・・・」

 

 呼び止めようとする彰人を無視して、富士宮は踵を返すと部屋を後にする。

 

 後には、取り残された彰人と姫神が、ポカンとして顔を見合わせるのだった。

 

 一方、廊下に出た富士宮の背後に、隣の部屋に手控えていた永野が素早く続く。

 

「永野よ」

「ハッ」

 

 呼びかけに対し、歩きながら首を垂れる永野。

 

 対して、富士宮も歩きながら言葉を続ける。

 

「あの者を同志に引き入れるのは諦めよ。あ奴は線の細さとは裏腹に、胸の内に固い信念があると見た。それも、我らの志とは異にする物をだ。あのような者を同志に引き入れたとしても、いずれは我等に害をなす猛毒になるであろう事は目に見えている」

「ハッ 承知したしました。では、今一方の計画を進めたいと存じます」

「うむ。良きに計らえ」

 

 そう言い置くと、低頭する永野を置いて、富士宮は奥にある離れへと歩いて行く。

 

 その後ろ姿を見送る永野。

 

 しかし、

 

 その双眸が、怪しく光っている事に、富士宮は気付いていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 富士宮邸を後にし、彰人と姫神は連れて来られた時と同様、車に乗せられて帰路についていた。

 

 結局、今回の会談は何だったのか?

 

 事実だけを鑑みると、

 

 皇族であり、海軍のトップが、提督とは言え一介の大佐と艦娘に会う為に、このような拉致まがいの行為をした事になるのだが・・・・・・・・・・・・

 

「どうやら、僕達は品定めをされたのかもね」

「品定め、ですか?」

 

 彰人の言葉に、姫神は首をかしげる。

 

 自分達を見て、いったい富士宮は何を成そうとしたのか?

 

 そこら辺は流石に、彰人にも推測できない。

 

 しかし、富士宮が何かの目的でもって、彰人に対して問答を仕掛けて来たのは確かだったようだ。

 

「まあ、どうやら僕は不合格だったみたいだけど」

「そうなのですか?」

「もし合格だったら、今ごろ何らかの形でスカウトが来ていただろうからね」

 

 恐らく軍令部か海軍省、あるいは艦政本部あたりのポストを用意されて中央への栄転を言い渡された事だろう。そして以後は、富士宮派閥の体制強化の為に働く事になっただろう。

 

「ごめんだね、そんなのは」

「?」

 

 怪訝そうに首をかしげる姫神を見やりながら、彰人は苦笑する。

 

 彰人は、今の自分の立場が気に入っている。

 

 自身の采配によって艦隊を動かし、敵と激しく干戈を交える前線勤務が性に合っている。それに比べれば、軍令部や海軍省で机に向かって書類処理ばかりしている仕事など、退屈極まりない物である事は想像に難くなかった。

 

 戦争が愚かな行為であると言う認識はあるし、帝国軍が徐々に苦しい立場に追いやられつつあることも自覚している。

 

 しかし、それでも尚、彰人は自分の中で戦略を考え、艦隊を指揮する事への喜びを否定できなかった。

 

 我ながら、救い難い性分である事も自覚しているが。

 

 そこでふと、彰人は思い出したように姫神を見て、笑みを浮かべた。

 

「まあそれに、僕としては全く収穫が無かった訳でもないし」

「何ですか、急にニヤニヤして?」

 

 不審者を見るような眼差しを彰人に向ける姫神。

 

 対して彰人は、面白そうに続ける。

 

「君の、あんな可愛い姿が見られたからね」

 

 その脳裏では、先程の会談の場における姫神の姿が思い浮かべられていた。

 

 富士宮の存在感に当てられ、完全に委縮してしまっていた姫神。

 

 まるで雨に濡れた子猫のように震え、彰人にしがみついて離れようとしなかった姿は、見ていて痛々しく思うと同時に、何となくかわいいと思えるのだった。

 

「敵戦艦から40センチ砲弾を喰らっても怯まなかった君でも、怖くてビビる事もあるんだね」

「ビビッてません」

 

 否定する姫神。

 

 しかし、先程の明らかに委縮した姿を見られている事を考えると、明らかに分が悪かった。

 

「今日は新鮮な気分を味わえたね」

「怒りますよ」

 

 プクッと頬を膨らませる姫神。

 

 彰人の笑顔に、ここまでムカついたのは初めての事かもしれなかった。

 

 だが、姫神がそれに対して何かリアクションを取ろうとした時だった。

 

 突如、車がブレーキを掛けて急停車する。

 

「うわッ!?」

「キャッ!?」

 

 思わず、つんのめる彰人と姫神。

 

 彰人はとっさに姫神の小さな体を支えて投げ出されないようにすると、運転手に抗議するべく顔を上げる。

 

「あの、何を・・・・・・・・・・・・」

 

 言い掛ける彰人。

 

 だが、そこで驚いた。

 

 何と運転手は、車内に2人を置き去りにして、そのまま出て行ってしまったのだ。

 

「何だ・・・・・・・・・・・・?」

 

 訳が分からず、首をかしげる彰人。

 

 その時だった。

 

「彰人、あれをッ」

 

 緊張をはらんだ姫神の声に、彰人は振り返る。

 

 そこには、

 

 闇夜に浮かび上がるように、赤々と燃える松明が1本、また1本と増えていく様子が見られた。

 

 その数、10人以上、否、20人以上はいるように見える。

 

 状況から判断して、明らかに友好的な相手でない事は間違いなかった。

 

 彰人はとっさに、運転席を確認する。

 

 可能なら、自分がこの車を運転して逃げようかとも思ったのだが。

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

 舌打ちする。

 

 既にキーは抜かれていた。どうやら先に逃げた運転手が持って行ったらしい。と言う事はつまり、この事態は何らかの計画に基づくものであるらしかった。

 

「・・・・・・・・・・・・仕方がないね」

 

 彰人はドアノブに手を掛ける。

 

 その手が、後ろから引かれた。

 

「彰人、それは危険です」

 

 不安そうに声を上げる姫神。

 

 相手が誰で、どのような目的で近付いてきたの変わらない以上、外に出るのは危険だと判断したのだ。

 

 対して、

 

 彰人は姫神を安心させるように笑顔を見せる。

 

「けど、このままここに居ても危険である事には変わらないからね。なら、いざと言う時にすぐ逃げられるようにしておこう」

 

 そう言うと、彰人はドアを開けて車の外へと出る。

 

 続いて、姫神も外へと出てくる。

 

 闇夜にともされた松明の包囲網は狭まり、既に、炎が上げる熱量が肌に感じられるくらいだった。

 

 目を細める彰人。

 

 松明を持つ者達は皆、顔には覆面をして、素性が判らないようにしている。

 

 まっとうな目的で集まった集団でない事だけは間違いなかった。

 

「僕達に何か用ですか?」

 

 問いかける彰人。

 

 とにかく、相手の目的も判らないまま、話を進める事はできなかった。

 

 対して、相手の代表と思しき人物が、前へと進み出て来た。

 

「我々は真にこの国を愛し、この国の未来を憂う赤心を持つ、正義の志士たちの集い、『愛国志士団』である。水上彰人大佐。我々は君を断罪しに来た」

 

 その言葉を聞いて、彰人は珍しい事に、明らかな不快感に苛まれた。

 

 男の言葉には、明らかな自己陶酔の色がある。

 

 自分と言う存在に酔い、自己の理念を他者に強要するのは当然と思っている類の人間にありがちなパターンだった。

 

 この手の人間は得てして、自分達の考えこそが至上であると考え、他者の話を聞かない傾向にある。

 

 過去に何度かそう言う人間を見た事がある彰人は、とっさに警戒心を強める。

 

 それにしても、

 

「断罪、とは穏やかじゃありませんね」

「君はこの帝国を統べる殿下の崇高な理念を理解せず、あまつさえそれに異を唱えるような真似をした。これは決して許されざる事だ。万死にすら値すると知りたまえ」

 

 たちまち、周囲から「そうだ」「その通りだ」と、唱和する声が響いて来る。

 

 彰人は姫神の手を引くと、庇うように背中に回す。

 

「真の帝国人であり、真にこの国の未来を願う者ならば、殿下の考えに涙を流して賛同するのは当たり前の事だ。しかるに、君はそれを拒否した。つまり、君は全くの非国民であるとさえ言える!!」

 

 再び沸き起こる唱和。

 

 勝手な事を言う。

 

 彰人は腹の内から怒りが湧き上がるのを感じた。

 

 彰人は彰人の考えに基づき、富士宮に対して意見を述べたまで。それを批判する者がいないとは思わない。しかし、だからと言って受け入れられない意見を押し付けられる謂れは無かった。

 

 尚も続く、一方的な弾劾の嵐。

 

 このままでは、危害を加えられるのも時間の問題だろう。

 

 どうするか?

 

 考えを纏めようと頭の中を回転させていると、最初の男が再び口を開いた。

 

「とは言え、我等も鬼ではない。慈悲ある壮士だ」

 

 勿体付けたように言いながら、男はなぶるように彰人達を見る。

 

「今すぐ地面に這いつくばり許しを請うならば、両腕を折だけで勘弁してやろう。何やかやと言いつつ、君も同じ帝国人であり海軍の提督だ。反省し謝罪する者を受け入れる度量は我等にもある」

 

 勝手な言い分をまくし立てる男。

 

 対して、彰人は周囲を見据えて言った。

 

「富士宮殿下は、この事を把握しているのですか?」

 

 その一言に対し、

 

「貴様ァッ!!」

 

 激昂したのは別の男だった。

 

「一介の大佐風情が、殿下の尊き御名を口にするとは何事かッ 恥を知れッ この痴れ者がァ!!」

 

 言うが早いか、手にした木刀で殴り掛かってくる。

 

 対して、

 

 彰人は闇の中で、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

 聊か泥縄的ではあるが、チャンスが向こうから転がってきてくれた。

 

 彰人は殴り掛かってくる男の攻撃を、僅かに身を引いてかわすと、そのまま勢いをつけて膝を相手の鳩尾に叩き込んだ。

 

「グハァ・・・・・・・・・・・・」

 

 空気が抜けるような声と共に、その場に崩れ落ちて気絶する。

 

 海軍士官だから、陸軍の兵士に比べると白兵戦に弱い。

 

 などと言うのは間違いである。

 

 平時における海軍の最も危険な任務は、航路を荒す海賊との戦いであり、その場合、相手の船に乗り込んで移乗白兵戦をやる場合もある。逆に、相手に船に乗り込まれる事も充分に考えられるし、場合によっては、臨時の陸戦隊を組んで陸上で戦う事もある。

 

 その為、海軍では陸軍に負けないくらい、常に白兵戦の戦技指導がカリキュラムに力が入れられていた。

 

 彰人も例外では無く、日々の鍛練は欠かしていない。専攻は剣道だが、相手の動きが素人くさかったため、あっさりと撃退する事が出来た。

 

 その彰人の反撃が引き金となった。

 

「ぶち殺せェ!!」

 

 男達は、手にした松明や武器を掲げ、彰人達に襲い掛かってくる。

 

 対して、彰人は冷静に状況を見据えると、姫神の手を引いて走る。

 

 大海原で敵艦相手に熾烈な砲撃戦を演じる軍艦。

 

 その軍艦を象徴する艦娘なのだから、人並み外れた身体能力と戦闘能力を持っている。

 

 訳ではない。残念ながら。

 

 中には体を鍛える事に余念がない艦娘もおり、そうした娘は白兵戦でも部類の強さを誇っているのだが、そうでない艦娘もまた多い。

 

 そしてまことに残念ながら、姫神は後者だった。

 

 艦娘と言えども悪意を持って襲われれば傷つくし、致命傷を負えば死に至る。

 

 過去、艦娘が何らかの事故や騒動に巻き込まれ死亡した事件があった。その場合、艦体の方は突如、爆発を起こしたり原因不明の浸水を起こして沈んでしまったと言う。

 

 そこにどのような因果関係があるのかはいまだに解明されていないのだが。

 

 そこまで行かずとも、艦娘のコンディションが悪くなると、艦も全力発揮が不可能になる。その為、海軍では艦娘の体調管理やメンタルケアには充分に気を使っている。場合によっては、外を出歩く時には護衛を付ける場合もあった。

 

 まともな海軍士官なら艦娘を傷付けるような真似は絶対にしないし、艦娘の意に沿わない事もしないだろう。

 

 しかし、目の前の連中は、そもそも海軍士官かどうかも怪しい奴等だ。そんな不文律を順守する事は期待できそうになかった。

 

 彰人は姫神の手を引いて走る。

 

 取りあえず、停車した車を背にしていた為、そちら側は死角になっている。つまり、車の反対側にいる連中は、回り込んでくるまで、若干のタイムラグがあると言う事だ。

 

 その間に彰人は、目の前の男を蹴り倒し、包囲網を強引に破りに掛かる。

 

 いかに日ごろから鍛えているとは言え、この人数相手に彰人一人では荷が重いのは明白だった。

 

 せめて銃があれば応戦もできたのだろうが、当然ながら非番の軍人が銃を携行する事は禁止されており、鎮守府や艦の保管庫に厳重にしまわれている。

 

 その為、今の彰人は完全に丸腰である。

 

「逃がすなッ」

「必ず殺せ!!」

 

 口々に怒鳴り声を上げる男達。

 

 2人の行く手を遮ろうと迫ってくる。

 

「死ねェ!!」

 

 正面に回り込んだ男の1人が、角材を振り上げて殴り掛かってくる。

 

 既に周りは包囲されていて、逃げる事はできない。

 

「クッ ・・・ヒメっ!!」

 

 彰人はとっさに叫ぶと、庇うように姫神の小さな体を抱え込む。

 

 傷を負う覚悟を決め、衝撃に備える彰人。

 

 その時だった。

 

 突如、闇の中を照らし出す、強烈なライト。

 

 同時に、1台の車がクラクションを鳴らしながら突っ込んで来た。

 

 猛スピードの車が出現した事で、男達は慌てて散り散りになる。

 

 そして、車は彰人と姫神の前まで来ると、そこで急停車した。

 

「これはいったい・・・・・・・・・・・・」

 

 突然の事態に、戸惑う彰人と姫神。

 

 その時、車の後部ドアが開き、長い髪を三つ編みにした小柄な少女が顔を出した。

 

「お姉ちゃん、提督ッ 早く乗って!!」

「クロっ なぜここに!?」

 

 突然の事に、彰人に抱かれたままの姫神は目を丸くする。

 

 車から顔を出したのは間違いなく、姫神型巡洋戦艦の二番艦にして姫神の妹、黒姫だった。

 

 なぜ、黒姫がここにいるのか? そしてなぜ、このタイミングで現れる事が出来たのか?

 

 まったく事態が掴めない。

 

 しかし、これが脱出の為の、千載一遇の好機である事はすぐに理解できた。

 

 彰人は姫神を先の乗せると、自分も中へと飛び込む。

 

「間に合って良かったっすよ、先輩」

「成瀬かッ!?」

 

 運転席でハンドルを握っているのは、彰人の後輩で巡洋戦艦「黒姫」艦長の成瀬京介中佐だった。

 

 更にもう1人、助手席には長い銀髪の小柄な少女がちょこんと座っている。

 

「提督、ヒメ、無事で良かった」

「響まで・・・・・・」

 

 それは、暁型駆逐艦4姉妹の次女、響だった。

 

 「黒姫」と「響」は南太平洋海戦で大破し、本土に戻って修理中だった筈。その艦娘たる2人が、この場に現れて彰人達の危機を救ってくれるとは、思っても見なかった。

 

「話は後ッ 京介君、早く出して!!」

「おうよッ」

 

 黒姫に促され、アクセルを蹴る京介。

 

 そのまま車は、男達を跳ね飛ばすような勢いで駆け去って行くのだった。

 

 

 

 

 

第49話「巨壁」      終わり

 

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